物理学の現状と問題点

早川尚男(京都大学大学院人間・環境学研究科)

雑誌Timeが過去100年で最も偉大な人物としてアインシュタインを挙げ、その顔を表紙に載せた事は記憶に新しい。このことに象徴されるように20世紀は物理学の世紀であったと云って過言ではない。量子論と相対論は単に科学観を一新するだけに留まらず、人間のありかたにも影響を与え、社会的波及効果もまことに大きいものがあった。量子論が核というパンドラの箱を開け、また今もビッグバンという宇宙論で用いられる言葉が日常言語として定着するようになった。
しかしながら、或はそれ故というべきか、物理学はかつての輝きを失いつつある様に感じる人も多いだろう。それは過度の成功によって完成されたと思われる学問分野の宿命なのだろか。また文系の諸君は物理学と無関係に暮らす事は可能なのだろうか。本講義では文系の諸君のために現在の物理学の現状を紹介し、現代社会における物理の役割を紹介し、物理学の発展の歴史、及び日常の物理を紹介することを目的とする。

そもそも物理学の進歩が終りに近いという事は正しい事なのであろうか。一般的な反論をする前にちょうど100年前の事を思い出したい。1900年4月27日、ケルビン卿は王立研究所で「熱と光の動力学理論をおおう19世紀の暗雲」という講演を行った。彼はその難問を以下の様に表現した。

熱と光を運動の一形態として説明しようとする動力学理論の美しさと明晰さの上に、いま、19世紀の2つの暗雲がおおいかぶさろうとしている。そのひとつは、フレネルとトマス・ヤング博士によって論じられた光の波動論に関する問題である。すなわち、地球が光エーテルのような弾性固体の中をいかにして運動するのかという疑問である。もう一つは、エネルギーの分野に関するマクスウェル・ボルツマン理論である。(Philosophical Magazine, 1900, July: 翻訳は小山慶太「異貌の科学者」(丸善1991) による)

ちょうど100年前の物理学の状況についてはいずれ詳しく説明する機会があるであろうが、ここで最低限の説明を試みる。ケルビン卿が触れた最初の暗雲は光の本質は何かという事に絡んだ問題であった。ニュートンは光は粒子であるとしていた。しかし、1803年に表記のヤングが光の干渉実験を行った。また1818と21年でのフレネルが光が障害物の後ろへ回り込むという回折の理論の提出と実験の成功に至って、光は波であることが揺るぎ無い状況になっていた。しかし光を波としたとき、媒質が必要となる。これは音は真空中で伝わらないのと同じ理屈であって、一般に媒質なしには波は伝わらない。そのためにエーテルという仮想的な媒質が考え出された。(化学物質のエーテルとは関係ない)。その一方で光は横波で、圧縮波である縦波は存在しない事も分かっていた。弾性固体という表現でその圧縮できない固さを表現している。宇宙空間にそのような固い物質が充満しているというのもおかしな話であるが、当時はその存在を疑う者はいなかった。しかし多くの研究者の努力にも関わらずそのエーテルの存在を示す証拠は見つからず、それどころか否定的な結果が出始めて来た。特に1887年のマイケルソンとモーリーの実験は有名である。彼らは地球が絶対静止空間に充満しているエーテル内を運動するとすればその中を伝播する光が進む方向によって速度が違う筈であると考えて高い精度の実験を行ったが、そのような光の速度の違いは発見されなかった。この矛盾を解決するのは云うまでもなくアインシュタインの相対論である。
一方、ケルビン卿の後者の暗雲は気体分子運動論に基づくエネルギー等分配則の問題である。例えば鉄を熱すると、最初は赤く、温度が上がるにつれて、白色、青と変化していく。高温になるほど青く光を放つ訳であるが、それをもっと定量的に電磁波のエネルギーが電磁波の波長(あるいは周波数)のどのような関数になるかという事が当時大問題であった。特にマクスウェルやボルツマンの古典的な理論ではどうしても説明がつかなかったのである。ケルビン卿の講演から8ヶ月程後にプランクが量子仮説を導入し、量子力学の道を開いたのは皮肉な事に1900年のクリスマス前(12月14日に投稿)のことであった。まさに20世紀に向けての人類へのクリスマスプレゼントであったのである。

 

このように1900年のケルビン卿の予言の裏にあった連続体的自然観に基づく物理学の完成への期待は完全に外れたが、同時に的確な問題点を認識していた慧眼には感嘆の他はない。

 

