第8回
出席メール

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  1.  一冊の本との出会いから学者としての道を志し、一人の人物との出会いから30年間経っても考え続けられる研究のテーマをもらうなんて運命とは非常におもしろいものだなと感じました。ひとつひとつの出会いを大切にしていこうと思います。大学時代に自分の世界を広くして、たくさんのものに触れ、たくさんの人と出会い、いろいろ刺激を受けながら自分というものを見つめていこうと思います。

      ○○○○様へ

       メール、ありがとうございました。

       人生において出会いというものは非常に大切なものです。人との出会いはもちろん、本や音楽などとの出会いも、その人の人生を決する場合があります。大学時代は、自分を磨くために、よい出会いを求めて前向き、積極的な活動をして下さい。

           柏 久


    (以下、定型の返信省略)

  2.  今日の授業で一番印象に残ったのはやはりキャベツ農家のおじさんの話でした。値の高いときに売り安いときには売らない。株もそんな感じですが、キャベツは何ヵ月も前に種を巻かなければならないし、値が安いからといって置いておくわけにもいかないのでとても難しいはずです。それを楽しんでできるオジサンはすごい人だなと思いました。オジサンの言っていた農業で儲ける三原則は、キャベツの値が高いときに売ろうと思えば利にかなったものだとおもいました。普通の人は農林省、農協、学者の言うことを聞くところ、逆をやるのだから当然ほかの人がたくさん作れなかった時にたくさん作れる可能性が高くなるはずです。

       キャベツ農家のおじさんも、農家の長男に生まれたからこそ農業をせざるを得なかったのだと思います。にもかかわらず、自らの宿命をプラスの方向で考え、前向きに創意工夫して人生を楽しむ、それは人生の達人の境地なのかもしれません。日本農業と関わらせて考えるなら、農民のそうした主体的な動きを奪ってきたのが、私が官僚主導型と呼ぶ、農業構造なのだと考えています。


  3.  今日はまず、授業の最初に写真を見れたことに感激しました。私たち学生が写真を見たいと要望したところわざわざ風邪をこじらせている中写真撮影に行っていただき、先生の授業に対する熱意が伝わってきました。本当にありがとうございます。

     農協の中を写真撮影しようとした際に、従業員が「何のために写真をとっているんですか?」と聞いたことからも、先生がおっしゃっていたように農協が農業を行っている人のためにあるのではなく、農協の利益のために成り立っているような気がしました。

     来週のトライアングルに関する講義楽しみにしています!

       大中之湖干拓地に無理をして取材に行きましたが、私にも得るものが大きかったと思います。私は、大中之湖の端を通る湖岸道路をよく利用しますが、干拓地の中に入ったのは20年ぶりくらいだと思います。聞き取りはしませんでしたが、景観を見ただけで、当時とは大きく変化していることを実感しました。私はここ10年以上、文献研究を中心にしてきましたが、フィールドの大切さを再確認しました。今後は、機会を作ってでもフィールドに出たいと思います。

       農協に関していえば、大中之湖の農協はよくやっていると評価したいと思っています。全体的な構造が変わらない中で精一杯やっているのではないでしょうか。構造の中で問題と思われる補助金なども、うまく使ってプラスに変えているあたりもよしとせざるを得ないでしょう。


  4.  12月3日の授業出席しました。  …が、今日も睡魔に負けてしまいました。授業の内容には非常に興味があるものの、4限の魔物には勝てません…。A群の単位が揃っているという安心感もどこかにあるのかもしれません。しかし、農学部生として、また日本国民として日本農業のことをもっと知りたいので、何かお薦めの書籍があれば教えて頂きたいです。「こんな農学部生がいるから日本農業は良くならないのかも…」と焦ってしまいました。

     体調不良の中、わざわざ写真を撮りに行って下さってありがとうございます。これからますます寒くなってきますので、早く風邪を治して下さい。こんな内容でごめんなさい。来週は頑張ります!

       金曜日の4講目、私が選択したものではありません。この講義はもともと哲学系の講義として組まれていたもので、3講目に同じ教室で宮原先生が哲学を講義されています。私としては、農学系の講義として午前中にでもやりたいのですが、今の形でよい面もたくさんあります。法学部や文学部など文系、理学部や工学部など理系の学生さんの、私が驚かされる豊かな発想にふれることができるからです。あなたもこの授業の中で、他学部の学生さんの考え方を学んで下さい。  書籍の紹介ということですが、来年夏休み前には、この授業の教科書を出版する予定にしています。是非ともそれを読んで下さい。


  5.  今回の農協の話はとても勉強になりました。僕の実家がある市内にも農協の建物があったのですが、建物の中には入ったこともないし特に興味もなかったので正直なところ何をしているところなのかがはっきりとはわかりませんでした。でも今回の授業でなぜその農協の横にガソリンスタンドらしきものがあり、テレビのCMで朝ドラに出てた人が農協の宣伝なのに保険の宣伝をしているのかがわかりました。「農家の生産生活に必要なことをすべてできる」組合なのですね。

     この前地方(北海道)の農家の方に農協は市場と農家の間を取り持つ存在なのだと伺いました。市内や街中にあるような農家はまた別なのかもしれませんが、もしそうだとしたら、農作物を出荷するごとに利益の一部を農協のものにすることとなり、大きな負担になるような気がします。しかも(無駄に?)3段階も3パーセントづつ利益をわたさなければならない状態が何十年も続いていたのは客観的にみても嫌な感じがします。

     若き日の先生が出会ったある農家の人の言葉「農業をするにおいては、農林省、農協、学者の言うことは信じるな。」は深刻に受け止めるべきだと思いました。それほどこれらの職業の人が信用されていなければ、これらの仕事についてもうまく理想どうりに物事が働くとは思えません。信用されるためにも農家が本当に悩みとしていることを直接にでも聞ける機会をもてればいいなと思いました。 今回はこのへんで。

        これまでの日本の農業、否、日本人の食料供給を支えてきたのは農家です。戦後の食糧難の時代はいうまでもなく、その後も十二分な外貨を得て外国から農産物を輸入できるようになっても、食料供給の基本はやはり国内生産であり、それを担ってきたのは農家でした。食料自給率が40%になってしまった今も、食料供給の基本が国内生産だということは変わらないと思います。ところが、人間が生きていくために不可欠の食料を担う農業に対する一般の方々の関心は低く、問題の所在がどこにあるかはまったく理解されていません。

       その意味で、農学部生のあなたが農協に対する理解を深められたことは、非常によかったと思います。

       日本人がこれまで選択してきた経済体制、社会体制の延長線上には、国内農業生産の担い手が農家だけでありつづけることができなように思います。私は人々が経済体制・社会体制の変革をも視野に入れなければならないと考えていますが、その実現が困難だとすれば、やはり企業が農業に侵出できたり、農協が、直接、農業生産を担えるようにする制度改正が必要だと思っています。もちろんその場合、農協と農水省の癒着構造は解消しなければなりません。

       農学者が、お上の意向をうかがいながら研究をするようでは(もう一方には、相手にもならないような荒唐無稽な批判がある)、日本の農業がよくなっていくはずはないと思います。


  6.  今日の第八回目の授業に出席しました。

     今日は5限が休講なので先生の講義が終わってすぐメディセンに来ました。返事が 来るとうれしいもので次も早く送るぞ、とがんばる気になります。でも、人間健康が 第一です。なので、がんばる先生は大好きですが、無理しないで下さいね。  今日配布された出席メールで「海外生活を勧める…」という文がありましたよね? 私はまだ先の話ですが、来年カナダに留学することになりました。あらためて考えて みると、カナダについて実はあまりよく知らない事に気づきます(アメリカの隣だから ついアメリカはかり見てしまうのかもしれませんが…)。なので海外生活で新しい地平 を開くとともに、これを機会にカナダについてもう少し勉強してみようと思いますし (といいつつ今は大学の発表やレポートに追われてなかなか進められていませんが)、 現地に行ったら実状をよく見てきたいと思います。

     日本人に自分がないというお話も書かれていましたね。私もそれは同感です。今思 ったのですが、特に女の子のグループはまさにムラそのものですね。私はそれが苦手 でいわゆる「ハミる」状態に自分から進んでしまったりしてましたが…。必ずしもム ラは悪いわけではないだろうけれど、その構造は時代の流れには反するもので、その せいで今様々な問題が起こるのだなぁとあらためて感じます。小さいころから親や学 校で言われるものは、「和」を尊重するものでムラ的なのに、成長するにつれて社会 からオンリーワンであることを求められて、そのズレに苦しめらめる、過渡期ゆえの 苦しみなのかもしれません。なんだか話が環境や農業とはとはまったく関係のないほ うへいってしまいました。すみません。

     講義の感想へいきます。今日の講義中に、企業が入ると安全性が危うくなる、とい う意見があったことについてですが、私も企業が入ることでそうなるというのは、ち ょっと違うと思います。今は消費者が安さだけでなく安全なものを求める時代です。 企業は売るためにそんなニーズに対応してくるものだから、むしろより安全な食品が 増えるかもしれません。確かに最近食品企業に対する不信感は大きいし、必ずしもい いともいえませんが。それに企業というライバルが入ることで、これまでの体制もそ れに触発されて変わるかもしれませんし。まぁ、これまで甘い汁を吸っていた人は農 民を見捨てて逃げてしまい、結局ダメージを受けるのは伝統的小規模生産者だけ…と いうこともありえるかもしれませんが。結局すべての人にとって良い方法なんてない のでしょう。ではその中で何がベストなのか、全体を見ることも大切ですが、個人の ことを忘れさらずに考えていく…難しいですね。でも、完璧は無理でも努力すること は無駄ではないと思います。全体のことを考えなければ動けなくなってしまうかもし れないけれど、その中で一人一人の人が確かに生きて生活していることを忘れないよ うにしないとなぁと思いました。

     今日のお話で一番印象に残ったことは最後の先生がどうやって今の考えに至ったか のお話でした。実は今日の出席メールでそのことについ質問しようと思っていたの で、私は先生がお話をされたときは、偶然にびっくりしてしまいました。キャベツ農 家の方のお話は大変興味深かったです。しかも明石の方。私は実家は明石の本当にす ぐ近くなのです。しかも最近明石で、農家ではなく漁業関係の方になのですが、イン タビューしたりしてフィールドワークを行っていたので、明石が出てきてまたまたび っくりしました。今も明石でキャベツ農家は続いているのでしょうか。今度フィール ドワークにいったら農家にも行ってみたいと思いました。それに漁業を思い出したと ころで、水産業も官僚と結びついているのだろうか、と疑問が出てきました。そっち の方も今度調べてみようと思います。

     講義直後にメールを書くと、まとまらないながらもいろんなことが浮かんできて、 すっかり長くなってしまいました。先生のお疲れを増やしてしまったかもしれませ ん。そういえば、機械は私も苦手です。パソコンの画面を長時間見ていると頭が痛く なってきます。でも情報化社会についていくべくがんばらなければ、と思ってます。 それにしても世の中最近速いです。のんびり屋な私は時々疲れてしまいます。  というわけで、本当に長々と書いてしまいましたが終わります。次回もよろしくお 願いします。

