第6回
出席メール

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  1.  第6回授業に出席しました。
     ヨーロッパと日本の農業の歩みを対比的に学びました。
    日本にはまだ村社会が残っていると言いますが、東京や大阪の都市部などにも、それは当てはまるのでしょうか?
    僕の実家は奈良県ですが、そこも村社会なんでしょうか?
    確かに僕の祖母は奈良県の村に住んでおり、自分たちも「佐味に村は」と言って「村」という言葉を実際によく使いますが、そういう意味の村社会なんでしょうか?
     それとも、都市部に住んでいる人も、日本人の思考の文化として村社会という考え方を持っているのでしょうか?




  2.  最近、地震や台風による土砂崩れなどの自然災害が多く、その原因を考えてみました。
    20年ほど前までは木材の需要が多く、過度の伐採により森林劣化が起こった。その後道路など公共事業が行われたため、ゆるい地盤と人々の生活圏が重なり、多くの被害がでるようになった。
    来週は休講で残念です。




  3.  以前からヨーロッパで二圃式農業から三圃式農業、そして輪栽式農業へ移っていったということや、それが土地を有効利用し、生産性を高めていく為に農業のやり方が進歩していったというのは、高校の授業等で知っていました。そして、僕は、農民それぞれが効率性を高める為に自主的にそういった方法をと入れていったと勝手に思い込んでいたのですが、二圃式から三圃式農業へ移って行く際には農民に自由がなく、「むら」の取り決めに従って耕作していたというのを授業で聞いて、驚きました。しかし、農民それぞれが土地を所有しているわけではなく、全員で助け合っていかなければならなかった時代背景を聞いて、それはそうだなと納得できました。

     しかし、農業革命による近代化過程で、ヨーロッパでは「むら」から個人個人に変 わっていったのに対し、日本では未だに「むら」という制度が根付いているのかとい うことに対して、僕が無知で全くその理由がわからなかったので、先生が仰ってた畑 作と稲作の違いというのは、すごく説得力があるなという気がしました。やはり、 ヨーロッパでは「むら」全員で補っていたことが、機械の開発や農地の使い方の進歩 により個人でも補えるようになったのに比べて、日本では水というのが問題になって いて、これは自然にある資源なので、もともと量が限られていて、なかなか機械の開 発などでは補えるものではないので、未だに「むら」という制度が残っているのかな 感じました。




  4.  今回の授業では、ヨーロッパの三圃式農業や日本の昔の農業など、高校の世界史や日本史で習ったことが含まれていて、受験の頃を思い出しました。こういうことも、「むら」社会形成に関わっているということがより分かり、また世界史日本史をともに習っていたから両者の対比もできてよかったです。(そんなに深く学んだわけではないのですが)
    でも、「ヨーロッパは近代化の過程で個別への道を選んだ」という点があまりよく分かりませんでした。時間がなくなったためかもしれませんが…。稲作(共同での水利用必要)と畑作のちがいでしょうか?

    それから、毎回他の人の出席メールを見て、みんな日頃からこういう問題に敏感なのだなと強く感ます。私はあまり知らないので、この授業をきっかけに、そういう時事問題にも関心をもっていきたいと思います。




  5.  前回の授業を受けて、僕は初めて企業が農業してはいけないことを知りました。僕はスーパーとかで安くで売ってる野菜などは企業が持っている農地でできたものだと思っていました。しかし、企業が農地を持ってはいけないということを知ってとても驚きました。その理由が企業が農業で失敗したらその土地を農業以外で使う可能性があるからだということでした。確かにそれはあるかもしれませんが、農業以外で使ってはいけないと制限すればいいことだと思いました。




  6.  第6回の講義に出席しました。農家のおかげで、飯を食っている連中が農業をダメにしているというのは滑稽な話だと思いました。

     あと、中世の主従関係においても、ヨーロッパでは主人と従者の一対一の個人間契約だったので、「個人」という考えが根付いていたのだと思います。日本は主人の家来の家来の家来も一番上の主人と主従関係を結んでいる形ですからね。