1900年のケルビン卿と同じ様に物理学に終りがあるであろうことを明言したケースがその後に少なくとも2回はあった。1925年にハイゼンベルグがプランク以来の古典的な量子論をいわば第一原理的に説明する量子力学を提唱して後、爆発的に物理学は発展していった。その興奮の嵐の中で1920年代後半に量子力学の建設に主要な役割を果たしたマックス・ボルン(量子力学の定式化で1954年ノーベル物理学賞受賞)は「6ヶ月以内に物理学は終ってしまうだろう」と熱っぽく語った。しかしほどなくポール・ディラックが特殊相対論と量子力学を結合させたディラック方程式を提出し(1928)、陽電子等の予言と発見等から物理学は更に極微の世界へと発展していった。

 

1980年に車椅子の天才ホーキングはケンブリッジ大学のルーカス数学教授職の就任の際に Is the end in sight for theoretical physics? (理論物理学に終りは見えて来たか)という刺激的な講演をしている。彼はその講演の冒頭で「理論物理学の目的は遠くない将来、今世紀の終りには達成されているかもしれない、と語っているのである。勿論、森羅万象が物理の対象であるので終局は原理的にあり得ないのであるが、彼が目的としているのは観測可能な物理的相互作用が完全で無矛盾な統一理論によって記述されることであった。この際、問題になる相互作用は重力、電磁気相互作用、弱い相互作用、強い相互作用の事を指す。前2者は問題ないが、後2者はおそらく耳慣れない言葉であるであろう。弱い相互作用と強い相互作用はいずれも素粒子間の相互作用として発見されている。強い相互作用はハドロンと呼ばれる核子(陽子、中性子等)間に働き、湯川秀樹によって初めて導入された。また弱い相互作用は光を除く全ての粒子間で働くが、空間反転や時間反転に対して不変ではなく、そのプロセスの中で保存しない量も多い。ホーキングの講演の背景に素粒子論における標準理論が70年代初頭に完成し、電磁気相互作用と弱い相互作用(電弱相互作用と呼ぶ)は統一していた事、またグラショウ等によって提唱された大統一理論によって強い相互作用も統一できるのではないかと思われていた事、その前年に電弱相互作用の統一でワインバーグとサラムがノーベル賞を取り、同時に大統一理論の提唱者であったグラショウも受賞の栄誉を担った事による。すなわち後は重力だけであるという熱気に満ちていた時代なのである。そしてホーキングの研究はまさに量子重力、すなわち重力を量子化し、他の相互作用と統一しようというものに捧げられていた。そもそも重力と電磁相互作用の統一はアインシュタインが後半生を捧げて報われなかった研究内容である。1979年がアインシュタイン生誕100周年であった事もあり、熱に浮かされた様な状態にあった。

 

1985年前後のスーパーストリング騒動はまさにホーキングの慧眼を窺わせるに足るものであったが、その後の推移はむしろ統一理論の完成には程遠く、大統一理論も大いに問題があるのではないのか、というところまで後退した。その一方で素粒子論が実験ではとても観測できないエネルギー領域を理論だけで議論しようとする問題点も次第に明らかになり、また同時に巨大加速器の建設計画の挫折等から素粒子論が急速に求心力を失っていった。勿論、現在でも宇宙論と融合して、最も基本的でかつ人気のある研究分野であることには変わりはないが物理学の多くの分野の中の(人気のある)一つになってしまった感は否めない。また、少なくとも相互作用の解明とそれに伴う理論物理の終りは見えて来ない。

 

そもそも何故、物理学者は、こう何回にも渡って、終りを議論したがるのであろうか。おそらくはこのことは物理の本質と深く関わっている。物理学は最も理想化された状況を基本として、少数の基本法則から出来るだけ沢山の現象を説明しようとする学問である。例えばニュートンの運動方程式は古典的世界においてはほぼ万能であって、その方程式から極めて多く、原理的には全ての日常的な振舞が説明出来る。勿論、物理学には多くの分野があり、必ずしも各分野間の繋がりは自明ではない(例えばニュートンの式は過去も未来も対称なのに何故時間に方向性があるのか)のでここの議論は簡単化しすぎのきらいはある。20世紀前半にもたらされた2大革命はニュートンのうちたてた古典物理とは異なった理論体系があり、そのある種の近似で古典物理が成り立っている事を明らかにしたのである。相対論には2種類あって、特殊相対論と一般相対論である。後者は先に述べた様に量子力学と融合している。一般相対論は重力の理論である。従って相互作用の統一というのは20世紀の2大革命を統一し、その原理原則から全てを演繹しようという試みに他ならない。例えば統一理論が極めて単純な方程式から成る事が分かれば後は、それをどうやって解くのかという技術的な問題になる。物理学者は少数の簡単な問題を扱った後に問題を化学者や工学者に渡し、より原理・原則を追求していったのが20世紀の物理の大きな特徴をなしていた。
このようなある意味で不遜な態度が取れた背景には不遜さを裏付ける実績と自信があったのである。例えばマンハッタン計画においてアメリカの物理学者が中心になて原爆をつくり出し、やがて物理学者が水爆を発明し、原子核という極微の世界が単なる学問的な意味を超えて冷戦構造を支える恐怖の象徴として君臨した。そしておそらくは冷戦の終りと最近の物理をとりまく物憂げな風潮は無関係ではない。少なくとも核物理学者はパトロンを失ったと云える。

