第6回
出席メール
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- 久しく忘れていた、地理的な分野について学習した感があります。特にヨーロッパの農業形態については新鮮な気持ちで取り組むことができました。また、共働・共同であることが農業を通じて社会全体を支えるに足るだけの強力なシステムであったことも実感しました。
やはり問題となるのは、なぜそのシステムが崩壊するに至る必要があったのか、ということでしょう。ヨーロッパ史を通じてその点が解明されていく講義を期待しています。そして、その一方では日本での官僚主導の近代化ではなぜ村社会的構造が崩壊しなかったのか、その点も議論の対象であると思います。もちろん、日本国民内部からの自発的改革ではなかった点にも問題はあると思いますが、日本からも西洋的な個人主義を消化し、広く紹介した人もあったわけで、後追いの形でも、もっと個人の台頭が見られてもよかったように感じます。
- 11月12日の授業受講しました。
今回、週末が忙しかったため出席メールがこの時間になってしまったのですが、先生のホームページに入ることができません。アドレスをかえられたのでしょうか?
今回も出席メールのレベルが高くてびっくりです。サラリーマンと農家を比較して本当に豊かか?と問い直す人など、先生の言ったことを鵜呑みにせず自分なりの視点を探すところなどまさに京大生の姿ですよね。
今回の授業はヨーロッパの農業と日本の農業の歴史といったものだったように思います。
三圃制ってああいった仕組みだったのですね。高校では機械的に土地を三つに分けて~といった風に習っていたので新鮮でした。
日本の農業で印象深かったのは入会地の利用と結です。みんな平等に、協力してということなのでしょうが、この仕組みは日本人的感性がなければ成立しない気がします。入会地だって他人との掛け合いを考えない人がいれば破綻するし、結だって参加しなければ周りから白い目で見られるな、と感じてやっていたのではないかと思うのです。穿った見かたかもしれませんが・・・
今回少し短くなってしまいましたが、これで失礼します。
- 第6回目の講義に出席しました。
高校のころに多少聞いていたことでしたが、ヨーロッパと日
本とでは農業の近代化の流れが近代化できたかどうかがわかり
ました。麦が主食の欧米と米が主食である日本の違いが今も残
っているということにも原因があるということには、無力感も
感じてしまいます。
後、講義の最後のほうに話されていた、農業改革の話ですが
、私は政治家は一部の人が得をして、票を得ようとしているよ
うな動きで、とても憤りも感じました。
- 11月12日の第6回の講義に出席しました。
今回は農工間の所得格差を是正するために打ち出した政策に
大きな誤算があったという話がたいへん興味深かったです。
都市に農村が入り込み、工場を建て農家に兼業先を提供したこと、
にも関わらず地価の高騰で農民が土地を手放さなかったことなど、
「なるほどなぁ、こうやって兼業農家が8割を占める現在の状況が出来上がったんだ。」
と納得をすることばかりでした。
こういう話を聞くとやはり農業は農業だけで存在しているのではないことが改めて実感されます。
農業は、数ある産業の中のひとつであり、生きていく上で欠かすことのできない食糧生産の場であり、
生計を立てる手段の一つであり、さらには土地という簡単には移転できないものに縛られ、
自然条件に左右されるという、たくさんの要因を含んだ側面が見えてきた気がします。
前回の出席メールでどなたかが同じようなことを(おばあ様の話だったかな!?)