  7.  前回の授業出席しました。

     ムラ構造についてはなるほどと思いましたが、現在の日本におけるムラ意識による弊害についてもっとあつく語ってほしかったです




  8.  前回の講義でもらった新聞記事を読みました。農業政策の抜本改革は是非来春するべきだと思いました。議員が票を失うのを警戒しているから、土地を企業に農地として譲るより宅地に転用した方が高値になるからという、自分のことや今のことしか考えない理由で日本の農業が衰退していくなんて防がなければだと思います。次に計画を見直すのが5年後でその間に農作物の関税が引き下げられるのが確実なのだから、今なんとかしなければだと思いました。




  9.  これは11月12日に行われた6回目の講義の出席メールです。

    今回の授業では、第1回の授業でも少し話があった、日本と欧米 の村社会の成り立ちの違いのお話が印象的でした。

    今でこそ水はほとんど不自由なく手に入りますが、近代化前の農 家にとって水は何より大切なものだったのは間違いありません。 旱魃の年に水をめぐって村同士が争ったという話は良く聞きます。 村というのは稲作に欠かせない水を手に入れるためになくてはな らないものだったのでしょう。

    しかし、それは現代においてなお存在し続けるほど村の団結は強 固なものである必要があるのでしょうか。この現代において、『共働』 の必要性が揺らぐ今、村は必要とされているのでしょうか。むしろ今 では慣例化されたやりかたにしたがって、みんなと同じようにしてい れば困ること、面倒なことはないだろう、というような、消極的で保守的 な考え方がその根底にあるような気がします。

    ぼくはみんなで協力し合い、その中では平等を原則とする村にも、いい ところはあると思います。現代の都市部の『個』の世界にはない、人間 同士交流など、参考にすべき風習もあると思います。しかし、その集団 内で裏切りを許されない体質、情報を隠してしまう性質は、大いに解決 されるべき問題です。村がなくならなくとも、村を存在させている意識を変 革させることが、これから求められることではないでしょうか。




  10. 今回はメールを送ることをすっかり忘れていてこんなにぎりぎりになってしまいました。

    今回の講義では、「水」の重要性をひしひしと感じました。日本は資源のない国ではない、むしろ資源が豊富なのだというのを聞いたことがあります。日本における資源は水である、こんなに恵まれた国は少ない、と。日本人は水と安全がただだと思っているというのはよく言われる話です。

    水が畑作の西洋のむらと水田作の日本のむらを分けることになったのでしょうか。たしかに、共同労働の必要がなくなったとしても、水だけは占有することができませんからね…。

    でも、今の日本の農業の「ゆがみ」を引き起こしているのは、決して農村の(というか、農業現場の)「むら」構造ばかりではなく、そのような構造がいたるところに存在しているからなのだとしたら、もう少し突っ込んで考える必要がありそうです。すなわち、その成立過程における違いだけでなく、その構造がいかに日本人の心理にとりこまれていったのか、ということです。

    ただ、助け合わねば生きていけない状況から「共同」の概念が生まれたこと、それ自体は肯定的に見てよいと思います。特に、今年のような災害頻発時にはそれを感じます。でも、どうしてその弊害ばかりがはびこることになってしまったのか、やはりまだ疑問です。




  11.  日本の「むら」社会・「むら」的考えがどうやって生まれたかを知ることができ、とても興味深い講義でした。所属サークルの関係上、介護や福祉について海外と比較して調べる機会があったのですが、今回の講義を聞いて、農業にしろ福祉にしろ、ひいては現代日本社会の問題のほとんどは「むら」社会の名残が根本的なところにあるということがわかりました。
    西洋の、物事を割り切った、ある意味シビアな考え方は、近代化の中で、生活の根本である農業において個別化ができたからだということに、とても納得ができました。

    それにしても毎回思うのですが、みなさんの考え方はすばらしいですね。一応同じ京大生なのですが、感心します。今回の感想メールを書いてから、前回のみんなの感想メールを読み直してみると、私の感想が内容的に一週間遅れていることに気づき、軽くショックでした(笑)。




  12.  11月12日の講義の出席メールです。出すのが締切をすぎてしまい申し訳ありません。
    講義、興味深く聞かせていただいきました。農協のことなど私の知らなかったことが聞けて嬉しかったです。次も楽しみにしてます。




  13.  11月12日の授業に出席しました。
    日本はなぜこんなに新しく変わっていくのが下手なのでしょうか。日本も企業が農業に進出出来るようになるべきだと思います。確かに新しい考えを受け入れようとする人もいるのですが日本は古い考えに取り憑かれている人に権力が集中しているように思われます。




