第6回
出席メール

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  1.  早速メールを送らせていただきます。現在の農業は官僚中心型との事ですが、今イチ理解できませんでした。。。
     それは官僚の都合のいいように農家がいいなりになっているという事でしょうか? もっと詳しく教えてほしいです。

       官僚主導型農業構造については第3部でお話しします。


  2.  今日の講義を聴いて、先生のおっしゃっている「むら」構造について少し理解が深まった気がします。古くから水田が発達していたことで日本の社会には現在まで「共同と平等」という精神が刻まれているということでした。そのことはなるほどな、と納得できました。ヨーロッパと日本の現在の社会の構造の違いが近代化過程の農業の違いからきているというのは興味深い考え方だと思いました。日本の社会構造を変えていくためにはこれからどのようにするべきなのかがまだ理解できていないので今後の講義に期待です。

       水田農業であったことが、日本の社会構造にまで影響を及ぼしている、と私は考えています。「むら」社会は決して悪いことばかりではありませんが、今の世界の流れの中で日本が生きていこうとすれば、「むら」構造を変えていく必要があるでしょう。どのように変えていくべきかについての私の見解は、最終回にお話しできれば、と思っています。


  3.  企業が農業をすることができないということが法律で決まっているとは知りませんでした。確かに企業が農業をしているとは聞いたことなかったのですが、それは採算があわないからと思っていました。しかし、実際に農業に企業が入ってくると個人で農業をしている人は苦しくなったりはしないでしょうか?価格競争など国際的な競争力は高くなったとしても個人の農業が破綻しそうなきがします。

       メール、届いていますが、署名がありません。相手のことを思いやることは重要なことであり、出席メールは、そのことを気づいてもらうためのものでもあります。

       企業においても大企業と中小企業があるように、農業においても色々な規模の農業があってよいと思います。日本のような立地条件のところでは、規模が大きければ有利な農業展開ができるとは限らないのではないでしょうか。企業の進出によって農業界が活性化してくれば、家族経営の農業もむしろ発展可能性が高まるように思います。


  4.  三圃式農業のお話を聞いて考えたんですが、現在の日本のように農業人口が減って休閑地になってしまっている土地がたくさんあるのだったら、それをただほうっておくのではなく、牛一頭だけでもそこで放牧するなどして利用して毎年ローテーションで土地を使っていけばいいのではないでしょうか。

     企業に貸すというのもよいと思います。農学部の授業でも、企業が農地を所有すると、そこをマンションにしてしまったりするからいけないと習いましたが、農業以外に使用できないような規制をかければ農業に専念して効率がいいと聞いて、なるほどと思いました。

     ただ実際に農地がほしいというのではなく農業に参入したいと考えている企業がどれだけあるのかは疑問ですが、休閑地になってしまっている土地を安く売ればうまくいくのかもしれないです。

      「牛一頭だけでもそこで放牧するなどして利用して」

       山口県では、休耕地で放牧することを高齢者対策として振興しています。草地畜産の振興は日本人の食生活の変化に対応したものであり、それを積極的に進めていくには、耕作放棄地や休耕地での放牧を積極的にはかっていく必要があると思います。

       食料自給率を本気で高めようと政府が考えているのであれば、農地の転用規制は絶対に不可欠です。農水省は、日本人の需要する食料を生産するために1700万ヘクタールの農地が必要だと推計しています。とするなら50%の食料自給率を達成するには850万ヘクタール必要なわけであり、500万ヘクタールを割っている今日、いっさいの転用を禁止すべきだし、開発可能地も農地として確保しなければなりません。農業界が自らの利益を考えて農地転用を厳しく制限することに反対するなど、とんでもないことです。

      「農地がほしいというのではなく農業に参入したいと考えている企業がどれだけあるのか」

       企業の中には、農業にビジネスチャンスを見出しているところがたくさんあります。私が丹後半島で調査したときにも、農業に進出することを目指していた地域の建設会社の社長さんと親しくなりました。彼は色々な農業に関する素晴らしいアイデアを持っておられましたが、制度の壁にぶつかって夢を実現できませんでした。

       後継者難で担い手の問題が焦点になっているのに、何故やりたい人に門戸を開かないのか私には理解できません。既得権益を守ることしか考えていない証拠ではないでしょうか。


  5.  六回目の講義聞かせてもらいました。

     僕は毎回先生の取材で取ってきた写真をとても楽しみにしていたので、今日は残念でした。まー、体調が悪いからしょうがないですよね。

     ところで組合についてですが、僕は先生と同じように組合のような閉鎖的な集まりは嫌いです。少し極端な例なんですがパチンコ屋にも組合があります。この組合は集客の均等化が目的と謳っていますが、実際には店の広告に大幅な規制をかけて具体的な告知ができないようにしています。これによって迷惑しているのはお客です。また、新規参入店にも組合に入ることを強要し、それを拒めば様々な嫌がらせをします。テレビでパチンコ屋にトラックが突っ込んだのを見たことがあるでしょう。つまり組合というのは新規参入者を自分の手駒にし、消費者からいくらまきあげるかだけしか考えず、その利益を独占しようとする集まりなんです。組合を作るならそれによって起こる損害も考えねばならないと思います。

       前回、写真をお見せできず、残念でした。講義で写真を見せるというアイデアを思いついたのが、講義開始直前でしたので、撮りためたものがあるわけありません。来年の講義までには色々と撮りためておきたいと思います。

       農業協同組合は、政府によって作られたものといってもよいもので、日本の農業構造の中核になっています。このことに関しては第3部でお話しします。


  6.  「農政改革後退の懸念」の記事が一番印象に残りました。ともすれば構造改革の足を引っ張りがちな官僚が正しいことをしようとしているというのに、今度は政治家と農協が自らの既得権益を固守せんと足を引っ張る。一見理にかなっていそうな彼らの言い分も、実は己がための騙し言。危うく騙されるところでした。何が正しいかを見極めるには、多くの見識と、それを以ってあらゆる角度から物事を覗く姿勢が不可欠であると痛感しております。

      「何が正しいかを見極めるには、多くの見識と、それを以ってあらゆる角度から物事を覗く姿勢が不可欠であると痛感しております。」

       社会現象は、表面だけを見ていても問題の所在がわかりません。広い見識とともに、問題を掘り下げていく力を養うことも大切です。

       近代国家にとって官僚は不可欠な存在です。しかし官僚が職分を超えて力を持ったとき、国民のためでなく自らのために行動するようになります。理想を持たない政治家も、自らのことしか考えません。それぞれが既得権益を守ることに汲々としている社会や組織がよりよいものになっていく可能性はないと思います。日本がこの状態をいかにして脱皮していくことができるか、しっかりと考えていかなければなりません。


  7.  11月12日の授業に出席しました。それと、5日の授業にも出席したのですが、出席メールを出すのを完全に忘れていました、本当に出席していたので、どうかよろしくお願いします。  今回はヨーロッパと日本の農業についてでしたが、昔、封建制時代の日本の農業方法とヨーロッパのそれがほとんど同じだということにとても驚きました。むしろ、ヨーロッパは昔から個人を主体とした農業方法が成立していたものと思っていました。日本も水の管理、利用という問題が無ければヨーロッパのように、集団より個人が重視される国になっていたかもしれません。ひいては、政治と深くむすびつく農協という存在が出来ていなかったかもしれません。  後、企業が農業に繰り出すことが出来ないことに、日本の農業発展の限界を見たような気がしました。

       前時代、共同と平等を原則とする「むら」単位の農業・農村だったという点では、ヨーロッパと日本は共通しています。しかし近代化の過程は、両者の社会構造を大きく異なったものにしました。アメリカは歴史の浅い分、ヨーロッパをさらに先に進めた社会といってよいと思います。世界標準がアメリカ化している今日、日本がその中で生きていこうとすれば、やはり「むら」社会の変革が必要になってくると思います。どのように変えていくべきか、しっかりと考えていかなければなりませ。


  8.  今日の封建制時代のヨーロッパの農業の話は個人的に楽しく受けることができました。今まで高校の地理の授業で習った覚えがあったのですが、さらに詳しく教えてもらえた感じです。採草地や放牧地、森林や休閑地など周りの土地すべてが意味を成していて、無駄のないいかにも循環した土地だなと思えました。ただ、仕事の種類が多様化し、人々の活動も単一ではなくなった現代ではこの制度を完全利用するのは難しく、農業の個別化を図る必要はあるでしょう。

    日本にも似たような制度が残っているけれど、西洋とは違い「むら」制度から逃れられない、という話も聞きましたが、その理由が水田の水利用を共同でしていることであったときいて、興味を持ちました。僕は今利水関係の研究室に行ってみたいという希望をもっていて、この問題に関する解決法を探す必要性があってもおかしくないと思ったからです。まあ、昔から続いている制度の影響で根本的から根付いた問題であろうから、ちょっとしたシステムを開発をしても変化は起きないかもしれませんし、この内容の続きの講義は来週にもあるようですから今はさらに問題点について詳しく聞けるのを待ちます。

    農業政策の改革が農業団体や与党に反対されている、という話題は正直のところ僕の中では理解があいまいです。今時の話題、という感じの内容なので流行に遅れないようにもうすこし理解を深めるよう頑張ります。
    それでは。

      「現代ではこの制度を完全利用するのは難しく、農業の個別化を図る必要はあるでしょう。」

       三圃式農業は、物質循環という点では優れた持続的農業でしたが生産力が低く、工業化社会を支えるような農業ではありませんでした。資本主義社会のテイクオフの時代に農業革命が必要だったのです。産業革命と裏表になった農業革命については、次回お話しします。

       京大農学部には、元々は農業工学と呼ばれた教室(学科・専攻)があり、灌漑排水や農業用ダムなど、水利関係の講座(分野)があります。今後、そうしたところで研究を進めて下さい。ただ技術的なことは社会構造を前提にしないと机上の空論になりますので、農村の社会構造のこともしっかりと学んで下さい。

       たまたま新聞記事が出ましたので取り上げましたが、「農政改革」にまつわる話は、第3部のテーマです。その時にしっかりと理解を深めて下さい。


  9. 11月12日の授業、出席しました。
    なるほどそうなのかとしか言い様が有りません。
    自分に即関わると感じられない事柄に問題意識を持てない様です。
    丁度政治家や農業従事者が農業や全体の長期的利益の事では無く、
    今有る自分の権益を考えるというのと同じ事でしょう。
    ある意味私は地に足が着いているのかも
    (先の事や周囲全体を見渡す心の余裕の無いと言う一点において)。
    等と自己分析を何度したところで、変わる事は出来そうに無く、
    救いの無い状態にあると思えます。
    そういう人間が変わる事は有り得るのでしょうか?
    私はどうにも出来ないと思っています。
    今回の内容は、政治を行う人間の行動原理が変わらない以上、
    解決法がいくら分かっていようとそれが実行される事は無い、
    という救いの無い事例を示していると解釈しました。