       カナダへの留学、素晴らしいですね。頑張って異文化を吸収してきて下さい。というより、異文化の中で日本を考え直すことの方が重要かもしれません。われわれはいくら頑張っても日本人なのですから。

       ところでカナダのことを勉強するということが書かれていましたが、最低限のことは勉強しなければならないかもしれませんが、日本にいる間、より重要なことは日本のことを勉強することです。私が、短い留学期間、いつも恥ずかしく思ったことは、自分は余りにも日本のことを知らなさすぎるということでした。

       ドイツの若者には、名所旧跡のガイドをしたりして積極的に自らの文化を学ぼうとしている人がたくさんいました。そして故郷の文化に誇りを持っていました。日本の若者にもそのような人がたくさん出てくることを期待しています。

       食の安全性の問題は、企業だからどうで、農家だからどうだという問題ではないと思います。ただ、生産者と消費者の距離がどんどん遠くなる今の経済体制・社会体制でよいかどうかは、絶えず考えていかなければならない問題だと思います。そして、今の社会が資本主義体制、企業経済体制である以上、企業に対する不信感が出てくるのもやむを得ないところがあるような気がします。ただそれでは人々は企業経済社会を捨てることができるか、となると難しいことも事実です。とするなら、企業社会をどのように変えていくかが重要になるはずです。その際、企業の農業進出についても、幅広い議論が必要だと思います。

       明石のキャベツ農家の話、もう30年以上前のことで、その後の明石地域の変貌ぶりからしてこの地域の農業も大きく変わっていると思います。その後、残念ながらこの地域周辺の調査をしたことがありませんでしたので、今どのようになっているかは知りません。

       水産の分野においても、官業の癒着構造は見られます。というより、日本の資本主義は、基本的に官業の癒着構造が見られる歪んだものといえると思います。

       インターネット、私がドイツ留学したときには、まだ普及していませんでした。メールやウェブ、その他コンピュータ全般、海外生活において欠かせないものです。頑張ってこの点でも技術習得に励んで下さい。


  7. 12月3日 講義出席しました。

      さて前回無かった写真も復活し、やっといつもの環境形成基礎論に戻ったかなぁ、という感じです笑。
    今回は前回うやむやのまま持ち越しとなっていた「農協」とは何ぞや?
    またそれに絡む諸々の事情、組織、制度etc.の解説をメインにされていましたが、
    特に興味を持った事は序盤でお話になった「合併」の話です。
    何故かと申しますと、僕は現在滋賀県の実家から大学へ通っているのですが、
    最近僕の住む町が隣町との合併問題で揺れてるんです。
    どうやら僕の住む町は懐が他の町に比べやや暖かいらしく、隣接する町から合併しよう!!
    という声が多々上がっています。そこでどこと合併するかが密かに町内を賑わわせている訳です。

    最近何かと「合併」という言葉を耳にします。しかし、僕は合併のメリットが何かわかりません。
    アホですいません・・・。
    例えば町同士が合併する事で一体何のメリットが生まれるのでしょうか?
    公務員の数はやや減るでしょう。でも財政的にはどのように変化するのですか?
    合併する町の、財政的に豊かなほうがそうでない方に援助でもするのでしょうか?
    いや、町が市に変わればその地域に割り当てられる予算が増えるのかもしれない・・・。
    などと足りない頭で考えているのですが、いまいち良くわかりません。
    「自分で調べろ!」などとおっしゃらず、簡単に教えていただければ幸いです。
    よろしくお願いします!

    予断ですが、先生がIT化と叫ばれていた時期にいち早くHPを立ち上げてインターネットに目を向けていた事には頭が下がります。
    「やるな」っと思いましたよ笑

    では次の講義も楽しみにしています!

       前にも話したように、Webのナビゲーターを使って講義をしようというアイデアを思いついたのは、初回の講義の1週間ほど前のことでした。「やま地」酪農、淡路酪農の物質循環、トウモロコシの輸入現場の3種類の写真を見せたい(これだけならパワーポイントで可能)ということと、教科書が作れなかった代わりに講義ノートをWebで掲載したい、ということから思いつきました。その副産物として、取材が入りましたが、来年度の講義までには写真を撮り貯めておきたいと思っています。

       さて、町村合併は、明治22年、昭和29年につづき3度目の推進が中央主導で行われています。これまでの3度すべてが、地方行政合理化の名の下に、支配・管理体制の強化が目指されてきたのではないでしょうか。歴史的に見て、明治22年、昭和29年が重大の時代の転換期であったことは間違いありません。その意味では現在も大きな時代の転換期だと言えるでしょう。しかも、中央も地方も財政難です。合併により地方の財政難が緩和され、国も地方交付金を全体的に減らし、しかも支配・管理体制を強化できるのであれば、合併を強力に推進するのも当然かもしれません。しかし、いつもそれによって泣かされるのは地域の住民です。今回もそうならない保証はありません。

       一つ前の出席メールで「ハミる」という言葉を知りました。1990年代、職場でも学会でも「ハミる」状態であった私は、自己表現する場を求めていたと言えます。また当時、文献のデータベースを作りたいと思っていた私は、コンピュータおたくの友人に、私のような機械音痴にもコンピュータでデータベースが作成できる方法を教えてくれと頼んでいました。友人は色々試行錯誤してくれた結果、マックのファイルメーカーを伝授してくれ、私はそのソフトの習得のため、苦手なコンピュータに向かい合っていました。その努力の副産物がHPづくりだったのです。当時は、HPを作成している人は非常にマニアックなコンピュータ好きの人ばかりで、私のHPがどんどん増殖していくのを知り、周りの人たちは「何で柏が…!」と驚き、また先を越されたことに悔しがったものでした。それもこれも、私が「ハミって」いた結果だといえます。また、私が「ハミって」いなければ、このような授業形態もなかったと思います。


  8.  第8回目(12月3日)の授業出席しました

    前回も出席はしたのですが、あれこれ考えているうちに一週間がたってしまって結局メールを出せずに終わってしまいました。
    その反省を踏まえて今日は授業終わってから即メールを書くことにします。

    今日の講義で一番印象的だったのは農協が半世紀前(しかも非常事態)の構造をそのまま引きずっているということです。
    本来「むら」というのはその成員のためのものだと自分は考えてますが、その構造を悪用して農家のためにならないことをする、そういうことがずっと続けられてきたことに驚きました。
    たしかに恐慌や戦争といった非常事態では、そういったことは仕方のないことだと思います(そう思わせるのはある意味むら的な思考なのかもしれません)が、 その構造を非常事態が去った後も、しかも50年間、そっくりそのまま続けてきたのはまさに悪用といわざるを得ません。
    そもそも役人は農協は農家のための組織だという意識をもっていないのかもしれません(元々そのような組織ではなかったようですが)
    キャベツ農家の方の「国の言うことは聞くな、農協の言うことは聞くな、学者のいうことは聞くな」という言い方はまさに象徴的だと思います。
    こういう農家の方々が連携をとって農協に変わるもの、各々のためになるもの、を作っていければいいんじゃないかなとも思います。
    それがどのような形をとったものか(企業というのも一つの手かもしれない)は私には分かりませんが。

    それにしても食料計画が国にとって大事だというのはいいが、それぞれの農家で作ったものはそれぞれの農家が管理・販売するのが自然なような気がします。 だのにどうしてこうも長いことこの構造は続いているのだろうか。 学者もその一端を担っているというから自分達も他人事ではないかもしれません。 次回の授業に期待したいと思います。

       私は薬学の世界についてはほとんど何も知りませんが、血液製剤とエイズの問題でその一端が垣間見えたように、やはり産官学の癒着構造があるように思います。安部副学長がスケープゴートにされた感がありますが、問題は構造そのものといえるのではないでしょうか。われわれが意識して、その分野分野で構造の問題点をえぐり出し、よりよい社会の形成に向かって努力していく必要があると思います。

       いま私が批判してやまない日本農業の構造も、昭和20年代の食糧危機を克服する上では非常に役立つものでした。しかし時代が変わっても変革していけないところに問題があります。その点に関しては次回お話しします。

       この講義も残り少なくなりましたが、今後も皆さんがそれぞれの分野を通して、社会構造の問題に関心を持ちつづけて下さることを期待しています。


  9.  お身体の調子が好ましくないご様子。忙しいというのは、大変なことですね。
    私は自分の身体が不調になるほどの忙しさというのは経験した試しがないので 実感はできませんが、言葉のうえだけですが、お察しします。

     さて、今日の講義を聴いてですが、まずは、私の知っている農協のことから 始めましょう。私の田舎にも当然農協があって、私も実際に日常茶飯事的にこ の言葉を耳にしていました。とくに記憶に濃いのは、貯金のことと保険のこと です。私の通っていた町立の小学校では、毎月一度、児童が貯金通帳に現金を 挟んで学校に持っていく日というのがありました。その日は、朝から学校に郵 便局の人と農協の人が出て来て、要するに貯金の手続きをしてくれるのです。 私は、毎月この日には、郵便局のものと農協のものと、二冊の貯金通帳にそれ ぞれ1000円紙幣を幾らか挟んで学校へ持っていったのを覚えています。それか ら、保険については、私の父母がおそらく農協の共済を利用しているはずです。 ただし、近頃では家計も苦しく、従来の貯蓄型重視の保険料は毎月の家計を圧 迫するので、掛け捨て型の農協とは別の保険に変えようか、などという会話も あるそうです。それと、もうひとつ、これは農協の合併についての話ですが、 私の田舎でも合併と人員削減が進んでいるらしく、最近は最寄りの農協に人が いなくなって、農協に用がある時は今までより遠くの農協にまで足を運ぶ必要 が出て来たようです。しかし、この足を持たない高齢者の一人暮らしなどもあ るわけで、そんなときには、電話をすれば農協のほうから人が家へやってくる というようなこともやっているそうで、農協の建物の中からはますます人が減 るという具合だそうです。我が家では、従来利用していた農協が機能しなくな ったために(要するにそれまでの我が家の農協利用の事情を知らない人がいろ いろの雑事を処理するので)、ごたごたした出費を通帳から自動で引き落とし てもらうようなときに、何冊かある通帳のうち誤ったものからこれこれの料金 が引き落とされているとか云々、合併当初から文句を言っていました。我が家 では農協を通して売るようなものは作っていないので、そちらの関係では農協 とのつながりはないのですが、とにかく、合併によって幾らか不便が生じてい るのは確かなようです。

     ところで、今日の講義で特に強烈だったのは、現在の農協組織の起源が戦時 下の日本にあって、その体制が実質的には長らく維持されてきたということで した。歴史的な話も含めて聴いてみると、同じ協同組合でも、生協と農協とで どうしてこうもイメージが違うのかということの理由が実に明確になった気が します(といっても、生協については私自身には一般の利用者としての知識し かないのですが)。

