第7回
出席メール
抜粋
1-6 「むら」について、IT化などで人間関係や社会の構造などは変わってきているのに、集団で自殺をしようとする人間の心にはまだ「むら」構造が残っているという、最後の話がとても印象に残っています。
私は親戚に農業をしている人がいなくて両親の実家も町中にあるため実際に村に行ったことはない、どちらかといえば現代っ子だと思いますが、個人主義がいいと思いながらもどこかでみんなと一緒がいいと思ってしまう自分に最近気づいているところです。これは無意識のうちにむら意識がはたらいているせいなのでしょうか。もしそうだとすれば、ある意味すごいことだと思います。どんなに外国のものに囲まれて過ごしていて、日本独自のものに触れる機会が減っていてもやはり、日本人は日本人なんだなと思うと少し感動を覚えます。
そういう意味では、私は「むら」構造に否定的にはなれません。日本人の性質であり良い悪いという問題ではない気がするからです。ただそれと官僚と農協の癒着といった問題はまた別問題だと思っています。
結論の方からコメントします。官僚主導型農業構造と「むら」構造とが別問題だという見方、見方として否定はしません。ただ、農協というものが「むら」を基盤としてできていることは否定できない事実です。前回、戦時体制の基盤として「むら」の組織強化が図られた(部落会)ということを話しましたが、農協はこのときの組織化に依存してきた側面が強いのです。この点については、今後の講義の中で理解してもらえると思います。
「みんなと一緒がいい」というのが、どのような状態を指しておられるのかよくわかりませんが、もっとも最近の現象「ヨン様」ブームなどを見ていると、日本人に自分がないということがよくわかります。これもまた一種の「みんなと一緒がいい」状態だと思います。
私も交友というものを非常に重要なものだと考えていますし、みんなと行動をともにすることの大切さを理解しているつもりです。問題は、「個」の確立した人間の交友・集団か、自分を持たない付和雷同的集団か、という問題ではないでしょうか。この点を再考してもらえればよいのですが…。
1-10 11月26日の環境形成基礎論に出席しました。
私は金曜の2限にある人文地理学各論で村落についての講義を受けています。
この講義も先生と同じようになるべく先生と学生が意見を交換できるように
したいとの思いで、毎回授業中、または授業後に質問や感想を書いて提出し
その場や次の時間に答えてもらえるようになっています。
その授業の初回で「農村とは何か!?」ときかれました。
さまざまな答えが飛び交っていたのですが、
例えば…農業で生計を立てている人々が住むところ
あまり高い建物がなく畑や田んぼばかりのところ
軽トラックが走り、子供が半ズボンのところ etc
結局は私たちが判断する基準は見た目、景観なんだなあと感じました。
この講義は中国の四川の農村形態についてをテーマにしています。
四川での農業構造の変化は日本の農村との共通点、問題点を
思い出させるものが多くとても興味深いものです。
また四川の農村では“院子”という数十個くらいの農家が集住し
自分の分担の田畑を耕す散居形態がとられており
これは地主制のもとでも変わらずに続いてきたいるそうです。
中国の政策で農業の集団化が図られたとき
農村では確かに行政村ごとに生産財が共有されたらしいのですが
実際の農業はやはり集落単位で行われていたとのことです。
もしかしたらムラというのは日本ほどでないにしろ
中国やアジアに少なからず存在するものなのかと思いました。
また圃場整備の問題ですが、機械化に適合し、
農地への移動・運搬の負担が軽減し
多くの水利がからまなくなり個別経営が向上することに利点がありますが
やはり日本と同じく水路が共通財産とみなされているため
なかなか整形と交換がすすまないようです。
農業を営むうえでこの“共有”というモノや考え方が“ムラ”の
正体であるような気がしてなりません。
共有財産を管理し、共同(協同)作業で共同体を作り上げていく過程で
部外者を排除し、かつ部内者を監視する必要があったため
このような閉鎖的な集団を形成することに
なったのではと思うようになりました。
