第2回
出席メール

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  1.  科目登録してから出席メールを送るものと思ってて前回メールを送っていませんでした。すみません。これからは毎週送ります。

     農業の問題点と環境について学ぶことを専門のほうでも勉強してて興味があるので授業がとてもおもしろいです。今日の授業では日本の抱えてる農業の問題の大きさを改めて感じました。確かに若者の食生活がかわってきてるのでそれにあわせた農業が必要と思います。日本の社会自体もっと特に若い世代がこれから必要なことを考えていかないことを痛感しました。食料自給率がなぜ低下していったのか気になるので次回の講義を楽しみにしてます。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

       農水省の技術官僚の多くがあなたと同じ農業工学系の学科の卒業生です。日本農業の将来を考えるとき、農業工学のあり方を問い直してみる必要があると思います。またはこの学問は発展途上国に大きな貢献ができると思います。頑張って学問して下さい。

           柏 久

    (以下、定型の返信省略)

  2.  日本の食料自給率について僕は今まで低いんやったらもっと作ったらええやん、と漠然と、しかし当然のように考えていました。しかし今日講義にあげられたように習慣の変化によりただ生産量を増やせばそれでいいのかという疑問が生まれました。結局今日の講義を受けてどうしたらいいのかというようなものはわからなかったのですが、食料自給率の曖昧さ(そもそもその基準が何かすら考えたことはなかったのですが)など常識を疑ってかかっていくことの大切さを教えられたと思います。しかしその曖昧さも米輸入の防止策として考えられたものであり個人的にはよく考えたものだと思いますし、自給率の基準を熱量で表すというのもかえって良い指標になっているとも思いました。

       社会で通用している言葉は、厳密に考えると、必ずしもはっきりしたものではありません。その言葉がどのような意味内容を持ち、さらにその使っている人の意図がどのようなものかをしっかりと把握することが、学問をしていく上で重要となってきます。まずは食料自給率という言葉でそれを提起しましたが、これからもこのような問題提起をしていきます。

  3.  先生の政府に対する批判など、今回の授業も楽しく聴かせてい ただきました。
    自分はどうも新聞記事やニュースなど、その裏に隠れているも のなどを考えず、内容をそのまま受け入れてしまうのですが、 もう少し疑い深くというか、そういう風に新聞記事など読まな くては、と感じました。
    記事を読んで「あぁなるほど」と思うだけでなく、その記事に 対して疑問を持ったり批判してみたりという姿勢を持つべきだ と思いました。
    とにかく農業に関してだけでなくいろんなことに対する根本的 なものの考え方を改めて見つめなおさなくてはと感じさせられ ました。

     次回の講義も楽しみにしています。

       一般に人は、活字になっていると信用してしまうことが多いものです。しかも、それを書いた人の肩書きによって正しいかどうかを判断してしまいがちです。しかし、肩書きというものは、本当に信用できるものでしょうか。もしそうだとするならアメリカ大統領や、日本の首相がいうことはすべて正しいことになります。そんなことはあり得ない、ということはすぐに理解できるでしょう。われわれは何が正しいかを見抜く力を養わなければなりません。この力を磨くために大学時代、大いに勉強して下さい。


  4.  二回目の講義聞かせてもらいました。日本の未来の食料危機、農水省の方針に関する批判はおもしろかったです。正直、日本の食料自給率が40%とは知りませんでした。あまり農業に詳しくない僕でもこの事が大変な危機であることは把握できます。その対策としては農水省が変わらなければならないと思いますが、その農水省の当の本人に京大出身者、つまり先輩がいるということを考えると、人間不信になりそうですが僕はがんばって生きていきます。

       実は私の大学時代の同級生が、現在、農水省のナンバー2です。国家公務員試験の経済職上位で入省し、事務官となりました。神戸という都会の出身で、農学部の優秀な学生ではありましたが、学生時代、農業・農村にとりたてて興味を抱いているようには思えませんでした。諫早湾干拓問題が騒がしかったときの構造改善局長で、テレビのニュースで顔を見ることができました。私のゼミ生で農水省の役人になった人たちを見ても、農業・農村に「愛」を持って入省しているようには思えません。入省後、彼らが農業・農村でなく、農水省に愛を持つようになり立身出世していくことを、私はよしとできません。


  5.  今まで日本の食糧自給率について、低い!やばい!というぐらいにしか思っていませんでしたが、本当に低いのか、何で低いのかなど正しい知識を得た上でよく考えなくてはいけないと思いました。

       物事深く考え、正しい判断ができるよう、大学時代に大いに勉強して下さい。


  6.  10月8日の授業出席しました。
     私は今週に入ってからこの授業をとることに決めたので、今日初めて出席したのですが、柏先生のお話すごく興味をもちました。官僚主導型の今の農業保護を批判する理由が今日一回の授業を聞いただけで少しですが理解できました。

     私は、農水省が、金額ベースの食料自給率で日本の食料自給率を70%と語っていて、本当に危なくなったときに40%と切り替えたという話に興味をもちました。彼らには実際危機感や倫理感はなかったのでしょうか。なかったとは思えません、葛藤した結果がそれだったのでしょうか・・・

    政治がこんな形でゆがんだものになっている例はたくさんあります。
    「悪いことは悪いという」
    「悪いこと・困ったことを決して誤魔化さずに立ち向かっていく」
    そんな政治家が日本には必要です。政治家だけではなく皆そうなっていってほしいです!

       曖昧さは日本人の特徴といえるかもしれませんが、世界がグローバル化した今日、それでは国際人として生きていくことはできません。イエス、ノーをはっきりと言えることが、国際人としての第一歩だといえると思いますが、自らの感情だけでイエス、ノーをいうのでは、単なるわがままになってしまいます。深く広い学識の上に論理立った思考を行い、その結果としてイエス、ノーをいうことができるようになるため、頑張って勉強して下さい。


  7.  出席しました。

     農水省の米への異常な固執によって農業がおかしな方向にむかっている事と、食料自給率が計算の仕方によって大きく変わり、またそれが汚い政策になっている事に驚きました。

     授業の仕方について、資料は全て講義中に手元にあった方が、メモなどがしやすくてよいので、授業までにアップしてほしいです。
    章の見出しのつながりもスクリーンを見ているだけだと分かりにくいので。

     あと、先週メールを出し損ねたので一回目の感想を言いますと、先生の「教師」としての姿勢をとても素晴らしく思いいました。頑張って下さい。私も頑張ります

       講義ノート、html文書で作ることを思いついたのは、講義開始の1週間ほど前でした。返信メールを書き、ノート作りをするとなると、講義開始直前にようやくノートが完成ということになり、講義前のWeb掲載は物理的に不可能です。また講義ノートを講義前に掲載すると、それを見て出席メールを送ってくる学生が出てくる可能性があります。したがって、講義前のWeb掲載には応じられませんが、何か理解しやすいように工夫してみます。


  8.  第二回目の講義を聴いて早速出席メールを書いています。

     今日は農業とはまったく関係ありませんが、官僚体制について書きたいと思います。

     僕はもともと官僚になんかまったく興味もなく、そのために京大にきたんですが、最近考えが変わってきて、官僚にいろんな意味で興味を持ち始めています。それはなにも官僚になって、豊かな生活をおくりたいとかではなく、むしろ官僚になんかなりたくはないんです。高校生の時は、数学者になりたいと思っていましたが、最近父に 数学科なんか不安定なところにいくな、といわれ、少し自分の将来について考え、何か安全な職に就いて、数学は趣味ででもやるか、と考え、その安全な職を考えていく上で官僚になることを視野に入れました。

     そのとき官僚になるための国家一種試験の本などを見ていくうち、疑問を持つようになってきました。それは、理学部などの理系は研究者か技官にしかなれなくて、国の政策を考えていくのは法学部などの文型だけだったことです。僕はそのとき、専門でもないやつらに、たとえば農水省では農学部でもないやつらに、専門的なことが本当にわかるのかと、このままで本当に日本は大丈夫なのだろうかと非常に心配になりました。そこで僕は、理学部だけど、法学や経済の試験を受けて、日本の理学の将来を専門家としての立場から考えていきたいと思いました。

     昔数学者の秋山仁が、大学選択のときには自分がもっとも行きたくない大学を選べ、と言っていましたが、僕にはその意味が最近になってやっとわかってきました。不合理な官僚になんかなりたくないけど、そういって何もやらなかったら何も変わっていかない。先生の講義を聴くととてもモチベーションがあがります。

       出席メール、興味深く読ませたいただきました。

       数学は科学の基本中の基本で、きわめて重要なものですが、これで食べていくのが容易でないことも確かです。基礎科学が尊重される科学行政を目指して官僚になる、初心を忘れない限り非常によいのではないでしょうか。頑張って勉強して下さい。

       官僚制ですが、非常に有効に機能する時代もあります。日本が明治維新後に急送に近代化を成し遂げたのも、戦後驚異的な経済復興を成し遂げたのも、私が批判してやまない官僚主導型の構造(東大出身者を頂点としたピラミッド構造でもある)のおかげだったといえるかもしれません。国全体の目標実現のために、国民が「個」を犠牲にして一丸となって目標実現を目指せるのがこの構造です。

       官僚主導型構造というのは、発展途上の段階では非常に有効に機能するものなのです。しかし時代は変化します。今や日本は発展途上ではなく、成熟した経済段階にあるといえます。このような時代においては、個を抑圧して目標に向かうのではなく、個の開花こそ人間に幸せをもたらすのです。私が官僚主導型の構造を批判する理由の一つがここにあります。


  9.  第1回目の講義はあいにく出席できなかったのですが、
    今回から講義を受けさせていただきます。よろしくお願いいたします。

     さて本題ですが、私には、今の日本の、若者の離農が進んでいるのは、やはり教育が問題であると思っています。

     私の個人的な経験から言いましても、今の若い人が農業に接する機会はとても少ない。私は昔、住居の周りに多く田畑があったのですがそれでも農業に接したという記憶はほとんどありません。

