第4回
出席メール
抜粋
1-1 農学部全員に講義してもらいたい内容です。私は農学部に所属しているのですが、専門の時間にはやはり客々の専門分野の教授が講義に来て自分の研究の内容の説明や宣伝をしていくという形で、最先端の内容を知ることもよいことだとは思うのですが遺伝子操作に偏った傾向には少し危機感を感じているからです。東大京大から将来の農学分野のリーダーが出て行くのだとしたら、遺伝子組み換えのことだけではなく、この講義の内容のようなこともよく勉強してからなってもらいたいと思います。日本(世界でも)で今起こっている農業問題は個人レベルを超えた問題でそのような行政トップの意識が変わらないと解決は難しいと思うからです。
循環型社会についてですが、江戸時代にはごみ焼却場やごみの埋め立て所なんてなかったんじゃないか...とかいうことを考えて見るとどれだけ現代が衰退した社会なのかということがよくわかります。
**様へ
メール、ありがとうございました。
「農学部全員に講義してもらいたい内容です。」
私の専門は、農学とはどのような学問であり、どのようにあるべきかを探究する「農学哲学」です。私は自らの研究の結果、農学は農業(当然に最も重要なのは日本農業)に役立つという実用性を最重要視する実用科学である、という結論に達しました。そのような農学の中では、奇をてらう研究により世界一だと言っても、何の意味もないと思います。ですから、農学者は、初学者からベテランまで、日本農業を中心とした農業の現実をしっかりと把握している必要があるのです。
私は、農学部の1・2年生を対象として、日本農業の現実と農学のあり方に関する講義をしたいのですが、農学概論とぶつかるために必要ない、と農学部では考えておられるようです。農学概論で、十分にその役割を果たせているのかどうかわかりませんが、私は環境形成基礎論で自分の見方・考え方を提示しようと考えています。
「循環型社会についてですが、江戸時代にはごみ焼却場やごみの埋め立て所なんてなかったんじゃないか...とかいうことを考えて見るとどれだけ現代が衰退した社会なのかということがよくわかります。」
循環型社会、環境、という点から言えば、あなたが言われるように現代が衰退した社会であることは否定できません。しかし社会を評価する際に、環境という点だけで評価することができないことは言うまでもありません。
柏 久
1-10 今日の授業では記憶の奥底に眠っていたある話を私に思い出させていただきました。話というのは、レモン農家の話です。おそらくレモン自由化で政府と戦った世代より少し前の話になるのでしょう、島の段々畑をレモン畑に変える農家の青年の物語です。段々畑で野菜を作っていたのでは食べていけなくなり、その家では畑を手放そうとします。そこでその青年は畑でレモンを作ればいいと提案します。西欧からの文化がどんどん入ってきた頃のことです。紅茶やケーキの広まりにあわせてレモンの需要も伸びるだろうと見越しての提案だったわけですが、家族からは反対されます。売れるかどうかも分からないし、まず栽培がうまくいくかどうかも分からない。しかし青年は家族を説得し、結果レモン作りは成功を収め島の農業は再興を果たす、というのが内容です。
この話をどこで知ったのかは定かではありませんが、私は広島出身ですので、おそらくこの話は広島の農家の実話に基づいた話なのだと思います。このように苦労してレモン産業をつくりあげた農家の方達を、同じ広島の人間が政権争いなんぞの為に苦しめていいはずはありません。今日から池田氏は前官房長官中川氏とならんで私の中で「広島の恥」になりました。それにしてもどうして広島では自民党が強いのでしょう。広島市長は「平和・反核」をかかげ、広島県下全域でそのように学校教育を行い、多くの市民はそれを当たり前に受け入れているはずなのですが。
脱線しました。大量に輸入されるトウモロコシも、最初の授業でも写真を見ましたが、やはりショックです。私はこの講義を受けている人達にだけでも言いたいです(このメールはHPに載せていただけるのでしょうから)。「そこまでして肉を食べたいのか?」そもそも人類の体は肉食用にできていないというのは有名な話です。日本でも仏教が入って以来、文明開化まではほとんど草食の生活を送っていたとききます。肉及び肉の元になる飼料を輸入するより、大豆を始めとするマメ類を国内で生産し消費した方がいいように思います。最近肉の危険性を指摘する新聞記事などもよく目にします。狂牛病に限った話ではありません。肉の摂取量を減らせば成人病予防にもなるのではないでしょうか。
