第8回
出席メール
抜粋
1-6 今日の第八回目の授業に出席しました。
今日は5限が休講なので先生の講義が終わってすぐメディセンに来ました。返事が
来るとうれしいもので次も早く送るぞ、とがんばる気になります。でも、人間健康が
第一です。なので、がんばる先生は大好きですが、無理しないで下さいね。
今日配布された出席メールで「海外生活を勧める…」という文がありましたよね?
私はまだ先の話ですが、来年カナダに留学することになりました。あらためて考えて
みると、カナダについて実はあまりよく知らない事に気づきます(アメリカの隣だから
ついアメリカはかり見てしまうのかもしれませんが…)。なので海外生活で新しい地平
を開くとともに、これを機会にカナダについてもう少し勉強してみようと思いますし
(といいつつ今は大学の発表やレポートに追われてなかなか進められていませんが)、
現地に行ったら実状をよく見てきたいと思います。
日本人に自分がないというお話も書かれていましたね。私もそれは同感です。今思
ったのですが、特に女の子のグループはまさにムラそのものですね。私はそれが苦手
でいわゆる「ハミる」状態に自分から進んでしまったりしてましたが…。必ずしもム
ラは悪いわけではないだろうけれど、その構造は時代の流れには反するもので、その
せいで今様々な問題が起こるのだなぁとあらためて感じます。小さいころから親や学
校で言われるものは、「和」を尊重するものでムラ的なのに、成長するにつれて社会
からオンリーワンであることを求められて、そのズレに苦しめらめる、過渡期ゆえの
苦しみなのかもしれません。なんだか話が環境や農業とはとはまったく関係のないほ
うへいってしまいました。すみません。
講義の感想へいきます。今日の講義中に、企業が入ると安全性が危うくなる、とい
う意見があったことについてですが、私も企業が入ることでそうなるというのは、ち
ょっと違うと思います。今は消費者が安さだけでなく安全なものを求める時代です。
企業は売るためにそんなニーズに対応してくるものだから、むしろより安全な食品が
増えるかもしれません。確かに最近食品企業に対する不信感は大きいし、必ずしもい
いともいえませんが。それに企業というライバルが入ることで、これまでの体制もそ
れに触発されて変わるかもしれませんし。まぁ、これまで甘い汁を吸っていた人は農
民を見捨てて逃げてしまい、結局ダメージを受けるのは伝統的小規模生産者だけ…と
いうこともありえるかもしれませんが。結局すべての人にとって良い方法なんてない
のでしょう。ではその中で何がベストなのか、全体を見ることも大切ですが、個人の
ことを忘れさらずに考えていく…難しいですね。でも、完璧は無理でも努力すること
は無駄ではないと思います。全体のことを考えなければ動けなくなってしまうかもし
れないけれど、その中で一人一人の人が確かに生きて生活していることを忘れないよ
うにしないとなぁと思いました。
今日のお話で一番印象に残ったことは最後の先生がどうやって今の考えに至ったか
のお話でした。実は今日の出席メールでそのことについ質問しようと思っていたの
で、私は先生がお話をされたときは、偶然にびっくりしてしまいました。キャベツ農
家の方のお話は大変興味深かったです。しかも明石の方。私は実家は明石の本当にす
ぐ近くなのです。しかも最近明石で、農家ではなく漁業関係の方になのですが、イン
タビューしたりしてフィールドワークを行っていたので、明石が出てきてまたまたび
っくりしました。今も明石でキャベツ農家は続いているのでしょうか。今度フィール
ドワークにいったら農家にも行ってみたいと思いました。それに漁業を思い出したと
ころで、水産業も官僚と結びついているのだろうか、と疑問が出てきました。そっち
の方も今度調べてみようと思います。
講義直後にメールを書くと、まとまらないながらもいろんなことが浮かんできて、
すっかり長くなってしまいました。先生のお疲れを増やしてしまったかもしれませ
ん。そういえば、機械は私も苦手です。パソコンの画面を長時間見ていると頭が痛く
