第5回
出席メール
抜粋
1-33 授業で農家は豊かであるというのを聞いてけっこう驚きなんですが、なんで僕らが農業に対して儲からないイメージをもってしまうのかというのはわかる気がします。
農業はもっとも必要なことでありながら、経済の成長期には工業が大きな役割を果たしたことから前時代的なイメージを抱いてしまいます。大学が学部や学科の名前を変えるだけで受験者が増えるように農業も名前を変えたらいいんじゃないかと思います。アグリビジネスでも弱い気がします。いいのが思いつきませんが・・・。
おっしゃること、よく理解できます。農業経済学科が食料環境経済学科に名前を変えるだけで、結構受験生が増えるのですから。しかし農業は農業です。そして農業は人間の「生存」にとってなくてはならない大切なものです。それを理解できない人が、農学を学ぶなどということは、非常に恐ろしいことではないでしょうか。
農業のイメージがなぜ悪いのかということを考えるとき、為政者のイメージの植え付けというものがあるような気がします。明治以降、近代日本の為政者は、江戸時代がいかに暗くてひどい時代だったかを国民にあらゆる機会を利用して植え付けてきました。しかし近代社会の負の部分が明らかになってきたとき、江戸時代はそんなに悪い社会ではなかったのではないか、と思われるようになってきています。
近代化過程において日本は工業立国を目指してき、大きな成功を勝ち得ました。そしてその過程において(とりわけ戦後)、農業に負のイメージを与える為政者のキャンペーンもありました。しかし社会全体の工業化がもたらした負の側面(環境悪化や人間性の後退など)は、非常に大きいと言わざるを得ません。今こそ農業の重要性をアピールしていくときではないのでしょうか。そのためにも、日本農業はそのあり方を改革していかなくてはなりません。
1-10 11月5日、第5回目の授業に出席しました。
まず驚いたのはアメリカが戦後の日本に行わせた「キャンペーン」です。といっても、僕が驚いたのはそのキャンペーン自体に対してではありません。アメリカに限らず、概して大きな組織がこのようなことを行うのは不思議ではありませんが、その内容がいかにも・・・
「日本の食生活はよくない」
これは現代人の感覚からすれば、馬鹿馬鹿しいとしか受け取られませんが、戦後というアメリカ優位であり、西洋に対してまだ劣等感を残していた時代には信憑性を持って聞こえたのでしょうか。もちろん、現在のように豊富な知識が一般の人々の間にはなかったということも大きな原因であるとは思いますけれど。
「兼業農家のコメ作り」のパートでは、やはり使用する機械にかかる経費と売り上げが一緒であるというレポートが印象的でした。もちろん、実際には多少の収入にはなっているのでしょうが、ここで、人々を農業につなぎとめる役目をしているもの、ということで出てくるのが「先祖代々の土地」なのですね。
この感覚は僕にとってはものすごく分かりにくいものなのでした(何かほかにコメントをつけようと思ったのですが、何も思い浮かびません・・・)
転作と集落の部分では、中世の西洋で行われていた三圃制を思い出しました。三圃制というのは土地を春耕地、秋耕地、休閑地という3つに分けて土地を休息させる期間を作ることから、その土地の生産性の向上を促す、といった方法だったと思います。今、日本で転作を行うときには集団で行いますが、三圃制でも所有地は分散しており、荘園内で集団移動をして行われていたはずです。集居状態にはなかったかもしれませんが(荘園ですから、その辺りは詳しく分かりません)、効率の悪さという点では同じようなものだったのではないかと思います。
ということを考えていると「日本でも西洋でも、もともと同じような村構造があったはず」という言葉が先生の口から飛び出してきて、なんだか妙に納得してしまいました。
ということで、次回も楽しみにしています。
P.S.(前回に紹介されていた出席メールでもP.S.を使っている方がいましたが、Sの後にもコンマがちゃんと打たれていて嬉しかったです。さすが京大生(笑))
僕は毎日JRに乗って神戸から通っているのですが、大阪と高槻の間にコスモス畑があります。
ただ、そこはもともとは農業用に区画されていた土地のようで、「コスモス畑」は点在しています。これが同一所有者の土地なのか、そしてその一帯のほかの土地がこの所有者以外の者の土地なのかということは分かりませんが、どう考えても農業人口減少の一端を見たような気がして書かせていただきました。