あなたのメールに非常に感銘を受けました。私がとやかくコメントをつける必要はないと思います。多くの方に読んでいただきたいと思います。今後も、このような素晴らしいメールを期待しています。
1-11 まずは、前回のメールのことを謝っておきたいと思います。
誰かに話してみても仕方のないことと分かってはいながら、
それでも愚痴がこぼれてしまいました。
申し訳ありませんでした。
さて、今回の講義ですが、少しはまともなメールが書けると思います。
というのも、少し、ピンと来るところがあったのです。
それというのは、レモン輸入自由化の裏に政争あり、ということです。
近頃は、ニュースや新聞で、間接的ではあれ、
政治と国民が、視覚的、聴覚的に接点を持つ時代だというわけですが、
そんなところから得る情報によってみても、
政治家の私事が公共にまで影響するということは、
多々あることだと思われます。
日本の小泉政権に関しては、
北朝鮮との交渉の問題や、例の海上視察のことにしても、
小泉首相の国民向けのパフォーマンスではないのか、
と、よくよく言われているようです。
要するに、世論の支持に持ち上げられてきた小泉首相ならではというわけで。
また、私は宇宙科学入門という講義を聴いているのですが、
先日、そこでNASAの火星探査事業について、
アメリカの宇宙開発は選挙のためにしばしば利用される、
ということを耳にしました。
もとはといえば、例の月着陸の国民ウケが非常に良かったのが始まりだそうです。
それから、私もあまり詳しいわけではないのですが、
アメリカとイスラエルの関係にしても、
選挙の際のユダヤ票が云々ということも聞きます。
いずれにしても、政治に関与している人々の保身のために、
公共社会がいじられるというのは、気持ちのいい話ではありません。
これは、うろ覚えですが、ヘーゲルの『歴史哲学講義』の中に、
歴史は、善意や道徳みたいなものよりも、むしろ、
私人の情熱(この言葉は、具体的には、権力や富やその他いろいろへの野心
と言い換えても良いのではないかと、私は思います)によって動かされるのだ、
というような意味のことが書いてあったように思います。
それが事実だとすれば、一国の政治の原動力は、より一般的に言って、
国民のためという意識ではなく、
指導者自身のためという意識に発していることになるようです。
実際のところ、そんなものだろう、と肯定できてしまうところが、
また、なんとも言えません。
確かに、各人が自分自身の利益を追求するというのは、
現代では当たり前のことのようにも思えますし、
実際、その時にこそ、各人がその人の力量を存分に発揮するであろうことは、
間違いありません。
ただ、問題なのは、その結果です。
仮にも、政治家、仮にも、公共の福祉などと大それたことを言うのであれば、
それだけの実行力というものがどういう方向に働くか、
この発揮された力が大きければ大きいほど、
言い換えれば、人は、自分自身の利益を考えて行動するときこそ、
その行為の結果を考えなくてはならないということになるでしょう。
大きな力は、それだけ大きな仕事をするので。
そして、この大きな力が、単に大きいだけでなく、
公(少なくともその国家に属する国民)に対して有効に働いた例が
ないわけではないはずで、そんな時こそ、
「名(めい)」を冠せられる指導者が登場することになるのだと思いたいものです。
そういうことで言えば、
今回のレモンの輸入自由化問題について言えば、少なくとも今回聴いた限りでは、
その情熱の結果の悪しき一例と言わざるを得ないというのが、私の感想です。
今日は、いつもより筆(キーボード)の運びが良かったようです。
それでは、また次回。
メール、ありがとうございました。いつも興味深く読ませてもらっています。
文章には、その内容で読ませるものと、文章それ自体の力で読ませるものがあるように思います。あなたの文章は、内容がないわけではありませんが、その文章自体に大きな魅力を感じています。
