朝鮮・韓国学入門 第4回講義 吉井秀夫 2005/10/28

1 私と朝鮮・朝鮮考古学-自己紹介を兼ねて
(1)「考古学少年」からはじまった朝鮮考古学への関心

(2)韓国への留学と「植民地朝鮮」との出会い

2 植民地朝鮮における日本人の考古学的調査研究に対する評価
日本側の主張

日本人の古蹟調査事業は、朝鮮半島の古蹟の実態を明らかにし、保護・啓蒙する役割を果たした

韓国・北朝鮮側の主張

日本人の古蹟調査事業は、朝鮮民族の文化財の破壊・略奪であり、その成果は植民地支配の正当化のために用いられた

3 植民地朝鮮における古蹟調査事業
(1)日本人における本格的な調査のはじまり(1900~1908)
・八木奘三郎の調査(1900・1901)
東京帝国大学人類学教室から派遣

・関野貞(1902、東京帝国大学建築史教室から派遣)
『韓国建築調査報告』(東京帝国大学工科大学学術報告第6号)、1904年

(2)朝鮮総督府主導の調査体制の確立
・関野貞らによる古蹟調査(1909~)
→朝鮮半島各地の建造物を中心とする古蹟を調査し、甲乙丙丁に評価

・朝鮮総督府博物館の開館(1915)

・「古蹟及ビ遺物保存規則」の施行と古蹟調査委員会の設置(1916)

(3)朝鮮古蹟事業の調査体制は?
・古蹟及ビ遺物保存規則(1916年)
古蹟や遺物を登録し、許可なしに調査や朝鮮からの搬出することを禁止
→相次ぐ盗掘や遺物の搬出を防ごうとする
(実際は十分に機能せず)

図1 京都国立博物館東庭の石人

→朝鮮半島における考古学的調査は、朝鮮総督府と関わりをもつ一部日本人に限られる

(4)朝鮮古蹟事業が対象とした遺跡は?
・楽浪漢墓
→中国漢代文化のさまざまな遺物がみつかり、世界的に注目を浴びる

図2 楽浪・王光墓平面図

・慶州の新羅古墳
→豪華な副葬品が多数みつかる

図3 普門洞古墳発掘風景(1918)
図4 飾履塚を見学するスゥエーデン・グスタフ皇太子一行(1926)

(5)朝鮮古蹟事業の成果はどのように公開されたのか
・『朝鮮古蹟図譜』の発刊(全15巻、1915~1935)
大型・豪華本→寺内総督室に積み上げられ、各国の来賓に贈物として配られた

・博物館の築造
→総督府博物館(ソウル)・慶州分館・扶餘分館

図5 朝鮮総督府博物館全景
図6 朝鮮総督府博物館の展示風景

→平壌・開城には府立博物館

4 朝鮮古蹟事業を、当時の人々はどのように考えていたのか?
・崔南善
しかし、憎い日本人は同時にありがたい日本人であると思わざるをえない。ただ一つ、そう確かに一つだけ日本人に向かって、ありがたいと言うことがある。それは他ならない古蹟調査事業だ。

 

・浜田耕作
斯の如く朝鮮に於ける調査研究は、其の結果内容が日本の考古学に大いなる関係影響を有する以外に、其の研究法の上に於いても最も重要な影響を与へたことは、寧ろ我々の意外とする所であるが、実は滅に不思議とするには足らないことであって、西洋に於いても、英佛伊其他の欧州の古い文明国に於いては、却つて大仕掛けな発掘や調査の方法が応用出来なかつたのに反して、埃及などの後進国に於いて行はれ、発達した化学的方法が、その後却って欧州本国に輸入適用せられたことと、全く其の規を一にして居るのである。

 

参考文献
梅原末治1946『朝鮮古代の文化』高桐書院
梅原末治1969「日韓併合の期間に行われた半島の古蹟調査と保存事業にたずさわった一考古学徒の回想録」『朝鮮学報』第51輯、朝鮮学会
京都木曜クラブ2001『考古学史研究』第9号(特集・関野貞と朝鮮古蹟調査)
京都木曜クラブ2003『考古学史研究』第10号(特集・朝鮮古蹟調査の制度と技術)
坂詰秀一1997『太平洋戦争と考古学』(歴史文化ライブラリー11)吉川弘文館
西川宏1970「日本帝国主義下における朝鮮考古学の形成」『朝鮮史研究会論文集』7
浜田耕作1935「朝鮮に於ける考古学的調査研究と日本考古学」『日本民族』東京人類学会編
李成市2004「朝鮮王朝の象徴空間と博物館」『植民地近代の視座 朝鮮と日本』岩波書店
李亀烈(南永昌訳)1993『失われた朝鮮文化-日本侵略下の韓国文化財秘話』新泉社

 

図版出典
図1 国立文化財研究所2004『日本京都国立博物館朝鮮石物調査報告書』巻頭写真(一部改変)
図2 朝鮮古蹟研究会1935『楽浪王光墓』図版第24(一部改変)
図3 国立慶州博物館1993『もう一度みる慶州と博物館』写真89
図4 国立慶州博物館1993『もう一度みる慶州と博物館』写真108
図5 新光社1930『日本地理風俗大系』第17巻(朝鮮地方(下))p.143上写真
図6 新光社1930『日本地理風俗大系』第17巻(朝鮮地方(下))p.143下写真

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