     だから、日本の農業を廃れさせたくないのであれば、小さい子供に対しての教育がとても大事ではないかと思います。そうでないと、ますます離農が進んでしまうのではないかと思います。

    先生はいかがお考えでしょうか。

       農業の限らず、幼少期に身近に接してそれに愛を感じるということが非常に重要だ、ということは間違いありません。テレビゲームでしか遊ばなかった若者が「自然」に愛を感じるのは、おそらく難しいと思います。その意味で、教育によって、農業に親しませることが重要、というあなたの主張に賛成です。

       ただ、最近では環境問題に取り組む市民運動などにおいて、小学生などにを農業に親しませる活動も盛んになっていますし、学校でも環境教育の一環として、農業を体験するカリキュラムを採用するところも出てきています。このような動きがさらに大きくなれば、農家の子弟ではなく都市住民から農業に従事する人(Iターンと呼ばれている)がますます増えてくるかもしれません。


  10.  今日も熱意に満ちたすばらしい講義でした。柏先生の講義は毎回、農業に関する知識だけでなく自分に刺激を与えてくれます。僕にとっては地球環境大学院では学生をインターンにいかせていて、実務を経験した人はすごく変わる、とおっしゃっていたことなどが特に刺激になりました。僕はオーストラリアやカナダ、ニュージーランドなどにワーキングホリデーで行ってみたいと思っています。日本とは文化も言語も違う国で1年くらい生活し、また、実際に働いてみることはすごくためになりそうだしおもしろそうだと思うからです。先生はワーキングホリデーで海外に行くことについてどうお考えですか?学生のうちに行こうとしたらいつの時期に行くのが良いのでしょうか? 農業と関係のない質問ですいません。

       私は院生の時代からドイツへの留学を強く希望していて、そのためにドイツ語の勉強に励み、今の上司である小川教授と友人になりました。しかしその後、助手に採用されたこともあって、留学の機会を失してしまいました。1991年に遅ればせながら、そして3ヶ月という短い間でしたが、ドイツ留学をしました。その3ヶ月は今の私を作っていると言っても過言ではありません。そのときの経験から言わせてもらえれば、若者の海外生活(旅行ではない)の経験は非常に重要で、その時期も若ければ若いほどよい、と思っています。あなたも頑張ってチャレンジして下さい。


  11.  十月八日の授業に出席しました。
     食糧自給率というものが曖昧なものであり、その曖昧さを利用して政策に利用しようという農水省にこれからの日本の農業を任せられないと思いました。
     後、僕も棚田は好きです。でも、むしろ棚田はどんどん減らして少数精鋭にすれば、補助金も負担にならないし文化的価値が高まると思います。

       日本農業が農業者主導の形を実現するには、日本の社会構造が変わらなくてはなりません。そのためにはわれわれ自身が社会を変えていく努力をする必要があります。


  12.  10月8日の授業受講しました。

    今回は私の関心の深い食料自給率のお話でした。
    典型的文型人間の私は、実は農業や環境についての知識が乏しく、先生の講義も現代の農業ってどうなっているんだろう?という感じで受講させていただいているのですが、食料自給率については中学校の社会の時間にとても心配になっていたので興味深く拝聴させていただきました。
    私は今まで自給率を上げるためには外国への依存を断つことが第一なのではなどと考えていましたが、これはそんな単純な問題ではないようですね。
    まず、農水省の態度を変えないとどうしようもないみたいです。自給率の情報を操作したり、とりあえず製作が多すぎてご都合主義もいいところです。
    日本の政策は農業に限らずそんなものが多いですよね。
    たとえば教育。ゆとり教育に総合学習・・・結果は惨敗ばかり。教育問題について最近考えることが多いので、つい脱線してしまいました。
    米を特別視することからも脱却しなければならないでしょう。
    私もご飯が大好きだし、日本の象徴のようなところがあるのでなかなか難しいとは思うのですが、この米至上主義が中山間地をはじめとするたくさんの土地を無駄にしていることは大問題です。
    実態はどうかわかりませんがアメリカに言われる「適地適作」みたいなことができたらいいのにと思います。
    無知でおかしなことをたくさん書いていたらすみません。

    追伸・お返事の中で大学だからといって先生が学生にまったく干渉しないのはおかしいと書いてあったことをとてもうれしく思いました。先生のように教育機関としての大学を大切にされる方が増えることを願います。

      「たとえば教育。ゆとり教育に総合学習・・・結果は惨敗ばかり。教育問題について最近考えることが多いので、つい脱線してしまいました。」

       本当に教育行政もおかしいことが多いですね。もちろん問題は農水省、文科省に限りませんが、教育の問題は時代を担う人たちに関わる問題で、日本の将来にとって決定的な重要性を持つものです。皆さんも、将来、子を持つ親となったときには、教育について考えざるを得なくなるでしょう。国民一人一人が初等教育から高等教育まで、教育について今一度考えてみる必要があることは間違いありません。

      「無知でおかしなことをたくさん書いていたらすみません。」

       人は書くことによって、自分の考え方を作り上げたり、何をもっと勉強したりしなければならないかがわかるものです。恐れずににどんどん色々なことを書いて下さい。

      「先生のように教育機関としての大学を大切にされる方が増えることを願います。」

       私もまた、大学における教育の大切さを理解する先生方が増えてくることを願っています。


  13.  今回の授業について意見や質問です。

    (1)今日の講義の中でもよくおっしゃっていましたが、食料自給率の低下は確かに農水省の責任だと思います。いったい農水省の役人はどれくらい農業の現状を理解しているのでしょうか。企業の場合就職したあとに現場研修や中には留学させられる人もいますが、役人はどうなんでしょうか。

    (2)減反政策で小麦や大豆への転換を補助金などで特に推奨しているとのことですが、比較優位にたつアメリカからの輸入物に負けないようにする政策とかは取っているのでしょうか。日本の場合北海道以外では生産効率でアメリカに負けるので結局転換が進んでいない、という話を聞いたことがあるのでぜひ教えてください。

      「企業の場合就職したあとに現場研修や中には留学させられる人もいますが、役人はどうなんでしょうか。」

       農水省の役人の場合も、入省後1〜2年して、先進的な農業経営などへの数ヶ月の研修が行われているようです。しかし、農水省主導の農業構造となっているのですから、将来の幹部候補生が研修に行っても、受け入れ先はそれを前提に対応しますので、どれだけ農業の実態に迫れるか疑問です。

      「比較優位にたつアメリカからの輸入物に負けないようにする政策とかは取っているのでしょうか。日本の場合北海道以外では生産効率でアメリカに負けるので結局転換が進んでいない、」

       1960年代以降、生産効率を高めるような政策が行われてこなかったわけではありません。しかし現実には、うまく機能してきませんでした。なぜ機能しなかったのかは、この講義が終わる頃には理解していただけていると思います。

       「北海道以外では生産効率でアメリカに負ける」というのは正しい、というより北海道でさえ今のままでは勝てないと思います。日本の風土条件にあった農業の模索が必要だと思います。


  14.  第2講に出席しました。

     出席メ−ルの件ですが、同じ講義を受けた人の様々な視点における意見が知れて、大 変良いと思います。
     普段は関わりを持たない他学部の人たちがどのような観点から同じ問題を考えようと しているのか、また同学部であっても人によって全く思考が自分とは違っていること など、新たな発見ができます。また、他の人の意見を知ることによって、自分の考え を発展させることができるのではないかと思います。大変よい刺激になりました。

     さて、講義の内容のほうですが、食料自給率の定義が曖昧であると、数値があんなに も大きく異なってしまうというのは衝撃的でした。自分が信じ込んでいることや世間 一般的に信じ込まれていることでも少し見方や基準を変えるだけで一転する可能性が 大いにあるということを痛感しました。それを日本政府は自分たちの都合のいいよう に利用しているのだと思います。また、私は日本国民は付和雷同的な一面がある気が するのですが、それ故に批判や疑問といった声が押しつぶされ、官僚の言いなりにな る状況を招いていると思います。もっと素直に批判や疑問を受け止めることができな いのでしょうか?おそらく官僚の方はそんなことよりプライドの方がよっぽど重要だ と考えているのだと思います。どこか焦点の位置が違う気がします。
     米は確かに日本人にとって農村を支える上で重要だったかもしれませんが、実際安価 な輸入品が原因で果物やそのほかの農産物の需要が減少し農家の崩壊導いていると思 います。日本人の食生活も大いに変化しているのだから臨機応変に対応する必要があ るのではないでしょうか・・・。

    農業と環境を考えるには、あらゆる分野からの知識や思考が必須でいろんな意味で難 しいと感じます。私は農業と環境の関係に興味は大いにあるのですが、あまりに漠然 としていてどのようなことからやって行くべきなのか、何かモヤモヤしたものがあっ て明確ではありません。それを見つけ出すことも考慮しつつ今後も講義を楽しみにし ています。

      「出席メ−ルの件ですが、同じ講義を受けた人の様々な視点における意見が知れて、大 変良いと思います。」

       このような機会はなかなか得られないはずです。趣旨を理解していただき、うれしく思います。

      「自分が信じ込んでいることや世間一般的に信じ込まれていることでも少し見方や基準を変えるだけで一転する可能性が大いにあるということを痛感しました。」

       これも、私がわかってほしかったことで、このように反応していただけるとありがたく思います。

      「また、私は日本国民は付和雷同的な一面がある気がするのですが、」

       その通りです。私は、これが歴史的に形成されてきたもので、しかも農村の「むら」(とりわけ稲作地域の)に由来するものだと考えています。この話は、第5〜7回目にかけて講義の中でしゃべる予定をしています。

       農業と環境ですが、農業というものはかなりはっきりした具体性を持ちますが、環境という概念は非常に幅広く漠然としています。とりわけ環境経済となると、経済をどう考えるかによるのかもしれませんが、私には、かなり矛盾した概念に思われたなりません。そのあたりをしっかりと勉強して下さい。


