第3回
出席メール
抜粋
1-13 10月15日の講義出席しました。
京野菜についてのお話のときに、「かね松」が出てきて驚きました。さらに上田さんと先生が同級生だったとわかって驚きました。実は私は現役応援団員です。私は上田さんと直接お会いしたことはないのですが、毎年新歓誌に広告をいただいています。意外なところでOBの方の学生時代のことを知ることができました・・・それにしても驚きです。
ところで、今日の講義の中でひとつわからなかったことがあるのですが。それは、計算式に出てくる数値の由来なのですが、「オリジナルカロリーベースの総合自給率は0.25/4×100=6.3%」の式で0.25が何のことなのかわかりません。その直前の式で算出された25%と関係があるのでしょうか。それともひとつの例として与えた値なのでしょうか。すみません、教えていただけるとありがたいです。
今日は、「経済発展とともに農業も変わる」ということを常に念頭において講義を聞いていましたが、最後の最後にガツンとやられました。今までは南北問題といえば日本を含む北の国々は裕福な側でしたが、発展途上の国がすべて中国のように経済成長を遂げて飼料用穀物を輸入に頼るようになったら・・・立場は大逆転、とわかってはっとしました。
そのような問題を起こさないためにどうすればよいのでしょうか。国の将来を見据えて政に携わっている人ならばきっと、飼料にせよ何にせよ、輸入に頼ることはしないと思うのですが、人口が増加して世界的に穀物が不足したとき自国だけの問題ではなくなる・・・かといってあわてて生産を増やそうとしても無理なんですよね?
なんだか何をどうすればよいのかわからなくなってきました。もう少しじっくり、考えてみます。
以上です。ありがとうございました。
上田さんとは、京大入学以来の親友です。私は彼を素晴らしい人間だと思っています。しかも奥さんはそれ以上の能力者です。
「0.25/4×100=6.3%」の式で0.25が何のことなのかわかりません」
説明が十分でなく、申し訳ありません。モデルの中では、飼料穀物に由来する熱量が3、鶏肉に由来する熱量が1になり、3は海外、1は国内に由来するので、両者の総合自給率は25%となります。しかし、鶏肉が100%と輸入の飼料穀物によって育てられるのですから、鶏肉に由来する1が国内で生産されたものと考えてよいかという問題が起こります。
それでは、どれだけが国内生産されたのか。これは見方によって変わってきます。0.25としたのは、飼料費の割合75%は海外に由来すると考えたからです。しかしこのように考えることがもっとも妥当かどうかはわからないところがあります。
食糧問題が、色々な意味で南北問題をはらんでいることは、間違いないと思います。
「人口が増加して世界的に穀物が不足したとき自国だけの問題ではなくなる・・・かといってあわてて生産を増やそうとしても無理なんですよね?」
その通りです。平成のコメ騒動の時、備蓄がなかったために、必要以上に騒動が大きくなりました。危機管理ということは、どのような場合にでも必要なことですが、こと食糧に関しては人間の生命線を脅かしますので、ことさら危機に対する備えが必要です。食糧の場合、備蓄も重要ですが、もっとも確実な備えは食料自給率をできるだけあげておくことです。100%自給の必要はありませんが、一定程度の食料自給率を保つことは、非常に重要だと思います。
1-27 今日の授業は前置きが長く、本題が短かったような気がします。
先生の雑談はとても興味深いのですが、次回からはコンパクトにまとめてください。
先生の批判する態度を批判している人もいるようですが、
今日のような静かな先生は物足りなかったです。
官僚を批判する先生の勇姿を見るのを楽しみにしている受講生もいるのです。