     しかし、農協のことは、これくらいにしておこうと思います。次回の話を聴 いてからまたいろいろ考えることがあるだろうという気がしています。今日は まだ考えがまとまりません。というわけで、最後に例の「夜行の話」を聴いて の感想だけ述べて終わりにします。30年という時間は私の未だ経験せざるもの なのですが、人生のなかに、なにか決定的なことというか因縁的なことという のがあるのだなあ、と感じました。といっても、勿論私は下手に超自然的な運 命論を振りかざそうというつもりでは毛頭なく、私も30年経ってから、ふとし たときに、今現在の何気ない体験を意味深に思い出す日が来るかもしれないと いう、そういう想像が頭を過ぎっただけの話です。しかし、今のところ、私が そのような偶然の体験をしたという自覚はないので、仮にこの先、私の現在の 体験をなにか意味深な過去として自覚する日が来たとしたら、本当に予想もし ないことが起こったということになるのでしょう。そうすれば、人生というの はキャベツよりギャンブルだと思います。要するに、わけが分からないという 意味で。しかし、この台詞は少々気恥ずかしい気がします。キザでしょうか。 いずれにせよ、確かなことは、未来は現在の向こうにしかないということだと 思います。

     最後はまた適当なことを書いてしまいました。それではまた、次回まで。

       地元の農協の話、都会出身の方には参考になると思います。人は、自分が、日常、無意識のうちに経験して知っていることを、誰でも知っているものだと勘違いしがちなものです。あなたの経験と知識を、同じ教室に集うとか磯建ちの方々にお裾分けすることは素晴らしいことだと思います。

       ところで、農村で生まれ育った人とって農協は身近なもので、改めて何かと考えられたこともないと思います。しかし、それがどのような歴史を経て現在の形になっているか、その存在意義は何か、などはご存じないと思います。

       都会で生まれ育った私にとって、農協は名前だけの知っている存在でした。農学の道を進むようになり、農村調査などで農協を訪れても、当初はその意義を、農民を支えているものぐらいにしか思っていませんでした。ただ、農協と一口で言っても、農協ごとに非常に異なる印象を受けました。地域の農業と農協の活発度合いが比例しており、その因果関係に興味を持ったこともありました。

       私が農協を深く知るようになったのは、農業政策という講義を持つようになった約15年前からです。それまでの調査の経験の上に、日本の農業構造に関するに勉強をしたことが、農協の持つ問題点を浮き彫りにしました。その点は、次回の講義を聴いていただければ、より理解していただけると思います。

       さて、私が4回生の時に出会ったキャベツ農家のおじさんの話、確かに何か運命的なものがあります。しかし私がその時までに出会った人間は彼だけではありません。短い人生でも、意図した、また意図せざる出会いは無数といえるでしょう。しかしある人との出会いは、30年の研究の骨格ともなるし、他の人との出会いは次の瞬間には忘却の淵に沈んでいくものなのです。私は都会出身であるにもかかわらず農学部に入学したため、1回生の夏休み、同級生となった友人一人を誘い(京野菜の写真を見せたときの錦市場の八百屋の社長)、広島の自営者養成の農業教育機関で1ヶ月近い研修を受けました。私が何かわからないまま「求めていた」ものが、明石の農家のおじさんとの出会いを運命的なものにしたのではないでしょうか。もし彼と出会わなくても、別な出会いが彼との出会いの代わりをしていたと思います。

       ここで私が言いたいことは、人生は運命的なもののようでいて、実は主体的なものだということです。まだ得体の知れないものであっても、自分の内面にある求める心に素直になり、求めつづける心を失わなければ、必ず運命的な出会いに遭遇するものです。マックス・ウェーバーは、学問を志すものの心得を説く中で、たゆまぬ努力の過程での、偶然の「出会い」(「発見」)を僥倖と呼んでいます。

       私が「個」の確立というとき、このような心のあり方をも含んでいます。


  10.  12月3日の授業に出席しました。

     今回は最初に神社の写真をみました。本題の中で、農協という言葉がよくでてきました。戦前、戦後の農協の広がりの仕組みが分かりました。いろいろと苦労があったんだなあと思いました。あとは信州に夜行で行くのが普通というのにはビックリしました。

       リーダーとなっていくためには、社会に対する深い認識が必要です。私は京大生に対して、社会に対する強い関心と深い認識力を期待しています。


  11.  12月3日の講義に出席しました。先生の学生時代の話を聞いて、とても羨ましいなと思い聞いていました。僕自身はまだ1回生なので就職活動といってもあまりピンときませんが、姉が現在4回生なのでとても大変そうにしているのを思い出しました。僕が就職するころには就職率が上がっているといいのにと思いますが、それはおそらくなさそうだなと少し諦めています。

       容易によい企業に就職できたからといって、よい人生が待っているわけではありません。要は主体的にどう取り組むかの問題なのではないでしょうか。


  12.  前回は遅くなってしまったので、今回は早めに出します。

    今回の講義では戦時中における農業界の変遷についての国家の陰謀的政策(5ヶ年計画)を知ることが出来、非常に意義深いものだったと思います。また、その戦時中の政策、すなわち戦争のための政策がほんの10年前まで続いていたということは、恐ろしいことだと思いました。政府はやはり常に時代の動きを読み、その時代に最も適切な政策を打ち出していくことが必要だと思います。

    あと、キャベツ作りがギャンブルという話はとても面白かったです。農業では農水省、農協、学者の言う事は聞いてはいけないと聞いた時は納得させられる反面、こう思わせる農水省、農協、学者はなんて情けないのかと呆れてしまいました。

    次回の講義も楽しみにしています。

       1940年体制、農業界に関していえば、1995年までは確実にこの体制のままでした。次回はこの点に関してお話しします。いまも完全にはこの体制を抜け出してはいない、と私は思っています。  しかしよく考えれば、首相の靖国神社参拝問題など、実は日本の社会全体にまだこの体制の名残があるように思います。政府が、本当に国民のためのことを考えている、といえるでしょうか。私が皆さんに社会に対する強い関心と、深い洞察力を求めるのは、このためです。


  13.  今回の授業の冒頭部を聞いていて、農業への企業進出は賛成できるものであるということがわかってきました。企業の参入が食の安全性の低下には必ずしもつながらないというのはよくわかりましたし、新聞記事に、中国でビールの原料の麦の大規模経営をしている人のことが書いてあって、その麦を使ってビールを作り日本に輸出しているということが書いてあったことを思い出し、外国で作られたものは危険だ、なんて意識が僕の中にはあったのですけど、必ずしもそうではないということがわかってきました。

     しかし、やはり外国の農地でやるからには現地の労働者を雇うでしょうし、土地の安全度(汚染されていないか等)や安全で丁寧な作物作りといった徹底管理がされているのかどうか、というのはそうはいっても正直僕は不安でもあります。僕は農業に対して今まであまり関わりを持ってこなかった人間であり、こういうことに対してまったく無知なので、僕のこの不安は外国に対する偏見も含まれているかもしれません。

     だからそういう意味では、日本ではIT化により作物とともに生産者の情報やどのように作物を作ったか(農薬投与の状況等)がわかるようになって> いっ ているのは、コスト面ではまだ厳しいとは思いますが、消費者としてはとてもありがたいものだと思います。いつか外国で生産した作物もそのようになれば、食の安全性はよりはっきりとわかりやすくなるのではないかと思います。

        食の安全性を高めるためには、やはり地産地消ということになると思います。もっといえば、自分の食べるものは自分で作る、というところにまで進まざるを得ません。しかし国全体で考えれば、それは歴史を逆行すべき、と主張しているようなもので、実現性は薄いでしょう。

       要は消費者の選択の問題であって、食の安全性をあくまで求めていくのであれば、価格は高くとも安心できる関係を生産者と築けばよいと思います。情報革命によって、それは産直という形で可能となってきています。また耕作放棄地が増えている現在、自分で自分の食べるものを作ることを求める消費者には、熱意次第でそれも可能となるはずです。


  14. 先生、お風邪がつらそうでした。
    これからより冷えてくるでしょうし、どうぞご自愛ください。

    実は今日は、明日明後日に予定されるあるイベントの準備のため、 3コマ目に京大を離れており、4コマ目の環境形成基礎論を 受けようと思って戻ってきたものの、疲れてほとんど寝ぼけ眼で 授業を聞いておりました。申し訳ありません。

    家に帰って、改めてJAについて調べています。 JAがいかに大きな組織かということには驚かされました。 確かに、田舎の道を走っているとJAのガソリンスタンドや 建物が目に付きます。 しかし、ここまで自分たちの周りに、 野菜だけでなく、食肉、さらにはガソリンと 幅広くはびこっているとは驚きました。 効率的に身の回りのものを提供できているという点では 決して悪いことばかりではないとは思うのです。 でも、食べ物という世界に画一化を広く促してきたのは 少しやりすぎかな、とも感じます。

        農協(JA)は、金融でも共済でも販売・購買でも巨大な事業体です。私の丸紅に勤めていた友人(現在、写真をお見せした、トウモロコシ輸入現場のサイロ会社の副社長)は、巨大商社も無視できない、全農の強い力のことをいつも話してくれていましたし、日生に勤める他の友人は農協共済の力について、銀行に勤める友人は農林中金の力について、同様な話をしていました。しかも、それが一つの組織体をなしているのですから、巨大組織という名に恥じない存在なのです。当然にその政治力も絶大で、全中は、農村部の政治を動かす力を持ってきたと言えます。農協の政治との結びつきに関しては、次回お話しします。

       農協に関しては、その存在そのものが悪いわけでは決してありません。問題はそれが一翼を担っている構造です。構造改革を実現して、農協が真に農業者のための組織とならなくてはなりません。


  15.  今回は農協の実態や歴史などを聞くことができました。農協それ自体を今回 のように見るということは普段あるわけではないのでいい機会でした。講義の 中で農協の主力業務は金融部門というお話がありましたが、僕の農協観として は6、7割ぐらいが金融機関で3、4割が農業関係の事業をする機関としての 農協です。金融機関としての農協のイメージは自分の実家での農協を利用する 目的が金融であることと、(地元の)農協の建物の内部が金融関係の設備・窓 口であることからきています。残りの農業機関としての農協のイメージは実家 の真裏に農協の倉庫があり米や野菜の出荷や収納が行われているのを見てきた からです。(蛇足ですが倉庫は近所でも比較的広い場所で小さいころは格好の 遊び場でした。)話が個人的なことにそれてしまいましたが、お話のように現 在金融機関としての農協(の業務)を知っている人のほうが一般的には強いの ではないかと思います。

