第5回
出席メール

ページ1



  1.  第五回環境形成基礎論出席しました。

     日本の食料事情を考える材料として日本農家の実体というものは大事なものだと思います。私は今まで農家というものは貧しいというものがありました。しかし本当は豊かだということを知り驚きました。

     近年農家の数が減少してきていますが、その理由の一つは人々(主に若者)が農家の実体を知らないことだと思います。農家の実体を知らないために興味を抱けなかったり間違ったイメージを抱いたりしてるのだと思います。私が今まで小学校や中学校での教育で得た農家についてのイメージといえば朝から夜まで働き後継者不足に悩みせっかく育てた作物をただ同然で買い取られるといったものでした。

     こんな状態では農家の後継ぎが減っていくのも無理ないと思います。やはりもっと国が人々に正しい農家の状況・農家の魅力などを教えていかなければならないと思います(しかしこれを義務教育の一環として行い思想を植え付けるようになってはいけないと思いますが)。

     いくら農業に技術革新をもたらしてもその根底にある農家の問題を解決しないかぎり日本の食料事情は改善しないと思います。もっと人々が当然のように農業に興味を持てる社会を作れれば、と今日の講義で 思 いました。

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

      「いくら農業に技術革新をもたらしてもその根底にある農家の問題を解決しないかぎり日本の食料事情は改善しないと思います。」

       非常によいところに気づかれていると思います。農家の問題、すなわち日本農業の抱える構造的問題を解決しない限り、日本農業はますます衰退していきます。食の問題にしても環境の問題にしても国民全体の問題であり、これらの基本ともなる農業の問題は、国民全体が関心を持たなければならないはずです。

           柏 久

    (以下、定型の返信省略)

  2.  私事ですが。。

     農家に定義があるというのは初めて知りました。その定義によるとうちの祖母もちゃんとした農家ということらしいです。うちの祖母は自給的な農業をしていて、おばさんが働いて稼いだお金や年金で暮らしているので第2種兼業農業なのでしょう。うちの祖母の住む集落はたぶん散居村落にあたると思います。たんぼや畑はかたまって配置されていてバラバラではありません。バラバラになってたら不便ですよね。

     「農業の次世代はコメを作るか?」ということですが、うちの家族に関しては父が仕事を定年退職してから母とともに祖母の実家に移って畑やたんぼを手伝っていくつもりらしいです。定年になってからの農業に夢を膨らませていました。僕も歳をとったら何もしないよりは農業をしてみたいとは思います。

       集居、散居の区別は、住居が集まっているか否かによります。しかも集居といっても、地理的条件から2〜3戸が離れているような所も少なくありません。また、明治以降、換地・交換分合が進んで、農家が1カ所ないしは数カ所に農地を固めて持っているところも少なくありません。また、農地を1つ2つと手放していった結果として、1〜2カ所だけになっている場合も少なくないでしょう。

       後段に関しては、やはり定年帰農の傾向はなくならないと思いますので、農家の数(農水省の定義を下回るものを含め)はある程度維持されると思います。


  3.    今回授業の最初に抗生物質の話がありましたが、私たちの食生活がどれだけ汚染されているかということを考えると恐ろしいことになります。例えば食肉について考えてみると飼育中に抗生物質など様々な薬剤を投与されているばかりではなく製品加工の行程では着色料、保存料などが添加され、さらに商品の劣化をごまかすためにアミノ酸などが添加されたいわば薬漬けの状態のものを私たちは無抵抗に食べているわけだしその他のものを考えてみても汚染されていないものは一つもないという状況だと思います。

     今日小麦、大豆の輸入の話がありましたが実は遺伝子組み換え作物を世界で一番食べているのは日本人だという話を聞いたこともあります。それがいやなら自分で食べるものは全部自分でつくればいいじゃないかとも思いますが、なかなかそれは無理な話で(しかも自分で作ったとしてももともと種自体が企業によって汚染されている)食の安全を求める声は良く聞かれますが本当に少しでも安全な食物を提供してほしいと思います。
     兼業農家に経済的利益がなかったとしても自分で食べるものをある程度は自分でコントロールできるという点では兼業農家をやることはよい事だと思います。   

       食の安全性の問題は、BSE、雪印の問題、偽装表示問題などから注目を集めるようになっています。しかし、元々、資本主義的利益を追求する社会では、利益追求のために、人間にとってより大切なものが犠牲にされる傾向があるように思います。食に関して生産者と消費者の距離がますます遠ざかっていますが、それをトレーサビリティーの確立によって解決しようというのは、本末を転倒しているのではないでしょうか。やはり、消費者と生産者の距離を近づけるよう努力することが大切だと思います。

       夢物語かもしれませんが、私は国民総兼業農家化、というのがよいのではないかと思っています。


  4.  今日の授業も、結構楽しく聞けたと思っています。

     農家の話がほとんどでしたが、私にはむらについての話の方が興味深かったです。日本は今でも、むら社会であり、西洋にもむらはあったが、近代化で消失し、原因は畑作か稲作かの違いが大きいと考えているときいたとき、私の考えている原因とは少し違うなと思いました。私はズバリ原因は地球だと思います。話が脱線しそうなので、軽く話そうと思います。

     日本は西洋より厳しい環境におかれています。地震、大陸との間には広い海があり、向こう岸など見えるはずもなく、厳しい山々がそびえ、天候はすぐ変わります。そのような場所で従来のものを根底から覆すようなものがあったとしても、失敗したとき逃げる場所がありません。ですから従来のモノを極力守ろうという風土がうまれたのだと思います。それが文化となり、ますます頑強になってしまったのではないかと考えます。新しいものを生み出すことは易くはなくなりましたが、おかげであるものを良 くするために手先が器用になったのかも知れません。

     もし、本気でむら社会を壊滅させたいのなら、全員へんぴではない大陸、つまり砂漠のような一人や二人では生活できないところではない所に移動するのが良いかもしれません。

     さて、農家についても触れておこうと思います。農家は思ってた通り意外と裕福だなあと感じました。兼業農家などの話は読んだことがあるなぁと思いつつ聞いていました。来週もよろしくお願いします。

       日本が「むら」社会である原因についてのあなたの見解、おもしろく読ませてもらいました。日本の風土条件が、日本人に保守性をもたらし、「むら」社会という古いものを壊せないでいる、ということでしょうか。この見解についての反論は、今後の講義での私の説明、ということにさせてもらいます。


  5.  第五回の授業出席しました。

     今回の講義では、村社会と日本農業の関わりということが説明され、なぜ日本が村社会になっているのかがわかりました。

     村社会という「枠からはみ出なければ安心して暮らせる」社会が、日本人の不和雷道的な考えを育て、(『世間体』という言葉がそれをよく表していると思います)自分の意見を持つ能力を奪ってしまったことを考えると、村社会こそが今の日本農業を産み出したと考えられるのではないかと思います。

     今回は現在の日本人のルーツに迫ることができる、非常に興味深い講義でした。

       日本の「むら」社会については、まだまだ前段階の話です。あと2回かけて、ヨーロッパでは「むら」社会、ないしは集団主義的な考え方が後退し、日本では残ったのかについて考えていきたいと思います。また、その「むら」社会が日本の農業構造にどのように影響してきたのかをお話しします。


  6.  今回は「農家」という言葉の定義についての話が興味深かったです。僕の中では「農業での利益で生活をしている家庭」ではなく「農業を行う家庭」というイメージが強かったのですが、今のところ「10a以上の農地と15万円以上の(農業での)収入がある家庭」といった具体的な数値によって定義されていると聞いて驚きました。毎年15万円前後の稼ぎがある家庭は、年によって「農家」になったりならなかったりするのですね。凶作の年とかも「農家」が減ったり、販売農家と自給的農家の割合も大きく変わってしまうのではないのでしょうか?

     ある(第二種兼業)農家が、消費した金額と収入金額が一緒になってしまい利益にならないどころか機械を買ってしまった分だけ損をしてしまった話では、第二種兼業農家の多いという時代に合わせて、稼ぎや土地の少ない小規模農家のための、簡易的で安価な農業機械の開発も必要なのかなと思いました。先生の意見とはずれるのかもしれませんが、ひとつの問題に対していろんな面から解決策を模索していくのもいいと思いました。

     授業の前半の感想ばかりになってしまいましたが、とりあえず以上です。

       農家と非農家の境界線ははっきりとしていません。色々の捉え方が可能でしょうが、以前から農業を営み、現在もきわめて小規模であっても農作物を作っておれば農家と呼べるかもしれません。「むら」の構成員であって、農業を完全にやめていないのであれば農家といってもよいとも言えます。いずれにしろ、農家というのは、一見非常に分かり切った概念であるようでいて、実際には非常に不明確な概念なのです。

       第2種兼業農家が所得にもならない(飯米の分くらいは所得になるかもしれないが…)コメ作りをやり続けることを、悪いという権利はわれわれにはないと思います。そして趣味的に農業をやることは、決して悪いことではないはずです。ただ、日本の食糧供給を将来的に兼業農家に託することはできません。とするなら、日本の将来的な食糧供給の中核となる農業経営が多数出現する環境を、いかに整えるかが農業政策の重要な課題であるはずです。


  7.  11月5日の授業に出席しました。

    ムラ社会の話の中で出てきたヨーロッパ人と日本人の
    社会をつくる際の人間との関わり方、
    講義の本筋とは関係無い事でしょうが、耳の痛い話でした。
    私には日本人達が身に付けていると言われる空気を読む技も無く、
    西洋人の身に付けているという、自分の意見を常に持ち、
    理論武装する事もしてこなかったものですから。
    社会に出てたくましく生きて行く為の術が欠けている訳です。
    恵まれた状況に居て、生きる術などに興味を持たず、
    むしろ嫌悪して向かい合って来なかった事の、つけですな、
    これは。

       あなたの自分自身に関する分析、正しいのか間違っているのか、このメールだけからではわかりませんが、生きる術に関心を持たずに生きてこれたということは、ある意味、日本的な「むら」社会にとけ込んできた結果なのかもしれません。

       ただ、今日、IT革命とグローバル化の進展により、「むら」社会のままでは日本社会は閉塞状況を脱することができないように思われます。

       この講義を機会に、あなたが「個」の確立を目指されることを期待しています。


  8.  前回のメールのお返事、有難く読ませていただきました。私の「文章自体に大きな 魅力」があるとのこと、心強い励ましの言葉として受け取った次第です。褒められる と嬉しいものです。単純すぎるでしょうか? ただし、「あなたの文章には、内容 がないわけではありませんが」とのご指摘、私自身、この講義の出席メールでは毎回 いい加減のことしか書けないでいるという気はしていて、多少耳が痛いところです。 しかし、一朝一夕には成らずとも、文章を書く際にはなにか内容のあるものにしたい という気持ちはいつも持っているつもりです。ただ、内容のあるなしというのは、自 分の判断だけでは不十分にも思われ、この点から考えても、前回のお返事、有難うご ざいました。

     さて、今回の講義についてですが、講義を聴きながら、農家とは何か、「むら」と は何か、その大枠と自分の実家の状況とを比較して考えていました。

     我が家は当然のごとく第2種兼業農家です。農業といっても、家で食べるものを作る 程度で、売りに出すということはありませんし、米作りも止めてしまったということ は、以前にも書いたかと思います。田畑の面積などについては、細かい数字は知りま せんが、決して多くないと思います。我が家で農業関係に使う機械といえば、耕運 機、田植え機、草刈機、オート三輪くらいかと思いますが、コンバインなどはありま せん。以前から我が家ではお金を払って近所の専業農家の方に稲刈りをお願いしてい たので、そういったものはないのです。米作りを止めてしまってからは、親戚の米 を、おそらくは(詳しくは知りませんが)農協が買い取る価格と同額で分けてもらっ ているという状況です。そんな有様ですが、私の祖母などは、「人間は地に足つけて おらんと」と言って、やはり、細々とでも田畑を守ってゆく考えのようです。