  14.  今回は出席メールがぎりぎりになってしまいました。先生の言ったとおり一回休みがあると習慣が抜けてしまうものなのでしょうか。以後気を付けます。

    今回の講義では三圃式農業というものが出てきました。土地が痩せるのは深刻で私の知り合いも作物が良く育たないから土地を使わせてくれと頼まれたそうですが、これは酪農と融合させることでうまく土地を回してると感心しました。そして畑作と稲作の差について、水田には水が必要というあたりまえのことが「むら」脱却の障害になっているとわかりました




  15.  前回の講義出席しました。
    三圃式農業を小学生以来久々にならいなつかしくなりました。畜産も重要な役割を果たしていることを改めて知りました。前回の授業はあまり集中して聞けなかったので次回はもっと集中して聞きます。




  16.  11月12日、授業に出席しました。
    メールが遅くなって申し訳ありません。
    私の父は農協に勤めています。
    自分の中で、農協に対する新しい見方が生まれた気がします。




  17. 寒くなり風邪をひいてしまい、遅れてしまいました;
    さて、今回はやはり「むら社会構造」について述べたいと思います。

    私はむら社会構造の中で今まで暮らしてきた人間であると思います。だからこそ、むら社会の欠点もよく知っているつもりです。
    やはりむら社会では伝統というよりは慣習を重視していると思います。
    そういった慣習はやはり現代的ではありません。
    例えば、母は都会出身ですが20年以上も前に嫁いできたときには大変な目にあったといいます。
    「祭りの際には地域だけの押し寿司を作れ、ご飯は嫁は一番あとで一人で食べろ、贅沢なものを嫁は食べるな…」
    いわゆる嫁いびりというやつでしょうか。笑(でも母はこのとき体重が30キロ台にまで減少してしまったらしいです;)
    昔は当然だった嫁いびりですが、最近はなくなってきたのではないでしょうか。
    それはやはりむら構造の崩壊に伴う、核家族化の影響でしょう。
    都会では両親との同居をしない家庭が多いといよく言われています。やはりうまくいかないことが多いからなのでしょうが、村ではたいていが同居をしています。

    最近よく感じるのが、「昔はよかった」のような論を唱えることが多いことです。昔の子供は元気だった、勤勉だった、もっと自然が豊かだった…

    そしてまた『むら社会構造』もその一つではないでしょうか。

    都会では「人と人との関係がないに等しい」「近所づきあいがない」などよく批判されています。
    昔は連帯責任という言葉通り、近所というのは大きなつながりを持っていました。

    ですが現代ではそのつながりが重い鎖のようにうっとうしいものとされています。

    私はむら社会の欠点を知っている分、むしろ都会のような薄い関係のほうがわずらわしさがないのではないかと考えていました。

    ですが、実際に京都で下宿してみると、見事に同じマンションでも隣の人の名前も知らないという無関係さでした。

    そしてたまに実家に帰ると、近所のおじさんおばさんが声をかけてくれます。家に様々な人がやってきます。

    思うに、人は体験して初めてその欠点がわかるものです。
    私は都会のむなしさを経験して、自分にあっているのはやはりむら社会だと改めて感じました。わずらわしさを超えて、自分がむら社会構造に適応した人間であると気づきました。
    むら社会構造を体験したことのない人は、「過去のよき時代」に対するような一種の憧れを持っているかもしれません。しかし、体験してみると、自分が都会人であり、そのほうが落ち着くと感じることもあると思います。

    つまりは、一概にむら構造が優れているようには言えないと私は考えているということです。




  18.  また遅れてすいません。最近よく忘れます。
     一番印象に残っているのは、一番最後にやった新聞のコピーです。組織を自分のために使い始めたときから衰退が始まるといいますが、いま一番日本に必要なのはそうさせない制度と日本国民の干渉だと思います




  19.  11/12出席しました。
    農協の実態、農業に対する姿勢が、僕が(勝手に)イメージしていたものとは乖離していて驚きました。本来ならば農協が改革の先頭に立つべきなのに。




  20.  今回は前半は高校の世界史である程度やったのでそんなに興味はそそられなかったが 、後半はなかなか深い内容で熱心に聞けたと思う。




  21.  出席しました。




  22.  遅れてしまってすみません。前回の授業で先生がおっしゃっていたんですが日本の共同での農業形態が近代化を妨げているというのが不思議です。また授業中に聞きたいと思います。