アメリカの小麦売り込みキャンペーン、今から考えるとばかばかしいものかもしれませんが、当時、私が子供心に感じたところでは、結構皆が信じ込んでいたように思います。集団が作り出す雰囲気というものは恐ろしいもので、真実でないものが真実だと受け取られるのです。それにしてもアメリカはこの手のキャンペーンがうまいとしかいいようがありません。また大局を見て理想のために行動するのではなく、短期的な己の利益のために、アメリカに迎合するに日本人指導者にもあきれかえります。これは今の日本にもそのまま当てはまるのではないでしょうか。
農民が農地に対して持つ感覚は、都会の人間にはわからないものがあると思います。社会全体に根付く「むら」社会のエートスが変化するには時間がかかりますが、個人レベルの感情は、環境が変われば容易に変化してしまうものだと言えるでしょう。
私が話したわずかのことから、すでに三圃式農業のことを想像することのできる人がいるとは驚きでした。さすが京大生という思いがしています。これはまさに次回のテーマです。なお、封建制下のヨーロッパにおいては、やはり農村は集落をなしていました。
通学途中のコスモス、景観をよくしているのではないでしょうか。コメの生産調整によって、コメを作ることのできない田で何を作るかですが、管理休耕というのがあります。田は何も作らないで放置しておくと、どんどん荒れていき農地に復活させるのが難しくなります。そのため管理休耕にも一定額の奨励金が出ます。
1-14 日本の「ムラ」社会構造について考えさせられるところがあった講義でし
た。ムラ社会というのは確かに江戸時代(もしくはそれより以前)から形作ら
れてきたものですが、少なくともその時代には恐らくは適して機能したもので
あったと思います。農村というものは年貢を納めたり、村を守ったり、施設を
修繕管理したりするなど共同でしたほうがよいものが多いと思います。ムラ社
会の同質性、共同性によりムラは保たれて年貢も納められて幕府と農村民は共
によかったのだと思います。
しかし現在時代は変わり以前の農民つまり専業農家の数は減り、兼業農家の
数の方が多く、貨幣経済や都市が発達しています。そのため必ずしも同じ価値
観が通用し適していくわけではないと思います。もちろん農村の地域社会の共
助というようなものなどよりよい地域社会の形成に役立つものはいいと思いま
すが、閉鎖性や排他性のようなものは、特に世界との関係が強まり時代の流れ
が早く進んでいる現在では変えていくべきものではないかと思います。
結局新しく価値観を創り上げていくことが大切ではないだろうかと思いま
す。「ムラ社会」という一つの価値体系は時代に必ずしも適しなくなったもの
だと思います。しかしそれを壊してそのままにしておくべきではないと考えま
す。そのままにしておいたら地域社会はバラバラになってしまうのではないで
しょうか。地域社会形成のためにも新しい価値観というものを形成し創り上げ
ていくことが重要だと考えます。これにより新しい地域社会を再形成してい
き、もっと広い地域社会を形成し、更には顔の見える関係、何をどのように作
っているかわかる農業(地産地消のような)ものにもつながっていくのかもし
れないと思えました。
「少なくともその時代には恐らくは適して機能したもので
あったと思います。」
その通りです。そのことを次回に話そうと思っています。この段落、私が暗示的にしゃべったことからこれだけのことがかけるのですから素晴らしいと思います。
「よりよい地域社会の形成に役立つものはいいと思いま
すが、閉鎖性や排他性のようなものは、特に世界との関係が強まり時代の流れ
が早く進んでいる現在では変えていくべきものではないかと思います。」
これもまたその通りだと思います。「むら」社会の閉鎖性・排他性などが変わらなければならないことに多くの人が気づいているのかもしれませんが、新しい秩序が見つからない、古い秩序によって既得権益をえている人たちが変化に抵抗する、などの結果、なかなか変わっていかないのだと思います。
「地域社会形成のためにも新しい価値観というものを形成し創り上げ
ていくことが重要だと考えます。」
まさにその通りです。新しい価値観に基づく新しい秩序、それはあなたが暗示されている方向にあると思います。非常にまとまりのある素晴らしい出席メールだと思います。
1-50 11月5日の授業出席しました。