       返信が非常に難しいメールですね。あなたが自分のことしか考えられない人間なのかどうか、私にはわかりません。また、正義感燃えたメールを送ってくれる人が、本当に高い正義感を持っているのかどうかもわかりません。ただ私が言えることは、あなたがよい出会いをされて、自分ではなく、他者に対する強い思いを持つようになられることを願っています。


  10.  十一月十二日第六回の授業出席しました。

    「むら」社会というものが日本の農業にいかに影響を与えてるかというのを知り驚きました。いままで「むら」というものは単なる一つの地域社会に過ぎないと思っていましたがこれほど農業と密接に結び付いてるとは思いもよらなかったです。時代と共に日本の社会が変化してきたにも関わらず「むら」のなかではほとんど変化が起こらなかったのはやはりこの「むら」独自のシステムが原因だとおもいます。

    「むら」というものが単なる生産の場にすぎないのではなくそのなかでひとつのコミュニティーが形成されているために変革が起きにくかったのでしょう。また、和を重んじる日本人の性格も少なからず影響していたとおもいます。「むら」という社会の中では自分一人だけ大きく変化することは許されないのだと思います。

    以前の話になりますがこういった農村の封建的な部分も農業のイメージを悪くしているのではないでしょうか?この状況は日本の将来の農業そして食料事情を考えるうえで危機的な影響を及ぼしてるように思います。こういった体質が維持されることにより農家の人々の意識が劇的に変化することもなく日本の農業は一部の官僚の思うがままでどんどん衰> 退 していくと思います。

    日本の社会全体であるいは国民全員で農業をもっと開けた形でより良い方向へ進めていける農業基盤が必要だと思います。そしてそのためにはやはりもっと一般の人々が農業について知ることが必要なのだと思いました。これで終わります。

      「また、和を重んじる日本人の性格も少なからず影響していたとおもいます。」

       むしろ逆で、日本人の和を重んじる性格は、「むら」という社会構造から生まれてきたものだと思います。「むら」の中では和を重んじなければ、集団の生産・生活が維持できないのです。自己主張は「むら」の和を乱しますので、自分の意見は持たない方がよいのです。それが日本人の主体性のなさにつながっています。

      「農村の封建的な部分」

       封建的という言葉も注意を要します。封建制ということについては、次回、少し理解を深めてもらえるものと思います。

      「こういった体質が維持されることにより農家の人々の意識が劇的に変化することもなく日本の農業は一部の官僚の思うがままでどんどん衰退していくと思います。」

       その通りでしょうね。それを何とか打ち破る方法を考えていかなければなりません。その意味で、あなたの言われるように、一般の人々にもっと農業について知ってもらうことが重要なのだと思います。


  11.  こんにちは、環境形成論の出席メールを送るのはこれが初めてなのですが、まずは今日の感想からかきます。 授業の中で、封建時代にはヨーロッパ、日本共に農村では共同体の繋がりが濃かった→近代化が進むにつれてヨーロッパでは個別化が進んだ、ということを先生はおっしゃいました。少し考えてみて当たり前だなと思った事ですが、物的世界の各種の条件が人間同士の目には見えない関係の枠組みに大きく関与し、人間の頭のなかの理念にまで関係してくるものだと思います。では物事を共同で営むか個別でやっていくかというのは、最終的にどちらが良いものなのでしょうか。両極端で考える事は間違った方法なのでしょうか。決まりごとというものは場合場合で変わる事も多いけれど、せっかく学問に取り組むのだから場合場合を越えたもっと大きな視点を得てみたいなとも思います。 個人的に思うことには、人間はつながりながら最大限個別化していくのではないかと思います。やはり物的にも精神的にもひとりではやっていけないでしょう。産業に関しては物的な危機の際にはまとまらないと克服は難しいのでしょう。 いろいろ書きましたが授業で教わるような僕のまだ知らない具体的な知識や問題に向かいあってみなければとも思います。しかしそうではあるけれど、上のように物事の関係を考えてみて何かが解明したと思う瞬間がとても好きです。 では来週も楽しみにしています。

       私は人々が力を合わせるということが非常に大切なことだと思っています。しかし「むら」社会の共同と、市民社会の協同では、大きな違いがあると考えています。「むら」社会では「個」の確立は否定されており、市民社会は「個」の確立を前提とした社会です。「個」の確立した市民が力を合わせてよりよい社会を目指す、というのが私の理想とする社会です。この点については、最終回にお話しできると思います。


  12.  日本の農村共同体を形作る大きなファクターの一つが治水であったという話は森林保護の話などに関連してたまに聞くが今日の講義を聴いて改めてなるほどと思った。実家の近くでも山の中に入って下草刈りや水源への小道整備を農家が各地区ごと行っていたのを思い出した。講義で西欧の話が出てきて嗚呼と思ったけれど、西欧の川はイメージとしてはゆったりしていて灌漑作業は比較的楽そうだけれど、日本の場合は山奥に木の杭やスズランテープでなにやら印がしてあって足を踏み外したら死んでしまうような崖風のところを流れる急流から治水をして水田に水をひいていたなあとおもい出だした。あの管理は共同体としての結束力が必要だなと思う。

       畑作においても灌漑が必要なことはいうまでもありません。しかし水田作と比べれば、使用する水の量が違いますし、水の持っている意味の大きさが違います。日本にも水田がほとんどない畑作地帯がありますが、畑作農民の性格は水田地帯の農民とは大きく異なります。東畑精一も、畑作地帯の農民には進取の気風があり、日本農業の発展に寄与したことを認めています。

       日本の文化そのものが稲作に大きく規定されてきたことは間違いないと思います。


  13. 農協が日本の農業をだめにしたという話はよく聞くことがあります。農家の人々に農業指導と称して農薬や化学肥料などを大量に売り付け、農家の人々は農協の指導に熱心に従った結果自分たちの健康を害したり環境を破壊したり・・・。農協はどこの町でも必ずあり現在の日本の農業は農協に支配されているといっても過言ではないでしょう。しかしその農協体制をやめない限り日本の農業の未来は暗いままでしょう。しかし農業界に企業が参入することに私はもっと危機感を覚えます。なぜなら企業が求めるものは利益であり遺伝子組み換え作物の大量生産などが利益重視に行われることを私は恐れているからです。実際に遺伝子組み換え作物を企業が栽培しているカナダではいま実際に次のような事が起こっているそうです。

    企業の畑で栽培された遺伝子組み換え作物の花粉は風に飛ばされ一般農家の畑の作物と交配し次世代に遺伝子組み換え作物の遺伝子が受け継がれるそこに企業が登場し我が社の特許品を勝手に用いたとして付近の百姓から賠償金をもぎとる。さらに遺伝子組み換え作物対抗するスーパー雑草が生え除草剤が効かなくなりさらに強い除草剤を企業から買うためお百姓さん達は借金漬けになるがその除草剤も効かなくなり百姓達の生活は破綻していく。しかも組み換えられた遺伝子は交配によってどんどん自然界に広がっていきだれにもとめることはできない・・・

    昔の自給自足的農業がいいといっても今からもとにもどすことはできないけれどやはり私は自給自足になるべく近い形の農業が理想的だと思っています。企業が農業に参入するのが世界の動向だといっても世界の動向、先端だと思われていたことが正しいことであったことは少ない、農業への業の参入は私は起こってはいけないことだと思います。

       農業に企業の参入を認めるかどうかの問題、あなたのような考え方にも一理あると思います。しかしそれではなぜ農業以外の世界では企業というものを認められるのでしょうか。企業社会を否定することなしに、農業だけには企業を認めることができない、というのはどこかおかしいのではないでしょうか。しかも、農家は企業社会における兼業で生活を成り立たせているのですよ。

       とはいうものの、私も資本主義社会の礼賛者ではありません。むしろ資本主義社会を超える社会を目指すべきだと思っています。しかし現段階では、日本農業は今のまま推移すれば、遠からず壊滅状態になります。残るのは、飯米を作る程度の兼業農家ばかりでしょう。そのような状態を救うのは企業の進出しかないのではないでしょうか。

      「自給自足になるべく近い形の農業が理想的だと思っています。」

       私もそう思っています。しかし、企業の農業参入を否定しても、そこへたどり着けるとは思えませんし、企業=悪者、とする捉え方が妥当だとも思えません。企業=悪、農家=善、とする考え方そのものをもう一度考え直してみる必要があるのではないでしょうか。


  14.  今日の第六回目の授業に出席しました。

     最後にお話されていた農水省と農協、農林族の話が特に興味深かったです。今まで は何も知らないまま農水省、農林族に悪いイメージがあって、農協はむしろいいイメ ージを持っていたときもあったので、今日の話でそれがはっきり改められてよかった です。それに反対の声があり、実現できるかは不明でも、いい方に変えていこうとす る動きがあるという話をきくと、まだまだ捨てたものじゃないという気持ちになりま す。こうしたいい方に動かそうという動きが高まってくれば、悪いほうへ流れそうに なったときにそのまま放置してしまうのではなく、がんばろうという気持ちが起こっ てくるのではないかと思います。それにしても目先の利益ばかりを追いかける体制は なおらないのでしょうか。政治に携わる人すべてが最初からそうではないと思うし、 もっと日本を良くしたいという熱意をもってその世界に入っていったと思いたいので すが、実際はどうなのでしょう。それともやっている本人達は正しいと思っているの でしょうか。もっと現実の見える人の声が反映されてくれたらいいと思いました。

     ぜんぜん話は変わりますが、今も日本の多くは農協主導の農業なんですよね?前に 他の講義で、日本の農業は農薬をまいたり、肥料をやったりするのも全部農協の指導 で、やっている農家の人たちはそれが本当はどういうものなのか知らない、という話 がありました。またある本で、昔は日本の米も白米だけではなく、農家によって赤米 や黒米などいろんな米を育てていて、実りのころには様々な稲穂がそよいでいたそう です。(最近古代米が流行したりしましたが。)そんなふうに各自が育てたいものを自 分で創意工夫して作るように戻れば、農業の魅力はもっと増えるのではないかと思い ます。また、昔のように地域ごとに少しずつ違う種というのもよみがえって欲しいで す。私はそういう例は尼崎のアマイモの話ぐらいしか具体的には知らないのですが、 そういう動きは今どれくらい残っているのでしょう。一つの種が消えるごとに一つの 文化も消えるという話をこの前聞きました。失ったら取り返せないものはたくさんあ って、すべてを守ることは無理でも、できる範囲で協力していけたらと思いました。

