不可逆性と統計力学(その2)

早川尚男(京都大学大学院人間・環境学研究科)

(物理学概論後期第N回)

 

時間に何故向きがあるのか。ある意味で非常に哲学的な問であるが、統計力学という学問は誕生の経緯からその問に答える義務があった。というのは可逆なニュートンの運動方程式と不可逆な熱力学を結び付けようという意図のもとに生まれた学問分野であったからである。
既に我々はボルツマンによるボルツマン方程式の提出、ロシュミットやツェルメロの反論、それに対するボルツマンの暫定的な答え等を知っている。しかしここでは歴史的な事実を網羅するのではなく、それを理解したいという誘惑にかられないであろうか。この不可逆性の起源について確定的な事を文系の諸君に紹介するのは難しい。何故なら私はその問題について完全に理解している訳ではないからだ。それどころか大体においての共通認識はあるものの、細部では現在も研究が盛んになされている問題であり、今後に見方が変わる可能性を残している。

 

さてニュートンの運動方程式が可逆であると言っても文系の諸君にはピンと来ない可能性がある。例えば自由落下をしているボールを時間を反対にして見る。これは一見不自然だが、速いボールに一定のブレーキがかかっているだけのことである。不自然さを消すには空間の向きをつけかえたらよい。すると最初の自由落下と全く同じ現象になる。これは、ニュートンの運動方程式が時間と空間の反転に対して不変であるという性質に基づいたものである。従ってフィルムの逆戻しをしてみても(空間の反転を忘れなければ)何もおかしな事は起こらない。

 

力学の方程式が時間反転で不変であれば、時間の向きはどうやって生じるのだろう。例えばインクを水の中に落したら拡散することは皆知っている。しかしこれは時間反転をするとおかしな事になるし、そのおかしさは空間の向きを入れ換えても直らない。実際、インクの拡散は水平面には等方的であるし、鉛直方向には非対称にせよ、上下がひっくりかえるだけのことで、時間反転に伴って生じる逆拡散はどう考えても不自然である。そもそも我々は日々歳を取っているのであるから時間に向きがあるのは自明である。しかし、基礎方程式である筈の力学の方程式(これは量子力学でも)は可逆なのであるから、その不可逆性は考えると不思議な事である。

 

エネルゲティーケが原子の存在を否定しようとする一つの論拠はこの両者の間の矛盾にあった。熱力学は安定性に基づく不可逆性を持ち、そのため時間は最初から向きがあると考えて良かった。一方、ボルツマン等の様に原子の存在を肯定し、不可逆性を理解しようとするのであれば何らかの意味で力学以外の性質を持ち込まないといけない事は間違いない。そこに統計力学の難しさがある。

 

ところで分子集団の運動には膨大な自由度が含まれる。実際にそれを全部フォローするのは不可能だし無意味である。そうすると例えば速度分布といった分布関数を導入し、統計集団として扱うのが普通である。そうした場合に大抵の場合は元の情報を完全に保存しておらず、その結果不可逆性をもたらす。これは逆に着目している粒子の運動を考えても良い。例えば気体中で着目している粒子の運動は周りの粒子のランダムな衝突によって決められる。すると平均衝突間隔(平均自由行程)より長いスケールで見れば分子はランダムウォークをしているようになる。アインシュタインが示した様にランダムオォークは拡散と同じであるから不可逆性が生じる。(液体中のコロイドの運動はまさにそうしたものであり、それがブラウン運動として観測されるが、液体分子とコロイド粒子の大きさの違いや流体の抵抗等があり、不可逆性は初めからインプットされているようで例として適さない)。これは目をつぶって人混みの中を走っている様なもので、その人の軌跡を描けば拡散粒子と同じだし、そういった目をつぶった人のサンプルを集めれば拡散のように広がっていくことは確かであろう。
実際、こうした考えは時間の不可逆性を考える上で基礎となるし、本質を衝いている。こうした考えに基づき定式化した理論も存在する。例えば気体粒子集団から1個の粒子の運動を取り出して書き直すと形式的にランダムウォークの粒子が従う方程式と似た方程式が出てくる。そこで例えば衝突が無相関でランダムであるとすると完全にランダムウォークの式と一致させることが出来る。(尚、等価な書き換えで出て来た方程式はあたりまえだが可逆である。あくまで衝突がランダムで無相関であるという情報をインプットしてこそ不可逆性が生じる)。こうした考え方から時間の矢は情報の不完全さにのみ由来する見掛けのものであるという意見が出て、物理の専門家もそれを受け入れている場合もある。