しかしこのような長く続いてきた形態も近年崩れてきているようです。
中国では集団化政策で伝統的農村と現代的都市を分離し、
都市を支える農村を作り上げようとしていましたが、
人口の増加により余剰労働力が生まれ
それを解消するために郷鎮企業による農村の産業化が
すすんできているようです。
それがどういう結果をもたらすのかはわかりませんが、
農業もどんどん新しい形態に生まれ変わることが必要だと思います。
国土の狭い先進国では自由貿易により作付け面積が減少し、
機械化によって農業効率が上がったため
必要とされる農業労働力が減少し
農業人口率がどんどん減少しています。
農業人口率の減少それ自体が低下することが大きな問題だとは思いませんが
やはり自国の農業が低迷し、自給率の低下が進むことにつながると思います。
中国の郷鎮企業のように企業の参入を受け入れたり、
農業がやりたいと思った人が自由に農業ができるように
していくべきだと私は思いました。
私の住んでいる自治体(草津市)で農協の不祥事があり
なんだか農協に悪いイメージがつきそうですが、
それでも一旦は公平な目で農協について考えようと思っています。
先生の講義では今までの考え方を変える、というよりも
なんとなく知っていたいろいろなことがどんどんつながってきて、
意味づけされていくのでとても面白いです。
次回も楽しみにしています。
私が知らなかった四川の農村についての話、大変興味深く読ませていただきました。「むら」をめぐって共通するところ、異なるところがよく理解できました。ありがとうございました。また、他の全学共通科目の一端を知ることができました。これも私にとってありがたいことでした。
「むら」と共同ということは非常に密接に関わっています。共同と協同はともに人が力を合わせる状態を示していますが、個人の主体的意思によって、使い分けがされなくてはなりません。共同体から協同体へ、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへという視点が必要だと思います。その際に「個」の確立ということが重要になるのではないでしょうか。
農協については、次回、お話します。もちろん公平な立場から話を聞いて下さい。
1-10 今日の第七回目の授業に出席しました。
今日配布された出席メールのなかで「総合人間学部の意味も大きいと言えます」と
いうところがあって、総合人間学部であり、最近総合人間学部が批判されているペー
ジをネットで見つけて少し落ち込んでいた私にとってはうれしかったです。私は環境
に興味があって、最初は理系で技術的なことを学ぼうと思っていたけれど、環境は技
術だけではだめだ、と思ってその後いろいろ考えたあげく総合人間学部に入ったの
で、やはり総人を評価してもらえるとうれしいし、勇気付けられます。大学に入って
から結構そういう考えの人が多いことを発見しました。やっぱり技術だけでは行き詰
る段階ということでしょうか…。
企業の農業進出についての考えは第三部を聞いてから…とおっしゃっていました
が、とりあえず今たいした知識のない段階での自分の考えを示しておきたいと思いま
す。私は、世界全体が企業を入れていないときならまだしも、もう企業が進出してい
る国があり、そういう国と同じ経済の世界の中にいるのなら、企業進出を許可してい
くしかないのではないかと思います。それで、伝統的な農業が消えてしまうならば、
それは文化人類学にも興味があり、伝統文化好きな私にとって大いに残念でもありま
すが、耕さずに荒廃していく農地があるならば、それを誰かが耕し、日本の農業を盛
りたてていくほうがいいのではないかと思うのです。
今日の授業で一番印象に残ったのは、最後の人生の話でした。私も人生は短いと思
います。そんな中で、しかも自分の力でいったい何ができるんだろう、と思うと何も
できない気になるときもありますが、何かしていきたいです。何もしなくても、私は
それなりに幸せになれるだろうとも思いますが、せっかく何かできるかもしれないと
ころに自分がいるならば、それを最大限生かすべきだと思います。といいつつも、何
をしたらいいか分からず悩むこともしばしばですが…。潜在能力をできる限り引き出
せるよう私もがんばりたいと思います。