     なんだか取り留めのない話になってしまいました。こんなにはやく出席メールを送 るのは初めてなのでちょっと緊張します。文章は相変わらず苦手ですが、最近ちょっ と長くなってきました(といっても内容はぜんぜん進歩してませんが…)。これからも がんばって書きます。では失礼します。

       コメの市場開放が実現してからは、やる気のある農家は農協の組織を飛び出し、自らの創意工夫で農業を発展させるよう努力し始めています。そして農協からの離脱者は年々増えています。いかに政官業(農協)の癒着構造による体制が農業者の成長を妨げてきたかがわかります。

       地域地域、個人個人の創意工夫で、多様性のある農業展開が進まなければなりません。横並びでは、すべてが倒れるだけです。文化は、守るだけでなく、新しい文化を創り出していくことも必要だと思います。


  15.  第6回の講義出席しました。

     今回の講義では、自分が高校時代に学習した三圃式農業についての話があったので、非常に懐かしい思いで聞かせてもらいました。

     日本でもこのような方法をとれば現在のような地力の低下を防げたのだろうかと、高校生だった自分が考えていたことを思い出しました。それを妨げたのは、日本の気候もあったのかも知れませんが、やはり一つの原因として、日本の「ムラ社会」による統一性があったのではないかと、この前の講義との関連で考えています。

     また、今回の講義で最初に話した経済学者の話は、非常に考えさせられました。今の政治家や学者に少しは見習って欲しいと思います。 次回の講義も楽しみにしています。

       地力低下に化学肥料の影響があることを忘れてはなりません。化学肥料の普及は、マルサス的な食糧危機を回避することに大きな貢献がありましたが、その一方で大きな問題をもたらしました。科学技術は、やはり豊かさとともに危険をももたらす両刃の剣かもしれません。

       東畑精一の態度は見上げたものです。しかし彼もまた御用学者で、官僚主導型構造の形成に大きな役割を果たしました。この点については、またお話しする機会があると思います。


  16.  本日の環境形成基礎論に出席しました。

     最後にお話していただいた新聞記事を見て、また官僚指導型農業構造の矛盾が理解できたような気がします。農地規制を緩和し、株式会社に農地を提供すれば、大規模経営の農業ができ、生産性が高くなる、というのは聞こえがいいが、その緩和によって、経営が危うくなれば、企業側はその農地を農業以外の目的に転用し、結果農業の衰退を招いてしまうということです。

     議論の結果先送りになったようですが、官僚達はなぜそういった危険性をはらむ矛盾なことばかりをしようとするのかがわかりません。農業が衰退すれば自分達にも危害が及ぶというのに。目先のことではなく、もうすこし先のことを考えて行動してもらいたいと思います。

       私の見方とは異なる意見ですが、今後の日本農業の決定づけるような問題ですので、色々な見解が出てくる方がよいと思います。ただ、ある主張をするには、その主張が正当化する論理が必要です。あなたの主張には農地の転用禁止をどう考えるのかについての説明が必要だと思います。


  17.  11月12日の講義に出席しました。企業が農業に参入できないとは全く知りませんでした。企業が農業に失敗したら農業外に転用するからというのは僕はもっともだと思いました。しかし、転用は禁止されているのにその理由で参入できないのは、おかしいと思います。

       農地の転用は、農地法によって、農業委員会で許可されなければできません。しかし決して禁止されているわけではありません。企業の参入を認めることと農地の転用を原則禁止にすることは同時に行われなくてはなりません。農地の転用を原則禁止にすることには農協・農家が反対するのです。


  18.  《名前のみ》

       メール、届いています。


  19.  11月12日の授業出席しました。それから、先週も出席したのですが、どうやらメールを送るのを忘れてしまったみたいです・・・。先週分の出席メールが少なかったのは、私のような人が他にもたくさんいたからでしょう・・・。

    正直、今日は日本の農業に絶望感を感じてしまいました。官僚と政府、さらに農協までもが一体となって動いているのであれば、ちょっとやそっとで今の日本農業を改善することはできないのでは・・・。さらにむらには動かしがたい伝統が残っていますし。「一体どうすればいいの〜!?」と頭を抱えてしまいます。

    しかし警察にせよ海外支援にせよ農業にせよ、とにかく現地の声を聞く努力がもっと必要なのではないでしょうか。いちばん事情をわかっているのは現地にいる人たちなのですから・・・。

      「ちょっとやそっとで今の日本農業を改善することはできないのでは・・・。」

       まさにその通りです。私などは、もう15年にもわたり、この構造の解体を叫んできましたが、強く主張すればするほど集団から排除される始末です。この構造を打破するためにも、企業の参入が不可欠なように、私には思われます。

       現場の声を聞くということは大切なことなのですが、農業の場合、「むら」の伝統で自らの意見を形成することが少ないのです。利にはさといが表だって意見を表明しないという農民の資質をも改善していかなくてはなりません。


  20. 11月12日、第6回目の授業に出席しました。

    高校で世界史と日本史を履修していた僕にとっては、今日の授業はとても懐かしい言葉のオンパレードで、なんだか嬉しくなりました。と言っても、「開放耕地制」なんて言葉は聞くまで忘れていましたが(汗)

    今回の講義は本当に歴史の話が多かったですね。僕が一番感じるものがあった点は、あまり本筋の部分ではないのですが、共有地に触れた部分でした。共有地が囲い込まれて零細な農民が困って都市へ流出して云々、という歴史の流れを思い出していました。
    高校にいるときには分かりませんでしたが、あの頃に「意味があるんだろうか」と疑いながら学んでいた沢山の事は、今からは分野を超えて、基礎的な知識として役立っていくのだということを実感しています。「(分野を超えて)総合的に」というのはやはり非常に重要なことですね。
    総合人間学部の学生として、こんなことをあまり言いたくはないのですが、総人という学部を新設するよりは、学部間でシームレスに交流できるような構造を築いた方が素晴らしかったのではないかと、少し思いました。もっとも、それは容易には成せないことですが。

    僕は農業という分野に関しては全体的にほとほと無知ですので、少しでも頭の中身を増やすためにも、これからの講義も楽しみにしています。 また、無知なりに「一般人」として、ありきたりではあるでしょうが、感想を書いていこうと思っています。

      「「(分野を超えて)総合的に」というのはやはり非常に重要なことですね。」

       科学の専門分化によって、確かに科学は進歩しました。しかし専門分化は、きわめて狭い範囲の認識を、あたかも世界を認識しているかのように勘違いさせる傾向があります。このような状況において幅広い見識にもとづく総合的な認識は、実践的な領域において(たとえば環境学や農学など)、非常に重要となってきます。その意味で総合人間学部の意味も大きいと言えます。私の所属する地球環境学堂も、同じような意味合いを持った部局です。

       しかしあなたのいわれるように、今の時代、学部間の垣根を取り払い、相互の活発な交流を促進する方が重要なのかもしれません。とするなら、部局の壁は厚いですが、総人や学堂がその媒介となるよう頑張るしかありません。


  21.  高校の地理と世界史は受験勉強で勉強したので、今日の話はわかりやすかったです。

    ヨーロッパでは近代化の課程で「むら」から個別へと変化したのに対し、
    日本では「むら」の縛りから逃れられず、と先生はおっしゃいましたが、
    この言い方だと「むら」が全面的に悪いように聞こえます。
    「むら」のどういう点が悪いのか、これからの講義で説明してください。

    あと、輪栽式農業についても詳しい説明を聞きたかったです。

       私は「むら」が全面的に悪い、とは考えていません。水田農業における水利用が「むら」の解体を許さなかったということを、「むら」の縛りから逃れられなかった、と表現しただけです。

       「むら」の一番の問題点は、「個」の主体性発現を抑圧した点だと考えています。このことが近代社会の中で色々な問題を引き起こしていますが(たとえば日本農業の今日のような窮状は、農民の主体性の欠如によるところが大きい)、それをおいておくとすれば、価値観の問題だと思います。社会全体が近代社会を選んできた結果が今日の日本でしょうから、社会全体としては近代的な価値観が成立しています。それに反するのが「むら」をよしとする価値観だと言えるかもしれません。

       輪栽式農業については、次回、日本の近代化過程と比較しながらお話しします。


  22. 今回は世界史の話も混じってきて、
    高校時代に世界史を苦手ながらも履修していたことを
    あらためてよかったと思いました。

    どんな問題も、歴史という縦の糸、
    そして同時期に発生する別の問題という横の糸とが
    絡み合って、布のようにして存在しています。
    農業もその例に漏れず、縦の糸は人間が農耕社会を営む中で
    紡がれてきた生活の歴史と、経済問題や農薬問題などによって
    複雑に織られているようです。

    農村社会では、相続問題が結構大きな課題だと思います。
    他国では子どもが多すぎて土地を分割した結果、
    鎌倉時代と同様に土地が狭すぎて生活できないという
    状況も散見されます。
    日本も、おそらく農業が盛んだった時分には
    そういう問題が残っていたことでしょう。

    相続にも見られることですが、農業社会には共同性が求められます。
    みんなが足並みをそろえなければ生きていけないということ。
    それは時に足かせになることがあります。

    ところで、農業と聞くとなんとなくのどかで平和的な印象を
    もってしまいがちです。
    しかし、日本において戦争が始まったのは農業のせいです。
    稲作が始まり、その収穫量の差によって貧富の差が激しくなり
    争いが始まったのだとされています。
    醜い争いを展開してでも、多くの人が農業に執着し、
    よい生活を望んだことがよく分かります。
    農業を忘れがちな私達には
    本当に想像のつかないことだと思います。

    また授業の本題から外れてしまってすみません。
    いろいろ思索するところが多くなってしまいます。

      「どんな問題も、歴史という縦の糸、
      そして同時期に発生する別の問題という横の糸とが
      絡み合って、布のようにして存在しています。」

       この認識、社会科学をやる上で非常に重要です。多くの偉大な社会科学者が、無限に絡み合う要因をいかに解きほぐしていくかに心血を注いできました。

       日本の農村においては、ほとんどの場合、長男単独相続という形がとられてきました。家父長的なその形が封建時と見られることもありますが、近代社会になるまで農民間の階層分化は小さなものでした。明治維新以降、資本主義経済の荒波の中で引き起こされた階層分化、地主小作関係が大きな社会問題となり、世界経済恐慌と相まって、戦争への道を切り開いたことは間違いありません。