 

ところがそれは誤解である。例えば可逆な運動法則に従う全自由度を扱っても不可逆性は生じる。例えばエネルギーを保存する少数自由度力学系では粒子はカオス的な振舞いをする。即ち、初期条件のわずかな差に対して鋭敏に反応して粒子の軌道はぐちゃぐちゃなものになってしまう。初期にきれいな周期運動に近い状態から出発しても軌道はカオティックなものになるが、カオティックな軌道から周期軌道に移ることはない。粒子は全部見ても(初期条件のわずかな不完全さに由来した)混合性から時間の矢が生じるという考えがある。これは先の時間の矢は見掛けのものだとする考え方から見るとかなり前進したことになるだろう。

 

こうした混合性が絶対必要かというとそうでもない。実際、完全に可解、即ち運動が完全にフォローできるような場合でも不可逆性は生じ得る。例えば次の様な遊びを考えてみよう。N人で輪を作って座ってみる。全員が白か黒のボールを持つ事にしよう。全員が持っているボールを右隣の人に渡すとしよう。N人の中で一人だけが特殊な立場(教師)にあり、回って来たボールの色を変えるとする。このルールで遊びをすると初期の黒、白のボールの数の差が段々減ってついには同数になっていく事が確認されるであろう。実際、数学的に示す事は容易である。

 

しかし、この結果は自明ではない。実際、第1にこのルールには時間反転対称である。右に回しても左に回しても良いが、左に回すことは時間を遡る事と解釈できる。第2に2Nステップ経ると初期状態に戻る。これは難しい計算をしなくても2Nステップ後に全てのボールは教師の手を丁度2回通過するので色は元に戻る。この第1と第2はいずれもルールが可逆性を持つことの反映であり、それぞれロシュミットとツェルメロの批判に対応している。

 

ではどう考えたら良いのだろうか。前の解析は誤りだったのだろうか。これに対してもボルツマンの反論が参考になる。そのためには教師役を皆で交替し、同じリングの集団を作る必要がある。ついでその平均として黒と白のボール数の差を計算する必要がある。その結果は、Nステップまでは確かにどんどん混合が進む。従って黒と白の数は少なくなって行く。しかしNステップを過ぎると逆混合が起こり、ついには2Nステップで元の状態に戻る、という事になる。従って再帰時間より充分短い場合には確かに混合が進みボルツマン方程式のような時間の矢が存在する。しかし再帰時間に近付くにつれて反ボルツマンとでもいうような時間の逆向する状況になる。これがツェルメロに対する反論にそのまま使えるだろう。

 

この遊びから得られるもう一つの教訓は初期条件の選び方の重要性である。例えばもっとも混合が進んだ(白と黒が同数の)状態から出発すれば必ず最初は逆混合が起こる。従って混合を時間の矢の目安とするならば一つの特殊な例では時間が逆向し得る。そのためにアンサンブルに対する平均を行い、特殊な初期条件の影響を消す必要があった。従って混合は殆んど確実に起こる統計法則であると言える。これがロシュミットに対する反論と解釈できる。このような初期条件の選択が時間の不可逆性に本質的かつ密接に関わっている。

 

これ以上に詳しい説明は専門的になるので文系の諸君には難しい。しかしながら不可逆性がどうして起こるのかという事という素朴な疑問に少しは答える事ができたのではないだろうかと期待する。果して諸君はどういう感想を持っただろう。

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