次回からの第三部で自分の考えがどう変わっていくか楽しみです。あと、歴史が苦
手なのは私だけではないと知って安心しました。でも歴史を知らないと分からないこ
とって多いですよね。では、今回はこれで終わります。
地球環境問題は、科学が極度に専門・分化した結果の問題だとも言えます。科学の総合化は、言うが易いが行うのが難い典型例です。しかし、実践科学において総合的視点がなければ、科学は人間に幸せをもたらす以上に不幸をもたらす存在となってしまいます。その意味で、総合人間学部や地球環境学堂は、非常に大きな意味を持っていると思います。
農業の企業進出については、今後も議論の的になります。今回も反対意見がきています。残りの4回でさらに議論を深めていきましょう。
私の人生観を披瀝することによって、皆さんが人生について考えて下されば、ありがたく思います。大学時代を有意義に過ごすためにも、今後、自らを磨いていく上でも、学生生活の中で築いていただきたいと思っています。
他の方への返信メールでも書きましたが、社会的現実は歴史的なものです。歴史を抜きにして社会の未来を展望することはできません。今後、歴史に興味を抱いていただきたいと思います。
1-11 まずは、お久しぶりです。一回休みが入っただけなのですが、
なんだが随分長い間この講義から離れていた気がします。とこ
ろで、私はこの四月に大学生になってからまだ風邪をひいてい
ないのですが、先生のご様子を拝見すると風邪の気が続いてい
らっしゃるようですので、ひと言お見舞い申し上げます。
講義のことに移りましょう。今日の講義は、私の中では、これ
までで一番の熱のこもったお話だったと思います。という理由
は、あるいは、聴いている私自身のほうにあったかもしれませ
ん。「むら」の中にあるいろいろな仕組みの話を聴いていると、
そこには、まさに、私の田舎のことが含まれていましたし、な
によりも、私自身が「(兼業だけれど)農家出身の次男坊」で
あり、間違いなく、私のある部分は深くあの田舎の「むら」と
つながっていると実感しました。私は以前から述べてきたよう
にあの田舎の「むら」に対してなにか受け入れがたいものを感
じており、また、ただそれだけの理由で(いえ、それだけの理
由かどうかは、はっきりしませんが)、あの田舎の農業につい
ても好かずに来ました。そんな私がこのような農業に関わる前
向きな講義を聴くということが、どこか、自分でもしっくりこ
ないという気持ちがもとから無かったとは言い切れないと思う
のですが(というのも、私はずっと後ろ向きだったので)、そ
れでも、今日、あのスクリーンの上に映し出された文字のなか
に確かに自分の姿を見て、結果的にですが、今となっては、こ
の講義はこんな私だからこそ、私なりに聴いておくべきものだ
ったのだという気がします。そのようなわけで、今日は少し表
現しがたい良い気分です。どこか、緊張した良い気分です。
さて、しかし、もう少し書いてみたいと思います。今日の講義
ではまた、「個」という言葉が登場したのでした。先生の「個」
(それは、己自身ということですが)についての主張に、私も、
追従ではなくて、感化されるところがありました。そこで、私
としては、いままで述べてきた私の周りの「むら」と私(「個」)
はどんな関係にあったのかを、ここでできる限り素直に振り返
ってみようと思います。
私はあの「むら」の色彩をまだまだ払拭しきれない田舎で、
確かに「むら」の子供として育ってきました。その間に、しらず
しらず、「むら」的人間としての規範が私に染み付いていまし
た。今までは、私は自分の中のそれをただ「日本人的」な優柔
不断とか事なかれ主義だと思っていましたが、こうして考える
と、当然のことですが、この「日本人的」と思っていたものが、
他ならぬ私の住んでいたあの小さな「むら」以外のどこから起
源したものでもないことは疑いのないことのような気がします。
しかし、同時に、私はこの「日本人的」部分を嫌ってもいたの
であり、その嫌悪感こそ私の「個」から発していたのだと思い
ます。私は自分を磨く(というほど立派ではなく、ただ勉強し
て何かを知り、それについて考えてきたというだけのことです