書いていらっしゃった気がするのですが、
宮崎駿さんの『天空の城 ラピュタ』の中で主人公が
なぜ空に浮かぶラピュタが滅んでしまったかということに対して
「人は地面(土!?)を離れては生きられないのよ!!」
といった感じのことを言っていました。
宮崎駿さんの映画はかなり意味深なものが多く(←最近気づいたのですが�)
以前見たときにはなんでもなかったはずの言葉が
もう一度見ると突然重たい言葉に聞こえてくることがけっこうあります。
宮崎さんの意図はどうあれ、このような感覚は何ともいえない不思議なものです。
だいぶ話がそれてしまったのですが今回はこれくらいにしておきます。
本当は人文地理学各論(村落)の話と絡めて書くつもりだったのですが
あと一回のムラ社会の話を聞いてからにしようと思いました。
次回の講義も楽しみにしています。
- どうもメールを送るのが遅れていけません…
今更ながら、授業、お疲れ様でした。
農家の定義の質問、返信ありがとうございました。
島国根性かもしれませんが、理由もなく、「農家にはつぶれてほしくない」
という想いがあります。企業が出てくればつぶれる農家もあるでしょうけれど、
大勢の人が失業している今の世の中ではそれも当然かもしれませんね。
なのになぜ意味もなく農家につぶれてほしくないと思うのか自分でも不思議です。
ヨーロッパでも日本のような集居村落、ばらばらな農地割りの制度があった
ということに驚きました。
三圃式農業はそれぞれ個人の農地でやっているものだと思っていましたが、
封建時代の(今もですが)日本とよく似たものだったんですね。
畑と水田の違いだけで今こんなに差があるというのも皮肉な気がします。
集居村落の性質はいいものが少ないように思えますが、
個人的には、散居村落ではまず実現できない結束力というか、
お互いがお互いを良く知っているからこその、暖かい雰囲気は好きです。
「結」も、日本農業の近代化を阻んだ水の束縛をよく表したものだと思いますが、
同時に、お互いが助け合うという点ではいいもののようにも思えます。
まあ、そんなことを言っていてはいつまでも日本農業は変わらないかもしれませんが。
新聞記事、意外でした。
農水省もやる時はやるもんだと嬉しく思いました。
だというのに折角のその機会を周りが必死でつぶそうとするからたまりません。
「票田を失う」こんな発想の政治家が大多数なのかと思うと腹が立ちます。
政、官、業、学の癒着(+アメリカの口出し)がかなり日本農業を歪ませてきた
(歪ませている)ように思います。どうも保守的な方が多いようで、
どこかから画期的な案が出ても、他のどこかの反発を受けてもみ消される、
というようなことが多い気がします。
僕も自己中心的なので偉そうなことは言えませんが、自分の利害だけでなく、
もうちょっと日本の農業のことも考えて欲しいものです。
- 「農業への企業進出」
農業分野からの社会貢献を考えたら、政治の道が一番影響力もあり、可能性がある様に思いますが、農村と悪い意味で癒着した力のある権力者などがたくさんいる政治の世界で、大胆な政策転換も期待するのが難しい様に感じます。企業は農業にいかなる立場から進出できるのでしょうか?
- 先週の授業に出席しました。先生の授業がいつも励みになります。
- 「家でも米を作ってます。最近新米をもらいおいしかったです。昔は規制や環境が厳しかったのによく農業方式をあみだしていけたなぁ~と感心します。」
- 11月12日の講義の感想メール
そういえば小学校で習いましたね、三圃式農業。少し懐かしかったです。日本でも西洋でも同じような形式の農業だったとは興味深いです。そして相互の情報がはるかに得やすくなった現代になって差が生まれた〈変わっていくモノと変われずにいるモノ〉というのもなんとも皮肉です。これらはやはり江戸時代の閉鎖社会の中で生まれ、今も日本人の中に残る潜在意識に根源があるのでしょう。『ムラ社会』を消すにはまず自分のココロのうちを見つめる必要があるかもしれません。
- 11月12日の講義に出席しました。
今回の講義で、二圃式農業と三圃式農業について取り上げられてましたが、その仕組みについてはよくわかりました。どのような形になっているのかを見たことがないので、いつか見てみたいです。三圃式農業は混合農業のもとになったのだと高校の地理で習った気がするのですが、はっきり覚えていません。うまく言えないですが、今回の講義の内容は全体的に見て、比較的難しい感じがしました。