発展途上国が経済発展すると、飼料穀物の需要が増大し、価格が上がるので、
畜産物は自給し、飼料穀物を輸入に頼っている日本には大打撃だ、
というのを聞いて納得しました。
自給率の問題は、国際情勢など様々な社会問題と関連しているのですね。
その自給率が、計算方法によって30ポイントも差があるというのは、
かなり問題だと思います。
農水省は早く統一すべきですね。
「今日の授業は前置きが長く、本題が短かったような気がします。」
その通りだと思います。しかし、私の経験からいうと、講義というものは、むしろ雑談の方に意義があり、後々まで覚えているのはこちらの方のような気がします。また、私の講義に対する考え方からいっても、雑談も本論と関係なしにしているわけではなく、それを題材に皆さんが色々と考えてくれることが、本論以上に有意義ではないでしょうか。
「先生の批判する態度を批判している人もいるようですが、
今日のような静かな先生は物足りなかったです。」
ご支持、ありがとうございます。頑張って批判をつづけます。
「発展途上国が経済発展すると、飼料穀物の需要が増大し、価格が上がるので、
畜産物は自給し、飼料穀物を輸入に頼っている日本には大打撃だ、
というのを聞いて納得しました。」
しっかりとした理解です。
「農水省は早く統一すべきですね。」
供給熱量自給率が『ポケット農林水産統計』に現れたのは、ようやく1990年です。1988年に農水省の態度が変わったという、私の主張の証拠ではないでしょうか。そして、両自給率の併記が1996年までつづき、1997年からは金額ベースの食料自給率が消え、2001年に復活しました。これほど農水省の立場を明瞭に表しているものはない、と私は考えています。
1-11 先生が何回か言われた農業は環境保全に役立つという言葉が気にかかりました。確かに土地をビル街にしてしまうよりは農作物が植わっていたほうが見た目にも人の心の保養になったり空気清浄化作用をもたらすという観点からは環境によいといえるかも知れないけれどもしようされる農薬や堆肥また温室がもたす地球温暖化作用などを考えると一般に行われている農業は環境によいとはとてもいえないと思うからです。そういう意味で私は自然農法にとても興味があります。
農業が環境に優しいというのは、工業に比べて、という相対的なものでしかありません。今の日本農業が環境に対して負荷を与えている、ということは私の主張でもあります。とりわけ畜産が加工型になっていることは、土壌や水に大きな悪栄養を及ぼしています。だからこそ、農業のあり方を変えていかなければならないのです。
新しい農業のあり方として自然農法も注目に値するものです。これについてもどこかでふれるつもりです。
1-12 おつかれさまです。
早く出していますが別に返信は要りません。
単位が欲しいです。(当方4回生)
一番言いたいことと言っていた「農業のゆがみ」が
どのようにゆがんでいて何が悪いのか今ひとつわかりませんでした。
理由として示されていた、
カロリーベース自給率、オリジナルカロリーベース自給率なども
よく分からなかったので
早速さっきウェブ上の情報を調べてみました。
オリジナルカロリーとは家畜を食べた量(なんかギョッとする言い方ですね)を
その肉を作るために使われた炭水化物に換算して
表すものらしいと分かりました。
じゃあ授業で言われていた
「鶏肉のオリジナルカロリーベースの自給率」ってなんでしょうか?
ぼくは
「国内の鶏肉の(量)自給率」
×「鶏肉を作るのに使われた国内産炭水化物の割合」
と解釈しましたが、
そこからは、それが低いとは
「飼料を極端に輸入に頼っている」
しかでてこない気がします。
オリジナルカロリーベースの自給率が低いことは悪いことなのですか?