が)ということを放棄してきたつもりはありませんが、それで
も、この磨かれた自分は飽くまで自分のなかに、言いかえれば、
自分自身にだけ示されてきたのであって、私は、私という閉じ
た世界のなかでしか私(「個」)を養えなかったと言ってもよ
い気がします。つまり、私はある面で「むら」に対する反発心
を抱いてきましたが、それを表出することはなく、この反動を
ただ自分の内面に向けただけで、結局のところ、「むら」と自
分を隔離すること以外に努めたのではなくて、結果として、私
は「むら」から隠れようとしてきたのに過ぎません。
上手く纏められませんでしたが、とにかく「むら」というのは
目を背けたくなるほど(おそらく、深いところで今でも私は目
をそむけていると思うのです)巨大で堅固なものなのです。私
は確かに今、あの田舎を捨てようとしているのに違いありませ
ん。というのは、あの田舎で今後暮らすかどうかというような
問題ではなくて、あの田舎の「むら」に生きる人々を見捨てて、
ただあの人々から逃げて、私が独りで安穏としていられる自己
内空間に彷徨っているということです。私の「個」は非常に非
現実的な世界に浮かんでいます。「異次元空間に連れて行かれ
ているような」とは、前回の出席メールへの先生からのご返事
の一部ですが、私は自分の育ってきた土壌に背を向けているこ
とが、少しこのおかしな私の「個」の原因でないかと思ってい
ます。私は自分の「個」が現実と向かい合っている気がしない
のです。この「むら」という土壌は少なくともあの田舎に暮ら
していた間中、私のもっとも身近にあった現実なのであって、
そこから目をそらそうとする私の無意識的な反応が、その他の
周辺の現実へも同時に関心を薄くさせているような気がするの
です。前回のメールやその他にも、少し政治や経済や社会的な
内容を踏まえたものもありますが、それにしたところで、すべ
て私の直に体験する現実から出たものではなくて、すべて教科
書から預かった言葉以上のものでない気がします。だから、私
の「個」は、いわば上半身だけに宿って宙に浮いていて、地に
立つべき足を無くしているようです。私はこの「個」をどうや
って「むら」ないし私の生きる現実に帰着させてよいのか分か
りません。私はこの大学という非常に限られた空間でしか、現
実と結びついていない人間恐怖症的一面を見出す気がします。
もう止めましょう。今日は抽象的過ぎて本当に読むほうがわけ
の分からなくなることを書いてしまったきがします。が、最後
にもうひとつ。自分の課題だけ考えておきましょう。先生の言
われた「幸福」ということですが、私は今でもこの浮ついた「個」
が本を読んだり思考したりするときになにか充実したきになり、
肯定的には「幸福」だという過大評価もできないことはありま
せん。しかし、私がこれ以上の「幸福」を求めるのであれば、
私はこのままの「個」ではなくて、ものを考えると同時に現実
の上に立つことのできる「個」にならなくてはなりません。そ
れはひとえに、私が今ある「個」をどうやってこの人間の犇く
現実に対峙させうるのか、という点にかかっているようです。
「個」の使い方が悪いかもしれません。まだまだ私は「個」
というには未熟な気がします。恐ろしく長くなりました。それ
ではまた次回まで。
また、返信するのが最後になってしまいました。それも、学生さんの要望をかなえるため、無理をして取材にもいったため、まったく時間いっぱいの返信になり、申し訳なく思っています。
あなたは日に日に成長されておられるようですね…。本当に楽しみです。豊かな潜在能力を持ちながら、なかなか能力を引き出せない若者がどれだけいるでしょうか。とりわけ京大生の潜在能力は高いのですから、それを引き出す手伝いをするのが教師のつとめだと思います。京大の先生方は、そのつとめをどれだけ果たしておられるのでしょうか。
さて、あなたのメールを読んでいると、私の父と重なるところがあります。私の父は、祖父の理解もあって、長男で後継ぎであったにもかかわらず、「むら」を捨てて学問の道を志しました。農地改革で、所有地を守ることをせず、自宅まで売り払って(残っているのは墓だけ)退路を断ちました。その結果、学問の道で一家をなし、91歳まで現役でした。今も97歳で、私の手を借りなければ生きられませんが元気です。