- 米が、過剰生産となって、減反政策がとられているのに、海外からの米を輸入して(させられて)いることを見ても、日本の農業が、政治家によって決められていることはよくわかります。
- 今回の授業に参加しました。
今回は出席メールについての感想を書きます。毎回思うんですが、プリントに載っている感想はどれも凄いなと思います。自分では気付かなかった点を指摘していたり、授業内容を発展させている人もいたりしてとっつも参考になりました。僕は理解能力が低いんで授業中には理解できないことが多いんで、とても助かります。でもなるべく理解できるように努力して、いい出席メールを送りたいと思います。
- 11月12の講義に出席しました。
今回の講義では、むら社会について話されました。「むら」という共同体においては、平等であることがいかに重要かがわかりました。助け合わなければ生きていけない農村において当然のことでもあり、不可欠なことでもありますね。「結」や「もやい」のような共同作業、入会地の存在からもそれはわかります。講義を聴いていてふと思ったのですが、日本史や世界史では頻繁に農業について触れられてきました。農業がそれだけ人間の歴史に関与してきたと同時に、人間の生活の営みに大きな割合を占めていることがうかがえます。まあそれは、今までの講義で何度も強調されてきたので今更といった感じではありますが。
ところで、出席メール抜粋のなかに法律について言及したメールがたまにみられます。すばらしい内容ですね。同じ法学部生として尊敬します。私もあれくらいの内容の文章が書けるようになりたいと思いつつ。。
- 11/12(金)出席しました。
ヨーロッパが農業の近代化の課程で『むら』から『個別』の農業へ変化したのに対して、日本が『むら』のしばりにとらわれたままになっている要因が、日本では、水の管理が共通のものとして存在するため、ということに驚きました。確かに昔氷河に覆われていたために畑作をメインにせざるをえなかったヨーロッパと比べて、日本の農業は水田作が中心なので、水の存在は欠かせません。このことから自然環境によって人間の社会制度が決まっていくということにも、改めて感心しました。
- 第6回目の授業では、三圃式農業の話と、授業の最後で日経の新聞記事にあった補助金政策についてなかなかそれが進まない原因となっている官僚主導型農業構造に対して先生が批判しておられたところが興味深かったです。
三圃式農法は、高3生だった一年前に世界史の勉強で資料集を何度となく見ていたところで懐かしかったです。ヨーロッパでは、三圃式農法や有輪犂を用いた牛耕農業で飛躍的に農業生産が伸びた結果、貨幣経済を促進させて最後には農奴が解放され、中世ヨーロッパの土台をなしていた荘園制の崩壊につながっていき、以降近代化の道を進むんだったとか思い出してしまいました。
量的平等と質的平等の話も非常に分かりやすかったです。法学でも実質的な平等をはかるためにアメリカでは差別修正措置(affirmative action)という考え方がありますし・・・。日本においては水田のためいっそうむら社会での共同意識が強化されていったようです。第7回目でむら社会については最後の講義なんですね。NF前日で準備に追いまくられているかもしれませんがなるべく出席したいです。
-
11月12日の授業出席しました。
日本において村の縛りが強かったことは、現代においても組織に対する帰属意識の強さという形で残っていると思う。
- ヨーロッパと日本は気候がぜんぜん違うのでヨーロッパでは牛を有機的に利用し日本では水田を主として雨水に依存してきたことが理解できます。日本ではなかなか「むら」社会から抜け出せなかったのは牛と違って人間では絶対に支配することのできない天気に頼っていることが多かったからかな、と思いました。
僕は今の日本の農業は官僚主体で大嫌いです。昔おじいちゃんから聞いたような「むら」社会で有機的な農業のほうが好きです。今の競争社会ではそんなのんきなことと馬鹿にされそうですが、少しはみんな自然環境に目を向けるべきです。
