第7回
出席メール
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- 前回の講義に出席しました。
個の確立は利己的になることではない、よりよい社会のために「個」が力を合わせるという言葉が特に心に残りました。今の日本の個の発揮をよしとしない農業社会はこれからなんとか変えていかないとだと思いました。そのことについてこれからも色々話して下さい。楽しみにしてます!
- 7回目の授業の出席メールを送ります。
今回の授業で市民社会と個という、本当に深い内容について知ることができました。これはやはり生きていく上でも大事なことと思われました。次回も楽しみにしています。
- 11月26日の環境形成基礎論に出席しました。
「むら」社会で個を確立することの難しさがよく理解できました。しかし、個を確立せずして新しいことに挑戦することは不可能。
昔ならともかく、IT技術の発達した現在なら、「むら」の中でも個を確立すること、そして、個を確立した上での和が可能なはずだと思います。
- 今回の授業の感想としてまずあるのは、漠然とした言い方でしかないですが、工業化以前の、農業(狩猟民族というのもありますが)によって暮らしていた時代の背景が現代の各地の文化、民族性の相違などだけにとどまらず、そこの社会のシステム、大きい所では行政にまで、その姿を残している事への驚きです。
根回しによって全会一致をはかろうとする話はすごく納得できました。こういうやり方が日本人らしい性格によって生まれたのではなく、こういうやり方が日本人らしい性格を作り出したという事でしょうか。今まで20年しか生きておらず、まだ社会にもでていませんが、このやり方が大前提にあるなぁ、と感じられる場面も結構ありました。そしてその方法になじんでしまっているのも事実です。
今回の授業では、農業の事というより、日本人的な思考、というものについて考えさせられました。
- 「むら」と村の違いについての話は勉強になりました。
今回の講義はいままで話してきたことがちらほらでてきていままでの話とつながっているんだなーとしみじみと感じました。
「むら」の運営や根回しの話はもろに日本のむら社会を表していますね。稲作であったがためにうまれたむら構造、そういえば同じ稲作である国にもむら構造や官僚型社会とかってあるんでしょうか?官僚型社会はありそうですが、むら構造は日本だけの感じがします。
そういえば試験ではなくレポートになったんですよね。こういうことを調べてみるのもおもしろそうですね。
資料があるかどうか微妙ですが・・・
- 第7回の講義(11月26日)の出席メールです。
私の実家は農業(コメ作り)をしていたので、農協の名前は小さいときからよく聞いていました。家の近くにもJA兵庫南の支店がありました。(今でもうちの家は組合員なのでしょう、農協だよりが毎月来ています)それに、授業で金融自由化までは農協の稼ぎ頭が銀行業務だったと聞いて、農協での貯金を思い出しました。私の通っていた小学校では、月に一度、希望者が農協貯金をする日がありました。私はしていませんでしたが、何人かの友達はしていました。農協と聞くと、やはり農業に関連する業務だけをしているものだと思ってしまいますが(現になぜ農協が貯金を受け付けているのかがよくわかりませんでした)、実はそうではないということが最近わかってきました。なぜなら、テレビでよく農協のCMを見るからです(JA共済など)。CMの本数も多いので、よく気づくのです。それに、地元にも農協の経営するガソリンスタンドがありました。試しにJAのサイトを見てみたら、JA兵庫南では賃貸物件まで取り扱っていることがわかりました。農協の業務がこんなにも多様だとは思いませんでした。それに、農協が官僚主導型農業の骨格を成
《文字化け》
を持っていなかったからそう思っただけなのでしょうか…。うちの家も農協という巨大な組織の末端に位置していたということなのでしょうか。農協のお話は次回以降に聞けるとのことなので、今回は自分が気づいたことだけに留めておいて、またそのときに感想を述べたいと思います。
「むら」での習慣、皆で共同して一つの物事に取り組み、一人だけ違う行動をとることを許されない…。この慣習は、今の日本にも根強く残っていますよね。自分の独自性を発揮したいと思いながらも、人と違うことをするのには不安が伴い、ためらってしまう。私は今でもそんな状態です。これはやっぱり私が生まれてからずっと日本の「むら」社会の中で生活してきたことに由来するのではないかと思います。柏先生は「日本人には個が確立されていない」とおっしゃいました。それはそのとおりだと思います。このことは自分にも当てはまると思いますが、個の確立はかなり困難なことだと思えてしまうのです。なんだか自分のことをつらつら述べただけになってしまいましたが、上のことはまだ答えが出ない問題なので、もっと考えていきたいと思います。
それでは、次回も楽しみにしています。
- 11月26日の講義に出席しました。
今回も引き続き「むら」社会に関する話でしたが、
「むら」からくる日本の共同体社会や民主主義のあり方について考察できました。また先日新聞で読んだのですが、農水省が農家に対する買い支えをなくし、これからは直接助成金という形をとって農家(専業農家)の人々の所得を、都市労働者の水準まで引き上げようという動きがあるようですが、やはり農水省の官僚の思惑があるのでしょうか?
