相対論入門

早川尚男(京都大学大学院人間・環境学研究科)

(物理学概論第2回)

第1回で触れた様にアインシュタインは20世紀の顔として定着しただけでなく過去を通しても屈指の偉大な人物として神格化されている。アインシュタインの業績は多岐に渡っており、彼の物理学における業績は

  1. 特殊及び一般相対論の発見
  2. 量子力学への貢献:光電効果(ノーベル賞の対象)、誘導放射の理論,EPRパラドックス
  3. 量子統計力学:、ボース・アインシュタイン(BE)統計と凝縮理論、固体比熱論
  4. 非平衡物理:ブラウン運動の分子理論、非平衡物理の創始、有効粘性率の理論

等が知られている。いずれも一流の業績であり、例えば1995年に純粋なBE凝縮の実験が可能になったことのみで物理業界が沸き立ち、未だにその興奮の中にあるという一事だけからもその偉大さの一端が伺える。個々の理論の説明とその影響についてはいずれ改めて紹介するが、ここでは最も彼の象徴する業績である相対論について極く簡単に紹介しよう。
相対論が何故、アインシュタインの名と直結して語られるのであろうか。その理由として、相対論はアインシュタインのみによって開拓、完成された点と、理論が日常的直観を超越した予言をする点にあるのであろう。また日常と切り離された適用領域やその完全無欠性がかえってその神秘性を助長するという事もあるのかもしれない。その辺りの事情は20世紀のもう一つの(そしてもっと影響力の強かった)量子力学の発展史と比較するはっきりする。量子力学も日常知を越えた不思議な予言をするのであるが、テレビやコンピューター等、日常生活の隅々まで支配している量子力学に違和感を持ちにくく、また発展の歴史もプランクの創始から、アインシュタイン、ボーア、ソンマーフェルト、ド・ブロイ等の研究を経て、ハイゼンベルクやシュレディンガーによって量子力学の形を取り、更に今に至るまでその基礎については論争が絶えず、人間の営みが感じられる。従って、おそらくは量子力学よりも相対論の方が知名度が高く、また「トンデモ」の登場する頻度が高い。

 

相対論には特殊と一般の2種類の相対論がある。名称から察せられる様に一般が特殊を包括するように定式化されており、アインシュタイン自身も1905年に特殊相対論を、そして様々な紆余曲折を経て1915年に一般相対論を完成している。特殊相対論自体は光速に近い現象を議論する時に必ず必要になるために、単に物理学のみならず技術畑に働く人にも不可欠のものとなっており、非常に多くの人が駆使している。京都大学でも理系2回生向きの全学共通科目として提供されており、その習得は普通の学生にも困難なものではない。それにひきかえ一般相対論は発表後50年もの間、殆んど実用的な価値はなく、60年台に入ってブラックホールその他の宇宙物理現象と関連して多くの物理学者にリアリティをもって迎えられるに至った。現在でも一般相対論を必要とする研究者は限られており、「特殊」程、一般性をもって迎えられていないのが現状である。

 

本講義では特殊相対論と一般相対論の考え方をごく簡単に説明したい。勿論、本講義を聴いて最初の仮定から自己矛盾なく相対論を理解する事は不可能である。興味を持った場合は理系向きの科目を改めて履修されたい。また巷に溢れるブルーバックス等のような子供向けの啓蒙書との差異はそれほどない。むしろ、本講義の方が皮相的な紹介に留まるのは仕方がなかろう。

 

