第3回
出席メール

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  1.  僕はマンションのベランダで野菜を育てたいと、思っています。今の季節なにを植えるといいでしょうか?
     あと、そこで出来た野菜は京野菜と言えるのでしょうか?

      **様へ

       メール、ありがとうございました。

       ベランダで作る野菜は、あなたの食べたいものを作るのが一番よいと思います。ブランドによって食べ物の質が変わるわけではありません。

           柏 久

    (以下、定型の返信省略)

  2.  私は食料自給率や発展途上国の食料自給にとても興味があるので、今日の講義のまとめを見て、この話聞きたい!と思う項目がたくさんありました。なのに印象に残ってるのは京野菜の話がほとんどです。私が聞き落としただけなら申し訳ありませんが、一つ一つの項目についてもう少し詳しく聞きたいと思いました。

       私の話したことに触発され、自ら調べてみるということが、一番知識が身に付く方法ではないでしょうか。高校までの勉強と、大学での勉強のもっとも異なる点は、与えられた知識に疑問を持たずに覚えようとするか、疑問を持って自ら主体的に、真実を探究していくかの違いのような気がします。


  3.  今日の授業も、結構楽しく聞けたと思っています。  今日の授業は、農産物のブランド化が一番楽しく聞けました。京野菜を例にとった分かりやすく面白いものだったと思います。話を聞いているうちにブランドとは何かと考えてしまいました。先生のおっしゃるように消費者の意識を高めることは、いろんな問題において大切なことだと感じました。  食料自給率の、穀物需要増大については、なんだか小学校の社会や高校の現代社会できいたことあるような話だなあと思いながら聞いていました。それだけ南北問題や、世界の飢餓につながる大きな問題なのだと思いました。普段は特に考えながら生活しているわけではありませんが、飼料穀物については、もったいない話だなと思います。でも、なぜか普段は野菜のほうが高い気がします。値段とカロリーはなかなか比例しないものなのだと思います。輸入分を抜いたオリジナルカロリー自給率は例に出されたものが特に低いのかもしれませんが、世界の人口増加傾向を考 慮しても、困った事態だと思います。この授業で私はもっと色々なことを考えながら買い物をしようと思いました。

      「話を聞いているうちにブランドとは何かと考えてしまいました。」  このように疑問を持つことが一番大切なことだと思います。消費者の意識を高めることの重要性に気づかれたことも、よかったと思います。  中長期的な食糧需給を考えるとき、やはり日本が食料自給率を高めることは、重要なことだといえます。食料自給率を高める上でも、日本農業の歪みをただしていく必要がある、と私は考えています。


  4.  10/15の講義に出ました。

     今日の講義で1番印象に残ったのは、農業もうまくやれば儲かるんだということです。上鴨で農業をやっていること自体知らなかったのですが、その年収が2000万円を超えるということはさらに驚きでした。北山通りに近く、そんなに儲かったら本当にやりたくなります。おまけに環境にもやさしいとなるとすばらしいことだらけですね。広島の祖母がやっている農業を見ていて農業はつらい側面の方が多いと思っていたので意外でした。要はやりかた次第なんですね。

     先生の知り合いはすごい人が多いですね。八百屋の奥さんはすごい。

       農業はやり方次第で高い所得を上げることもできます。それには農業者の主体的な努力が必要なのですが、農業者の創意工夫を妨げているのが現在の農業構造です。政官業の癒着構造構造とそれを正当化するような学会のあり方を、私は官僚主導型の農業構造と呼んでいます。それについてお話しするのは、第3部(8〜10回目)です。

       京大には大きな潜在能力を持った学生が集います。その潜在能力を引き出すような教育を展開することが、今、京大には求められていると思います。


  5.  早速第三回出席メールを送る事にします。

     今日の講義を聞いて、一番印象に残ってるのが穀物の需要が増大している事です。それは家畜が食べるためとの事です。同じ栄養量で穀物の消費量が家畜を経由する事によって7倍もかかる事には驚きました。

     先生は穀物を大量に輸入するくらいなら肉を食べる量を少しでも減らせばいいと思いませんか?

       畜産もやり方次第で農業における物質循環を高める働きをするはずです。日本の畜産は、加工型になってしまっているところに問題があります。そしてそのような加工型になってしまった原因の多くは、政策の失敗に帰されると思っています。

       私は肉が好きですし、皆さんに肉は食べない方がよいと主張するようなベジタリアンではありませんが、畜産のあり方を変えていく、そして食生活についても考え直す必要があるとは思っています。


  6.  十月十五日の授業に出席しました。

     穀物の大半が人ではなく国内産の家畜の肥料に使われているために(自給率を高めるためのはずが)その輸入量が増大していることに(依存率が高まっていることに)矛盾を感じました。

     そして講義を聞いているうちにカモナスの茄子田楽がすごく食べたくなりました。

     それと、今度松茸を贈るので点数の方よろしくお願いします…なんてこと言ってると日本は変わらんということですよね、真面目に頑張りますわー!

       日本人のコメ消費量の3倍の飼料穀物が輸入されているのですから、穀物自給率が大きく低下するのは当然です。食料の価値がお金で計れるのか、熱量ではかれるのか、何とも言えないところもありますが、日本農業に歪みがなければ、金額ベースとカロリーベースの自給率が30%も違ってくることはありません。ここに日本農業の最大の問題点がある、と私は考えています。

       なお、松茸は欲しいですが、これをもらっては教育者としてのプライドが許しません。でも誰もくれないか…(笑)。


  7.  今回の講義も楽しく聞かせてもらいました。

     農家の方はやっぱり税金から逃れているんですね…。「税務署には」年収2000万と言ってますって…。

     〇八百屋さんの話は驚きました。収入の九割が松茸なのですか … 。

     他にも食べ残しの話とか、初めて聞くような話が沢山あり、とても為になりました。

       税金は、クロヨンとかトーゴーサンとか言って、もっとも税務署が把握しにくいのが農家だと言われてきました。しかし、第2部で話しますように、農家といえばほとんど兼業農家であり、農業部分に課税することは非常に難しい状態となっています。


  8.   三回目の講義聞かせてもらいました。

     今日も身近で興味深い話でとても楽しかったです。

     昔に比べて豚や鶏の飼育数が増えていますが、それらの栄養を得る為にそれの何倍もの飼料が必要ならばやらない方がましなんじゃないでしょうか?

     それに農家という職業はほとんどもうからないということは誰もしない方がいいんじゃないでしょうか?

     利益的にも栄養的にも特をするような農業サイクルを作ることが課題になってると思いますがそんなことが本当に可能なんでしょうか?

     先生は今日の講義で農業の新しいシステムについての考えがおありだと言っておられましたがそれを早く聞きたいです。

       農業の新しいシステム、新しい方向は、講義全体を聞いていただかないとイメージできないと思います。これまでお話ししたことから明らかになったことは、畜産が加工型となっていることが食料自給率の低下、金額ベースと熱量ベースの食料自給率の乖離をもたらしていることです。これを是正していくためには、加工型畜産を飼料生産と家畜飼養のがバランスのとれた畜産に変えていかなければなりません。その一つの方法として、中山間地域での草地畜産の拡大をあげることができるはずです。


  9.  今日始めて講義を受けました興味があるので履修します。

       出席メール、無事届いています。残りの8回の講義、頑張って出席して下さい。


  10.  前回感想を送ったつもりだったのですがアドレスを間違えて送れていなかったのでもう一度送らせていただきます。

     食料自給率の算出方法というのは今まで一通りのやり方しかないと思っていたけれど基準となるものがたくさんありそれによって数値が全く異なってしまうことにまず驚きました。

     食料自給率は難しい問題だと思います。日本の食料自給率が低いことはまず問題ですが、例えばアメリカのように少人数、大量生産型農業では食料自給率は高くなっても環境に対する様々な問題を撒き散らす大きな要因になってしまうのではないかと思い、奨励されるべきものではないのではないかと思います。遺伝子組み換えなどの問題もそのようなところからきているのではないのでしょうか。よく日本の食料自給率を論じるとき欧米が引き合いにだされますが、欧米を手本にして食料自給率を考えることには賛成できません。

     日本の食料自給率には危機感を感じていますが、しかし私を含めてじゃあ実際に農業をやろうと考える人が少ないため日本の食料自給率を向上させることはとても大変な問題だと思います。

       食料という概念は、総合的な概念で、個々の品目では簡単にはかれる自給率(この場合でも船のような例があるが…)も、その計測は簡単ではありません。出てくる数字も、必ずしも正確とは言えません。このような場合、計測方法を簡単に変えない、その意味するところを明確にする、ということが重要になってきます。二つの自給率を意図的に使うなどは、最悪のことだと思います。

       日本が他国と同じようにならなければならない、ということは確かにありません。とりわけ日本がアメリカのようになることなど、不可能だと思います。しかし日本がどのような状態にあるかを知るには他国との比較は不可欠なのではないでしょうか。

       日本が食料自給率を高めることは、確かに難しいことです。しかし日本農業が活性化してくれば、自ずと食料自給率は上がってきます。問題は、いかにして日本農業を活性化させるか、ということだと思います。


  11.  先生が何回か言われた農業は環境保全に役立つという言葉が気にかかりました。確かに土地をビル街にしてしまうよりは農作物が植わっていたほうが見た目にも人の心の保養になったり空気清浄化作用をもたらすという観点からは環境によいといえるかも知れないけれどもしようされる農薬や堆肥また温室がもたす地球温暖化作用などを考えると一般に行われている農業は環境によいとはとてもいえないと思うからです。そういう意味で私は自然農法にとても興味があります。

       農業が環境に優しいというのは、工業に比べて、という相対的なものでしかありません。今の日本農業が環境に対して負荷を与えている、ということは私の主張でもあります。とりわけ畜産が加工型になっていることは、土壌や水に大きな悪栄養を及ぼしています。だからこそ、農業のあり方を変えていかなければならないのです。

       新しい農業のあり方として自然農法も注目に値するものです。これについてもどこかでふれるつもりです。


  12.  おつかれさまです。

    早く出していますが別に返信は要りません。 単位が欲しいです。(当方4回生)

    一番言いたいことと言っていた「農業のゆがみ」が どのようにゆがんでいて何が悪いのか今ひとつわかりませんでした。 理由として示されていた、 カロリーベース自給率、オリジナルカロリーベース自給率なども よく分からなかったので 早速さっきウェブ上の情報を調べてみました。

    オリジナルカロリーとは家畜を食べた量(なんかギョッとする言い方ですね)を その肉を作るために使われた炭水化物に換算して 表すものらしいと分かりました。

    じゃあ授業で言われていた 「鶏肉のオリジナルカロリーベースの自給率」ってなんでしょうか? ぼくは 「国内の鶏肉の(量)自給率」  ×「鶏肉を作るのに使われた国内産炭水化物の割合」 と解釈しましたが、 そこからは、それが低いとは 「飼料を極端に輸入に頼っている」 しかでてこない気がします。

    オリジナルカロリーベースの自給率が低いことは悪いことなのですか?
    ということが今ひとつ理解できてないです。
    そりゃ外国から輸入が出来ないような世界情勢になれば危ないですけど、 その時には石油とかも全部のっぴきならない非常事態になっていると思います。 単純に現在の自給率からは評価できないような気が。