なってきます。でも情報化社会についていくべくがんばらなければ、と思ってます。
それにしても世の中最近速いです。のんびり屋な私は時々疲れてしまいます。
というわけで、本当に長々と書いてしまいましたが終わります。次回もよろしくお
願いします。
カナダへの留学、素晴らしいですね。頑張って異文化を吸収してきて下さい。というより、異文化の中で日本を考え直すことの方が重要かもしれません。われわれはいくら頑張っても日本人なのですから。
ところでカナダのことを勉強するということが書かれていましたが、最低限のことは勉強しなければならないかもしれませんが、日本にいる間、より重要なことは日本のことを勉強することです。私が、短い留学期間、いつも恥ずかしく思ったことは、自分は余りにも日本のことを知らなさすぎるということでした。
ドイツの若者には、名所旧跡のガイドをしたりして積極的に自らの文化を学ぼうとしている人がたくさんいました。そして故郷の文化に誇りを持っていました。日本の若者にもそのような人がたくさん出てくることを期待しています。
食の安全性の問題は、企業だからどうで、農家だからどうだという問題ではないと思います。ただ、生産者と消費者の距離がどんどん遠くなる今の経済体制・社会体制でよいかどうかは、絶えず考えていかなければならない問題だと思います。そして、今の社会が資本主義体制、企業経済体制である以上、企業に対する不信感が出てくるのもやむを得ないところがあるような気がします。ただそれでは人々は企業経済社会を捨てることができるか、となると難しいことも事実です。とするなら、企業社会をどのように変えていくかが重要になるはずです。その際、企業の農業進出についても、幅広い議論が必要だと思います。
明石のキャベツ農家の話、もう30年以上前のことで、その後の明石地域の変貌ぶりからしてこの地域の農業も大きく変わっていると思います。その後、残念ながらこの地域周辺の調査をしたことがありませんでしたので、今どのようになっているかは知りません。
水産の分野においても、官業の癒着構造は見られます。というより、日本の資本主義は、基本的に官業の癒着構造が見られる歪んだものといえると思います。
インターネット、私がドイツ留学したときには、まだ普及していませんでした。メールやウェブ、その他コンピュータ全般、海外生活において欠かせないものです。頑張ってこの点でも技術習得に励んで下さい。
1-7 12月3日 講義出席しました。
さて前回無かった写真も復活し、やっといつもの環境形成基礎論に戻ったかなぁ、という感じです笑。
今回は前回うやむやのまま持ち越しとなっていた「農協」とは何ぞや?
またそれに絡む諸々の事情、組織、制度etc.の解説をメインにされていましたが、
特に興味を持った事は序盤でお話になった「合併」の話です。
何故かと申しますと、僕は現在滋賀県の実家から大学へ通っているのですが、
最近僕の住む町が隣町との合併問題で揺れてるんです。
どうやら僕の住む町は懐が他の町に比べやや暖かいらしく、隣接する町から合併しよう!!
という声が多々上がっています。そこでどこと合併するかが密かに町内を賑わわせている訳です。
最近何かと「合併」という言葉を耳にします。しかし、僕は合併のメリットが何かわかりません。
アホですいません・・・。
例えば町同士が合併する事で一体何のメリットが生まれるのでしょうか?
公務員の数はやや減るでしょう。でも財政的にはどのように変化するのですか?
合併する町の、財政的に豊かなほうがそうでない方に援助でもするのでしょうか?
いや、町が市に変わればその地域に割り当てられる予算が増えるのかもしれない・・・。
などと足りない頭で考えているのですが、いまいち良くわかりません。
「自分で調べろ!」などとおっしゃらず、簡単に教えていただければ幸いです。
よろしくお願いします!
予断ですが、先生がIT化と叫ばれていた時期にいち早くHPを立ち上げてインターネットに目を向けていた事には頭が下がります。
「やるな」っと思いましたよ笑
では次の講義も楽しみにしています!