 

こうした政治的背景とは別に物理学が直線的に成長することにいろいろな問題が生じて来たことも事実である。実際、現在の状態は幹だけが伸びている木の様なものである。葉がなければどんなに高い木も枯れてしまう。確かに背が伸びる事は成長期には必要ではあるが、枝葉を広げて大人として成熟することも必要なのである。本講義でおいおい触れて行く様に身の回りの現象を説明することは実は素粒子論とは無関係な事であり、またそれ故の難しさがある。例えば東京タワーから落したお札がどのような振舞をして何処に落ちるのかは現在の科学では予言できない。こうした問題に真面目に答えて行く事が今後物理学として重要になっていく。

 

物理学の凋落傾向を察してか、物理学や或は数学は若い世代に不人気である。他の科目に比べて難しいという事があるのであろう。また反駁の余地無く成立する学問分野に息苦しさを感じるかもしれない。1970年のクーンの「科学革命の構造」の出版以来、物理等の自然科学を相対化しようという科学論の一連の動きは人文系の反撃と見ることも可能である。またそういった考え方が一面の真実を捉えている事を否定できない。しかしそういった事は見逃せない様々な問題をもたらす。
例えば、影響力のある科学史家である村上陽一郎氏は岩波『図書』の連載「科学哲学の窓」で次のようなことを書いている(1999年3月号58-59頁):

 

瞬間速度という概念が、微分という便宜的な算法を使わずには成り立たない、あるいは概念上の困難がある、ということを前回に述べた。日常的な考えに従えば、速さという概念は、あくまで一定の時間が定義されたとき、その時間内に移動する距離との比によって与えられるものだからであり、「瞬間」である限り、そこには一定の値を持つ「時間」が定義できないからである。それを微分を使って切り抜けて、見事に成功をおさめたのが、近代力学であった。しかし、そこに争い難い問題が残ることも確かである。

 

それは結局時間幅をゼロに近付ければ移動距離もゼロに近付くはずなのに、移動距離のほうだけはゼロにならない、という微分の言い抜けである。

 

これに対して正面から取り組んだ故大森荘蔵は、このような幅のない時間点の上に立つ瞬間速度という概念の、概念上の困難を真正なものとし、そこからの脱却を主張しよう、というのだから、ことは穏やかではない。

 

彼は本気でこんな事を書いているのではないと信じる。割算をすれば0.1/0.1も0.00000001/0.00000001も同じ1である。そもそも村上氏は微分が速度に対応していて移動距離に対応していないことを意図的にか剽窃している。(云うまでもなく、移動距離は時間幅に速度をかけたものであり、時間幅をゼロにすればゼロになる)。または幾何学的に接線を引けるかどうかという問題である。勿論、数学の歴史の中ではより真剣に連続関数の定義や、微分可能性は議論され固まってきたことであるが村上氏の議論はあまりにも稚拙で、そのレベルに達していない。この事自体は村上氏の筆が滑べったためとすれば済むことであるが、問題はこの一文に触れた読者が彼の云う事を鵜呑みにして今まで築き上げてきた科学の成果を安易に否定してしまうことである。
安易な否定はまた安易な肯定とも繋がる。諸君はそういった安直な態度を取らない様にするためにも現代の物理学の考え方を理解する必要があるのである。

 

  1. S. Hawking, Is the end in sight for theoretical physics : An Inaugural Lecture (Cambridge Univ. Press 1980) :こらはわずか26ページの小冊子である。大学の入学前に読む機会があった思い出深い本である。勿論、この本は大いに物議をかもした。
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