相対論が登場した時代背景を思い出そう。前回述べた様にケルビン卿の講演とプランクの量子論の登場が1900年であった。量子論、統計力学と原子論の論争等はひとまずおいてケルビン卿の言う黒雲の一つであったエーテルの問題を紹介してみよう。
19世紀に従来のニュートン力学と異なった特徴を備えた2つの理論体系が登場し、研究上の主流となった。この2つは熱力学と電磁気学である。熱力学については改めて触れる機会があると思うが、ここではその成功のあまり熱力学のエキスパートの何人かは原子の実在を否定しようとし、原子論者との間に激しい論争があったことのみを紹介しておこう。一方、電磁気学は最初はニュートンの重力理論との類推によって定式化が進められて来たが、ファラデーの電磁誘導(1831)の発見辺りから両者の間には質的に異なるものがあることが認識され、マクスウェルによって完成された(1864)電磁気学はむしろ流体力学と非常に近いものになった。即ち、流体と同じく電磁気は場を媒介として波が伝わりその結果として相互作用を行うというものである。波は媒質を必要とするということは真空中では音が伝わらない事を考えればよく分かる。また水の波を考えると「水」抜きには波は語れない。マクスウェルの電磁気学では電磁波の存在の予言及びその検証が大きな成果であった。またヤングやフレネルの実験等から電磁波の一種である光が波の性質である回折や干渉を起こす事は疑う余地がない程確証されていた。従ってヘルツによって電磁波の存在が確証されると真空中に電磁媒質であるエーテルが充満していると考えられたのはある意味では自然であった。しかし真空の媒質とは何であろうか。ローレンツは物質とは独立な存在で電磁的な偏りを伝えるだけのものであるとした。またエーテルは絶対空間の中で静止しているのである!

 

地球は自転、公転をしているので、静止した媒質の中の波の伝播を考えると方向によって光が往復する時間が異なる筈だという結論になる。この推論はガリレオの相対性原理に基づいている。例えば川が流れているとすると川の流れに沿って往復するのと川を横切って往復するのとでは所要時間に違いがでる。或は車に乗ってボールを投げたら対地速度は車の速度だけ加算される。この事実を利用してマイケルソンとモーレーは次の様な実験を試みた。図は彼らの実験装置の概念図である。光源から出た光は半透明の鏡Mで互いに直交する2つの光線に分岐される。更に鏡をそれぞれ分岐した光の進行方向に置くと光は反射されて元の鏡Mに戻って来る。そこに望遠鏡Tを置くと公転方向と垂直と平行方向での光行差のため干渉縞が現われる筈である。ここで注意すべきはニュートン力学を信じればその影響はかなり大きいことである。実際、公転速度は \(3 \times 10^4 \mbox{m/s}\) にもなる(公転速度は自転速度に比べて2桁程大きい。)ために、マイケルソンとモーレーの実験のように11mの腕を持った装置を使うと干渉縞の間隔は光の波長に比べておよそ0.37倍にもなる筈である。しかし彼らの実験ではどのように実験を行っても干渉が観測されず、むしろ公転する地球が絶対系であるというおかしな結論になってしまった。

 

フィッツジェラルドやローレンツは実験結果のもたらす矛盾を解決するために物体は静止エーテルに対して運動すると運動方向に収縮をすると考えた。このとき光速はあくまで観測者や光源の速度に依存すると考える。このような収縮を考えると実験結果を説明することは可能である。しかしその機構については不問とならざるを得ない。歴史的にはフィッツジェラルド(1889年)とローレンツ(1892年)は独立に光速より充分遅い運動に対して収縮の考えを導入し、ポアンカレのコメントに答える形でローレンツが1904年に任意の速度に対して成り立つ収縮公式を導出した。それを受けて1905年にポアンカレがいっそう完全な数学的定式化を完成した

 

1905年はアインシュタインの奇跡の年である。この年特許局に勤める25、6歳の青年が立て続けに3つの重要な論文を出版した。その3つとはブラウン運動、光電効果、そして特殊相対論である。なかでも特殊相対論の論文は19世紀的な自然観を破壊するに足る革新的なものであった。
アインシュタインは実はマイケルソンとモーレーの実験を殆んど念頭に置いていなかったし、ローレンツの変換公式にしても1895年に低速の極限の結果をまとめた理論を本としてまとめあげたものしか知らなかった。むしろ運動物体の電磁気学における非対称性(特に電磁誘導で導線を止めて磁石を動かした際に電場が生じて起電力となるのに磁石を静止させて導線が動くとすると電場が生じずに磁場と速度の積の形で起電力が生じるということ)がおかしいのではないかという疑問に理論構築の萌芽を見ることができる。