前にも話したように、Webのナビゲーターを使って講義をしようというアイデアを思いついたのは、初回の講義の1週間ほど前のことでした。「やま地」酪農、淡路酪農の物質循環、トウモロコシの輸入現場の3種類の写真を見せたい(これだけならパワーポイントで可能)ということと、教科書が作れなかった代わりに講義ノートをWebで掲載したい、ということから思いつきました。その副産物として、取材が入りましたが、来年度の講義までには写真を撮り貯めておきたいと思っています。
さて、町村合併は、明治22年、昭和29年につづき3度目の推進が中央主導で行われています。これまでの3度すべてが、地方行政合理化の名の下に、支配・管理体制の強化が目指されてきたのではないでしょうか。歴史的に見て、明治22年、昭和29年が重大の時代の転換期であったことは間違いありません。その意味では現在も大きな時代の転換期だと言えるでしょう。しかも、中央も地方も財政難です。合併により地方の財政難が緩和され、国も地方交付金を全体的に減らし、しかも支配・管理体制を強化できるのであれば、合併を強力に推進するのも当然かもしれません。しかし、いつもそれによって泣かされるのは地域の住民です。今回もそうならない保証はありません。
一つ前の出席メールで「ハミる」という言葉を知りました。1990年代、職場でも学会でも「ハミる」状態であった私は、自己表現する場を求めていたと言えます。また当時、文献のデータベースを作りたいと思っていた私は、コンピュータおたくの友人に、私のような機械音痴にもコンピュータでデータベースが作成できる方法を教えてくれと頼んでいました。友人は色々試行錯誤してくれた結果、マックのファイルメーカーを伝授してくれ、私はそのソフトの習得のため、苦手なコンピュータに向かい合っていました。その努力の副産物がHPづくりだったのです。当時は、HPを作成している人は非常にマニアックなコンピュータ好きの人ばかりで、私のHPがどんどん増殖していくのを知り、周りの人たちは「何で柏が…!」と驚き、また先を越されたことに悔しがったものでした。それもこれも、私が「ハミって」いた結果だといえます。また、私が「ハミって」いなければ、このような授業形態もなかったと思います。
1-9 お身体の調子が好ましくないご様子。忙しいというのは、大変なことですね。
私は自分の身体が不調になるほどの忙しさというのは経験した試しがないので
実感はできませんが、言葉のうえだけですが、お察しします。
さて、今日の講義を聴いてですが、まずは、私の知っている農協のことから
始めましょう。私の田舎にも当然農協があって、私も実際に日常茶飯事的にこ
の言葉を耳にしていました。とくに記憶に濃いのは、貯金のことと保険のこと
です。私の通っていた町立の小学校では、毎月一度、児童が貯金通帳に現金を
挟んで学校に持っていく日というのがありました。その日は、朝から学校に郵
便局の人と農協の人が出て来て、要するに貯金の手続きをしてくれるのです。
私は、毎月この日には、郵便局のものと農協のものと、二冊の貯金通帳にそれ
ぞれ1000円紙幣を幾らか挟んで学校へ持っていったのを覚えています。それか
ら、保険については、私の父母がおそらく農協の共済を利用しているはずです。
ただし、近頃では家計も苦しく、従来の貯蓄型重視の保険料は毎月の家計を圧
迫するので、掛け捨て型の農協とは別の保険に変えようか、などという会話も
あるそうです。それと、もうひとつ、これは農協の合併についての話ですが、
私の田舎でも合併と人員削減が進んでいるらしく、最近は最寄りの農協に人が
いなくなって、農協に用がある時は今までより遠くの農協にまで足を運ぶ必要
が出て来たようです。しかし、この足を持たない高齢者の一人暮らしなどもあ
るわけで、そんなときには、電話をすれば農協のほうから人が家へやってくる
というようなこともやっているそうで、農協の建物の中からはますます人が減
るという具合だそうです。我が家では、従来利用していた農協が機能しなくな
ったために(要するにそれまでの我が家の農協利用の事情を知らない人がいろ
いろの雑事を処理するので)、ごたごたした出費を通帳から自動で引き落とし
てもらうようなときに、何冊かある通帳のうち誤ったものからこれこれの料金
が引き落とされているとか云々、合併当初から文句を言っていました。我が家
では農協を通して売るようなものは作っていないので、そちらの関係では農協
とのつながりはないのですが、とにかく、合併によって幾らか不便が生じてい
るのは確かなようです。
ところで、今日の講義で特に強烈だったのは、現在の農協組織の起源が戦時