- 今回はメールが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
さて、今回の講義ですが、農業とIT革命という、一見して全く正反対(こう言うと農家の人に怒られそうですが)のものの関係が一番興味深いものでした。また、日本の社会全体がむら社会とのつながりがあるという話は、言われてみるとなるほどと感じられるものでした。
次回は農業共同組合についての話だそうなので、また業界の裏話が聞けるのを楽しみにしています。
- 第7回の講義に出席しました。
ネットワーク社会の進展が、新しい農業を模索する意欲の高い農家に、「ムラ」とは違う新しい農家のつながりを提供したというのは、至極当然な成り行きでありながら、う〜ん、僕は気付きもしていませんでした。脳が弱ってます。
農業への企業参加の話が今週も出ましたね。企業が参加すれば、農作物の生産、流通量が増えるだろうという単純な理由で、僕は賛成派なのですが、企業参加のデメリットも話していただけるようなので、次の講義を楽しみにしてます。
- 11月26日の4限の授業に出席しました。
「むら」の歴史についてある程度の理解ができました。明治時代の地方行政制度(特に町村制)など学べました。
- 11月26日の授業に出席しました。
私は理系ですが、センター試験の地歴では地理を選択していて、割と好きな科目でした。
二圃式農業から三圃式農業、さらには輪栽式農業(高校では「混合農業」と習いましたが)への移り変わりなどを学習したことを、懐かしく思い出していました。
私の実家は兼業農家です。
主に米、柿、みかん、スモモなどを栽培しています。
私が幼かった頃は、まだ、「むら」特有の行事(?)なんかが結構残っていました。
父に連れられて、山奥に祀られている「かみさま」に、豊作の祈りを捧げに行った記憶がありますし、近所で誰か亡くなったら、祖母か母がお葬式の炊き出しの手伝いに行ったりしていました。
ごく最近まで、農協から無料で黒電話(「有線」と呼ばれていたのですが、実体はいまいち理解できていません。普通のNTTの電話は別にありました)が貸し出され、有線電話はかけ放題でしたし、さらに1日3回の放送で地域ごとの出荷や消毒、剪定の情報が流されていたため、祖母は情報を得る、または交換する手段として、大変重宝していました。
しかし、時代は変わってきているのですね。
最近は「かみさま」に祈りに行くという話は聞きませんし、お葬式に関しては、近所に大きなメモリアルホールができました。
さらに有線電話は「Lモード」の最新式電話に取って代わられました。
今まで放送で流されていた農業の情報が、メールで配信されるようになりました。
父と母は使いこなしているのですが、祖母には難しいらしく(と言うよりも、難しいと思い込んでいて、チャレンジしようとしないだけですが)、以前の黒電話ほども役に立っていないようです。
私が生まれてからの20年弱で、こんなにも「むら」のあり方が変わるものなんだなぁと、改めて感じた授業でした。
次回からは第三部の授業ですね。
今週の授業も楽しみにしています。
- 今まで、農協とは農業の労働組合みたいなものだとおもっていました。しかし、授業を聞いて、農協とは出資金によって経営されている集合体であると知りました。また、農業以外でも経営が成り立つこと、農業の衰退と農協の衰退は結びつかないことをしって驚きました。また「むら」の話で、低位安定性、停滞性が個人の考えが妨げられることで生じることは、なんとなくではあるけれど、納得できる気がしました。次回農協の話といいことなので、また新たな発見があればと考えています。
- 個を重視せず、集団に縛られた日本農業が停滞状態で新たな発展性が乏しい、ということになるほどと思いました 減反政策が受け入れられた背景に日本の集団構造があったとは驚きです。 新たなことを起こすために、この集団構造を変えることは必要だと感じました(難しいですが…)。 ところで、この出席メールは携帯から送っているのですが、期末レポートを出すときには要領不足になると思うので、パソコンの方から出そうと思うのですが、それはいけるのでしょうか?
