第1回
出席メール
ページ2(抜粋)
- 2-3 前半、メールで出席をとるという発想はとても面白かったです。こういう柔軟な授業
がもっと頻繁に行われるようになれば楽しいと思います。
後半、授業内容に触れた部分では、自分がどんなに世間に一般的に広まっている「通
説」のなかで生きているかを一つ教えてもらえた気がしました。具体的には、人間の
それに匹敵する家畜の穀物消費量と、農業廃棄物、コンクリートで固められた水田と
いったあたりでしょうか。思ってもいないインパクトを受けました。その一方で、現
実を知ることで多少なりとも自分の立場を変える機会に恵まれてよかったと思いま
す。
これからの授業、積極的に自分の考え方を変えていけるように注意しようと思い
ます。よろしくお願いします。
出席メールを気に入っていただき、ありがとうございます。出席メールと教育については、次回、もう少し話を追加したいと思っています。
決して真実とは言えない通説がまかり通っているだけではなく、その言葉の意味がはっきりしていないにもかかわらず、あたかもわかったようにして使われていることが多すぎるように思います。環境と農業の領域において、その点を明らかにしていきたいと思っています。
- 2-6 僕は柏先生の授業を受けたことがなかったので、最初はどんな方なのだろうかと思っていたのですが、柏先生の授業に対する姿勢には大変感動しました!
具体的に言うと、授業時間を学生にとって、都合のよいように設定されているということや、柏先生が「試験をすることで、自分の講義の評価をする」とおっしゃられたことなどです。
今まで僕が授業を受けた京大の先生方は、本当に一方的な授業をされている方ばかりだったので、柏先生の双方向の授業が楽しみです。
また、環境問題と聞くと、温暖化や森林破壊、酸性雨などということばかりだと思っていたので、農業も環境問題の一要因になっていると知って驚きました。
確かに農薬などの問題もありますが、そういう問題に焦点が当てられることは少なく、例え当てられても、それは人間に悪影響であるということばかりが言われているような気がします。これからは農業とは、環境に負荷を与えるという一面もあるのだ、ということが人々(特に農業に関係する官僚達)に意識されていけば良いのですが…。
さらに、日本社会のあらゆるところに見られる「官僚主導型構造」を改善させつつ、国民が一体となって、農業をはじめとする環境問題やその原因を突き止め、地球環境を守っていく必要があるのだと思いました。
話は変わりますが、環境形成基礎論が休講になっているのに、メールを送ってくる猛者は京大にもいると思います(笑)むしろ私大より、京大の方が多そうです。
「柏先生の授業に対する姿勢には大変感動しました!」
評価していただき、ありがとうございます。私は、今の大学教育に対して、一家言持っています。講義の合間に大学教育について話していきたいと思っています。
私は、農業と環境という問題を題材にして、皆さんが「物事を深く考える」(私はそれが哲学の基本だと思っている)とはどのようなことかを示したい、と思っています。
私は、最近の京大生の全学共通科目に対する姿勢を、自分の息子たちを通してしか理解していません。そこからかいま見えるものは、あなたのいわれることが正しいかもしれない、ということです。
- 2-7 環境形成基礎論第一回目講座に出席させていただきました。
講義では 「農業哲学」という分野がどういうものなのか 興味を持ちました。
また、日本の農業を畑違いの官僚が支配している矛盾を強く感じさせられました。
今後とも宜しくお願いします。
私の現在の専門は、「農業哲学」ではなく「農学哲学」ですが、農学哲学の根底には農業哲学があるのかもしれません。農業哲学は農業論とも表現してもよいものであり、哲学する人の持つ、価値視点が重要になります。講義の中で、私の価値視点(それは環境と農業に対してだけでなく、あらゆるものに対して共通する)を示すことができれば、と思っています。
- 2-13 1回目の先生の授業に出席してみて、先生の授業に対する熱意を感じました。京大
以外の授業で私語が多く、お困りになられたが、そこで折れずにその対策として授業
内容に関するメモを書かせることで、それまでの劣悪な授業環境を一変させたっとい
た先生の教育者としての真摯な姿勢に感銘を受けました。たぶん、先生の授業を聴講
していた生徒は皆同様に思っていることと思います。今まで指導していただいた先生
の中では、そうした授業をより良くしようという姿勢が前面に感じられる教官はほと
んどいませんでしたから。
授業で1年間の家畜の排泄物は日本人の1年間に食べる米
の量の3倍にもなり、国はその処理しきれるはずの無い量の家畜の排泄物を適切に処
理していると言っていると先生から聞いて、驚きました。農業を理解していない文1
の官僚がピラミッド型のヒエラルキーの頂点に位置し農業政策を取り仕切っていて、
自分の管轄している農業を理解しようと努力するものは数少ないという話を聴いて、
官僚にも国家1種試験を通って官僚になったら学習するのは終わりというのでなく、
