第1回
出席メール
ページ1(抜粋)
- 1-8 シラバスを見て興味を持って出席しました。
農業には昔から興味があります。
何か本当に大変なことが起きた時に
一番頼りになるのは農業ですし
工業よりは親しみもあります。
今日の講義を拝聴致しまして、
これから農業についてより知って、
また考えて行こうという気持ちになりました。
講義の中でよく分からなかったのは「環境」についてです。
先生はどういった意味で
環境という言葉を使用されているのでしょうか。
人間の手の加わらない自然の姿そのものといった
意味ではないと思うのですが、
かといって人間がそこで暮らしていく環境一般を
広義に差しておられる訳でもないように感じました。
説明して下さると嬉しいです。
私の下手な文章の意味が
お分かりいただけないかも知れませんので
先に謝らせて下さい。すみません。
それでは次回からの講義も楽しみにしていますので
半年間よろしくお願いします。
**様へ
出席メール、無事到着しています。半期という短い間ですが、環境と農業をめぐる様々な問題について、いっしょに考えを深めていきましょう。
環境という言葉は、確かに非常に包括的な内容を持つ言葉です。観念的には人為がまったく加わらない自然環境というものが想定でき、他方では、完全に人為のみで作られた環境が想定できます(ただ、現在の地球を前提にするなら、両極はあくまでも観念上のものだといわざるを得ないでしょう)。
要するに、環境の善し悪しというのは相対的なものでしかありません。
今日、産業革命以降の驚異的な科学技術の発展は人間に豊かさをもたらしたと思われていますが、その科学技術が地球の環境を人間が生存できないようなものにしてしまう悪魔だったのではないか、という疑問が、広がってきました。
そして今、われわれが考えなければならないことは、いつまでも人間が生存できる地球をまもるために、人間はどのような生き方を選択すべきかということです。すなわち相対的な環境のどこに、われわれが定位すべきかということです。
私は、このような認識の上に環境という言葉を使っています。
なお、あなたの出席メール到着順は、8番目でした。
柏 久
- 1-10 出席メールを送るという体験は初なので何か新鮮な感じがして、さっそくメールを送ってみました。
そもそも実は今の時代に私はパソコンからメールを送るというのがこれが初めてなのです。しっかりと送れているかどうか少し心配です。
でも、講義をしてくださる先生とこういった形で対話とはいわないまでも、意見を言える場があるのはとてもすばらしいことだと思います。来週からも積極的に講義に参加したいと思います。
p.s.
今日のガイダンスで阿蘇山の写真を見たときに、私は中学校の修学旅行のときに登った阿蘇山の風景を思い浮かべて何だか懐かしくなりました。
これからの時代、コンピュータを使えなくては、生きていく上で非常に不利になると思います。パソコンを使いこなせるようになるよう、頑張ってください。
出席メールに対する評価、ありがとうございます。出席メールに返信することは、教師にとって楽なことではありませんが、その教育効果は絶大だと思っています。あなたからの素晴らしい出席メールを期待しています。
私は、草原の景観が好きです。少年期の原体験が影響しているのかもしれません。阿蘇の素晴らしい景観がいつまでも維持されてほしいものです。
- 1-13 前期に「地球環境学のすすめ」を受講し、先生の「やま地」農法の話に興味を持ったので、後期に「環境形成基礎論」も受講することにしました。
官僚主導型の政策は、発展途上段階には強力な指導力を発揮するものと思いますが、様々な産業が複雑多岐化した今日の日本社会では、改善すべきところも多いと思いました。淡路島につくられたコンクリートの水田の写真を見ると、やはりそれぞれの産業において専門家や現地の人の声が生かされるような政策決定が必要になると改めて感じました。
後期もよろしくお願いいたします。
「官僚主導型の政策は、発展途上段階には強力な指導力を発揮するものと思いますが、」
その通りだと思います。明治維新以降、日本が急速な近代化を実現できたのも、戦後の驚異的な復興を成し遂げたのも、ある意味、日本の官僚主導型構造が大きな役割を果たしたことは間違いありません。しかし日本が成熟段階に入った今日、この構造は人間性をゆがめる原因になっています。その点を、農業と環境を題材にとりながら、皆で考えていきたいと思っています。
- 1-19 講義おつかれさまでした。興味ある内容なのでこれからも続
けて出席したいと思います。
僕の日本の農業に対するイメージは、やはり農水省による官
僚支配、また農水族の過保護というものがつよいです。農水省
が権益のために、水があまっているのに農業用水から工業用水