       今後も社会の問題に対して、認識を深めていって下さい。


  23. 第6回の授業で強く感じたのが、食料と政治は密接に関係し合っているということでした。

       農作物の輸入規制緩和からコメの減反政策まで、ひとつ国が指針を決めれば、その度に農家の方々は翻弄されるのですね。(これは何も農家の人々に限りませんが・・・) 補助金のこともプリントに出ていましたが、本等に今、農業を営んでおられる方々は、政府による経営締め付けを恐れながら、必死でやっておられるのだなあと思いました。

    その状態を逆手にとって、「優遇をするから自分達の支持基盤に・・・」と自己利益本意で動く政治家には眉をひそめてしまいます。

    先生もおっしゃっていたように、農業が解体されては日本そのものが成り立たなくなってしまうでしょう。食料も殆どを輸入に頼るようになり、耕作されなくなった土地は、ただ荒れるのを待つか、商業・工業目的に使用され緑を失ってしまう・・・私なんかが少し考えただけでも、その危うさは分かります。 そもそも専業農家の人が減り、兼業にならざるを得ない地点で、国は農業政策を誤っているのかもしれませんが。

    かという私も、政府に意義を唱えるだけではなく、実際に自分でもどういう策が有効かを考えてみなければなりません。まだまだ勉強不足だと痛感します。それでも、こういうことを考えるきっかけが得られたことで、私はこの授業の大きな意義を感じています。柏先生、ありがとうございます。

       日本農業はこれまで農業政策に翻弄されてきました。食糧は人間が生きていく上で不可欠なものですから、どうしても政治的な動きに左右されてしまいます。日本の政治が成熟してこない限り、日本農業は、今後も政治に翻弄されることになるでしょう。

       食糧を海外に依存しているということは、国家の基盤をきわめて脆弱にしてしまいます。食糧が足りていることは国民の安全に直結することであり、食糧のために政治的な譲歩をしなければならないとなれば、いつも弱い立場に立たされるからです。また、農業のない国が環境を守るためにどれだけ予算を投じなければならないかも考えておく必要があります。

       日本農業を守るためにどうすればよいか、専門家だけに任せておくのではなく、国民全体で考えていかなければならないはずです。


  24.  「むら」構造の発生した具体的過程が今回の講義でよくわかりました。世界 史や日本史で三圃制や(惣)村、入会地などの用語をよく聞きましたが、それ が実際のむらの構造にどのようにして、どのような影響を与えたのかというこ とに関しては今回の視点のように具体的に考えるということはそう多くは無か ったと思います。特に三圃制については高校までは地力の回復ということに関 しては習ったことはありますが、むらの構造への影響は大学に入ってから講義 で知りました。

     日本と欧州のむら構造というのは基本的には同じような原因で成り立ってい たことがわかりましたが、2つの分岐点は一体なんであったのであろうと思い ました。講義では「近代化の過程で欧州は個別化へと進んだ」とお話があった と記憶していますが具体的に何であったのか少し自分でも考えてみました。今 までの知識では西欧では市民革命や産業発展というものがあり個人というもの がより自覚されていったということが思い出されます。

     日本では確かにそのような流れはあったのかもしれませんが、欧州のように は個人というものが出てくることはほとんどなかったように思います。あくま でも推測ですが日本は農村経営(支配)や産業発展が幕府や(明治)政府のも とでかなりしっかりと逆に言えばうまく機能して動いていったからではないで しょうか。明治維新や戦後の「奇跡の復興」を見ればよくわかると思います。 うまくいったが故の問題であるのかもしれません。

     このように考えると、毎回思うことなのですが、農業のことを考えるのにた だそれだけを考えていたのでは到底うまく考えていくことはできないと思いま す。社会や経済、歴史、地理なども理解して初めて包括的に対応をできるので す。特に世界規模での動きがある中では知っておくべきこと、考えておくべき ことは増えています。必要なのは広い視野や長期のヴィジョンではないかと思 います。現在(政・官・業のという)孤島にもはや住んでいられることは不可 能になりつつあり、世界と続いた土地に住む時代がきていると感じます。

       きわめて的確な歴史的認識をされていますね。これまで人間がたどってきた歴史の中で、工業社会が中心となった時代はきわめて短い間です。原始的な時代を除けば、ほとんどが農業社会の時代だったといえます。工業社会は、あたかもそれまでのすべてのものを制圧したかに見えても、農業社会だった時代の名残をその基盤に残しています。そうした過去のよきものをどのように生かしながら、新しいよりよい社会を建設していくかが、現代を生きる人間の課題ではないでしょうか。

       日本が西欧とは異なる社会構造(集団主義と個人主義などそれを表現する言葉はいろいろあると思いますが…)になった理由は一つではなく、そこには様々な要因が絡み合っています。ただ私の研究領域から見れば、封建制時代の「むら」構造が、近代化の中でどのように変化したかがきわめて大きな原因のように見えます。その点については、次回お話します。

       いずれにしても、グローバル化から逃れられない以上、日本が「むら」社会のままでありつづけることはできないと思います。


  25.  11月12日講義出席しました。

    先生の講義を聞いていると日本の「むら社会」という思想、仕組みは農業にはまっ・・・・ったく!!適していない。
    そういう風に言っている気がするのですが(間違っていたらスイマセン)、果たして農業に日本の「むら社会」的構造は本当にマッチしないものなんですか?
    日本という変化しやすい気候、閉鎖的な環境が長年かけて作り出したこの仕組みが、近代における農業の進歩のネックになっているという事実は、日本人として少し耳が痛いです。

    さて、ここ2回はヨーロッパとの比較をしながら講義していますが、僕個人的には比較対象がある講義は聞いていてイメージが作りやすいです。
    まぁ、数字の比較は毎回講義プリントにあるんですが、正直数字は分かりにくいです・・・。分からない事は無いんですが、日本人は受動的で、西欧では能動的っていう分かりやすい比較があると大変内容の理解がしやすいです。

    出席メール、毎回「いったいあの講義室の中のだれがあんな文章を?!!」と思いながらも楽しく読ませて頂いてます。
    確認面倒臭いかもしれませんが頑張ってください!

       私は、農家出身の両親に育てられましたが、私自身が「むら」で生活したことはなく、「むら」に対する嫌悪感があるわけではありません。あくまでも日本社会(都市にも)に残る「むら」の論理の中で生きてきただけです。そして私が農村社会のことを勉強しなかったとしたら、日本社会の「むら」構造についても気づくことがなかったもしれません。

       私は、稲作を中心とする日本の農業・農村にとって、「むら」はきわめてマッチしたものだと思っています。ただ日本は、農業社会でありつづけることを選択せず、工業社会を選択し、しかも世界のトップを目指して走り続けてきました。それは世界の流れであり、それを間違っていたとは言えないと思います。そして今後もその道を走り続けるとすれば、「むら」社会は明らかにその流れに反するものだと言えます。

       もちろん、これまでの道を改めるという選択肢もあるかもしれませんが、おそらく政治家のみならず国民もそれを選択しないであろうと思います。

       出席メール、素晴らしい内容のものが多いですね。私もどなたが書いておられるのか知りません(もちろん名前は知っていますが顔と一致しない)が、メールを読むと次の講義も頑張らなくては、という思いに駆られます。


  26.  先生がおっしゃったように、農業基本法を作った方はすばらしい人ですね。今、テレビに出てる人を見てもそういうことをしそうな人はちょっと見当たりません。自分自身同じ立場になったとしても、そんな潔いことが出来るかと言われれば、多分無理です。しかし、法律というものは恐いものですね。というのは、農業基本法であれば、これが発効されたがために農業従事者の経済バランスが崩れるほどの影響が出たらしいからです。やはり、法律を作る際にはさまざまなケーススタディをする必要があり、時代の経過とともに現行の法律が不適切になったならば直ちに廃止もしくは改正することが必要なことは明確です。憲法を初めとして半世紀も昔の法律がたくさん存在している状況ですが、それらを見返してみるだけの価値はあるのではないでしょうか。時代遅れの法律に意味を感じる必要などないのですから。

     ヨーロッパと日本の農業形態の違いですが、ヨーロッパは「むら」の形成理由が年貢(税金)を村全体に課されたために協力しなければならなかったのに対し、日本は年貢に加え水の確保という理由のために協力が必要だったのであったということは非常になるほど〜と思いました。さらになるほど〜と思ったのは、農業に限ったことではないのですが、『協力のためには平等が必要』ということでした。日常生活していくうえで他人と協力していく、共同で何かをするということはよくあることだし、深く考えたこともなかったのですが、大切なことだと感じました。

     畑作と稲作の違いが「むら」の形成に影響があったということがよくわかりました。現在の税金というものは個人個人に課せられるモノであるため、ヨーロッパが「むら」を維持する必要はなくなるというのはもっともなことです。

     水の問題は解決法はあるのでしょうか。たしかに、機械化も進み、少人数で稲作が可能になった今日なので農業から脱退するつもりであれば、農地を「むら」の中の人に貸すなり売るなりして脱退することは可能だと思いますが、自分の好きな作物を育てたりすることは難しいと思います。

     政治家の票獲得のための補助金というのは狂った考え方であることは明確です。官僚主導型の農業構造についてですが、まとめてくれる人がいるということはさして悪いことであるとは思えませんが、問題はやはり授業中に出てきたトライアングルによって締め付けられているということなのでしょうか。どうやら官僚主導型の農業構造についての講義は12月に入ってかららしいので自分の意見を考えるのはもう少し知識を得てからにしたいと思います。

       メール、ありがとうございました。非常にまとまりのあるよいメールだと思います。

       第1弾の東畑精一の態度、非常に潔い素晴らしい態度です。さすが第1級の人物という感があります。しかし彼もまた御用学者であったことは間違いなく、今日の日本農業の窮状に一役買っているとも言えます。その点については第3部でお話しできると思います。

       また時代遅れになった法律が生き続けて、社会を悪い方向に導く例は、この講義の中では食糧管理法が最たるものだと思います。これについての話も第3部でします。法学部の学生さんがたくさん聴講されていますので、彼らの見解を聞くのが楽しみです。