- 出席してました。
だんだんついていけなくなってます。。
- 今の土地区分がはっきりと成立したのは秀吉の太閤検地であったというのは漠然と教科書などでわかっていたつもりであったが改めてきくと歴史の深さというものにきづかされた。
- ヨーロッパから村社会が消えて行ったのに日本から村社会が残ったのは畑作と稲作の違いが大きいという話でした。確かに稲作の場合、地域で助け合わなければ難しかったでしょう。しかし、戦後には個人でやることも可能になってきてると思います。やはり農協が牛耳っているのが日本が村社会からいまだに抜けられない原因なのでしょうか?
- 今回の講義は、今までの講義で現在の日本の社会の根底にある「むら」という原理がどのように生まれてきたか、歴史的な背景を知ることができ、とても興味深いものでした。
講義の中での「リーダーは根回しできる人間」「日本国民は全員根回し体質」という言葉にはっとさせられました。
現在、私は大学内のサークルで同回生とともに運営をやっているのですが、常々先輩から、サークル運営は、それを通して組織の社会的な運営方法を学ぶシュミレーションのようなものだと言われてきました。
幸い、談合社会とは違ってちゃんとした議論の場はありますが、根回し的なものが存在し、裏で事前に調整を行ってできるだけスムーズに運営を進めることが行われてきました。
これがまったく悪いことだとは思いません。事前にゆっくり考える時間ができますし、サークル員それぞれの間で個別的ではありますが密なコミュニケーションが取れる、という点は、利点と言っていいと思います。
しかし、問題なのは講義中にもあった通り、議論や確認がしばしば形式的になること、そして、根本的な問題として、根回しをすることがさも美徳であるかのように先輩から後輩へ伝えられているということです。
日本の政治を変えると意気込んで政治の世界に入った若い政治家が、結局は自分も染まっていってしまうというのはよく聞く話です。
誰もが改善すべきと思っていながら、なかなか変わらない。日本の社会の背景にあるものが「むら」社会なら、さらにその根底にあるものは先輩・年配者の意見が絶対であること、つまり縦社会の強力さだと思います。あるいは、「むら」社会と縦社会はお互いに強く結びついていて、スパイラル状態にあるのかもしれません。
- 今回までの「むら」社会に関する話は、毎回興味深かったです。農業における問題が、日本社会に広がる問題の原因ともなっているのが面白いと思います。実際、自分も、自分の意見を主張するよりは全体の和をとることが多かったりと「むら」社会にどっぷりつかっている部分があるなと実感しました。
「個」を確立して潜在能力を発揮させるという話をしているときの先生の力強い話し方は、非常に印象的で、今の自分の状況を考えさせられました。「個」を確立した上での協調がが理想的なんですね。どうしても自分の意見を主張するのには一歩踏みとどまってしまいます。少しづつでも悪い面での「むら」社会から抜け出せたら、と思います。
次回も楽しみにしています。
- 第七回出席メールです。
今回は、村社会についていろいろ学びました。村では協調が大事で、村の運営にあたっては、シコリを作らない事が大事だと学びました。僕らの日常生活でも、自分の意見を少し捻じ曲げてでも全体のまとまりを重視するのは、農耕民族である日本の村社会のなごりなのかなと思いました。
- 11月26日の授業に出席しました。
前回、今回の授業で「むら」の歴史や役割を聞いて、昔は「むら」という中でみん
なで生きていくというのが日本では必要だったのかもしれないけど、今のヨーロッパ
と同じように「個」が重要視される時代には、「むら」というのはやはり合わないよ
うな気がしました。特に、今まで共同生活をしていかなければならないということで
押さえ込まれてきた、自分で創意工夫して農業をやっていくというのが、先生が授業
で仰ってたように、インターネットが普及してくるにしたがって意欲のある者同士だ
けのネットワークが出来上がり、今まで絶対一人では離脱できなかった、農協から離
れる農家の人が増えていると言うことはまさに「むら」というのが現代に合っていな
いかということの現れだと思います。
やはり、これから農業が発展していく為には「むら」というのは弊害になっていく