下の日本にあって、その体制が実質的には長らく維持されてきたということで
した。歴史的な話も含めて聴いてみると、同じ協同組合でも、生協と農協とで
どうしてこうもイメージが違うのかということの理由が実に明確になった気が
します(といっても、生協については私自身には一般の利用者としての知識し
かないのですが)。
しかし、農協のことは、これくらいにしておこうと思います。次回の話を聴
いてからまたいろいろ考えることがあるだろうという気がしています。今日は
まだ考えがまとまりません。というわけで、最後に例の「夜行の話」を聴いて
の感想だけ述べて終わりにします。30年という時間は私の未だ経験せざるもの
なのですが、人生のなかに、なにか決定的なことというか因縁的なことという
のがあるのだなあ、と感じました。といっても、勿論私は下手に超自然的な運
命論を振りかざそうというつもりでは毛頭なく、私も30年経ってから、ふとし
たときに、今現在の何気ない体験を意味深に思い出す日が来るかもしれないと
いう、そういう想像が頭を過ぎっただけの話です。しかし、今のところ、私が
そのような偶然の体験をしたという自覚はないので、仮にこの先、私の現在の
体験をなにか意味深な過去として自覚する日が来たとしたら、本当に予想もし
ないことが起こったということになるのでしょう。そうすれば、人生というの
はキャベツよりギャンブルだと思います。要するに、わけが分からないという
意味で。しかし、この台詞は少々気恥ずかしい気がします。キザでしょうか。
いずれにせよ、確かなことは、未来は現在の向こうにしかないということだと
思います。
最後はまた適当なことを書いてしまいました。それではまた、次回まで。
地元の農協の話、都会出身の方には参考になると思います。人は、自分が、日常、無意識のうちに経験して知っていることを、誰でも知っているものだと勘違いしがちなものです。あなたの経験と知識を、同じ教室に集うとか磯建ちの方々にお裾分けすることは素晴らしいことだと思います。
ところで、農村で生まれ育った人とって農協は身近なもので、改めて何かと考えられたこともないと思います。しかし、それがどのような歴史を経て現在の形になっているか、その存在意義は何か、などはご存じないと思います。
都会で生まれ育った私にとって、農協は名前だけの知っている存在でした。農学の道を進むようになり、農村調査などで農協を訪れても、当初はその意義を、農民を支えているものぐらいにしか思っていませんでした。ただ、農協と一口で言っても、農協ごとに非常に異なる印象を受けました。地域の農業と農協の活発度合いが比例しており、その因果関係に興味を持ったこともありました。
私が農協を深く知るようになったのは、農業政策という講義を持つようになった約15年前からです。それまでの調査の経験の上に、日本の農業構造に関するに勉強をしたことが、農協の持つ問題点を浮き彫りにしました。その点は、次回の講義を聴いていただければ、より理解していただけると思います。
さて、私が4回生の時に出会ったキャベツ農家のおじさんの話、確かに何か運命的なものがあります。しかし私がその時までに出会った人間は彼だけではありません。短い人生でも、意図した、また意図せざる出会いは無数といえるでしょう。しかしある人との出会いは、30年の研究の骨格ともなるし、他の人との出会いは次の瞬間には忘却の淵に沈んでいくものなのです。私は都会出身であるにもかかわらず農学部に入学したため、1回生の夏休み、同級生となった友人一人を誘い(京野菜の写真を見せたときの錦市場の八百屋の社長)、広島の自営者養成の農業教育機関で1ヶ月近い研修を受けました。私が何かわからないまま「求めていた」ものが、明石の農家のおじさんとの出会いを運命的なものにしたのではないでしょうか。もし彼と出会わなくても、別な出会いが彼との出会いの代わりをしていたと思います。
ここで私が言いたいことは、人生は運命的なもののようでいて、実は主体的なものだということです。まだ得体の知れないものであっても、自分の内面にある求める心に素直になり、求めつづける心を失わなければ、必ず運命的な出会いに遭遇するものです。マックス・ウェーバーは、学問を志すものの心得を説く中で、たゆまぬ努力の過程での、偶然の「出会い」(「発見」)を僥倖と呼んでいます。
私が「個」の確立というとき、このような心のあり方をも含んでいます。
1-43 今日は農協のことについての講義でしたが、その中でも、キャベツ農家の方の話で、「農業でやってはいけないこと」が気になりました。
その「やってはいけないこと」の内容はたしか、
(1)農林省(現農水省)の言うことを聞くこと