私は文章は思想だと思っています。言語そのものがある種の思想性を持っています。ドイツ語は独特の性格を持つドイツ人が長年にわたって作り上げてきたものでしょうし、ドイツ語自体がまたドイツ人の性格を規定してきたとも言えます。その意味では、日本人が外国語を学ぶことは大切ですが、それ以上に日本語を磨くことが重要なのではないでしょうか。若者の日本語が乱れ、日本人の思想が浅薄になっている今日、日本語の文章作成能力を磨き、日本人独特の思想形成をしていことは、非常に求められていることだと、私は確信しています。
私は、あなたのような文章力のある若者が、社会に目を向けてくれるとき、影響力のある素晴らしい思想が生まれてくるような気がしています。あなたの今後に大いに期待しています。
1-12 前回のメールで記名を忘れてしまい、申し訳ありませんでした。今回はパソコンで…というメールを出させていただきました原口です。これを教訓にメールを使う上で必要とされるマナーについて再考してみようと思います。
今回の講義では、農業のあり方がいかに政治的思惑に支配されているものなのかを実感として理解することができ、非常に楽しかったです。私は、生態系保全の手段を考える柱として、生物学(含農学)、化学、工学、経済学を重要視しているのですが、そういったものから導き出された考察とはまったく別の思惑で世の中が動いていき、しかも学問分野をもそういった思惑が引っ張っていく、という構造が見えたことは新しい発見でした。同時に、経済学的手法がいかに有効に機能し、「思惑」を実現してしまったかを見て、その効力を実感しました。何が正しいかということは永遠に分からないものでしょうが、この講義を通じて、本来的農のあり方に回帰するための方法を経済学的な手法も検討しつつ考えてみたいと思います。
メールで自分の名前を書くのを忘れる人が多いのを、私は携帯電話文化の弊害と呼んでいます。手紙文化は、形式を踏んだ手紙文を要求してきましたが、私もその堅苦しさが苦手で、筆無精を地でいく人間でした。しかしパソコンによるメールの手軽さから、息子達にメール人間と呼ばれるほど筆まめになりました。このように私も苦手だった手紙文ですが、あの形式は、やはりそれなりの意義があると思います。中でも署名(名乗るということ)は、人が人に対するときの基本です。「これを教訓にメールを使う上で必要とされるマナーについて再考してみようと思います。」というあなたの心構えは、非常に重要なことだと思います。
「今回の講義では、農業のあり方がいかに政治的思惑に支配されているものなのかを実感として理解することができ、非常に楽しかったです。」
このように言っていただけると、私としても非常にうれしく思います。M.ウェーバーの言うように(というより偉大な社会科学者の多くが同趣旨のことから出発しているのですが…)、社会現象は「無限の要素」が絡み合って成り立っており、環境という問題を考える場合も、非常に多様な側面から見ていく必要があります。今回、あなたが政治や経済的な「思惑」が非常に重要な要因となっていることに気づかれたとするなら、私の講義も意義があったということになり、うれしく思うわけです。
1-20 今日の講義は、貿易ルールの話でした。
様々な貿易ルールの解説の中で、
レモンの輸入自由化の話がとても興味深いものでした。
レモンの輸入自由化が、国内の政争に利用され、
生産量がゼロに追い込まれるということには大変な驚きを覚えましたが、
もっと驚いたのは、
一時は生産を追い込まれた、日本のレモン農家が、
現在再び復活しているということです。
淡路島の堆肥工場の話はあまりにも悲惨なものでしたが、
このレモン農家の話は政府や行政に頼らずとも、
消費者がしっかり食に関して目を向けた結果、
農家が元気になった典型的なcaseではないかと思いました。
一方、政府・行政の主導によってうまく行った農家のcaseなども
あれば紹介していただきたいです。たぶんあると思うのですが。
丸紅のトウモロコシのタンカーの写真も圧巻でした。
自分もできれば、行ってお話しを伺ってみたいです。
無理ですか?
それでは、今回はこの辺で失礼します。
p.s.
