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第6回「京大おもろトーク: アートな京大を目指して」〜矛盾をはらんだ創造
2016年10月17日(月)

パネリスト:高橋 剣氏(東映株式会社 京都撮影所制作部次長)(以降敬称略、高橋)
北野 貴章氏(株式会社テレビ朝日 「しくじり先生」チーフディレクター)(以降敬称略、北野)
山極 壽一氏(京都大学総長)(以降敬称略、山極)
富田 直秀氏(京都大学工学研究科教授)(以降敬称略、富田)
司会:土佐 尚子氏(高等教育研究開発推進センター教授)(以降敬称略、土佐)
司会挨拶:伊勢 武史氏(京都大学フィールド科学教育研究センター准教授)(以降敬称略、伊勢)
伊勢
北野さん、どうもありがとうございました。自分のしくじり体験が実は成功のもとにつながる。人生本当に偶然が色々あって面白いと思います。力強いメッセージをいただきました。
それでは続いて3人目の講演者をご紹介したいと思います。京都大学工学研究科の富田直秀先生です。あの、ご紹介文を拝見してたんですけども、何か人生に紆余曲折がありつつ、最後、「学者、芸術家、医師たちを悪の道に誘っている」というようなご紹介文をいただいております。私たちはいったいどんな悪の道に誘われるのか、ちょっと興味を持ってお聞きしたいと思います。それでは富田先生どうぞよろしくお願いします。
富田
素晴らしい発表でしたね。ちょうどお歳は(私の)半分くらいになるんですけども、教えられることが非常に多かったと思います。例えば、「ヤジは背中から飛ばす」とか「親切にしすぎるな」とか。
富田直秀氏
富田
題名をいろいろ考えたんですけれど、「モノだけでなくコトのわかる人になろう」という題名です。京大はモノのわかる人はいっぱいいるんですけど、僕自身はモノのわからない人間です。子供のころから物覚えが悪くてですね、これは「俺もそうだ」って人がいっぱいいると思うんですけれど僕の場合特別でしたね。特別に物覚えが悪かったですね。意図すると失敗という、要するに役に立たない人間でした。たぶんこういう僕みたいな人間はグレてたんだと思いますね。僕は人に恵まれてグレずに一応ここまでは生きてきました。僕自身は京大出身じゃないんですけれど、京大に来た時に筏義人先生という京大の先生に論文はいいですから、まあたぶん、こいつは論文を書けないやつだ、と思われたと思うんですけど、「役に立つ研究をしてください」ということで、僕は工学部出てから医学部に行きましたので医学で使ういろんな材料をひたすら開発してきました。一応ここまでは清く正しくまじめに。(僕は)還暦を一年過ぎてるんですけど、これからは徹底的にグレようと思います。もともとなんで僕が医者になったかというと、これ家内なんですけど、結婚したいと(ご両親に)いいますと医者じゃなきゃやらんと言われてそれで、医学部行きましたという話です。これ言ってると時間なくなるので。
家内が医療事故で死にそうになりました。もうほぼ死ぬというところで、まあ助かったんですが。僕がなにをいいたいかというと、僕は清く正しく、モノがわかることやってきたつもりなんですけど、安全というモノがわかることをやってきたつもりなんですけども、どうも安心じゃないんじゃないかと、なんだか今までやってきたことがおかしいぞと考え出して、じゃあグレてやろうと。ということでちょっとこっちへ替えさせていただきます。
富田直秀氏
(メガネをサングラスに替える)
富田
ということでこれからグレさせて頂きます。ちょっとこれから怪しいことをお話しするので。まず、グレの定義ですけど。私、市立芸大に近いとこに行きまして、よく芸大に行くんですけれど、芸大の先生たちはみんなグレてますね。僕の定義ですと、「何が正しいか」の前にまず「何が本当か」、物語を正しくしっかり話す前にそれは大事なんですけど、その前に何が本当か考える人っていうのが僕のグレの定義です。「正しい」というのは矛盾を含まない。「本当」というのは明らかに矛盾を含みます。矛盾を含むというのは何かというと「私」を含むということです。例として医療現場で重症の患者なんかの場合、頻繁のナースコールで現場が疲弊することがあるんです。僕は整形外科なのであんまり重症例はなかったんですが、それでも何度も何度も苦しいってナースコールを押す人がいて現場が疲弊するんですね。その時にたとえば眠れないって言われると眠剤を出しますし、痛いと言われれば鎮痛剤を処方しますし、不安と言われれば抗不安薬を処方します。これはみんな正しい方法です。モノがわかってますよね。ちゃんとエビデンスがあります、それぞれ。しかもきちんとしたエビデンスがありますね。でも実際上はたいてい、こんなに薬ばっかり飲んでたら副作用があるんちゃうかとか、余計不安になってきますよね。本当の方法、素晴らしい方法があります。何だと思われます。現場でいい病院はこれをやっています。手を握るということです。看護婦さんがしばらくじっと手を握っていてあげると、おさまります。良い病院ではこれやってます。だけど手を握るということをマニュアル化してボタンを押されたらそういう人には手を握りましょうね、という風に教えたりとか、我々工学部の人間が「手を握るロボット」とか作ったら、ちょっと違いますよね。要するにもやもやしてモノがわからない。こちらはモノがわかるんです、ちゃんと説明できます。正しいですね。こちらはなんかもやもやしてる。ああ素晴らしいと実感ではわかるんだけど、説明できない。