(2)農協の言うことを聞くこと
(3)学者の言うことを聞くこと
だったと思います。ということは、少なくともその方にとっては、農協などは「悪」または「誤ったもの」なんだろうと思いました。僕の実家の近くにも農協があり、農協にはもっとよいイメージを抱いていただけに、講義での農協批判や農家の人のこの言葉が印象に残ったのだと思います。正直なところ、小さい頃から近くにあったのに、農協のしくみなどをよく知らないので、この機会に調べてもうすこし詳しくなろうと思いました。
明石のキャベツ農家のおじさんの話、思いの外、うけましたね…。多くの方がこの話にふれておられます。しかし、私にとって、死ぬまで忘れることのできない、非常に大きな出会いだったことも間違いありません。講義の際にお話ししたように、私は進学が就職かで迷っていましたが、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』との出会いで、大学院進学を決意、試験勉強を開始しました。しかし完全に吹っ切れていたわけではなく、旅行は受験勉強の中休みというだけではなく、自分の気持ちを再確認する意味もありました。私にとっては、そのためには信州でなければならなかったのですが、その理由は余りにもプライベートなことなので、これ以上書きません。ただ、他の方への返信メールにも書きましたが、求めて努めていれば、自ずと道は開ける、ということだと思います。結局は、人生、己の姿勢如何だと、私は考えています。
農協という存在が「悪」なのではありません。しかしその出発点や、できあがった構造の中で、農協は相当に歪んだものになってしまいました。それは日本の社会自体にも当てはまることかもしれません。農協は大きく変わらなければなりませんが、そのためには構造そのものが変化しなければなりません。しかし農業構造の変化は並大抵ではない、というのが現状だと思います。
1-45 今回の講義では、農協について制度上はヒエラルキー型組織の末端をなすもので、実際は「むら」と深くかかわっていることを知りました。また、農協成立の要件は法定されていても、実際上は行政指導が入るというところでは中央の力が及ぼされやすい構造関係を感じました。
私は、農協のことについてはかなり疎く、先生の説明を聞いても種類や組織構造などよく理解できないところもありました。けれども、率直な印象として農協が非常に大きな組織体である(「農業」だけに限らず何でも手がけている等)ということが実感できました。戦後GHQによって指導された農協の民主化、新農協法の原則があまり根付いていないのは残念です。農協の民主化は、官僚主導型農業構造を変えていく前提だと思うので今後の講義の中で先生の話を聞きつつ自分なりに考えてみたいと思っています。
今回は、非常に私的なことを書く返信メールになりますが、そんなこともあってもよいかと思い書きます。まず、先週のメール、到着50番内に入っていなかったため、返信できず残念でした。休講日を26日から19日に変える決心をしたのは、あなたのメールが決め手となりました。他にもNFの準備で忙しく、講義に出席できるかどうかわからない、という趣旨のメールが何本もあったからですが、しっかりとした出席メールを読めなくなることを考えると、休講の方がよいと思い決意しました。
いつも法学的な視点からのしっかりしたメール、楽しみに読ませてもらっています。私の次男も京大法学部の2回生ですが、現在、テニスに熱中、世界を目指すと称して、法学の勉強は二の次で、私が彼から法学的なものを学ぶのはまだまだ先のようです。
さて農協ですが、想像を絶するような巨大組織です。立花隆が取り上げたのも無理はありません。職員は、現在は相当にリストラされていると思いますが(その分パートが増えているでしょうから大して内実は変わっていないかもしれません)、コメの市場開放が問題になった1990年代前半には、38万人といわれていました。もちろんこれは末端の単協から全国連までを含めた職員数ですが、農協組織は全国から地域までしっかりと組織化されていますので、一つの巨大な独占組織と考えてよいと思います。地方自治体の職員数が14万人だそうですから、農協組織がいかに巨大のものか、理解していただけると思います。こうしてできあがった組織を変えていくのは非常に難しいことかもしれませんが、それをしなければ、日本農業の活性化はないと思います。
ところで、次回は食管制度を中心に話をするつもりです。食管法といっても、もちろん法学的な話ではありません。あなたからのコメントを楽しみにしています。
1-48 環境形成基礎論第8回出席メールを送ります.