 

アインシュタインはこの種の疑問や光速で光を追いかけながら光を観測するとどうなるかという事を16歳あたりから考えていたらしい。更に大学に入ってマッハのニュートンの絶対時間、絶対空間は形而上学的概念であり、力学において意味を持つのは相対運動だけであるという主張に強く影響を受けた。他方、ローレンツの研究によって静止エーテルの力学的性質を殆んど失っている事も認識していた。アインシュタインは着想を得てから5週間で論文「運動物体の電気力学について」(Zur Elektrodunamik bewegter Koerper, Ann. Phys. vol. 17, 891 (1905) )を書き上げたが,そこでは慣性の法則に従う慣性系では同一の形の電気力学の法則が成り立つとしている。そして真空中では光速度一定の原理を課した。前者は物理法則は観測者の速度に依存してはいけないという要請をおいたことになるので計算するまでもなくマイケルソンとモーレーの実験では干渉は観測されないのである。ここにローレンツ等の実験の説明のための理論と原理的な理論の違いが明確に見られる。

 

光速度不変の原理と相対性原理を用いてローレンツ変換の式を導くのは受講者への宿題としよう。そこで使っているのは単に連立一次方程式なので中学生でも充分理解可能である。しかしそこで導かれた結論は日常経験から著しく逸脱したものとなる。ローレンツ変換から導かれる3つの重要な結論は(1)ローレンツ収縮:ある座標系において、この系に対して運動している物体の長さが収縮する。(2)時計の遅れ:運動している系では時間に遅れが生じる。(3)同時刻の相対性:同時刻という概念は観測者の立場に依存する。これらの説明は一言では難しいので講義の中で試みる。しかしこれらの奇異感はいわゆる時間が座標変換の不変量ではなくて固有時間が不変量であることを用いればそれほど不思議ではないであろう。つまり時間と空間を組にした固有時間こそが大事であって、時間のみ、空間のみに着目すると物事を一面的に捉えたに過ぎないのである。

 

例:ローレンツ変換を用いて速度の合成を行う事が可能である。その結果によると光速の3/4で走っている「列車」の上で光速の3/4で走っている「人」がいるとすると人の対地速度は光速の24/25となる。

 

時間の遅れという話を聞くと即座に思い浮かべるのは浦島太郎のパラドックスが光速飛行で可能になるのではないかという事である。実際、加速器等で高速で走る素粒子の寿命が長い事はよく知られている。また巷の子供向きの科学本には相対論が浦島パラドックスを可能にしているという事がしばしば書かれている。しかし浦島パラドックスはそんなに単純な話ではない。実際、相対論によれば絶対静止系はないであるから、光速に近いロケットに乗っている浦島と地球で待っている人の間に差異はない筈である。つまり浦島から見れば地球の人が光速近くで遠ざかっているという見方が可能になる。浦島と地球の人を双子に置き換えた話もよく使われる。
ではどう考えたらいいのか。まず特殊相対論では加速度を扱っていない事を思い出すべきであろう。途中で向きを反転するという加速度運動で重力が生じ、一挙に歳を取ってしまうというのが正しい。言葉を変えれば、向きを反転して慣性系を移り変わるときにその加速をどんなに早くしても有限の時間がかかってしまう。この辺りの事情は手書きのノートに基づきやや詳しく説明をしよう。いずれにしても双子のパラドックスはなく、浦島太郎も世をはかなんで玉手箱を開ける必要はない。

 

既に述べた様に相対論では時間と空間が独立ではなくなり、それらをまとめて扱った固有時間がローレンツ変換で不変となる。力学法則もローレンツ変換に対して不変であるべきであるから運動方程式も固有時間を使って書き直す。当然運動方程式も4次元時空で成立するように書き直す必要がある。4元運動量の最初の3つはそのまま運動量を当てればよい。最後には時間あるいは質量を当てる。運動量をニュートンの運動量とできるだけ同じように考えるのであれば質量は慣性系の移動速度に依存して時間的に変化すると考えた方がよい。そのように考えた有限の時間の間の質量の変化に光速の2乗をかけたものは力が質点に対して行った仕事と等しい。従って有名な