    また、トウモロコシを牛に換える(換えるって言うと変な気がするけど)と、 カロリーは減りますが価格は上がっています。 経済的にはオリジナルカロリー自給率の低さはぜんぜん欠点でなく見えます。

    カロリーだけが食品ではないので、 それだけで言われてもなぁとも思います。 芋ばっか食って生活したくありません。

    そういえば、余り関係ない話ですけど うちの地元は田舎過ぎて、歩いていけるところに生鮮品のお店がなく、 車を持たない近所のお年よりはどうしてるのかなあと思ったことがあります。 自分ちで作ったお米や野菜なんかを主に食べて暮らしてたようですが《文字化け》 数年前、栄養失調で救急車で運ばれました。

    そんな感じで。 農業事情に疎くゆがみなども感じていないぼくには 何を必死にやばいと言ってるのか、合点が行かずに授業を聞いていました。

      「単位が欲しいです」

       私のシステムでいけば、きちんと出席してメールを送れば、単位を落とすことはないはずです。

      「どのようにゆがんでいて何が悪いのか今ひとつわかりませんでした。」

       そこまで話していませんので、当然にわからないと思います。ただ、前期に「地球環境学のすすめ」を履修し、私の1回だけの話を聴いた人たちは、漠然とかもしれませんが理解していると思います。次回、写真を見せながら、お話ししたいと思います。

      「「飼料を極端に輸入に頼っている」 しかでてこない気がします。」

       結論として、その通りです。飼料をほぼ輸入に頼っているということが、金額ベースの食料自給率と熱量ベースの食料自給率に30%の開きをもたらす原因なのです。そのことを説明しようとしました。この2つの食料自給率を、農水省が恣意的に、都合のよいように使ってきたということが問題だと考えています。

      「芋ばっか食って生活したくありません。」

       同感です。だからこそ日本農業のあり方を変えていかなければならないのではないでしょうか。

      「何を必死にやばいと言ってるのか、合点が行かずに授業を聞いていました。」

       少なくとも、第3回目の授業では、必死にやばいといったつもりはありませんが…。


  13.  10月15日の講義出席しました。

    京野菜についてのお話のときに、「かね松」が出てきて驚きました。さらに上田さんと先生が同級生だったとわかって驚きました。実は私は現役応援団員です。私は上田さんと直接お会いしたことはないのですが、毎年新歓誌に広告をいただいています。意外なところでOBの方の学生時代のことを知ることができました・・・それにしても驚きです。

    ところで、今日の講義の中でひとつわからなかったことがあるのですが。それは、計算式に出てくる数値の由来なのですが、「オリジナルカロリーベースの総合自給率は0.25/4×100=6.3%」の式で0.25が何のことなのかわかりません。その直前の式で算出された25%と関係があるのでしょうか。それともひとつの例として与えた値なのでしょうか。すみません、教えていただけるとありがたいです。

    今日は、「経済発展とともに農業も変わる」ということを常に念頭において講義を聞いていましたが、最後の最後にガツンとやられました。今までは南北問題といえば日本を含む北の国々は裕福な側でしたが、発展途上の国がすべて中国のように経済成長を遂げて飼料用穀物を輸入に頼るようになったら・・・立場は大逆転、とわかってはっとしました。

    そのような問題を起こさないためにどうすればよいのでしょうか。国の将来を見据えて政に携わっている人ならばきっと、飼料にせよ何にせよ、輸入に頼ることはしないと思うのですが、人口が増加して世界的に穀物が不足したとき自国だけの問題ではなくなる・・・かといってあわてて生産を増やそうとしても無理なんですよね?

    なんだか何をどうすればよいのかわからなくなってきました。もう少しじっくり、考えてみます。

    以上です。ありがとうございました。

       上田さんとは、京大入学以来の親友です。私は彼を素晴らしい人間だと思っています。しかも奥さんはそれ以上の能力者です。

      「0.25/4×100=6.3%」の式で0.25が何のことなのかわかりません」

       説明が十分でなく、申し訳ありません。モデルの中では、飼料穀物に由来する熱量が3、鶏肉に由来する熱量が1になり、3は海外、1は国内に由来するので、両者の総合自給率は25%となります。しかし、鶏肉が100%と輸入の飼料穀物によって育てられるのですから、鶏肉に由来する1が国内で生産されたものと考えてよいかという問題が起こります。

       それでは、どれだけが国内生産されたのか。これは見方によって変わってきます。0.25としたのは、飼料費の割合75%は海外に由来すると考えたからです。しかしこのように考えることがもっとも妥当かどうかはわからないところがあります。

       食糧問題が、色々な意味で南北問題をはらんでいることは、間違いないと思います。

      「人口が増加して世界的に穀物が不足したとき自国だけの問題ではなくなる・・・かといってあわてて生産を増やそうとしても無理なんですよね?」

       その通りです。平成のコメ騒動の時、備蓄がなかったために、必要以上に騒動が大きくなりました。危機管理ということは、どのような場合にでも必要なことですが、こと食糧に関しては人間の生命線を脅かしますので、ことさら危機に対する備えが必要です。食糧の場合、備蓄も重要ですが、もっとも確実な備えは食料自給率をできるだけあげておくことです。100%自給の必要はありませんが、一定程度の食料自給率を保つことは、非常に重要だと思います。


  14.  今日も自給率の話で、確かに食料自給率を出しても意味がないなと思いました。肉と野菜と穀物の平均の自給率を出しても、それが何を表しているか分からないからです。日本では野菜の自給率は高くても、穀物の自給率は低く、平均としては40%くらいになり、野菜中心に見れば自給率は低くなり、穀物中心に見れば自給率は高くなるので、何の役にもたたないと思います。  それから数量ベースの自給率と金額ベースの自給率では30%もズレが生じるということを初めて知りました。よ〜く考えて見れば分かることだったんですが、今まで気付きませんでした。家畜に与えるためのエサを大きく輸入に頼っている日本の姿がわかりました。

     そして最後に、先生が最後のまとめとして言ったことですが、僕も自給率が40%程度しかないことはそれほど問題ではないと思います。やはり数量ベースの自給率と金額ベースの自給率、さらには供給熱量ベースの自給率の間には約30%のズレがあることが問題だと思います。この30%のズレを緩和するためにはかなりの時間や労力を必要とすると思いますが、これからの日本のためにも、何とか努力することが必要だと思いました。

       数量(重要)ベース、金額(価額)ベース、供給熱量ベースの食料自給率について、理解が少し混乱されているようです。すでにノートが掲載されていますので、整理しておいて下さい。


  15.  今回はパソコンの方からメールさせていただきます。

     まず、講義前半で取り上げられた農作物のブランド化についてですが、私はそういった戦略を基本的にはあまり評価していません。ブランドを濫造することは、講義でも取り上げられたように、その内実が伴わないニセモノブランドを生むことにつながります。現に日本の農業はそういった状況にあるように思います。加えて、イメージに踊らされているだけの消費者は、何かのきっかけでそのブランドを信じられなくなるとあっという間に離れていくことが予想されます。O-157騒ぎのあったカイワレはイメージダウンのせいでしょうか、未だ生産量を回復しきってはいないようです。やはり、生産者にとっても消費者にとっても、もっと重要なことは、正しい知識を元に何を食べるか、を判断する人間を育てていくことであるように思います。消費者が自覚的に食物を選ばない限りは、売れる売れないも結局価格とイメージだけで決まります。そうなったら大資本の売る農産物ほど有利だということになりがちですから、日本の農家が太刀打ちするにはかなりの工夫が必要でしょう。

     もう1つは、家畜を育てるのに用いられている飼料作物の問題についてです。もちろん、飼料作物の生産を人間向けの食糧生産に切り替えれば養える人口は増えます。しかし、人類全体が危機に陥らなければなかなか切り替えが起こるとは思えません。それには、文化的背景と、栄養学的問題に一応の原因を求めることができるでしょう。まず、豊かな欧米諸国はかなり歴史の長い肉食の習慣があり、食習慣そのものは切り替えが難しいでしょう。また、統計的には、動物性タンパクの摂取はある一定量までは寿命に対してプラスの効果があることになっています。ということで、よほどのことがなければ、食肉生産量は減るどころか増える一方でしょう。食肉生産が減らないとして、飼料作物の生産のほうだけを減らす、ということは難しいのではないでしょうか。私個人としては、穀物と食植生昆虫だけを食物にして生活せよといわれたら素直に従いますが、嫌な人はたくさんいるでしょう。それもまた私達の生きている場所の文化的背景によるものです。

     ちなみに、食植生昆虫は飼料(?)効率のよい生物の代表として挙げました。一応冗談のつもりです。 

       メール、ありがとうございました。しかし署名がありませんので、どなたからのメールかわかりません。メールに署名しないのは、携帯電話文化の悪しき点だと、私は以前から思っています。携帯電話が日本できわめて短時間に爆発的に普及したのは、その利便性だけではない、「むら」(群)がりたがる日本人の性格に非常に合致していたからだと私は考えています。ちなみに私は携帯電話を未だに持っていません。

      「やはり、生産者にとっても消費者にとっても、もっと重要なことは、正しい知識を元に何を食べるか、を判断する人間を育てていくことであるように思います。」

       この箇所を中心としたこの段落、まったく同感です。

      「ということで、よほどのことがなければ、食肉生産量は減るどころか増える一方でしょう。食肉生産が減らないとして、飼料作物の生産のほうだけを減らす、ということは難しいのではないでしょうか。」

       この点も同感です。とするなら、どのような飼料供給の仕方をするかが問題となるはずです。


  16.  「官僚主導型閉鎖的村構造」の打破というテーマは非常に共感のもてるものだった。また日本の農村文化に官僚構造の萌芽が見られるという考えにも共感を感じる部分があった。よく言われることだが日本の官僚はエリートとしての資質に欠けるところがあり、それは意識の点において感覚が庶民的であり行動に国家[国民の幸せ]を背負って立つという気概が今ひとつ欠けていると言えるのではないだろうか[プライドだけは人一倍強いだろうが]。西欧は代々貴族がいてある程度の階層化があり[特にイギリスなど?]庶民を見下している部分は多少あるがその分庶民と違い自らの昇進や保身のための短絡的な行動を必ずとも善しとせず[国民のために人と違った意見を主張してもたたかれるのではなく、それはそれとして尊敬される]長期的な国家運営がおこなえる気概を持ったエリートがいるのではないだろうか。おそらく西洋は争いや強い支配の文化の中からそのようなエリート文化を生み出したのだろう。ある程度平和で協調を重視してきた[麦を育てるのよりも手間のかかる稲作が原因?]日本人は強力な支配者というものが?