あなたはまだ若く、「むら」から抜け出すことしか頭にないかもしれませんが、おそらく歳をとれば、自らの原点にある「むら」に対して異なる気持ちも出てくると思います。私の父を見ていると、「むら」に対する愛と憎しみが綾をなしています。97歳にして、もう一度、故郷の「むら」の地を踏まなければ死ねない、といっています。私は、来年、暖かくなったら、連れて行く約束をしています。
私は、2001年の春に一人で父の故郷の「むら」を訪ね墓参りをしました。何か私のルーツを感じ、非常に感慨深かったことを覚えています。日本人は、やはりそのルーツを大切にして行かなくてはなりません。しかし世界の流れは、立ち止まることを許さないほど急激で、新しい社会システムの構築を急がなくてはなりません。
あなたのさらなる社会への脱皮を期待しています。
1-17 こないだは丁寧な説明をありがとうございました。
僕は今日の授業中一つのことをずっと考えていました。それは「グローバリズムは本当に従うべき時代の流れなのか」ということです。これは最近一部の人の言っていることであり、僕もそれに幾分共感しています。小林よしのりや西部邁がよく論じていることです。僕は小林よしのりの論調は嫌いですが、大きく見ると賛同できることが多いように思います。それはともかく、現在の日本に起こっている様々な倫理や国家観の問題はそこにあるのではないでしょうか。
例えば、小林らは9・11テロの遠因が過剰なグローバリズムにあるとそれなりの論拠と共に断じています。挙げていけば切りがないのです。「むら」意識の問題にしても、先生のこないだの説明以降は過大評価することはなくなりましたが、それでも日本人の特質がグローバリズムに呑み込まれてしまうのは居たたまれない気持ちがあります。
しかし、今の状況でグローバル化をただ否定しても何も意味が無い気がするのも確かです。旧体制の勝利のような時代の逆行に終わり何となくグローバル後が到来するだけのようになるのではないでしょうか。
そこで僕は考えたことは、一度究極までグローバリズムの洗礼を受けてみてはどうかということです。確かに現在の社会状況―刹那主義やマスコミ主義―は決して暮らしよいものではありません。しかし有難みや意味を創出するためには不自然であろうともこのような過程を経ることが必要ではないでしょうか。紆余曲折を噛み締めて勝ち取った本当の日本人らしさにこそ、愛国心も伝統を重んじる心も生まれて当然なのです。乱開発も伝統文化の断絶も起こり得ないはずです。
後日、先生のグローバリズムについての考えを聞けるのが楽しみです。
グローバル化の是非、簡単に答の出る問題ではないといえるでしょう。
グローバル化という時代の流れを導いたのが、IT革命だということは間違いありません。たとえグローバル化をよくないものだと結論づけたとしても、人間はIT革命の成果を否定することができるでしょうか。私が講義の際に、皆さんに携帯電話を捨てることができますか、と聞いたのはそのためです。たとえグローバル化をよしとしないとしても、人はIT革命によって得た利便性を捨て去ることはできないのではないでしょうか。地球環境問題の解決のため、自動車をやめることがよいとわかっていても、自動車を捨てることができないのと同じです。
したがって、グローバル化の流れは否応なく進むと思います。
ただ問題なのは、いまのグローバル化の流れがアメリカ化であるという点です。同じ「個」を尊重する社会でも、アメリカとドイツは同じではありません。日本の為政者は、アメリカとの関係ばかりを大切にしているところがあります。ドイツ社会がすべてよいとは言いませんが、同じ敗戦国でありながら、ドイツは外交においても、毅然とした自らの立場を貫いています。日本もまた同じようにしっかりとした姿勢を確立するべきです。IT革命の生かし方においても独自の形を作り、グローバル化を国民にとってよりよいものにしていかなければならないのではないでしょうか。
1-18 今までの講義の中でも多く取り上げられてきましたが、「むら」社会の抱え
る負の面の中でも大きな問題のひとつは「むら」の閉鎖性、束縛、つまりひと