- 授業で使われた新聞記事、最初読んだときはどちらの言い分が正しいのか分からなかった、というよりもどちらの言い分も理解できると思ったんですが、先生の説明を聞いて事情がよくわかりました。農協は「株式会社は経営が悪化すれば農地を農業以外の目的に転用する」と主張していますが、先生のおっしゃるように転用に対する規制を厳しくすればいいだけの話です。その裏には改革が進めば農協が流通過程手数料を失うということがわかりました。短期の利益を求めて長期的な視野を欠けば、結局不利益を被るということがここでもあてはまるのかと思いました。農協も日本の農業が駄目になれば、そのツケは自分にまわってくるというのに。
- 第6回出席メ―ルを送ります。
日本で(日本に限ったことではないかもしれませんが・・・)農業が負のイメ-ジをもたれているのは残念なことだと思いますが、実際私自身も大学の学部を選択する際に、初めは農業と環境が密接に関係していることを知りませんでしたし、農業で勉強することがあるのかという単純極まりない考えを持っていました。私の多くの友達も私が農学部に所属していると言うと顔を歪める人が少なくありません。昔からそのような先入観が引き継がれてるとはいえ、やはりまず政府が意識改革・農政改革し国民の意識も変えていくことが必要なのでは・・・と思いました。いつになったら日本の農政改革は進展するのでしょうか。
農協についてなんですが、イマイチ農協がどのような組織なのか私はまだ理解できていません。ただ、農家を訪れたときに必ずといっていいほど「農協」と言う言葉が発せられるので、かなりの影響力を保持しているのだろうという感覚はあります。またなぜ全ての農家が農協を通さなければならない状況にあるのかも疑問です。
今日の講義で久美浜の話がでてきましたが、私の祖父母の兄弟が久美浜で農業を営んでいます。私は小学生のころに一回行ったきりであまり覚えていませんが、母曰く、村の人の団結力はおそろしい、と。それが『ムラ』思想であることは間違いありませんので、農業を学ぶ身として機会があれば手伝いに行き実際の肌で感じてみたいとおもいました。
- 11月12日の授業に出席しました。
今回の講義は正直言ってあまり好きな分野ではなかったので頭にすんなりは入ってこなかった部分が多かったけど、それなりに得るものはありました。
来週はNF前夜祭ですけど、がんばって授業出る・・・つもりです。
- 高校で地理を選択していたので、三圃式農業という言葉は聞いたことがありましたが、この農業が家畜の放牧とこんなにもつながりが強いとは知りませんでした。そして、むらの共同と平等という構造もちょっと難しかったけど(笑)分かったつもりです。ヨーロッパと日本のむらの違いも興味深かったです。たしかに一人でも勝手な作付をしたりしたら、むら全体に迷惑がかかるというか、むら全体が農業ができなくなってしまいますもんね。
日本経済新聞の抜粋も読みましたが、やはり難しい�(笑)なんとなく話の筋はつかめましたが。「農政改革後退の懸念」って見出しからして、この改革の実現は難しいんでしょうかね?? 企業が農業をするっていう話が面白そうですけど。そしてとくに気になった部分が、「農林関係議員は『票田を失う』と警戒を強めている。」というところです。これって、改革がすすむことによって補助金をもらえなくなった農家が、選挙のときに自分に投票してくれなくなりそうで警戒を強めているってことですよね?やっぱり日本の農業の未来を真剣に考えている議員って少ないのかなぁって思っちゃいました。
- 三圃制という言葉は、世界史で登場した覚えがあります。中世から近代にかけて(確かではありませんが…)ヨーロッパで農業が発達するにつれて行われるようになった方法であると習ったように思います。なので、あまり日本で行われているというイメージを今までは持っていませんでした。放牧なども日本のような小さい国ではなく、アメリカなどの広大な土地で行われるものだと思いがちです。また新しい農業の見方ができた気がします。
- ヨーロッパの農業との比較から日本の農業を論ずるのは
ひとつの方法であるとは思いますが、今回ははっきり言うと
あまり面白くありませんでした。次回に期待します。
農業生産を増大させるために肥料や機械を導入するのは
土地本来の地力を無理やり高めていて、なんとなく
不自然な気がするのは気のせいでしょうか?