  23.  家のパソコンが壊れてしまいメールが遅くなってしまいました。

     前回の授業も興味深く聴かせていただきました、農業の循環系はとても大事だと思いますし、やはり農業の根本にある生態系システムにちゃんとのっとっているな、と思います。現在の農業システムが、大量生産大量消費のかたちをとっていることは、たくさんの人を養える点ですばらしいとは思いますが、もう一歩進んだ農業のかたちを創れたらいいのに、と感じます。

     次回の講義も楽しみにしています。お疲れ様です。




  24. 11月12日の授業に出席しました。
    いつになったら日本の農政はまともになるのでしょうか?




  25.  11月12日の講義
    昔から現在に至るまで「むら」と田舎の中の強い結束力は、同じ農業という仕事をしていること、住民が少数であること、が大きな要因だと思います。(加えて、むら全体で年貢に対応していかなければならなかったということは、封建制時代では重大です。)
    特に現在でも農村地域の内部の強い繋がりは、少人数によるものだと思います。よく言われることですが、都会と比較すればこのことは明確です。作物を作るのは農村で、農業政策を行うのは都会の人間です。この間にあるギャップが農業問題、そして環境問題に影響を与えているのかもしれません。




  26.  技術面でのちょっとした発想が歴史のドラスチックな展開に結びつくさまを見て、面白いと同時に将来を考えて身の引き締まる思いがしました。




  27.  今回の授業を受け色々と考えさせられました。
    具体的な事としては、何故今の南米などにおける焼畑が可能であり、また何故日本や ヨーロッパでは別の道を歩んだか、という事です。
    単純に土地があるから、と言ってしまえばそれまでですが短絡的な考え方に過ぎない のだと思いました。
    日本やヨーロッパには、ムラとして団結して工夫して限られた土地で耕作効率を上げ ねばならなかった背景があったのだと。
    二圃式>三圃式>輪栽式などは、時とともに工夫され変わっていくだけでなく統治の 制度によっても大きく変化していくのだと認識しました。
    ところが南米においては、統治の形式がヨーロッパや日本とは大きく異なっていたの も原因の1つとして今の焼畑に至っているのだと。

    次の授業も出席し、もっとメールを早く出そうと思います。
    重複になりますが遅くなって申し訳ありませんでした。




  28.  11月12日の講義に出席しました。遅くなってすみません




  29. 日本の農村…というかむらについてよくわかりました。

    時間がなく、内容のないメールでスミマセン。。




  30.  11月12日分の第6回目の講義出席メールを送ります。

     まず最初に謝っておきます。今回はこんなギリギリにメールを送ってしまい、申し訳ありませんでした。経済学部の会計学の試験や英語の試験などがあり、出席メールを後にしてしまいました。

     次に今回の授業の感想です。今回はいつもより若干農法についての説明(三圃式農業やヨーロッパでの農業の話などです)が多く、少し難しかったです。ですが、農法の説明をされている先生を見るていると「やはりこの人は農業の専門家なんだなぁ」と感心させられました。また、多少専門的な話も、農水省の官僚となり、農業政策に携わるようになれば、知っておく必要があるだろうと懸命に聞いていました。今の官僚も、無駄な政策を行わないために、自らの分野を勉強する必要があると思います。(僕が官僚になるかは、はなはだ疑問ですが…)

     ただ、今日の話の後半では、農協批判が中心でしたね。企業の農業への進出を、農水省は仕方がないことだと認めようとしているのにも関わらず、農協が自らの利益確保のために、反対しており、実際、影響力のある農協の意図通りに企業の農業への進出が進んでいない…。補助金見直しにしても、同じことで、農協の意図通りに事が進んでいますね。先生のおっしゃることには僕も同感で、昔は役立っていた村制度の下に発展した農協も、確かに今は機能していないと思います。それどころか、僕たち一般国民にとって迷惑な存在ですよね。だからと言って、農協をなくすことはできそうにないですね。例えなくなっても、人間は利己的な生物ですから、また新な機関が出てきて、利己的な行動をするに違いありません。本当に難しい問題だと思います。




  31.  6回目の授業出席しました。

     NFの準備で忙しくてこれだけしか書けません。お許しを!