私の実家は第二種兼業農家であり、少量の米と、数種の野菜を作っているのですが(もちろん販売するほども作っておらず、親戚や近所におすそ分けする程度です。)、毎年、田植え前になると部落ごとに会合を開き、水門の開閉について話し合う姿を見かけます。特に私の故郷、香川は、日本で最も降水量が少ない県ということもあって、農業用水の取り決めには非常に厳しいものがあります。「我田引水」という熟語のように自分だけいいように仕向けようとしてもそんな無理は通じません。部落の命運は一蓮托生であり、抜け駆けは許されないという姿を見て、私は育ちました。
この感覚はほとんどの日本人が共有しているものであり、そう簡単には変換されるものではないと思います。確かにこの日本を代表する感覚による弊害も多くありますが、その感覚を変革してまで、欧米のシステムをそのまま導入する必要はなく、あくまで日本型のシステムの改善を進めるべきであると思います。
あなたの主張、まったくの正論だと思います。そして、なぜ日本の社会に「むら」の論理が流れているかの解答をも示唆しています。稲作はすなわち水田作であり、水がキーワードになっているのです。
香川は満濃池が有名なように、ため池灌漑の地です。ため池灌漑の地域は、河川灌漑の地域よりずっと「むら」の結束は堅く、いっそう「むら」的であるといえます。
「むら」のエートスには、むしろ日本の美徳とも言えるものが多数あります。しかし問題は、世の中の流れです。日本はグローバル化の波に飲み込まれ、国全体にそれを否定しようとする動きは見られません。むしろその波の中でビジネスチャンスを見いだし成功する人がもてはやされています。このような流れと「むら」の論理は真っ向から対立するものだと言わざるを得ません。とするなら、世の中の流れに真っ向から反対するのか、それとも「むら」の論理を変革していくのかという選択が残るだけになります。
私の主張は後者に属するものですが、もしあなたが前者に属する主張をされるのであれば、むしろ私の方が「むら」的と言えるかもしれませんね…。
1-16 第五回目の授業(2004/11/05)の出席メールです。
前回は送信がかなり遅れてしまったので、今回は早めに送信します。
今回の授業では、気になった部分が結構ありました。
1."アメリカの小麦輸出戦略"
授業の冒頭にあったこの小麦輸出の戦略、改めて米国のしたたかさを感じました。
現在の国際社会でも、あらゆる面で各国(特に欧米諸国)はしたたかな戦略を立てて、
それを着実に実行しているように感じますが(最近ではイラクの背後には石油の利権が
あったと半ば公然と語られていますよね)、終戦直後からもうそういう計算が働いていた
のかと思うと、ぞっとする反面、すごいなぁとも思ってしまいます。
それに対して、日本の実直さはもう何と言えばいいか…。『米を食べると馬鹿になる』って、
ちょっと考えればすぐに、あり得へん…ってわかることだと思うんですけど。
弥生時代から何年米食って生きてきてるんだよ…。それにしても、そんなことを堂々と
言うK應大学の御用学者もすごいですね。ただただ呆れるばかりでした。
ただ、今もこれと似たような現象があるように思います。テレビの健康番組で、根拠が
あるのかないのかに関わりなく、某教授や芸能人が『健康にいい』と紹介した品物が
次の日にはスーパーで売り切れるという事態は、決して珍しいことではないと思います。
それに、前回の出席メールで誰かが言っていた「抗生物質漬けの(輸入)食料」に関しても、
社会的な大問題に今のところなっていないというのが不思議です。
単にそういう理科的な話に多くの人が興味がないのか、はたまた権威主義・横並び意識と
いったムラ社会の弊害の一側面が現れているのでしょうか(笑)。
2.兼業農家と農家像
日本の農家の大半が兼業農家、しかも農業外収入の方が多い第二種兼業農家であるという
ことは前から知っていましたが、その農業経営がギリギリ収支の釣り合うものであるとは
知りませんでした。そんな儲けのでない仕事を続けるっていうのは普通に考えればあり得
ないことですよね。儲けがなければ生きていけないんですし。農業を放棄する人が増えて
いるというのも納得できます。
ただ、一つ気になったのが、「農家は豊かである」という部分についてです。配布プリン
トにあったように、農家が一般的なサラリーマン家庭に比べて裕福(というか金銭的余裕
がある)ということはわかりましたが、農家とサラリーマン家庭の収入の差というのは、