  15.  今日の授業の始めに先生がおっしゃっていた、 学会は村社会に似ている。 という譬えが面白く感じました。閉鎖的で、集団が慣習的にやっていることが基本的に正しいものとみなされ、これまでの行いを批判的にみるような者、考えがあればそれを異端として排斥しようとする。先生の表現したかったことはこれとは多少違っているのかもしれませんが、少なくとも柏先生から見た学会の様子を知ることができて良かったです。

     自由主義経済体制というものは、メリットもあるのかもしれません。例えば、日本では育てられないもの、また育ちにくい作物を関税を引き下げることで国内で安く手に入れられるようになるのはとてもいいことだと思います。しかし、日本の主要となる作物のほとんどまでも外国から安く輸入していては、先生のおっしゃられたとおり何らかの事情で輸入がストップしてしまったとき、お金がなくなることよりも危険なことになると思います。

     自給率の数値が見方(例えば船の隻数と重さの自給率の値の違い)によって大きく変わってしまうというという話も興味深かったです。これからは表などの自給率の算出方法を確認していくのも面白いかもしれません。

     中山間地域で農作をするのは不利と決め付けられない、従って他の適した利用方法や作物を考えようともせずに補助金を与えようとするのはおかしい。 という考えには共感です。農水省や研究者は農業に関する知識を実体験を交えて得、考えなしに補助金を与えることなく、すべての農家に真にフェアな仕事をさせることを理想とすべきではないでしょうか。

     すべての人の出席メールを読まれるのは大変だと思います。流し読みでも読んで貰えるだけ光栄だと思ってメールを出しています。

       学会だけでなく、日本の社会はすべて「むら」構造になっているといってもよいと思います。特に象徴的なのは、永田町です。その社会の一員になってしまえば、当たり前のことであり、それに従わなければ村八分になる論理がそこにはあるのですが、それは国民にはまったく理解できないも、閉鎖社会だからこそ許されるものなのです。そのような「むら」が寄り集まって構成されているのが日本社会であり、いわばフラクタル構造になっているのです。その起源がどこにあるのか、この講義の第2部(第5〜7回目)でお話しするつもりです。

       日本は自由主義経済体制をやめるわけにはいかないでしょうが、その体制下で許されるもっともよい社会のあり方を追究していく必要があるのではないでしょうか。

       いくつかある食料自給率がどのようなものなのかについては、次回お話しします。

       農水省が目指すべき姿についての私の考え方は、11回目にはある程度理解していただけるものと思っています。


  16.  今日の講義を聞いてだいぶ今後の授業のアウトラインが見えてきたような気がします。つまり農業、とくに米をめぐる政・官の関係と、少なからず私達の頭にある米信仰が日本の農業の柔軟性を減衰させ硬直させ真に行っていくべき改革が置き去りにされる結果、日本の農業が悪循環に陥っているということでしょうか。今後の授業を聞いていくうえで何が問題であるかを自分なりに探っていきたいと思います。

     ところで講義を聴いて改めて考えさせられたことがあります。それは食料自給率と食料の輸出が政治的武器になるという話です。最近はだいぶ下火になってきた気がしますが俗に言うグローバリゼイションが進むことにより国民国家の意義は相対的に低下する上に、現在の経済は政治とは分離されているので金さえあれば国際市場のスポット買いにより食料も手に入れられるといった話を耳にします。私はこのような考えには否定的です。つまり国民国家はなくならないし政治的リアリズムは存在しつずけるのではないでしょうか。そう考えると「世界食糧危機が日本を襲う」というのは極端なトンデモ発言?かもしれないかもしれませんが、トンデモ学者?が指摘するようにアメリカ?
    《途中文字化け》
    下水の枯渇と世界各地での砂漠化の進行そして世界的食糧危機が今後数十年のうちに世界を襲うというトンデモなことが起こるかもしれないことを考えると食料自給率は大切であるし、別に何も起こらなく平和な社会であっても自給率への人間の欲求はなくならないようなきがします。

     話がまとまらないのですが、食料自給率のことを考えると国家とは?、国際政治とは?と、とりとめのないことをかんがえてしまいます。わけのわからないことをかいてもうしわけありません。     

       授業全体のアウトラインの理解、間違っていません。もっとも大きなキーワードは「むら」社会構造と官僚主導型農業構造で、そのような構造になっているため日本の農業がここまで衰退し、その結果、本来日本の環境保全に大きな役割を果たすべきはずの農業がその役割を果たせていない、よりよい日本農業実現、それに基づく環境保全の実現のために構造改革を進めよう、という主張です。

       グローバル化が進んでも国家がなくならないという主張、まったく同感です。グローバル化ということが盛んに何に言われるようになった最大の理由は、インターネットの普及ではないでしょうか。これにより、情報に関する限り、外国と日本との距離は、まったくと言っていいほどなくなりました。後は言葉の障害だけでしょう。それも英語が共通語となる方向で進んでいますから、かなり改善されるでしょう。

       しかし物理的な距離は、いかに交通手段の驚異的発展があるとはいえ、やはり大きいものがあります。石油をめぐって戦争が行われる現実を見れば、食料生産は可能な限り国内で生産する方がよいと考えざるを得ません。少なくとも40%が低すぎることは間違いありません。環境という面から考えても、食料自給率を高めることは不可欠だと考えています。


  17.  10月8日に環境形成基礎論に出席しました。日本の食料自給率が40%というのは確かに低いとは思いますがいまいち実感がわきません。やっぱりこれは深刻な数字なんでしょうか。

       食料自給率40%というのがどのような意味で深刻なのかは、今後、理解していただけると思います。講義でも話しましたが、もし食料がまったく輸入できなくなったら、60%の人間が餓死するというような意味で深刻なのではありません。


  18.  一少し前までは、日本人にとって米は、特別な存在だったと思います。しかし、今日の食生活に注目してみると、パンや麺類といった小麦から作られる食べ物がお米と同じくらいの割合で身近にあることが分かります。それなのに小麦の自給率は10%前後という低さです。

     なぜ、このような誰から見ても危うい状態になってしまったのかということを、自分なりに考えてみたので読んでみてください。

     小麦が日本で作られないことについてなされる世間での説明のされ方は、おいしい小麦を作るのに日本の気候は適さず、また、海外からの小麦のほうが安く質がいいためだというものです。しかし、本当にそうなんでしょうか?もともとお米は熱帯性の植物で、普通に考えたら北海道のような寒いところでは作れないはずです。しかし、数々の品種改良といった努力を通して今では生産量が毎年5位以内には入ってます。つまり、私が言いたいのは、小麦を日本で生産することを米並みに努力したのか?ということです。おそらくしていないでしょう。今まで農家は食糧管理制度や外国輸入米に対する高関税といった政策などによって、あまり厳しい競争にさらされないですんできました。この過度な農家に対する政府の過保護政策が農家の小麦生産に対する意欲を生じさせなかったのではないかと思います。(競争なきところに進歩は望めません。)

     また農村部での自民党の支持の高さが農民過保護政策を今まで行ってきたことを証明するものだとも言えるのではないでしょうか。 

       日本にとって「コメは特別」というのは、色々な意味あります。このことについては、今後お話しします。

      「つまり、私が言いたいのは、小麦を日本で生産することを米並みに努力したのか?ということです。」

       小麦に自給率が極端に下がった理由も政府、農水省に責任があります。細かくお話しすることはできませんが、概略は講義の中でお話ししたいと思っています。

      「また農村部での自民党の支持の高さが農民過保護政策を今まで行ってきたことを証明するものだとも言えるのではないでしょうか。」

         まさにその通りです。この点は、第3部「官僚主導型農業構造」の主要テーマです。


  19.  10月8日の講義出席しました。
     今日の食料自給率や米の輸入自由化等についての講義は、高校の時に地理を学んでいたので、色々と思い出しながらさらに深いところまで話を聞けて、とてもよかったです。
     僕は文章表現が苦手だし下手なので、いつも短いメールを送ると思います。
     また来週の講義を楽しみにしています。

       文章表現が苦手と書かれていますが、これは練習次第だと思います。出席メールを書くことがよい機会だと思い、頑張って書いて下さい。


  20.  10月8日の環境形成論の出席メールを送らせていただきます。

     第1回目の出席メールがアップされているのをすべて読ませていただきました。あれだけの量に目を通して返信をなさるというのは、並大抵のことではないと思います。それに応えられるように努力したいです。

     それにしても、あのようにほかの人の意見を聞くことができるのはとても良いですね。面白いし参考になります。私も田舎の出身ですが、かなりの人が、自分の出身地の様子を頭に思い描きながら、講義を聞いていたというのが興味深いと思いました。私と同じ能登出身の人が、「後継者不足なんて言葉が生温いほど、能登は過疎化が進んでいる」と指摘していましたが、確かに、日本全国の過疎の進む地域と同様に深刻です。「農業しかない→若い人が流出→生活ができない」。農業が単なる産業ではなく、生活そのものといえる営みであるからこそ、非常にセンシティブかつ感情的になっても仕方がない問題でもあると思います。正直な話、そのような過疎化にあえぐ地域/現場の深刻さと、農業は経済活動の一部としか捉えていない中央/官僚や、具体的なビジョンなく「農業で環境保全」を叫ぶ人々の夢物語との間に温度差を感じ、私自身非常に複雑です。

     今日の講義で、この複雑な思いはさらに深まりました。政策的な意図で以って、事実やデータの解釈をころころ変えているようでは、「作って食べる」という人間のごくごく基礎的な営みが愚弄されているようにも感じます。しかしながら、現代にあっては、以前のように、それぞれの地域ごとに完結した循環を確立するのは不可能で、かかわってくる要素も格段に多く複雑になっていますから、何らかの中央の機関が主導していかなければならないことも事実です。農業の持つ二つの面―すなわち、生活としての農業と産業としての農業―を整理しながら冷静に捉えていきたいと思います。しかしながら、それを捉えた上で、いかに長期的展望を打ち出すかということになると、私にはまだはっきり見えません。

     食料自給率に関しても、まだまだからくりが潜んでいると思います。食料を一方的に輸入することによって、元素のレベルでの循環が滞るという現象(この現象の名前を度忘れしてしまいました)にもますます注目が必要になってくる気がします。来週の「食料自給率低下の原因」についての講義を聴けるのを楽しみにしています。