       共同と協同という言葉は違った意味合いがありますが、共通する点も多くあります。階層の分化あるところでは共同は困難で(家父長制家族の共同ということもあり得るので不可能とは言えないが)、平等原則を貫くことが大切になります。近代社会においては、機能が分化して力を合わせるということが中心となり、階層が生まれる傾向が出ますが、今日では、機能分化しても対等関係の組織の方が大きな成果を生み出せるようになっているのではないでしょうか。

       政治家が集票のために補助金を利用するだけでなく、過去の産物である法律をも生かしつづけたのが食管法です。官僚主導型農業構造については、第3部で議論しましょう。


  27.  11月12日分
    三圃式農業では仕切りがなく共同で収穫などを行っていたというのが少々驚きでした。確かに領主側としても村全体に土地代を課したほうがきっちり取れて都合がいいのでしょうが、質的平等のために混在地制にしても収穫まで共同でやったら、あれ?結局耕地も共有してる状態と変わらなくないの?と疑問に思いました。大した疑問じゃないですけど…。

    それにしても皆さんすごい出席メールを書いていますね。いやはや…。 新聞記事には驚きました。もっと毎日ちゃんと読まなきゃ…。新聞側は政府に賛成する書き方でしたね。でも改革に反対する側がまた政治絡みだと聞いてがっくりきました。農水省頑張れ〜(笑)

    ところで前回(11/5)の出席メールを出し忘れたのですが、定年退職後の帰農について、大いにありうるし期待できる、と思いました。というのは私の実家の周囲は畑ばかりで、近所のいい年したおじさん方は地主さんに安く借りて自給用の野菜を栽培しているのです。私の父親もまだ定年ではありませんが借りていろんな作物を育てています。定年になったらそればっかりになるかもしれません。今回の講義でも確か皆が自給用の食料くらい自分で作るのが理想だと確かおっしゃっていましたが、確かにそう思いますが、これも田舎暮らしの特権だよなあと思いました。もっと便利な都会に住んでたらとよく思いましたがやっぱり田舎がいいかな?と思い直しました(笑)

       封建制時代の農業では、「むら」での総有があっただけで、農民には私的所有権はありませんでした。近代(今日)の意味で考えるなら、耕地も共有していた、ということになります。ただし今日の意味での処分する権利は農民にはありません。

       新聞を表面的に読む(見る?)のではなく、その背後にあるものまでも読みとる、ということは重要なことです。農業関係の記事をそうした姿勢で読んでもらえるようになることが、この講義の一つの目的だと言えます。

       定年帰農、私も憧れますが、残念ながら父は農地改革の際にすべての農地を処分しました。都市の住民は、定年後何をするかということから考えなくてはなりません。あなたは田舎暮らしということ、いいですね…。


  28.  十一月十ニ日の授業に出席しました。

    三圃式農業とかは、小学校でやったらしいですが、全く覚えていませんでした。三分の一ずつ使い方を分けるなんて昔の人はなんてすごいんだろうと思いました。伝統というか、長年培ってきたものはあなどってはいけないと思いました。中には確かに悪習と思えるものがあるかも知れませんが、優れたものも多いので大切にすることが重要だと思いました。

    むらの原理については、結構よく理解できたと思います。いまでも割り替えのなどの制度があると聞いて、すごいなぁと思いました。なぜヨーロッパではむらが消え、日本では残っているのかも、わかったし、前回の小麦と米によるむらの盛衰の理由もきっちり分かったのでよかったです。

       地力維持・物質循環ということは、農業社会では、とりたてて言わなくても、当然のことだったと思います。それが崩れたのは工業社会が席巻するようになってからです。今や工業社会が生みだした地球環境問題が、人間の生存を危うくさえしています。工業社会と農業社会の共存こそ、いま必要なことのように思います。


  29.  授業受けました。

    現在の農家に対するイメージのギャップに驚きました。しかもそのギャップに国が関与しているとは思ってもいませんでした。授業を受けててやはり日本と言うのは群れたがる人間が集まっているというのを痛感しました。出る杭は打たれる。このこと自体を悪とは思いませんが、昨日の話を聞く限り国ひいては農協の行き過ぎた集団意識というものを感じます。

    これからも講義頑張ってください。

       「出る杭は打たれる」ということが悪いことではない、とされる根拠が何なのか聞きたい気がします。打たれてもはい上がっていくところに人間のよさがあるということなのでしょうか。

       国民(農民)の主体性のなさと、それを利用して自分勝手な政策展開をする政治家・官僚などのリーダーという構図は、やはり変えていかなければならないのではないでしょうか。


  30. 今回は何か「結」とか「むら」とか、日本史の授業を思い出しました。
    しかし「ノーフォーク農法」として世界史で習った農法が、なんと六圃式だったなんて…!おどろきです。

    ヨーロッパは比較的早く個人経営の農業ができあがっていったのに対して、日本はむら構造から脱出するのが遅れた、という辺りは、西洋の個人主義、日本の全体主義(?)とまでは言わないとしても、周囲との強調を重んじるという精神面での特徴をも生み出す一因になったのではと思います。

       ヨーロッパにおける農業の近代化の話は、Webにはノートが掲載されていますが、前回お話しできませんでした。次回お話しします。

       西欧の個人主義と日本の集団主義という特色が生まれた要因は様々なものがあるでしょうが、封建制時代の農業が近代化する過程での両者の違いが大きかったと私は考えています。


  31.  今回の講義は今まで自分が知っていたことや、これまでの授業の中で少しだけ話されていたヒントたちが少しずつつながっていくようで面白かったです。

     具体的にいうと、歴史の中での農業の変化と先生が力を入れて話されている村社会のつながりは今までほとんど結論しか話されていなくて、もやもやしていたのですっきりしました。

     私は新興住宅地に住んでいるのですが日本の村社会構造を実感するときがあります。田舎で暮らす祖母はある議員の後援会に入っています。馬鹿にしているわけではないですが、おばあちゃんって政治に詳しいんやと最初は思っていました。しかし祖母は政策に関してほとんど知らないというより興味がないようでした。別にもう農業もほとんどやめてしまっているのに、ただみんなが応援するから足並みを合わせる意味で入っているようでした。今までの日本はそういう票によって選ばれた議員によって動かされていたため、現代徐々に色々なひずみが表面化してきたのでしょう。

     表面化するということは村社会が少しずつ変化してきたということだと思うし、もはや時代に合う形ではなくなってきたということだと思う。多くの人がメールで言うように新しい形の社会が必要なのだろう。しかしそれは今までのすべてを捨てて欧米の真似をするのがいいとは思わない。幼い頃から自分の意見を言えることは確かにえらいことだとは思う。でも最近のアメリカの様子を少し見ているとしっかりと考えないまま自分の意見を半分無責任にいうことは、ときに勢いだけで間違った方向に行ってしまう恐ろしさもあると思う。顔が見える関係や、因果関係がはっきりあるかはわからないが近年の悪質な犯罪の増加などを考えると、今までの社会にも残していくべき部分もあると思う。

       田舎のお祖母さんの話、興味深いですね。「むら」の状況をよく表していると思います。このようにして選ばれた議員でも、その議員が政治家として優れた人であれば問題がないのですが、今の政治家は大義ではなく自己の利益のために行動するような人ばかりです。いわば鈴木宗男がその典型だと言えるでしょう。地元に利益誘導をしているのだから、地元にとっては決して悪い政治家とは言えないのかもしれません。

       私は、「むら」社会が全面的に悪いとは思っていません。よりよい社会を作っていく上でも「むら」社会のよいところは取り入れていくべきだと思っています。そのためにも「むら」社会とは何なのか、それがどのような弊害をもたらしてきたかを、講義によって理解してもらいたいと思っています。

       もう一つ言えることは、私はアメリカ社会をよく知りませんので、アメリカの政治だけからしか判断できませんが、アメリカがよいとは思っていません。私は西欧をイメージするとき、私が短期間ではあるが生活した経験を持つドイツをイメージして話していることが多いと思います。


  32.  今回の講義の最後に話された内容は興味深かったです。企業が農地保有できないということをはじめて知りました。 そういえば企業が保有している農地ってありませんよね。禁止している理由が農地を転用するからなのに自分達は道路がくることを待っている。 なんか矛盾してますね。今改革をしないとWTOで関税が引き下げられたら大変なことになるのに今回枠組み合意したからほっておく。夏休みの 宿題とは違うんだから真剣にしてもらいたいものです。

     やっぱり票集めの方が大切なんですよね政治家は。でもこの問題は政治家だけでなく農家 の方にも問題があると思います。票を入れてるのは農家のわけだし。やっぱり最後はムラ構造に原因が・・

       農林族、日本の将来を考えているのではなく、票のことを考え利益誘導しか行わないのですから、日本の農業がよくなるはずはないですよね。

      「でもこの問題は政治家だけでなく農家 の方にも問題があると思います。票を入れてるのは農家のわけだし。やっぱり最後はムラ構造に原因が・・」

       まさにその通りだと思います。このことは都会にも当てはまり、現在のような政治家しか生み出せ得ないのには国民にも問題があるといえるでしょう。その根底に「むら」構造があるのですから、やはりこの構想を変革していかなければならないはずです。


  33.  11月12日の授業に出席しました。

       メール、届いています。


  34.  環境形成基礎論第六回に出席しました。

    「むら」についてですが、水田で稲作をしている日本では水はもっとも大切なものであり、これを共有している以上「むら」社会であることは避けられないと思います。

    弊害はいろいろとありますが、そもそも欠点の全くないシステムは存在しないでしょうし、「むら」社会の考え方をあまりに否定するのは日本人の性格の大部分を否定することになるような気もします。

    ただ、今までは短所と思って大目に見ても、これからは時代の流れからしてそうはいかないので、改善していく必要はありますが。

      「そもそも欠点の全くないシステムは存在しないでしょうし、「むら」社会の考え方を あまりに否定するのは日本人の性格の大部分を否定することになるような気もします。」

       確かに欠点のないシステムはないかもしれません。しかしよりよいものにしていこうとするのが人間の特性なのではないでしょうか。今日の時代状況においてよりよいものとは何かを考えるとき、やはり「むら」社会の問題点が浮き上がってくるような気がします。もちろん「むら」社会のよいところ生かした新しい社会システムを構築していくことが大切であることはいうまでもありません。


  35.  今回の授業で一番印象に残ったのは、先生が授業の最初でおっしゃった、日本の農業は全体に占める割合が減っただけであって、生産量は増え続けているという事です。僕の家では、土地を借りて本格的家庭菜園の様なものをしているのですが、僕の地域ではそういう家が以外と多いです。だから以外と自給自足的な生活をしている人は多いと思います。だからどうしたっていう話なんですけど…。この話に落ちはありません…。ちなみに僕は鍋に入れるのは白菜が一番好きです。