農家の方が農業所得の分だけ総収入が多いということですよね?農家の方が農業外所得が
サラリーマンよりも少ないとしても、その差が100万円(農業所得分とほぼ同額)を超える
ことはないでしょうから、この「農家には金銭的余裕がある」という事実は素直にうなずけ
ます。しかし、サラリーマンなら勤め先から給料をもらう時に自動的に税金や保健などの
公的負担金が天引きされますが、農家の場合はそういうシステムがあるんですか?いくら
農協というシステムがあるといっても、農協が農家の全収入を把握できるわけはないでしょう
から、農家の農業収入は基本的に自己申告制になるのでは?その場合、あまり言いたくは
ありませんが過少申告などの不正がないとは言い切れないと思います。それに、これまでの
講義中の話から類推すると、税制面での優遇措置もあるような気がします。これに補助金の
話も絡み出すと、汚い言い方ですが、農家の収入のうち、サラリーマン家庭の収入よりも
多い部分は政府がらみの金ではないか、と疑ってしまいます。結局、「農家は豊かである」
というのは、サラリーマンと同じ土俵の上での話ではないのではないでしょうか。
※農家の収入自己申告制や、補助金、税制面の優遇などは上にも書きましたが推測です。
また、過少申告などができるのかということについても確信はありません。もし間違って
いるなら、ご指摘下さい。この段落で僕が言いたいことは、最後の一文にあるように、
あのデータは本当に農家とサラリーマンを同じ土俵の上で比較したものなのか、ということです。
3.ムラ社会
今回の講義で一番気になったのがここです。僕は生まれた時から大阪市内在住で、自分の
所有物は自分が自由に扱えるものだし、土地だってまとめて一カ所に固めた方が扱いやす
いと考えています。その点で、村社会の一体感や、農民の土地への強烈な意識には非常に
違和感を感じました。話は少しずれますが、僕の住む地区には都会では珍しく(?)、未だ
に町内会組織が存在しています。町内会もある意味ではムラ社会の一種だと思います。さ
すがに授業にあったような強烈な連帯感というのはありませんが、夏には地蔵盆の祭りを
開いたり、冬には火の用心の見回りやかけ声をしたりしています。しかし、そのイベント
の実質的な開催者というのは、40〜50歳台の大人が仕事の合間に片手間でやっているとい
うのが実情のようです。町内会の仕事に本腰を入れているのは定年を過ぎたご隠居さん程
度です。それに、参加者は殆どが子どもで、せいぜい小学校高学年〜中学生までです。そ
の年を過ぎると、殆ど町内会の活動には見向きもしなくなります(実際、僕もそうでした
し、同い年の友人達もほぼみんなそうです)。これに対し、授業であったような農村社会
の団結力は非常に強いものです。村全体が一体となる『エネルギー』は何なのでしょうか。
本当に「稲作」だけであれだけの団結力が維持できるのでしょうか。農業分野でも機械化
が進み、共同作業は昔より随分少なくなっていると思いますが、なぜ、あれだけの連帯感
を維持できるのでしょうか。この辺の解説は次回以降の授業に期待したいと思います。
以上、第五回目の授業の感想でした。長々と駄文すみませんm(__)m。
長文の出席メール、ありがとうございました。
1.に関してです。
どの段落もまったく同感です。
「テレビの健康番組で、根拠が
あるのかないのかに関わりなく、某教授や芸能人が『健康にいい』と紹介した品物が
次の日にはスーパーで売り切れるという事態は、決して珍しいことではないと思います。」
このことの例として、鳥取大学で学会があったとき聞いた話では、みのもんたのお昼のテレビ番組で、らっきょうが健康によいという特集をやったところ、その日の夜にはらっきょうが売り切れて商店から消え、しばらくはらっきょうが売れに売れ、鳥取の産地が大もうけしたそうです。その年、その産地は非常に活況を呈したようですが、徐々にその熱も冷めたようで、2〜3年経ったその時、再度みのもんたにとりあげてもらわなくては、なんてことを組合長が話しておられました。
付和雷同も、ある意味、「むら」社会の産物だと思います。今の日本人、市民意識、消費者意識が非常に低く、すぐに雰囲気に巻き込まれてしまうのです。何よりも消費者の意識、市民の意識が高まることが必要なのではないでしょうか。
2.に関してです。
「農家の場合はそういうシステムがあるんですか?」