       出席メールの意図を理解していただき、ありがとうございます。せっかくの総合大学、受講する身近な仲間の考え方を知るだけでなく、同じことに対して他学部の人たちがどのように考えているかを知る機会があることは、今後にとって非常に役立つように思います。

      「正直な話、そのような過疎化にあえぐ地域/現場の深刻さと、農業は経済活動の一部としか捉えていない中央/官僚や、具体的なビジョンなく「農業で環境保全」を叫ぶ人々の夢物語との間に温度差を感じ、私自身非常に複雑です。」

       そうでしょうね。もっとも大切なことは、為政者の見識ある長期的ビジョンであることが間違いありませんが、そうした政治家を生み出せない社会ということを考えると、われわれの方にも問題があるのかもしれません。

      「しかしながら、それを捉えた上で、いかに長期的展望を打ち出すかということになると、私にはまだはっきり見えません。」

       これは非常に難しいことで、私とて、十分な展望を持っているとはいえません。だからこそ、皆で考えを深めていくことが必要なのだと思います。私は、出席メールに素晴らしい意見がどんどん出てきて、議論が深まり、皆さんの考え方が高まることを期待しているのです。

      「来週の「食料自給率低下の原因」についての講義を聴けるのを楽しみにしています。」

       期待に応えられるよう、頑張ります。


  21.  はじめまして、先週、私は体調を崩してしまい、講義に参加することができなかったので、初めて出席メールを送らせていただきます。

     今日の講義、お疲れ様でした。私にとって、非常に興味のある内容だったので、これからも継続して聴講させたいただきたいと思います。

     今回の感想なのですが、講義の中で、非常に強く心に響いた言葉がありました。それは、「研究者になって、研究をしていても、広い視野と柔軟な考え方を持っていなければ、意味がないどころか、ただ不利益な研究になってしまう。」といった内容のものでした。私は理学部の生徒で、研究者になりたいと思っています。そして非常に漠然としてはいるものの、できればその研究を環境問題に役立てていきたい、という、夢というか目標様なものもあります。そして、今まで環境問題に取り組むことはよいことだ、と短絡的に考えてしまっていました。研究をする上で、その研究内容がたとえ必要なものだったとしても、閉じた環境に汚染されたりしてしまわないようにし、また広い視野を持って行い、10、20年後、さらにはもっと先に、正しい研究ができた、と思えるような研究に貢献したいです。

     個人的でひどく幼稚な内容ですいませんでしたが、これから半年間、よろしくお願いします。

      「研究をする上で、その研究内容がたとえ必要なものだったとしても、閉じた環境に汚染されたりしてしまわないようにし、また広い視野を持って行い、10、20年後、さらにはもっと先に、正しい研究ができた、と思えるような研究に貢献したいです。」

       素晴らしい心構えだと思います。その心を忘れずに研究に立ち向かわれれば、きっと素晴らしい研究成果が上がると思います。期待しています。

       この授業では、短い間ですが、いっしょに環境と農業という問題について考え、議論していきましょう。


  22.  僕は今日の3限目に「森里海連環学」という授業を受けていて、そこでは柏先生の意見とは対称的ともいえる考えで授業が進められています。どちらも相対化して聞けるので、金曜日のこの時間帯は非常によい勉強になっています。僕は絶対に田んぼはいいものであると信じていました。今でもその考えを捨て切れてはいませんが、今日の講義で深く考える機会を頂きました。

      また、国の農業政策についての説明もよく分かりました。前から感じていた農業の閉塞感を打破する手掛かりになりそうな気がしました。次回の授業が楽しみです。

       メール、および他授業の情報、ありがとうございました。

       「森里海連環学」はフィールドステーションの先生方がされる講義ですね。おそらく農学部出身の先生が多いと思います。農学部を構成している大部分は理系分野ですし、先生方の目は、社会構造にまで届いていないのではないでしょうか。いずれにしても、今後も相対化しながら話を聴き、議論に参加して下さい。


  23.  第二回目も興味深い講義でした。表向きは一見すばらしく見えたり筋が通っ ているようなことでもよくよく検討してみると実に表向きとは違っているのだ と感じました。農業の多面的機能というのは確かにそのとおりのように思えま すが、先生がおっしゃっていたようにその現れ方が「胡散臭い」です。もしこ の農業の多面的機能というような考え方をするならもっと早く、抜本的な取り 組みをすべきではないかと思います。

     食料自給率の数値の取り方も見方によって変わるということには驚かせられ ましたが、これも小手先の操作のように感じます。結局根本的なことに取り組 まなければ何にも解決はしないでしょう。農業に限らず他にもこのようなこと は見受けられますが、これを見抜くcritical thinkingをする人が社会に存在す るかどうかということが大切なのかなと思います。

      「もしこの農業の多面的機能というような考え方をするならもっと早く、抜本的な取り 組みをすべきではないかと思います。」 

       その通りです。1980年初めに兼業農家が土地保全、作物保全、文化保全の機能を果たしているということを主張した農村社会学者おられました。しかし農水省は、その主張に耳を傾け、具体的な施策に反映させたわけではありません。コメの自由化に対する反対論拠を探す中で、世界的な環境問題に対する意識の高まりを利用して、農業の多面的機能論が出てきました。

      「農業に限らず他にもこのようなこと は見受けられますが、これを見抜くcritical thinkingをする人が社会に存在す るかどうかということが大切なのかなと思います。」

       これもその通りだと思います。私は、この授業を通して、みなさんにcritical thinkingする態度を身につけてもらいたいと思っています。


  24.  僕は工業が発展することで、農業技術が改良され、食糧自給率が上がると思います。

      19世紀初め、長期的な食糧危機が予想され、マルサスの『人口論』という悲観的な見方が出ましたが、それを打ち払ったのはリービッヒに始まる有機化学の成果を利用した新しい農業理論と方法でした。そうした観点からするなら、あなたのような見方も可能ですが、環境に対して問題を含む現代農業の出発点がリービッヒ農学にあることにも注意しなければなりません。


  25.  前回は月曜日に出席メールを送信したところ85番目ということだったので、 今回は講義を聴いたその日のうちに出席メールを出すことにしました。

     さて、まだまだ農業の知識については乏しい私ですが、今日先生の仰った「村」 ということについては、私も幾分、思うところがありました。

     私の田舎は岡山の 県北、文字どおりの「田舎」で、田畑が道の両脇を埋めていて、 ところどころに点々と人家が立ち並んでいるというようなところです。 若い年代の人は少なく、私自身も田舎を離れて大学に通っているわけです。 田舎というのは都会に居ると懐かしいものですが、実際住んでみると、 煩わしい面もたくさんあります。私の祖母の口癖は「人はみんな恨みと妬みの 塊だと思っておけば間違いない」というもので、年端もゆかない小さい頃から そんな台詞を私にコンコンと言い聞かせていました。
     そのような言葉がどうして祖母の口から漏れるかといえば、結局のところ、 この台詞が言い表す状況が、私の住んでいた田舎の煩わしい面を言い当てている からに違いなかったのだと思います。例えば次のようなものです。

     私の田舎ではある家に葬式ができると、近所の女性が手伝いに出ます。 とにかく葬儀場というものが無いので、個人の家で葬式の準備をするのです。 一方、男性はというと、香典を持ってやってきて、御坊さんが読経する後ろで神妙 にしています。大抵読経が終わるのが昼頃で、その後に葬式に参列してもらった 近所の男性と御坊さんに昼食の御馳走を振舞うという手筈です。この昼食の御膳の 世話や、料理の準備のために、女性が借り出されるわけです。互助的な習慣として 機能していることは確かなのですが、難点もあります。しんみりと読経をしている 部屋ではどうということもないのですが、台所では悲惨なありさまです。 そもそも、他人の家の葬式ができる度に手伝いに行くということが、 誰しも煩わしく思われるようです。その煩わしさのためもあって、 障子に埃が溜まっているだとか、漬物の切り方が悪いだとかと、些細な口論が 多々あるそうで、葬式のあった家の家族ときたら、踏んだり蹴ったりです。 我が家でも、つい数年前そのようなことがありました。私の祖父の葬式です。 それ以来、祖母は「いつ自分が死ぬか知れないから」と言って、 日頃何を気にかけているかといえば、それこそ、家の掃除だとか、 納屋に溜まった新聞の山のことだとか、門先の草むしりのことだとか、 とにかく近所の人が自分の葬式に際して我が家へ手伝いに来たときに、 悪口を言われないようにと、そのことを考えているようです。

     村だとか、近所付き合いだとか、言うけれど、私の田舎では近所というのは 敵なのか味方なのか分かりません。私の祖母は幼い時分は都会で暮らしていた ようで、田舎を随分嫌っているようです。少なくとも、祖母にとっては 御近所様は油断ならない相手のようです。

     また、つまらないことを長々と書いてしまいました。お忙しいところ申し訳あり ません。それではまた次回まで。

       非常におもしろく(不謹慎か…)読ませていただきました。農学部には「むら」のことを知らないで、「むら」を礼賛する研究者がたくさんいます。私は京都生まれの京都育ちで、「むら」の出ではありませんが、父母ともに富山の農家出身であり、そのエートスは「むら」といってもよいと思います。

       私は、農学部で20年近く「農村社会学」という講義を担当してきましたが、その中心が「むら」の話でした。この講義の担当を命ぜられて勉強し始めたのですが、あなたの書かれている「むら」の実態、よく理解しているつもりです。

       もちろん、私は「むら」にも多くのよい面があることを否定するものではありませんが、とりわけ農学部の実態を知らない「むら」礼賛論者、「知ったか」先生達には、是非とも読んでいただきたいものです。


  26.  本日から受講させていただきます。

     「農業保護そのものは必要だが、現在施行されている農業保護政策は必ずしも有効に機能してない。それは政策に長期的展望が欠落しているからだ。例えば中山間地域稲作農家への補助金の直接支払いは、高齢農家に対する一時的な延命治療に過ぎず、将来世代・後継者の不足という根本的問題の解決にはならない。また、中山間地域というのはそもそも稲作の条件不利地域であり、現在それらの地域におけるコメ作りの必要性は薄れている」これが今回の講義で最も興味深かった論点である。