何が正しいかを考える人として桑原武夫、京大のフランス文学者ですけども、この人が第二芸術論という、ご存知の方おられるかもしれません、有名な文章なんですけど、大家と素人の俳句作品をインテリが見分けることができなかった。これが実際の俳句です。これ素人と我々の知っているような有名な人がいますね。これを混ぜてどっちが大家かどっちが素人かって聞いたら全然わからなかった。ちょっとグレた言い方をしますと普段俺は俳句ならなんだって知ってるんだって言ってるような人が全然わかんなかったということから、このことを発表したらば、要するに俳句のことは自分で作ってみなきゃわからないものであるということから、俳句なんてものは同好者だけが特殊世界を作っている。その中でああいいですねいいですねなんて言っているようなものなんだ。第二芸術なんだということをこの人は言いました。これに対してはもちろん反対論いろいろ出ました。俳界はこれに対して何も言わなかったんですけども。彼の論理は作品を通して作者の経験が鑑賞者のうちに再生産される、というものでなければならない。要するにAという人がいてその人の経験がコード化されてBという人にきちんと。こういう客観的基準をもって芸術というものを判断すべきである。それはそれなりになるほどモノがわかった方法だと思いますね。これに対していまだにいろいろ論はあるんですけど、僕がすごいと思ったのは吉本隆明。吉本ばななのお父ちゃんです。この人は「良い作品というのは『これがわかるのは自分だけだ』と、それぞれに思わせるところがある」と述べ、自分にだけしかわからないような、無言に近い自己表出が他の自己表出と偶然に出会うところに芸術の本当の価値がある、とした。これは言いたいこと言ってるな、という気がするんですけどね。要するにコード化したってのはモノ化してるわけです。ほんとはコトなのをモノ化している。作品と自分との関係はみなそれぞれであって、それぞれ全然違う世界で見ている。だからまあ共通のフレームなんかない。モノ化しない。我々はどうしてもモノを理解するときにモノ化してしまうということがある。物語もそうです。モノ化して語るのだから。その前の詩のような状態。この方詩人ですので、思想家という人もいますけど僕は詩人だと思います。思想というものの定義にもなりますがそれはまあいいでしょう。
富田
これを僕の分野の再生工学という分野に当てはめて考えてみますと、もともと再生工学、tissue engineeringという言葉が出たのはアメリカのbody shopという考え方です。VacantiとLangerという人が耳をネズミの背中で作った。これは日本人が作った指です。骨と軟骨がある。こういったものを作ってアメリカで移植医療がありますので、これを(移植用の)部品としてものを作ろうということで、これを境にしてたくさんの優秀な論文が出ました。試験管の中で腸管を作ったリだとか目玉を作ったりといろんな論文が出ました。非常に面白い論文です。しかし実用化されたものは僕の知ってる範囲では一つもない。それに対して今実用化されてるのは幹細胞、最近有名になりましたね、幹細胞を注射したらなんか知らんけど治ってるよと。なんか傷が治ってるとか脳梗塞も治ったよとか。なんかよくわからないんです。最近じゃちょっと危ない治療もいっぱい巷にあるんですけど。なんかよくわからないけどうまくいったよ。これまあ別の言い方をすると、コトをモノ化しないもやもやとした治療がなぜかうまくいってる。なぜかまだわからない。怪しいものも含まれます。なるほどってモノがわかるということと、モノ化では捉えられないコトがわかるってこと。コトがわかる人になろうっていうのが今日の主題なんですけど。この辺を考えなきゃいけない。もうひとつ、これは僕の例ですけども。今のiPS細胞が出る前にES細胞が有名になりましたよね。ES細胞っていうのは、例えばこの卵が二つに分割されてこれを切ると二つの個体が出ます。四つだったら四つの個体になります。それがすべての臓器を作る能力を持った状態、桑実胚といますけども、そのときにこれを培養してやろうと。そうするとすべての臓器を作る能力がある。じゃあそのES細胞を皮下に植えてやるとどうなるかというと、いろんな組織、おれは皮膚ですかね、まあいろんな臓器がすべて含まれる。だけどもぐちゃっと。昔、ピノコっていましたよね、ブラックジャックに。あれもこの奇形腫です。こういう状態になります。脇谷先生という先生が皮下に入れると奇形腫になるよ。じゃあ関節の中に入れたらどうか、関節に入れても奇形腫になるよと、そこまでは研究されてました。じゃあ我々一緒にやろうよということで関節の軟骨の中、我々軟骨を再生したかったので、軟骨のコリコリこすってるところに植えてみようということをやってみました。ここにコラーゲンに入れて植えてやったんです。話長いですけど短くすると、結局軟骨になりました。この赤いのが軟骨です。なんでやろう?皮下に入れたら奇形腫、関節の中でも奇形腫、でも軟骨に入れたら軟骨になったぞ。これは何だ?