     「むら」についてですが、私の住んでいた部落を改めて考えてみると、確かに、三重 構造だということが分かります。この部落(この部落が属する旧河内村(現在は落合 町の一部)もですが)は、地図などで見ると、山間を南北に流れる川に比較的近く民 家が集まっており、東西両脇は山で閉ざされたような状態で、この山と民家の集合の 間隙を田畑が埋めているといった具合です。実際、東西南北どの方位を見ても(ただ し、南へ行くと町の中心部の方へ出られるのですが)、基本的には山の上に空が乗っ かっているので、この旧村自体が、ひとつの南北に細長い袋小路のような景観で、そ れだけでも閉鎖的という観は強い気がします。神社もあります。また、田畑も、確か に、個人個人でまとまった場所にあるわけではありません。我が家でも、別々の場所 に、田圃を三枚、畑を二枚持っています。ただし、どれも非常に狭いものです。しか し、それでもそれぞれの田畑が余りにも飛び飛びというわけではなく、ある程度かた まっているかという気はします。それよりもむしろ、我が家の土地が飛び飛びに位置 しているということを実感するには、田畑ではなくて、山のほうを見るのが良いよう です。これにはまったく飛び飛びに、それぞれ異なった山に全部で三つ四つほど、断 片的な土地があり、杉が植わっています。部落では毎月常会というのがありますが、 集団で転作をしているのかどうか、そこまでは分かりません。けれど、私が覚えてい る限り、米を作っていたころは、毎年田圃には一面稲穂が揺れていたという記憶があ るのですが、それも曖昧です。ただ、私の母の実家のほうは、近頃綺麗に田畑の区画 整備をして、小さなものを大きくして、集団で農業をするのだというような話は耳に した事があります。実際、このあいだ盆に帰郷して墓参りに行ったときには、随分大 きくて真四角なコンクリ固めの田畑が目立ちました。こんな具合で、今日の講義の話 と当てはまる部分も多々あるようです。

     「出る杭は打たれる」その他、確かに「むら」の実情だと思います。これについては以前にも書いたのであまり付け加えはしませんが、私は少し敬遠ぎみです。なによ り、大して有難味も感じていない(と、私には見えます)ような風習について、お世 辞にも積極的とは言えないのに、それでも、その風習を取っ払おうということには断 固(?)反対という観もあって、もう何とも言えません。基本的に構成員の平均年齢 が高いということは事実ですから、部落としての方針というもの(が仮にあるとすれ ば)が、若い年代層の考えと必ずしも一致しないというのは、ある意味では自然なの かもしれませんが、それでも、私がいい歳になったときも、まだ、こんな具合だと想 像すると、怖い気がします。「むら」には「むら」の理屈があるということでしょう か。これは、恐ろしく排他的・盲目的な言葉だと、自分で言っておいて、いい気がし ません。

     また内容のない話になってしまったようです。しかし、このような「むら」をどう 変えてゆけばよいのか、あるいは、変えてゆけるのか、私としてはただ諦めて自分は なんとかそこから這い出そうという以外に考えていないのが、正直なところだと思い ます。もちろん、日本社会が根本的に「むら」構造を基調としているのであれば、い ったい何処に逃げ場があるのか、それすらおぼつかないのかもしれませんが。

     尻切れトンボながら、以上でおわりにします。それではまた、次回。

      「褒められると嬉しいものです。単純すぎるでしょうか?」

       お世辞を言われてうれしがるのは単純かもしれませんが、私がお世辞を言わなければならない理由はなく、私の真実の気持ちと受け取っていただいて結構です。2回目のメールに書かれていた、「むら」に対するあなたの気持ちなどは、非常に訴えるものがありました。あなたの感性、書く能力を磨かれ、大成されることを期待しています。

       お祖母様の「人間は地に足つけておらんと」という考え方、私も共感を覚えます。講義でも話しましたが、私の父母はともに富山の農家の出です。私には知らず知らずのうちに稲作農民のエートスが植え付けられているようです。それを実感したのは、尾鷲出身の家内と結婚して共同生活をするようになったときでした。もちろん地域性というものもあるかもしれませんが、それは明らかに稲作農民とは異なるエートスとの出会い、融合でした。

       あなたの「むら」についての記述、興味深く読ませてもらいました。1万数千の集落には、すべて個性があります。あなたの「むら」の事情がよくわかります。山林が分割されていることなどからは、個別化傾向のかなり強いところのようにも想像できます。

       あなたにとっては、良くも悪くも「むら」が原点になっているような気がします。「むら」に対する嫌悪感を感じながら、自分自身の中に「むら」を感じる、それをどう乗り越えるか、それはまさにあなたの課題なのかもしれません。しかし乗り越える壁が大きければ大きいほど、乗り越えるられた時に得られるものも大きいと思います。あなたの今後の成長を楽しみにしています。


  9.  今日の授業受けました
    村社会に関しての授業面白かったです
    農家というものが未だに地域に密着して生活をしているという話が聞いたことがない話で面白かったです
    内部告発が最大の罪であるとか、裏作で作るものを共同で作ったりと具体例を出してくれたのがよかったです
    これからも頑張ってください

       都会の人間にとって、農村の「むら」というものはなじみのないものだと思います。しかし、「むら」は農村だけにあるのではありません。日本の社会全体が「むら」の論理を払拭できないでいるのです。日本社会を大きく規定している「むら」の論理を、その起源にまでさかのぼって見ていくことは、社会変革を求められている今日、意味のあることだと思います。


  10.  11月5日、第5回目の授業に出席しました。

     まず驚いたのはアメリカが戦後の日本に行わせた「キャンペーン」です。といっても、僕が驚いたのはそのキャンペーン自体に対してではありません。アメリカに限らず、概して大きな組織がこのようなことを行うのは不思議ではありませんが、その内容がいかにも・・・
    「日本の食生活はよくない」
    これは現代人の感覚からすれば、馬鹿馬鹿しいとしか受け取られませんが、戦後というアメリカ優位であり、西洋に対してまだ劣等感を残していた時代には信憑性を持って聞こえたのでしょうか。もちろん、現在のように豊富な知識が一般の人々の間にはなかったということも大きな原因であるとは思いますけれど。

    「兼業農家のコメ作り」のパートでは、やはり使用する機械にかかる経費と売り上げが一緒であるというレポートが印象的でした。もちろん、実際には多少の収入にはなっているのでしょうが、ここで、人々を農業につなぎとめる役目をしているもの、ということで出てくるのが「先祖代々の土地」なのですね。
    この感覚は僕にとってはものすごく分かりにくいものなのでした(何かほかにコメントをつけようと思ったのですが、何も思い浮かびません・・・)

     転作と集落の部分では、中世の西洋で行われていた三圃制を思い出しました。三圃制というのは土地を春耕地、秋耕地、休閑地という3つに分けて土地を休息させる期間を作ることから、その土地の生産性の向上を促す、といった方法だったと思います。今、日本で転作を行うときには集団で行いますが、三圃制でも所有地は分散しており、荘園内で集団移動をして行われていたはずです。集居状態にはなかったかもしれませんが(荘園ですから、その辺りは詳しく分かりません)、効率の悪さという点では同じようなものだったのではないかと思います。 ということを考えていると「日本でも西洋でも、もともと同じような村構造があったはず」という言葉が先生の口から飛び出してきて、なんだか妙に納得してしまいました。

     ということで、次回も楽しみにしています。

    P.S.(前回に紹介されていた出席メールでもP.S.を使っている方がいましたが、Sの後にもコンマがちゃんと打たれていて嬉しかったです。さすが京大生(笑))

    僕は毎日JRに乗って神戸から通っているのですが、大阪と高槻の間にコスモス畑があります。
    ただ、そこはもともとは農業用に区画されていた土地のようで、「コスモス畑」は点在しています。これが同一所有者の土地なのか、そしてその一帯のほかの土地がこの所有者以外の者の土地なのかということは分かりませんが、どう考えても農業人口減少の一端を見たような気がして書かせていただきました。

       アメリカの小麦売り込みキャンペーン、今から考えるとばかばかしいものかもしれませんが、当時、私が子供心に感じたところでは、結構皆が信じ込んでいたように思います。集団が作り出す雰囲気というものは恐ろしいもので、真実でないものが真実だと受け取られるのです。それにしてもアメリカはこの手のキャンペーンがうまいとしかいいようがありません。また大局を見て理想のために行動するのではなく、短期的な己の利益のために、アメリカに迎合するに日本人指導者にもあきれかえります。これは今の日本にもそのまま当てはまるのではないでしょうか。

       農民が農地に対して持つ感覚は、都会の人間にはわからないものがあると思います。社会全体に根付く「むら」社会のエートスが変化するには時間がかかりますが、個人レベルの感情は、環境が変われば容易に変化してしまうものだと言えるでしょう。

       私が話したわずかのことから、すでに三圃式農業のことを想像することのできる人がいるとは驚きでした。さすが京大生という思いがしています。これはまさに次回のテーマです。なお、封建制下のヨーロッパにおいては、やはり農村は集落をなしていました。

       通学途中のコスモス、景観をよくしているのではないでしょうか。コメの生産調整によって、コメを作ることのできない田で何を作るかですが、管理休耕というのがあります。田は何も作らないで放置しておくと、どんどん荒れていき農地に復活させるのが難しくなります。そのため管理休耕にも一定額の奨励金が出ます。


  11.  私の指導教官(杉万俊夫)も、村落やいわゆる「ムラ社会」とは関わりを持っていまして、 私自身、フィールドワークとして山陰の村落に行ったことがあります。
    ですので、今回の講義は自身の体験と照らし合わせて感慨深いものがありました。
    今あまり頭が回っていないので、短文ですが、これにて。

       村落や「むら」社会が研究テーマの研究室に所属されている4回生ということで、私の話は初歩中の初歩に感じられるかもしれません。しかしどのような研究でも、基本が大切ですので、再度、基本を確認して下さい。


  12.  《名前のみ》

       メール、届いています。


  13.  11月5日の授業に出席しました。

     本題ではない最初のあたりで印象に残ったんですが、慶応大医学部の教授がアメリカにのせられて(?)「米を食うと馬鹿になる」と言ったということです。今更こんなことを言う人はいないと思いますが昔はそんなことを言う人がいたんだなあと驚きました。

     また給食でパンが出てくるのはアメリカの小麦政策の一貫であるということは全然知りませんでした。米かパンの好みは人によると思いますが僕にとってパンはお菓子のようなものであり、主食にするのはやっぱり米です。

       アメリカの小麦売り込みキャンペーン、今聞くとばかばかしいと思えますが、現在、農水省は日本型食生活が健康によいと逆のキャンペーンをしています。時を見る目、先を見る目の日本とアメリカの違いを表しているとは言えないでしょうか。


  14.  日本の「ムラ」社会構造について考えさせられるところがあった講義でし た。ムラ社会というのは確かに江戸時代(もしくはそれより以前)から形作ら れてきたものですが、少なくともその時代には恐らくは適して機能したもので あったと思います。農村というものは年貢を納めたり、村を守ったり、施設を 修繕管理したりするなど共同でしたほうがよいものが多いと思います。ムラ社 会の同質性、共同性によりムラは保たれて年貢も納められて幕府と農村民は共 によかったのだと思います。

     しかし現在時代は変わり以前の農民つまり専業農家の数は減り、兼業農家の 数の方が多く、貨幣経済や都市が発達しています。そのため必ずしも同じ価値 観が通用し適していくわけではないと思います。もちろん農村の地域社会の共 助というようなものなどよりよい地域社会の形成に役立つものはいいと思いま すが、閉鎖性や排他性のようなものは、特に世界との関係が強まり時代の流れ が早く進んでいる現在では変えていくべきものではないかと思います。

     結局新しく価値観を創り上げていくことが大切ではないだろうかと思いま す。「ムラ社会」という一つの価値体系は時代に必ずしも適しなくなったもの だと思います。しかしそれを壊してそのままにしておくべきではないと考えま す。そのままにしておいたら地域社会はバラバラになってしまうのではないで しょうか。地域社会形成のためにも新しい価値観というものを形成し創り上げ ていくことが重要だと考えます。これにより新しい地域社会を再形成してい き、もっと広い地域社会を形成し、更には顔の見える関係、何をどのように作 っているかわかる農業(地産地消のような)ものにもつながっていくのかもし れないと思えました。