     私は、食糧安全保障の観点から、基本的には農業保護論者である。しかしこの批判は核心をついていて賛成せざるを得ない。また、「政策に有利に働くように、算出法の異なる食料自給率が巧みに使い分けられている」という指摘も鋭い。この批判者のように問題の本質を的確に捉え、長期的視野を持ってその解決に臨み、農業のよりよい方向性を私は模索していきたい。

      「この批判者のように問題の本質を的確に捉え、長期的視野を持ってその解決に臨み、農業のよりよい方向性を私は模索していきたい。」

       ちょっと文章がおかしいですが(私にメールを送っているにもかかわらず、私を第三者的に表現する点が…)、私の出身学科内に、あなたのように私と同じように考える方が一人でも多く出てくることを、私は期待しています。


  27.  今日の講義には納得できる点が多くありました。

     特に米の自給率についてです。米の自給率を維持する事だけが適切な策とは思えません。食の欧米化が進んでいる現在では米の消費量が少ないし、先生のおっしゃっていたように中山地での稲作が向いているように思えないからです。中山地での稲作を補助するよりは他の育てるのに有利な作物の栽培を奨励するのが良いと思います。

     米以外の穀物(小麦等)の自給率をあげる事ができると理想的なのですが。やはり万が一の時の事をかんがえると熱量の供給源となる穀物は重要だと思いますから。とはいえ日本での穀物の栽培は厳しいと思います。なぜなら、外国での大量栽培による穀物と勝負すると価格競争に負けてしまうからです。そう考えると最低限穀物農家の保護は必要ではないのかと思います。

     何ていうか難しいですね。

       自給率というものは、もちろん技術的な問題だけではなく、経済的な問題、すなわち価格などによって決定されます。この点については、この後の2回の講義の中で話をしていきます。


  28.  環境形成基礎論第2回の講義に出席しました。

     最近農業に対してあまり関心を持っていませんでしたが、今日の授業で改めて日本農業が抱える問題を再認識しました。今後の授業を受けるなかで、自分でもその解決策を考えて行きたいと思います。

       メールを送られるのは初めてだと思います。名前をフルネームで書いてお送り下さい。データベースを作りますので。


  29.  出席しました。

     まずかなり重要な話なのに何で農水省が自給率の算出方法を変えたのか理解しきれてないです。それまでは農業政策の成功を印象づけるため高目、変えたのは外国の圧力でそうせざるを得なくなった自由化を納得させる為と無理矢理考えたんですが。

     あと木2の生態圏の科学でEN換算だと自給率は実際より高く出るとおっしゃっててそれはまた今日の話とずれがあって客観的な感じがする「数字」も案外曖昧だし意図的にコントロールされるとわかりました。長良川ダムの話でもマスの遡上数が減ってないかのように上手く表を区切る話がでてました。

       メール、ありがとうございました。また他の授業の情報を与えていただき、ありがたく思います。

       ところで、学生番号からわかるのかもしれませんが、あなたの所属学部がわかりません。お教え下さい。

       われわれは、色々と情報操作されていることが多いものです。とりわけ今日のような情報化時代においては、非常に多くの情報が流れ、何が正しいのかわからなくなってしまいます。何が正しいのかを見抜く力を大学生活の中で身につけて下さい。


  30.  今日の講義で印象に残ったのは、計算方法の違いによって、自給率が まったく変わってくるということです。
     農水省は突然意図的に、違う計算方法による、自給率を使い始めたのですね。 しかし、自給率の定義というのは、日本の農業政策を考える点で、 大変重要だと思います。
     わたしは、全体の食料の金額の何パーセントだとか、何キロカロリーといった 数字はあまり意味がないのではないかと思います。
    というのは、人間は一種類の農作物だけを食べて生きられるわけではなく、 どれだけバランスよく多様な食料を国内で生産できるかが重要だからです。
     今、農水省が、他の食料を犠牲にしてまで、米作を保護しようとしていますが、 米の自給率が100パーセント以上の高いものであったとして、それが自給率を 押し上げていたとしても、決して安心は出来ないと思います。
     他の食料はまったく入ってこなくても、米だけは豊富にあるから、日本国民 の生命線はある程度確保されていると言うことは出来ないのではないでしょうか。
     自給率を計算する上で、むしろ農産物の種類ごとの自給率を平均する といった方法のほうが日本の食糧事情を考える上で適切な数値を得られると思います。

       食料自給率とはどのようなものなのか、コメ、麦、牛乳などといった品目ごとの自給率とどう違うのかなどについては、次回の講義でお話しします。

       政府がコメだけに重点をおいた農業政策を展開したのには、それなりの理由があります。その理由が問題なのです。このことが理解していただけるのは、講義がほぼ終わりに近づいてからだと思います。


  31.  前回は51番目だったので今回はちょっと早めに出してみます。
    高校のとき地理選択していて、とても好きだったのでそこで習った内容(自給率など)が出て来るのが嬉しいです。
    ずっと自給率が減っている原因は、輸入とともに日本人の食べる熱量が増えてたりとかもあるんですか?
    自分は工学部ですが、やはり国家の基本は農業だと思うのでとても興味があります。来週も楽しみです。
    あと、先生の教育論もよかったです。

      「ずっと自給率が減っている原因は、輸入とともに日本人の食べる熱量が増えてたりとかもあるんですか?」

       この点については、次回の講義で明らかになると思います。
       教育論を評価していただき、ありがとうございます。



  32.  第1回の講義では内容があまりよくわからず、たいした返事ができませんでしたが、 今回の講義で先生の考え方が少しわかったような気がします。

     さて、食料自給率の問題ですが、今までは統一された基準があると思っていました。 しかし実際は複数の基準があり、農水省もその基準を変えたりしていることを知り、 とても驚きました。

     牛肉・オレンジの自由化が決まった1988年を境に、農水省が自給率の基準を変えて 自給率が4割代になってしまったという話を聞いたとき、厚生労働省が、昨年度の 出生率の発表を今年の年金改革法案提出後に遅らせたことを連想しました。 出生率が1.29と過去最低となったので、年金改革に影響を与えないようにしたという のがその理由でしょうが、自給率の問題も同じだと思います。
     急に自給率を下方修正したら、「こんなときにアメリカから牛肉とか輸入したら もっと自給率が下がる」と自由化に待ったをかける人が出てくるので、 自由化が決まった後に下方修正したのでしょうね。

     ここで質問ですが、なぜ、自給率を下方修正する必要があったのですか?
     国民に「日本の自給率は低い」と伝えなければならなかった理由とは何なのですか?

     最後に先生個人に対する第一印象を述べさせて頂きます。

     京大には様々な教官がいますが、柏先生はその中でも一際目立っていらっしゃいます。
    歯に衣着せぬ言葉で官僚批判をなさり、教育論を熱く語られる先生の姿には、 何か人を引きつけるものがあります。
    そして受講生のメイルに一通一通心を込めて返信なさることにより、 受講生の意見を聞き、疑問に答えるという努力には脱帽です。
    僕は農学に関しては素人ですので、できるだけ質問をしようと思います。
    とても基本的な質問かもしれませんが、ご容赦下さい。

       高い評価のメール、ありがとうございます。

      「出生率が1.29と過去最低となったので、年金改革に影響を与えないようにしたという のがその理由でしょうが、自給率の問題も同じだと思います。」

       その通りです、政府は、自らを正当化するためにこのようなことをするのですが、これはまさに国民を愚弄した態度といわざるを得ません。本来、官僚や政治家は公僕ではありませんか。にもかかわらず日本ではお上意識が強く、建前はいざ知らず本音では、彼らに公僕意識はありません。このような社会構造を変えない限り日本はよくならない、と私は考えています。

      「国民に「日本の自給率は低い」と伝えなければならなかった理由とは何なのですか?」

       この点をはっきりと理解していただくには、講義が最後にならないと駄目かもしれませんが、次回には少しはわかってもらえるかもしれません。

      「とても基本的な質問かもしれませんが、ご容赦下さい。」

       どんな基本的な質問でも、どんどんして下さい。疑問を持つということが一番大切なことだと思います。


  33.  自給率というものにいろいろな種類があるということははじめて知った。どの自給率もそれ相応の意味があるものなのだと思うが、どれに重きを置いて考えていけばいいかは国や個人の立場によってなのだろう。というのは、僕が今まで知っていた、熱量ベースの自給率は、自国の作物でどの程度国民が食べられるか、という指標であり、輸入に頼っている国が重要視すべきものだと思う。金額ベースの自給率は、自国の食料は十分で、輸入をしようとする国が重要視すべきものだと思う。とはいえ、そこまで短絡的に考えられるものでもないのかもしれないが。

       農業の保護と輸入自由化の問題についてだが、日本の経済水準の中で輸入作物などと戦わなくてはならない国内農業は保護されてしかるべきだと思う(度合いは別として)。暮らしていけない程度の収入だったら農業をやろうとする人はいなくなってしまうだろう。しかし、農業のみならず、水産業でもそうだが昨今の作物のブランド化はいささかやりすぎではないだろうか。ブランド好きが多い日本だからこそだろうが、ブランド名をつけただけで、今までの5倍の値段で売れる、などという話を聞いたことがある。生き残るための手段だろうが、あまり好きなやり方ではない。輸入自由化は、日本の輸出超過緩和のためにある程度は仕方ないのではないだろうか。実際日本の工業製品は世界トップレベルのものが多く、それに太刀打ちできるだけの製品が作れない国(アメリカの自動車など)は農作物を輸出せざる得ないのだろう。

     国内農業の保護と関連するが、農作物の流入を懸念するあまり日本はアジア各国とのさまざまな交渉をあまりしていないという話を聞いたことがある(詳しいことは忘れたがたしかアメリカ大陸、EUに次ぐ第三世界形成のための交渉。日本があまり行わないのをいいことに中国が東南アジアとともに第三世界形成のための交渉をしているらしい)。農業保護は確かに大切だが、それによって国際社会から取り残されるのはどうかと思う。これは、政府(自民党)が農業を保護→農村部の住民が自民党を支持→自民党が再び政権をとるの悪循環が起こっているためだと思う(だからといって民主党がいいとは思っていないが)。

      質問
     今日の授業の4-4の項目で、『〜の直接支払いが延命措置である』という話があったと思いますが、直接支払いとはなんですか?