 

\[
E=m c^2
\]

 

という式が成立する。但し質量は静止質量と比例するが慣性系の並進速度による。この式を並進速度が光速より充分小さい極限で展開するとまず静止エネルギー、即ち上式の質量を静止質量で置き換えたものが現われ、ついでニュートン力学で現われる運動エネルギーとなる。このように特殊相対論はニュートン力学の自然な拡張になっている。

 

一般相対論

 

特殊相対論はあくまで慣性系に関する相対性原理を定式化したものであった。しかし一般には加速度運動は避けられない。例えば双子のパラドックスを議論する場合でも減速をして逆向きに加速しなければ戻って来ることは出来なかった。もっと身近な例は重力である。例えば質点が放物運動をしているときに質点のみが重力を感じ、質点に固定した座標系から見た大地の運動方程式は奇妙なものとなっている。またニュートン力学を勉強すると遠心力、コリオリ力等、非慣性系では見掛けの力である慣性力が現われると習うが、このことは慣性系と非慣性系に明確な違いがあることを意味する。しかしアインシュタインの審美眼からするとこうした非対称性は納得し難いものであった。
アインシュタインのねらいはまさに重力の相対論をつくり、慣性力等の繁雑な諸概念を整理し、統一的に扱うことにあった。1907年11月にアインシュタインは「生涯で最も素晴らしい考え」にたどりついた。重力場は相対的な存在である。例えばエレベーターのワイヤーを切断するとその系は自由落下し重力場を消すことが出来る。このような座標変換をすれば相対論を構成することは可能であろう。この「生涯で最も素晴らしい考え」を定式化するプロセスが一般相対論への道であり、その完成には8年の日々を要し、アインシュタインらしくない紆余曲折の果てに一般相対論は完成した。

 

一般相対論を考える上でキーとなる概念の一つが等価原理である。等価原理というのは運動方程式において力/加速度で定義される慣性質量と重力理論に現われる重力質量の比が物質等によらず普遍的な値を取る、即ち両者を等価とみなしてよい、というものである。この両者の質量は従来のニュートン力学では区別していなかったが、考えてみると両者の間にどういう関係があるかは自明ではない。アインシュタインはこれを原理的に与えたのであるがやがてエトベッシュがねじり天秤を用いた巧みな実験でその有効性を確かめた。

 

エトベッシュの実験はおよそ以下の様なものである。一般に地球上の全ての運動では地球の自転の影響がある。(古典力学ではフーコーの振り子が有名であり、大抵の科学館ではその模型がある。その他、ネール曲線やコリオリ力が知られている)。図のような天秤を考える、鉛直方向に力のモーメントのバランスが成り立っているとする。一方、吊している糸のまわりのトルク(ねじれ)の自由度を考えるとそのトルクは自転の水平方向の加速度に比例し、慣性質量を用いたモーメントの差とその加速度の積となる。鉛直方向のバランスを考えると、トルクはA粒子の慣性質量と重力質量の比からB粒子の慣性質量と重力質量の比を引いたものに比例する。A、B2つの粒子は任意であるら、トルクが生じれば等価原理は破れており、トルクがなければ等価原理は成り立つことになる。このような実験を注意深く行うとトルクは生じず、等価原理は誤差の範囲内で成り立っていることになる。(しかしその誤差が系統的であり第5の力の存在を示唆するのではないかという指摘から専門家の間で議論を呼んだ事がある)。

 

等価原理を認めると次は光の湾曲を考える必要がある。例えば図のようなエレベータ系で、電灯が瞬間的に点灯し、消えると同時にエレベータが自由落下するとする。エレベータ内部では先に触れた通り重力が打ち消された慣性系になっており特殊相対論が成立し、光は直進する。しかしこの光を大地に固定した座標系にいる観測者から観測すればどうなるのであろうか。図を書いてみれば明らかな様に光は重力の影響で湾曲する(これは放物線である)。従来のニュートン力学では質量のない電磁波(そもそもマクスウェルの電磁気学はニュートン力学と馴染まないので矛盾した表現だが)等は直進するとされていたが、実はそうではない。むしろコップの中の水を通った光のように屈折率が有効的に変化して曲がるという表現が正しい。しかし質量がない光は重力から力を受けない筈である。従って重力で光が曲がるという事実から次の考えにたどりつくのは素直な流れである。