あまり講義に関係のないこと(?)をメールしたくないのですが、
興味があってお伺いします。
学会などで先生の居場所(?)がないと仰っていましたが、
それほど批判ばかりされているのですか?
講義を受けていると、批判されるのももっともだと思います。
ただ、先生は批判ばかりされていて、そのために
先生の意見・提言が反映されることなどはないのでしょうか?
レモン農家がわずかではあっても復活していることは、確かによい話といえるでしょう。結局は、消費者が生産者を育てるということであり、消費者の意識の高まりが今求められているとも言えるかもしれません。
「政府・行政の主導によってうまく行った農家のcase」は、もちろんあるといえます。というより、日本の農家は多かれ少なかれ、官僚主導の構造の中にあるわけで、行政との関連なくして成り立っているわけではありません。少しだけ話をした、渥美半島の電照菊を出発点とした施設園芸農家も、豊川用水という大きなプロジェクトの結果、経営発展が可能となったものであり、その意味では政府・行政が主導の例と見られないわけではありません。
トウモロコシの輸入現場のみならず、講義で話の出る様々な興味深い現場を皆さんに実際に見学させることは重要なことかもしれません。しかし、それは一般教育の範疇を超えると思いますので、あなたが所属する農学部で機会を見いだされるのがよいと思います。
【追伸】
出席メールをWebに掲載中に、あなたの出席メールにp.s.があることに気づきました。
あなたの疑問に答えるには、「むら」社会の論理がどのようなものなのかをお話しした後の方が理解しやすいと思います。第2部が終わった段階で、まだ疑問が解消していなければ、もう一度メールで質問してきて下さい。
1-21【第1信】 今回の授業では、最後のほうに日本の農畜産業について
取り上げていらっしゃいましたね。
私は、日本の農畜産業についてあまり分かっていません。
ただ、ゆがみがあるというのはなんとなく知っていました。
有機農業が大流行の昨今です。
野菜のブランド化によって、農業が栄えるのは結構です。
しかし、その裏にある問題も見ねばなりません。
有機農法で使用される堆肥には、畜産物の糞も使われます。
その糞に含まれる成分がよくなかったとしたら
有機農法も形無しということになります。
私達は、単に有機農法で作られた野菜ということだけで
満足してはいないでしょうか。
そこにサイクルが存在しているのだということを
忘れてはいないでしょうか。
言い出したらきりがないといったところかもしれません。
私は、日本の養鶏業と農産物販売関係のところを
見学してみたいと考えております。
他国で農業研修のインターンを受けたので
それと日本とを比較してみたいのです。
養鶏業に関してはどのように動物を世話しているか、
どこが機械化されて効率化されているのかを知りたいところ。
また、後者については現地でマーケットを開いていたため、
野菜の包装などに興味があるのです。
なんとか機会とこねがほしい今日この頃。
次回はムラ社会についてのテーマに突入するとの事で
とても楽しみです。
が、11月5日はのっぴきならない事情により
出席することができません。
申し訳ないです。
先生の授業はプリントだけでなく、話がおもしろいので残念です。
せめてHPで何をしたか確認したいと思います。
それでは、12日、またよろしくお願いいたします。
日本農業の歪み、もっともはっきりと理解していただけるのは第三部においてだと思います。
私の考え方からいえば、有機農業農産物が流行しなければならないような状況を生み出している構造そのものに問題がある、ということになります。しかしいずれにしろ、あなたの関心をさらに深く探究していくためには、あなたの周りの環境が許すのであれば、地球環境学舎の大学院修士課程に進学されるのがよいような気がします。有機農業の現場や、流通過程の現場をインターン研修で経験し、認識を深めることができるはずです。その後の進路に関しても、実務、研究ともに道が開けています。
【第2信】
前回のメールで(といっても多数あるでしょうから
記憶されているかどうかは分かりませんが)
「のっぴきならない理由により、次回は欠席」と申しましたが、
出席できそうな見込みが立ちました。