への変更認めない。また、農業関係の票のために外国とのFT
A交渉がなかなか進まないといったものです。
僕は、農業への株式会社参入などの改革をぜひやってもらい
、それによって海外に対しても競争力がつき、自給率もあがる
んじゃないかと思っています。もちろん普通の農家の人への補
助も必要だと思いますが。
これまで、あまり農業による環境問題への影響、メリットデ
メリットとか考えたことがなかったので、この講義で学んでい
きたいと思います。
官僚主導型農業構造のことだけでなく、既得権益(農業用水の問題を含む)、FTAの問題、すべて話をする予定です。また農業への株式会社参入の問題(これも既得権益の一つ)は非常に重要な問題であり、このこともお話しするつもりです。これらの問題について、いっしょに考えていきましょう。
- 1-20 先生が私たち学生のことをよく考えて講義なさっていることに正直驚きました。これは早く終わるとかそういったことではなくて、どうやったら講義に関心を持つのかとか、双方向の教育ができるのかを模索なさっている点です。
大学に入ってから、当たり前ではありますが先生方はほとんど干渉しないというか、学生に関心がない感じで投げやりな感じの講義も多かったからでしょう。一人きりの学習にはいま一歩力の足りない私にとってはありがたいです。
それと私の実家は熊本なので阿蘇の草原の映像は心が和みました。
講義において板書に要する時間はかなり長いものがあります。板書したことを学生さんたちが書き写すということは、教育上よいのですが、私の講義ノートをスクリーンなどに映し出して講義し、その講義ノートをWebに掲載するとなると、板書することの意味が非常に薄くなってしまいます(学生さんも書き写すことがなくなるでしょう…)。その結果、講義時間が短縮されることになります。今後、前回の出席メールのいくつかを取り上げ、本論とは別に話をするつもりをしていますので、講義時間は1時間15分くらいになるのかもしれません。いずれにしろ、このような形式の講義をするのは初めてですので、わからないところがあります。
「大学に入ってから、当たり前ではありますが先生方はほとんど干渉しないというか、学生に関心がない感じで投げやりな感じの講義も多かったからでしょう。」
「先生方がほとんど干渉しない」ということは決して当たり前のことではないと思っています。京都大学は「自学自習」をモットーにしており、そのこと自体否定すべきことではないかもしれませんが、私にはそれを隠れ蓑に、先生方がサボっているようにしか思えません。その根底には、先生方を評価する基準に教育ということがまったくと言っていいほど入っていないことがあります。立身出世を目指している限り、得にもならない教育に力を入れることは損であり、えてして投げやりになるのだと思います。この点についても、皆といっしょに考えてみましょう。
火の国の阿蘇は素晴らしい所ですね。何度いっても、そのすばらしさに感動します。お見せした写真が私の撮った写真でなかったことが残念です。(写真などの映像に深い関心を持つようになったのがつい最近なもので…。)
- 1-21 早速、今日の講義への出席メールを送らせていただきます。
農業を守ることは、本当に環境を守ることにつながるのだろうかという疑問が、私にはあります。農業に限らず、「古き良きもの」をお金をかけて頑迷に守っていくというのが私にはわかりません。たとえば、京都では、積極的に町屋に住もうという動きがあります。しかしながら、このバリアフリー時代にあって、町屋を守ることは、本当に理にかなったことなのでしょうか。現代のお年寄りには住みにくく、若者は一時のブームに乗っているだけです。長年あのような形態の家に住み続けてきたのには、それぞれの時代に見合った合理性が存在したからで、現代に町屋を残そうとするならば、その合理性を見出し、現代にいかせるようでなければ、意味が無いように思うのです。
話がそれてしまいましたが、本日の講義を拝聴し、農業を考える上でも、このような視点が必要だと思いました。文化的価値を認めて棚田を保存することには別の意味があると思いますが、現在と将来の食糧生産手段たる農業を考えたとき、そこに意義を見出すのは容易ではないと思います。能登出身の私には、棚田の美しさも、維持することの困難さもわかります。「環境のため」と保存を主張するには、根拠が弱い気がしてなりません。持続可能な生産とは、単に、‘当時は持続可能と思われた’昔のやり方に戻るのではなく、それらを踏まえたうえで現在の社会構造・経済・自然環境を考え合わせ、新たなシステムを構築するくらいの心構えがないと不可能だと考えます。しかしながら、その試みの結果がコンクリートで固められた水田だというのなら、お粗末としか言いようがありません。(官僚を批判して済む問題でもないと思いますが。)