     しかし講義でもありましたように農協の源流は農業従事者が「協同」して組 合を作って力を合わせていくものであったのです。農協の歴史で見ましたよう に、農協は地域の地縁的なものに根ざし、国家主義体制に取り込まれ、行政末 端組織化してきました。農協の位置すべきところが源流とはかけ離れているの です。農協をもうひとたび農業者や農業のための機関として再定義、変化をさ せるなら、農業者個人たちの「協同」ということを根底におくべきであると思 います。(ただ経営形態の一種としての金融部門を否定するものではありませ ん。)

     そしてもう1つなぜ農協が行政末端組織化したかということを考えるなら ば、講義でもありましたように貧困や経営悪化というものがありました。これ を改善するには1つとして組合員が個人として強くなり参画していくことだと 思います。どうすればということは複合的条件もあるでしょうし、簡単に解決 するならすでに解決していたでしょうから総合的に段階的に考えていかなけれ ばならないでしょう。しかし先生が信州に旅行されたときに会った明石のキャ ベツ農家の話は非常に示唆的だと思いました。そのキャベツ農家は農協組織と してはアウトローなのでしょうが、おそらく儲けていたやり手なのかもしれま せん。「農協・農林省・学者なんかの話聞いてたら・・・」のようにいわれな い組織(農協)に(するために)その農家のような人が参画して個人が「協 同」していけば、農協の体力は強くなっていくかもしれませんし、行政末端組 織ではない真に地域に根ざしたものが作られていくのかなとも思えます。

       あなたの農協のイメージ、正しいと思います。農協の平均像はまさにこのようなものです。やはり百聞は一見に如かずだと思います。


       農業協同組合、本来、資本主義社会で経済的な弱者の位置に立つ農業者が力を合わせて強者(資本)に対抗する組織のはずですが、実際の農協は、協同の名にふさわしくないような存在になっています。本来の趣旨からいえば、専門農協のほうがよりふさわしい形態のように思います。GHQが求めた、専門農協を中心にした農業協同組合法に対する強い抵抗ということに、日本の「むら」的体質が現れていると言えるかもしれません。

       最後の段落に関していえば、私はインターネットを介した農業者の新しいネットワークに期待を寄せています。それは地域の農業者の組織化ではなく、同じ関心を共有する人たちの組織化です。そのようなネットワークが、新しい日本農業の枠組みを作り出していくような気がします。他方、地域では市民運動的な地産地消、消費者と生産者の組織化が重要性を増すのではないでしょうか。いずれにしろ、地域の条件に応じた、多様な協同のあり方が期待されます。


  16.  出席しました。  今度マックスウェーバーの職業としての学問を読んでみようと思いました。 

       『職業としての学問』は岩波文庫に入っています。同じく『職業としての政治』も合わせて読んで下さい。


  17.  12月2日、第8回目の講義に出席しました。 農協の正体、なんとなく分かった気がします。戦時下に作られたものの看板の塗り替えですか・・・「古い体制をひきずって」という言葉をよく耳にしますが、まさに良い例なのでしょうね。
    戦後と言う時期を考慮に入れると、農協があの様な形で官僚とのつながりを持ち始めた事自体は、ある意味仕方がない、というよりも当然の事だったのかもしれませんね。
    やはり、不具合や不都合が生じている構造を「改善しないこと」に問題があるのだと思いますし。

    政界や学界とつながりについてまだ僕は詳しく知りませんが、あの四角形ができてしまったからこそ改善したくともできない構造になってしまったのだろうか、と想像してみたりしています。
    大きな会社、企業になればなるほど容易に身動きが取れなくなる、という事と、少し似ているように思いました。

    ちなみに、僕は神戸市の都市部に住んでいるので、農協を見た事がありません。と思っていたのですが、どこにでも存在するのですね・・・。
    神戸も六甲山系を超えた北側は田んぼや畑が広がる田舎ですので、そちら側にあるのかもしれません。もし都市部にあったとしたら、あまりにも僕には関係のない場所なので知らないだけなのでしょう。

    最後に登場した「明石のキャベツ農家のおじさん」が放った、「キャベツ作りはギャンブルより面白い」という言葉は、僕の名言集に収録したいくらいのインパクトがあるものでした。
    なんだかとても洒落ていると思いますし、この方の性格や人間像を的確に表しているであろう、と僕は思うからです。
    それはどうでもいい事なのですが、農協の言う事は聞くな!農水省(当時は農林省ですね)の言う事は聞くな!学者の言う事は聞くな!の3拍子では流石に空しくなりますね。
    それが正解といいますか、正しい選択なのかもしれません。しかし、それではこの3つが存在する理由はあまりありませんよね。
    農民との共存共栄を目的とする農協、というのはもはや理想像に過ぎないのかもしれませんが、少なくとも、これからあのような言葉を農民から聞く事のないようにしなくてはなりませんね。
    この身近なエピソードを聞いて、改革、改善の必要性というのを改めて実感した気がします。

       協同組合の理念自体は悪いものではありません。というより、資本主義社会においては、経済的弱者は力を合わせることにより、自分たちを守っていかなければならないのであり、その意味では、農業協同組合も肯定こそされ、否定されるべき存在ではないはずです。にもかかわらず、現実の農協は批判されるべき側面が多すぎます。

       政官業のつながりがどのようになっているかは、次回、お話しします。農業における鉄のトライアングル構造が理解していただけると思います。学会とのつながりは10回目の講義でお話しします。

       30年前に、すでにあれだけのことを私に話すことのできた明石のキャベツ農家のご主人、時代を考えるとすごいことだと思います。しかし考えてみると、多くの農民がそう感じてきていたのかもしれません。ただ行動できなかった、話すことができなかった、ということだけなのかもしれません。「むら」社会に住んでいては、それはできないことだったのでしょう。

       しかし、「むら」社会が崩れかけている今日、志ある農民は農協を離脱し、独自の道を歩み始めています。いまこそ構造改革が求められていると言えると思います。


  18.  12月3日 出席しました。

     あの講義の内容とは関係ないのですが、前回データベースがなんとかという話があったと思います。私は普段はこのアドレスから送っているのですが、何度か別の(→rei19228komatsu@h04.mbox.media.kyoto-u.ac.jp)アドレスから送ったのですけど・・・多分名前は入れてあったはずです。すみません、お手数をおかけします。

     私は大中のちょっとそばに住んでいるので正直今回の写真は、自分の小中学校の登下校風景とさほど変わりませんでした。あれが現代農業どうのこうのと聞いてもちょっと信じがたい感じがします。なにしろ田舎の風景に過ぎませんから。私の学区は大中の隣の学区なので、さすがに大中ほどではありませんが田んぼはいっぱいありました。

     私の小学校は隣の小学校の人数が増えすぎて、二十数年前もう一つ田んぼの真ん中につくるという形でできました。私が入学したときにはかなり遠くからでも小学校が丸見えでした。風が強く吹く中を通学するのが普通でした。しかし私が小学校を卒業する頃から徐々に田んぼが住宅地に変わっていきました。いまや小学校のまん前にマンションが建っています。小学校の周りだけでなく、街中の合間にあった涼しい風を送ってくれる田んぼ(←田舎なので)もかなり姿を消しました。もっと田舎の隣町は数年前人口増加率が日本一になり、新興住宅地が広がっています。

     先生が現代農業を本格的にやるためにはある程度の広さがなければ、という話がありましたが私の周りの現実はこのような状況です。大中の湖干拓地は小学校の遠足でも行ったことがありますが、私たちの中でも少し別格のような感じがします。やはりそれだけ大規模な事業だったのでしょう。

     農協の具体的な話をされましたが、歴史的成り立ちを知ることで何故今問題になっているひずみが生じたのか少しはわかったような気がしました。長い間、このような問題がどうにもならなかったのは先生がいう日本の村社会構造によるところが大きく、農協のような組織がさらに官僚主導型の構造を崩れにくくしていくという良くない結果を招く。戦中戦後の時代と明らかに時代は変わったのに、組織はそのままというのはやはり無理があると思います。徐々にですが農協も変わってきているのはもはや組織を支えてきた村社会にも変化が起きているということですね。

     そういう意味で確かに大事な転換期だと思います。過渡期にあるためか多くの問題がありますが、これらがどこぞの改革のように中途半端な解決で済まされないことを願いたいです。最後のほうは全然まとまりませんでした。次の授業までにしっかりと自分の頭の中でまとめて置きたいと思います。

       まず、受講生のデータベースのことですが、名前・学部・回生が書かれておれば、問題はありません。私が全員のメールを転記している1,3,6回目ですべて出席されていることになっています。

       「近代的な農業を行うにはこれぐらい広くなくては…」と私が言ったのは、大中之湖干拓地の1000ヘクタールのことをいっているのではありません。入植農家が4ヘクタール分配され、それで経営を行っていることを指しています。

       琵琶湖の周りの平野は、確かに広く、農業を行うには非常によい環境です。にもかかわらず、農地が宅地に変貌していくのは、京阪神間の勤め先に通う人たちの住宅地としても立地条件がよいからです。1ヘクタール程度の農地を持っていても、十分に満足できる経営ができず、後継者が得られないため、農地を手放す農家が多く、それが宅地開発されるのです。中主町では、農業生産法人を立ち上げ、そうした農地を集めて大規模な借地経営をして成功しており、注目されています。

       結局、本気で農業を守る気あるのであれば、農地の転用を厳しくしていく必要亜があります。それには長期的ビジョンが必要ですが、いまの日本の政治構造では、とれもそのようなことができるとは思えません。


  19. 12月3日の授業、出席しました。

    グリーン車に独り乗るキャベツ農家の、 周囲に流されず、他を顧みない生き様に感動しました、、、 いや、それだけです、はい。

       「他を顧みない」生き方をしていては、成功などできるはずはありません。キャベツ農家のご主人は、周囲に流されてはいませんでしたが、世の中を見る(他を顧みる)鋭い目を持っておられたのだと思います。


  20.  今日、先生がおっしゃっていた旅行の途中で偶然出会った印象的なおじさんのお話が 非常に興味深く思いました。おじさんが農業で利益を上げるためにはしてはならない ことが3つある、それは農協・農水省・学者だという話が先生の頭から30年間離れ なかったという話を私は聞いて、先生の人生のほんの僅かですがその一端を垣間見し たような気分になりました。私の勝手な推測で申し訳ないのですが、先生はそのおじ さんが信用したらアカンといわれた3つの中に学者が入っていたため、よけいに農業 に従事する人からも信頼されるような立派な学者になってみせると心に誓い、30年 間頑張ってこられたのではないかと私は思いました。