      「少なくともその時代には恐らくは適して機能したもので あったと思います。」

       その通りです。そのことを次回に話そうと思っています。この段落、私が暗示的にしゃべったことからこれだけのことがかけるのですから素晴らしいと思います。

      「よりよい地域社会の形成に役立つものはいいと思いま すが、閉鎖性や排他性のようなものは、特に世界との関係が強まり時代の流れ が早く進んでいる現在では変えていくべきものではないかと思います。」

       これもまたその通りだと思います。「むら」社会の閉鎖性・排他性などが変わらなければならないことに多くの人が気づいているのかもしれませんが、新しい秩序が見つからない、古い秩序によって既得権益をえている人たちが変化に抵抗する、などの結果、なかなか変わっていかないのだと思います。

      「地域社会形成のためにも新しい価値観というものを形成し創り上げ ていくことが重要だと考えます。」

       まさにその通りです。新しい価値観に基づく新しい秩序、それはあなたが暗示されている方向にあると思います。非常にまとまりのある素晴らしい出席メールだと思います。


  15.  11/5の講義に出席しました。

    今年の夏休みに学部の特別講義で農業簿記について学んだのですが、その時の辛さを思い出しながら減価償却の話を聞いていました。何しろ簿記の基礎から応用までをかなりの短期間で講義されたので、付いていくのが本当に大変だったのです。

    今回の講義は、いつもよりいろいろな学問分野に関連する内容だったように思います。講義の中で気になった内容について思いを巡らせていると、いつの間にか全く別の話題になっていて、慌てて意識を現実に引き戻したりしていました。

    書いていて何か妙な感じがしますが、農家は本当に結構豊かなようですね。僕の中のイメージとしては何故か農家のほとんどが裕福でありません。何を根拠にそんなことを思っていたのでしょうか。またもや出てきた経済用語に頭を痛めつつ考えていました。こんなことを言うと都市以外の人々は裕福でないと思っているように見られるかも知れませんが、農業が行われている場所の多くが都市部から離れた場所だからでしょうか。農業はかなりの肉体労働を必要とするものだからでしょうか。他にも様々なことを考えてみましたが、明確な答えは見つかりませんでした。何にせよ、何の根拠もなく勝手なことを考えていた自分に腹が立ちます。しかしよくよく考えてみれば、何かに対して誤った思いこみをしていたり、されていたりということは良くあることのようです。そういったことを減らす為にも、他者に対してより関心を持ったり、逆に他者に対して自分を表現することが大事なのだと思いました。

       メール、ありがとうございました。

       いわゆる農経教室の学生さんですね。夏休みの特別講義というものがどのようなものなのかわかりませんが、いずれにしろ農経の学生さんにとって簿記は非常に大切です。何よりもその基本を理解することが重要です。もし特別講義で簿記の基本を身につけられたとしたら、苦労は報われると思います。

       農家が貧しい、という感覚が一般に広がっているのは、これまた政府が関係していると言えます。昭和30年代、政府は農家は貧しいという前提で政策を展開したのですから。このことは、次回、補足説明したいと思います。

      「他者に対してより関心を持ったり、逆に他者に対して自分を表現することが大事なのだと思いました。」

       これは非常に大切なことだと思います。今後、この気持ちを忘れないようにして下さい。


  16.  第五回目の授業(2004/11/05)の出席メールです。
    前回は送信がかなり遅れてしまったので、今回は早めに送信します。
    今回の授業では、気になった部分が結構ありました。

    1."アメリカの小麦輸出戦略"

    授業の冒頭にあったこの小麦輸出の戦略、改めて米国のしたたかさを感じました。 現在の国際社会でも、あらゆる面で各国(特に欧米諸国)はしたたかな戦略を立てて、 それを着実に実行しているように感じますが(最近ではイラクの背後には石油の利権が あったと半ば公然と語られていますよね)、終戦直後からもうそういう計算が働いていた のかと思うと、ぞっとする反面、すごいなぁとも思ってしまいます。

    それに対して、日本の実直さはもう何と言えばいいか…。『米を食べると馬鹿になる』って、 ちょっと考えればすぐに、あり得へん…ってわかることだと思うんですけど。 弥生時代から何年米食って生きてきてるんだよ…。それにしても、そんなことを堂々と 言うK應大学の御用学者もすごいですね。ただただ呆れるばかりでした。

    ただ、今もこれと似たような現象があるように思います。テレビの健康番組で、根拠が あるのかないのかに関わりなく、某教授や芸能人が『健康にいい』と紹介した品物が 次の日にはスーパーで売り切れるという事態は、決して珍しいことではないと思います。 それに、前回の出席メールで誰かが言っていた「抗生物質漬けの(輸入)食料」に関しても、 社会的な大問題に今のところなっていないというのが不思議です。 単にそういう理科的な話に多くの人が興味がないのか、はたまた権威主義・横並び意識と いったムラ社会の弊害の一側面が現れているのでしょうか(笑)。

    2.兼業農家と農家像

    日本の農家の大半が兼業農家、しかも農業外収入の方が多い第二種兼業農家であるという ことは前から知っていましたが、その農業経営がギリギリ収支の釣り合うものであるとは 知りませんでした。そんな儲けのでない仕事を続けるっていうのは普通に考えればあり得 ないことですよね。儲けがなければ生きていけないんですし。農業を放棄する人が増えて いるというのも納得できます。

    ただ、一つ気になったのが、「農家は豊かである」という部分についてです。配布プリン トにあったように、農家が一般的なサラリーマン家庭に比べて裕福(というか金銭的余裕 がある)ということはわかりましたが、農家とサラリーマン家庭の収入の差というのは、 農家の方が農業所得の分だけ総収入が多いということですよね?農家の方が農業外所得が サラリーマンよりも少ないとしても、その差が100万円(農業所得分とほぼ同額)を超える ことはないでしょうから、この「農家には金銭的余裕がある」という事実は素直にうなずけ ます。しかし、サラリーマンなら勤め先から給料をもらう時に自動的に税金や保健などの 公的負担金が天引きされますが、農家の場合はそういうシステムがあるんですか?いくら 農協というシステムがあるといっても、農協が農家の全収入を把握できるわけはないでしょう から、農家の農業収入は基本的に自己申告制になるのでは?その場合、あまり言いたくは ありませんが過少申告などの不正がないとは言い切れないと思います。それに、これまでの 講義中の話から類推すると、税制面での優遇措置もあるような気がします。これに補助金の 話も絡み出すと、汚い言い方ですが、農家の収入のうち、サラリーマン家庭の収入よりも 多い部分は政府がらみの金ではないか、と疑ってしまいます。結局、「農家は豊かである」 というのは、サラリーマンと同じ土俵の上での話ではないのではないでしょうか。

    ※農家の収入自己申告制や、補助金、税制面の優遇などは上にも書きましたが推測です。 また、過少申告などができるのかということについても確信はありません。もし間違って いるなら、ご指摘下さい。この段落で僕が言いたいことは、最後の一文にあるように、 あのデータは本当に農家とサラリーマンを同じ土俵の上で比較したものなのか、ということです。

    3.ムラ社会

    今回の講義で一番気になったのがここです。僕は生まれた時から大阪市内在住で、自分の 所有物は自分が自由に扱えるものだし、土地だってまとめて一カ所に固めた方が扱いやす いと考えています。その点で、村社会の一体感や、農民の土地への強烈な意識には非常に 違和感を感じました。話は少しずれますが、僕の住む地区には都会では珍しく(?)、未だ に町内会組織が存在しています。町内会もある意味ではムラ社会の一種だと思います。さ すがに授業にあったような強烈な連帯感というのはありませんが、夏には地蔵盆の祭りを 開いたり、冬には火の用心の見回りやかけ声をしたりしています。しかし、そのイベント の実質的な開催者というのは、40〜50歳台の大人が仕事の合間に片手間でやっているとい うのが実情のようです。町内会の仕事に本腰を入れているのは定年を過ぎたご隠居さん程 度です。それに、参加者は殆どが子どもで、せいぜい小学校高学年〜中学生までです。そ の年を過ぎると、殆ど町内会の活動には見向きもしなくなります(実際、僕もそうでした し、同い年の友人達もほぼみんなそうです)。これに対し、授業であったような農村社会 の団結力は非常に強いものです。村全体が一体となる『エネルギー』は何なのでしょうか。 本当に「稲作」だけであれだけの団結力が維持できるのでしょうか。農業分野でも機械化 が進み、共同作業は昔より随分少なくなっていると思いますが、なぜ、あれだけの連帯感 を維持できるのでしょうか。この辺の解説は次回以降の授業に期待したいと思います。

    以上、第五回目の授業の感想でした。長々と駄文すみませんm(__)m。

       長文の出席メール、ありがとうございました。

      1.に関してです。

       どの段落もまったく同感です。

      「テレビの健康番組で、根拠が あるのかないのかに関わりなく、某教授や芸能人が『健康にいい』と紹介した品物が 次の日にはスーパーで売り切れるという事態は、決して珍しいことではないと思います。」  このことの例として、鳥取大学で学会があったとき聞いた話では、みのもんたのお昼のテレビ番組で、らっきょうが健康によいという特集をやったところ、その日の夜にはらっきょうが売り切れて商店から消え、しばらくはらっきょうが売れに売れ、鳥取の産地が大もうけしたそうです。その年、その産地は非常に活況を呈したようですが、徐々にその熱も冷めたようで、2〜3年経ったその時、再度みのもんたにとりあげてもらわなくては、なんてことを組合長が話しておられました。

       付和雷同も、ある意味、「むら」社会の産物だと思います。今の日本人、市民意識、消費者意識が非常に低く、すぐに雰囲気に巻き込まれてしまうのです。何よりも消費者の意識、市民の意識が高まることが必要なのではないでしょうか。

      2.に関してです。

      「農家の場合はそういうシステムがあるんですか?」

       兼業所得の場合、当然にサラリーマンと同じです。問題は農業所得に関してだと思います。これに関しては、以前(京野菜の話の時だったでしょうか…)どなたかの出席メールの返信でも書きましたように、クロヨン(9・6・4)、トーゴーサン(10・5・3)という言葉があります。サラリーマン、自営業者、農業者の収入を、税務署は、この割合でしか把握していない、という意味です。しかも兼業農家の場合、農業の規模が小さいのですから、ほとんど農業に対して税金は払っていないと言えるかもしれません。

       2の引用箇所以下の点については、あえてコメントをつけません。皆さんが自分自身で判断して下さい。ただ、これは日本の農業構造の根幹にかかわることであり、私の講義の第3部を話し終わってからコメントをつけた方がよいと思っています。

      3.に関してです。

       この点は、あなたも書かれているように、次回、次々回の講義で話すことです。強い連帯感を持った集落機能と呼ばれるものも、さすがに現在では、かなりゆるみつつあります。しかし決してなくなってしまっているわけではなく、しかも「むら」のエートスは、日本社会に大きな影響を与えています。この点をうまく理解してもらえるよう、頑張って講義したいと思っています。


  17.  小麦の自給率の低下、輸入量の増大は、アメリカによってもたらされたということはなんとなく想像はついていたが、やり方が露骨だなぁ、と思った。戦後間もないころで日本もまだ経済成長が始まってないような時期だったので、おそらくアメリカとの貿易摩擦などはほとんどなかったと思うのですが、なぜそんなに日本に小麦を売り込むことが必要だったのでしょうか。アメリカが日本に農作物の輸入自由化を求めてきたのは、多分日本の機械製品に太刀打ちできるだけの技術がなかったためだと思っていたので、日本の西洋風食生活を戦後に推し進めた理由はよくわかりません。

     農家と非農家の境界線についてはまるで考えたことがなかったのですが、いざ聞かれるとなかなか難しいものなのかもしれないと思いました。第二種兼業農家が多いというのは昔学んだのですが、八割までになっていたというのは初耳でした。どうやら近年でもますます増えているようですね。ほかに仕事があり、単なる副職として農業はかなりおいしい気がします。あまり詳しいシステムとかはよくわからないのですが、補助金が出る作物を作るだけで月10万くらい入ってくるとしたら、土地を持っている人なら考えてみるのではないでしょうか。実際、自分が住んでいない土地というのは管理が大変であるという話を聞いたことがあります。そこを農地にすればお金がどんどん入ってくるなんてすごいことだと思います。しかし、その補助金という制度を維持するために莫大な税金が使われるというのは納得しがたいものがあります。兼業農家としてやっていく人がいるというのは決して悪いことだとは思いませんが、あくまで農作物で勝負することにして、補助金目当てではやらないでほしいです。ところで、授業中にはそこまでよくわからなかったのですが、先生は兼業農家そのものについてはどのようにお考えなのですか?(肯定or否定的)

     いよいよ「むら」についての講義が始まって、楽しみにしています。ところで、日本は稲作中心だったので「むら」社会からの脱却が難しかったとのことですが、その理由がいまいちよくわかりませんでした。稲作の真ん中にひとりだけ畑作が存在しているのは不都合である、ということなのですか?