りむらを抜けて自分の創意工夫によって何か別のことをするということがほと
んど困難なことであるということです。お話にもありましたように「むら」に
はそれぞれに組織があり、それによって運営されているということ、また講な
どによる「むら」のエートスの教育の存在、そして更に「平等・共同」という
ものが「むら」を根本的に支える基盤であるということにより「むら」は個の
別行動や創意工夫を許すことができない(負の面が強調されていく)状況(形
態)であったのです。だからその負の面を改善していく可能性をもった個の動
きを封じてしまうという悪循環にはまっているように思えます。
しかし講義の中にもありましたようにIT革命はこの悪循環を断ち切る可能性
を秘めたもののように考えられます。ITは「むら」という空間に限られること
無く、農業者同士、農業者と消費者との新たなつながりを築き、人と人との関
係を変え、多様化させます。つまり創意工夫を持った個がむらの束縛を離れて
自分のスタイルを持っていくことを可能にするということだと思います。今ま
ではむらから外れるということは考えられない仮定でしたが、これによりそれ
は仮定しうるものになってきていると思います。このこの動きは「むら」と対
立するものではなく「むら」の負の面を改善していくことに大きな刺激を与
え、ひいてはむらに良い影響を与え、新たな「農」の形を作っていくうえでの
1つの要因になっていくだろうと考えると同時に期待しています。
講義の趣旨をよく理解していただいている、まとまった出席メールだと思います。これ以上、コメントをつける必要がないのかもしれませんが、簡単に付け加えておきたいと思います。
「別行動や創意工夫を許すことができない」ということは、自由がない、と置き換えることができるかもしれません。人間にとって、「自由」というものはきわめて大切なものだと思います。しかし「自由」ということは、誤解されている場合が多いのも事実です。自由は好き放題できるということでは決してありません。社会において無条件の自由などというものは成り立ちません。自由には責任が伴います。自由を享受するためには「個」の確立が必要ですし、逆に「個」が確立するためには自由が必要なのです。「むら」の自由のなさが「個」の確立を妨げ、人間の幸せを縮小してきたと言えますし、日本農業をも衰退させてきた、と私は考えています。
1-20 11月26日の授業出席しました。
私は逆に、印象として農協は銀行や信用金庫みたいなもんだと思っていました。どこだって利害関係がからみます。
日本の「むら」的体制は「裏」、「隠蔽」、「閉鎖的」なイメージがあり、個人的に好きではないです。もっとフランクな体制にならなければ、進歩や改革が非常に遅くなります。ただ、田舎で祖父母が農業やっていますが、あまりその「むら」的体制が感じられません。私が時々祖父母の田舎に行くだけなので分かりませんが、稲刈りの時期に少し手伝いあうくらいで、あとは普通の近所づきあいみたいです。
あと、出席メールにあったのですが、企業=悪、農家=善とは思いません。老企業の一部と族議員=悪、と思いますが(笑)
現在、コンビニやスーパーに流通している食品を見れば分かるとおり、非常に多くの食品が多様な加工食品にされています。その加工する過程を担い、商品に責任を負うのは企業です。だからこそ、農家、すなわち「生産」の部分に企業が参入してはいけないというのは、むしろ妙な線引きだと思います。企業と農家が直接契約するほうが自然な形だと思います。このとき、農家がある団体をつくって、まとまって企業と契約するのではなく、媒体機関はあってもよいが、個々で契約したほうがいいと思います。それこそ個人の時代ですし、機械化で「むら」体制でなく家族単位で農業が出来るとい思いますから。そうすれば、大手企業はCSRのことを考えて、逆に有機栽培が増えてくるのではないかと期待します。政府に比べて、今企業が(内部告発の例を見たら分かりますけど、)透明になってきていると感じます。だから企業が参入すれば、遺伝子組み換えも、農薬だらけのものも、無農薬のも、そろぞれが自信を持って商品になって出てくると思います。
ずれましたが、白黒つけてみました。
生き生きと生きるためには・・・?