今回はたいして言いたいことはないので短めにします。
- 第6回目(11月12日)の授業出席しました。
前回の授業には出られなかったのですが、ホームページと公開された出席メールで大体の流れをつかむことができるので、このシステムはとてもありがたいです。
稲作と畑作の違いが近代化の過程で西洋と日本の考え方、「むら」構造の違いになっているという話はとても興味深かったです。
かなり話がそれますが、今グローバル化が進んでいるというのを「地球全体にむら構造がひろがっていく」と勘違いしている人は結構いるのではないでしょうか。
(よく見かける文脈で判断する限り勘違いとは言えないかもしれません)
日本の外交などを見ると、付和雷同とか村八分とかいった考えはなくなるどころかむしろ大きくなっているように感じます。
それも地球全体のことを考えるのではなく長いものには巻かれろという感じにです。
自分はムラ構造というものがよく機能する範囲は、本当にごく狭い範囲だけだ考えてます。その閉鎖系の中でうまく循環ができなければ、どこかで破綻するはずです。
事実、日本の農業はとてもいびつな構成をしているし、海外においては日本に輸出する作物を作るため地元の環境を破壊しているということがおこってます。
モノが入ってくる範囲は拡大しても、生活範囲はそれほどは大きくなってません。
そういうところにムラ構造の限界があるような気がします。
さて、次回は「むら」社会に迫る授業のようで今から楽しみです。
駄文失礼いたしました。
- 環境形成基礎論11月12日第6回、出席しました。
ヨーロッパの農業が日本よりも発達が早かったのは、やはりいちはやく個別経営が確立されたためであると思われます。共同生産する必然性がなくなったことで、機械化、競走性が著しく伸びたことが大きいと思いました。
- 11/12の授業に出席しました。
-
遅くなってすいません。6回の出席メールです。
今回の授業で強く感じたのは、農民を統治する側も平等であることに気を配り、また統治される側も村みんなの協力とかたい繋がりがなければ生きていけない封建制度・土地制度の厳しさです。
しかし、その制度は人民にとってとても辛いものだったかもしれないけれど、農村に関わらず地域の繋がりが薄れてしまっている今の社会の状況を考えると(私は日本のことしかわかりませんが…)、その制度からも学ぶことが沢山あるような気がします。
- 11月12日の出席メールです。メール遅くなってすいません。
今回の授業は、三圃式農業とはどんなものであるかやヨーロッパでの農業の仕組みなどについて説明されていました。歴史や文化の違いがやはり農業に対する取り組みや考え方や方法などに影響を及ぼすみたいですね。と今回はあんまり感想はないのですが、最後にお話になった企業による農業への介入に反対する農業関係者の考えは少し腹がたちました。
- 11月12日の授業に出席しました!
授業の前半に三圃式農業について話をしてくださいましたが、三圃式農業は高校地理の教科書や資料集にも出てきていたので、去年の今頃センター試験を受けるために必死になって地理などの勉強をしていたのを思い出しました。しかし、高校では「ヨーロッパでは二圃式農業から三圃式農業に移り変わった」ということや、「三圃式農業は冬穀物・夏穀物・休閑の3つに分かれている」といった本当に基本的なことしか扱いませんでした。その時に三圃式農業に関連づけて‘むら’のことなどを教えてもらっていたらどれだけ興味深く勉強できただろうなと今思います。自分で調べようとしなかったのがいけないという事実もありますが‥‥‥。
授業内容にあまり関係のないことをずらずらと書いてしまいましたが、今回も講義をありがとうございました。
- 最後の方にでてきた、農業に企業が参入していく話にすごく興味があります。以前からなぜ農業には企業の原理が持ち込まれないのかと思っていました。どのような形でそれが行われるのか具体的にはまだ解らないですが、競争原理を持ち込むのは基本的に良い事だと思います。最近は、安かろう、悪かろうというのは日本では通用しなくなってきているので品質、安全性の低下などは、過渡期にきっちり監視さえすれば起きないと思います。地価の下がっている過疎の土地も企業という立場から見ればおいしく見える事もあるかもしれません。そしてまず企業に期待できるのは流通のコストダウン、合理化じゃないかな?と思います。従来の農協もある程度今の多すぎる数を合理化して民間化していけばいいと思うのですが…しかし既得権益のために手放さないんでしょうね。農家の人達は歴史的にも、組織的にも、官僚に頭があがらないようにされてしまい、なかなか農家の人自身がこの大きな変化を自ら作るのも難しくなっていると思いますが、日本の体質を大きく改善しうる方法なのかも…と思っています。少し大げさかもしれないですが。