その官僚が取り扱っている分野に対して、その分野の研究者や技術士と対話を図り、
一緒になってどうしたらよいのか考え、官僚自身が責任を持って、その分野に関して
学習し続けることが大切だと感じた。
「授業をより良くしようという姿勢が前面に感じられる教官はほと
んどいませんでしたから。」
私は、学生時代以来、他の先生の講義を聴いたことは1度しかありません。自分の専門について、どのような講義が行われているか知りたかったので、半期の間、学生さんといっしょに聴かせてもらいました。しかし、その講義に熱意はまったく感じられず、これでは学生さん達がかわいそうだと思いました。最近、その講義の担当教員が変わったので、聴講したい旨申し出たところ、ご本人からではなく、学科長からご本人が聴いてほしくないと言われている、その意思に反して聴講すれば人権侵害だという趣旨の文書をもらいました。このようなことがまかり通るところで、まともな教育が行われているとは思えませんし、このようなことでは、教育だけでなく、研究に対してさえ疑問符が打たれます。
私は、このようなことが京都大学で普遍的にあることだとは思いたくありません。ただ、京都大学では、たとえどんなによい教育をしても、それによってその人が評価されるシステムになっていない、ということだけは確かです。これでは教員が教育に力を入れず、研究にしか関心を持たなくなっても仕方ないといえるかもしれません。
「官僚がピラミッド型のヒエラルキーの頂点に位置し農業政策を取り仕切っていて、」
私は、官僚の世界に限らず、ヒエラルキー構造というものそのものの必要性に疑問を感じています。組織運営においてヒエラルキーがなければうまくやれない、という考え方は間違っているのではないか、と思っているのです。必要なことは、役割分担だけです。日本の場合、ヒエラルキーは年功序列に基づくことが多いのですが、役割分担に適切な年齢がある場合もないとはいえないものの、結局は、その役割にあった人を配置することが重要で、年齢は関係ありません。若いリーダーに年配の人たちが手足になって働く方がよい場合はいくらでもあります。
これからの時代を担っていく人たちは、先入観を捨て去り、どんどん新しいものに挑戦していくべきだと思います。
- 2-17 出席しました。すでにA群はたりていますが、とても面白い内容のようなので履修しようと思っています。
中山間地では酪農がいいのではないかとおっしゃっていましたが、どうして放っておいて森にするのではだめなのですか?森は降った雨を地中に蓄えておく力が大きいですし、なにより農業をやりたいと思っている人がどんどん減っている現状にあっていると思うのですが。
ところで、僕は石川県出身なので、能登の棚田も見に行ったことがありますが、あれはきれいですよね。5月にいったのですが、若い稲の緑と海の青がとてもきれいで驚きました。あれはお金をかけてでも後世に残す価値があると思っています。維持するのはとても大変だという話も聞いたことがありますが。
「どうして放っておいて森にするのではだめなのですか?」
私は野山でチョウを追いかけることが好きで、あなたのこの発想が間違っているとは思いません。ただ、森を維持することも決して易しいことではありません。今、日本の森は荒れている、ということに間違いはありません。
棚田については、景観が美しいからという理由で、保護してまで残さなければならないものは、限られていると思います。それはあくまでも文化価値という意味で残さなければならないだけです。それでは多くの棚田はどのように利用すればよいのでしょうか。森に返すのも一つかもしれませんが、それでよいのかどうか、そのようなことを講義で深く考えていければと思っています。
- 2-24 PoworpointではなくHTMLで講義をし、それをWeb上にupするというやり方は興味深く、後からノートを参照できるという事もあり非常に便利だと思います。
HTML文書による講義を評価していただき、ありがとうございます。私にも初めてのことで、ノート作りが大変ですが、それなりに効果があると思いますので頑張ります。
- 2-25 柏先生の
「双方向授業を目指す」という姿勢がすばらしいと思います。
われわれ生徒(特に1回生)にとっては教授は研究者である前に先生ですのでより教養を蓄積するために先生に教えを乞わねばなりません。
教える立場にある先生が傲慢であるならば、われわれにとってこれほど悲しいことはないと思います。
授業について。
実際の現場の情報を交えてくださったので非常にわかりやすかったです。
環境問題に興味はありますが、まだ所詮興味でしかなくたくさんの情報を仕入れて最終的に自分の意見を持てるようにしたいです。
それでは、よろしくお願いいたします。
今日、大学に対する社会的要請は大きく変わっています。近代大学においては研究と教育が表裏一体になっていましたが(フンボルトの理念)、大衆化した現代の大学では、必ずしも研究と教育が合致しません。教育を放棄する大学は研究大学(教育は研究者志願の学生の教育のみ)に特化すべきです。現在の京都大学は、方針がはっきりせず、きわめて中途半端な状態にあるような気がします。
- 2-31