兼業所得の場合、当然にサラリーマンと同じです。問題は農業所得に関してだと思います。これに関しては、以前(京野菜の話の時だったでしょうか…)どなたかの出席メールの返信でも書きましたように、クロヨン(9・6・4)、トーゴーサン(10・5・3)という言葉があります。サラリーマン、自営業者、農業者の収入を、税務署は、この割合でしか把握していない、という意味です。しかも兼業農家の場合、農業の規模が小さいのですから、ほとんど農業に対して税金は払っていないと言えるかもしれません。
2の引用箇所以下の点については、あえてコメントをつけません。皆さんが自分自身で判断して下さい。ただ、これは日本の農業構造の根幹にかかわることであり、私の講義の第3部を話し終わってからコメントをつけた方がよいと思っています。
3.に関してです。
この点は、あなたも書かれているように、次回、次々回の講義で話すことです。強い連帯感を持った集落機能と呼ばれるものも、さすがに現在では、かなりゆるみつつあります。しかし決してなくなってしまっているわけではなく、しかも「むら」のエートスは、日本社会に大きな影響を与えています。この点をうまく理解してもらえるよう、頑張って講義したいと思っています。
1-32 まず、食の安全性に関連してですが、こんな話を聞いたことがあります。ある農家の人が、自分で食べる用の野菜と、出荷する用の野菜を別々に作っていて、自分で食べる用の野菜は手間をかけて丹念に育てるけれども、出荷する用のものには農薬を沢山使って育てていて、出荷する野菜は、「そんな危ないもの食えるか!」と言い放ったということです。この話が本当かどうかは存じませんが、もし本当であれば(私は本当だと思いますが)、食の安全を考えるならば最終的には自分で栽培するほかないのではないか?と思ってしまいます。つまり幾分か毒が含まれていることは分かっているけれども、生きていくうえでは食べなければならないので、妥協しているのが現状ではないでしょうか。それに全く薬を使っていないとしても、外部からの影響として汚染されてしまう可能性もありますし(地中に汚染物質があった、とか、ダイオキシン濃度が高い、とか。マスメディアの過剰な放送戦略に乗せられてそう思ってしまっているだけかもしれませんが)、食の安全確保は、とても難しい話ですね。
あと、アメリカの商業戦略が見事に成功したということでですが、そんな策にまんまと乗せられているのは癪なので、小学校の学校給食を全て米中心にするのが良いのではないかと思うのですがいかがでしょう。そうすれば(小さいときの習慣はなかなか抜けないと私は思い込んでいるので)、その人たちは後々も米を消費してくれるから自然と米の消費は増えて減反の必要がなくなって日本の農家にはうれしい、しかも小麦を過度に輸入する必要もない、ということにならないかなあ。家庭の食は洋風化しているだろうから無理かもなあ。それにこんなこと言うとすぐに馬鹿にされるんだろうなあ。ろくに検討もされずに「不可」とか。確かにばかげた案であるかも知れませんが。
「この話が本当かどうかは存じませんが、」
私もこの手の話をよく聞きます。今日のように生産者と消費者がまったく顔の見えない関係になっておれば、あり得る話です。しかし私は確たる証拠(事例)を持っているわけではありませんので、真偽については何とも言えません。ただ、以前、生産者の方から天日干しのコメをいただいたことがあります。販売のためのコメはすべて農協のカントリーエレベーターで乾燥調整しており、自家消費用にごく一部を天日干ししているのだそうです。そのいただいたおコメは、私が日頃食べているものに比べて数段おいしかったことを今なお覚えています。
「生きていくうえでは食べなければならないので、妥協しているのが現状ではないでしょうか。」
その通りでしょうね。人間いずれは死ななければならないのですから、差し迫って死に直結するのでなければよいか、ということになっているのでしょうね。
「ばかげた案であるかも知れませんが。」
ばかげた案だとは思いません。事実、われわれの世代の給食にご飯が出た記憶がありません。秋にはサンマとパンと牛乳というメニューがあった記憶があります。なぜこんなことを覚えているかというと、サンマが非常においしく、ご飯といっしょに食べられたらもっとおいしいのになあ、と子供心に感じたからです。当時はまさにアメリカのキャンペーンのまっただ中だったのですから、ご飯が給食になかったのは当然だったと思います。現在の給食の内容はよく知りませんが、少なくともご飯の日は結構あるのではないでしょうか。コメ消費拡大のため、給食をご飯中心にすることは、現在も進められているよい案だと思います。