先週は返信有難う御座いました.日本社会の弊害は,倫理的問題としても捉えられるのではないかと前のメールで書いたところ,倫理的問題の要因として「むら」構造が挙げられるのだ,との返信を頂きました.確かに,倫理的問題,教育的問題というのが上部構造で,「むら」構造のほうが下部構造という感がありますね(「むら」構造という場合,特別に経済的な構造を指すわけではないので,両方とも上部構造と言った方が正しいのかもしれません.).
さて,この間の授業では新しく干拓してできた集落の写真が出てきました.自分の実家も湾を江戸時代に干拓したところにあるので共感がもてました(写真を添付しました).ただ,授業での集落は住居が集まって建てられていたのに対して,実家の付近では割と散居に近いと思いました.その分「むら」的な要素も薄い感じがします.
また,授業を受けてみて,思った以上に農協が巨大で政治的な組織であることに驚きました.農協に関しては部外者なので,詳しいことはよくわかりませんが,あまりに信用機関としての部門が肥大化している,という印象を受けました.農民の相互扶助のための機関という基本理念を失っている感じがしまし> た.
メールそして写真、ありがとうございました。出席メールに写真が添付されてきたのは初めてで、非常に新鮮な気がしました。
上部構造、下部構造という使い方、下部構造は上部構造を規定するという、マルクス的な使い方がありますので、私の使い方は誤解を与えるかもしれません。私が意味しているのは、あくまでも封建制の社会における支配者の機構を上部構造、被支配者である農民のあり方は下部構造と呼んでいるだけです。マルクス的な意味では、私が「むら」構造とか「むら」の論理とか呼ぶものは、あなたのいわれるように上部構造の問題だといえるでしょう。
ところで写真のあなたの実家、どこなのでしょうか。江戸時代に新田開発してできたところなどは、「むら」的な要素が弱いのかもしれません。もしよければ、場所をお教え下さい。
農協が巨大な組織である点については、他の方の返信メールにも書きましたので参考にして下さい。確かに今の農協は、農民の相互扶助の組織などではないですね。農協という組織そのものが大きな曲がり角の立っていると思います。
2-26 農協、農協と言われても、実は今までピンと来ていませんでした。実家のある田舎には当然ながら農協がありましたが、あまり深く考えたことはなく、その仕組みについてもよく知りませんでした。
しかし、今回の講義を聞いて、なぜ先生が「むら」社会と農協の関連(というか、両者の相互補完的性格)を強調されるのかがよくわかりました。じっくり見ていくと、日本の農協は、それまでに培われてきた日本人の意識を実にうまく制度化していますし、行政機構も非常に効率的にそれを末端に組み込んできたと言う感じがします。大戦直後の混乱期とはいえ、本末転倒な農協運営がなし崩し的に許され、今もずるずると続いてしまっている事実の裏には、やはり、「むら」社会の考え方がある。奇妙で恐ろしい悪循環です。
先生が指摘なさったように、戦時体制下での法律がつい最近まで生きていたと言うのは本当に怖いことだと思います。その事実がもたらすであろう状況の怖さはもちろんですが、そのようなことに気づかず、あるいは気づいていても変えられずにきたということには、日本人の政治的ナイーブさが表れているような気がします。それが最も怖いです。しかも、最近では、「権力」がそれを利用することを覚えたのですから。政官業の癒着。それを知らせずにいるメディアも一緒になって癒着。国民は沈黙、無関心、あるいは無能と言っても良いでしょう。自ら知る努力と考える努力を怠ってきたのですから。そして、その間に着々と進められるさまざまな改悪。この国はどうなってしまうのでしょうか。