  32.  11月12日の授業に出席しました。

     遅くなってしまってすいません。自宅にネットがつながっていなくてNFの準備やらでメディセンに行く暇がなかったのです。仕方なく不本意ながら携帯で出席メールをうつことにしましたが文字数がかなり限られているので今回はこのへんで失礼します。ではでは…。




  33.  出席メールです。今回もギリギリになってしまいました。
    私的なことを言いますと、週末はかなり多忙な生活をしているもので 出席メールを送ることができるのはどうしても火曜以降になってしまうのですが、 火曜になるともうすっかり忘れてしまっていて、結局木曜になって翌日の準備を するときに初めて思い出すっていうのを繰り返してしまうんです。
    第5回も出席はしていましたが期限を過ぎてしまっていたのであきらめました。

    と、ダラダラとくだらない前置きを長々と書いてしまいました。
    では、講義に関してです。
    日本の「むら」構造ができあがった背景には共同とそのための平等の追求 があったこと、共に「むら」構造が存在した日本と西洋とがどんな課程を経て 現在のような状況になっているのかなど、とても興味深く聞くことができました。 ところで、企業の農業への参入についての話題がありました。 このあたりについて私もちょうど最近思うところがありましたのでそれについて 書きたいと思います。
    農地確保が難しく、都市生活を送る人々が増え、また国際化が進み市場を 国際競争にさらさなければならなくなった今の日本の社会において、企業の 農業への参入を認め、合理化を図ることは極めて重要だと言えるでしょう。 しかし、私は果たして本当に企業の農業への参入を認めるべきなのか?まだまだ 検討の余地も残っているのではないか?と思ってしまうのです。
    今、世界の食糧生産は商業的な側面をどんどん強め、一部の巨大な食料 メジャーが世界の食糧事情を支配するというような方向へと動いてるように 感じます。日本において企業の農業参入というのもこの流れの一つの出来事 と位置づけられるのではないでしょうか。
    確かにそれによってもたらされるであろう合理化などは歓迎すべきでしょう。 しかし、問題視すべき点います。
    例えば、食糧メジャーが影響力を強めていけば、きっと世界で作られる農作物 は商品価値が高く、手間がかからず収量が多いようなごく数品種の作物ばかり になってしまうでしょう。こうなれば、その土地その土地の風土に合った作物の 栽培などはされなくなり、生態系に大きな影響を与えるでしょうし、生物多様性 の減少にも荷担することでしょう。また、その限られた品種というのはIR8 のような、大量の化学肥料投下をしてはじめて優位になるような品種かも しれません。このような化学肥料の大量使用は地力を大幅に低下させます。 これを世界中で続ければいつかは破滅するでしょう。

    冗長で支離滅裂な文章になってしまいましたが、私が言いたかったのは 要するに、農協や農林族が企業の農業参入に反対しているのは私利私欲に 固執したただのわがままであり、決して評価すべき行為では無いのだが、 この足止めも、企業が農業に参加できるかどうかというターニングポイント において、その先にどんな結果が待っているのか、様々な視点からよくよく 検討するための猶予をくれていると考えることもできるのではないだろうか、 むしろそう捉えて様々な可能性を検討することが大事なのではないか ということなのです。




  34.  今回の授業の内容は高校時代、地理を専攻しており、その際学校の授業で習ったこともあり非常にわかりやすかったです。日本と西洋の農業の差の根本には、その地形の差があり、日本の農業を改善しようとしても、西洋をただ真似をするだけではいけません。西洋の農業は酪農と密接に関わりあっており、日本の農業とその本質から異なっているように思われます。それでもやはり西洋の農業の方が合理的に思え、無駄が少ないように思えます。地形は異なりますが、その合理性は見習うべきであるように思えます。何らかの形で西洋の農業を日本の農業に還元できればと思います。そのために、私たちが頭を働かせて日本の農業を改善していければと思います。実際に農作業を行わなくてもこういった形で日本の農業関わっていけると思います。これは私たちの問題なので、人任せにするのではなく自分で頭を働かせ、考えていきたいと思います。