 

「重力によって空間が曲がる」。曲がった時空というのは突飛に聞こえるかもしれないが球面は(3次元空間に埋め込まれた)曲がった(2次元)面である。例えば地球儀でニューヨークと京都を結ぶ最短コースを描いた後、その軌跡をメルカトル図法で描いた地図上に描くと随分カーブしていることが分かる。この場合、球面上の最短コースは2次元平面では直線ではない。こういった平らでない空間で幾何学を考えると三角形の内角の和が180°ではなくなるような非ユークリッド幾何学(微分幾何学)を構成することが可能である。平らでない局面は球面だけでなく無数に考えられるが、光はその最短コースである測地線とよばれるルートを通るというのが一般相対論の一つの仮定である(勿論空間が平らであれば測地線は直線になる)

 

アインシュタインに微分幾何の手解きをしたのは友人のマルセル・グロスマンであるが、アインシュタイン自身はある程度微分幾何の事を知っていて、微分幾何が見込みがあるかと尋ねたというのが真相のようである。またグロスマンとの共同研究は1912年から13年にかけてであり、最終的にはアインシュタイン自身の手によって一般相対論は完成された。勿論、一般相対論をきちんと理解する上では微分幾何とそれに伴うテンソル計算は避けられないのであるがヒルベルトが「ゲッチンゲンでは猫でもアインシュタインよりうまく微分幾何を使う」と言ったにも関わらず数学者は誰も一般相対論を完成させることは出来なかった。つまり微分幾何学はあくまでアインシュタインのアイデアを表現する数学的道具であって、一般相対論の本質ではない。

 

重力による空間の湾曲の例としてよく使われるのが下敷の上に重いボールを置くことによって下敷がへこむことである。これは2次元面の歪みを3次元空間に埋め込んで表現したことになる。一般相対論では4次元時空の歪みであるから必ずしもこの比喩的な図にとらわれてはいけないが1+1次元時空(或は時間を固定したときの2次元空間)の図と解釈すれば間違った図ではない同じ質量を持つものでも密度が大きければへこみは大きい。例えば宇宙物理の項で説明するが余り質量の大きくない星が一生を終えたときに残る白色矮星は太陽質量程であるが大きさは地球程度である。従ってその比重は \(10^6\) 程度である。つまり \(1 \mbox{cm}^3\) で1トンにもなる。更に質量が大きいと超新星爆発等を起こして中性子星んいなるが,太陽質量が直径20km程度の球に圧縮され、その比重は \(10^{15}\) にもなる。つまり \(1 \mbox{cm}^3\) が10億トンである。中性子でも支え切れない場合にはブラックホールになる。太陽質量であればシュバルツシュルト半径は3km程になる。それをブラックホールの半径と呼ぶことは適切でないかもしれないが、この半径の内側からは光すら逃げ出すことができないのである。

 

一般相対論は数学的に首尾一貫した完結した理論であるから完成までのアインシュタイン自身の試行錯誤を除くと特殊相対論のときと同じく、その正しさに対する激しい議論を呼び起こさなかった。この点はあらゆる検証実験に耐えただけでなく、いわば現代文明を支えている量子力学が未だにその基礎づけに多くの研究者が疑問を持ち、盛んに研究をされているのと好対照である。対比して言えば、量子力学はその記述力にも関わらず美しさに欠け、一般相対論は現象の記述力はなくても圧倒的に美しいのである。従ってアインシュタインのような審美家にとっては一般相対論が正しいというのは疑う余地のない事であった。勿論、各種の亜流理論はあって、とりわけ著名な数学者であり哲学者であったホワイトヘッドの重力理論はアインシュタインの脇腹に刺さったとげと表現された。またあるパラメータが特定の値になるときに一般相対論と一致するという形でより一般化されたブランス・ディッケの理論はその性格上一般相対論が通過する検証テストを常に通過し、一般相対論の唯一性に対する深刻な反論となっていた。しかしながら一般相対論が比較的簡単な形を取りながら様々な検証テストに耐え、最近ではブラックホールを含めて多くの宇宙物理的知見を予言するに至って、一般相対論を否定することはますます難しくなりつつある。