     私的なことで申し訳ないのです が、偶然出会った人と話をするとそこに存在しているにも関わらず、まるでそこには 何も無いかのように自分の視野に入っていなかった世界の存在に気付かされることが あると今まで生きてきて強く感じています。他人と意思の疎通を図ることは、人生に おいて非常に重要なことだと最近強く感じます。異なる境遇・個性を持つ他者という 存在と意思の疎通を図り、他者から影響を受け、こちらも他者にも影響を与え、自己 の持てる才能を社会に貢献していくことがいかに重要なことか最近強く感じていま す。私は他者から色々な要素を吸収して自己を磨き、他人にも良い意味での影響を与 え、自分の得てきた、そしてこれから得ていく知識・経験・才能などを生かして、社 会に貢献したいと考えています。私は、社会・他人にほんの少しでも貢献していると 思える時のあの満ち足りた気分というのは人生に活力を与え、次のステップへ頑張っ ていこう思わせてくれるエネルギーの素だと思っております。話が講義内容とあまり に逸れてるいので申し訳ないのですが、先生もそのようにお感じになられたことはご ざいますか?一度伺いたいと思っておりましたのでも、もしよろしければ是非お聞か

      「信用したらアカンといわれた3つの中に学者が入っていたため、よけいに農業 に従事する人からも信頼されるような立派な学者になってみせると心に誓い、30年 間頑張ってこられたのではないかと私は思いました。」

       そのような見方もあるのですね。しかし、私が頑張ってきたのは、そのような動機からではなかったように思います。私は、生きる意味を追究して頑張ってきたのだと考えています。生きる意味を考えたとき、自分が選択した職業で頑張ることが、自らの生を充実させることになると、ある時、気づきました。そして私の学問分野では、よりよい日本農業を実現することが最大の課題であること、現時点では、それがよりよい環境を形成するのに役立つと考えています。だからこそ、この分野で頑張りつづけてきたのです。

      「異なる境遇・個性を持つ他者という 存在と意思の疎通を図り、他者から影響を受け、こちらも他者にも影響を与え、自己 の持てる才能を社会に貢献していくことがいかに重要なことか最近強く感じていま す。」

       その通りですね。今後、多くのよい出会いを重ねて下さい。私も、多くのよい出会いを重ねてきました。また、私が社会に対して何らかの貢献ができたと思えるとき、非常に充実感を感じます。今後も、社会に対して、他者に対して、着実なアプローチをしていきたいと考えています。


  21. 今回の農協についての講義ですが、今回もまた、自分が農学部に所属しながら、 農協の実態(今回はまだアウトラインのことですが)を知ることができ、 大変興味深く思いました。

    農協の由来や、金融業としての農協、農協の組織などとても面白いものでした。

    しかしながら、今回一番印象に残ったのは、先生が学生時代に列車の中で 合席になったレタス農家の方の話です。
    農業でもうけるためには
    ・農林省の言うことをきかない。
    ・農協の言うことを聞かない。
    ・学者の言うことを聞かない。
    という内容で、特に3番目が自分にとっては衝撃でした。

    これまでのメールの中でも申し上げたとおり、 私自身が今のところ(というのはいつ何時きがかわるかもしれないので、 といってもほとんどこの方向性になると思うのですが)、学者志望だからです。 政界・農協・学界・官界の結びついた構造はよい点もあったとは思いますが、 ほとんどのところで日本農業に弊害をもたらしてきたのかもしれません。 (具体的なところは次回の講義で聞けるものと思っています。) 学界は常に時代の先端を行くべきものだと私は考えますが…。 やはり「むら」が原因なのでしょう。

    あと、先生が講義中に仰っていたマックスウェーバーの「職業としての学問」 (だったと思うのですが)を是非読んでみたいと思いました。 これから探してみます。

    それでは今回はこのあたりで失礼いたします。

    p.s.
    前回は出席メールが送れたにも関わらず、返信していただきありがとうございました。

    『50通に入っていなかったため、返事が書けませんでした。疑問に思っておられることにお答えしたいのですが、時間的な余裕がありません。そこで、よければ、12月18 日以降、メールで日時を決め、私の研究室でお話ししましょう。研究室は農学部総合館にあります。』

    同じ講義を受けているクラスの友人も誘って先生のところへお邪魔したいと 考えております。再度、具体的な日時についてはこちらから連絡いたしますので、 検討の程、よろしくお願いいたします。

       いまの日本農業を見ていく場合、農協を抜きにすることはできません。あなたが食料環境経済学(農業経済学)の研究者を目指しておられるのであれば、細かなところはともかく、農協についてその本質的なところと農協の概略とは知っておられる必要があります。

       明石のキャベツ農家の話で「学者の言うことを聞いてはダメだ」というところは、あなたにとって衝撃的だったと思います。彼が学者と言ったとき、それはまさに農業経済者を指しているでしょうから…。職業を選択する場合、その実態を知った上で選択されることが重要です。現在、食料・環境経済学科におられるからと言って、学者の道が農業経済学者とは限りません。農業経済学の実体がどのようなものかをよく知った上で道の選択をされるとよいと思います。

       マックス・ウェーバーの『職業としての学問』、是非とも読んでみて下さい。学問とは何か、学者がどうなければならないかがわかると思います。

      【追伸】

      「同じ講義を受けているクラスの友人」

       関心があれば、講義を受けておられなくてもいらしていただいて結構です。ただし私の研究室は小さく、私以外に3名しか入れませんので、それ以上になれば駸々堂あたりでということになります。


  22.   12月3日の授業受講しました。
    この前の出席メールのお返事に忠臣蔵のお話が書いてありましたよね。
    私は大の忠臣蔵ファンなのでなんだか心を読まれたようでびっくりしました。
    先生のおっしゃるとおりで、浅野が吉良にいじめられたのは「慣例」となっていた賄賂が渡せなかったからといわれていますよね。
    まさに「むら」の「慣例」を破ったものへの「制裁」=「村八分」です。
    浅野に同情する気持ちは私たちもどこかで「むら」の束縛から逃れたいと思っていることにほかなりません。

    では今回の授業の話題に移ります。やっぱり写真があるとイメージが膨らんで楽しいです。私も実際に田舎で同じ風景を見てみたいです。
    さて、今回の論の中心は農協でした。まず驚いたのは農協という組織の大きさです。 あんなに細かく分かれた組織になっているなんて知りませんでしたのでいまいち農協の農業への影響というのがぴんとこなかったのですがあれだけ網の目のようになっていれば勝手な動きは出来ませんね。
    またとても強い結束で結ばれているようですし・・・
    あきれたのはその組織構造があまり戦時と変わっていないこと、食管法が戦時に作られてそのまま戦後も使われていたことでした。
    今から新しい国を作ろうというときに食糧生産についての制度に手を加えなかったのはなぜなのでしょう?食は人間の生活の中心ですよね。
    忘れていたのか、意図的だったのか。たぶん意図的だったのでしょうが、何のためだったのでしょう。わけがわかりません。
    明石のキャベツ農家のおじさんの話し面白かったです。先生がその方に出会ったのはきっと運命だったのだと思います。
    実際には官界も農協も無視できないようですが、それができれば農家の方ももっと生き生きとお仕事が出来るんですね。

    では次回も楽しみにしています。

       日本社会の集団だからの排除は、陰湿なものが多いように思います。どのような集団でも、それが集団である限り排除というものがあると思いますが、それが論理に基づき、しっかりと説明され得るものであるならば、陰湿さは消えるはずです。ところが日本の場合、その排除の仕方はいじめとも言えるもので陰湿です。これは「むら」社会の特質でしょう。忠臣蔵が日本人の心を捉えるのは、身につまされるところがあるからではないでしょうか。そして、そうして排除されたもの(浅野内匠頭)に心からの忠義で応える人たちが存在(四十七士)することに、みな心を癒すのだと思います。

       いまは映像や音声の時代です。それを知らない人にその写真を見せることは非常に有効ですし、教えられる方は、楽しんで学ぶことができると思います。今後、話したいことに関する写真を撮り貯めるようにしたいと思っています。

       次回は、農協と食管法の関わり、さらには農林族との関わりなど、構造の核心に迫る話をする予定です。ただ食管法は、戦後も昭和20年代は非常に有効に機能しました。日本農業の転換期は昭和30年代前半にあったと思います。前に話したアメリカの小麦売り込みキャンペーンもこの時期であり、この時期に真の改革ができなかったことが、今日の日本農業の衰退をもたらしたと言えます。


  23. 写真撮影ご苦労様でした。バイクで撮影に行ってたんですね。僕もバイクが欲しいです。
    今回の講義で僕の中での農協に対するイメージががらっと変わりました。
    実家に農協関連施設があってそこで地元の野菜とか売っていたので農協は地元の農家と密着しているんだと
    この講義を受けるまで思っていたんですが、ここまでピラミッド構造をしている組織だとは全然知りませんでした。
    農協の種類の多さにもびっくりしました。それに戦時体制の時からあまり変わってないということも初耳でした。
    それから明石の農家の方がおっしゃったこと「農林省、農協、学者のいうこと聞いたらダメ」ということ
    なんか笑うに笑えませんね。

     今回はレポートがA4 5〜10枚ということなのでもっと長いメールを書こうと思ったのですが 挫折してしまいました。(だめじゃんオレ!)
     残りわずかとなってきたこの講義を真剣に聴かせていたたぎます。

       私は昔からバイクが好きで、いまは長男のお古のバイク(写真に写っていたもの〈ヤマハ・ライド〉で、代わりに私のジムニーをとられた格好です)と、400ccのスカイウェーブに乗っています。自動車に乗るときは、長男か次男に借りなければなりません。

       大中之湖干拓地の端をかすめる湖岸道路には、農家の農産物直売所がいくつかあります。機会があれば立ち寄ってみて下さい。

       さてレポートですが、私はコンピュータがなくては生きていけないようになっていますが、基本的に古い人間で(単に年寄りだというだけか…)、文字数を表現するとき、400字詰め原稿用紙で考えてしまいます。これで平均5枚、上限10枚といったつもりです。したがって、文字数で言うと2000字程度、上限4000字です。A4ワード形式でいえば2枚程度、4枚までというところでしょうか。それほど大きな負担ではないはずです。


  24.  今回は写真を多く見られたので良かったです。文字だけの授業に比べて、理解しやすさとインパクトという点で、先生の負担は増えますが映像は良いです。

       映像の有効性は、私も実感しています。今後、有効な写真を撮り貯めておきます。


  25.  今回の講義出席しました、実際こんなにも多く農協の種類があるのにはびっくりしたし、今まで知らなかったことにも驚きました。日本への協同組合思想・実践の移入に関してですが、イギリスからではなくて、ドイツから日本に移入されたのはそれまでのドイツとの関係がやはり良好だったからなのでしょうか?実際、憲法などの模範としたのもドイツですし。資本主義経済ではどうしても力の強弱がでてきますし、やはり力の弱いものたちは協力していかなければならないだろうですけど、その中で自分達で自力更生などというスローガンをたてていくのは非常に重要なことだと思います。

       日本は、明治維新後、ドイツから多くのものを学びました。ドイツが日本と同じく資本主義後発国であったこと、当時ドイツは帝政であり、日本と国家体制がよく似ていたこと、第1次世界大戦までは、ドイツの科学水準が世界一だったことなどが、ドイツから多くのものを移入した理由だと思います。医学もまた、当初ドイツからの影響が大きく、つい最近までカルテはドイツ語と決まっていたのではないでしょうか。


  26.  まず驚いたことは、農協が農業以外のことについて幅広く行っていたということです。農協というものについて今まで調べたことはなかったし、何の活動をしているのか知らなかったのですが、おそらく農業のまとめ役でもしているのかなぁ、と考えていたので…。なぜそんなに手広くなったのかということを一応の目標が農民の共存共栄であったということを踏まえて考えてみると、農民のすべての生活に関してカバーするためなのでしょうか。銀行や保険はほとんどの人に必要なものなので。ところで、農協ができたときからそんなに手広くやっていたのですか?