この講義を通して、農業の本質、食糧を生産することの本質を捉えた上で、現代と将来の食糧生産および流通はどうあるべきか、そして、農業と環境のかかわりがどうあるべきかを考えたいと思います。よろしくおねがいします。
あなたの主張、まったく同感です。とりわけ、
「持続可能な生産とは、単に、‘当時は持続可能と思われた’昔のやり方に戻るのではなく、それらを踏まえたうえで現在の社会構造・経済・自然環境を考え合わせ、新たなシステムを構築するくらいの心構えがないと不可能だと考えます。」
の箇所は、まったくその通りだと思います。農業は、工業に比べれば、環境に対する負荷が少ないといえますが、今の日本農業は問題山積であり、農業界からの農業の多面的機能(とりわけ環境保全機能)の強調は、決して環境のことを深く考えて主張されているものだとは、私には思えません。しかし、日本農業をどのように導くかは、日本の環境をどのように保全していくかにとって、非常に重要な問題だと私は考えています。
今日の町屋に関しても、私も基本的にあなたの主張に賛成です。ただ、私の経験から少し皆で考えてもよいような気がしており、講義の中で話すことができればよいな、と思っています。
これからも素晴らしい出席メールを期待しています。
- 1-23 山地での酪農は山地の保水力を保ち上手く山肌が荒れないように維持できるのかなと素朴な疑問を抱いた、今後の授業で疑問が解消すると思う。
棚田は自然のダムとして雨水を上手く地中に浸透させると本で紹介されるが、効率面では確かに非効率であるし例え美的に素晴らしくても補助金などを[授業では補助金の話はなかったが多分維持のためには補助金が必要だろうと思う]投入していく必要があるのかなと思った。非効率な物を楽しむ心の余裕は必要であるし、都会の人が農業体験で棚田の維持に参加している話題もあるので授業でどんな棚田講義が聴けるか楽しみである。
昔の都市の衛生環境は排泄物の肥料への転換で向上した事があるとよく聞くその当時は人糞も畑に投入していたというから上手いことバランスが保たれていたんだと思う。家畜排泄物の膨大な量はいかに日本人が肉を食べるようになったかを如実にあらわしているのではないかとふとおもった。
「山地での酪農は山地の保水力を保ち上手く山肌が荒れないように維持できるのかなと素朴な疑問を抱いた」
この点については、今後、「やま地」酪農についてお話する際に理解していただけると思います。
農業の多面的機能を理解していただくために棚田の写真を持ち出しましたが、3枚も見せたために、私が棚田を重視しているかのように思われたかもしれません。しかし私は、棚田が文化遺産としての意味しか持ち得なくなっている、と思っています。
中山間地域に対する補助金(条件不利地域に対する直接支払い)は、きわめて重要な論点です。いずれお話しし、皆さんといっしょに考えてみるつもりをしています。
日本人が畜産物を多く食べるようになったことによって生じた問題は、今後すぐにお話しする問題です。この点について、改めて議論しましょう。
- 1-41 昨日の授業は教育方針から説明していただいたので、これからしっかり取り組んでいこうという気になれました。前期の授業ではあまり能動的になれるものがなかったので、メールを使った授業というのはやりがいがありそうだと感じました。これからよろしくお願いします。
ひとつ気になったことなのですが、結構前に座っていたにも関わらず、画面の文字が読みづらかったです。視力がわりと良い自分でも読みづらかったので、他の学生にも同じように感じた人がいると思います。文字を多少大きくするなど何らかの改善をしてもらえないでしょうか?よろしくお願いします。
文字が読みづらかったとのこと、少し工夫をしてみます。ただ、講義終了後、Webに掲載しますので、それも参考にしてください。
- 1-44 昨日の講義では、トウモロコシの輸入現場の写真に驚きました。地理の勉強で、たくさん輸入されているのは知っていたけど、あのような規模でとは知りませんでした。「百聞は一見に如かず」を実感しました。
視覚に訴えるということは確かに効果があります。今後もなるべく効果的な写真を使っていきたいと思っています。
- 1-45 いくら下の農業に従事してる人が頑張っても上に立つ人間のエゴによりその農業体制というのもじたいにヒビが入り、農業が成り立たなくなってしまうんだなと思った。
上と下という表現、考えてみる必要があるような気がします。むしろ農業者が上で、官僚が下でなければならないのではないでしょうか。
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第2回目目次
第2回目表紙
作成日:2004年10月06日
改訂日:2004年10月06日
制作者:柏 久