と感じました。「むら」にもみんなで力を合わせて生きていくといういいところはあ
ると思いますが、それは先生の仰ってたように「個」を殺してまで協力していくとい
うのは全く意味のないことで、「個」が力を合わせていくというのがとても大事で、
それを心がけていけば「むら」というの機能はこれからは必要ないんじゃないかと思
いました。
- すいません、体育会の用事があって先週の授業は欠席しました。
- 講義日→11月26日
今回の講義出席しました、う〜ん輪栽式農業についてですが、高校の頃地理で習ったことの復習でした、その時から思ってましたけどかなり効率がいいなぁと感じます(三圃式に比べても)家畜とかとより共存しやすいと思うし、これから日本もこうなればいいなぁと思いました。でも、この前のテレビでは日本は世界の穀物の
《文字化け》
m(__)mほんまに飢餓に苦しんでいる人たちに申し訳ないです。世界の63億任を養えるだけの食料はあるのに↓
近代化の違いには非常に共感できました。自然に優しいのはどちらかはっきりしてるし、農業によって経済発展できるのはすばらしいと思います。現実的には簡単ではありませんが、食料を世界の人々にかりに平等に与えたとしたなら農産物の値段がややあがり低賃金で働くような人たちも減るのではないかと僕は思います。しかしながら、緑の革命では生産力はあがるが逆に貧富の差が広がるなど悪いほうにもいくので難しいもんですね★
最後に日本は欧州に比べて市民社会が確立されてないという、環境問題に対する運動などこれからは市民社会が非常に重要になってくるんではないでしょうか。
P.S 課題が多くて出席確認のメール出すの遅くなってすみません、次は頑張ります(*^∇^*)
- 金曜4限の環境形成基礎論に出席しました。集合として生活している現代において個を確立するというのはとても大切なことだと思いました。とても難しいことですが。また来週からも批判的で楽しい授業をお願いします。
- 第7回目の授業出席しました。
むら社会では意見が満場一致でないといけないということがとても難しい社会だなと思いました。
- 前回の授業拝聴させていただきました。
僕は農家とは規模の違いさえあれ、企業だと思っているので、形態や生産物をシフトしていくのは当然であるし、むしろ常に、需要に合わせて変化し続ける必要があると思います。
- 11/26の講義の出席メールです。
遅れてしまいすいません。私は都会で育ったたので「むら」特有の行事やつながりがあることに驚きました。また次の講義も楽しみにしています。
- パソコンが立ち上がらなくなって焦りました、なんとか間に合ってよかったです。
ええ、そんなことはさておき前回の授業も興味深く聴かせていただきました。
日本の農業についてはやはりいろいろな視点から見ておられるようですが、ヨーロッパの農業の話は高校の地理の時に習ったことよりもさらに突っ込んだ(というより面白く)話になっていましたので、なかなか面白かったです。次回のテーマにも期待です。
- 出席メール遅れてしまってすみません。
予想以上のスピードで日本の農業地域の地域密着の度合いが薄れていっているというのは日本においては危惧するべきことではないだろうか。昔ながらの助け合い精神も機械化が進んだ今においてもやはり大事であるだろう。
- 第7回講義の出席メールです。
今回の講義での、個々人が自分の「個」を自覚し、長くつづいてきた「むら」社会の重大な欠点であった停滞性・創意工夫の阻害をなくして、よりよい社会のために力を合わせなくてはならないというご意見は、非常に共感できるものでした。ただ、IT革命などで「個」が確立されてきたとはいっても、やはり今の日本の大部分の組織は「むら」社会に通ずるものだと思います。日本の組織の特徴のひとつに、会議が多すぎるというのがあるらしいです。私の認識では、会議というものは、参加する全員がある目標を達成するために意見を出し合い、議論を重ねて、何らかの意味ある結論を出す場であるとおもっていますが、日本においては、会議が始まったときにはもう結論は出ていて、それに関しての全員の承認を半強制的に取る場であり、後々不満が出ないように人間関係を調整する場であるように感じられます。そのような、個々人の自由な発言を妨げる雰囲気をなくすには、やはり一人ひとりの努力に任せるしかないのでしょうか。