    《文字化け》そこが日本の良いところでもあるのだが]それが文化的に定着しどこまで いっても庶民が官僚、政治家[日本の代々政治家一族も西欧的基準から言えば庶民的メンタリチィにすぎないということ]になり国を運営するという傾向があるのではないだろうか。為政者の感覚が庶民というのは日本の美徳であり弊害でもあるのではないだろうか。いっそのこと庶民の側からインパクトを与えられないだろうか。

     話は全然変わりますが自給率の二つの計算法は状況により官僚が二つの数字を使い分け都合の良いように話を作り上げて様々な批判をかわしてきた形跡の跡の様におもえます。このふたつの数字の使い分けが歴史にどのように影響したかもっと知りたかったです。あと世界的な食料・水不足が懸念されている中肉食文明とどう折り合いをつけていくかは重要な問題だと思いました。

       第1段落に関しては、この講義の第2部(第5〜7回)で「むら」構造、第3部(第8〜10回)で官僚主導型構造について話しをしてから、改めて議論しましょう。第2部で話す日本文化論とも言える「むら」論は、私の独自のものであり、それへの批判を期待しています。

      「いっそのこと庶民の側からインパクトを与えられないだろうか。」

       これも後に話しをしますが、私の主張は、日本人が市民意識を高める必要があるというものです。あなたの文言は、私の主張と共通する面があるかもしれません。


  17.  上賀茂における京野菜を作る農家、また京野菜をブランドとして売る八百屋の話は、明るい暗いは措いといて、とりあえず面白い話だと思いました。安定した収入があるというのはいいことには変わりはないし、後継者不足に困らないなんて農業を続けさせるには理想の形であると思います。また、京の伝統野菜をその町の強みとして、京料理にして食べさせるのも商売として見事な発想であると思います。

     ただ、「ブランド」として売りこみすぎてしまったら、先生がおっしゃっていたように商品としての「食べ物の価値を価格で計って」はおらず、農業としては例外的な商売方法となってしまうのではないでしょうか。日本中に普及させる農産物の商売方法は、栄養価や供給熱量、他にも味や希少価値、見た目のよさ等を考慮して公正に行うものであってほしいです。

     これまで行われてきているという「畜産物は自給、飼料は輸入」という方法は、調査方法によっては自給率が高めに数値として出てきてしまうので、ある種危機を感じるものであると思います。輸入した穀物分の価値(量でないのがまたややこしい)だけの農産物を輸出で返せるのならまだましでしょうが‥。

     最後に変なことを書きますが、畜産を行いすぎるのは確かに非効率ではあるけれど、肉もそれなりの量を摂取したいですね。好きですし。 それでは。

       「やおやの二階」のすごいところは、野菜という長持ちしない商品の売れ残りの廃棄を減らす合理性を実現したからだと思います。日本では、食料供給量の26%が食べ残しとして廃棄されているといいます。これは当然に食料自給率に大きな影響を及ぼしています。適正な物質循環のサイクルを実現することが課題となっており、それを先取りした形です。

       また、八百屋経営としても非常によい形が実現しました。京野菜といっても一般的でないものも多く、一般的でないものは、常に売れるというわけではありません。それでも品揃えのためにおかなくてはならなかったのです。そうした売れ残りの可能性の高いものを、自ら京料理に変え、お客に食べさせることによって、品揃えも豊富にすることができるのです。

       また、京野菜がどのようにして食べればおいしいのかを、お客に経験してもらうことによって、そのよさを理解してもらい、京野菜の需要量を拡大することもできます。ちょっとしたアイデアなのですが、それが非常に大きな成果を上げたと言えるでしょう。

       しかしそれもこれも京野菜というブランドが広がった結果であり、京野菜のブランド化を実現した行政、農協のアイデアもよかったと言えるかもしれません。

       この例からわかるように、要は「日々革新」ということが重要なのです。講義の時にも話しましたように、京野菜ブランドといっても、すぐに追随する人間が出てきて、陳腐化していきます。今日においては、いかに新しいよいアイデアを出し続けるかということが、成功の秘訣なのかもしれません。

       私は、畜産が悪いものだなどと考えていません。日本の場合、極端に加工型になっているところに問題があります。理論的にいえば、飼料穀物を輸入するより、畜産物(完成品)を輸入する方が熱量ベースの食料自給率は高まります。


  18.  今日の自給率の話でよく自給率の計算式が分からなかったのですが、人間が食べると三の栄養になるものを輸入して、一の栄養の鶏肉をつくると言う行為は自給率でいうとマイナスになるのではないでしょうか?それが少し気になりました。

       自給率計算の算式は、自給率=国内生産(量)/国内消費(量)×100です。国内生産量は1ですが、国内消費量は、家畜が消費している分と人間が消費している分を加算して4となります。したがって自給率は25%です。


  19.  今日の授業出席しました。日本の自給率の低さですが、土地的な問題や政策の問題の他に「農業という仕事の人気のなさ、農業に関しての関心のなさ」が関係していると思います。現在日本でフリーターを農業に回そうというような案も出ていますが、(授業とは少しずれてしまいますが)質問なのですが、例えばアメリカの農家では人員不足の問題はないのでしょうか?

       日本とアメリカの違いですが、日本では過小経営で、農業だけでは経営が成り立ちません。アメリカは大経営を実現しており、労働市場の動向で、人手不足の状態が一時的に起こったとしても、日本とは質の異なった問題しか起こりません。この点から考えても、日本農業の構造改革が必要なのです。


  20.   出席メールも今回で三回目ということになりましたが、
    今回はどうにも何を書いてよいか分からないというのが現状のようです。
    食料自給率の熱量を基準にした場合と金額を基準にした場合とでの
    数値の大幅な隔たりと、この隔たりの理由というかカラクリというか、
    このような事情については講義を聴いて理解できた限りの範囲で、
    なるほど、と思いもし、
    また、最後のほうで触れられた人口増加と食料の問題というのも、
    こういう場で聴くと、そうなのか、と多少驚かされたような気にもなります。
    しかし、「だからどうした」という気がするのです。
    これは、別段、私が先生の講義に文句をつけようとか(ちなみに、
    今日の講義のなかでは先生への批判も幾つか紹介されていたようですが)
    そんなつもりはなく、
    ただ、私の場合は自分がとりわけ農業問題の実態だとか、食料問題の現実だとか、
    そういうことへの知識が薄弱だというある種狡猾な卑下があるので、
    これらの問題に対して、先の展望という具体的なものなどは結ばれるべくもなく、
    ただ、実感がない、危機感がない、と自分を馬鹿にするのがせいぜいなのです。
    そこで、色々の講義を聴いた挙句に、「だからどうした」と思うわけです。
    結局、こういった講義を聴いて自己反省の真似事をしてみたところで、
    それだけだからです。
    このような、「だからどうした」が、先生の講義だけというわけでなく、
    様々な知識を見聞きする場合に、度々自分に向けられるようで、
    馬鹿らしくなります。

     しかし、だからといって、
    物事をなんでもかんでも楽天的に考えられるだけの肝もすわっていないようです。
    いつもそうですが、あれが危ない、これが危ないと言われれば、
    そのときには深刻じみて考えてみることもするわけで、
    しかし、繰り返し言いますが、その考えも、
    いつも浅いところを右往左往しているだけのようです。
    色々の講義が単なる講義の枠をはみ出して
    実生活の中に実感として問題を投げかけてくるということは、
    私の場合には実に稀なことのように思われます。
    そういうわけで、今回は、野菜のブランド化ということも話題に出ましたが、
    それがどんな問題を内包しているにせよ、
    何らかの具体策を講じるということが実行されているという点において、
    私としては、すぐにでも感心せざるを得ないというか、感心するべきなのでしょう。

     毎度ながら、農業や食料の問題の実際とか具体性とか核心とかには
    全く触れないメールになってしまいました。
    ところで、つい最近聞いたことなのですが、
    仏教の用語で、自分を見下してコテンパンに嘲っておいて、
    その自己反省ぶりに実は自分自身が自惚れている状態を
    「卑下慢」というのだそうです。
    これは、立派な徳目ならぬ「悪目」とでも言えばいいのか、
    そういうものとして位置づけられているわけですが、
    自分のメールの内容を見ると、
    実際の自分の現状がこの「卑下慢」ではないかと思われ、いい気がしません。
    とは言うものの、こうして自分が「卑下慢」だと言うこと自体が
    すでに自嘲・卑下の趣を呈しているのですから、たまりません。

     結果、書くことがないのに、長く書いてしまいました。
    お詫びして、それではまた、次回。

      「しかし、「だからどうした」という気がするのです。」

       これは、価値観の問題ではないでしょうか。いま、スポーツの技を磨くことに最大の価値を置き集中している人に、食糧問題や環境問題を解いても、「だからどうした」とならざるを得ません。要は、あなたの価値観が何であり、その価値観のためにどれだけ頑張っているかの問題だと思います。

       「卑下慢」という言葉、知りませんでした。新しい知識をありがとう。人生、卑下慢の時代があってもよいと思います。ただいつまでも卑下慢であり続けるのではなく、そこを突破して、新しい価値観を構築していかれることを期待しています。あなたには素晴らしい潜在能力が潜んでいると思いますので。


  21.  僕は自分がこれから何について考え、どのように生きていけばいいのか探したいと思って大学にきたのですが、この授業をとって本当によかったです。それは、農業における問題が、現代における極めて様々な視点からの問題を内包しているからであり、また、メールによって、研究の最前線にいる先生と自分と同世代の生徒の双方の考えを直に知ることができるからです。忙しいとは思いますが、今期の授業よろしくお願いします。

     さて、今回の授業の感想なのですが、日本の農業の生き残り策の一つとして商品のブランド化が挙げられていたことについて、ブランドとして生き残れる商品がそれほど多いとは思えなかったので、ブランド化以外の策についての考えについてもいろいろ聞いてみたいということを思いました。それに、食料全体の自給率についてなのですが、こんな人間の恣意が混入するようなデータに有効性はあるのかと、改めて感じました。先入観の操作くらいしか思いつかないです・・・。

     あと、今日の授業内容に関して、いくつか疑問に感じたことがあるので、質問したいと思います。

     日本人は食料の全供給量の25%を食べ残していて、また、輸入されている穀物の多くは家畜の飼料に使われている。との話でしたが、では、「日本で消費されている食料の総カロリー数」と、「実際に日本にいる総人口」×「一人当たりに必要なカロリー数」の値の間には、とんでもなく多くの隔たりがあるのではないかと思うのです。これらの値についてお聞きできたらと思います。また、できたら、日本だけでなく、他の主要な国々についてもこれらの値を知りたいと思います。返信メールでは時間的に大変だと思うので、またの機会でもかまいませんのでよろしくお願いします。

     また、前回の授業内容で申し訳ないのですが、農業多機能論には外国との貿易交渉を行う上で捏造された部分があるとおっしゃっていましたが、農業多機能論のなかの虚偽と真実について、先生はどのような意見を持っていらっしゃるのか興味があるので詳しく聞きたいと思っています。僕自身、棚田は環境にも文化の保全の意味にも様々な意味ですばらしいものだ、という先入観を強く持っていたので、農業多機能論の恣意部分を覆すような事実、アイディアがあるのでしたら、それを聞くことで考えを深めたいと思うのです。

     あと、これで最後になりますが、先生はどのような資料からこのような情報を入手していらっしゃるのでしょうか?このようなことは他人に訪ねることではないかもしれないとも思いますが、興味があるので・・・。