- 十一月十二日の授業に出席した農学部一回の○○○○です。
今回の授業では日本と西洋の農業の根本についての講義でした。日本の農業が衰退している理由に日本は稲作を中心とした農業をしているため、「むら」の縛りが現在もとけきっていない、そういや確かに企業が農業をしているという話は聞いたことがなかったです。ユニクロの野菜売出しも失敗しました。企業が農業に進出すれば外国との競争力があがるというのは間違いないと思います。でもそれによって日本の個人の農家は苦しくなる。ん~どうすべきなんでしょう。はっきりこっちがいいって決めれません。
- 6回目の授業の出席メールを送ります。
今回の授業でヨーロッパと日本の封建時代からの農業の違いを認識出来ました。やはりムラの基本原理は根強いと思いました。次回も熱意有る授業を楽しみにしています。
- 6回目授業に出席しました。
いつも思うことですけど、先生の授業をきいているとこっちもやる気がでてきます。
というのも、今回の新聞の切り抜きにしてもいつもの写真にしても、
他の先生と比べてもかなり講義に時間と手間をかけているのがわかるからです。
そういうわけで自分もがんばろうと思えてきます。
これからもお互いがんばりましょう。
さて、今回の授業は「むら」についてでした。
今までは「むら」というのは犯罪抑止につながったりするのでいいものだと思っていましたが
「むら」のせいで農業がしにくくなっていたりしているので難しいものなんだな
と思いました。
やはり世の中には一方的に悪いものなどはそうそうなくて、
この面は悪い影響を与えるけど、この面はよい影響を与えているといったようなものが
多くあるので
廃止するにしても継続するにしても
それ相応の覚悟が必要なんだと思います。
- 12日の授業、出席しました。
これは今回に限ってのかんそうではありませんが、最近先生の授業を聞いていて思ったのは「むら」ということは非常におくが深いということ。決して農業だけでなく法学や経済学にもその概念はあり、そういう意味で「むら」を研究対象にするのも面白いのではないかと思ったりします。私は森里海連環学という授業を受けていますが、その発想と同じように「むら」自体も研究対象になるような気さえします。
前回の授業ではいつものように写真がないのは残念でした。百聞は一見にしかず、と申しますように写真で実例を見ますと非常に理解が深まり(少なくとも深まった気分になり)ます。これからも先生のお時間、体調が許します限りいろいろなものを写真で見せてもらえればと思います。経済学部に属する身としてはそのようなものに触れる機会があまりないので … 。
- ミニレポートと言っていい分量と内容を持った、諸学友たちの素晴らしい出席メールを
横目で見ながら、「出席しましたよ」と告げるだけの、文字通りの出席メールを送ります。
PowerBookを使用されている柏先生に、マイノリティであるMacユーザーの一人として、
シンパシーを感じています。世間も京大もWindows全盛ですが、がんばっていきましょう。
- 欧米では土地は有り余るほどあり気候も安定していたため休閑地を設けたり共有地をこしらえたりできたのかもしれないけれども、土地の狭く気候の差の激しい日本では稲作、畑作を急いでやらねばいけなかったため共同作業を行う必要がありそのために他国に比べ民族意識というか村意識が生まれたという話は面白かったです。
- 三圃式農業や有輪ゲルマン犁は入試で世界史を使ったので知っていました、懐かしい単語でした。あと、農業の発達と産業革命はやはり重要な結びつきがあるのですね。どうしてだか、農業と工業は相対するものというイメージを持っていたので・・・。日本では「むら」の縛りから逃れらない、とありましたがそれは農業だけじゃなく、学閥などにも顕著ですよね、・・・いつかは変わるのでしょうか。