ということが今ひとつ理解できてないです。
そりゃ外国から輸入が出来ないような世界情勢になれば危ないですけど、
その時には石油とかも全部のっぴきならない非常事態になっていると思います。
単純に現在の自給率からは評価できないような気が。
また、トウモロコシを牛に換える(換えるって言うと変な気がするけど)と、
カロリーは減りますが価格は上がっています。
経済的にはオリジナルカロリー自給率の低さはぜんぜん欠点でなく見えます。
カロリーだけが食品ではないので、
それだけで言われてもなぁとも思います。
芋ばっか食って生活したくありません。
そういえば、余り関係ない話ですけど
うちの地元は田舎過ぎて、歩いていけるところに生鮮品のお店がなく、
車を持たない近所のお年よりはどうしてるのかなあと思ったことがあります。
自分ちで作ったお米や野菜なんかを主に食べて暮らしてたようですが《文字化け》
数年前、栄養失調で救急車で運ばれました。
そんな感じで。
農業事情に疎くゆがみなども感じていないぼくには
何を必死にやばいと言ってるのか、合点が行かずに授業を聞いていました。
「単位が欲しいです」
私のシステムでいけば、きちんと出席してメールを送れば、単位を落とすことはないはずです。
「どのようにゆがんでいて何が悪いのか今ひとつわかりませんでした。」
そこまで話していませんので、当然にわからないと思います。ただ、前期に「地球環境学のすすめ」を履修し、私の1回だけの話を聴いた人たちは、漠然とかもしれませんが理解していると思います。次回、写真を見せながら、お話ししたいと思います。
「「飼料を極端に輸入に頼っている」
しかでてこない気がします。」
結論として、その通りです。飼料をほぼ輸入に頼っているということが、金額ベースの食料自給率と熱量ベースの食料自給率に30%の開きをもたらす原因なのです。そのことを説明しようとしました。この2つの食料自給率を、農水省が恣意的に、都合のよいように使ってきたということが問題だと考えています。
「芋ばっか食って生活したくありません。」
同感です。だからこそ日本農業のあり方を変えていかなければならないのではないでしょうか。
「何を必死にやばいと言ってるのか、合点が行かずに授業を聞いていました。」
少なくとも、第3回目の授業では、必死にやばいといったつもりはありませんが…。
1-31 今時農家なんて儲からない、というイメージを持っていたので、凄い高収入の農家もあるということに驚きました。
確かに野菜のブランド化は暗くなりがちな日本の農業界に光をもたらしたかもしれませんが、個人的には、どうも「ブーム」に終わってしまって、いつかは消費者に「飽きられる」ような気がして不安です。
「鹿児島産の『賀茂なす』」の話が出ていましたが、最近、よろしくない表示が多いようです。何だったかは忘れてしまったのですが、取れた場所は全然別の場所なのに、加工したのはここだから、と、有名な産地の名前を付けた加工食品は見たことがあります。偽りの産地表示については頻繁に報道されていますが、あれは氷山の一角のような気がします。野菜のブランド化は、そういう偽装があふれかえった要因の一つだったのではないでしょうか。(そういう偽装があふれかえったことによる「被害者」の一人でもあるかもしれませんが。)
とはいえ、そういうものの中にも、パッケージの裏に小さく本当の産地が書いてあったりするものが結構ありますが、それでも買ってしまう消費者がいるのは、やはり消費者の意識が低いということなのでしょう。僕ら消費者はもっとそういうことに関心を持つべきだと思います。
ですが、何より業者の程度の低さは問題だと思います。買う度にいちいちチェックしないと「本物」かどうか分からないほど(というかチェックしても素人には結局分かりませんが)、産地偽装やそれに近いことが当たり前に行われているというのは、かなり異常なことではないでしょうか。そんな状況を平気で生み出している食品会社や、それを許した社会にも問題はあるのではないでしょうか。
食品関係に限らず、最近の日本の企業は全体的に信頼に欠ける印象があります。日本人は何か大事なものをなくして行っているような気がして悲しいです。
話は変わりますが、市街地の農地は環境保全にもなるということでしたが、それだけではなく、外で遊ぶことが少なくなったと言われている最近の子供たちには、貴重な遊びと学びの場でもあるのではないでしょうか。
僕は小さいころ、近所の田んぼで泥だらけになりながら友達とおたまじゃくしやカブトエビを追っかけまわしていましたが、そのことは今でもはっきり覚えている楽しい思い出です。
僕の家の近くには(割と市街地であるにもかかわらず)田んぼや畑がたくさんあったのですが、ここ数年、近所の水田や畑が次々とマンションや駐車場に変わって行って、凄く寂しいです。マンションだと日当たりも悪くなるのでかなり嫌な感じです。
勝手で無責任な希望ですが、今、市街地(近郊)にある田畑には、できる限り残っていてほしいです。