      追伸
     授業時に、項目が書いてあるレジュメ等があると話が聞きやすいと思います(HP上の目次と、そこにはってあるリンク先の内容が箇条書きで書いてあるようなもの)。できたら、HP上にそういうページを一つ作ってほしいのですが・・・。

       熱量ベースの自給率と金額ベースの自給率については、次回の講義でお話しします。前もって予告的に言っておくと、私が問題だと考えているのは、食料自給率の低さそのもの以上に、両自給率が大きく乖離している点です。これは日本農業が歪んだ形になっていることを示しているからです。

      「ブランド名をつけただけで、今までの5倍の値段で売れる、などという話を聞いたことがある。生き残るための手段だろうが、あまり好きなやり方ではない。」

       そうですね。このことだけでなく、日本の消費者は成熟度が低いといえるかもしれません。付和雷同型の日本人という性格が「むら」構造からくる、と私は主張したいのですが、すこし牽強付会でしょうかね…。

      「これは、政府(自民党)が農業を保護→農村部の住民が自民党を支持→自民党が再び政権をとる の悪循環が起こっているためだと思う(だからといって民主党がいいとは思っていないが)。」

       これも鋭い指摘です。自民党から共産党まで、どの政党も同じです。私は、農業をあまりに特別視してきたことが、今日、農業にこれだけ困難な状況に追い込んだ考えています。

      「今日の授業の4-4の項目で、『〜の直接支払いが延命措置である』という話があったと思いますが、直接支払いとはなんですか?」

       直接支払いについては、かなり最後の講義の方で話をしますので、簡単に説明しておくと、中山間地域という条件不利地域で農業が持続的に行われることによって、環境が保全されているのだから、その機能を貨幣換算して、その相当額を、維持されている農地を基準に、維持している人たちに対して所得保障する制度です。傾斜度や作付けられている作物によって、10アール当たりいくらという形で補助金が出ます。

      「授業時に、項目が書いてあるレジュメ等があると話が聞きやすいと思います(HP上の目次と、そこにはってあるリンク先の内容が箇条書きで書いてあるようなもの)。できたら、HP上にそういうページを一つ作ってほしいのですが・・・。」

       ご要望には十分な形ではお答えできないと思いますが、工夫はしてみます。


  34.  第二回の授業出席しました。

     自らの都合で情報を操作して農業を混乱させる官僚制には憤りを感じますが、では一体その行動の背景にはどういった考えや事情があるのか、それが気になりました。農水省においても、農業知識の不足だけによるものだとは思えないのですが…。

       「その行動の背景にはどういった考えや事情があるのか」、この点がこの講義のテーマで、その決定的な答えは最終回まで待ってもらわなくてはなりませんが、講義が進むとともに、徐々に理解してもらえるものと思います。


  35.  中山間地域は条件不利地域か、という話に非常に興味を持ちました。確かに稲作には不利な地域かも知れませんが、先生のおっしゃっるようにもっとその地域にあった農業をしていけば生き残り・発展の道はあるように思います。農業に限らず、本来の性質に沿わないところで成功を収めることは、絶対に無理とは言わないまでも、いつかは困難に直面するものです。

     とは言え、一旦工夫と苦労を重ねて積み上げたものに見切りをつけ新しいものを始めるということは大変つらく苦しいものであるはずです。

     最近新聞の読者投稿欄で農家の方からの悲鳴の聞こえるような投稿をよく目にします。今の日本で苦しいのは農家だけではないですが、それにしてもと思わずにはいられません。どうしたらいいのでしょう。

     先生のような理系の方の研究結果を正しく分かりやすいように一般の人々に広く知らしめたり、科学と感情の橋渡しをしたりといったことが、私達文系の人間の大きな役割の一つではないだろうかと思っています。日本の農業、日本の人々のために何か出来ることを、これからの講義の中から探して行こうと思います。

       中山間地域をどのように利用していくか、ということは私の研究の出発点でした。私は畜産利用がもっともこの地域にふさわしい方法だと思っています。少なくとも水田利用がふさわしいものでないことは確かです。

       ただ、第2部(第5〜7回目)でお話ししますが、集落を単位とした「むら」構造から、農村の人々は簡単に脱却できるわけではありません。そこに苦悩が生まれるのだと思います。

       なお、私は理系の研究者ではありません。農学を対象とした科学哲学を専門としており、文系です。ただ農学という学問自体は、ほぼ理系の分科学で構成されています。しかし私に言わせれば、農学は実用の学であり、農業という実践と密接に結び付いていなければならず、理系の専門科学と実践の橋渡しをする役割が、われわれの役割だと思っています。


  36.  先日の授業、大変興味深く拝聴しました。

     日本の食料自給率については、問題があるなと思いつつも どのようにすればいいのかということについて 確固たる意見を持っているわけではありません。 やはり、経済問題、国際貿易問題に関わってくるという側面も あるため、簡単に解決できないのが現状です。 しかし、全世界的に人口増加が起こっている現在、 やはり食料自給率は上げていくべきであろうと考えています。 その一方で、農業に携わる人間の減少や高齢化も気になるところです。

     自分たちの生活を形作ってくれる、身近な「食べ物」のことなのに 人々は農業について知らなさすぎる。 スーパーで売っている産物しか知らないというのは 食べ物を軽視する原因になっているのではないでしょうか。

     さて、来週からの授業も楽しみにしております。 よろしくお願いいたします。

       食料自給率の問題、もう少し深く考えていきますので、おつきあい下さい。もちろん、経済問題、貿易問題にまで言及します。

       第2段落については、他の方への返信メールでも書きましたが、日本の消費者の意識が低すぎるといえるかもしれません。それは日本人の市民意識の低さからきているのではないでしょうか。そして市民意識が低いのは、日本の社会構造が「むら」構造になっているからだというのが私の主張です。


  37.  10月8日の環境形成学基礎論に出席しました。
    恥ずかしい話ですが日本の食料自給率の低さにかなり驚きました。
    低いということは知っていたものの40パーセントまでとは思いませんでした。
    高校の日本史で農地改革を勉強したときに
    小作農がが土地を所有する自営農民となることができ
    農村が民主化されたという意義を持つ政策であると習いました。
    その一方、今まで大地主が小作農を使って大規模に集約的に行っていた農業が
    農地改革で分割されてしまい小規模零細農家ばかりになってしまったとききました。
    そのために農家は増えたけれど職業としての農業が衰退したのではないかと思います。

    今、狭い国土の日本ではさまざまな分野で
    海外の大規模、大量生産品との競争に迫られています。
    農業も例外ではないはずだと思います。
    専業農家の人数や割合ばかりが話題に上がっていますが
    たとえ一部の人間の職業となっても
    海外と対抗できる効率のいい農業をめざしていくことの方が
    重要なのではないでしょうか。
    私の頭はなんだか“環境”とは関係のない方向へ進んでしまったようですが
    少しずつ考えていきたいと思います。次回の講義も楽しみにしています!!

      「農村が民主化されたという意義を持つ政策であると習いました。」

       民主化されたかどうかはわかりませんが、農地改革が意義のある政策であったことは間違いありません。アーサ・ヤングという18世紀末のイギリスの農学者が「所有は砂をも黄金と化す」ということを言いましたが、まさにその通りで、農地改革によって単位面積当たりの生産量は大きく増加しました。

      「農地改革で分割されてしまい小規模零細農家ばかりになってしまったとききました。 そのために農家は増えたけれど職業としての農業が衰退したのではないかと思います。」

       これもまた真実だと言わざるを得ません。要するに時代に応じた政策が必要であるにもかかわらず、政府、農水省は時代にあった政策を展開できなかったのです。それがなぜなのかを、この講義で明らかにしていきます。

      「専業農家の人数や割合ばかりが話題に上がっていますが たとえ一部の人間の職業となっても 海外と対抗できる効率のいい農業をめざしていくことの方が 重要なのではないでしょうか。」

       農業界のアウトローである私としては、まったく同感です。しかし、環境ということを考えると、この方向だけでよいとも思っていません。

      「私の頭はなんだか“環境”とは関係のない方向へ進んでしまったようですが」

       最終的に環境と結び付けばそれでよいのではないでしょうか。私もその方針で講義をしています。


  38.  「食料」と「食糧」の違いも知らなかった私にとって、この講義は知識を深める面で重要だと思いました。日本の食料自給率が低いということ、米は過剰だということ位は知っていましたが。

     講義にもありましたが、減反政策や転作を勧め補助金を出す政府の政策はなんというか、表面的なところしか見ていないように私も思えてなりません。米余りだから自給率の低い小麦や豆に転作させるというのは、それが間違っているとは言いませんが安直過ぎると思います。それと金額ベースの食料自給率と供給熱量総合食料自給率というのがありましたが、前者がよくわかりません、説明お願いいたします。

      「金額ベースの食料自給率と供給熱量総合食料自給率というのがありましたが、前者がよくわかりません」

       こららの食料自給率の話は、次回、お話しします。


  39.  2回目の授業も同様に興味深く、かつ熱意のある授業をなさる先生に大変感銘を受け ました。先生のように教育者として、双方向の授業を目指し、日々創意工夫をし、授 業にのぞむ教官は京大でも非常に稀少です。1回目の出席メールに関してもあれだけ 多くのメールに対してきちんと誠意をもって、一人一人にメールを返信しておられる ので、まさに双方向の授業を実践しておられると感じました。