- 先週までいまいちピンとこなかった「ムラ」ですが、封建社会において年貢を納めるなどムラ単位で協力しなければならないことが多かったということ、助け合わなければ生きられない現実があったことを考えるとその社会についてだんだんわかってきました。そんな社会では当然抜け駆けは許されないでしょうし、その共同体で生活をおくる上では暗黙のルールに従わなければならないのでしょう。
都市に住んでいたこともあって、今まで「ムラ」とはまったく縁遠い生活をしていたと思っていましたが、日本人が共通に持っている「目立つことは抑え、控えめに生きる日本人の精神」というのも、共同生活をおくる「ムラ」の精神からきているのだとわかりました。
まだまだ「ムラ」についてはわからないことが多いです。しかし、日本社会の考え方、知らぬ間に自分の考え方のベースとなっているであろう「ムラ」について知ることは自分を理解するうえでも大事なことだと思いました。「ムラ」についてもっと考えたいと思います。次回の講義に期待です。
- 今回は具体的な話や、ヨーロッパと日本の農業を対比的にとらえた話が主だったので、非常に分かりやすかったです。私は世界史を取っていなかったので、三圃式農業などといったものは名前ぐらいしか聞いたことはありませんでしたが、今回の講義でだいぶヨーロッパの農業についての知識が深まりました。
このようにヨーロッパと日本の農業を比べると、畑作と水田の違い、家畜を用いるか否かの違い、共同体への執着度の違い、そういった様々な要素が、農業の特色や農家の特色に大きな影響を与えているのが分かり驚きました。ヨーロッパが、農業形態を変化させることで、飛躍的に生産力を上昇させているのに対し日本は「むら」という共同・平等の概念に縛られ、生産力等の上昇は遅れた………こういった事実がある中で、やはり日本の農業も変わる必要があるのかもしれないと思いました。
全然農業のことについての知識がなかった私が言うのはおこがましいことかもしれませんが、変わるためにはやはり今の農業のシステム(官僚主体型の構造)を何とかする必要があると言えるのではないでしょうか。次回の講義もこういった話が聞けるとうれしく思います。
- 6回目の講義は先生のご都合で画像(写真)が無くて少し残念でした。私的に風景画
とかが好きだから・・・。
農業間だけでなく、それよりも工業との間に所得格差があるとかの話でした。でも、
農業やっている人は大半が収支に関係なく、農業が好きだからとか年をいってからで
もやれるという理由などからやっているんでしょうか?
文明の興亡は農業と密接に関係しているとの話を、別の講義でも聞きました。やは
り、食や環境と関わってくる農業は工業よりももっと深い所でその国家を支えている
のだと講義を聞きながら思いました。
日本で大規模に三圃式農業が行われていないのは(二毛作や二期作などは聞きます
が)、日本で栽培している農作物のせいなのか、それとも、土地上、そんな事をやる
必要性が無いのか、単に休耕するぐらいならその場所で別の作物を作った方が(そん
な事無いですよね・・。休耕しているところは多々ありますし・・)と考えているの
か何なんでしょう?
- 出席しました。
封建制時代において、ヨーロッパでは家畜が、日本では水が、農業の中心であり、耕作を続けなければならない理由となっていた、という話が興味深かったです。さらにそこから続く次回の話が楽しみです。
- ヨーロッパと日本は、田と畑という少しの違いはあれど、似たような共同体を形成していたが、その少しの違いが近代化の過程で両者を全く別の道へと歩ませた、ということに今回は大変興味を抱きました 水をめぐる日本の共同作業が、その「むら」構造を強固にしていった ヨーロッパでは三圃式農業という地力回復を考えた農法の流れを継いだ輪栽式農業による農業革命とそれによる個別経営農家の成立により「むら」構造が崩されていった 田に必要な水がこんな作用をも及ぼしていたこと、今日のヨーロッパの人々が自己主張の強いこと、つまり「むら」という共同体からの脱却の早さに驚きました
- 出席しました。
農業改革のためにはまず農協の存在意義と役割をまず再確認すべきではないかと思いました。
- 11/12の環境形成基礎論出席メールを送ります。
今回の講義では、ヨーロッパでも近代化以前では「むら」社会が存在しており、共同と平等の原理が支配していたことがわかりました。
しかし近代化以降、ヨーロッパではそのような「むら」の原理が崩れたのは、農具の機械化により共同作業が必要なくなったこと、また牛による結びつきが、個人所有を明確に区別できるものであった事が挙げられると思います。