       まず第1段目に関してですが、今でこそ日本は技術大国で、自動車などではアメリカよりも数段高い技術を誇っていますが、昭和30年代はじめには日本の車など世界に通用するとは誰も思っていませんでした。その意味で、日本の自動車産業はすごいと思います。当時、アメリカは工業国でもありましたが、それ以上に広大な土地を利用した農業国だったのです。そこで生産される農産物は、アメリカ国内で消費する量を遙かに超えるもので、余剰農産物を売り込む必要があったのです。そのターゲットが日本でした。

       戦後、食糧不足だった日本も、ようやく昭和30年頃には増産政策の効果が現れだし、コメの生産量も増大し始めていました。このまま、コメの増産を指をくわえて見ていて、日本の食糧がコメによって充足されれば、アメリカは小麦などを売り込む市場を失うことになったはずです。小麦に関しては、カナダとの輸出競争もありました。アメリカが大々的な小麦売り込み戦略を日本に対して展開したのは、非常に時宜を得た先見の明あるものだったと言えます。

       やはり問題なのは、日本の対応だったのではないでしょうか。

       次に兼業農家についてです。これも後に話をしますが、戦後、農業への新規参入は基本的に不可能でした。現在は新規参入が奨励されていますが(企業の参入は部分的にしか許されていない)、現実問題として難しいことが多いのも事実です。

       私は兼業農家を良いとも悪いともいうつもりはありません。ただ、兼業農家に将来の日本の食糧供給をゆだねることはできない、ということだけは確かだと思っています。とするなら、ゆだねられるような農業者が出現する環境づくりが重要になってくるはずです。その環境づくりこそ、政府の役割だと考えています。また、他の方の返信メールでも書きましたが、日本人一億総兼業農家化、というできそうにもない夢を持っています。

       最後の質問は、次回、次々回の講義で答えが見つかると思います。


  18.  2回もメールが取りあげられ、自分では少しびっくりしています。
    続けてメールを送ろうという気になりますね。これからも頑張ります。
    さて、今回から、「食料生産の国内基盤」ということで「むら」社会がテーマとなりました。
    「むら」社会という言葉は少し聞き慣れない言葉だったので、非常に興味があります。
    あと2回の講義を通じて、学んでいきたいと思います。

    講義を聴いていて、あることを思い出しました。
    去年の前期に履修していた地理学の講義で、仙台のイグネが紹介され
    、 そこでは集落の農家が共同で農機などを購入し、田植えや稲刈りなどが共同作業で行われていました。
    そのビデオを見た直後は、
    「共同で農作業やれば、高齢者でも助け合うことで、大規模に営農できるし、これはいいシステムだ。」
    と思っていました。
    でも今日の講義で、このイグネも「むら」社会の一つではないかと思うようになってきました。
    きっとそうなのかもしれません。
    確かに「むら」社会というのは非合理な点も抱えているかもしれませんが、
    それはそれで良いところもあるのでしょう。
    (先生のお考えはただ単に「むら」社会に欠陥があるというようなものではないと思いますが。
     私の勘違いであればすみません。もうちょっと頑張って講義を聴きます。  今日は集中力に欠けていました。)
    あと2回の講義を通して、「むら」社会のことについて理解できればと思います。

    講義の中では、美山町と砺波が紹介されていましたが、
    美山は観光地として成功した農村として有名みたいですね。
    このケースでは国の補助金などは絡んでいるのでしょうか?
    (もし講義でおっしゃっていたらすみません。本当に今日は集中力が…。)
    今、京都市近郊で国の補助金などで整備事業などが行われている有名な所を探しています。
    (WTO協定の国内支持で影響しているような…。)
    隣の滋賀県では、日本版の緑の革命が行われたところだというのを耳にしました。
    この2件について、もし何かご存知でしたら、ご紹介いただけないでしょうか?
    それでは、今回はこの辺で失礼します。
    最後の方は流していただいても結構です。先生もお忙しいと思うので。
    1週間で50名のメール返信など、私には考えられません!

       「むら」社会にはもちろん悪い面ばかりがあるのではありません。ただ、日本社会がグローバル化の波に飲み込まれてしまった今日、「むら」社会の論理では世界に通用しなくなるだけです。

       今なお残っている集落機能を利用して集落営農という方法も悪くはありません。しかし、集落の田畑面積は30〜40ヘクタールです。この規模なら1個人経営でも小さすぎるかもしれません。大経営であればよいとは思いませんが、集落営農には限界があるような気がします。

       補助事業のことですが、補助事業で国の金が使われていない例を探す方が難しいのではないでしょうか。京野菜を説明するときに見せた写真の輸入急増農産物対応特別対策事業も、国の補助金が中心だと思います。美山町に関しても、国の指定を受けている以上、何らかの補助金が出ているはずです。

       国営事業としては、古くは巨椋池の干拓があるでしょうし、最近の例としては丹後半島の国営農地開発事業があります。

       滋賀県における日本版緑の革命というのは、残念ながら私は知りません。


  19. 疑問点
    1.ポストハーベストの話のとき収穫した農作物に農薬を振り掛けているとおっしゃられていましたが、何のためにそんなことをするのかわかりません。
    2.国が何故米以外の作物に補助金をかけるのかわかりません。小麦を自給しても焼け石に水で、日本で稲作をするのは気候がとても適しているからでその分安全かつ質の高いブランド米として海外に売り出せるような気がするのですが…小麦など日本環境に適していなくあまり作ってなかったものをわざわざ無理やり作る必要はないと思います。
    3.例にでてきた農家の話で支出が収入を上回りそうなところの話をなさっていましたが実際どのようにして今までしのいでこられたのか知りたいです。

    思った点
    1.小麦の輸入拡大についてですがこれはあくまで結果からみた感想ですが遅かれ早かれ食事が洋風化し小麦は大量に輸入されてたことと思いますがどうでしょう?
    2.農家は実際儲からず、減少の一途をたどっていると思っていましたが本当はそうというわけでなく、結構儲けている農家もあり、退職してからはじめる方も多いので実際あまり減ってないことを知って驚きました。

      「疑問点についてです。」

      1.「何のためにそんなことをするのかわかりません。」

       農産物を船で運ぶには何週間も条件の悪い船中に保存しなければならず、輸送中に病虫害の発生の可能性が高いのです。それを防ぐために農薬を散布します。

      2.「日本で稲作をするのは気候がとても適しているからでその分安全かつ質の高いブランド米として海外に売り出せるような気がするのですが…」

       改めてお話ししますが、すでにふれたように、コメの内外価格差は1999年の時点で11倍ありました。現在約5倍といわれていますが(私はもっと高いと思っています)、これだけ内外価格差がある商品がたとえ品質が高くても輸出できるとは考えられません。しかも日本人が食べるジャポニカは、世界ではマイナーな品種です。

      3.「今までしのいでこられたのか知りたいです。」

       第2種兼業農家は、兼業所得だけでほぼ生活が成り立ちます。したがって、農業が趣味であっても生活ができるのです。

      「思った点についてです。」

      「遅かれ早かれ食事が洋風化し」

       おそらく洋風化は必然だったろうと思います。しかしこれほどまでに急速、かつ強力な洋風化が進んだかどうか疑問です。小麦の輸入先もアメリカの割合が減っていたかもしれません。


  20.  第5回目・11月5日出席いたしました。

       メール、届いています。


  21.  今回の授業出席させていただきました。

    今回の授業では、農村部に残る「むら」意識がひとつのテーマであったと思いますが、私は日本のような農地面積の少ないところでは、他人の農作物に自分の農地で発した悪影響を与えないためにも、それぞれが互いを監視しあいながら助け合う「むら」意識といったものが必須なのだろうと思います。また、現代の農業のあり方は、この村意識を頼らざるを得ない状況となっていると思います。というのも、授業で、機械の減価償却の話が出ましたが、機械が高すぎるため、どうしても一家で一台というわけにはいかず、みんなで協力しなければならなくなるからです。

    以上のようなことを考えると、プライバシーの重要性をとかく唱えて他人の干渉を拒む現代の若者たちが農業の道に進んでくれるとは考えにくいと思われ、将来に多少の不安を感じてしまいました。

       今日においても、日本農業に「むら」意識が必要か否かは、よく考えてみなければならない問題です。この点についてはあと3回の講義の後に、もう一度議論しましょう。

       若い世代が魅力を感じるような農業でなければ、その将来はないわけですが、「むら」に若者が嫌悪感を感じるようでは、やはり「むら」意識に問題があるといえるのではないでしょうか。


  22.  僕は外国に行ったことがないので、ドイツ留学についてもう少し語って欲しかったです。あと、農家の収入は予想より少し高めでしたが、専業農家の方は台風で不作だったりして収入がない時は生活に困ったりしているんですか?

       ドイツ留学の話、機会があればまたしたいと思います。いずれにしても、1991年の3ヶ月のドイツ留学は、私のその後の人生を決定づけていることは間違いありません。もっと若い時期に、もっと長期間ドイツで生活したかった、というのが私の偽らざる気持ちです。おそらく、私の人生は一変していたと思います(それがよかったかどうかは別として…)。あなた方若い世代は、機会を作ってでも海外生活をされることをお勧めします。

       自然災害による減収は、農業にとっては宿命といわざるを得ません。


  23.  5回目の授業に出席しました。先生もかぜをひいたそうですが僕もここ数日せきがとまりません。早く治したいですね。

    ところで今回の授業に関連して興味深い話があります。実は僕の高校時代の教師が今年教師生活を引退してなんと農家を始めたのです。その教師は都会育ちだったのですが、結婚相手が新潟に住んでおられた方だったらしくそれ以降、人生の最後は農業をして終わりたいと考えるようになったそうです。身近なところにこのような話があるので僕は農業が完全に衰退するとは思わないです。

    それから美山町の農業ですが、確かニュースステーションで特集が組まれていました。だいぶ前のことなので正しい情報かははっきりしませんが、美山町では農家が自分で生産した作物の価格を自分で決め、名前も明記して販売するようなマーケットがあるそうです。この生産者自身が生産から販売をする農業は革新的でいいんじゃないかと思っています。

       風邪、お大事にして下さい。私もまだ咳が止まらず、体がだるい状態がつづいています。家族6人、全員に風邪が蔓延しています。

       高校の先生の話、「さもありなん」と思います。定年後遊んでいても限界があります。最近は60歳といっても、まだまだ働ける年齢です。老後に農業なんて素敵ですね。

       美山町は、非常に立地条件の悪いところで過疎に悩んでいたのですが、リーダー層がよかったのか、活性化しています。やはり地元での創意工夫が大切だということがわかるよい例だと思います。


  24.  輸入に頼ると食の安全性が失われる傾向があるということは、頭ではなんとなくわかっていましたが、改めて指摘されるとなるほどとと感心させられました。このことは輸入に頼りすぎるとどんな弊害が起こるのかを説明するのに有効な手段になりうると感じました。