     長くなりましたが、以上です。メールだけではきっと書ききれないであろうというような疑問も書いてしまったので、そのような質問に関しては、気になさらないで授業の中で明らかにしていってくださったらうれしいです。…といっても、50番以内に入っていなければ意味のない文なのですが(笑

      「どのように生きていけばいいのか探したいと思って大学にきたのですが、」

       私の考え方からすれば、きわめてよい姿勢だと思います。4年間、悔いの残らない素晴らしい過ごし方をして下さい。

      「忙しいとは思いますが、今期の授業よろしくお願いします。」

       可能な限り頑張りたいと思っています。

       いまとなっては、日本農業の生き残り策は、非常に狭められたものになっています。しかしそれでもまだ可能性は残っている、と私は考えています。今後、皆さんにも私が考える生き残り策の一端を理解してもらえると思います。

       日本人全体の摂取必要カロリーと実際の供給カロリーとの割合ということは、私の念頭にはありませんでした。食べ残しの割合が26%という数値がどのようにして算出されたものか、私は知りませんが、ある意味、これが前文での割合といえるかもしれません。

       講義の時にいいましたように、私は農業の多面的機能を否定しているわけではありません。ただ、政府がこれを持ち出したとき、純粋に環境保全や文化保全を最重要視してのことではなく、他の自分たちの関心事に利用するためだった、というのが私の捉え方です。中山間地域の利用は、稲作ではなく畜産で、というのが私の考え方です。

      「先生はどのような資料からこのような情報を入手していらっしゃるのでしょうか?」 

       このような情報というのが何を指しているのかわかりませんが、講義全体の話ということであれば、これは私の30数年の研究の結果であり、個々の情報を得たところきわめて多様です。


  22.  上賀茂にそんなに年収の高い農家がたくさんあるとは知りませんでした。「京」っていうブランドは強いんですね。

     京野菜ではないですが中学生の時社会科の先生に、農家はいいぞ〜と勧められ、年収の高いメロン農家の話などを例として聞いていました。

     本題とは関係ないですが、同級生の八百屋の社長さんの話や農水省の友人の話を聞いていて、農学部生として嬉しくなりました。今の同級生でもどれだけすごい人が出るだろうとか。

     牛を食べる場合7倍のとうもろこしが必要という話は高校くらいからよく聞いていました。これでいいのかーと。でもだからって人は牛を食べなくなりはしないでしょう。思えばインドなんて牛を食べもしないのにいっぱい飼ってますよね。

       私は京都生まれの京都育ちですから、京都に愛着を持っていますが、そのいやな面もよく知っています。しかし他の地域の方達には、このいやな面は見えず、京都は郷愁を感じさせるだけの存在なのでしょうね。

       農業もやり方次第では高い所得を上げることができます。しかしこれまで政策的に新規参入を妨げてきたことが、ダイナミズムが生まれてこなかった原因の一つとなっています。

       牛肉を食べることは決して悪いことではありません。要は、どのような生産システムを構築するかの問題です。


  23.  今日の講義の中心ではないのですが、僕は京野菜に思い入れがあります。それは、受験の時に、観光案内に紹介されていた京野菜を見て、「受かれば京都に住んで、東京では珍しいこのような野菜の料理を覚えることもできる。」と考えて勉強のモチベーションを高めていることもあったからです。しかし、いざ京都に来てみると、値段の高さからかまだ満足に料理したことはありません。でもいつかは出来るようになりたいという気持ちを今日の講義で思い出しだしました。

       野菜を使って、見事な料理を作って下さい。その節には、錦市場(通り)の「かね松」で京野菜を買ってあげて下さい。私の講義を聴いて買いにきたといって下されば、なおよいのですが…。ただし、やすくしてくれるかどうかは保証できませんが…(笑)。


  24.  自給率に関する先生の意見にはおおむね賛成なのですが、食料の価値の計り方は間違っていると思います。授業中に先生は食物の価値をそこから得られる熱量に換算して計るとおっしゃっていましたが、そもそも栄養=熱量という考え方は誤りだと思います。なぜなら栄養分は大雑把に分けても熱量の類と蛋白質、無機質の類とビタミンの類の三つあるからです。穀物と牛と人のトライアングルの説明のところで牛肉から得られる熱量はそれを生産するために消費される熱量の1/7にすぎないとされていましたが、牛肉は主に蛋白質を得る目的で摂取するので、穀物と同様に熱量に換算してしまうのはよろしくないと思います。栄養分で評価するのであれば、たとえばその栄養素を成人男性が一日に必要とする量を摂取するのに必要な食物の量を1単位として、米なら熱量何%分、牛肉なら蛋白質何%分というふうにして換算した方がうまく価値を反映できると思います。

       栄養=熱量という考え方は誤りだと思います。」

       そうかもしれません。そもそも価値というものは、非常に不明確なものです。私にとって非常に価値あることも、他の人にとっては価値がない、ということはよくあることです。本来、普遍的に通用すべき価値でさえ、確固たるものではありません。あなたも自分にとっての最大の価値とは何かを、深く考えてみて下さい。食料という総合的な概念においては、価値を平準化しなければなりません。そのために価格と熱量という二つが出てきたのです。あなたの方法では価値の平準化にはならないのではないでしょうか。


  25.  今回の講義で、食料自給率に関する、金額ベースとカロリーベースの二つの指標の差が大きいことが問題であり、その原因が官僚主導型の農業であるらしいということは分かったのですが、そのことがどうして問題なのか、まだ良く分かりません。私は(農業に限らず)官僚、というか中央政府主導の戦略にはろくなものが無いと思ってはいるのですが、この場合は、まだ納得させられるような説明を受けていない気がします。目次を見る限りは次回取り扱いそうですが。それとも私が誤解をしているだけでしょうか?

    しかし、上記のことが問題であるとしても、そのことを解決するのは非常に難しいと思います。というのは、改善すると言うことは、すなわち、畜産の規模を縮小することになり、畜産農家は打撃を受けると思います。となると、その農家はかような策には当然大反対します。私の知見によれば、改めなければならないと分かっていても、それによって自分の権益が脅かされるようであればなんとしてでも阻止するという考えが人にはあるようですから、松茸でも何でも使って阻止しようとするでしょう。いわゆる族議員だってその農家を保護するために全力を挙げることでしょう。 …というのは考えすぎでしょうか。

    あと、批判ばかりになってしまうのはある程度仕方の無いことであると思います。どうすれば良いのかは皆で考えればいいのでは?私は、自給率に関して思ったのですが、現実を知らないことが一番の問題であると思います。 以上です。

      「目次を見る限りは次回取り扱いそうですが。それとも私が誤解をしているだけでしょうか?」

       間違っていません。ただ、前期の「環境学のすすめ」を履修して、私の1回だけの講義を聴講された方は、漠然とかもしれませんが問題点がわかるかもしれません。

      「私の知見によれば、改めなければならないと分かっていても、それによって自分の権益が脅かされるようであればなんとしてでも阻止するという考えが人にはあるようですから、松茸でも何でも使って阻止しようとするでしょう。いわゆる族議員だってその農家を保護するために全力を挙げることでしょう。」

       その通りでしょうね。しかし、やらなければ自滅してしまいます。後にお話ししますが、1993年のガットウルグアイラウンド決着時に、日本がとった態度は、日本のコメ生産の死滅につながる、と私は思っています。構造的な改革を、やらねばならないときにやらないでいると、そのときは既得権益を守れたように見えて、結局はすべてを喪失してしまうことになるのではないでしょうか。

      「あと、批判ばかりになってしまうのはある程度仕方の無いことであると思います。どうすれば良いのかは皆で考えればいいのでは?」

       私も、その通りだと思います。


  26.  今回の話はまず本題に入る前の京野菜の話がまず興味を持ちました。個人的 には街の景観もいいので上賀茂一帯は好きなのですが、京都といういわゆる大 きな都市にありながらこのように農業でかなりの収入を得ているというのは驚 きました。ブランドというもののもつ誘引力は強いと改めて感じさせられまし た。更にいえばお話にもあったように京野菜というのは京都の歴史と土地の中 で育てられてきたものなので、個人的には京都の中で食べ消費するのが最善か なと思います。「地産地消」という言葉を最近聞くことがあり、僕の地元でも 地産地消の環境が整っていて地産地消は総合的に考えていいと思うのですがど う思われますか。

     本題の中で自給率についてですがこれほど自給率の測り方があるとは知りま せんでした。そしてこの複数のデータの中に隠れているもの、数値の差が日本 農業の問題なのだと感じます。結局真実は表にはなかなか出てきにくくされて いるのだと思います。最後に質問ですが「オリジナルカロリーベースの自給 率」と「カロリーベース」の差がよくわかりにくかったのですが、どう違うの ですか。

      「「地産地消」という言葉を最近聞くことがあり、僕の地元でも 地産地消の環境が整っていて地産地消は総合的に考えていいと思うのですがど う思われますか。」

       私は、地産地消は農業の基本であり、まだ、自信を持って言えるわけではありませんが、今後の農業の方向がこれを基本として、一定地域での圏域形成をすることにあるかもしれない、と思っています。

      「最後に質問ですが「オリジナルカロリーベースの自給 率」と「カロリーベース」の差がよくわかりにくかったのですが、どう違うの ですか。」

       他の方への返信で書きましたので、それを参考にして下さい。そのメールは、次回の抜粋の中でも取り上げます。ただ、付け加えておくと、農水省が公表している供給熱量自給率は、オリジナルカロリーベースの食料自給率だと、農水省は注をふっています。


  27.  今日の授業は前置きが長く、本題が短かったような気がします。
    先生の雑談はとても興味深いのですが、次回からはコンパクトにまとめてください。
    先生の批判する態度を批判している人もいるようですが、
    今日のような静かな先生は物足りなかったです。
    官僚を批判する先生の勇姿を見るのを楽しみにしている受講生もいるのです。
    発展途上国が経済発展すると、飼料穀物の需要が増大し、価格が上がるので、
    畜産物は自給し、飼料穀物を輸入に頼っている日本には大打撃だ、
    というのを聞いて納得しました。
    自給率の問題は、国際情勢など様々な社会問題と関連しているのですね。
    その自給率が、計算方法によって30ポイントも差があるというのは、
    かなり問題だと思います。
    農水省は早く統一すべきですね。

      「今日の授業は前置きが長く、本題が短かったような気がします。」

       その通りだと思います。しかし、私の経験からいうと、講義というものは、むしろ雑談の方に意義があり、後々まで覚えているのはこちらの方のような気がします。また、私の講義に対する考え方からいっても、雑談も本論と関係なしにしているわけではなく、それを題材に皆さんが色々と考えてくれることが、本論以上に有意義ではないでしょうか。

      「先生の批判する態度を批判している人もいるようですが、
      今日のような静かな先生は物足りなかったです。」

       ご支持、ありがとうございます。頑張って批判をつづけます。

      「発展途上国が経済発展すると、飼料穀物の需要が増大し、価格が上がるので、 畜産物は自給し、飼料穀物を輸入に頼っている日本には大打撃だ、 というのを聞いて納得しました。」

       しっかりとした理解です。

      「農水省は早く統一すべきですね。」

       供給熱量自給率が『ポケット農林水産統計』に現れたのは、ようやく1990年です。1988年に農水省の態度が変わったという、私の主張の証拠ではないでしょうか。そして、両自給率の併記が1996年までつづき、1997年からは金額ベースの食料自給率が消え、2001年に復活しました。これほど農水省の立場を明瞭に表しているものはない、と私は考えています。


  28.  三回目の授業に出席しました。

    二つの自給率がどうして異なったりするのかが理解できてなかったんですが、板書までしていただいたおかげでよく納得しました。でもやっぱり板書使うとけっこう時間がかかりますね。板書せずに補足的に詳しく説明できる方法とかはやっぱりないですかね。

    ところで今日は畜産業がいかに穀物を飼料のために無駄に使っているかを話していましたし、今後世界人口が急増した場合その飼料用の穀物を食用に回したらよいとおっしゃっていたと思いますが、それは将来的には畜産業はなくすべきということなんでしょうか。今日の話を聞いて僕は畜産業なんてなくなったほうがいいのではと強く思ってるんですがどうなんでしょうか?