ふと思い出したのですが、以前、アメリカ人女性と話していたとき、何かの話題で私は、「日本って古い体制をなかなか変えられないのよ、たとえ意味がなくなっても、自分の代では変えられないと思ってるからね」と言いました。そのとき私の頭にあったのは、故郷の町でした。ところが彼女は、「でも、日本の流行はめまぐるしく変わるでしょ」と言ってきました。確かにそうだ、とその時は矛盾を感じ考え込んでしまいました。でも、今になって考えたら、この二つの感情は同根のような気がしています。
2-34 12月3日の講義に出席しました。
今回は農協の話ということで、楽しみにしていたのですが、
講義の後に農協の正体がわからなくなってきて少々混乱しています。
こんなにたくさんの業務に手を広げているとは思っていませんでした。
今までのイメージでは農協は農家から米を買って
販売業務を農家の代わりに請け負っているだけの組織だと思っていました。
たぶん親から聞いたのだと思いますが、
農家のおじさんたちは職人であって商人じゃないから商売がうまくないので
売れ残って損しないように商売担当の人がいるのだ…
といった感覚がありました。(笑)
もう少し詳しく調べてみようと思ってインターネットで
「農業協同組合」を検索してみるとあまりに項目が多すぎて
びっくりしました。その中で気になる記述がありました。
以下は全中のホームページよりの抜粋です。
農協と株式会社の運営形態の違いについての説明の部分です。
“(株式会社とは)運営方法も大きな違いがあります。株式会社の
株主総会での議決権は持っている株が多いほど強いという仕組
みです。これに対して協同組合は出資の多い少ないに関係なく
一人一票という仕組みになっています。株式会社は持ち株の数
によって決まるのに対して、協同組合は文字通り組合員の総意
によって決まる平等な「人の結合体」です。”
今回の講義を聞いて、ここでの人の結合体という表現に
農協が「ムラ」社会を上からかぶせる形で支配しているような
感覚を持ってしまうのは考えすぎでしょうか…。さらに
“協同組合は協同・相互扶助を原理にしています。資本主義社会
の経済原則は市場での競争で、弱肉強食の論理です。協同組合
は、こうした資本主義社会にあって、人間尊重と社会的公正の
実現という理想を持った運動体です。そのため協同組合の行う
行為は、独占禁止法の適用除外となっています。”
この説明の中の「公正」のための「独占禁止法の適用除外」
という言葉にどうもひっかかってしまいました。
確かに農業指導等の面ではこの制度はそれなりの効果を
もたらすような気がしますが、
競争が排除されたために個々の農家、あるいは他の産業との間で
互いの切磋琢磨されることがなくなることは必然となり、
そのために現在の農協依存体質が出来上がって
そこから抜けられない原因となっているのではないでしょうか。
協同組合という性格上公正さを追求し、弱肉強食とならないように
していくことは大切なことだと思います。
けれども平等さを追い求めるあまり、
責任まで分散させてしまった感が否めません。
何かが起こっても責任の所在がはっきりしない日本人らしさが
にじみ出て、巧妙なごまかしが透けているようなきがします。
助けを国家に求めたために今日の官僚主導型の農協が
できあがってしまったということでしたが、農協の体制は
今何かと批判的に話題にされることの多い特殊法人の体制と
似通った性格を持っているようにおもいました。
農協が生まれ変わるにはまだまだ困難が多いと思います。
もちろん体制を改善、改革されなければならないとは思いますが
何よりも、多くの人を抱え込んでいるこのような組織は
自浄作用を持った組織であって欲しいとおもうばかりです。
また今回もメールが遅くなってしまいました。
次回の講義も楽しみにしています!!
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第9回目目次
第9回目表紙
作成日:2004年12月09日
改訂日:2004年12月09日
制作者:柏 久