私はバングラデシュの農業研修センターで2ヶ月間
インターンシップを経験しました。
お忙しいこととは思いますが、時間があれば
http://goldenbengal.bblog.jp/ を見ていただけると嬉しく存じます。
その際、常に思ったのは自分が農業の実態について
いかに知らないかということでした。
現地のインストラクターからは、
たとえば生きた鶏から鶏肉へと加工する作業の際、
日本ではこれを機械で行っているとの事を聞きました。
実際にそれを見たことも聞いたこともなく、
普段お肉を食べているとき、それを考えたことがなかったことに
愕然としてしまいました。
また、現地ではできるだけ循環的に農業も行っていたのですが
日本での農業がうまく循環されていないことにも疑問を覚えました。
先生がおっしゃっていたように、農業は環境循環の
主たるものといっても過言ではないと思います。
しかし、その平衡の悪さのために損をしていますよね。
江戸時代にも、農業のゆがみ問題が起きました。
ある時までは人の糞尿を肥料とし、それが金銭をもって
売買されていたのに、人口増加に伴って肥料にするには
多すぎることになり、やがてお金を払って処理するにいたりました。
前者の時代には、うまくサイクルが回っていたことを意味します。
今も同様のことが起きているのではないでしょうか。
畜産物の量が多すぎて、それに穀物が追いつかず、
さらに肥料にするには過ぎる糞尿が発生しているのではないかと思います。
肉を食べてはいけないというのではもちろんありません。
バランスが問題だというのです。
数々のレストラン、定食屋のメニューを見ると
そこに広がるのは華やかな肉料理がほとんど。
廃棄される量が提供される量に比例することを思うと
お肉の廃棄量も相当に上ることになります。
お肉そのものだけでなく、その裏にある穀物の量も考えると
相当量になることが伺われます。
授業とは関係のない話ですが
先生の所属していらっしゃる、地球環境学堂について。
HPなどを見れば見るほど、進学したいと思ってしまいます。
ただ、その一方で、学堂は外の世界を見てきた人向きかなとも思うのです。
以前、小川先生と話した際にもそういうことをうかがいました。
今現在、就職か進学か進路を迷っているところで、
まして進学したい先がそんな学堂なので本当にいろいろ悩んでしまいます。
このメールが来ていると知らずに、先のメールの返信しました。他の方への返信もありますので、簡単に返信させてもらいます。
HPは、ざっとですが読ませてもらいました。バングラデシュでのインターン研修、非常によい経験になっていますね。
「日本ではこれを機械で行っているとの事を聞きました。」
これはその通りです。
「ただ、その一方で、学堂は外の世界を見てきた人向きかなとも思うのです。」
あなたに直接会って話をしたわけではないのにこのようなことを書くのはどうかと思いますが、私は、あなたが非常に地球環境学堂(研究部)・学舎(教育部)向きではないかと思っています。もし進学されるのであれば、いっしょに勉強しましょう。
2-4 先生の最初のお話の「ムラ社会」というのが印象的でし
た。
農業学(?)でも、法学でも、「ムラ」という概念は
日本人のものの考え方の根本にあるようですね。
私は心理学を勉強していますが、日本人の人との関わり
かた、自分の身の振りの決め方にも、やはり「ムラ」
「共同体」「ウチ」というような考え方が強く影響して
います。
畑作をとるか稲作をとるかで、ヨーロッパと日本の農業
社会は徹底的に異なるものとなった、というのには、と
てもびっくりしました。そんなことで!と思いました。
私は先生の雑談の方が好きです。これからもよろしく
お願いします。楽しみにしています。
「むら」社会、3回の講義では概要しか話をすることができませんが、それでも今後皆さんが勉強されていくきっかけにはなるのではないでしょうか。日本文化の原点は、やはり稲作文化であり、戦後間もない時期には日本人の50%近くが農家人口であり、その他の都市住民もその大半が農村出身者であったことを考えると、日本人のこころに「むら」社会のエートスが潜んでいても何ら不思議ではありません。
そのあたりを第2部で理解していただきたいと思っています。