       メール、ありがとうございました。携帯からのメールだと思いますが、コンピュータと同じようなやりとりができるようですので、コンピュータ形式で返信します。

       板書は確かに時間がかかりますが、しっかりとした理解をするには、やはり非常に有効なように思います。プロジェクターを使って講義をすると、わかったような気になっても、実際にはわかっていないケースが多くなっているのかもしれません。バランスよく、使っていきたいと思います。

      「今日の話を聞いて僕は畜産業なんてなくなったほうがいいのではと強く思ってるんですがどうなんでしょうか?」

       ほかの方への返信でも書きましたが、畜産にはよいところがたくさんあります。何よりも、やはり畜産物はおいしい、といえます。これをなくすことなどできないと思います。要は、畜産のやり方を変えていく必要がある、ということだと思います。


  29.  出席メールを送らせていただきます。

    今日、印象に残ったのは自給率の裏側?のような話です。授業を聞いて今まで考えなかったようなことを色々と教わった気がします。

    国が成長するにしたがって穀物中心の生活が畜産物も食べるようになる。その畜産物を生産していくには人間が実際に食べる何倍もの穀物が必要である。しかし現在人口は爆発的に増えていて…
    将来、我々がどのように生きていけばよいか不安で仕方ないです。
    今日の授業では不安にさせられるばかりでしたが何かしら打開策はないでしょうか。
    このままでは未来は暗いです。
    土地生産性をあげる、冬場のハウス栽培、品種改良をするにしてもそのうち限界が見えてくる気がするのですが。

    今回は返信を期待して早めにメールを送らせてもらいます。それではよろしくお願いします。

        「将来、我々がどのように生きていけばよいか不安で仕方ないです。」

         必要以上に不安がる必要はありません。そんなことをしていたら、夜も眠れず、ノイローゼか鬱病になります。ともかく心配がある限り、国内の自給率を可能な限り高めていく必要があると思います。

       私は、日本の国土条件なら、食料自給率を70%までは高めることができると考えています。それもほぼ今の食生活を前提としてです。本当に食料が輸入できなくなったら、食生活を少なからず変えなければなりませんが、それはさほど問題ではないと思います。

       ただ、危機管理のために、国土の保全が非常に重要となります。農地を簡単に転用できないような制度が重要となると思います。これについてはまたお話しします。


  30.  第3回の授業は私が最も興味ある分野でした。 そのため、少々長文のメールとなることをお許しください。

    2年前、KUINEPの農学系講義であることを聞いて以来、 私は水問題に強く関心を持つようになりました。 そのあることとは、日本の水の輸入量は非常に多く、 その一因が飼料作物、あるいは畜産物の輸入などの 間接輸入にあるのだということです。 それを聞いて以来、水問題が単に水問題として存在するのではなく 貿易問題や食糧問題とも深く強くつながっていることを意識し、 これを研究対象にしたいと思うようになりました。

    視野を世界に持っていったとき、水が足りないとされています。 同時に、この人口爆発により、食物も足りないという現状があります。 畜産物は、飼料として多くの穀物を必要とし、 多くの水を必要とします。 同じだけの水や穀物があれば、より多くの人が 多く安全な物を飲んだり、食べたりすることができます。 それなのに、過剰とも思えるほどに肉を食するのはなぜなのでしょう。

    それは、肉が豊かなことの象徴であるからです。 もともと、肉は祭りのときに食されるものでした。 今はそれが一般化し、おそらくそこまで意識しないでしょうが、 豊かであるから日常的に肉を食べるのだと思います。 比較的貧しい国においても、客人を迎える際には 肉料理でもてなすことが多いようです。 しかし、その豊かさを実感するために肉を過剰に消費し、 貧しい国の人々が穀物を食べる機会を逸するのは 正しい姿だといえるのでしょうか。 私はそうは思えません。

    まして、生活が豊かであるがゆえに、 他の生物の命をいただくのだということを 忘れがちな人々にお肉をむさぼってほしくはないのです。 動物を殺して肉にするということが どんなものか意識にものぼらないような人々が いただきますさえ言わず、食べている現状は悲しいものです。 もっとも、これはやや観念的な話かもしれません。

    今はベジタリアンに関心を持っています。 肉を食べることが悪いとは思いません。 だから、全く食べないということはありません。 でも、自ら進んで食べようとは思わなくなりました。 未だ勉強不足であるせいもあり、 ベジタリアンがすばらしいなどと吹聴する気はありません。 それでも、食べ物について深く考えられるのは やはりよいことだと自負しております。

    来週の講義はさらに具体的なところに 入るとのことで楽しみです。 よろしくお願いいたします。

      「それを聞いて以来、水問題が単に水問題として存在するのではなく 貿易問題や食糧問題とも深く強くつながっていることを意識し、」

       その通りで、社会現象は、どれほど限定しても、それらは非常に多くの要因の絡み合った結果です。それをどのように解きほぐし、理解できるものにするかが社会科学の神髄なのではないでしょうか。

      「同じだけの水や穀物があれば、より多くの人が 多く安全な物を飲んだり、食べたりすることができます。 それなのに、過剰とも思えるほどに肉を食するのはなぜなのでしょう。」

       まさに南北問題の出発点ですね。

      「正しい姿だといえるのでしょうか。 私はそうは思えません。」

       同感です。

      「いただきますさえ言わず、食べている現状は悲しいものです。 もっとも、これはやや観念的な話かもしれません。」

       確かに観念的かもしれませんが、こうした気持ちが、限られた地球の資源を分け合い、環境問題の緩和をもたらすのかもしれません。

      「それでも、食べ物について深く考えられるのは やはりよいことだと自負しております。」

       これもその通りだと思います。われわれの「生」の根元でる「食」に無関心であることは、結局は生を貶めていることになるのではないでしょうか。


  31.  今時農家なんて儲からない、というイメージを持っていたので、凄い高収入の農家もあるということに驚きました。
    確かに野菜のブランド化は暗くなりがちな日本の農業界に光をもたらしたかもしれませんが、個人的には、どうも「ブーム」に終わってしまって、いつかは消費者に「飽きられる」ような気がして不安です。

     「鹿児島産の『賀茂なす』」の話が出ていましたが、最近、よろしくない表示が多いようです。何だったかは忘れてしまったのですが、取れた場所は全然別の場所なのに、加工したのはここだから、と、有名な産地の名前を付けた加工食品は見たことがあります。偽りの産地表示については頻繁に報道されていますが、あれは氷山の一角のような気がします。野菜のブランド化は、そういう偽装があふれかえった要因の一つだったのではないでしょうか。(そういう偽装があふれかえったことによる「被害者」の一人でもあるかもしれませんが。)
    とはいえ、そういうものの中にも、パッケージの裏に小さく本当の産地が書いてあったりするものが結構ありますが、それでも買ってしまう消費者がいるのは、やはり消費者の意識が低いということなのでしょう。僕ら消費者はもっとそういうことに関心を持つべきだと思います。
    ですが、何より業者の程度の低さは問題だと思います。買う度にいちいちチェックしないと「本物」かどうか分からないほど(というかチェックしても素人には結局分かりませんが)、産地偽装やそれに近いことが当たり前に行われているというのは、かなり異常なことではないでしょうか。そんな状況を平気で生み出している食品会社や、それを許した社会にも問題はあるのではないでしょうか。
    食品関係に限らず、最近の日本の企業は全体的に信頼に欠ける印象があります。日本人は何か大事なものをなくして行っているような気がして悲しいです。

     話は変わりますが、市街地の農地は環境保全にもなるということでしたが、それだけではなく、外で遊ぶことが少なくなったと言われている最近の子供たちには、貴重な遊びと学びの場でもあるのではないでしょうか。
     僕は小さいころ、近所の田んぼで泥だらけになりながら友達とおたまじゃくしやカブトエビを追っかけまわしていましたが、そのことは今でもはっきり覚えている楽しい思い出です。
    僕の家の近くには(割と市街地であるにもかかわらず)田んぼや畑がたくさんあったのですが、ここ数年、近所の水田や畑が次々とマンションや駐車場に変わって行って、凄く寂しいです。マンションだと日当たりも悪くなるのでかなり嫌な感じです。 勝手で無責任な希望ですが、今、市街地(近郊)にある田畑には、できる限り残っていてほしいです。

     いつも大量のメールの確認・返信、お疲れ様です。
    (HPや写真、プリントなども含め)授業準備も物凄くきっちりされていて、準備にかけられた時間と労力を思うと本当に頭が下がります。(ここだけの話、微積の○○先生にも少しでも見習っていただきたいです。)
    先生の負担は大きいと思いますが、この授業形式は大変価値があると思うので、残りの授業も頑張って下さい。よろしくお願いします。
    それと、確かに愚痴や文句みたいな批判ばかりになってしまうのはまずいと思いますが、日本農業のゆがみを考えていく上で、批判の姿勢は必要不可欠だと思います。個人的には批判が多いのも先生の授業のいい所だと思っています。



       確かにブランド化は一時的ブームに終わるケースが多いかもしれません。京都府庁と農協が推進している京野菜のブランド化は、首都圏への販売を目指したもので、この場合も例外ではないかもしれません。しかし上賀茂の京野菜は、それとはかなり性格の違うものです。写真が用意できなかったので話をしませんでしたが、農家のおばちゃんの「振り売り」によって、消費者(京料理店を含む)と直につながり、京の食文化に根ざしているからです。地産地消の典型かもしれません。

       今後の日本農業のあり方を考えるとき、地産地消、産直は重要なキーワードになるような気がします。

       また上賀茂の京野菜を支えているのは、「すぐき」という漬け物であり、これは愛好家の間では根強い人気を誇っています。簡単に消えていく性質のものではないように思います。

      「僕ら消費者はもっとそういうことに関心を持つべきだと思います。」

       まさにその通りです。偽装問題をトレーサビリティーを高めることによって解決しようと農水省は考えているようですが、それは農水省の仕事を作っているだけかもしれません。それよりも、地産地消の圏域における信頼関係の構築が重要なのではないでしょうか。