1-38 今回の講義ではむらの話がおもしろかったです。講義を聴いた後、阪急京都線の電車の窓から景色を見ているとお話どおり集居村落でした。田んぼがあるところは田んぼだけがあって、家があるところは家だけがある。この景色が私は美しいと思うし好きです。もしかしたら多くの日本人にとって散居集落よりも集居集落のほうがどこかしっくりくる、懐かしい光景なのかもしれません。ただ実際農業をすることを考えると家に置いている機械を田畑まで移動させなければいけないなど、素人がちょっと考えただけでも分かるほどの短所があります。肥料を家の肥溜めから運ばなければいけなかった時代にはもっと効率が悪かったのではないでしょうか。しかし私は今まで毎日なにげなく見ていた景色に意味を見出せたこと、そこで農業をし、生活している人々のことを想像するきっかけをもてたことだけでも大きな意味があった気がします。
メールを読んで、うれしい気分になりました。それまで何気なく見ていた風景の、背後にあるものを考えてもらえるようになったきっかけが私の講義であるとするなら、講義のし甲斐があります。とりわけ農学部の学生さんにそのような気持ちになっていただくことは、私が求めていることです。今後も、大いに農に関わる現象に関心を持たれ、その背後にあるものについて深く考察して下さい。
1-39 第5回環境形成基礎論の出席メールを送らせていただきます。
なぜ、現在の日本の農業がこのような悲惨な状態から抜け出せないのか。
その原因が「むら」社会にあるとする論理の筋道が、だいぶ見えてきました。
今の日本の農業は、本来あるべき姿とはかけ離れた、あらゆる意味で“循環しない”ものになっています。割に合わないし、合理性もありません。問題が雪だるま式に増えていっています。しかし、そうなってもなお、農業をやめることもできず、改善するための試みも進まない理由、それは、「むら」社会の発想がまだ根強く残っているから、というのには、納得がいきました。先生の「むら」社会についての詳しい分析は来週以降に聞けるのでしょうが、感覚的に想像できる気がしました。田舎の生まれですから・・・。
でも、都会の人にはなかなかわからないんじゃないかな、この感覚、と思いながら聞いていました。「横並び」の考えは今もさまざまな場面で私たちを縛っているように感じます。私にとって一番切実なのは、京大卒の学歴なんかもって地元に帰っても、逆に働けない、とか(笑…えません!!)。
農業から脱離しつつある地域でも、いまだ「むら」的発想が残っているのはなぜなのでしょう。「むら」的発想は、農業に端を発しているものの、稲作とは独立に根付いているものなのでしょうか。ヨーロッパでは「むら」構造を脱することができたのに、日本ではできない。それどころか、異業種にまで敷衍してしまった。それは、畑作と稲作の違いだけに還元されうるものなのでしょうか。
今まで、「むら」構造にどっぷり浸かってきましたから、なぜ、とは考えたことがありませんでした。こういうものなのだ、と思うばかりでした。でも、そのような構造の始まりだとか、機能だとかを、考えてみようと思いました。農業がシフトするための鍵がそこにあるのかどうかはわかりませんが。
話は変わりますが、なあなあで済ませるとか、言外にほのめかすとか、自分の意見を声高に主張しないとか、日本の伝統としてそのような態度があります。今の日本社会でも、割と常識のようになっています。それらは「むら」社会の暗黙の了解として受け継がれてきたものといっていいと思うのですが、先生はそれらについてどう思われますか。今は、「国際的」に通用する人間が必要だと言って、自分の意見を表明できる人間が急にもてはやされていますが、なかなか変われないものですよね。私は、いくら国際社会を渡っていけないと言われても、“主張しない”態度をある種の美徳として尊重する発想は大事にしたいな、と思うのです。もちろん限度はあります。ですが、私が考えるに、そのような態度をとる日本人の多くは、“本当に自分の考えをもっていない”のではないでしょうか――主張の仕方を知らないだけではなく。今日本人に欠けているのは、ディベートする力より、英語力より、自分自身の頭で考えて意見をまとめる力なのではないかと感じます。何でもかんでも、意見を言う作法まで西洋流にしなくてもいいじゃないの、という稚拙な反発だと言われれば、まあそれま?