シラバスに載っていた項目から、最終的には日本の農業を保護しろという結論になる講義だろうという先入観を持ち、講義に出席しましたが、取り扱われている問題はそんなた易いものではないようです。「農業は環境保全にもなる」ということすら今まで考えたことがなかった僕にとって、「現実問題、果たしてそうなっているのか」検討することはもちろん全く新しい発想であり、これからの講義にとても興味を持ちました。
私は単なる農業保護論者ではないと思っています。先進国にとって農業保護は必須かもしれませんが、今の日本における農業保護のあり方は間違っていると考えています。
農業の多面的機能にしろ食糧安保論にしても、間違っているわけではありませんが、それがもっぱら今の農業保護のあり方を正当化するために使われているところに問題があります。そうした点を、今後の授業で明らかにして議論をしていきたいと思っています。
- 2-32 感想
第一回目の講義ありがとうございました。講義の中身はまだ始まりませんでしたが、イントロだけでも、先生の熱意を感じました。全員に返信されるのも、本当に大変な事と思います。ご苦労様です。以前、『学ぶ』とは『真似る』ことだと聞いたことがあります。先生の熱意を真似、後期からの授業頑張らせて頂きます。
講義内容も農学ながら、それ以外の分野からのアプローチをするという斬新な姿勢がとても興味をそそります。部屋を正面からみても、裏のホコリはなかなか気づきませんし、気づいていても、軽視したりしがちです。しかし、そういった分野から新たな発見があるものだとも思います。これからの講義、楽しみにしています。よろしくお願いします。
食糧環境経済学科の学生さんとのこと、あなたは私の後輩ですね。日本の社会はどこをとってみても閉鎖的な「むら」構造となっており、その中にいる限り安住できます。しかし「個」の開放はなく、本当はきわめて不自由なのかもしれません。
昔読んだ宮本常一の書物あった「むら」からのはぐれ者の話がいつまでも気にかかっています。人間の幸せがどちらにあるのか。私ははぐれ者の道を選び取りましたが後悔していません。若い世代がどちらを選び取っていくか、私は大きな興味を抱いています。
- 2-34 環境形成基礎論第一回の出席メールを以下に書きます.
僕は前期の『地球環境学のすすめ』で先生の講義を受け,とても興味を抱いきました.
従来の環境の専門家の正論にどこか限界を感じ,もっと違った視点から環境問題を捉え直してみたいと思ったからです.
環境問題と社会構造の関係やその哲学的考察といったテーマは新鮮に感じました.
正論とは何か、これを考えることは非常に重要だと思います。私が研究対象にしてきた農業の分野では、専門家の主張は、私には正論とはまったく思えません。私は正論を求めて研究してきましたが、それは私をどんどん孤立化させました。学会とはある一定の見方を集団的に正当化するためのものにさえ思えます。もちろんそれは研究分野で異なるのでしょうが、メンデルの法則が長く学会で認められなかったことから見ても、学会というものそのものに私のいうような面があるような気がします。
- 2-36 日付:授業日は10月1日(”日付”というのは授業日の日付でいいのでしょうか)
- 2-43 田舎の生まれで、田んぼを見ながら育ち、農業に興味があって受講します。日本の農業が今後どうなるのかとても興味があります。
農学部の学生だけでなく、少しでも多くの京大生が農業に関心を持ってくれれば、私も非常に満足です。
- 2-46 環境形成基礎論の第一回の授業に出席しました。
柏先生の授業は前期の環境学のすすめの授業で受けたことがあり、やまち酪農や今の日本の農業についての無駄なところや問題点について考えさせられました。
今朝の新聞に「カブトムシおじさん」という、農業に用いる牛糞の堆肥を使ってカブトムシを育てるおじさんの特集がありました。本来ならこれは排泄物処理法違反で違法なのですが、25年続けてきたことが評価され、特別に特区として認められたそうです。しかもカブトムシを育てた後の堆肥を使うと農作物がよく育つそうで、これぞ循環型農業だ、なんて書いてありました。これが本当に環境にいいかどうかはわかりませんが、カブトムシによって子供たちに楽しみを与え、よりよい農作物を作るための堆肥作りとなっているのはユニークでいい工夫だと思います。
今の日本にとっていい農業の工夫とはどんなことかを考えながら、循環型農業、循環型社会について、授業を聞きながら考えていければいいなと思います。
「カブトムシのおじさん」の話、おもしろいですね。農業者の創意工夫を妨げる構造になっている点に、日本農業のもっとも大きな問題があるように思います。また、子供が自然の中でカブトムシを採集するのではなく、飼育されたものを買う、というところに現代の以上をかいま見るような気がします。農業と環境を中心に、現代社会の問題点をえぐり出していきましょう。
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第2回目目次
第2回目表紙
作成日:2004年10月06日
改訂日:2004年10月06日
制作者:柏 久