       昭和30年代以降も、農業産出額も増え続けました。しかし昭和60年代以降、円高・国際化の進行により、さすがに農業産出額は停滞しています。今後の動向は農業における構造改革が進むかどうか次第ですが、いずれにしろ自給的な農業は維持ないしは拡大するだろうと思います。


  36. 柏 先生: いつも丁寧に返信いただきありがとうございます。

    『「むら」社会にはもちろん悪い面ばかりがあるのではありません。ただ、日本社会がグローバル化の波に飲み込まれてしまった今 日、「むら」社会の論理では世界に通用しなくなるだけです。』

    『今なお残っている集落機能を利用して集落営農という方法も悪くはありません。しかし、集落の田畑面積は30〜40ヘクタールです。 この規模なら1個人経営でも小さすぎるかもしれません。大経営であればよいとは思いませんが、集落営農には限界があるような 気がします。』

    そうですか…。日本オリジナル(でないかもしれませんが)の論理は世界にやはり通用しないのでしょうか。
    僕は農業でもグローバル化の波に負けず、日本に頑張ってほしいと思っているのですが。
    まだまだ「むら」社会について僕は理解できていないようです。

    ただ、日本において「個」というものが育たない(といわれている)のは、やはり「むら」社会の論理が根強いためなのですね。

    『補助事業のことですが、補助事業で国の金が使われていない例を探す方が難しいのではないでしょうか。京野菜を説明するとき に見せた写真の輸入急増農産物対応特別対策事業も、国の補助金が中心だと思います。美山町に関しても、国の指定を受け ている以上、何らかの補助金が出ているはずです。』

    わかりました。ありがとうございます。ちなみにこれらの補助金は今後削減対象となるのでしょうか?
    WTO交渉でいう、緑の政策に分類されるのであれば、削減されることは無いと思うのですが。

    それで、今回の授業で一番興味があったのは、最後に紹介された、農政改革の記事でした。
    やはり「むら」社会なのですね。
    実家が農家で、農協とのつながりもあり先生の話を聞いていて、
    いろいろ思い出したネタもあるのですが、今後の講義の農協のところでまたメールしようと思います。

    農政改革の議論の中で、自立した農家を育成しようとする今回の改革の他、
    日本市場を海外に開放し、日本も農産物を輸出しよう、そういった農家を育成しようという論調も耳にします。
    ヨーロッパが「むら」社会でなかったからなのかもしれませんが、
    EUはWTO交渉のために抜本的な農政改革に取り組んだと聞いています。

    もしご意見があれば、お聞かせください。

    また、取り留めのない内容になってしまいました。
    今回はここで失礼します。

       メール、ありがとうございました。双方向が一段と進んだメールですね。

       グローバル化を進めている推進力はIT革命です。日本農業においてもこれをどう取り込んでいくかが最大の課題なのではないでしょうか。たとえば、消費者の意識が高まって有機農産物を買いたい消費者とその生産者を結ぶことはインターネットで可能となります。場合によっては、顔の見える関係も作り出せるでしょう。インターネットを通じた産直は、市場のあり方を変えるはずです。要はやり方次第なのではないでしょうか。

      「ただ、日本において「個」というものが育たない(といわれている)のは、やはり「むら」社会の論理が根強いためなのですね。」

       その通りだと思います。ちなみに、インターネットが支配する社会と「むら」社会とは相反するものだと思います。その点に関しては、最終回にお話する予定にしています。

      「WTO交渉でいう、緑の政策に分類されるのであれば、削減されることは無いと思うのですが。」

       私は補助金が悪いものだとは思っていません。政策誘導のために補助金は不可欠であり、よいものには補助金を投入すべきだと考えています。ただ、これまでの補助金にはあまりに問題が多すぎると思っています。要するに農業政策に問題があるということです。

      「日本市場を海外に開放し、日本も農産物を輸出しよう、そういった農家を育成しようという論調も耳にします。」

       質のよいものといっても、内外価格差のことを考えると、限界があります。もちろん工夫次第では、これも可能になるのかもしれませんが、そのためにも内発的な力をフルに発揮できるような環境を作らなければなりません。

      「EUはWTO交渉のために抜本的な農政改革に取り組んだと聞いています。」

       EUは、加盟国の農業事情が異なり、各国の調整に苦労する中で共通農業政策が展開され、改革が進みました。当然に日本でも農政改革ができるはずですが、それを阻んでいるものがこれまでの日本の農業構造だと思います。


  37. 11/12の講義に出席しました。

    過去から今にかけて農村・農業がどのように移り変わってきたかという話には興味深いものがありました。確かに今の体制をより良いものに変えるためには、今のものがどうやって形成されてきたかを知ることが重要ですね。同じ過ちを繰り返さないためにも。

    何処かで聞いたような言葉ですが、本当に人は間違いを繰り返さずにいることができるのでしょうか。僕が知る限り、同じことを繰り返す人間は大勢います。それで大きな失敗を経験しているにも拘わらず。僕もその一人ですが。思うに、人は過ちが目に見える過ちとして認識されなくなるまで、つまり「その過ちを行わないことが自然なこと」であるようになるまで、過ちを繰り返すのではないでしょうか。今普通に考えて、目上の人に対して敬語を使わないなんてことはあってはならないことです。しかし小さい頃は目上であろうが何だろうが、敬語なんて使ってはいませんでした。僕達は、いつしかそれを過ちと知り、行わないようになったのです。特に意識をしなくてもいいようなレベルで。

    そういう意味で、先生の批判する官僚主導型のシステムにおける人々の考えというのは非常に自然であると思います。自らの欲望に忠実に、欲望のために行動する。当然といえば当然のことです。ただ人は、人だけが他の動物と違い自らを客観視する能力を持っています。やるべきこともやらずに寝てばかりいる僕が言えたことではありませんが、自分のことを客観視し、強く意識して、いち早く未熟な状態から抜け出さなければならないと思います。

       大変おもしろいメールですね。読んでいて引き込まれます。

      「自分のことを客観視し、強く意識して、いち早く未熟な状態から抜け出さなければならないと思います。」

       まさに「むら」社会からの脱皮と私が考えているのは、このことの実現です。私はそれを「個」の確立と読んでいます。自立という言葉でもよいかもしれません。あなたの成長を期待しています。


  38.  前回の授業でも教授がおっしゃっていた日本は何処へ言っても村構造になっていると の指摘がありましたが、僕もその通りだと思います。まるで金太郎飴みたいなもの で、どこをきっても村構造になっていて、それぞれの村にぞれぞれの掟や独自の論理 があって、その村に帰属するものはその掟を破ったり、その論理から離れた行動をと ると村八分にあうという村構造が今でも日本では根強いように感じます。

     僕が思う に、この村構造的要素がさまざまな場面で改革や改善の妨げ・障害となっているよう に強く感じます。なぜなら、村社会において内部告発は非常に重い罪になるため、あ えて重大な危険を冒してまで内部告発しようとする者はいなくなり、その組織の内部 の者からの監視の目が届かないという状況を生み出すからです。そして内部の監視の 目が無いということは常にその組織の論理に従って行動することになるので、改革し ようとする際においても、その組織の論理に沿うように行動するため、結局は根底の 部分はあまり変わらないということになると思います。

     健全に組織が機能するために は内部からの監視の目が必要であるし、その組織に属する者でも自身の組織におかし い部分やここはこうしたらいいんじゃないのと思う点について、たとえそれが組織の 従来の論理から外れていても発言できるシステムが必要だと思う。

     既存の村社会的論 理では現在の複雑多岐に渡る社会問題を解決していくのは不可能だと感じています。 先生はそのあたりのことをどのようにお考えですか?

      「先生はそのあたりのことをどのようにお考えですか?」

       このメールは、文章に少し問題がありますが、内容的には私が主張したいことを非常に的確に伝えてくれています。すなわち、まったく同感です。多くの方々に読んでいただきたいと思います。

       私もこのように考え、行動してきたからこそ、「むら」社会の論理から脱して、新しい論理の形成をすべきという主張をしてやまないのです。メールの最初のところに教授という表現がありますが、私は教授ではありません。これもまた、私のこれまでの主張・行動がなせる業だと、私は思っています。


  39.  政権交代が起これば族議員の影響が弱くなるんじゃないかと選挙のたびに思います。

      「政権交代が起これば族議員の影響が弱くなるんじゃないかと選挙のたびに思います。」

       私もいつもそれを期待しています。しかし政権交代は起こりませんね。これも「むら」構造のなせる業と得るでしょうか。

       それにしても、自民党政治を終わらせるべき日本社会党(現社民党)が、自民党政治を助けたのですから何をかいわんやです。日本社会党は滅びてもかまいませんが、日本を滅ぼすことはできません。国民の意識の高まりを期待せざるを得ません。


  40. 11月12日の授業
    (1)経済成長の際第一種産業と第二種産業の間で広がる経済格差はなぜ食いとど められなかったのか?
    (2)経済格差により第一種産業が従事する人口が減る、生産量が減る、外国頼み になる等「衰えた」ともいえる現象に陥ったのだとすれば、現在の第二種第 三種間で再び広がりつつある経済格差を先生はどう見ますか?
     反省は活かされているのか?どのような政策を採っているのか?
    (この質問は少々農政とはずれますが・・・)
    (3)現在広がっている経済格差は第一種産業にどのような影響を及ぼすか?