       色々な試みが行われていますが、食の安全性を確保するには、結局、自らの主体的な努力しかないのではないでしょうか。消費者と生産者の距離が遠くなればなるほど、食の安全性は危うくなります。消費者が顔の見える関係の生産者と産直するというのが、一番よいような気がします。


  25.  出席しました。

       メール、届いています。



  26. まずは、気軽に使っている「農家」の定義について 驚かされてしまいました。
    また、その農家の8割が第2種兼業農家であるという事実にも
    やはり、という気持ちがぬぐえませんでした。

    第3次産業が栄えるわが国。
    悪いとまでは言い切れません。
    ですが、生きていくことの根本を忘れそうで怖いです。
    一番身近なはずの第1次産業が遠くにあって
    自らの地盤が緩くなってしまうのではないかと危惧します。

    農民的文化、地理的事情によってムラ社会の成り立つ日本。
    昔は、ムラ社会が本当のムラ社会に成立していたために
    今ほどの問題はなかったと思います。
    現在の文化は、アメリカなどの西洋諸国に侵食され
    中途半端にムラ社会でなくなった中、心理的には
    ムラ社会的考え方が席巻しているという状況なのではないでしょうか。

    パン食について、アメリカの小麦が余って……という話は
    聞いたことがありました。
    給食でパンの味を覚え、それを家庭にも導入し、と
    パン文化が日本国内で循環し、ごはんがないがしろにされてきました。
    近年はそれも持ち直しつつあるような気がしますが
    それでも消費量が伸びるところまではいきません。

    いまの日本を考えると
    地盤が弱い、そんな印象を受けてしまいます。

      「現在の文化は、アメリカなどの西洋諸国に侵食され
      中途半端にムラ社会でなくなった中、心理的には
      ムラ社会的考え方が席巻しているという状況なのではないでしょうか。」

       その通りでしょうね。日本にとって、今は非常に大きな転換期なのだと思います。遠からず、日本人の「むら」的思考も変化すると思いますが、新しい社会システムは、日本の伝統的なよさを残しながら、「個」が尊重されるものではなくてはならないと思います。

       今となっては、食の洋風化を日本型食生活に変えていこうとしても、限界があると思います。だからこそ、食の洋風化にあわせた生産構造の変革は是非とも必要なのです。


  27. 今日の講義で興味深かったのは、日本農業の非効率性 の問題は決して、日本の国土が狭くて山地が多いという 地理的要因だけではないということです。むしろ、ムラ 全体で、個人個人が分散して持っている農地に対して 総有観念を持ち、集居して、農業を共同で行っており、そして 農場制のほうがずっと合理的であるにもかかわらず、農水省は現状維持のため 補助金を出してきたのですね。

    日本の食料政策のためにはもちろん、日本農業を少しでも効率化合理化 して、コストを下げることが大切だと思うのですが、それと、日本の文化 保持というのは相反するものなのだろうか、と考えています。 ムラ文化の中で培われてきた伝統的価値観もあると思うのです。 例えば、鎮守の森、というようなものが日本人の宗教的価値観 をあらわすものとしてしばしば引き合いに出されますが あれも、集団的なムラ農業から発達してきたものでしょう。

    話が変わりますが、最近99ショップで安い加工食品などを良く買うのですが、 原材料を見ると、中国産が多いので、少し心配です。 日本産の食料が、外国製品に勝る唯一の点が、安全性なのではないかと思います。 以前アメリカにいたのですが、食べ物は安く大量に手に入ります。でも、 安全性の面では安心できない面が多々あります。 アメリカ人の女の子の成長が良いのは、牛乳に大量にホルモン剤が含まれているから で、たくさん牛乳を飲んだらナイスバディになるよといった、冗談 を言う友人もいました。 確かに、アメリカなど外国の農業は徹底して合理化コストダウン をはかっている、でも、その結果犠牲にされているのが安全性 だと思います。それを日本農業は逆手にとって、少々コストが 高くついても、農薬、化学肥料などの基準を徹底的に厳しくすることで、 国産の食料に対する消費者のこだわりを生み出すことができるのでは ないかと思います。もちろん有機農業などを個人的に実践しておられる方は いますが、有機栽培と表示されていても消費者はそう簡単に 信頼しないです。だから、国など第三者が、国産の食料品の安全性 を厳しく管理、評価する必要があると思います。

       次回以降にお話ししますように、稲作農業においては、明治維新以後の近代化過程においても「むら」(集落)というものが合理性を持ちました。しかし、今日ではその合理性はほぼなくなったと言えるかもしれません。

       稲作農業が、日本の文化の基本にあることは間違いありません。このことについても、今後、講義の中でふれたいと思っています。

       食の安全性に関していえば、他の方への返信メールにも書きましたが、生産者と消費者の距離を近づけるのが一番よいのではないでしょうか。「顔の見える」という関係ということがよくいわれますが、そうした関係を基本にしたシステム作りが重要となるように思います。

       有機農産物の生産者と意識の高い消費者は、以前から産直という形でこの関係を築きあげています。このあたりに新しいシステム作りのヒントがあるような気がします。


  28.  出席メールを書きます。

     柏先生の生徒さんの例をみて、国が指導する農業が矛盾しているというか、マイナス面が多いということに気が付かされました。減反政策による生徒さんの例では、米の販売代金と支出が釣り合わないということでした。減反政策で米を作ることができず、それによって農業を離れざるを得ない人だってでてきます。したがって農業が衰退するのでしょう。その土地にはマンションや建物が建つのかもしれません(僕の実家の裏の田んぼにもマンションが建設されており、日が当たらないという非常事態につながる可能性があります)。それにより、自給率低下や景観を損なうといった事が起きます。また海外からの大量輸入もそれにつながります。畜産の餌だって農家に選ぶ権利を与えないような束縛のような指導では発展するはずがないように思えます。日本の農業の現状・国家に対してより正しく批判、判断できるような目や頭を授業で養っていきたいと思います。

       日本農業が大きな矛盾を抱えていることが、徐々にわかってきてもらえているのではないでしょうか。当局の見識のなさに基づく失政続きが、日本農業をここまで追い込んでしまいました。何よりも問題だったのは、農業者の主体性を生かす形ではなく、上意下達方式で農民を非常に不自由な状態にしてきたことです。どのようなものでもそうですが、個々人の活発な創意工夫が発展を導くのであり、それが妨げられていては、衰退しかないのは当然です。日本農業の衰退の結果、食の安全性に対する不安や環境悪化が問題になっています。日本農業の活性化を実現するためにも、一日も早く農業者の創意工夫が生かされるようなシステムを作っていく必要があると思います。


  29.  第五回の出席メールです。

     今回も勉強になることが沢山あり、特に集団転作の話などは、工学部でかつ高校時代地理を触らなかった私には納得するところが多かったです。

     ただ一番疑問に感じたのが「農家」と呼ばれる人達の定義で、どの基準でどこからが農家なのか、農家でなかったらどうなのか、それを明確にすることの必要性があまりわかりませんでした。今の時代ひとつの職業にとらわれずに様々な分野で仕事をしていかなくてはならないのは当然のことだし、それをあえて兼業農家だから非農家であるかどうかと議論することは無意味なことだと感じました。

       農家を定義することに意味があるのかということですが、日本農業がどのように変化しているかを知るためには、必要なのではないでしょうか。どのように変化しているのかを知るのは、日本農業をどのように導いていくかを決めるためであり、このような統計資料に基づき、農業政策が立てられることになります。

       しかしそもそも農業政策が必要か、という疑問があり得ます。ただ工業においても様々な政策が展開されており、産業政策が不必要だとは言えないのではないでしょうか。


  30.  今まで農家は貧しいと思っていましたが、先生の話によるとそうでもないんですね。それでも、今の若者が農業をしたがらないのはやはりかなり大変だからでしょうか?

     私の父は会社員ですが数年前までは自宅で米を作っていました。でも、機械は高いし大変だからといって今ではやらなくなってしまいました。近所の人たちもしなくなってしまい、放置されている土地もあります。前の授業で紹介された中山間地のようになっています。何かに有効利用できればいいのですが…。

       兼業によって生活が成り立っている以上、農業をつづけなければならないわけではありません。しかし農地を手放さなければならない理由もまた、生活が成り立っている以上、ないのです。先祖伝来のとか、他の村人に対する対面などから、農地はよほどのことがなければ手放さず、そのことが定年就農をも可能とします。兼業農家にとってもっとも作りやすいコメが生産調整で作りにくくなれば、作るのをやめても言い訳が立ち、連鎖的にコメを作らない農家が多くなっても不思議でありません。


  31.  授業を聞いて、「この肉は肉骨粉を使用しておりません」という売り文句は 信用できないということがはっきりとわかりました。 だいたい肉骨粉を使ったかどうかなんて、肉を調べてもわからないのですから、 全部「使っていない」と表記してもばれませんし。 どれくらいの畜産家が、肉骨粉の入っている可能性のある配合飼料を使っていないのか 非常に疑問ですね。

    「農家は豊かだ」というのは、あまり聞いたことがありませんでした。 テレビでは、どれだけ手間暇かけて作物を作ったか、という点がクローズアップ されている番組が多く、農家は大変なんだというイメージがありました。 しかしその苦労の見返りに得られる収入は大きく、さらに政府の補助金や他の収入を 含めると、他の職業に比べ裕福であるという点は、初めて知り驚きました。 ただ今年は台風や水害などで農家の方にとっては「試練の年」でしょうね。 次回から本格的に「むら」について扱うということで、大いに期待しています。

      「どれくらいの畜産家が、肉骨粉の入っている可能性のある配合飼料を使っていないのか 非常に疑問ですね。」

       確かにこのような見方も可能ですね。生産者が、自らの作る製品に全責任もてない構造などというものは、やはりどこかおかしいと言わざるを得ません。農業と工業とは、その本質において非常に異なっているにもかかわらず、農業に対して工業の論理を当てはめようとするところに大きな問題があるように思います。

       農業が楽な仕事でないことは間違いありません。しかし、農家が貧しいとか、農業では高所得をあげることができないというように思われていることは、明らかに間違いです。ただ、現在の日本農業には多くの制約があって、将来に展望がもてないことも事実です。とりわけ農業政策が当てにならないということがもっとも日本農業の将来を暗くしている理由もしれません。

       また、農業は自然を相手にやらなければならず、天災の危険に絶えずさらされています。


  32.  まず、食の安全性に関連してですが、こんな話を聞いたことがあります。ある農家の人が、自分で食べる用の野菜と、出荷する用の野菜を別々に作っていて、自分で食べる用の野菜は手間をかけて丹念に育てるけれども、出荷する用のものには農薬を沢山使って育てていて、出荷する野菜は、「そんな危ないもの食えるか!」と言い放ったということです。この話が本当かどうかは存じませんが、もし本当であれば(私は本当だと思いますが)、食の安全を考えるならば最終的には自分で栽培するほかないのではないか?と思ってしまいます。つまり幾分か毒が含まれていることは分かっているけれども、生きていくうえでは食べなければならないので、妥協しているのが現状ではないでしょうか。それに全く薬を使っていないとしても、外部からの影響として汚染されてしまう可能性もありますし(地中に汚染物質があった、とか、ダイオキシン濃度が高い、とか。マスメディアの過剰な放送戦略に乗せられてそう思ってしまっているだけかもしれませんが)、食の安全確保は、とても難しい話ですね。

     あと、アメリカの商業戦略が見事に成功したということでですが、そんな策にまんまと乗せられているのは癪なので、小学校の学校給食を全て米中心にするのが良いのではないかと思うのですがいかがでしょう。そうすれば(小さいときの習慣はなかなか抜けないと私は思い込んでいるので)、その人たちは後々も米を消費してくれるから自然と米の消費は増えて減反の必要がなくなって日本の農家にはうれしい、しかも小麦を過度に輸入する必要もない、ということにならないかなあ。家庭の食は洋風化しているだろうから無理かもなあ。それにこんなこと言うとすぐに馬鹿にされるんだろうなあ。ろくに検討もされずに「不可」とか。確かにばかげた案であるかも知れませんが。