いつも大量のメールの確認・返信、お疲れ様です。
(HPや写真、プリントなども含め)授業準備も物凄くきっちりされていて、準備にかけられた時間と労力を思うと本当に頭が下がります。(ここだけの話、微積の○○先生にも少しでも見習っていただきたいです。)
先生の負担は大きいと思いますが、この授業形式は大変価値があると思うので、残りの授業も頑張って下さい。よろしくお願いします。
それと、確かに愚痴や文句みたいな批判ばかりになってしまうのはまずいと思いますが、日本農業のゆがみを考えていく上で、批判の姿勢は必要不可欠だと思います。個人的には批判が多いのも先生の授業のいい所だと思っています。
確かにブランド化は一時的ブームに終わるケースが多いかもしれません。京都府庁と農協が推進している京野菜のブランド化は、首都圏への販売を目指したもので、この場合も例外ではないかもしれません。しかし上賀茂の京野菜は、それとはかなり性格の違うものです。写真が用意できなかったので話をしませんでしたが、農家のおばちゃんの「振り売り」によって、消費者(京料理店を含む)と直につながり、京の食文化に根ざしているからです。地産地消の典型かもしれません。
今後の日本農業のあり方を考えるとき、地産地消、産直は重要なキーワードになるような気がします。
また上賀茂の京野菜を支えているのは、「すぐき」という漬け物であり、これは愛好家の間では根強い人気を誇っています。簡単に消えていく性質のものではないように思います。
「僕ら消費者はもっとそういうことに関心を持つべきだと思います。」
まさにその通りです。偽装問題をトレーサビリティーを高めることによって解決しようと農水省は考えているようですが、それは農水省の仕事を作っているだけかもしれません。それよりも、地産地消の圏域における信頼関係の構築が重要なのではないでしょうか。
「日本人は何か大事なものをなくして行っているような気がして悲しいです。」
これもまったく同感です。「むら」という狭い閉鎖社会で衆人環視の中で生きていた構造が崩れはじめ、新しい秩序を構築しなければならない時期にきているのに、新しいものが生まれてこない。そういった、過渡期の現象なのかもしれませんが、やはり一日も早く、日本人の心を取り戻さなければならないと思います。
「今、市街地(近郊)にある田畑には、できる限り残っていてほしいです。」
ここでの主張にも賛意を表します。都市計画の中で、農地を配置していくことは重要なことだと思います。
「先生の負担は大きいと思いますが、この授業形式は大変価値があると思うので、残りの授業も頑張って下さい。よろしくお願いします。」
頑張りたいと思います。
「個人的には批判が多いのも先生の授業のいい所だと思っています。」
ご支持、ありがとうございます。
1-32 今回は講義のその日のうちにメールをすることにします。
さて、第3回の講義についてです。
いろいろ学生の方から指摘がありました。
「農業について暗い話が多い」など。
確かに日本農業は苦境に立たされている感じがありますが、
今回の講義でそんなことばかりではないというのを再認識しました。
というのも今年、2回ほど市内の有機農家の方にお話を訊く機会があったのですが、
どちらも、農薬を使いたくないという一心で頑張っておられるようでした。
僕の興味はグローバリゼーションによる日本農家の影響だったのですが、
「食料自給率の低下など、悲観的なことはあるけれども、
泣き言は言ってられないので、
付加価値を付けながら、農業を営んでいくんだ。
消費者に喜んでもらえるような農業をしたい。」
というような返事をもらいました。
今回は自給率の話が中心だったと思うのですが、
いろいろ目からウロコのような話がきけました。
もっといろんな真実を知りたいです。
僕が取材した農家の方も、自給率の量り方について、
いろいろいっておられたのを思い出しました。
先生の仰るように、自給率は70%ぐらいでもいいのかもしれないですが、
自給率うんぬんではなく、日本全体が、自国の農業にもっと目を向けるべきですし、
日本の農家が元気になるような政策がいろいろ出されればと考えます。
特にまとまりはないのですが、今回はこの辺で終わります。
有機農業農家のご主人が話されたこと、頼もしいですね。意識の高い農家の方々は、自らの任務と進むべき方向を自覚しておられます。そのような人たちを支援しないで、芽を刈り取ってきたのが、これまでの政府の政策だったと私は考えています。
「自給率うんぬんではなく、日本全体が、自国の農業にもっと目を向けるべきですし、
日本の農家が元気になるような政策がいろいろ出されればと考えます。」
その通りだと思います。しかし、日本農業の担い手が農家だけでなくてはならないかどうかは、考えてみる必要があります。
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第4回目目次
第4回目表紙
作成日:2004年10月21日
改訂日:2004年10月21日
制作者:柏 久