まとまりがなくなってしまい、どうもすみません。次も楽しみにしています。
- 官僚制と「むら」との共通項で
「個」の確立にネガティブ
新しいものを手がけていくことができない
とありましたが、戦後からこれまで日本が発展してきたのはこういった社会のありかたによるものなんですよね・・・。官僚だけではなく一般の会社にも「むら」はあると思いますし。ここで「個」の確立を叫ぶと浮いてしまいませんか?「個の確立は利己的になることではない、他をも個と認めなければならない。」とおっしゃっていましたし、そのとおりだとは思いますが。
- 十一月二十六日の授業に出席した。
最近の授業をきいていると日本の「むら」の存在は否定的なものだという感想を受けていました(完全否定ではないといっても)。新しい社会システムの構築が必要だとおもいますが、それは「むら」の個を殺す社会システムではないです。企業が農業に新規参入できないと競争みたいなのが国内の農家の中で起きにくいと思います。それは外国との競争力を弱める原因のひとつです。結局日本の農業が発展できないのはというか西欧と比べて自給率が低いのは個人の工夫を抑えるどこか社会主義的な「むら」制度のなごりでしょうか。
- 《名前だけ》
- 11月26日の授業出席しました。
村社会が日本農業の発達を妨げていたことは受け入れやすい事実と感じた。というのも、急激な近代化や昔のバブルなどはそういった遅れを取り戻すための反動だと解釈できるからだ。
- 環境形成基礎論11月26日第7回、出席しました。
- IT革命のお話が大変興味深かったです。
- 「むら」構造の中では個人の創意工夫が困難だというお話がありました。
確かにそのとおりですね。中国における人民公社の解体と万元戸の出現
などの例を見てみても明らかですね。
しかし、先生がおっしゃる「個の確立」と「共同」とはいったいどのようなもの
なのでしょう?確かに個が確立され創意工夫が積極的になされなければ
社会の発展は望めないでしょう。しかしそれは同時に貧富の差を生むのでは
ないでしょうか。そんな社会がよりよい社会なのでしょうか。やはり「共同」
のためには多少なり個を犠牲にすることも必要なのではないでしょうか。
結局のところ、先生のおっしゃる市民社会における共同と「むら」における
共同とは、個の確立と犠牲のバランスの問題であって、本質的な差は
ないのではないでしょうか。
自分でも考えがまとまらずはっきりしないままに書いてしまいました。
今後もじっくり時間をかけて考えていきたいと思います。
それでは、失礼します。
- 期限に遅れましたが、環境形成基礎論第7回目(11/26)の出席メールを送ります。
今回の授業で日本の「むら」がどのような経過をたどり、現在もなお存在しているのかがわかりました。
「むら」の論理が高度経済成長においてはプラスに働いた、という話を聞いて、
農業社会から生まれた論理が、経済の発展に貢献して逆に農業を駄目にしているのは皮肉なものだと思いました。
その中でIT技術などを使って「個」を確立し始めた農家などは頼もしく思えます。
日本の農業を少しでも良い方向に導くには、農業で「個」を出していける人が必要でしょう。もちろん、それは企業であっても構わないだろうし、それに加えて、そのような人や企業が制限を受ける事無く活動できる制度や社会が必要だとは思います。
これは既得損益を守ろうとする人々(政治家、農協、・・・)などと自分の利益を考えている部分では変わりがないのかもしれません。しかし、当事者の意思に関わらず、少なくとも日本の農業、という観点ではプラスに働くのではないでしょうか。
(企業の場合この部分に自己の利益、という事が個人よりも濃く出てくるので反対意見が多く聞かれるのではないか・・と少し思いました。)
個人的に私は自分の事を、自分の欲望に忠実に行動している人間だと思いますし、基本的に人間その他生物はそれでいいのだと勝手に考えています。
ただ、自分の欲望の向かう先が、結果として自分の周りの人たちにも利益や幸福をもたらすものでありたいと思っています。
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第8回目目次
第8回目表紙
作成日:2004年12月01日
修正日:2004年12月01日
制作者:柏 久