      「この話が本当かどうかは存じませんが、」

       私もこの手の話をよく聞きます。今日のように生産者と消費者がまったく顔の見えない関係になっておれば、あり得る話です。しかし私は確たる証拠(事例)を持っているわけではありませんので、真偽については何とも言えません。ただ、以前、生産者の方から天日干しのコメをいただいたことがあります。販売のためのコメはすべて農協のカントリーエレベーターで乾燥調整しており、自家消費用にごく一部を天日干ししているのだそうです。そのいただいたおコメは、私が日頃食べているものに比べて数段おいしかったことを今なお覚えています。

      「生きていくうえでは食べなければならないので、妥協しているのが現状ではないでしょうか。」

       その通りでしょうね。人間いずれは死ななければならないのですから、差し迫って死に直結するのでなければよいか、ということになっているのでしょうね。

      「ばかげた案であるかも知れませんが。」

       ばかげた案だとは思いません。事実、われわれの世代の給食にご飯が出た記憶がありません。秋にはサンマとパンと牛乳というメニューがあった記憶があります。なぜこんなことを覚えているかというと、サンマが非常においしく、ご飯といっしょに食べられたらもっとおいしいのになあ、と子供心に感じたからです。当時はまさにアメリカのキャンペーンのまっただ中だったのですから、ご飯が給食になかったのは当然だったと思います。現在の給食の内容はよく知りませんが、少なくともご飯の日は結構あるのではないでしょうか。コメ消費拡大のため、給食をご飯中心にすることは、現在も進められているよい案だと思います。


  33.  授業で農家は豊かであるというのを聞いてけっこう驚きなんですが、なんで僕らが農業に対して儲からないイメージをもってしまうのかというのはわかる気がします。

     農業はもっとも必要なことでありながら、経済の成長期には工業が大きな役割を果たしたことから前時代的なイメージを抱いてしまいます。大学が学部や学科の名前を変えるだけで受験者が増えるように農業も名前を変えたらいいんじゃないかと思います。アグリビジネスでも弱い気がします。いいのが思いつきませんが・・・。

       おっしゃること、よく理解できます。農業経済学科が食料環境経済学科に名前を変えるだけで、結構受験生が増えるのですから。しかし農業は農業です。そして農業は人間の「生存」にとってなくてはならない大切なものです。それを理解できない人が、農学を学ぶなどということは、非常に恐ろしいことではないでしょうか。

       農業のイメージがなぜ悪いのかということを考えるとき、為政者のイメージの植え付けというものがあるような気がします。明治以降、近代日本の為政者は、江戸時代がいかに暗くてひどい時代だったかを国民にあらゆる機会を利用して植え付けてきました。しかし近代社会の負の部分が明らかになってきたとき、江戸時代はそんなに悪い社会ではなかったのではないか、と思われるようになってきています。

       近代化過程において日本は工業立国を目指してき、大きな成功を勝ち得ました。そしてその過程において(とりわけ戦後)、農業に負のイメージを与える為政者のキャンペーンもありました。しかし社会全体の工業化がもたらした負の側面(環境悪化や人間性の後退など)は、非常に大きいと言わざるを得ません。今こそ農業の重要性をアピールしていくときではないのでしょうか。そのためにも、日本農業はそのあり方を改革していかなくてはなりません。


  34.  今回の授業で印象に残ったのは、コメの収入がほとんど機械の維持に使われていることを示す、減価償却費とコメ販売代金の式計算です コメの売上がほとんどその機械の維持費に使われていることを初めて実感しました 50万前後のプラスがあるものと思っていたのですが… しかも他にも光熱費などを支払わなければならないということで、兼業農家が8割を占めるのも当然かな、と思いました(まあ、どこからが農家だと決めるのは、授業でも言われた通り、無理ですが… 規模の小さな畑を営んでいるサラリーマンも多いかも知れませんからね) そう考えると次世代の人達も、土地があるなら、退職後なんかに、農家を引き継ぐと思います(退職後は時間があるから 実際、知り合いもそうでしたから)

     さて、むら構造に話題を転じますが、先週疑問に思ってたむら構造というのは、集団で一つの土地をもち、それを皆で分割したり共有したりしていること、ととらえていいんでしょうか? 日本人の集団意識が欧米と比べて非常に高いところからきているのですかね? 先生が最後におっしゃられた、稲作と畑作の違いによる仮説が非常に興味深いです

       例に出した第2種兼業農家のコメ作りが経済的にペイできないのは、コメの作付面積が過小であるにもかかわらず、機械をフル装備(所有)しているからです。過小であるというところに重点をおくか、機械所有に重点をおくかは見方次第ですが、経営(作付)面積を大きくすれば、当然にペイできるようになります。やはり大規模稲作経営は必要不可欠といえるでしょう。しかし過小兼業農家を排除すべきではないと思います。今回何度も書きますが、私は、大規模稲作農家と共存して、国民総兼業農家化というのがよいのではないかと思っています。

       「むら」については、今後の2回の講義で、私の考え方を理解していただけると思います。


  35.  先日の講義を聴いて農村社会の特質についてなるほどと思いました。私の祖父母がそのような場所(新潟)に住んでいたので私が数年前に遊びにいったときのことを思い出しました。私が父と祖父母の家に行った時、祖父母はお寺の和尚さんのところへあいさつに行くように言いました。その地域は、正午になるとそのお寺(兼和尚さん家族の家)の方が鐘を鳴らすことになっているそうです。また、近くに旅館もあるのですがその経営者の方も地元出身であり毎年年賀状を送るぐらいの関係です。その他の人もお互いをよく知っていて、この地域は本当に互いの関わりあいがあると感じました。しかし、若者はこの場所を離れていくことが多いようです。また、今回の地震により都市にでて行った身内のもとで住むことになる場合もあり、このような関係をもつ地域が今後残ることは難しいと感じました。

       「むら」の人間関係については、都会の人には理解しがたい面があると思います。しかし、日本人の性格、日本社会の構造には、「むら」のエートスが非常に色濃く影響を与えているのです。その点をさらに2回の講義で理解してもらうことができたら、と思っています。


  36.  出席しました。家畜の飼料の配合ができる、できないなどの事は、考えたことも無かったです。いろいろな細かな問題にも気づいて、目を向けられるようになりたいと思いました。

       農学部の学生さんですから、農業のことに深い関心を持っていただきたいと思います。


  37.  まず、今回の授業で一番感心(いや、感動)したことは、やはり柏先生の授業に対する姿勢でした。風邪をひかれているのにも関わらず、バイクで調査に出掛け、そして授業を行うという先生のお姿には、頭が下がる思いでした。これからも頑張っていい授業を作っていって欲しいです。いや、一緒に作っていきましょう!!(ただ、頑張りすぎて体を壊すことにはならないでください。)

     次に、私事的な話になりますが、僕は先生の授業を受けて以来、経済学の農業経済学という分野に興味を持ち始めました。そして、タイミングよく、経済学部は2回生の時からゼミに所属するので、この時期にゼミ紹介があり、ゼミを決めるのです。もちろん僕は、農業経済学を扱うゼミに所属しようと思いましたが、なんと、そのようなゼミはありませんでした…。非常に残念です。ただ、3・4回生になれば、農業経済学の授業はあるみたいなので、そちらに期待することにします。

     最後に農家についてですが、僕も先生と同じように農家は本当に豊かだと思います。農家の平均所得が、約八百万で、貯蓄総額が二千数百万だなんて、儲けすぎです。農家は、後継者がいなくて、困っているとはよく聞きますが、もし本当に後継者問題を解決したいと思っているのなら、農家の方々も、農家は儲かるのだ、豊かなのだ、ということを大々的に広めればいいと思います。

     これからも農業の問題点とその原因についての授業を期待しています。

       まず授業に対する姿勢ですが、私は、今の京大の教育姿勢に疑問を持っています(本当は教育姿勢だけではないのですが…)。自学自習も悪くないですが、潜在能力の高い京大生が、その能力を少しでも引き出せるよう力を貸すのが教員のつとめであり、それは教養教育の段階からやらなければならない(この時期が一番大切だとも思っています)、と考えています。今テニスに夢中な法学部2回生の次男には、バカにされていますが、彼にもいつかはわかってもらえると信じています。

       私の講義がきっかけで農業経済学に関心を持っていただけたということ、たいへん光栄です。3回生はそれこそ自学自習され、3回生になられたらゼミで大いに研究を深めて下さい。

       農家の若者が都会に出て行ってしまう大きな原因の一つに、「むら」における人間関係の煩わしさというものがあります。自らが「むら」のエートスに染まっていながら、「むら」を嫌悪し、都市の自由を求めるのだと思います。しかし、最終的にはまた「むら」に帰っていく可能性もなくはないと思います。


  38.  今回の講義ではむらの話がおもしろかったです。講義を聴いた後、阪急京都線の電車の窓から景色を見ているとお話どおり集居村落でした。田んぼがあるところは田んぼだけがあって、家があるところは家だけがある。この景色が私は美しいと思うし好きです。もしかしたら多くの日本人にとって散居集落よりも集居集落のほうがどこかしっくりくる、懐かしい光景なのかもしれません。ただ実際農業をすることを考えると家に置いている機械を田畑まで移動させなければいけないなど、素人がちょっと考えただけでも分かるほどの短所があります。肥料を家の肥溜めから運ばなければいけなかった時代にはもっと効率が悪かったのではないでしょうか。しかし私は今まで毎日なにげなく見ていた景色に意味を見出せたこと、そこで農業をし、生活している人々のことを想像するきっかけをもてたことだけでも大きな意味があった気がします。

       メールを読んで、うれしい気分になりました。それまで何気なく見ていた風景の、背後にあるものを考えてもらえるようになったきっかけが私の講義であるとするなら、講義のし甲斐があります。とりわけ農学部の学生さんにそのような気持ちになっていただくことは、私が求めていることです。今後も、大いに農に関わる現象に関心を持たれ、その背後にあるものについて深く考察して下さい。


  39.  第5回環境形成基礎論の出席メールを送らせていただきます。

    なぜ、現在の日本の農業がこのような悲惨な状態から抜け出せないのか。
    その原因が「むら」社会にあるとする論理の筋道が、だいぶ見えてきました。

    今の日本の農業は、本来あるべき姿とはかけ離れた、あらゆる意味で“循環しない”ものになっています。割に合わないし、合理性もありません。問題が雪だるま式に増えていっています。しかし、そうなってもなお、農業をやめることもできず、改善するための試みも進まない理由、それは、「むら」社会の発想がまだ根強く残っているから、というのには、納得がいきました。先生の「むら」社会についての詳しい分析は来週以降に聞けるのでしょうが、感覚的に想像できる気がしました。田舎の生まれですから・・・。

    でも、都会の人にはなかなかわからないんじゃないかな、この感覚、と思いながら聞いていました。「横並び」の考えは今もさまざまな場面で私たちを縛っているように感じます。私にとって一番切実なのは、京大卒の学歴なんかもって地元に帰っても、逆に働けない、とか(笑…えません!!)。

    農業から脱離しつつある地域でも、いまだ「むら」的発想が残っているのはなぜなのでしょう。「むら」的発想は、農業に端を発しているものの、稲作とは独立に根付いているものなのでしょうか。ヨーロッパでは「むら」構造を脱することができたのに、日本ではできない。それどころか、異業種にまで敷衍してしまった。それは、畑作と稲作の違いだけに還元されうるものなのでしょうか。

    今まで、「むら」構造にどっぷり浸かってきましたから、なぜ、とは考えたことがありませんでした。こういうものなのだ、と思うばかりでした。でも、そのような構造の始まりだとか、機能だとかを、考えてみようと思いました。農業がシフトするための鍵がそこにあるのかどうかはわかりませんが。