      「日本人は何か大事なものをなくして行っているような気がして悲しいです。」

       これもまったく同感です。「むら」という狭い閉鎖社会で衆人環視の中で生きていた構造が崩れはじめ、新しい秩序を構築しなければならない時期にきているのに、新しいものが生まれてこない。そういった、過渡期の現象なのかもしれませんが、やはり一日も早く、日本人の心を取り戻さなければならないと思います。

      「今、市街地(近郊)にある田畑には、できる限り残っていてほしいです。」

       ここでの主張にも賛意を表します。都市計画の中で、農地を配置していくことは重要なことだと思います。

      「先生の負担は大きいと思いますが、この授業形式は大変価値があると思うので、残りの授業も頑張って下さい。よろしくお願いします。」

       頑張りたいと思います。

      「個人的には批判が多いのも先生の授業のいい所だと思っています。」

       ご支持、ありがとうございます。


  32.  今回は講義のその日のうちにメールをすることにします。
    さて、第3回の講義についてです。
    いろいろ学生の方から指摘がありました。
    「農業について暗い話が多い」など。
    確かに日本農業は苦境に立たされている感じがありますが、
    今回の講義でそんなことばかりではないというのを再認識しました。
    というのも今年、2回ほど市内の有機農家の方にお話を訊く機会があったのですが、
    どちらも、農薬を使いたくないという一心で頑張っておられるようでした。
    僕の興味はグローバリゼーションによる日本農家の影響だったのですが、
    「食料自給率の低下など、悲観的なことはあるけれども、
     泣き言は言ってられないので、
     付加価値を付けながら、農業を営んでいくんだ。
     消費者に喜んでもらえるような農業をしたい。」
    というような返事をもらいました。
    今回は自給率の話が中心だったと思うのですが、
    いろいろ目からウロコのような話がきけました。
    もっといろんな真実を知りたいです。
    僕が取材した農家の方も、自給率の量り方について、
    いろいろいっておられたのを思い出しました。
    先生の仰るように、自給率は70%ぐらいでもいいのかもしれないですが、
    自給率うんぬんではなく、日本全体が、自国の農業にもっと目を向けるべきですし、
    日本の農家が元気になるような政策がいろいろ出されればと考えます。
    特にまとまりはないのですが、今回はこの辺で終わります。

       有機農業農家のご主人が話されたこと、頼もしいですね。意識の高い農家の方々は、自らの任務と進むべき方向を自覚しておられます。そのような人たちを支援しないで、芽を刈り取ってきたのが、これまでの政府の政策だったと私は考えています。

      「自給率うんぬんではなく、日本全体が、自国の農業にもっと目を向けるべきですし、 日本の農家が元気になるような政策がいろいろ出されればと考えます。」

       その通りだと思います。しかし、日本農業の担い手が農家だけでなくてはならないかどうかは、考えてみる必要があります。


  33.  農産物のブランド化は反対の立場でしたが、日本農業が生き残るためのひとつの手段ということを聞いて仕方がないことなのかなぁ、と思った。とはいえ、何でもかんでもブランド名をつけて売ってしまおうというのはやめてほしい。

     ブランド化の最たるものといえば米だろう。供給量が減ってきたとはいえ、やはり日本人にとっては特別なものだろうし、カリフォルニア米などはあまり味が変わらないらしいのにほとんど売れなかったという話を聞いたことがある(安全面などの考慮もあるだろうが)。

     所得弾力性の高いものの生産増大も、日本農業が生き残るためのひとつなのだろう。日本のように、国民所得は世界トップクラスなのに、人口密度が高く、農家一軒あたりの農地面積が小さい場合、単価の高いものを作るなどしないと暮らしていけないのだろう。

     畜産の飼料についてだが、当然のことながら日本で飼料まで作るのは不可能だろう。さらに、食物連鎖でトップのほうに君臨している人間が食べるもののために3000万トンのえさが必要というのも当然だろう。問題は、飼料を大量に輸入してまで国産牛などを生産しなくてはならないかということである(国産牛の定義もかなり微妙だが)。飼料作物の輸入がなくなれば日本の自給率は上がるだろう。諸外国に問題が起こって農産物の輸入が出来なくなったときのことを想定するならば、畜産のかりそめの自給率はまるで無意味だろう。

     何でもかんでも国産のもののほうがいいということは間違っていると思う(ブランド志向と似ているだろう)。確かに鮮度を考えるならば、国産のほうがいいのかもしれないが。正直なところ、あまり国産にこだわらないでいいと思う。輸入肉は安くて学生としてはうれしい限りである。

     畜産物は自給して飼料は輸入するという政府の方針はよくわからない。いったい何の意味があるのだろう。まぁ、今の政府は意味がなくても票獲得のためには奮闘するところがあるので理解が難しい。

       質問
     地球の人口扶養力は70〜80億人ということでしたが、日本の中だけだとどのくらいなのですか?気候的には恵まれているとは思うのですが、山とかは多いし、それに扶養力を考える基準もわからないので見当がつきません(3000万人くらいというのをどこかで聞いたことがありますが)。

     2つの食料自給率の乖離が問題であり、日本農業のゆがみを示しているということでしたが、どうしたら差が少なくなるのでしょうか。先に書いたように日本は経済水準が高いので、どうしてもカロリー単価が高くなるのではないでしょうか。

     オリジナルカロリーベースというものがありましたが、よくわからなかったのですが…。  

       質問より上の部分には、部分的にコメントをつけさせていただきます。

      「問題は、飼料を大量に輸入してまで国産牛などを生産しなくてはならないかということである(国産牛の定義もかなり微妙だが)。」

       その通りで、理論的に考えれば、畜産の完成品を輸入した方が、熱量ベースの食料自給率は下がることになります。

      「畜産物は自給して飼料は輸入するという政府の方針はよくわからない。いったい何の意味があるのだろう。」

       まったくです。私にも、なぜこのような方針が出てきたのか、よく理解できません。しかし結局はコメを守るというところに行き着くのかもしれません。

      「まぁ、今の政府は意味がなくても票獲得のためには奮闘するところがあるので理解が難しい。」

       政治と農業の一端について、第3部でお話しすることができると思います。

      「地球の人口扶養力は70〜80億人ということでしたが、日本の中だけだとどのくらいなのですか?」

       私は食生活の質を落とすことができれば、日本の国土は1億3千万の人口を扶養することができるのではないか、と考えています(ただし私はその専門家ではありませんので、科学的論拠があるわけではありません)。ただ経験的なものを総合するとそうなります。

      「2つの食料自給率の乖離が問題であり、日本農業のゆがみを示しているということでしたが、どうしたら差が少なくなるのでしょうか。」

       理論上は、飼料穀物でなく畜産物を輸入すれば乖離は小さくなります。しかしそれでは何ら問題の解決にはなりません。

      「オリジナルカロリーベースというものがありましたが、よくわからなかったのですが…。」

       これについては、他の方への返信メールで簡単な説明をしました。次回の出席メールの抜粋に掲載しますので、参考にして下さい。


  34.  10月15日の授業に出席しました。

     京野菜の料理は生協でも見かけたりしましたがまだ食べたことはありません。「ブランドものはやっぱり違うな」と思えたりするのでしょうか?

       私の主観が入りますが、ブランドものだからといって、それほど大きな違いはないのではないでしょうか。結局は、気分の問題で、よりおいしく食べられるかもしれませんが…。


  35.  10月15日の授業受講しました。

    今回驚いたのが、ブランド野菜(京野菜)を栽培をする農家の所得の高さでした。一般的に農家というのは食べるには困らないけれど、そう裕福なイメージというのはありませんからこれは衝撃でした。ブランド化というのもいいアイデアだと思います。けれどこれは少数の農家しかできない上、だからこそ価値があることなので、農業全体を活性化する力はないように思います。
    もうひとつ驚いたのがマツタケの話。まるで平成の越後屋ですね(笑)

    さて今回の授業の本題なのですが、実は二つの自給率になぜ大きな差異が出るのかわかりませんでした・・・ここの自給率については理解したつもりなのですが。もう一度説明いただけますでしょうか?
    畜産における飼料の輸入での自給率の低下はなんとなくはわかったのですが、飼料はとうもろこしなど輸入しなくてはならないもの出なければならないのでしょうか。高校のときに地元の湖に大量発生するウォーターレタスという水草のようなものを加工して牛の飼料にするという試みを聞きました。ウォーターレタスはもともと不要なものなので処理もできて一石二鳥ということだったのですが、何とかうまく飼料をこさえることができないのかなと思います(ただウォーターレタスはすごくまずいので加工に手間がかかるようでした)
    大量の飼料にお金はかかるし、家畜の糞尿の処理のこともある・・・ですから飼料の輸入を減らしても問題が解決するわけではないのでしょうが。

    最後にひとつ、できましたらサイトの更新を授業があった日のうちにしてはいただけないでしょうか?記憶が新しいうちに復習をしたいと思っているもので・・・先生がお忙しいのをわかっていて無理なお願いをしてすみません。不可能でしたら今のままで結構です。

    次回の授業もよろしくお願いします。

      「あることなので、農業全体を活性化する力はないように思います。」

       その通りで、農産物のブランド化は、活性化の一つの方法に過ぎません。

       二つの食料自給率の乖離については、Webの講義ノートと次回のプリント、出席メール(抜粋)を参考にして下さい。

      「大量の飼料にお金はかかるし、家畜の糞尿の処理のこともある・・・ですから飼料の輸入を減らしても問題が解決するわけではないのでしょうが。」

       いいえ、新しいシステムの農業の展開によって飼料の輸入が減るのであれば、問題は大いに解決の方向に進むと思います。

      「最後にひとつ、できましたらサイトの更新を授業があった日のうちにしてはいただけないでしょうか?」

       ご要望にお応えして、土曜日には講義ノートを掲載しました。不勉強な学生に対する垣をするより、勉強熱心な学生さんに対する便宜を考えることにしました。


  36.  先週体調を崩してしまって講義に出ることができませんでした。
     今年は台風の影響で各地の農家に被害が出ているようですが、私の実家のあたりは大した被害もなくなんとか済みました。それでも強風のために果実に傷がついたりしてしまったそうです。オフィスワークとは違って上下関係からくるストレスに悩むことはない農業ですけど、自然を相手にする分やはり自分の思い通りに行かないこともしばしばなので大変ですよね…

      「自然を相手にする分やはり自分の思い通りに行かないこともしばしばなので大変ですよね…。」

       その通りでしょうね。しかし人間にとってもっとも大きなストレスは、やはり人間関係からくるのではないでしょうか。だからこそ、「むら」的な社会におけるいじめは、看過することのできない問題なのです。


  37.  先週体調を崩してしまって講義に出ることができませんでした。 今年は台風の影響で各地の農家に被害が出ているようですが、私の実家のあたりは大した被害もなくなんとか済みました。それでも強風のために果実に傷がついたりしてしまったそうです。オフィスワークとは違って上下関係からくるストレスに悩むことはない農業ですけど、自然を相手にする分やはり自分の思い通りに行かないこともしばしばなので大変ですよね…

       私の話したことに触発され、自ら調べてみるということが、一番知識が身に付く方法ではないでしょうか。高校までの勉強と、大学での勉強のもっとも異なる点は、与えられた知識に疑問を持たずに覚えようとするか、疑問を持って自ら主体的に、真実を探究していくかの違いのような気がします。


  38. 疑問点
     牛肉など家畜を介して穀物の栄養素を人間が摂取する話題において、講義ではカロリーベースで考えての話でしたが、肉類から得られる栄養素は穀物から得られる栄養素とはまた別のもので、いずれも人体には必要なものであるのでカロリーのみで考えるでなく、栄養素の価値も考慮した考察(貴重な栄養素、摂取の難しい栄養素など)も必要ではないのでしょうか?