     これほど生徒の意見 や要望を教育者としての視点から見据えていらっしゃるのは、京大でも先生くらいで はないかと思っています。ホームペイジに先週の授業内容を掲載するという案には僕 も含め、多くの生徒が大賛成だと思っていることと思います。それは、生徒にとって は単に板書するのがめんどうだという理由からではなく、普通の授業では板書をする ことに時間を取られて、肝心の教官の話を真剣に聴くことがおろそかになりがちであ る点に授業形態としてまずさがあると思うからです。その点、先生の場合、ホームペ イジに授業内容を掲載なさているので、生徒は安心して先生の話だけに集中して聞く ことが出来ます。この授業形態を京大の他の教官にもしていただきたいものです。

     出席メールという方法も素晴らしいと思います。出席メールを出してみて気づいたん ですが、出席メールを書いてる時に先生の授業内容・話を思い出したり、それについ て自分なりに考えてみて、メールを書くため、この主席メールは授業の復習や自身で 考えること、そしてその考えを自身の言葉で書くことで文章力を向上させるうえでも 素晴らしい方法だと感じました。

     今の大学教育の現状は教官の一方的な授業が横行 し、その上、生徒に義務を課すものの教育者としての責務を果たしておらず、生徒は 教官に何も言えないし、自由に意見を教官にぶつける機会すら存在せず、生徒の考 え・提案が授業に反映されることはありません。この様な大学教育が今後も継続して 行われ続けることが許されてはいけないと思います。

     京都大学のパンフレットに京大 の教育のモットーは対話にあると強調されておりました。対話とは一方的なものでは なく、双方向による意見を互いに提示しあい、議論していくことだと思います。しか し、現状はどうでしょう?多くの大学が教育方針は対話ですと言いながら、実際は教 官による一方的な授業が大半を占め、生徒の声は教官には届かずというのが現状で す。これでは、当社の企業方針は徹底した顧客へのサービスですと公言しておきなが ら、実際に店舗を訪れるとサービスが全然行き届いていない嘘っぱちの企業のような ものではないか?と思っている学生が大半なような気がします。

     なにも生徒の要求を 全て受け入れて欲しいと言ってる訳ではなく、生徒の授業に対する意見や提案などを 教官に伝える機会だけでも与えて欲しいと学生は思っています。そうしないと、対話 にならない気がします。そのあたりのことを先生はどのようにお考えですか?

       メール、ありがとうございました。また、お褒めの言葉、ありがとうございます。

       第1回目に話しましたように、私は、今の大学のあり方を批判的にとらえています(かならずしも、京都大学に対してだけではありませんが…)。

       大学は元々研究と教育が表裏一体となったところで、研究することがすなわち教育だったといえます。その典型は、19世紀前半のギーセン大学におけるリービッヒの化学実験室だった言えるでしょう。

       しかし、今日の大学は大衆化しており、研究と教育が表裏一体というような状況が当てはまるのは、ごく一部の学生に対してだけです。とするなら、当然に社会的に要請がある、大学における教育に工夫が必要になってくるはずですし、教育に力を入れていく必要があるはずです。

       ところが、今の大学の教師の多くが、古い大学の理念にしがみつき、またそれを口実に教育をサボっているようにしか見えません。このように考えている私は、あなたのメールに同感しています。対話や双方向が不十分であることはいうまでもありません。


  40.  今回の講義で前回に引き続き、農水省、政府の政策の問題点を知ることができた。「日本人の主食」としての‘米’を特別視するのはある意味当たり前なのかもしれないが、その他にも見るべき農産物はある。それは食糧自給率を見ても明らかである。それに加え、この食糧自給率さえもが曖昧なものとなると我々は何を基に現在の農業界をみればよいのか。こうした問題に憤りを感じるとともに何とかしなくては、という感覚を今回の講義を聴きながら感じた。

     ところで、先生は鎌田浩毅先生をご存じですか?総合人間学部大学院人間環境学研究科にいらっしゃる先生です。鎌田先生は生徒との双方向授業を目指されており、その点で柏先生と同じお考えをお持ちのようです。先生方のやり方は異なりますが、私はこの「双方向授業」が実に大切なものと感じています。これからも素晴らしい講義を期待しています。

       食料自給率については、もう次回も話しをしていきます。さらに深い理解をしていただけると思います。

       鎌田先生については、知りませんでした。私と同じような方向で頑張っておられる先生のことを知ることができ、ありがたく思います。機会を見いだしてお話ししてみたいものです。


  41.  第二回目の講義に出席しました。

     感想は農水省がおこなってきた金を配るなどの意味のない政策をとるについて、新しい見方をもつことができました。また日本の農業の現在の状態がいかに不安定になっているということも、自給率を国別で比較することでわかりました。

     また、第二回目の講義で農地を創意工夫することで日本の農業を再生させることができるというような論旨をおっしゃていましたが、その創意工夫ということを具体的にどうすることかわかりませんでした。

     今後の講義でその内容が聞けるものと期待しています。

       創意工夫によって、日本の農業を再生させることができる、ということは最終回には理解していただけていると思います。もちろん具体的な例も提示したいと思っています。


  42.  前回の出席メールを出すのを後回しにしていたら結局出し忘れてしまったので、今回はなるべく早く出すことにしました!!周りの友達はみんな、返事がきたって言ってたんでなんかもったいないことをした気分です。

     まず前回書く予定だったことから書きます。なぜこの講義をとることにしたかというと、農業の現状と環境問題の関わりが聞けそうだったからです。前期の「地球環境学のすすめ」で、環境問題には、多方面からのアプローチが必要だということが重々分かりました。そして、先生が非常に熱心な方なのも理由のひとつです。それは、講義を聴いているこちらとしては、とてもうれしく思います。これからよろしくお願いします。

     今回の授業では、食糧自給率や、農業の多面的機能、食管法などと、高校で学んだ現代社会や地理を思い出しました。忘れていた部分が多いですが……自給率の低下にしても農水省が悪いというのはどう悪いのか気になります。もちろん農業を知らない人が農水省で幅を利かせているというのが大きな原因だというのは分かりますが、次回が楽しみです。

     先生がクビになったという私学も気になってます(笑)講義の最初の話も興味深かったです!!

      「自給率の低下にしても農水省が悪いというのはどう悪いのか気になります。」

       この点をきっちりとわかっていただくには、次回と次々回の講義を聴いていただく必要があると思います。

      先生がクビになったという私学も気になってます(笑)

       私大では非常勤でしたし、解雇は簡単で、違法とも言えません(ただし道義的には非常に問題の多い解雇でしたが…)。京大は常勤ですので、簡単には解雇できないはずです。ただ、「むら」社会においては「出る杭は打たれ」ますので、どうなるかはわかりませんが…(笑)。


  43.  10/8(金)出席しました。

     日本の自給率が40%と聞いて驚きました。その対策で短期間で5%あげるというのも無理があると思います。発案者が生きている間に目標を達成したいという願いが込められているからでしょうか。もっと長いプランで日本の未来を考えた政策を立ててもらいたいと思いました。

     質問なんですが、手厚い保護にもかかわらず中山間地域の耕作放棄地が増加しているねはなぜなんでしょうか?条件不利地域というのもいまいちよく分かりませんでした。。

       今や国立大学も独法化を期に中期目標を掲げ、6年後にそれが実現したかどうかの評価を受けることが強制されています。省庁の政策評価はこの趣旨の評価の先頭を切っているものだといってかまいません。。しかしそのことによって政策理念が見失われ、長期的展望が出てこないのでは、本末転倒としかいいようがありません。

       中山間地域での耕作放棄地の増加は、農業・林業しか産業がないこの地域の経営がいかに厳しいことかを如実に示しています。条件不利地域とは、言葉通り、農業をやっていくのに不利な条件の地域のことです。ただ、私は中山間地域が条件不利なのは、稲作に関してであり、そこにふさわしい技術を持ってすれば、決して条件不利とは言えない、と考えているのです。


  44.  2回目の講義も興味深く、また分かりやすくて凄く良かったです。

     今回は主に日本の食料自給率の事についてでしたが、先生の講義を受けて初めて食料 自給率(最も一般的に使われる)がどういう事を示すのかを知りました。昭和40年に は自給率が70%を超えていたにもかかわらず、現在では40%にまで落ちているのに・ ・年々落ち続ける自給率を政府は何らかの解決策を出そうとはしなかったのでしょう か?

    また表から読み取れるように、米・野菜・鶏卵等は昔から自給率が高く、豆類・小麦  等は20%を下回っています。これは、人々の食生活の西洋化や土地での耕作の向き・ 不向きがあるので一概に日本の農業政策が悪いとは言えないような気がしますがいか がでしょうか?

      「年々落ち続ける自給率を政府は何らかの解決策を出そうとはしなかったのでしょう か?」

       講義の中で言いましたように、政府は1988年まで、食料自給率はそれほど低くないと言ってきたのですから、食料自給率を高める真剣な政策展開をしていたとは思えません。

      これは、人々の食生活の西洋化や土地での耕作の向き・ 不向きがあるので一概に日本の農業政策が悪いとは言えないような気がしますがいか がでしょうか?