    話は変わりますが、なあなあで済ませるとか、言外にほのめかすとか、自分の意見を声高に主張しないとか、日本の伝統としてそのような態度があります。今の日本社会でも、割と常識のようになっています。それらは「むら」社会の暗黙の了解として受け継がれてきたものといっていいと思うのですが、先生はそれらについてどう思われますか。今は、「国際的」に通用する人間が必要だと言って、自分の意見を表明できる人間が急にもてはやされていますが、なかなか変われないものですよね。私は、いくら国際社会を渡っていけないと言われても、“主張しない”態度をある種の美徳として尊重する発想は大事にしたいな、と思うのです。もちろん限度はあります。ですが、私が考えるに、そのような態度をとる日本人の多くは、“本当に自分の考えをもっていない”のではないでしょうか――主張の仕方を知らないだけではなく。今日本人に欠けているのは、ディベートする力より、英語力より、自分自身の頭で考えて意見をまとめる力なのではないかと感じます。何でもかんでも、意見を言う作法まで西洋流にしなくてもいいじゃないの、という稚拙な反発だと言われれば、まあそれま?
    《文字化け》
    言うべきときには言わねばなりません。しかし、はっきり言えればいいと言うものではないでしょう。今真に必要なのは、しなやかな思考力なのではないかと思います。

       「むら」に生まれ育った人にとっては、「むら」とはどのようなものかは周知のことで、少しヒントが与えられれば、「むら」とはどのようなものなのかが理解できます。「むら」に嫌悪感を感じてそこから抜け出そうとしている人も、こんなものだろうと順応している人もいるでしょうが、いずれにしても身近なものであることは間違いないでしょう。しかしそれでは日本の農村に普遍的に存在する「むら」がどのようにして成立してきたのか、また近代化の中でどうして解体しなかったのか、ということになるとわからないはずです。次回はその点を明らかにしたいと思います。

      「それらは「むら」社会の暗黙の了解として受け継がれてきたものといっていいと思うのですが、先生はそれらについてどう思われますか。」

       日本人の特性は、まさに「むら」社会が長く残ってきたことに由来すると考えています。講義の中でもお話ししますが、戦後間もない頃は日本の人口の5割近くは農家人口でした。都会で生活する人たちの多くも、農家の二三男で、農村では生活できないので都市に移り住んだ人が多く、そうでなくても何らかの形で農村とつながりを持っていたと言えます。「むら」のエートスが日本人の性格を規定していたとしても、何ら不思議はありません。

      「“主張しない”態度をある種の美徳として尊重する発想は大事にしたいな」

       私も、このような態度を美徳と思っています。私もまた「むら」のエートスを生まれたときから父母に植え付けられてきたからです。にもかかわらず、私は、これとは180度異なる「個」の確立を強く主張するようになりました。それがなぜなのかは、最終回の講義の時にお話ししたいと思っています。

      「今真に必要なのは、しなやかな思考力なのではないかと思います。」

       これについてはまったく同感です。


  40. 第5回目の授業では、集団転作についての話が興味深かったです。…というか、第3回目の出席メールで「むら社会」のことについて触れたように、このような日本の社会構造について理解するのは農業だけではなく、法学にも直接役立つので楽しみにしていました。

    集落全体での集団転作がなぜ必要であったのかということについては、湿害を最小限に防ぐため、集落全体で計画をたてた方がよい、畑作での忌地現象を防ぐためなどの理由があることが分かりました。また、一般に散居集落の方が、農業には合理的であるのに、日本では集居村落が多いことも分かりました。

    日本でのむら社会の発達は、稲作農業の伝統によるところが大きいことはいうまでもありません。こうしたむら社会の構造を前提に、法学でも例えば民法を見ると非常に分かりやすいです。民法第249条から264条には共有についての規定が定められています。そして明文規定はないものの、そこから合有・総有という法概念を考えることができます。共有においては各自は持分についての使用・収益・処分は可能ですが、まさに総有は、入会地など団体地での取り決めを個人の私的所有に優先させるというものです。ここにおいて、契約法(第521条から第696条)が個人間の自由な取引を想定しているのに対して、同じ民法内でも総有が団体法的なものであるということがよくわかります。

    長々と今講義とは関係ないようなことまで書いてしまいましたが、私が思っているところは、法学をそれだけの閉じた体系として勉強するだけでは単なる法適用のみに終始しがちですが、法がつくられてきた背景となる日本社会の構造について理解した上で法学を学ぶとおもしろいし、法を本当に必要なものなんだと思って勉強する方がわかりやすいということです。その意味で、農業、環境を取り扱っている本講義も、法学につなっがっているものとして楽しんで受けていきたいと思っています。

      「日本では集居村落が多いことも分かりました。」

       礪波平野の散居村落を対比のために取り上げましたが、明治以降の開拓地(北海道を含む)を除けば、日本では9分9厘集居村落です。

       おっしゃるとおり、私的所有を優先している近代法になじむのは共有であり、総有は近代法的な概念ではないと思います。しかし現実に農村で総有が機能している以上、民法でもそれを認めるような箇所が必要になるのでしょう。この後の2回の講義の中で、総有がどのように「むら」で機能してきたかについてもお話しします。

      「法学をそれだけの閉じた体系として勉強するだけでは単なる法適用のみに終始しがちですが、法がつくられてきた背景となる日本社会の構造について理解した上で法学を学ぶとおもしろいし、法を本当に必要なものなんだと思って勉強する方がわかりやすいということです。その意味で、農業、環境を取り扱っている本講義も、法学につなっがっているものとして楽しんで受けていきたいと思っています。」

       素晴らしい態度だと思います。法学を学ばれる方々が、このように広い視野で事象を見ることができるための努力をされれば、日本の法学の未来は非常に明るいに違いありません。


  41.  最近ニュースで頻繁に新潟大震災についての報道をしていますが、そのなかで気になる話題がありました。それは、地震により土地が陥没したり、液状化現象を起こしたりしてとても耕作をできる状態ではなくなり、日本一のブランド米である「魚沼産コシヒカリ」を来年は食べられなくなるであろうというものでした。冬に雪が積もることもあって農地の復興には時間がかかり、来年の田植えのシーズンには間に合わないそうです。さらにそこで問題となっていたことは、この地震をきっかけに農地を手放す農家が増えるであろうということでした。農地の改善には多大な費用がかかり、10kg8000円から1万円するお米といえど損害のほうが大幅に勝るそうです。「魚沼産コシヒカリ」のケースであるとまた異なるでしょうが、授業では、トラクター・コンバイン・田植え機の3つの機械だけでも収入とほぼ同じ金額になってしまうとおっしゃっていたことを考えると当然なことなのであろうという気はしますが、なんだか寂しい感じがします。土地は財産であると考え農家であることを続けていた人々にとっては、先祖伝来の土地といえども、地震でぼろぼろになってしっまた土叩?
    《文字化け》
    なのでしょうか。

       中越地域であれだけの災害があり、地形も変わってしまったのですから、圃場を元に戻すために長い時間と大きな費用がかかることは間違いありませんん。魚沼産コシヒカリがなくなるかどうかはわかりませんが、価格急騰が見られることだけは間違いないでしょう。

       農地は形さえ整えればよいのではありません。土壌の回復はもちろん、用排水路の整備も重要です。用排水は集落で管理するものですから、多くの脱農者が出れば維持も難しくなるかもしれません。こういうときにこそ、国の補助が必要なはずです。今の政治はあまりに無駄なところに金をつぎ込みすぎだと思います。

       先祖伝来の土地といっても限度があります。しかし農家が農地を手放す限界点は、われわれ都会人が思っているほど低くないことだけは確かだと思います。


  42.  11月5日、4限出席しました。久しぶりに学校のPCからの送信です。

     まず驚いたのが農家の分類にもいろいろある、という点です。
    今まで専業、1種兼業、2種兼業の分類しか習ってこなかったものですから。
    しかし、その分類も可也曖昧な物のようで更に驚きました。
     更に、農外収入に頼らないと、農業機械の減価償却費だけで赤字になってしまう、ということも始めて知りました。
    第二種兼業農家が農家の大半を占める、ということは知っていましたが、ココまでとは……。
    若い人たちが農業を継ぎたがらないわけです。
    私たちのような都市の人間は、農家と聴くと時代劇や、戦前を扱った映像に出てくるようなイメージを思い浮かべがちですが、今ではそうでもないのですね。(よく考えれば、これだけ国中が近代化しているのに農家だけ昔のまま、というのは在り得ないと直ぐ判りそうなものですが)

     また、蜜居村落についてですが、これは江戸時代に達成したいわゆる「勤勉革命」の結果です。
    西欧で「産業革命」が起こり、資本を投下して機械を用いてより多くの収穫を期待したのとは反対に、 日本では村全体で全ての田畑を耕す、という形で多数の労働力を投下してより多くの収穫を得ようとしたわけです。
    いわば、西欧型農業での散居村落の一軒の家に、村落一つが、資本と機械に村民が、其々対応する形になるわけです。
    この勤勉革命の結果培われた勤勉と協調性を美徳とする国民性の下では、集団で農業を行うことのメリットのほうが、少々の合理性よりも大きかったため、現在でもこのような集落と農業の形態をとっているのでしょう。
    無論、日本が西洋型近代国家として出発する、と決めたときから合理性と個人主義の浸透により、歪みが発生してくることは避けられなかったわけですが、戦後60年の急激なアメリカナイズがなければ、ココまで急激且つ大きな歪みが発生せず、もっと緩やかに農業形態の変更を行うことができたのではないか、と思います。
    戦後、日本政府が簡単にアメリカに屈して唯々諾々と従来のものを全て捨て去ってアメリカ化の推進をしたりせずに、もっと誇りを持って毅然としていてくれたなら現状も少しはマシだったのでは、と夢想したりもします。

       アメリカの農村とは違って、ヨーロッパの農村も集落を形成しています。しかも前時代においては「むら」全体で農業を行っていました。いわば江戸時代の日本と原理的には同じ農業を行っていたのです。にもかかわらず、今日、日本では「むら」の論理が社会全体を覆っているのに対し、ヨーロッパでは「個」が優先する社会が形成されています。

       前時代において日本とヨーロッパの農業に同じ原理が貫かれていたこと、それが近代化過程で大きく異なっていく点を、このあと2回の講義でお話しします。


  43.  農業を営むには本当にお金がかかるな、と思いました。農業機械だけでなく肥料、光熱費、などを考えると農家に第二種兼業農家が多いのには納得です。農業は本当に大変ですが日本の社会学的意味の「むら」を考えると、たしかに日本の農家は1960年代にくらべて半分ちかくまで落ち込んでいますがこれからは日本全体が農業について良くしていこうと考えれば以前のように落ち込むとは思えません。これからは日本の農業、そして最も身近な食事などに興味をもつべきです。

       日本の農業が今後どのようになっていくかは、構造改革が行われ、成功するかどうかにかかっていくように思います。しかしどのようになろうと、農家と「むら」は姿を変えながらも生き残っていくのではないでしょうか。


  44.  11月5日の授業に出席しました。

    今回の授業を聞いていて感じたのは、日本社会の中途半端さです。授業で指摘されたとおり、「むら」という独特の性質は農村だけではなく、企業社会や学校などでも見られます。企業ではいまだに、社員による運動会や社員旅行などの行事があり、もし参加しなければ「村八分」にあいます。金融ビッグバン以前では、銀行や損保も護送船団方式を採用しており、排他的かつ横並びという「むら」の特質がかなり色濃くでておりました。しかし、ビッグバン以後でさえも、様々な規制緩和や自由化が行われたにもかかわらず、「むら」の特質が十二分に残っているように思われます。その証拠に、どの銀行を使おうがほとんどサービスが変わっておりません。それに、自分達が有利になること、具体的には公的資金の注入などは、横並びでやってもらおうとします。

    ところが、明らかに日本社会は「むら」社会なのに、グローバルスタンダードだの成果主義や個人主義の導入だのが叫ばれているのは理解できません。市民革命により民主主義を勝ち取った西洋と違い、武士という役人階級が明治維新を起こし、中央集権的に官僚が形だけの民主主義を広めた日本には、真の意味での個人主義などが根付くはずもありません。。また、「出る杭となる人材を求む」と言う人がいますが、実際にはどうでしょうか?読売の渡辺や西武の堤のように、「社員には頭は要らない。手足となるだけでいい。」という考え方を持つ人の方が圧倒的に多数派だと思われます。