     つぎに、農協はやけにたくさんあるということもはじめて知りました。ところで、大型合併は組合を組合員から遠ざけるということでしたが、そうすると農協はたくさんほうがいいということなのでしょうか?農協の存在意義を考えると、金融、共済事業を行っていることはズレているような気がします。たくさんあってもすべての農協が生き残るために経営努力に走るだけな様な気がしてなりません。

     ただし、それによって農村が自立できるというのであればいいことだとは思います。しかし、官制的にできた農協で、多大な補償金を受け取っているということを考えると、どこまで自立できるのかはよくわかりませんが。さらに、実際問題として赤字の農協が多いということを考えると、どうしても数を減らさざる得ないということになるのもしかたがないことだと思います。

     農協建て直しのために国と手を組んだ(?)ということは農協の数の多さなどから見て当然の成り行きだと思いますが、官僚主導型農業構造はやはり、農業の自由さを激しく制限するものであるような気がするので何とかするべきだと思います。とはいえ、具体的にどうすればいいのかはよくわかりませんが。次回政界との関わりについても説明してくださるということなのでそれを聞いてから改めて考えたいと思います。

      「農協ができたときからそんなに手広くやっていたのですか?」

       講義の中でお話ししたように、産業組合拡充五か年計画の中に、農村の産業組合は4種の事業を必ず営む(信用・販売・購買・利用)とあるように、農協の前身である産業組合の当時から、幅広い事業を展開していました。戦後間もなくの農協においても、総合農協は手広い事業展開をしていましたが、さすがに戦時経済から立ち直っていない段階では、赤字経営をやむなくされたのです。

      「そうすると農協はたくさんほうがいいということなのでしょうか?」

       総合農協の理念から言えば、地域の農民が力を合わせる(助け合う)ことを目指しているのですから、余りに地域が広いとその理念から遠ざかってしまうことになります。

       また、信用事業が農協の存在意義からズレているのではないか、ということですが、政府から農民への金の流れがあり、その流れを農協が担うのですから、信用事業にも大きな意義があるといえるのではないでしょうか。しかしこの金の流れが果たしてよいかどうかとなると、否定的にならざるを得ません。その点については、次回、理解してもらえるのではないでしょうか。

       その後の二つの段落に関しては、次回の講義を聴いてから、まだ疑問があるようでしたら質問してきて下さい。


  27.  今回の講義で最も驚いたのは、戦時下の政策がつい最近まで行き続けていたということです。よくもまあそんな緊急の法律しかも軍事政策が生き続けたものだなあと思いました。思えばこの国ではいまだに戦争の影響がぬぐいきれていないのではないかと思います。中国などでは今でも反日感情を根強く抱き続ける人がいる、北方領土の問題はいまだに解決していない、などなど。こういった問題をおろそか(先送り)にするのは、良くないことであると思います。60年たった今でも、まだまだ「戦後」なのだろうなあと思いました。

     さて、農業の3段構造の話でですが、私は全国連のような、全体を統括する組織は、はっきり言って不要であり、単協のような小さな組織が生産者を統率すればよいのではないかと思います(上手い書き方が思いつきません、ご容赦ください)。たとえば、行政単位において、地方の自治権を強化すればよいというような考えです。かの石橋湛山も地方自治を推進しているし(「市町村に地租営業税を移譲すべし」)、なにより地方のことは地方に任せるのがやりやすい(江戸時代における村の自治に似ているものがあるかもしれませんが)と思います。大きな組織が統括しようとすると、つまり中央集権的にすると、地域の実情が分からないのではないかと思います。その意味で、大型合併には賛成しかねます。しかし、零細では経営が行き詰ってしまうというのは難しい話ですね。

     だいぶ話がそれてしまいましたが、今回の話は結構面白かったです。農業問題の歴史的経緯を追って行くと今何故問題が起こっているのかわかりやすくていいですね。

      「60年たった今でも、まだまだ「戦後」なのだろうなあと思いました。」

       まさにその通りだと思います。小泉首相が、構造改革を唱え、新しい社会の建設を掲げているようでいて、靖国参拝問題で隣国にこれだけ不快感を与えているのを見るとき、彼が戦後を清算できていないことを思い知らされます。彼の改革が、国民を犠牲にする非常に危ういものと感じられるのは、彼のこの体質にあるような気がします。

      「全体を統括する組織は、はっきり言って不要であり」

       共感するところがあります。IT革命後の新しい社会ではヒエラルキー(階層構造)は必要最小限でよい、と考えています。ヒエラルキーは、組織原理として、もはや過去のものなのではないでしょうか。年功序列などにより力がなくても権力をもてる構造がヒエラルキーであり、そのようなものでよりよい社会が実現するとは思えません。新しい社会はネットワークにもとづく社会であり、ネットワークの結節点としての個人は自分を磨かなければならないのです。それは大学においてもそうです。不必要な階層制が幅を気かす大学もまた、農協とともに変わらなければならない存在だと思います。

       少し話がそれてしまいましたが、この辺で。


  28.  今回の講義、出席できませんでした。申し訳ありません。

     ホームページの講義ノートで勉強させていただきました。web上にこういったノートがあるというのは本当にうれしいものだなと感じました。とはいえ、やはり講義で先生の話を聞けないというのは理解のしやすさと、講義に対して何かを考えるということに関して物足りなさが残るということも感じました。今後、欠席することがないよう気をつけます。

     農協のことは今までほとんど知りませんでした。テレビの広告ですこし見るだけで、信用金庫的な事業も手がけているのだなというくらいでした。それにかなり多くの数があったのですね。

     先週はお手間をかけて頂いてありがとうございました。

       今回の講義、欠席ということで、Webの講義ノートもすでに見ておられるようですが、やはりノートだけではわからないことが多いと思います。次回は頑張って出席して下さい。


  29.  農協が実は統制のための組織として成立したなんて知りませんでした。 あるテレビのニュースで農協の薦める補助事業の下でその規格に合わせて無駄に頑丈な田畑をつくり結局高くついた、しかも減反で使えない土地があると嘆く農家と、個人に畑を整備してもらった農家が対比されていました。後者は前者の工事費の1/5と言っていました。これも官界と農協の癒着と言うことでしょうか?ここで言う官界とは農政に携わるもの意外、例えば土木事業なども含むということでいいのでしょうか?とにかく農協が農業者のためと見せかけた農政の下請けのような状況を変えるのは、組合員だと思うのですが(農協が変わるのを待っていても変わらないと思うので)そういった補助を断ったりすることは難しいのでしょうか?

       官界というのは官僚の世界のことを指しており、農業の場合、農水省と理解してもらってよいと思います。ただし地方自治体も補助事業に直接関わるので、これも官界に含められるでしょう。業界とは、農業の場合、農協が中心ですが、補助事業を請け負うゼネコンもまたその中に含めてもよいかもしれません。

       補助事業は、地域が事業主体なることが多いのですが、この場合、地域住民の圧倒的多数の合意がなければ行えません。地域の合意形成に「むら」の論理が役立つのです。そしていったん補助事業が決定されれば、1個人がそれを拒否することはできません。


  30.  第8回目、出席いたしました。

       メール、届いています。


  31.  経営再建のためとはいえ、国の力を借りると官僚主導型になってしまうのでしょうか。農業だけではなくいろいろな分野で官僚主導型の体制が問題となっていると思います。農業は本来生活の中でかなり重要な部分を占めていました。最近は輸入などにより重要性は減ったかもしれませんが、決して軽んじることはできないと思います。もっとよい農業の体制を整えるためにもこの官僚主導型の体制はどうにかしていかないといけないと思います。

       日本においては、官僚主導の構造は、至る所で見られます。農業では、その中でももっとも典型的なこの構造が見られます。それは食べ物が人間が生きていく上で不可欠なものであり、それを供給する農業を上から管理・支配してきた結果だと言えるかもしれません。

       しかしこの構造が日本の農業を行き詰まらせていることははっきりしているのですから、この構造を変革していくことが是非とも必要なのです。


  32.  12月3日の授業に出席しました。  レポートは携帯から送ってはダメでしょうか?

       工学部の学生さんということで、コンピュータを使えないことはないはずです。なぜ携帯からレポートを送らなければならないのでしょうか。正当な理由があれば考慮はしますが、私には正当な理由があるとは思えません。


  33.  12/3の講義に出席しました。

     農協が大きく二つに分類されるということを初めて知りました。しかし本当に手広くやっているようですね。何というかその大きさには呆れてしまいます。手の届くところまで手を伸ばし、肥大化しきっているように見えます。それがゆえに鈍重になり、柔軟な行動ができないのでしょう。どんどんと時代の流れに乗り、また時代を引っ張っていこうとするのは、そういう意識を強く持った企業です。農協がそのような存在になるためには、まず今の状況が将来的には不都合であることを理解する必要があると思います。が、一体どうすればよいのでしょう?得られる利益がどうなるかについて語れば食いついてくるでしょうか?農協という存在は変えていかなくてはならないのかもしれませんが、これはかなりの難題ですね。

     ところで話は変わりますが、つい先日高校時代の友人が亡くなりました。寂しいものですね。ただ漠然と生きてることに罪悪感を覚えました。そんなに急に変わることはできないでしょうが、もっと責任を持って生きていきたいと思います。

       農協と企業の違うところは、企業は利潤追求を目的とするのに対して、協同組合は、組合員の福利厚生を目的としており、必ずしも利潤追求が目的でない点です。とはいうものの、資本主義社会の中の組織である限り、経営体の維持には少なくとも資本維持が必要であり、さらに発展性をもたらすためには資本の拡張、すなわち利潤がなければならないのです。このように協同組合には、その土台において矛盾があるといえます。このことが協同組合が組合員本位か経営本位かという問題を生じさせます。

       しかし、考えてみれば企業とて、いまや社員の福利厚生や、社会に対する貢献などを考えずに利潤だけを追いかけることができなくなっており、その点では協同組合との違いは縮小しているとも言えます。

       いずれにしても、日本農業の再生を考えるとき、農協も大きく変革を遂げる必要があるでしょう。

           柏 久

      【追伸】

       友の死を契機に「生」を見つめ直されたようですが、人間、絶えず死を意識して生きることは非常に大切なことだと思います。今後も死を意識することによって、「生」をより充実したもににしていって下さい。