    三個セットで疑問に思いました。先生の考えを聞きたいです。

    夏穀、冬穀、休閑の話
    牧畜と絡んだ循環型農業というものが良くわかった。
    農業は、自然というものに根付いているがゆえにペースがゆっくりになる。逆に農業に目を向けることで、現代社会のハイスピード化にも気がつきました。
    そのスピードが少し怖いです。社会・世界が自然から離れてどこかへ向かってしまいそうで。人間は自力では地球・自然からほんの数秒も足を離せないというのに。

    いろいろ考えさせられました。
    どうもありがとうございます。

       高度経済成長期、農工間の所得格差ということが問題にされましたが、果たしてそれが問題だったのかどうか疑問です。国を工業国に導こうとしていたのですから、マクロ経済的には農工間の所得格差というものが見られるのは当然だからです。

       時代は変わり、今日ではアルビン・トフラーの予測したように、第三の波が押し寄せています。産業の中心が第1次産業から、第2次産業、第3次産業と移っていくのは、時代の流れだと言えると思います。これにより貧富の差が大きくなるのであれば問題ですが、そうでないのであれば、これも問題としなければならないことではないでしょう。貧富の差が拡大しないよう、政策展開することは国の役目です。

       ただ、経済体制・社会体制が、農業中心から工業中心、さらにはサービス産業中心になっていくことが、人間にとって本当に幸せなのかどうなのかは、考えておく必要があると思います。

       その意味で、あなたが「そのスピードが少し怖いです。社会・世界が自然から離れてどこかへ向かってしまいそうで。人間は自力では地球・自然からほんの数秒も足を離せないというのに。」と書かれていることには共感を覚えます。


  41. 第六回目の授業(2004/11/12)、出席しました。

    今回の授業はまだムラ社会の実態を全て暴く(?)ものではありませんでしたが、 ムラ社会の背景がどのようなものかというのが、漠然とですが、分かってきた ように思います。

    さて、授業の最後にあった 農水省 v.s. 族議員+農協 についてですが、 やはり僕も軍配は農水省にあげざるを得ないと思います。

    先週の感想メールではやや書きすぎた感もありましたが、それでも僕は 農業にはある程度の補助金や輸入規制はやむを得ないと思っています。 (するならもっと透明性を高めて、ってことです。)

    もし、全ての農作物の輸入自由化や、農家への補助金の廃止、といった ことを今すぐにしてしまったら、日本の農業は崩壊してしまうでしょう。 ただ、この補助金や規制は、これまでの農業行政のツケだと思っています。 日本は山国で農地にできる土地が小さい(=小規模農家が多い)っていう ハンデを考えても、もっと早い段階で合理的な改革をしていたら、農業は 今よりももっと収益性の高い、もっと競争力のある産業になっていたように 思います。この前の授業で先生もおっしゃってた、『周りが国際競争に 巻き込まれていってるのに、農業だけ内向きな姿勢に固まったままでいる ことができるわけがない』っていうのは非常に頷けました。

    それにしても、本当は農業の行く末を一番考えているはずの農家(の集団)が 企業の農業への参入を拒否するっていうのは不思議ですね。
    当然、企業参入に賛成の農家もいるんでしょうけど、そうは言わせない 集団っていうのも怖い…。
    族議員にしても、票のことしか考えてない、農家は所有地の地価のことしか 考えてない、っていうのは、どこかおかしいと思います。
    (それと、消費者は安さしか考えてないっていうのもねぇ…。)

       「むら」社会の実態、次回にはさらに理解を深めてもらえると思います。

      「日本は山国で農地にできる土地が小さい(=小規模農家が多い)っていう ハンデを考えても、もっと早い段階で合理的な改革をしていたら、農業は 今よりももっと収益性の高い、もっと競争力のある産業になっていたように 思います。」

       その通りだと思います。農業関係者が既得権益の保持にこだわり、改革を怠ってきた付けが今日の日本農業の窮状だと思います。

       あなたのいわれるように、族議員、官僚、農協、農民、消費者、(学者)、どれをとってみても理念、思想というものがないような気がします。目先の小さな利益しか考えていない。しかも集団の壁を破れない。私は、日本の社会全体が大きな変革期にあり、方向性は「むら」社会から新しい社会へなのだが、なかなか殻を破れない状況だと思っています。もちろん新しい社会を形成していく際に「むら」社会のよいところを大いに取り入れていけばよいのですが、殻を破ることに苦しんでいる状況では、殻を破る必要があることを強調していくのがよいと思い、とりわけ「むら」社会からの脱皮を強調しています。


  42.  三ぽ式農業について調べてみたところ、休閑地にも根菜やマメ科の牧草を植える改良式もあると書いてあったのですが、これは土地を休めることになるんですか?

       前回は時間の都合で、「ヨーロッパにおける農業の近代化」を次回に回しました。穀草式農業や改良三圃式農業についてはそこでお話しします。


  43. 11月12日の講義に出席しました。

    先生のおっしゃっていた「日本人がむら構造から逃れられない理由」はとても興味深いものでした。しかし、ロシアではずっと、革命以降もミールと呼ばれる農村共同体が存在していました。このミールというものは、ロシアではとても重視されていたらしく、ソ連の宇宙ステーションの名前にもなっていました(今は廃棄されてしまってありませんが)。ロシアではもちろん稲作は行われていません。これはロシアの厳しい冬が人々の共同を促進した、ということなのでしょうか?

    田植え機が割合新しいものだというのは驚きでした。実家の近くではよく道路を走っているので、なんかこう、ずっと前からあるものだと思っていました。

    農政改革では政官業の癒着が問題だとおっしゃっていましたが、それは農業だけではなく、あらゆる分野に当てはまるものだと思います。これはずっと自民党が政権を担い続けてきたことの弊害でしょう。民主党が伸びてアメリカのように2大政党制になったとしても、結局アメリカで共和党と軍需産業の癒着が続いているように日本の政官業の癒着構造は解消されないと思います。先生はどのようになればこの「鉄のトライアングル」がこわれるとお考えですか?

       マルクスが考えた歴史の展開は、原始時代(アジア的)→古代(ギリシャ・ローマ的)→中世(ゲルマン的)→近代(資本主義的)であり、資本主義を労働者の革命によって乗り越え、共産主義社会の建設を展望しています。共産主義社会は労働者階級による平等な共同体が想定されていますが、共同体というものは本来その内部においては平等を原則としており、中世的なミール共同体も同様だったと考えられます。ロシア革命は近代を経ずして共産主義国家の建設をしたわけですから、その中でミール共同体が重視されたことも故あることです。

       講義でもお話ししたように、田植機が普及し始めたのは昭和50年代末でした。それまでは田植えの際の「むら」における共同労働は不可欠のものだったのです。

       日本社会の鉄のトライアングル(必ずしも日本だけではないかもしれないが…)を壊せるのは、国民が市民意識を高め、市民が社会を動かす体制を構築する以外ないのではないでしょうか。もちろんそれでも完全にはなくならないでしょうが、市民がよりよい社会を建設しようとする努力は必ずや実を結ぶと信じたいと思っています。


  44. 11月12日の授業出席しました。

    先週の50番ですが、今週もこんな夜中に出席メールです。夜型の生活が治りません…。

    西洋に三圃制がある一方で、東南アジアなどでは稲の三期作が行われている。伝統的な焼き畑農業では、森林を回復させるため十数年サイクルで行うという話も聞いたことがある。本当に農業経営は多岐にわたっている。そして、その一つ一つは膨大な時間と経験を根拠としてその場所に合った最良の方法がとられている。科学も発達していない時代に連作障害と、その解決法を見出すことができたのは、何世代にもわたる農民の努力のおかげである。

     日本は明治時代に入るとともに、善悪を判断することもなくピンからキリまで西洋文化を取り入れた。さらに第二次世界大戦後はGHQ指導による農地改革、アメリカによる洋食キャンペーンにより日本の農業は翻弄され続けた。文明開化なんて、つい150年前のことである。今は、最良の方法に向かって試行錯誤している時期と、私は捉えたい。しかし、現代は変化の激しい時代である。農水省は、農地をもっと真摯に見つめ、将来の日本農業を真剣に議論していただきたいと思う。

       メール、ありがとうございました。今回は47番目でした。

       本当に世界の農業は多様です。その多様な農業は、その土地その土地の風土に合致した合理性を持っています。それは人間が自然といかに共生してきたかを示しているといえるでしょう。産業革命以降、人間は、科学の力で自然を征服しようとしてきてきました。しかし科学は神ではありませんので、その仕業が多くの問題を生み出しました。地球環境問題はその最たるものだと言えます。

      「文明開化なんて、つい150年前のことである。今は、最良の方法に向かって試行錯誤している時期と、私は捉えたい。」 

       同感です。農村が「むら」の農業技術的呪縛から解放されてから20年しか経っていないのです(完全に解放されたわけではないが…)。日本は今まさに過渡期にあると思います。よりよい社会の実現に中心的な役割を果たすのは、あなた方若い世代です。私は皆さんに大いに期待しています。


  45.  《名前のみ》

       メール、届いています。


  46.  11月12日の授業に出席しました。

     今回の講義で先生がおっしゃっていた、三圃式農業のことで、個人的に懐かしいことを思い出しました。私の祖父は長野に住んでいて、少しばかりの土地でですが農業をしています。私は元々、東京出身で、電車一本で祖父の家に遊びに行くことができたので、休みになるごとによく遊びに行ってました。そこで、夏なんかになるとよくジャガイモを掘るのを手伝ったり、トマトやトウモロコシ、キュウリなどを採って、そのまま食べたりしていました。小学校中学年くらいの時、私は年によって野菜が年によって違うところで栽培されていることに気づいて、そのわけを聞いてみました。そしたら祖父は、毎年違うところに違うものを植えると、野菜によって必要な養分が違うからよく育つんだ、今年はここにジャガイモを植えるんだよ、と教えてくれました。三圃式農業に似ているところがありますね。でも、休耕地はありませんでした。現代では肥料が発達しているからなのでしょうか。

    また、都市から農地に工場移転するというはなしでもまた、おもしろい話をおもいだしました。その祖父の祖父はもともと宮大工をやっていたらしく、辺り一帯の土地をもってたらしいにです。そしてその土地で田畑を耕していたらしいのですが、今ではかなりの土地を工場などに貸しているらしいのです。工場にはもう長いこと土地を貸していて、工場側の法的な権利が強くなってしまったらしく、とても安い値段で借りられてしまっている、権利も向こうのが強くて追い出すこともできない、といっていました。土地にかかる税金を毎年納めたら、たいしたお金は入ってこないそうです。先生の話が、とても身近なところでリンクしていておもしろかってです。

     あと、今日の授業の最後で話されていた、利害のみでしか物事を考えられない社会体質、改めて失望してしまいました。前からいろんな先生にそういった話を聞かされてきていて、中学生の頃から、社会に出て働くのがいやだと感じるようになっていたので、理系の人間になって好きな研究ばかりして過ごせたらいいな、というのが理系の学問を志すきっかけにもなったりしました。そして、理系にすすんで、少し後悔したこともありました。そういった社会体質に立ち向かっていくチャンスを失ったと思ったからです。しかし、今日の先生の話を聞いて、少し明るい気持ちにもなれました。農林省の中にも現状を危ぶむ学者がいて、何とかしようとしたのでは、とおっしゃったからです。そういった貢献の仕方もあるのだな、と思いました。