 

最後に一般相対論の検証テストについて簡単に触れよう。古典的なものでは水星の近日点の移動というものがある。水星の軌道が楕円軌道からずれ、近日点が一世紀に43″ずれることは早くから知られていたが、それは他の惑星の引力の影響によるものとして説明されてきた。しかしながらその計算は微妙な所であわなかったが一般相対論はそのことを見事に説明した。もっと有名なテストは太陽による光の湾曲である。エディントンの組織した2つの観測隊が1919年の皆既日食の際にアインシュタインの予言を確認し、発表したところ、新聞各紙が「科学の革命、ニュートンの理論くつがえされる」と報道し、相対論の名は一般大衆に広まったのである。その他、検証テストとしては潮汐、時間遅れ等があるが、最近では重力レンズ等が画期的である。ブラックホールは降着円盤として間接的なテストにしかならない。また2重中性子星もいい検証テストとなっている。最も直接的な検証は重力波であるが、残念ながら今のところ検証されておらず各国の天文台が重力波の検出にしのぎを削っている。

 

  1. ポアンカレ(1854-1912)は当時の最高の数学者の一人であり、「科学と方法」、「科学と仮説」等の啓蒙書でも知られる。特に彼の力学系の解析は先駆的であり後年のカオスの流行でも実質的に彼の研究の枠の中から出ていない。また統計力学の基礎と絡んで回帰定理も重要な役割を果たした。当時、天文学、物理学に絶大な影響力を持っていた。相対論に関するポアンカレの論文はアインシュタインの当該論文(6月30日)の前後に2本投稿(6月5日と7月)されている。ポアンカレは7月の論文でローレンツ変換(ポアンカレの命名)に対して電磁場の方程式が不変であることを示しておりエーテルの検出の不可能性をローレンツ収縮によるものとしている。ではポアンカレのたどりついたものがアインシュタインの相対論と等価であるかと言えばそこには決定的な違いがあった。実際、1909年のゲッチンゲンにおける彼の講演ではポアンカレ相対論では3つの仮説、すなわち、1。物体の速度は光速を越えない、2。物理法則は全ての慣性系で同一、3。並進運動する物体は収縮する、が必要であると語っている。当然の事ながら3番目の「仮説」は残り2つの仮説から導く事のできることであり、ポアンカレは相対論の根本的な特徴を理解していなかった事になる。
    ローレンツがすぐにアインシュタインの理論の質的な違いと自分の誤りをはっきりさせるのに躊躇しなかったが、ポアンカレは死ぬまでアインシュタインの理論を完全に理解しようとしなかったようである。1911年のソルヴェイ会議で初めて2人は会ったが、その印象をアインシュタインは友人に「ポアンカレは(相対論に反対して)ただ一般に反感をもっているだけで、彼の明敏さにもかかわらず、殆んど理解を示さなかった」と語っている。またETH(チューリッヒ工科大学)がアインシュタインへ教授職を提供しようとしたときにポアンカレに意見を求めたが、その意見は一般的な賛辞の後で「私は、実験的検証が可能になったときに、彼の予測の全てがそれに耐えられるだろうと言いません。反対に(中略)糧のたどっている道の殆んどは行き止まりに通じているだろうと予期するべきです。しかし彼の指示した方向の一つは本当のものであろうと期待されます。そしてそれで十分です。」というものであった。実際にはポアンカレの’予期’に反して特殊相対論は全ての実験的検証をくぐり抜け古典物理の一分野となっている。

 

 

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