まだ理解できませんが、先生の言葉覚えておこうと思います。ちなみに私なんか、自己分析とか、周囲に敏感になることや、慎重に自分の行為選択について考えてばっかです(笑)余談ですみません。
「農協は銀行や信用金庫みたいなもんだと思っていました。」
農協の支店へ行けば、そう思われるのが当然だと思います。
「あまりその「むら」的体制が感じられません。」
今日、「むら」は大きく変わりつつありますし、その変化は立地によって大きく異なります。したがって、あなたの御祖父母が暮らしておられる「むら」が、すでに「むら」的な性格を弱めているのかもしれません。しかし、あなたが「むら」にとってはあくまでもよそ人であり、「むら」の顔を見せないのかもしれません。
「企業=悪、農家=善とは思いません。」
この段落、私の考え方と近いと思いますが、あと3回、色々な意見が出てくることを期待しています。
「ちなみに私なんか、自己分析とか、周囲に敏感になることや、慎重に自分の行為選択について考えてばっかです(笑)」
私に言わせれば、きわめて「むら」的だと思います。御祖父母の田舎が「むら」的体制でないと書いておられますが、「むら」のエートスをきっちりと受け継いでおられるのではないでしょうか。
私は、多くの若者に海外での生活を勧めるのは、日本にいてはわからない自分を縛っているものを見出す、新しい地平が開けるからです。
1-51 11月26日の授業に出席しました。
「日本は『むら』が成立すると氏神を作り、日本統合の象徴が天皇」というのを聞いて今まで疑問に思っていたことが理解できるようになった気がします。なぜ戦後随分経った今でも天皇一族には「様」をつけるのか、天皇に子供ができただとかいうニュースを何回も繰り返して放送するのか、そんなに天皇は偉い存在なのか……どうして日本人はこんなに天皇を尊敬できるのか……。日本という「むら」で暮らす日本人にとって天皇は「神」だったのですね。
しかしその「むら」ももう崩壊しかかっているのかもしれません。なぜなら私は天皇を神だなんて思っていないし(うちの家系にほとんど農家がないからかもしれませんが)、そして、この世代では私のような人も多いような気がするからです。私はこの崩壊によって個人の潜在能力を最大限に発揮できるような日本なればいいと思います。
曖昧にされていますが、天皇は日本の氏神です。だから国民でないのです。「むら」においても氏神は象徴であり、鎮守の森の社の中にあるのはせいぜい鏡や刀で、棒きれであってもおかしくありません。それはまさに象徴であり、実体が何であってもよいのです。日本人の精神構造に「むら」が根付いている限り、矛盾はあってもこの形はつづいていくでしょう。
しかしあなたが感じられているように、「むら」が崩れかけている今日、このような形に疑問を感じる若者が増えてくると思います。しかしこの形を変えるのは、日本社会に「個」の確立を根付かせる以上に難しいかもしれません。
天皇制については、昨年の農村社会学の出席メール(7回目以降)(http://www.eiche.kais.kyoto-u.ac.jp/V_03_H_RS.html)で受講生と議論をしていますので、もし興味があるようでしたら、参考にして下さい。
1-24 卒業研究の所用で大阪大学に行っていたため、昨日の授業は出席できませんでした。
「このメールを出せば少しは出席点をくれるかもしれない。ダメモトで出してみよう」
という下心があるわけでは全くなく、純粋な報告として報告いたします。
欠席メール、出席だけを知らせるメールより、ずっと高い好感度です。
4回生で、きっと単位を気にしておられると思います(そんなメールもいただきましたね…)。諸般の事情で今年は試験ではなく、レポートにしました。前回の講義でそのことも話しました。詳細はまだ決めていませんが、現時点では、12月17日の講義で課題と要領を知らせ、最終回の講義後、メールに添付していただき、返信メールは受け取ったことを知らせるものにしたいと思っています。
以上、取り急ぎ返信まで。
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第8回目目次
第8回目表紙
作成日:2004年12月01日
改訂日:2004年12月01日
制作者:柏 久