     内容が非常に個人的なものばかりで申し訳ないのですが、今回の感想はここで終わります。

       日本の風土条件は、ヨーロッパに比べて遙かに植物が生育しやすいものです。もともと農業生産力が高いとも言えるかもしれません。しかも水田農業では、いや地の心配もありません。したがって、ヨーロッパのような輪作ということが、あまり注目されなかったわけです。しかし、畑作地帯ではいや地をさけるためにローテーションということが非常に大切になります。ただ、もともとの生産力が高いことや、化学肥料の投与などにより休閑は必要ないのです。

       法学部の学生さんにコメントをいただきたいですが、戦後の民法では、借地権が所有権より強くなっています。農業においても小作権が強く保護されており、農地所有者は農地を貸すということに躊躇せざるを得ませんでした。それでは農地の流動化が進まないということで、当局は、小作権の発生しない利用権の設定ということにより、農地の流動化を図ろうとしてきました。

       農業でも小作権が成立している貸借地では、小作料の上限が決められており、また小作をやめてもらうときには離作料がとられ、所有者は所有権があるだけという状態になっています。あなたのお祖父さんの工場への農地の貸与と同じようなことが起こっています。

       今日、理系の科学者といえど、社会のことに無関心ではおれないと思います。自らの研究が社会にどのような意味を持つかを絶えず考えていかないと、研究自体はおもしろいものでも、社会に対してとんでもない結果をもたらすかもしれないからです。もちろん、理系の学生さんでも、大学で学んだものを生かして、社会の変革に立ち向かう仕事に就かれれば、大きな成果を生み出す可能性があると思います。


  47.  講義出席しました。

       メール、届いています。


  48. 環境形成基礎論第六回の出席メールを送ります.

    ヨーロッパでは畑作中心であったため近代化が可能で,共同から個別に移行できた.しかし,日本では稲作中心であるために,近代化が難しく「むら」の構造から抜け出し切れていない,ということでした.ここで,疑問に思ったのは,今稲作の機械化が進み,共同作業の必要性が薄まっていく中でさえも,共同から個人への移行が全く見られないのかと言うことです.ヨーロッパと時間の差こそあれ,漸く稲作もほぼ機械化されたのですから,少しくらい個別に向かう流れがあっても良さそうなものですが,そういった徴候はないのでしょうか?僕の個人的な実感からすると,最近ではあまり共同作業もなく,近所の付き合いも昔よりは疎になっているようです.ただ,農協のつながりはまだまだ健在と言う感じはしますが.

    あと,「むら」構造の根本的な要因が稲作にあるとすれば,日本以外で稲作中心の国はどうなのでしょうか.ベトナムやタイ,中国でもやはり日本と同じように「むら」構造があるのか,あるとすれば日本のものとどう違うのか,などとても興味があります.

      「共同から個人への移行が全く見られないのかと言うことです.」

       日本農村の「むら」は、日々、変化してきました。そして、今日、さらに大きな変化が起こっています。定住社会であることは変わらないと思いますが、等質でなくなってきていますし、水以外のところでの共同の必然性も薄れました。水でも近代的な灌漑排水施設が、補助事業で整備されてきたことによって、共同の意味合いは薄らいでいます。ただ、農業技術的に「むら」の呪縛が取り払われてから、ヨーロッパは200年経過しているのに、日本はまだ20年くらいしか経っていません。農村が、そして日本全体が「むら」から脱するにはまだまだ時間がかかると思います。農協のつながりも、その根底には「むら」のつながりがあります。農業・農村に農協のつながりではなく、新たなつながりが大きな意味を持つ日も遠からず来るでしょう。もしそうでなければ、日本農業は解体してしまうように思います。

       タイ、ベトナム、中国の稲作集落の社会学的性格については、残念ながら、私は詳しくありません。ただ近代化が封建制を経過して進んでいるかどうかということが大きな意味を持ってくると思います。社会学的な研究と歴史学的な研究をあわせて検討しなければならないことではないでしょうか。もし興味があられるようでしたら、調べてみて下さい。


  49. 11月12日の講義出席しました。

    田植え機が無理だといわれていたのにはびっくりです。ってことは最近(?)でも広い田で手作業だったんですね。

       35年前、私が講義で「田植機の開発普及は不可能だ」と教えられたにもかかわらず、今日では、そんなバカなことが京大の教壇で教えられていたのか、というリアクションがくるのですから感慨深いですね。時代の経過とはこのようなものですし、われわれは不可能と思われることにも果敢に挑戦していく必要がある、ということのよい実例ではないでしょうか。


  50. まずはお詫びから。前回のメールの最後に学部学年などなど、添え忘れていました。
    今回は忘れないよう気をつけたいと思います。

    さて、今日の講義では、二つばかり思うところがありました。まず第一が水に関する ことで、第二がやはり「むら」に関することです。 まず水について。まだ私の実家でも米を作っていたころの話ですが、私の祖父は、私 の家の田んぼの隣の田んぼの持ち主と随分不仲でした。というのも、この両人の田ん ぼは隣接しているくらいなので当然同じ水源(ため池)を利用していたのですが、祖 父が水を我が家の田んぼに引き入れるように手はずを整えておいたはずのものが、い つの間にか隣の田んぼの方へ水が引かれて、我が家の田んぼには水がやってこない、 というようなことがしばしばあったからだそうです。我が家の田んぼはほとんど祖父 一人が管理していたので、私は水を引くといっても、どのような操作をするのか、実 際に目にしたこともないのですが、水に関する争いの一例として、ふと、思い出した という具合です。

     さて、もう一つは「むら」についての話ですが、農政改革に反対する族議員や農 協、さらには道路を待望する土地の所有者などのことから少々考えました。集票のた めに政策に対する立場を決める族議員、自分の餌場を荒らされまいと声を上げる農 協、土地利用の皮算用にぬかりない農業関係者、どれを見ても、結局は自分の手近に ある利益にのみ固執して動いているということです。私は経済には詳しくありません が、これだけ個々の利益に敏感な集団というものがあって、この集団(人間)が仮に その利己心ともうひとつ「理性的人格」という二つの要素のみから構成されるとする ならば、そこには実に純粋な市場社会が成り立つのではないかと、ふと、畑違いの思 いつきに襲われたりもします。しかし、ここで農政を問題にするならば、そもそも政 治は(方法としての政治ではなく、実施される実効としての政治は)市場ではありま せん。というのは、仮に日本というスケールを想定した場合、市場はこの日本の中で いかに利益をあげうるかをということに基づいて行動する人々の集合であり、その行 動の目的は最終的には原子的な個々人の中に収まるのに対して、政治というものはこ の日本という国家をいかに操縦するかということを常に問題にするのであって、その 目的は、結果としては個々人の利益に還元されるとはいえ、政治が対象とするとする 個人は飽くまでも国家という共同体の構成要素としての個人であるからです。月並み で理念的な政治像かもしれませんが、今の私としてはこの理念に照らしてもろもろの ことを考えたいと思います。すると、集票のためだけに政策を左右したがる政治家の 姿は本末転倒そのものです。飽くまでも彼の目的は日本という国家共同体の中に収ま るべきものであり、選挙は彼にその役割を負わせた一方法でしかありません。彼はこ の国の政治の目的が達成された後のことには目を向けることなく、この国の政治の方 法の中のある場所に組み込まれるというそのこと自体が原子的個人としての彼にもた らす利益に目を奪われた盲人です。本来議会制民主主義では政治家は指導者の一翼で ありうる存在のはずですが、彼のやっていることは、その肩書きとは裏腹に、まった くの被支配者のそれと変わらず、むしろ、それ以外のことは何らしていないのです。 とすれば、仮にこのような集票機械的な政治家というものが政界というひとつの「む ら」の基調であるとするならば(そうでないと信じたいものです)、そのとき、この 国には指導者は誰一人として居ないということになる。極端に言えば、サルが教壇に 立つようなものではないでしょうか。これは、恐ろしいことです。ここから導かれる 結論は、結局、悲観的な意味での「むら」とは、ある集合なり機関なりを貫くシステ ムがその集合および機関の本来担うべき役割の遂行に関して不備なものである場合 に、このような集合・機関に付せられる名称のように思われます。であるので、過去 においての共同体としての村が仮に正常に機能していた場合には、そこには勿論「む ら」という名称は必要なかっただろうと思います。「むら」の理屈とは、結局、不合 理な理屈という意味に還元できるのではないか、そして、その端的な実例が現代にな お過去から引き継がれた、近世的むら社会の意識なのではないか、という気がしま す。「むら」には「むら」の理屈がある、ということはもう何度も聴いて来もし、ま た、この場で書いても来ましたが、その理屈の尻尾に微かに触れた気がしました。

     以上で終わります。少々直感的な思い付きを書きすぎた気もしていますが。それで は、また次回まで。

       メール、ありがとうございました。15番目に到着した出席メールでしたが、50番目に返信しています。あなたのメールには、私の思考の不意をつくようなメールが多く、少し考えなければならないからです。いわば野球でいえば直球ではなくフォークボールというところでしょうか。

       まず、水に関してですが、この前の返信メールでも書きましたように、あなたの実家の「むら」はかなり個別化の進んだ「むら」だと思います。ため池灌漑のところにこのような「むら」が多いのではないでしょうか。私が調査したことのある淡路島の集落もそうしたところでした。「むら」の共同も強いのですが、個別化指向も強く、その微妙なバランスの上に「むら」が成り立っているのです。

       河川灌漑の「むら」では、水争いは「むら」の間で行われるのが一般的ですが、ため池灌漑では、ため池の水利用をめぐって「むら」内で争いが起こるのですね。この例だけでなく、「むら」内では、建前は共同なのですが、潜在的な個人感情としては何とか自分の優越感を満たしたいという思いでいっぱいで、複雑な感情がどろどろと渦巻いている社会だと言えます(ストレートに表現できないからこそ内にこもってしまう)。

       さて後段についてですが、何か「むら」について、異次元空間に連れて行かれているような気がします。しかしそれでいて、真実を突いているようにも感じる不思議な世界です。

      「「むら」の理屈とは、結局、不合 理な理屈という意味に還元できるのではないか、そして、その端的な実例が現代にな お過去から引き継がれた、近世的むら社会の意識なのではないか、という気がしま す。」

       というのが結論でしょうが、それを否定すべき根拠を見いだせませんでした。後段の世界はあなたの独自なものでしょう。この独自性を大切にの伸ばしていっていただきたいとを思います。



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作成日:2004年11月17日
修正日:2004年11月17日
制作者:柏 久