《文字化け》
言うべきときには言わねばなりません。しかし、はっきり言えればいいと言うものではないでしょう。今真に必要なのは、しなやかな思考力なのではないかと思います。
「むら」に生まれ育った人にとっては、「むら」とはどのようなものかは周知のことで、少しヒントが与えられれば、「むら」とはどのようなものなのかが理解できます。「むら」に嫌悪感を感じてそこから抜け出そうとしている人も、こんなものだろうと順応している人もいるでしょうが、いずれにしても身近なものであることは間違いないでしょう。しかしそれでは日本の農村に普遍的に存在する「むら」がどのようにして成立してきたのか、また近代化の中でどうして解体しなかったのか、ということになるとわからないはずです。次回はその点を明らかにしたいと思います。
「それらは「むら」社会の暗黙の了解として受け継がれてきたものといっていいと思うのですが、先生はそれらについてどう思われますか。」
日本人の特性は、まさに「むら」社会が長く残ってきたことに由来すると考えています。講義の中でもお話ししますが、戦後間もない頃は日本の人口の5割近くは農家人口でした。都会で生活する人たちの多くも、農家の二三男で、農村では生活できないので都市に移り住んだ人が多く、そうでなくても何らかの形で農村とつながりを持っていたと言えます。「むら」のエートスが日本人の性格を規定していたとしても、何ら不思議はありません。
「“主張しない”態度をある種の美徳として尊重する発想は大事にしたいな」
私も、このような態度を美徳と思っています。私もまた「むら」のエートスを生まれたときから父母に植え付けられてきたからです。にもかかわらず、私は、これとは180度異なる「個」の確立を強く主張するようになりました。それがなぜなのかは、最終回の講義の時にお話ししたいと思っています。
「今真に必要なのは、しなやかな思考力なのではないかと思います。」
これについてはまったく同感です。
1-40 第5回目の授業では、集団転作についての話が興味深かったです。…というか、第3回目の出席メールで「むら社会」のことについて触れたように、このような日本の社会構造について理解するのは農業だけではなく、法学にも直接役立つので楽しみにしていました。
集落全体での集団転作がなぜ必要であったのかということについては、湿害を最小限に防ぐため、集落全体で計画をたてた方がよい、畑作での忌地現象を防ぐためなどの理由があることが分かりました。また、一般に散居集落の方が、農業には合理的であるのに、日本では集居村落が多いことも分かりました。
日本でのむら社会の発達は、稲作農業の伝統によるところが大きいことはいうまでもありません。こうしたむら社会の構造を前提に、法学でも例えば民法を見ると非常に分かりやすいです。民法第249条から264条には共有についての規定が定められています。そして明文規定はないものの、そこから合有・総有という法概念を考えることができます。共有においては各自は持分についての使用・収益・処分は可能ですが、まさに総有は、入会地など団体地での取り決めを個人の私的所有に優先させるというものです。ここにおいて、契約法(第521条から第696条)が個人間の自由な取引を想定しているのに対して、同じ民法内でも総有が団体法的なものであるということがよくわかります。
長々と今講義とは関係ないようなことまで書いてしまいましたが、私が思っているところは、法学をそれだけの閉じた体系として勉強するだけでは単なる法適用のみに終始しがちですが、法がつくられてきた背景となる日本社会の構造について理解した上で法学を学ぶとおもしろいし、法を本当に必要なものなんだと思って勉強する方がわかりやすいということです。その意味で、農業、環境を取り扱っている本講義も、法学につなっがっているものとして楽しんで受けていきたいと思っています。
「日本では集居村落が多いことも分かりました。」
礪波平野の散居村落を対比のために取り上げましたが、明治以降の開拓地(北海道を含む)を除けば、日本では9分9厘集居村落です。
おっしゃるとおり、私的所有を優先している近代法になじむのは共有であり、総有は近代法的な概念ではないと思います。しかし現実に農村で総有が機能している以上、民法でもそれを認めるような箇所が必要になるのでしょう。この後の2回の講義の中で、総有がどのように「むら」で機能してきたかについてもお話しします。
「法学をそれだけの閉じた体系として勉強するだけでは単なる法適用のみに終始しがちですが、法がつくられてきた背景となる日本社会の構造について理解した上で法学を学ぶとおもしろいし、法を本当に必要なものなんだと思って勉強する方がわかりやすいということです。その意味で、農業、環境を取り扱っている本講義も、法学につなっがっているものとして楽しんで受けていきたいと思っています。」
素晴らしい態度だと思います。法学を学ばれる方々が、このように広い視野で事象を見ることができるための努力をされれば、日本の法学の未来は非常に明るいに違いありません。
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第6回目表紙
作成日:2004年11月11日
改訂日:2004年11月11日
制作者:柏 久