    感心した点
     まず、専業農家で年収3000万も稼ぐ人がいることを知って驚きました。講義でおっしゃられた通り、サラリーマンで飯を食っていくのが馬鹿らしく思えてきます。もちろんそれは農家なりの努力があったことはわかっていますが。稼ぎが少ないと思われている農家がこれだけ稼いでいるのが世に知られれば農家に転向する人も増え、自給率も改善されていくことでしょう。ただ、質ばかりを追求して生産量があまり増えないなんてことがないように対策が必要だと思いますし、政府も最初は現状以上の補助を強いられると思います。また経済社会の担い手もへるので、社会成長の多少の停滞も覚悟しないといけないと思います。次に驚いたことは飼料の輸入が三十年で5倍になっていることでした。それでなお肉自体の輸入量が増えているのだからどれだけ食生活の変化があったか計り知れません。別に人の食べられない雑穀、雑草なんて日本でもかなりあるのだからそんなに輸入せずともいいではないかと思うのですがどうでしょう?

    メール確認大変だと思いますが、がんばってください。

       疑問点に関しては、ほぼ同じ趣旨の意見が、他の出席メールにも書かれてきました。価値を何で計るかということは、非常に難しい問題で、資本主義社会では価格ではかることが支配していますが、本当に価格で価値が計れるのかという問題は絶えずついて回ります。もちろん熱量でとれば十分だというわけではありませんが、次善の策と考えられているのだと思います。

       農業への新規参入は、つい最近までは認められていませんでした。この点にすでに、日本の農業構造の歪みがあるといってよいと思います。今日でも、企業の農業参入には大きな制限が付いています。この点については、第3部でお話しします。

       畜産を振興しておきながら、飼料生産に力を入れなかった政府の政策がどれほど日本農業を歪めたことでしょう。どこを切り取っても、政策の失敗というところに行き着いてしまいます。行政改革の際、農水省の職員でさえ、農水省がなくなると考えていたにもかかわらず、なくならなかった、そのあたりに日本の政治構造の問題点が垣間見えるのではないでしょうか。

      「メール確認大変だと思いますが、がんばってください。」

       応援、ありがとうございます。頑張ります。


  39.  昨日の授業はわかりやすかったです。

     食料自給率の低下は要するに、経済的発展し食生活が豊かになり肉などを多くとるようになったのに対応させるため多くの飼料を輸入するようになったからということですよね。二つの食料自給率の差からそのようなことが分かるとは知りませんでした。

     次回の講義も楽しみにしてますo(^-^)o

       講義の理解、大筋で間違っていません。次回もしっかりと聞いて下さい。


  40.  今回の授業も楽しく聞かせてもらいました。

     特に京野菜の話のところは驚きました。自分の意識の中で、農家で年商が2000万いくのは、大地主の人たちだけと決め付けていたものでしたから・・・。京野菜というブランドネームに注目して利益を得る生産者の姿は、経済学部生の自分の目には、かっこよく映りました。

     しかし、京都の土壌で生産されず、ただ京都という場所でしか作られたものにしか過ぎない農産物までが京野菜というブランドネームを持つだけで売れてしまう実情には、なんと消費者は馬鹿なんだと感じました。最近の日本人は(ひょっとしたら先進国の国々はどこもそうかもしれないですが)、あまりにもブームに弱い、もっと厳しく言えば自分自身で何が本当にいいものなのかが判断できなくなってきていると思います。

     ヨーグルトが体にいいとテレビで言えば翌日のスーパーはどこも売り切れ状態でした。そんなヨーグルトブームも最近では忘れられ、今では空前の酢ブームです。まあ、これもすぐに忘れられるブームなんでしょうが(笑)。このような形でしか商品の良し悪しが判断できないとすれば、経済のグローバル化による一物一価の現象が広まったと?
    《文字化け》
    のに注目してこなかったことの付けが回り、日本経済は今以上に外国に依存することになるでしょう。そうならないように、日本人よ、自分で物の価値が決められる力を身につけよ!!

     それでは、また来週。

       経済学部の学生さんですので(もちろん1回生では他の学部の学生さんと大して変わらない経済学のレベルだと思いますが…)、書いておきますが、年商というのはグロスの概念ではないでしょうか。いくら売り上げがあっても、コストを差し引けば利益は半分以下になるのがふつうです。それは年収という言葉を使っても同じです。一般にネットの概念としては「利益」が適当ですが、農業の場合には経営を行っているのは農家ですから、「所得」がより適切な概念となります。この点がわかってもらえるのは、第2部においてでだと思います。

      「にもブームに弱い、もっと厳しく言えば自分自身で何が本当にいいものなのかが判断できなくなってきていると思います。」

       これはその通りだと思います。私は、日本人がものの善し悪しを自分で判断できない傾向があるのは、社会全体に「むら」的なものが支配しているからだと考えています。この点についても、後に話をしたいと思っています。

      「日本人よ、自分で物の価値が決められる力を身につけよ!!」

       この点は、諸手をあげて賛同します。


  41.  第三回目の授業に参加しました。

     金額ベースの自給率というのは政府が自給率の低さをごまかすために考えだしたものだと思います。そもそも政府はまずいことを隠し続け、国民にばれたり、本格的にまずくなってから公表する事が多いと思います。いつかはよくなるとか、まだ放置しておいても大丈夫と考えているのかは知らないけど、政府のこういうやり方こそが間違いだと思います。もう少しうまい政策を実施していればここまで自給率は下がらなかったと思います。出席メールにもありましたが専門でもないやつらが政策を決定してもうまくいくとは思えません。政府の構造自体を変えていかなければいけないと思います。

     農業だけでなく他の分野でも、いろいろな問題が発覚していますから。僕達の次の世代の若者達が過去の問題に苦しむことなくこれからますますひどくなるであろう環境問題などに力を注げるように努力していきたいものです。

       「僕達の次の世代の若者達が過去の問題に苦しむことなくこれからますますひどくなるであろう環境問題などに力を注げるように努力していきたいものです。」

       私が若い世代に求めている姿勢です。頑張って下さい。


  42.  京野菜を作ってる人の平均所得が2000万(以上?)というのに驚きました。 実際手取りはいくらぐらいなのか気になります。土地の税金とかがそこから引かれるのでしょうか?

     それとなんで食料自給率のカロリーベースと価格ベースの差が問題なのかわかりません。聞き逃しました。HPを見たのですがよくわからないです。HPがもう少しわかりやすくしてもらえると、聞き逃したことなど確認できていいと思います。

     数少ない優良授業だと思うので応援しています。頑張ってくださ> い。

       農家の経済構造については、第2部でお話しします。

       金額ベースと熱量ベースの自給率に30%もの差のあることについては、他の方の出席メールへの返信の中でも説明しているので参考にして下さい。講義ノートは、よく理解できる形になっているのではないでしょうか。利用の仕方に問題があるような気がするのですが…。

      「頑張ってください。」

       ありがとうございます。頑張ります。


  43.  二つの自給率が乖離しているのは問題があるということは、飼料穀物も国産を使うべ きだということですか。たしかにそうすれば仮に海外からの輸入がなくなっても今の 状態で輸入がなくなるよりは事態はましでしょう。しかし、国産の飼料穀物は値段が 高いということはないのですか。

     私の父は精肉関係の仕事をしていますが、国産の肉 の値が高いのは手の込んだ飼育をしているから(例えば牛の場合ビールを飲ませるな ど飼育にかかる費用が高い)だと言います。つまり特に肉のブランドものはそれなり の費用がかかるということです。ここで飼料穀物の値段が上がれば国産肉の値段も上 がります。すると肉は必ずしも人間に必要ではないので(所得弾力性が高いので)肉 の消費量が減りかねないとおもいます。つまり肉の生産が国内の穀物業界に依存する のは精肉業界にとっては不安が残ると思います。

       牛を草で飼うということは容易なことではないと思いますが、実現していく必要があります。それによって飼料穀物の量を減らすことができるはずです。また、国内で濃厚飼料を生産する様々な方法を考えることも必要です。

       牛肉の霜降り信仰も問題が多いと思います。なぜそこまでしなければならないのか(私の口にはそう入らないので、このようなことをいうのかもしれませんが…)。ヨーロッパなどでは、肉の料理法が非常に進んでおり、肉質の悪い肉でもおいしく食べられます。肉食は、まだ日本文化に十分にはとけ込んでいないのかもしれません。


  44.  講義の中心が食糧や農政になっているようなので、環境問題に関心のある私としては、今の農政の結果どのような環境破壊が起こったかという話も聞きたいと思います。

     あと外国の事例にも興味があります。外国の農業と日本の農業を比較することで、日本の農業の問題点や解決策が浮彫りになるかもしれませんので。

      「今の農政の結果どのような環境破壊が起こったかという話も聞きたいと思います。」

       次回は、このことを少し話します。

       日本と外国の農業の比較は、この講義の中では予定に入れていません。今後、そのような講義も用意できれば、と思っています。


  45.  第3回の出席メールです。

     前回、食料自給率も何をベースに考えるかで相当数値が異なることをお聞きしましたが、今回の講義を受けて本当に差があることがわかりました。

     カロリーベースの食料自給率の低さの理由の一つには、畜産が増え、その飼料の多くを輸入しているからということをはじめて知りましたが、そういうことを教えていただけて、知っていけるのがうれしいです。

     それと、飼料をほぼ輸入していることに関してですが、金額ベースの自給率が70%近くあるといっても、やはり不安に思ってしまいます。何かあった際に、お金がどこまで役に立つか分からないし、そういうときには、普段より自給率が下がってしまうものだと思います。それに、飼料も満足に入ってこないかもしれませんから。そのときに、本当に食料を供給できるのか心配になってしまいます。

    やっぱり、飼料もできるだけ自国で作れるようになってほしいなと感じてしまいました。

       どのような、そしてどの程度の危機的状況を想定するかは一概には決められないと思いますが、危機を想定して備えをしておくことは、是非とも必要だと思います。備えとしてもっとも確実なものは、自給率を少しでも高めることは間違いありません。


  46.  私は食料自給率や発展途上国の食料自給にとても興味があるので、今日の講義のまとめを見て、この話聞きたい!と思う項目がたくさんありました。なのに印象に残ってるのは京野菜の話がほとんどです。私が聞き落としただけなら申し訳ありませんが、一つ一つの項目についてもう少し詳しく聞きたいと思いました。

       私の話したことに触発され、自ら調べてみるということが、一番知識が身に付く方法ではないでしょうか。高校までの勉強と、大学での勉強のもっとも異なる点は、与えられた知識に疑問を持たずに覚えようとするか、疑問を持って自ら主体的に、真実を探究していくかの違いのような気がします。