       この点については、今後の2回の講義を聴いていただけば、なぜ農業政策が悪いと言えるのかが理解していただけると思います。


  45.  第2回の授業出席しました。

    たとえこの授業に興味がなくとも受けようと思うくらい先生の熱心さが伝わりまし た。大学(京大?)の先生の中で先生らしい先生ってそんなに多くないですもんね (笑)先生は先生らしい先生だと思います。

    ところで、今回の授業では、「まだ」ということだと思いますが、あまり先生の考え 方が伝わってきませんでした。「中山間地の使い方が問題だ」とか、「(貿易体制の 話で)米中心で大変偏っている」等、個々のお話や問題点は理解・納得できたのです が、だからどうしたらいいのか、どうしたいのか、ということにあまり一貫性を感じ られず、全体的な方向が把握できませんでした。それは私の想像力理解力が足りない からのような気もしますので、次回以降に期待しようと思います。

    米だけは特別な存在で・・・というのはやはり同感です。米が日本のお米であること で、何とか日本の食卓の食事が日本のものであるかのような感じがするのは私だけで しょうか。

    輸入物や農薬や添加物まみれの食材ばかりで、食のクオリティーが低下し、自分で作 ればいくらでも生えてきそうな菜っ葉(祖父母が農業をやっているもので・・・)が 高くうられ、高く売るために見た目を気にして栄養や質の低い野菜が生産され、そん な野菜ならいっそ取らなくて良いとサプリメントが流行るというこの状況が改善され たらなぁ、と思います。食は人間を作る基礎ですから大切です。なんだか、大きな改 革が必要ですねぇ。

    江戸時代のように年貢が金納ではなく米納であったことがいまだに影響しているのか なぁ(間違ってますかねぇ・・・??)なんて思うと不思議な気がします。

      「(笑)先生は先生らしい先生だと思います。」

       ほめていただいたと理解してよいのでしょうか(笑)。皆が評価の対象となる研究に集中し、対象とならない教育には熱心でない状況で、教育に熱心なのは、やはりドンキホーテといわざるを得ないのかもしれません。しかし私は動くはずのないものを動かしたいという思いを放棄することができません。

      「が、だからどうしたらいいのか、どうしたいのか、ということにあまり一貫性を感じ られず、全体的な方向が把握できませんでした。それは私の想像力理解力が足りない からのような気もしますので、次回以降に期待しようと思います。」

       私が何を主張し、どうすればよいと考えているかについては、11回の講義を聴いていただかないと理解してもらえないと思います。あまりに早く理解できるのでは、学生さんも聞きに来る甲斐がないでしょう(笑)。

       「コメだけは特別」ということにも、非常に深い意味があります。これも今後、理解していただけると思います。

      「食は人間を作る基礎ですから大切です。なんだか、大きな改 革が必要ですねぇ。」

       その通りですね。しかしこの点に関しては、他の方への返信メールでも書きましたが、生産者側よりも消費者側が意識を高める必要があるのではないでしょうか。この論点のメールが2つもきましたので、出席メールに関連して、次回、この点をビジュアルに話してみようかと思っています。

      「江戸時代のように年貢が金納ではなく米納であったことがいまだに影響しているのか なぁ(間違ってますかねぇ・・・??)なんて思うと不思議な気がします。」

       この点に関して、私は、日本は今日もなお、江戸時代の呪縛から逃れられないでいるのではないか、という見解を持っています。「むら」構造というのは、まさにその一つの表現です。


  46.  昨日の講義を聴いて、日本の農業の後継ぎ不足の問題を再確認しました。というのも、自分の祖父母の家でも後継ぎがいないことで田んぼを手放したからです。食料自給率低下の深刻さは分かるけれど、いざ自分が農家になるかと言われると、ならないと思います。たぶん多くの人が同じように考えて、今のような状況になってるんだと思います。解決するのはとても難しい問題であるということしか分からないです。

       あなたの見方、もっともです。都市の人間が新規就農する事例がよく取り上げられますが、都市の人間が現実を知らず、あこがれで就農するケースが多いのかもしれません。何よりもその数は非常に少なく、農家の子弟は農業を継ぎたがりません。しかし企業は農業にビジネスチャンスを見いだしているのも事実です。ところが企業が農業に進出するのは法律によって制限されているのです。ここに日本農業の病んだ姿があるといえます。


  47.  2回目の講義、興味深く聞かせていただきました。

     私はなんとなく古いもの好きで、「元祖・・・」や「昔ながらの・・・」という言葉に弱いです。農業や生活スタイルに関しても、昔の方が良かったのでは・・・と特に何の根拠もなく思っていました。しかしよく考えてみると、確かに日本人の好みや生活も変化していますし、農業もそれに合わせて変化していくべきではないでしょうか。農業以外の製品は、例えば携帯電話が良い例ですが、私たちの要求に応じて、またより人々の関心を引くように日々改良が進んでいますよね・・・。

     ただ、やはり米食は日本人の体質に合っていると思うので、お米の消費量がもっと増えれば良いな、と思います。

      「農業や生活スタイルに関しても、昔の方が良かったのでは・・・と特に何の根拠もなく思っていました。」

       私もよくそのようなことを考えます。確かに今の生活は便利になりました。講義で双方向といっても、コンピュータやインターネットが今のように普及していなければ、このようなメールのやりとりは不可能ですし、板書に時間を費やして時間を稼ぐような講義が正当化されるでしょう。

       しかしこの利便性は、人間の主体性を奪っているのかもしれません。先日、私の愛用のコンピュータが壊れ、一時的にデータも完全に消失しました。このとき、私はなすすべがなく、私がコンピュータの奴隷になっていることを実感しました。果たしてコンピュータがある世界か、ない世界か、どちらが人間にとって幸せなのでしょうか。

       最近、私はコンピュータのない世界の方が人間にとって幸せかもしれない、と考えることが度々あるのですが、だからといっていったん禁断の木の実を食べてしまった以上、元に戻ることはできません。

       とすれば、これまで進んできた道の延長線上に、人間にとってよりよい環境を構想していく以外にないと言えます。われわれはまさにこのよりよい環境についての考察を深めていこうとしているのです。


  48.  授業の最初の方で教育のあり方について話されてましたが、授業中に自身の教育姿勢について話のできる教官は少ないと思います。その熱意が、二回目の授業になってもさほど受講学生の数が減らなかったという結果になったのだと思います。京大生は楽勝科目だと聞けば授業を受けに来なくなりますので。

      「京大生は楽勝科目だと聞けば授業を受けに来なく」なるとは思っていませんでした。しかし私は講義に出てこなくても、その間、講義を聴くこと以上に有意義な時間の過ごし方をしているのであれば、それはそれでよいと思っています。ただ講義を聴く以上に有意義な時間を過ごすということは、決して容易なことではありません。


  49.  今日も興味深い内容でした。この講義でますます官僚嫌いが すすみそうです。  米輸入の自由化問題もまず反対ありきから出発し、その根拠 に環境問題への影響や自給率の低さを利用したというのは驚き ました。同時になんでも自分たちの都合のいいように利用する 官僚たちのしたたかさにも感心してしまいました。

       今日の日本が官僚制支配を脱却することは容易ではありません。結局は、遠回りに見えても、国民が徐々に市民意識を高め、自立の精神を身につける以外ないのかもしれません。その意味で、徐々に市民運動が盛んになってきていることは評価できると思います。


  50.  10月8日の環境形成基礎論に出席しました。第1回目は別の講義に出ていたので、今回からの参加となります。

     講義を聴いての感想ですが、大きな機関(政府しかり、大学しかり)は、たやすく行動を起こすことが出来ないものなのだと思いました。根本的な 問題を解決するのは組織が大きくなればなるほど大変なことですが、それでも、うわべだけを撫で回していては何の解決にもならないということに は、きちんと目を向けなければいけないと思います。

     僕には、食料自給率が低いということに日本という国がそれほど危機感を感じているようには思えません。自給率の低さについては小中学生にも学 校で教えられますし、実際僕自身もそういう教育を受けました。しかしそこに「危機」という含みがあった記憶がありません。自給率が低いとは言 いながら、それが大きな問題であるという風な教え方はされていないのではないでしょうか。さまざまな問題が国民から見えにくいところに置かれ ていること自体が、すでに問題なのだと思います。

       メール、ありがとうございました。第2回目からの参加ということですが、第1回目にメール到着順50番目までは、必ず返信するという約束をしました。あなたのメール到着順がちょうど50番目でした。もちろん、この後もできる限り返信をしたいと思っていますが、他の仕事もありますし、講義ノート作りもありますので、この後、書くことのできる数は知れていると思います。次回からもなるべく早くメールを送るようにして下さい。

       「さまざまな問題が国民から見えにくいところに置かれていること自体が、すでに問題なのだと思います。」

       確かにそうかもしれません。しかし日本人の傾向として、お上に頼っておればよいと考える性格があるとも言えます。ただそれが許されなくなっている、幸せは自分でつかみ取らなくてはならない時代になっているのが21世紀なのかもしれません。


  51. メールチェック、お疲れ様です。

    一口に食料自給率といっても、いろいろな計り方があるんですね。

    それならば、政府は自分に都合のいい数値を発表しても、嘘をついたことにはならないですよね。

    なんだか詭弁みたいだな、と思いました。数字だけだと、本当のことはわかりにくいものです。

    他の環境に関する講義で知ったのですが、アメリカでも今、温室効果ガス減少目標値に関して同じトリックを使っているそうです。

    政策評価を官僚がしている、というのも始めて知りました。

    官僚の行動を官僚が評価するということは、本当に意味があることだとはあまり思えませんが・・・。

    「官僚主導型の構造」とは、本当によく聞く言葉です。

    むら社会は、構成員の多くにとっては快適な社会ですから、やはり外部から変えていくしかないでしょうね。

    そのためには問題意識を持たなければならないし、そういった姿勢を身につけるという意味でも、この講義で学ぶことは先々とても役に立つと思います。

    そんな姿勢を持っていないと、気がつけばむら内部にいた、ということもあるでしょうから。

       メール、ありがとうございました。今回はメール到着の出足が速く、土曜日にあなたからメールを受け取っているにもかかわらず、すでに約束の到着順を超えた53番目です。少し肩の荷を下ろしてこのメールを書いています。

       あなたのいわれるように、1988年以前も以後も、はっきりとした数字を示して論じているのですから嘘とは言えませんね…。しかし国民を愚弄していることも間違いありません。やはりわれわれはだまされないよう、しっかりと勉強しなければなりません。

       政策評価は、もちろん評価委員会で行われ、純粋な官僚による評価とは言えないかもしれませんが、委員を決めるのが官僚なのですから、官僚に批判的な人が選ばれるはずはなく(少なくとも私のような人間は選ばれない)、結果的に官僚による評価と何ら変わりません。これでは時間とお金の無駄遣いといわざるを得ません。

      「そんな姿勢を持っていないと、気がつけばむら内部にいた、ということもあるでしょうから。」

       確かにありがちなことです。ただ、私の見るところ、若い人たちは着実に「むら」社会から抜け出しつつあるように思われます。


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作成日:2004年10月13日
作成日:2004年10月13日
制作者:柏 久