  34.  12月3日の授業出席しました。

     前回のメールでのご指摘(海外に行くべきだ等)、真摯に受け止め、前々からあこがれていたこともあり、フランスに留学しようと思います。多分1年後か1年半後になってしまいそうですが。その前に出来たらどこかに短期で行ってみようかと思います。やっぱり村のエートスが感覚としてつかめてないです。前回の授業に10分遅れたのが多分致命傷ですm(_ _)m本州から出たこと無いんじゃ駄 目ですよね笑

     そして、官公庁や研究所等に訪問に行くサークルに入っているので、いずれ農水省に行って、色々聞いてみたいと思います。学生の特権です!!(笑)

       フランス留学を決意されたということ、素晴らしいと思います。若くて色々のなことを吸収できる時期に留学されれば、世界が大きく開けると思います。

       「むら」のエートス、外国生活をすれば、自分の中にもあることがわかると思います。

       サークル活動で、官僚や研究者の本音が聞けるとよいのですが…。


  35.  先日は農協の話題でしたが…近頃地元の協選(協同選果場)が新しくなりました。最新(?)の技術も取り入れられて、出荷したミカンの糖度や酸度をレーザーで調べることができ、その味点によって全体中の順位まで出てくるようになりました。(たぶんうちの地元が遅れてただけですね…苦笑)高校の時の成績表みたいで面白かったですが笑 しかしそうして効率重視の体制へと変化していく中で、農協が求めるのはやはり自己の利益なんだろうと思います。講義中にもあった、本来の農協の目的である"各の農家の利益のための協同体制"を実現するのは難しそうだなと感じました。

       あなたの地元の農協協選の話、興味深く読ませていただきました。農協がミカンを出荷する農家に序列をつけることになりますが、これも時代の流れなのでしょう。しかし本来奉仕する立場にあるものが、管理し支配するのですから何か納得できないですね…。いずれにしても、農協も農民も、そのあり方を大きく変えていかなくてはならないと思います。


  36.  今回の講義では、農協の始まりなどの話が興味深かった。昔も今も、農協は政治と深くつながりがあるのだなぁと実感した。

     食糧管理法のあった頃は、決まった場所でしか米が変えなかったことを考えれば、農協も多少変わりつつあるのかなという気もします。

       農協と食管法の関係にについては、次回お話しします。


  37. 12月3日の講義に出席しました。

    農協というのは農家のための生協のようなものだと思っていましたが、それが大戦中に作られた国民統制システムだと知って驚きました。そうでもなければあんなにきれいなヒエラルキーはなかなか形成されないとはおもいましたが。40年体制というのは結構印象的な言葉でした。

    農協の大型合併が進んでいるというのは知りませんでした。これによりよりいっそう農家と農協は遠くなるのでしょうが、やる気のある農家は農協から離れ始めているといことなら、それほど深刻な影響は出ないのではないかと感じました。

       講義の時に話しましたように40年体制という言葉は、野口悠紀夫さんが強調されたものです。しかし日本社会をよく見ると、確かに40年体制と呼べるものが残存しており、大きな役割を果たしているように思えます。とりわけ農業の世界にはぴったりと当てはまります。この体制の解消こそ、いま求められていることだと言えるでしょう。


  38.  第八回環境形成基礎論出席しました。

     今回の授業でもっとも印象に残ったのはキャベツ農家の話でした。このように農業を面白いと感じながらイキイキと農業を営む農家がいるのを知って少し安心しました。農林省・農協・学者のいうことを聞いたら絶対に儲からないという言葉も興味深かったです。結局農業のことは農家が一番よくわかってるということなんでしょう。またこのように農林省・農協・学者の言葉を信じないということは自分で考えて農業を行うということであり、「個」を主張することに繋がるのだと思います。私はこのような農家がどんどん増えていって欲しいと思います。一般の企業は利益を上げるためにいろいろ創意工夫をこらすのに、農家が農水省・農協・学者のいいなりでは農業の衰退を招くだけだと思います。また、農家が自分の農業を創意工夫して行い、利益を積極的に求めていくことによって、農業が本当に面白くなっていくのではないでしょうか?一つのビジネスとしての農業を日本の中で確立することが今日の農業問題を解決する糸口になるのだと思います。これで終わります。

       メールの趣旨、まさにその通りだと思います。何か自分が書いたものを読んでいるような気がしました。ただ現在の構造が、こうした意欲的な農業者のじゃまをしているということは、注意しておいてよいことだと思います。一方で補助金を得て100メートル走を50メートル先からスタートする人がいる状態では、正式のスタートラインから走り出すのでは、いくら意欲と能力があり、優れた経営方法をとってもなかなか競争に勝てないのです。構造が健全な競争を妨げていることが、いまの日本農業を沈滞させていると言えるでしょう。


  39.  以前、父が「農協は金利が低いから預け入れしたくない。」とぼやいてるのを耳にしました。そこで自分は普通に「したくないのならしなけりゃいい。」と返すと、「そういうわけにはいかない、しかも向こうから預け入れしろと言ってきた。」とこういう会話をした覚えがあります。そのときは農協に関してはたちの悪い金融機関の関係かなぐらいにしか考えてませんでした。農協に関する知識は以前はそれくらいしかなく、調べようという気さえ起きませんでした。実際話を聞いてみると国から補助を受けて金融業務や保険業務を行うというなんとも不公平な事業であり、農民の共存や共同のためでなく農協の利益や存続のための団体であることがわかりました。むしろ預け入れをしなければ農業を認めないといった枷になっているようなきがします。おそらくそういうところを「むら」と表現なさったのでしょうが、それでいて不良債権を抱えるというのは存在自体に問題がありすぎると思います。これでいて企業の参入を認めないというのはないと思います。もっと多くの人が農協や農業に目を向けてほしいと思います。

        農協は本当に不思議な存在ですね。「むら」のつきあいを考えると、メリットが少なくても、抜けることができない。すなわち、農協は、企業努力をしなくても、お客を失うことはない、組合員にあぐらをかいた組織といえるかもしれません。意欲ある農業者が農協を離脱すると、様々な嫌がらせがあるということもよく聞きます。それができるのは、政官との癒着構造の中で特権を得ているからです。

       しかも農協は、組織体として合理性を追求するには、情実が入りすぎて困難だという点も問題です。組合員のための組織ですから、組織のトップは組合員の中で力のあるもの、すなわち農村のボスなのです。職員にしても、人的なつながりで採用される。これでは、もともと合理性を追求することに無理があるといえます。

       農協の中には、非常に優れた経営を行い、地域の農業のために大いに役立っているところもないわけではありません。しかし全体的に見れば、やはり足かせになっているといえると思います。「むら」、農協、官僚、政治家が複雑に絡み合い、強固な構造となっているいまの日本農業の状態を突破するには、やはり大きなインパクトを与えなければならないと思います。私が企業の農業参入を主張するのは、そのインパクの役割を期待するからでもあります。


  40.  農協の存在自体はしっていましたが、その詳細についてはしりませんでした。教育や政治などで体制の改善が求められている今日で、農協もそんなことが求められていたんだと初めて知りました。

       いま、日本は大きな変革期にあります。あらゆるところで構造変革が必要です。農業もまた例外ではありません。これまで日本の農業構造に大きな位置を占めてきた農協も大きく変わらなくてはならないのです。


  41.  農協というのがどのようなものなのか理解できました。
    それと写真があるとやはり印象に残りやすいです。体に気をつけつつ頑張ってください。あまり書くことないので以上です。

       写真の効果は私も実感しています。今後、来年度の講義に向けて、写真を撮りためたいと思っています。

       私の身体をお気遣いいただき、ありがとうございます。


  42.  こんにちは。

     今回の講義は農協についてでした。

     僕の地元は、現在は開発が進んできたとはいえ、かなり田畑が広がっています。農業が比較的さかんですので、農協が生活と密接に絡んでいます。僕の地域の小学校は4地区から成っているのですが、各々の地区すべてに農協があります。また、今回の講義で言われた、銀行業務・保険業務・販売業務のお世話になっていた気がします。母親がキャッシュコーナーでお金を下ろしたり、定期預金を積み立てたりしていたことを覚えています。

     しかし、それは十数年前のことで、現在はほとんど農協のサービスを活用していません。近年は他の金融機関のサービスが発達し、農協離れが進んでいるように感じます。敷地の横に設置されていたガソリンスタンドも、寂れてきています。あれだけ流行っていないのにツブれないのは国のバックアップのお蔭なのでしょうが、農業を営んでいる者の多い地元のためにも、一刻も早く経営の合理化・適正化を進めてほしいと思っています。

     一つ質問があります。なぜ、1995年の新食糧法成立とともに二段階集荷制に移行したのでしょうか。新食糧法と集荷制とはどのような関係があるのでしょうか。

       あなたの地元の農協の話、興味深く読ませていただきました。金融自由化、規制緩和の進展以降、農協の経営環境は非常に厳しいものになり、農協ごとにその経営状態は多様となっています。また農民の農協離れの根底には、「むら」の変質もあると思います。まさに転換期といえるでしょう。

       このような転換期に、しっかりとした長期的展望を持って政策展開を行わないと、日本農業は壊滅してしまうと思います。しかしいまの政府では余り期待できないと思います。やはり内発的な動きによって、新しい社会システムを形成し、それにふさわしい農業のあり方を模索していく以外ないのかもしれません。

       食管法や新食糧法と農協の関係については、次回お話しします。


  43.  今日は農協のことについての講義でしたが、その中でも、キャベツ農家の方の話で、「農業でやってはいけないこと」が気になりました。
     その「やってはいけないこと」の内容はたしか、

    (1)農林省(現農水省)の言うことを聞くこと
    (2)農協の言うことを聞くこと
    (3)学者の言うことを聞くこと

      だったと思います。ということは、少なくともその方にとっては、農協などは「悪」または「誤ったもの」なんだろうと思いました。僕の実家の近くにも農協があり、農協にはもっとよいイメージを抱いていただけに、講義での農協批判や農家の人のこの言葉が印象に残ったのだと思います。正直なところ、小さい頃から近くにあったのに、農協のしくみなどをよく知らないので、この機会に調べてもうすこし詳しくなろうと思いました。

       明石のキャベツ農家のおじさんの話、思いの外、うけましたね…。多くの方がこの話にふれておられます。しかし、私にとって、死ぬまで忘れることのできない、非常に大きな出会いだったことも間違いありません。講義の際にお話ししたように、私は進学が就職かで迷っていましたが、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』との出会いで、大学院進学を決意、試験勉強を開始しました。しかし完全に吹っ切れていたわけではなく、旅行は受験勉強の中休みというだけではなく、自分の気持ちを再確認する意味もありました。私にとっては、そのためには信州でなければならなかったのですが、その理由は余りにもプライベートなことなので、これ以上書きません。ただ、他の方への返信メールにも書きましたが、求めて努めていれば、自ずと道は開ける、ということだと思います。結局は、人生、己の姿勢如何だと、私は考えています。

       農協という存在が「悪」なのではありません。しかしその出発点や、できあがった構造の中で、農協は相当に歪んだものになってしまいました。それは日本の社会自体にも当てはまることかもしれません。農協は大きく変わらなければなりませんが、そのためには構造そのものが変化しなければなりません。しかし農業構造の変化は並大抵ではない、というのが現状だと思います。


  44.  『ムラ』の関与もあっての現在の国政と農業の癒着に至っているのなら、全ての国政の農林事業を国の責任にすることは正しいとはいえないと思いました。

     確かに多くの点で国の利益が繁栄されています。しかし、国に癒着して利益をうけてる農家もいます。逆に癒着をやめたい議員もいるでしょう。このように国政のみに責任があるのは誤りで、互いに反省するのが大切ではないでしょうか?