  47.  今日は実家に帰っているので実家からメールを送っております 。どうでもいいことですが。

     第三回の授業も興味深く拝聴させていただきました。ところで 前回の出席メールのひとつ目の方と同じように京大生の考えの 深さにちょっと驚きました、いろいろな学部の人がいるだけに みんな違った考えを持ってて面白かったのですが、みなさんは 食料自給率の話の中で、外国の食べ物っていうものをどう捉え てるのかな、と思いました。食べていけなくなる、餓死の危険 すらある、という話がある中で贅沢な考えなのかもしれないで すが(というか贅沢)、食っていうものはやはり文化の一端で すよね、むしろ文化の中心といってもいいくらいだと僕は思い ます。ですから、その国の、その地域の風土に根ざした食材と 食文化、伝統というものをもっと大事にしてもいいんじゃない かな、って思います。例えば、コメは日本人にとって特別なも の、といわれますが、今までどれくらい日本人がコメに愛情を 注いできたのか、その努力に報いることも大事なのではないか と思うのです。もともと温暖な地域の植物である稲を寒冷な地 域でも作れるようにしたこと、土地の広さを「石」で表してい た歴史があること、日本の代表的な調味料や日本酒、焼酎(麦 や芋もあるけどね)などが米でできていることなどなど、日本 人が注いできた愛情を随所で感じることができます。現代の世 の中は、言わば経済の発展を追い続けた産物と言えますが、そ れだけで人は満たされるものなのでしょうか、日本人が千年以 上かけて積み上げた文化を、今の世代の人間が経済や政治など という本質的に「希薄」なもののために不意にしてしまうのは 悲しいことだと思います。文化はその土地のもの、食もその土 地のものを使い、その土地で食うものだと思います。文化は人 間が人間たる根源でもあると思いますし、軽率に扱ってほしく ないな、と思います。飢餓で苦しむ国があるというのに贅沢な 話ですが、こんな意見があってもいいんじゃないでしょうか。

       確かに日本人は、日本文化を真の意味で大切にしているとは言えないかもしれません。私はわずかな海外経験しかありませんが、1991年にドイツで3ヶ月勉強したとき、ドイツ人が自分たちの文化を非常に大切にしていることに驚きもし、うらやましくも思いました。

       自らの文化を大切にするためには、そのよさだけでなく欠点も知るということが必要だと思います。日本人には自らの文化や歴史を知ろうという姿勢が乏しいのかもしれません。戦後60年近く経つのに、いまだに靖国問題で隣国とぎくしゃくした関係になるなどはその一つの現れといえるかもしれません。

       コメは日本文化を形成してきた中心にあることは間違いありません。だからこそその持つ文化的意味をしっかりと理解しておく必要があるのだと思います。


  48.  3回目の講義出席しました。

    京都の上賀茂には、以前ある農家の手伝いをしに行ったことがありますが、同じ京都市内とは思えないような風景(田んぼに畑に馬小屋に・・・)が広がっていて驚いたのを覚えています。

    自給率が低いのがそんなに問題なのか、という意見を書いている方がおられましたが、私はやはり低いと不安です。石油などの天然資源は国内で生産することは完全に不可能であり、輸入するほか仕方ありませんが、農産物まで「足りないものは輸入すればいい」という姿勢では、国土も狭く資源も乏しい日本は輸入をしてばかりになってしまい、廃棄物がどんどん国内にたまる一方ではないでしょうか。実際、窒素が循環せず蓄積しているという問題を耳にしたことがあります。

    海外の大規模農場で大量生産される農産物とちがい、日本は少々値段が高くても「ふるさとの味」というか、なんとなくあたたかい感じがします。ただの私のイメージですが・・・。国産農産物の消費がもっと増えれば日本農業全体が活気づくのではないでしょうか。日本農業を支えるのは、補助金ではなくまず消費者なのでは・・・。

      「自給率が低いのがそんなに問題なのか、という意見を書いている方がおられましたが、私はやはり低いと不安です。」

       平成のコメ騒動の時、それが異常気象によるものであったにも拘わらず、大騒動となりました。そして多くの人が「いったい政府は何をしているのだ」と責めました。確かに備蓄をしていなかった政府に問題があったことは確かですが、国民に「自給率が低いのがそんなに問題なのか」という意識があり、備えを怠っていたことは間違いありません。日頃、政府まかせで、悪くなったら政府を責めても問題は解決しません。

       中長期的な食糧危機に対しても同じことが言えます。食糧危機はこないかもしれません。しかしくる可能性のある限り、その備えをしておかないと、きたときに政府を非難しても遅すぎるのです。まずはわれわれ自身が意識を高めていくことが必要だと思います。

      「日本農業を支えるのは、補助金ではなくまず消費者なのでは・・・。」

       まったくその通りだと思います。そうしてみると、いま必要なことは国民一人一人の意識の高まりなのかもしれません。私の講義が、皆さんの意識の高まりに少しでも貢献できるとよいのですが…。


  49.  10月15日の第三回の環境形成基礎論に出席しました。

    農業の明るい話ということでブランド化の話をされていてとても面白かったです。
    母は京都の人間なのですがやはり京野菜(特に漬け物)にはうるさいです。

     でも京都の人は実は錦市場には買い物には行かないそうですね。
    あそこは観光名所だ。
    本当においしい野菜は地元の市場に上賀茂のおばさんが売りにくる。
    って言ってました(笑)

     ところで授業でみせていた写真はもしかして柊野でしょうか!?
    以前に柊野のテニスコートにいったときに迷ってしまって周辺をまわるはめになったのですが あちこちで野菜の直売所がありいい風景だなぁと感じました。

    でもインフラ面での不便さや大変さを考えると
    この風景を残したいと考えるのは傲慢な気がします。
    京都だからこそ生計が立つけれど他の地域ではわからないからです。
    京野菜を一例として
    たしかに海外の大量生産による安価な農産物に負けないためには
    質で対抗するしかないと思います。

     そして今、食の安全や健康について関心が高まっています。
    鮮度の高いとれたての野菜や、完全無農薬の野菜などは
    運搬に時間のかからない日本で作る必要があるはずです。

     北山や上賀茂のように町と田畑が共存するのは難しいかも知れません。
    それでも、一都市一農村とまではいいませんが、
    都市近郊の農業がもっと生まれていけば
    景観もよくなるというのには納得します。

     農村と都市の境界も、
    現状で農村と都市がどのように分布しているのかわからないのですが
    両方がいいバランスで存在できればいいなぁと考えています。

     次回もたのしみにしています!!

     ところで出席メールは別媒体から送ってもよいのでしょうか。
    どうやらうちのパソコンの機嫌が最近あまりよくないようなので…。

       京都には、千枚漬け、しば漬けなど、特色ある漬け物が多いですね。しかしその中でもとりわけ「すぐき」(すぐき漬けという方が正しいのでしょうか…)は異彩を放っていると言えるでしょう。いわばマニアックな人たちの漬け物、といえるのかもしれません。だからこそすぐき農家に2000万円という所得を提供するのだと思います。

      「本当においしい野菜は地元の市場に上賀茂のおばさんが売りにくる。
      って言ってました(笑)」

       このような形態の販売を「振り売り」といいます。京都の食文化にとって振り売りの果たした役割は、計り知れないものがあります。振り売りのおばちゃんの中には、年間300万円の小遣いを稼ぐ人がいる、ということを学生さんが調べてきました。錦市場は、元々は京都の台所だったのかもしれませんが、確かにいまや観光スポットとなっていますね。

       テニスコートですが、おっしゃる場所です。次男が世界を目指して頑張っているので(始めたのが遅く無理だとは思いますが…)、時々、そこで相手をしています。農家のおばちゃんが経営しており、常連の次男は、よくコメや野菜など、その農家で穫れたものをもらってきます。

      「現状で農村と都市がどのように分布しているのかわからないのですが
      両方がいいバランスで存在できればいいなぁと考えています。」

       まったく同感です。環境ということを念頭に考えていくと、今後、地産地消、産直、という言葉がキーワードになるような気がします。すなわち人々が帰属意識をもてる圏域に農業と他産業をバランスよく配置させ、都市と農村が共存できるような地域が形成されることが重要となってくるのではないでしょうか。そこでは消費者は産直を中心に安心できる食べ物を得ることができるはずです。

      「ところで出席メールは別媒体から送ってもよいのでしょうか。」

       もちろんかまいません。


  50.  今日の講義では、京野菜に関することが特に心に残りました。ブランド化して競争力をつけたことは、やはりとても効果的だと思いました。逆に、京都で水田をあまり見かけないのは、野菜との競争に負けたからかなと思います。あと、自給率にも種類があることを知って驚きました。使い方次第では、全く異なったイメージを持つことがあると思うので、その辺りもしっかり見なければいけないのだなと思いました。

       水田に関してですが、コメの生産調整によって、3分の2以上の水田でコメが作れなくなっています。確かに野菜との競争に負けたというような面もないことはありませんが、農家は、生産調整のため飯米程度しか作らないために水田が少なくなっているのです。


  51. 今日の講義では、真に危機感を抱くべき、日本農業のゆがみ
    についてとりあげられ、興味深かったです。
    日本人の食生活の西洋化に、日本農業は根本的なところで
    対応できていないということですね。
    しかし、日本国内で、家畜の飼料を生産するのは
    とても無理でしょう。別に肉がなくても人間は植物性のものだけで
    十分生きていけるのだから、いざとなれば、食生活を昔に戻せばいいのではないか
    と、わたしは飼料の輸入依存の問題にはあまり危機感を持っていないのですが、
    これは正しくないでしょうか?
    それから、食品のブランド化の話ででてきた、北山通の農業の話も
    大変興味深く、収入の話にはびっくりしました。
    たしかにブランド化というのは、日本農業の問題解決策としてたびたび聞きます
    が、それが万能の解決策ではないのではないのでしょうか。
    ブランド食品を買うのはほんの一握りの人たちだし、ブランドの価値は、ある程度は
    希少価値であって、安定した価格で食糧を大量に供給することが必要となる
    食料政策にはそぐわないのではないでしょうか?

      「日本人の食生活の西洋化に、日本農業は根本的なところで 対応できていないということですね。」

       非常に鋭い理解です。

      「わたしは飼料の輸入依存の問題にはあまり危機感を持っていないのですが、 これは正しくないでしょうか?」

       食糧供給だけを考えれば、その通りです。ただ、いざというときのために農地を確保しておくことは、絶対に必要です。そして農地の確保のためのもっともよい手段は持続的に農業を行っていくことです。農業を行うことによって、環境が悪化するようでは農業を行っていくことの意義が半減してしまいます。だからこそ、歪みのない農業を実現と、それによる農業、ひいては農地を維持していくことが大切なのだと私は考えています。

      「食料政策にはそぐわないのではないでしょうか?」

       その通りです。農産物のブランド化と、食糧政策とは必ずしも合致しません。ただ上述した農地の維持のためには、農業の活性化が不可欠です。ブランド化が農業の活性化に貢献し得る、という意味では、食糧政策とも何らかの関連を持つのではないでしょうか。


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作成日:2004年10月20日
修正日:2004年10月20日
制作者:柏 久