逆に日本では水による結びつきであったために、結果として共有という概念から逃れられなかったのだと納得することができました。
似たような「村」社会から出発しているのに、現在では国民の気質のようなものが大きく異なっていると言われるのは、このような歴史的社会的な環境要因が人間形成に大きく関わっているという事なのだろう、と感じました。
また、最後に紹介された新聞記事について、官僚といい、族議員、業界といい、自らの既得損益ばかりを考える人々は本当にどうにかならないものなのでしょうか。
やはりお互い依存関係にある構造を変化させなくてはどうにもならないと思いますが、そのためにはなんとかして日本の農業や食糧に関する状況をよくしようという、農業に関わる人すべての意識を高めなくてはならないと思いました。
- 前回の授業に出席しました。
今回は専門でテストがあって遅くなりましたし質問とかも考えてないです。すいません。次回はいろいろと考えてもっと早くに質問つきで送りたいと思います。
- 日本とヨーロッパの農地が同じように均等分配を目指していたとは思っていませんでしたので、少し驚きでした。外国というとアメリカがまず出てきて、それがヨーロッパのイメージになってしまうからでしょうか…
よく考えてみれば、そもそもアメリカの歴史はまだまだ新しく、入植時に好きな土地を自分のものとした、他国とは全く違う成り立ちを経ているのだから、似ても似つかないものですね。
封建時代のお話を聞いて思ったのですが、村が一団となって領主に納税する形式が、個々を区別しないという点でなにやら社会主義な感じがしました。もちろんあまり収穫できなかったところとできたところでは差異が生じてくるので、異なるものなのは一目瞭然ですが…納税は個々の収穫量に対して平等になされていたのか、はたまた村全体の収穫を皆で分け合っていたのかで少し変わるかとも思います。実際はどうだったのでしょうか?
- おはようございます。なぜかいつもこの時間になっていしまいます。もうすぐ次の講義が始まってしまうので、今日は出席したということだけ伝えさせていただきます。
今週の授業は11月祭前日なので、受講人数が少ないかもしれませんね。もしかしたら僕も出られないかもしれません。でも出たいのでがんばって仕事を早めに済まそうと思います。
また寒くなってきたので、風邪など引かないように気をつけてください。では。
- 農業は官僚のいいなりになっているというのは少しわかったと思う。これを打開するにはなんていうか農業にもっと権力みたいな力を持たしていけばどうなのだろうか?対抗する力を持てば少しは状況が打開できるのではないかと思った。
- 11月12日の授業、出席しました。
中世には、欧州でも三圃式農業という、我が国と似たような形態での農業が営まれていたことをすっかり忘れていました。(高校の世界史の授業で習ったはずなのに・・・・・・)
同様の農業を行っていたのに、近代的農業に移行できたかそうでなかったかの違いが生じたのは、
先生の仰るとおり、家畜の利用の有無や、畑作と水田作の違い、更にはそういった農業の違いの元になった気候風土の違いが、個人主義、合理主義を良しとする民族性を西欧には育て、日本では共有・強調と平等を美徳として村の呪縛をより強く、長くしたのでしょう。
また、米と小麦では、単位面積あたりの収量としては米のほうが優れており、同じような条件で小麦で米と同じだけの収穫を得ることは難しい、という話を聞いたことがあるのですが、これも農業形態の違いになんらかの関係があるのでしょうか?
- 中世のヨーロッパで三圃制が始まったというのは世界史で習いましたが具体的的にはああいうことだったんですね。休閑地を作るのは永続的に農業をするためとはいえ毎年稲作をすることのできた日本より不利だったでしょう。日本の稲作だと水が養分を運んで来るというメリットがあったと思います。その後ヨーロッパの休閑地にクローバーを植えるというのは一石二鳥のすごいアイデアでそれまでの不利を跳ね返すものだったでしょう。不利なほうが工夫しようとする分、発展性があるというのはよくあることだと思います。
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第7回目表紙
作成日:2004年11月17日
修正日:2004年11月17日
制作者:柏 久