  35.  今日、専門科目の講義で米を作るのに必要なエネルギーは、できた米のエネルギーより多いと言ってました…。また中国の工業発展にともなって、アジアにおける日本の工業大国という位置が脅かされ、将来新しい位置を見出だすために、今改革が必要だと言ってました。日本農業システムも工業と同じように今改革が必要だと思います。




  36.  出席しました・・・前回はメール忘れてしまい、その前は名前を書かなかったような・・・
    まあ、悪い事は忘れて、今回の授業は三圃式農業の所は高校時代の地理の先生が色々話してくれたので おかげでよく理解できました。
    でも、いまだに「ムラ」についてよくわかってないです・・・がんばって理解したいと思います




  37.  少し遅れていますが大丈夫でしょうか?なんとかお願いします。
    授業で話されていた農業の技術的なことはだいたい知っていたことでしたが、畑作、水田などの違いがヨーロッパと日本の民族性の違いを表すなどと言った話しが面白かったです。しかし授業で本当に先生が伝えたいことは最後に言った官僚を中心とする社会構造の批判だと思うので、それを言うためにわざわざその社会構造の成立過程を出すのはまどろっこしい気もします。
    うまく書けないですけど、2つのことは別々のこととして扱っていいと思っているのです。




  38.  第六回の環境形成基礎論の講義に出席しました。

     ヨーロッパと日本の封建制時代の農業の在り方についてそれぞれの特徴をしっかり認識できたため大変参考になりました。各々の間の相違については興味があり前々から知りたい内容ではあったのですが、手立てがなく、この機会に学ぶことができ非常にうれしく思いました。




  39.  11月12日の講義出席しました。
    今回は西欧の三圃式農業などの歴史的な話がなされたので、
    普段は農業とのかかわりが薄い文型の私でも、理解しやすい内容でした。

    毎回のように講義で先生がお話されているのですが、官僚主導型の農業体制には1961(昭和36)年に制定された農業基本法が深く関わっているのでは?と考え始めました。
    農業基本法による農業政策は、産業としての農業の実現すらかなえられず、ただ全国一律に農業の工業化マニュアルを、補助金付きで提供したに過ぎなかったのでしょう。そして「農業」政策を実施していくために、補助事業や助成事業を金融制度と絡めてセットにして誘導するという、目の前に補助金というカネをぶらさげて食いつかせて従わせるという今日に至る農業政策の施策パターンの原型を誕生させていったのだと思いました。私は自分が文型ということもありまして、官僚主導ということに非常に興味を持ってお話を聞いているので、以降の授業を通してこの問題を深く考察してみたく思います。




  40. 11月12日の授業に出席しました。

    ヨーロッパの農業が発達してきた過程なんていままで気にもとめなかったし、日本と一緒だろうと思っておりました。浅はかでした。

    生態人類学という講義があるのですが、その中で先生が「自然多様性と文化多様性の関連について考えてみなさい」とおっしゃっていました。その一例がまさにこの、ヨーロッパと日本の農業の違い、そしてまた社会構造の違いだと感じました(書かんでもいいような事ですが、勉強したことがほかの勉強とリンクした時ってたまらないですね)。すべての生物が因果律で繋がっているのだとすれば、最初の原因はすべて自然になるのでしょうか?

    今週は休講とお聞きしました。連絡メールありがとうございます。それでは、失礼いたします。




  41.  11月12日の第6回講義受講しました。

     むら社会の歴史的背景についてよくわかった。どうも、むら社会と聞くと、あまりよくないイメージがついてはなれないのだが、講義を聴いて思ったのが、やはり必要だったから生まれてきた制度なんだろうなと思った。当時の環境からすれば、むしろ必然といってもよいぐらいのものだったのではないでしょうか。日本の場合問題なのは、農業だけでなくて、かなり文化や生活にまでそのような考え方が浸透して、さらに近代化に遅れをとってしまったということなのだろう。共同で何かをする、一人違ったことをするやつがいれば許さないというような話も、大きな日本の政治をみてもそういう構造が見られる部分もあるし、もっと小さな一つの集落を取ってみてもよくある話であろう。

     むら社会が悪いとか決め付けるのは僕にはできないが、少なくとも今の日本にはもっとよい方法があるだろうし、農業もビジネスとしてもっと活性化できるはずだ。昔からの体勢を引きずるよりも、時代が変わればそれにあわせて新しい体制を作らなきゃいけないと思う。農業の規制緩和はもっと積極的にやってもらいたいし、もっと郵政や道路と同様世間一般にもっと広くしってもらうべきではないのか。現在の農業のことをよくわかってないやつが多すぎるのではないだろうか。