    日本が、「むら」社会の性質を残しつつ、個人主義や成果主義などの欧米の主義思想を取り入れようとしても中途半端に終わるように思われます。

    次回の授業を楽しみにしています。

       おっしゃるとおり、日本社会の横並び、護送船団方式は、まさに「むら」の論理そのものです。それが変化し始めてはいるものの、未だ「むら」社会を脱することはできていない、というのが今の状況であることに間違いありません。

       また、日本には現時点で真の個人主義は成り立っていません。個人主義の成り立っていないところでの民主主義も非常にうさんくさいものです。

      「「社員には頭は要らない。手足となるだけでいい。」という考え方を持つ人の方が圧倒的に多数派だと思われます。」

       その通りで、国民もまた「お上」意識が強く、長いものには巻かれよ、と考えています。しかしそれでよいのでしょうか。国民が主体でなくて、国民は幸せになれるのでしょうか。私は、やはり「むら」社会ではない新しい社会システムの構築が不可欠だと考えています。もちろんそれはアメリカの物まねではなく、日本のよさを生かしたものでなくてはなりません。中途半端は過渡期の産物であって欲しいものです。


  45.  出席メールを送ります。

     今回は農家の話でしたが、ぼくは専業農家のうちに一度お世話になったことがあります。そこはみかん農家で、年収がいくらかはわかりませんでしたが、立派な広い家に住んでいて、中もきれいで古い感じではありませんでした。農家はいまでは決して貧しいとはいえないと思います。しかし、農家が豊かであるかどうかはまた別の話です。

     農業というものは自然相手です。今回の地震で2年分もの収入が0という農家もあるようですし、その他さまざまなハプニングもあります。年収が数字では良いようでも、数年単位で見ればおそらく平均年収は農家でないほうが、高くなるのではないかと思います。

       平均するということは不思議なもので、極端に引いところと極端に高いところが相殺されます。そして、全体としての数字はそれなりに正確なものとなります。今年は台風や地震で甚大な被害を受けた農家が多かったのですが、その一方で価格高騰で大きな儲けを得た人たちもいたはずです。

       そのことは勤労者世帯にも言えることです。平均の数字は、それなりに意味を持っています。勤労者世帯に比較して農家が豊かであるということは事実です。しかしその豊かさは、農業によってもたらされているというより、兼業所得によって実現しているものです。


  46.  毎回毎回受講生の出席メ−ルに感銘を受けます。海外で農業体験をした人の意見や、 実家が農家の人の話は現実味があり、普通では聞けないような話があって大変貴重で す。さらにそのような人たちの考えを読むことで別の考え方を知ることができて視野 が広がる気がします。また、そのような環境にいない人であってもさまざまな視点か ら環境を考えていることが伝わってきて尊敬してしまいます。

    今回は日本の「ムラ」社会のイントロでした。日本人には昔から「ムラ」という思想 がこびりついており、現代になってもそれに大きく左右されています。こんなことを 言っている自分もかなりそのような考え方に影響されているなぁとつくづく思ってい ます。まず自分の意見・思想を言う前に他人の様子を伺ってからそれに同調するよう に言動を起こし、争いごとをできる限り避けよう避けようとしてしまう時なんかは、 あぁ日本人だな、またやってしまったなんて思いつつなかなか修正できない自分がい ます。都会に住んできた私でさえこのような日本人的発想からぬけだせないのだか ら、集落に住む人々はもっと強い「ムラ」意識を持ってると思います。

    農業経営を改善するためには「ムラ」という領域観念を放棄し、散村にすることが確 かに有利ではあると思います。しかし集落を壊すとなると、何か伝統を壊すという か、日本特有のものを捨てるような気がしないでもありません。(そこらが日本人の 考え方なのかもしれません)食料自給率のことを考えるとそのようなことを言ってる 場合ではないですが・・・。

    ところで、散村に住む人々には集村に住む人々のような「ムラ」意識というものはな いのでしょうか?

    次回も楽しみにしています。

       出席メール、その教育効果を私は信じて疑っていません。これだけ優秀な学生さんが集まっているところで、相互に影響しあう場がないということは非常にもったいないことです。私は、その場を提供するために、大変ですけれども頑張っていきたいと思っています。

       私が、自分の中にある「むら」を強烈に意識させられたのは、1991年の3ヶ月のドイツ留学の時でした。皆さんが若い内に海外での生活(海外旅行ではない)を経験されることを、強く勧めたいと思います。

       よほどのことのない限り、集落がなくなってしまうことはないと思います。また、経営合理化のために集落を解体するなどということも、決して望ましいことではありません。今ある状態の上にどのような新しい農業経営を構築していくかが重要です。集落が解体しつつあるのは、中山間地域においてですから、ここに新しい農業を構想していかなければなりません。

      「ところで、散村に住む人々には集村に住む人々のような「ムラ」意識というものはな いのでしょうか?」

       散村そのものがほとんどないので、その住民の意識に関してまでは理解していません。ただ北海道の農民(農業者といった方がよいか…)は、明らかに都府県の農民とは意識が違います。北海道では、農業で大きな構造変化が起こってきたのは多分にそのせいもあると思います。


  47.  第5回目の講義に出席しました。

    農家が所得を持っているということがよくわかりました。非常に興味がもてました。でも年金とか農外所得が多いことも気がかりです。

    あと、農地を持たない人が農家になろうとすることは大変厳しいことであるとも講義から感じられました。これも日本特有「の村社会の構造的な問題であると考えられました。

       農家所得の大部分は、農外所得が占めています。農家が豊かなのは、農外所得のおかげです。補助金は、年金・被贈等に含まれますので、ここにも問題があるかもしれません。

       「むら」に新規参入することは、相当に難しいことです。都会から「むら」に移住した人たちの経験談などが本になるほどですから…。


  48.  今回の講義出席しました。農家の区別についてだが、農水省が『農業を営んでいる』を分類基準にしているように、僕もそうだと思います。僕の祖父は鹿児島でビワを主とした農業を営んでいます。数字的には赤字ですが、農業をやっていることには違いないし、僕は祖父を立派な農家だと思います。

    兼業農家が8割を占めるのは仕方ないでしょう。生計をたてるためには農業だけでは安定しませんし、工業国の日本ではどうしても工業系の仕事も多くなりますし、収入もより多く入ってきます。

    農家戸数の減少が問題となってきていますが、僕はたいして問題視することではないと思います。なぜなら今働き盛りの人たちは高度経済成長期の工業が盛んになってきたときに子供時代を過ごしてきた人たちなわけで、農業についてそれ程までに関心をもっていてなかったでしょうし、逆に現在の子供たちには、何というか、環境とかに目を向けることは一世代前の子供たちより多く、それだけ農業などに興味を持つと思います。それに、退職後の帰農もあります> し。

    最後に先生の意見というか仮説に反対意見があります。日本と西欧の「むら」が近代化過程の中で両者が異なる道を進んだ原因を先生は稲作と畑作の違いと仮定していますが、ただ単に基本的性格の違いなのではないでしょうか?狩猟民族か農耕民族かの違いだと思います。あと、先生の仮定ではニュアンス的に稲作か畑作かのどちらを選んだっていうのが感じられるので、自然にそうなった(地理学的など)というようなニュアンスを出した方が理解はしやすいと思います。

       鹿児島県ではありませんが、茂木ビワが有名なことから、九州ではビワの立地条件がよいのでしょうか…。ビワを中心にした農業経営ということに興味を引かれます。

       第2種兼業農家が8割を占めるということに対して、私も問題を感じていません。それどころか、私は、日本人一億総兼業農家化というとさえ夢想しています。

       われわれの時代に小中学校の社会の教科書に農業のことが書かれている部分は、非常にわずかでした。ところが最近では、農業について書かれている部分は非常に多くなっています。環境意識の高まりとともに、それはさらに多くなると思います。このような状況下、あなたのいわれるように、若い世代においては、農業に対して理解を示す人が増えるのかもしれません。

       仮説に対しての反論、大いに結構です。社会現象は、色々な要因が複雑に絡み合って成り立っています。畑作か稲作か、というところに原因を求めるのも一つの見方に過ぎず、実際には他の多くの要因も働いています。ただ、私の仮説の説明はまだ終わっていませんので、説明をし終わった後にまた議論しましょう。


  49.  10/5の授業に出席しました。

    米を売ったお金がそのまま米を作るためのお金にかかってしまうとは、驚きました。

    そりゃ米職人が減るわけですな。なぜ今も米作りが続いているのか不思議なくらいで す。
    というか、政府が続けさせようとしているんですよね。

    「出る杭は打たれる」などの言葉が日本のむらの性質を表している、ということを聞 いて思うことがありました。
    昔から「のけものの感覚」というものを感じることがよくありまして、「これは何か 変なのではないか?」と思っていたものです。
    何がどう変なのか未だによくわからないのですが、上記の話を聞いてこのよくわから ない思いがすこし明確化したような気がします。
    日本ではこの「のけものの感覚」というのが他の国より強すぎるのかなぁと思ったり もします。

    今回の授業は特に面白かったです。
    次回も楽しみにしています。

      「というか、政府が続けさせようとしているんですよね。」

       政府は、兼業農家にコメ作りをやめさせたいと考えているのではないでしょうか。何しろ日本のすべての田でコメを作れば、400万トン以上のコメが余ってしまうのですから。しかし農家は飯米程度は作りつづけることが多いのです。そのあたりに農家独特の感情が出ていると思います。

       日本人は、「個」の意識が低く、集団に依存して生きる傾向があります。そして、その集団は、異質なものを排除しようとします。「赤信号みんなで渡れば怖くない」ということに異を唱え、一人渡らない人間が出てくれば、その人はその集団にとって異質な存在であり、のけものにされるのです。これは子供の集団にも見られる傾向です。そうした日本社会の傾向が、「むら」に由来している、というのが私の主張なのです。


  50.  11月5日の授業出席しました。

     私の実家は第二種兼業農家であり、少量の米と、数種の野菜を作っているのですが(もちろん販売するほども作っておらず、親戚や近所におすそ分けする程度です。)、毎年、田植え前になると部落ごとに会合を開き、水門の開閉について話し合う姿を見かけます。特に私の故郷、香川は、日本で最も降水量が少ない県ということもあって、農業用水の取り決めには非常に厳しいものがあります。「我田引水」という熟語のように自分だけいいように仕向けようとしてもそんな無理は通じません。部落の命運は一蓮托生であり、抜け駆けは許されないという姿を見て、私は育ちました。

     この感覚はほとんどの日本人が共有しているものであり、そう簡単には変換されるものではないと思います。確かにこの日本を代表する感覚による弊害も多くありますが、その感覚を変革してまで、欧米のシステムをそのまま導入する必要はなく、あくまで日本型のシステムの改善を進めるべきであると思います。

       あなたの主張、まったくの正論だと思います。そして、なぜ日本の社会に「むら」の論理が流れているかの解答をも示唆しています。稲作はすなわち水田作であり、水がキーワードになっているのです。

       香川は満濃池が有名なように、ため池灌漑の地です。ため池灌漑の地域は、河川灌漑の地域よりずっと「むら」の結束は堅く、いっそう「むら」的であるといえます。

       「むら」のエートスには、むしろ日本の美徳とも言えるものが多数あります。しかし問題は、世の中の流れです。日本はグローバル化の波に飲み込まれ、国全体にそれを否定しようとする動きは見られません。むしろその波の中でビジネスチャンスを見いだし成功する人がもてはやされています。このような流れと「むら」の論理は真っ向から対立するものだと言わざるを得ません。とするなら、世の中の流れに真っ向から反対するのか、それとも「むら」の論理を変革していくのかという選択が残るだけになります。

       私の主張は後者に属するものですが、もしあなたが前者に属する主張をされるのであれば、むしろ私の方が「むら」的と言えるかもしれませんね…。


次へ(2)
戻る

1 2 3
インデックスへ
第6回目目次
第6回目表紙



作成日:2004年11月09日
修正日:2004年11月09日
制作者:柏 久