2-46 今週の日曜日は体操の試合(@大阪教育大学)があったので少しお疲れですが、がんばって出席メールを書いていきたいと思います。
さて、講義では度々(というかそれがテーマなんで、当たり前なんですが)飼料を輸入して、畜産をおこなっているということを講義していました。そのとき僕の隣にいた友達が「運ぶのに十日ぐらいもかかっててよく腐らんよなぁ」と話しかけてきました。それで、今回の出席メールのテーマが決まりました。今回のテーマは、「抗生物質」です。
最近耳にすることが多くなったこの「抗生物質」なのですが、これは発見された(使用され始めた?)当時からすごい薬だとされてきました。当時癌よりも危険な不治の病とされていた結核をも治してしまうからです。しかし、最近になって、病院などで抗生物質が乱用(?)されるようになってきて大変なことになってきました。それが耐性菌です。この耐性菌には抗生物質が効かないのです。こうかくと少し誤解を招くかもしれません。つまり、耐性菌にも種類があって、ある抗生物質が効かないということで、効く抗生物質も存在するかもしれません。しかし、効果のある抗生物質が発見されると、次はそれが効かない耐性菌があらわれ、イタチゴッコ(?)が続いている状態です。このままでは、耐性菌はさらに強くなって、一度かかると死んでしまうかもしれないほど強力なものが現れるかもしれない、と細菌学者は懸念しています。
さて、こんな話が畜産にいったい何の関係があるんだ、と思われたかもしれません(多分思われてないでしょうが)。実は、外国から輸入されてくる飼料は抗生物質にジャブジャブつけられているのです。だから腐らないわけです。しかもその量は我々が病院で試用する量の比ではありません。こんな話があります。抗生物質を塗りたくったイチゴと何もしないイチゴをほうっておいたところ、何もしなかったイチゴはすぐに腐ってしまいましたが、抗生物質につけたイチゴは一ヶ月もの間ピカピカの状態だったそうです。さらに畜産用の豚(どう呼んでいいのかわかりませんが)等はすごい「過密」な状態で飼育されています。そのため病気にかかったりするわけで、そのときも抗生物質が使われるそうです。畜産に抗生物質は欠かせないものなのです。そのため先ほど述べた耐性菌が発生するようです。本来耐性菌は土の中にいる細菌などには弱いんですが、抗生物質は土の中にいる細菌などをやっつけてしまい、耐性菌が生き残ってしまうわけなんです。このままでは本当に細菌学者が心配しているようなことが起こるかもしれません。
我々は本当に外国から飼料を買って畜産をおこなっていってよいのか考えていかなければなりません。それも、単に自給率の点からとかではなく、日本、果ては人類の将来を頭に入れて。
僕は先生の批判するところをみるとやる気が出てくるので、もっと痛烈に批判していってほしいです。
3-28 今回の講義内容は前回と比較して格段に面白かったです。特に第1回でも見せてもらった、トウモロコシ輸入現場の写真は、数回のお話を聞いた今改めて重く感じました。。。
いつもメールの内容に悩むのですが…農業への企業参入のお話がチラッと出てきたのでそれについて思ったことを書きます。(講義の本題から外れていてすみません)
「企業」ときいて、ふっとユニクロを思い出しました。数年前、ユニクロで野菜を販売し始める…とのニュースは衝撃的でした。しかし約1年半という非常に短期間で市場から撤退してしまいましたよね。原因については多々あると思います(例えばネット販売の利点を生かしきれなかった、認知度が低かった、ユニクロ=衣料品の図式が定着していた等など)
現在では企業参入は規制されているとのことですが、ユニクロの場合は、直接経営していたわけではない(?)ので(SKIPという会社)企業参入の例とはならないのでしょうか?その辺はきちんと調べていないので、いずれ調べます。
ユニクロは失敗しましたが、おそらく農業に詳しく、かつ企業のシステムをうまく導入すれば、成功する企業も出てくると思います。
先生もおっしゃっていましたが、企業が農業をやる…というのはなんだか奇妙な感覚をおぼえます。難しいところですね、、
今週はお休みですが、来週の授業を楽しみにしています!
戻る
第5回目目次
第5回目表紙
作成日:2004年11月03日
改訂日:2004年11月03日
制作者:柏 久