  42.  11月12日の授業に出席しました




  43.  少し気になることがあったので、今になって提出します。 先生は日本のムラ意識を批判されていて、そこからの離脱に種々の悪質な政策的障害があるとされていますが、僕はそこに少し疑問があります。日本人の気質にはムラへの依存があるのではないでしょうか。既得権益の保持を俟たずとも、民衆の間にそれを嫌がる気風があったと僕は思います。しかもムラ意識が旧弊であり日本農業の歪みを産んでいると断ずるのにも違和感があります。確かにムラ意識には現在の農業に見合わない所もあるでしょう。また全ての問題が連環をなしているとおっしゃるかもしれませんが、弱腰の農業外交や官僚主導の特質はそこに関わりを見出ださなくても解決できるのではないでしょうか。僕が今言っているムラ意識とは、私的なムラ意識のことであり官僚らや政府には公的な国家意識が求められて当然なのですから。先生の話は合理的であり僕もその点の現在における重要性を十分に理解しているつもりです。けれどもムラ意識の問題では、それが内面的なものであるが故に、合理性だけでは押し通せないのではないかと思うのです。しかしそこにばかり目を遣るのではなく、日本人としての自然な在り方としてのムラ意識にも視点を置いて欲しいと思います。日本と西洋とを進化論的に捉えるのではなく、そう捉えるにしても犬と猫のように考えて、等しく見ることもまた重要であるはずです。犬はネズミを捕らないが門番はする。猫は柱に爪を起てるが庭に穴を掘ったりしない。もし日本農業の歪みの根本的な部分でムラ意識が主要な足枷になっているのであればその場合はやむを得ずとは思いますが、実際にはその他の要因も深いと思います。途中不用意に例えを用いましたし、無意識的に先生の考えを反論しやすいように推測しているところもあるかもしれません。何よりもこういった反論に対して先生は耳にタコであると思います。弱輩者の分際で大変恐縮ですが、先生の農業改革論に大いに賛同している故にこそ、ここをはっきりさせておきたいと個人的に思うのです。

     携帯電話からの送信で送受信字数の上限が250字しかないので、このようなしち面倒くさいメールの送り方になってしまいました。もしよろしければどこかで何らかの説明をお願いしたく思います。




  44.  出席メール、すっかり遅くなってしまって申し訳ありません。
    11/12の授業に出席しました。
    米作りは水が足りなくなってはならないので、村は共同体として動かなければならな い、 ということを聞いてものすごく納得しました。
    このような状況は米作りが伝わってきた時代から(縄文時代後期?)続いているので しょうか。
    もしそうだとすればこの意識はその時代から現在まで続いているということになるの かな、と思います。
    そして、米作りの伝わってきた元の場所(中国?)でも同じ意識をもっていたという ことになると思います。
    そこでは今もやはり仲間意識というものが残っていて日本と似たような感じなのか、 それとも、もうそんな意識はとうの昔に払拭されているのか、少し気になります。

    農協は商人である、と聞いて驚きました。
    農協自体どういったものかわかっていなかったのですが、
    漠然と日本の農業の持続と発展のためにあるようなものだと思っていました。
    こういうことはどこにでもあるようなことかもしれませんが、少し寂しい気がしま す。




  45.  企業の農業参入問題にしても、もっと規制を緩くすればいい方向に傾く筈のものを、権益がらみで「社会にとって悪くても自分にとっていい方向」のままで維持しようとする人間がいることや、いい方向に持っていこうとする動きを阻む構造が成立している事は悲しむべきことであると切に感じます。しかし一方で、もし私が自分の都合でモノゴトを決められる立場に立ったとしたらと考えると、恥ずかしながらこのような人間にならないという確信ももてません。ですが、幸いな事に様々な問題点を指摘してくれている先生の授業があります。これからも積極的に耳を傾け農業や農業界の実情を知る事で、自分の利益だけではなく全体の利益を考えることのできる力を養っていきたいと思います。

    遅れてすみません。11/12の授業に出席しました。


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作成日:2004年11月17日
修正日:2004年11月17日
制作者:柏 久