       文意がよく理解できません。日本農業の衰退は、国の責任だけではない、ということなのでしょうか。「お互いに反省する」というときの「お互い」とは誰のことを指しているのでしょうか。コメントをつけようと思いましたが、つけることができず、このような返信になってしまいました。


       返信ありがとうございます。文意がとれないようなものになってしまいすみません。

       僕の勘違いかもしれませんが、戦後の農業政策で20世紀前半は一時分離していた政治と農業を再びリンクさせたのは農家側の思惑もあったのかな?と感じたからです。もしそうならば、今農家で国政との癒着の結果、経済難などで悩む人がいることを私たちが理解し、再び分離を目指す際に、今の農家の方々は、まるで昔祖父母世代がしてしまった戦争で、苦しめてしまった人々への戦後処理を孫世代がするかのように、当事者でない人々が一生懸命改善する努力をしないといけない状況ににてるように感じ、その点で農家も自分も今を批判するのでなく、過去の過ちをただし、自らよりよい方向へ改善する努力の必要性があるのかな?と思ったのです。癒着で恩恵をうけてる人もいると思いますが。

         まだあなたの考え方が十分理解できたわけではありませんが、戦後の日本における農業構造によって、農民もまた利益を得たことに関しては、否定することはできません。次回の講義を聴かれた上で、もう少し考え方を整理して下さい。


  45. 今回の講義では、農協について制度上はヒエラルキー型組織の末端をなすもので、実際は「むら」と深くかかわっていることを知りました。また、農協成立の要件は法定されていても、実際上は行政指導が入るというところでは中央の力が及ぼされやすい構造関係を感じました。

    私は、農協のことについてはかなり疎く、先生の説明を聞いても種類や組織構造などよく理解できないところもありました。けれども、率直な印象として農協が非常に大きな組織体である(「農業」だけに限らず何でも手がけている等)ということが実感できました。戦後GHQによって指導された農協の民主化、新農協法の原則があまり根付いていないのは残念です。農協の民主化は、官僚主導型農業構造を変えていく前提だと思うので今後の講義の中で先生の話を聞きつつ自分なりに考えてみたいと思っています。

       今回は、非常に私的なことを書く返信メールになりますが、そんなこともあってもよいかと思い書きます。まず、先週のメール、到着50番内に入っていなかったため、返信できず残念でした。休講日を26日から19日に変える決心をしたのは、あなたのメールが決め手となりました。他にもNFの準備で忙しく、講義に出席できるかどうかわからない、という趣旨のメールが何本もあったからですが、しっかりとした出席メールを読めなくなることを考えると、休講の方がよいと思い決意しました。

       いつも法学的な視点からのしっかりしたメール、楽しみに読ませてもらっています。私の次男も京大法学部の2回生ですが、現在、テニスに熱中、世界を目指すと称して、法学の勉強は二の次で、私が彼から法学的なものを学ぶのはまだまだ先のようです。

       さて農協ですが、想像を絶するような巨大組織です。立花隆が取り上げたのも無理はありません。職員は、現在は相当にリストラされていると思いますが(その分パートが増えているでしょうから大して内実は変わっていないかもしれません)、コメの市場開放が問題になった1990年代前半には、38万人といわれていました。もちろんこれは末端の単協から全国連までを含めた職員数ですが、農協組織は全国から地域までしっかりと組織化されていますので、一つの巨大な独占組織と考えてよいと思います。地方自治体の職員数が14万人だそうですから、農協組織がいかに巨大のものか、理解していただけると思います。こうしてできあがった組織を変えていくのは非常に難しいことかもしれませんが、それをしなければ、日本農業の活性化はないと思います。

       ところで、次回は食管制度を中心に話をするつもりです。食管法といっても、もちろん法学的な話ではありません。あなたからのコメントを楽しみにしています。


  46.  授業に出席しました。


     今回の授業では、初めてきくことがたくさんありました。単協などです。青田買いは意外ともっと昔からあるものだと思っていました。五十年も食管法があったことは、戦時中から今まで残っていたということで、より詳しい内容を知りたくなりました。農協と行政との関わりについては、根がかなり深いものだと思いました。きっと、そんなに簡単にはなんとかできない問題なのだと思いました。

     農業でもうかる三原則には何となく納得してしまいました。農業関係者は全く身近にいませんが、いたら、その人の考えをきいてみたいです。

     最後に出された四つの関係は農業にとどまらず、他のたくさんのモノにあてはまるのではないでしょうか?

     終わりに、先生の風邪の調子はいかがですか?少し先先週よりさらにひどくなっている気がしたので。

       次回はいよいよ、農業において政官業がどのようにつながり合ってきたのかを、お話しします。この癒着構造は、1994年の食管法廃止と新食糧法の成立以降、徐々に変化し始めていますが、完全に癒着構造がなくなるにはまだまだ時間がかかりそうです。またこの構造の変化がよりよい農業環境の創出につながるかどうかもわかりません。日本農業の前途は厳しい、といわざるを得ません。

       ところでお見舞いの言葉ありがとうございます。私は、アレルギー体質で、風邪をきっかけに喘息状態になることがよくあります。今年は花粉も非常に多いそうですので、来年5月くらいまでは苦しい状態がつづくものと思っています。


  47.  12月3日の授業出席しました。

     農業による商売は純粋に生産者と消費者の問題であるはずなのに、そこに官僚が絡んでくるのはいかにも日本らしいと感じた。

       日本の官僚構造、何とかしたいものですね。


  48.  環境形成基礎論第8回出席メールを送ります.

    先週は返信有難う御座いました.日本社会の弊害は,倫理的問題としても捉えられるのではないかと前のメールで書いたところ,倫理的問題の要因として「むら」構造が挙げられるのだ,との返信を頂きました.確かに,倫理的問題,教育的問題というのが上部構造で,「むら」構造のほうが下部構造という感がありますね(「むら」構造という場合,特別に経済的な構造を指すわけではないので,両方とも上部構造と言った方が正しいのかもしれません.).

    さて,この間の授業では新しく干拓してできた集落の写真が出てきました.自分の実家も湾を江戸時代に干拓したところにあるので共感がもてました(写真を添付しました).ただ,授業での集落は住居が集まって建てられていたのに対して,実家の付近では割と散居に近いと思いました.その分「むら」的な要素も薄い感じがします. また,授業を受けてみて,思った以上に農協が巨大で政治的な組織であることに驚きました.農協に関しては部外者なので,詳しいことはよくわかりませんが,あまりに信用機関としての部門が肥大化している,という印象を受けました.農民の相互扶助のための機関という基本理念を失っている感じがしまし> た.

       メールそして写真、ありがとうございました。出席メールに写真が添付されてきたのは初めてで、非常に新鮮な気がしました。

       上部構造、下部構造という使い方、下部構造は上部構造を規定するという、マルクス的な使い方がありますので、私の使い方は誤解を与えるかもしれません。私が意味しているのは、あくまでも封建制の社会における支配者の機構を上部構造、被支配者である農民のあり方は下部構造と呼んでいるだけです。マルクス的な意味では、私が「むら」構造とか「むら」の論理とか呼ぶものは、あなたのいわれるように上部構造の問題だといえるでしょう。

       ところで写真のあなたの実家、どこなのでしょうか。江戸時代に新田開発してできたところなどは、「むら」的な要素が弱いのかもしれません。もしよければ、場所をお教え下さい。

       農協が巨大な組織である点については、他の方の返信メールにも書きましたので参考にして下さい。確かに今の農協は、農民の相互扶助の組織などではないですね。農協という組織そのものが大きな曲がり角の立っていると思います。


  49.  農協は確かに設立当初の目的は農民の共栄だったんだろうけれども最近どうも金融関係だけという印象が強いです。しかし今の世の中で農協が農業事務だけで成立していけるとは思えず仕方ないことだとも思いますが、利潤追求姿勢のイメージが強くて私はどうも農協に良いイメージを持つことができません。実際農協を利用することがあるわけでもないのですが、農業界の元締めクラスにある農協に良いイメージをいだけないというのは決してよい状態ではないと思います。

       講義でも話しましたように、農協には総合農協と専門農協があります。専門農協は、農業者が部門別に助け合う協同組合で、地域で組織されていても、地域全体を統轄するような組織ではありません。小さなものが多いですが、酪農協同組合などは大きなものもたくさんあります。もちろん金融事業などは行っておらず(制度的に行えない)、協同組合らしい農協です。戦後、GHQは、専門農協中心の農協体制を日本に作ろうとしました。もしそうなっていたら、農業組織の真の民主化が実現していたと思います。

       ところが政府は、戦後の農協制度を総合農協中心のものとしただけでなく、これまでずっと専門農協を総合農協に統合するよう、行政指導してきました。まさに組織化・管理体制の強化をはかってきたといえます。40年体制の維持・強化とも言えるかもしれません。

       このような状態で日本農業がよくなっていくはずはありません。よりよい日本農業のためには、構造の変革が必要なのです。


  50.  なかなかメールが出せずに大分間が開いてしまいました。

    インターネットはかつてないくらいお手軽にかつてないくらいの匿名性をもって「個」を表現できると思います。その上で出来た個人のサイトが全てとはいいませんが、何処か均質的で、内容もデザインも非個性的というか型にはまったような印象を受けるものが多くあって不思議なような気がしていましたが、管理をしている人が「むら」的なものを無意識下で守っているとしたら当然なような気もします。

       今回、第1番目に来たメールですが、第8回目の出席メールかどうか判断に苦しみ、返信を出さなかったのではないでしょうか。再送になるかもしれませんが、返信します。

       Web上のHP、「個」としての自己表現ができていなければ、確かに、没個性的なもになるといえるでしょう。しかしHPを作り、メッセージを発信しようとすれば、自ずと自分とは何かを考え、個性を磨こうとするようになるのではないでしょうか。そういった意味で、インターネットは「むら」社会を解体させる契機になると期待できます。



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作成日:2004年12月08日
修正日:2004年12月08日
制作者:柏 久