というときに普通だとモノで考えるんですね、分化因子。ES細胞を軟骨にした分化因子がある、これを見つけたら大変なことになる、こっちを調べるんですけども、我々ちょっとグレてますのでコトのほうをやりたいと思って。次にやったのは関節を動かないようにしてやる。同じ実験でES細胞を植えてやって関節が動かないようにします。ちょっと話が早すぎますかね。そうすると奇形腫になりました。これだからってこっちが正しいって言いたいわけじゃないんですよ。この論文を出版したんだけど全然注目されませんね。なんでかっていうとやっぱりみんなモノを求めてるんです。もやもやしてるんですよこれは。なにがなんだか原因わからないじゃないか。こんな分化因子を見つけました、って言うとみんな注目してわっといろんな人が寄ってこれを作ってやろうって思うんですけど、コトのやつはみんな注目してくれません。インパクトファクターっていうんですがそれも低いですね。で、それを基準にして我々、今軟骨再生の治療法を作っているんです。かなり臨床に近いところまで行ってるんですが、細かいことは言いません。こういろんな、要するに細胞が材料の中でどろんと。もうちょっとだけ説明しようかな。バンドエイドみたいにフィブロインという絹の材料の中に細胞を入れてぺたっとはりつけてやるとここに軟骨ができるってことがわかりましたので、これを東邦大学とか横浜市立大学と一緒に開発してるんですけども。ここにいくまでやってきたのは様々な、やっぱり、コトです。関係性を育てるというコトをいろんな実験で確かめたんですけども、論文が出るんだけども。載らない場合もありますよね。なかなかこれダメですよね。今、標準化・マニュアル化要するに結局モノ。我々モノにしないと信用しないですよね。それもわかりますよね。モノにしないと信用できないんです。これは私が一番最初にやった実験です。私は整形外科医になりましたので骨を扱う。骨っていうのは支えるという機能があります。荷重支持、それを強固なプレートで固定してやる治療法があります。なにが起こるかというとプレートが支えてしまって自然な力がかからない、そうするとこいつ(骨)はサボるわけです。生き物ですから。サボってしまうとなにが起こるかっていうと、プレートを取った後に折れてしまう。これが頻発しました。だからギプスで固定してグラグラにいいかげんに固定したほうがよくなるわけです。クッションドプレートといってプレートとの間に柔らかな材料をいれることによってこれを防げることを報告したのですが。これもみんな引用してくれないんですよ。要するに薬ですね、たとえば骨粗しょう症を抑えるって薬を出したりするとみんなワっと集まるんですけどこういうコトに関する実験はなかなかみんな見てくれないです。信用もしてくれません。
富田直秀氏
富田
昨日、うちのかみさん相手にしゃべっていたら、ここから寝ましたね。ここから寝ないでください。ここからが大事なところなんです。眠いですけど我慢してください。正しい、モノがわかるっていうのは要するに時間・空間的に切り出すということなんです。どうするかっていうと、モノがあったらそのモノと周辺との境界条件がある。モノがたくさんあったならば、それぞれのモノとモノの間の関係にも境界条件がある。要するに我々、生まれた時にはわけのわからない中にいて、モノに触って、感じて、なにかしらないけどモノとして考えると理屈があってるよ、ということで、モノがわかる、が始まる。頭の中にこれが条件づけられてる。モノっていう概念から我々は離れられない。それに対して現実は本当はどうかっていうと、生き物っていうのはもう過渡的状態の連続です。寝ないでくださいね。ここに水がありますよね。だいたい今20度くらいですね。この中に氷があると思う人?水蒸気があると思う人?水は水ですよね。だけどあります。非常に短い時間、もう何ピコ秒ですかね、非常に短い非常に小さい時間にあります。こういう非常に過渡的な存在ってものの連続ってことで生き物は出来上がっています。ですから本来は生き物とか社会とかものもそうですけれど、モノとしてとらえるのは非常に難しい対象です。関係性を切り出すっていうのが本当は正しい方法です。だけどこれは難しいですね。あ、さっき一人あくびされましたね。我慢してください。もうちょっとイヤな話が続きますが。これはカオス的遍歴という複雑系科学の金子先生とか柘植先生とかご存知の方多いと思いますが、この方々が言われてる方法です。彼らは高次空間と言ってるんですが、私は現象空間と呼んでいます、時空に表してしまうとどうしてもモノになってしまうので時空じゃないんだって言いたい。それを言うと面倒なんであれですけども。要するに多様性、なんかモヤモヤしたところこれを形態とか機能だと思ってください。これはいろんな状態を動いているんです。そういう多様性があるからこそ我々は正常な生き物としての生活を保ってる。これどうでしょう。学生に言うときにはそれぞれどんな顔?ってあてて聞いていくんですけど、時間があまりありませんので。頭の中でそれぞれ言葉を一つずつ当てはめていってみてください。爽快とか、ちょっと辛そうとかありますよね。こんな時はありますよね。みんなね。自分はいまこんな状態だ、ああこんな状態だ、ちょっと頑なな状態だとか、ありますよね。それぞれみんなあると思います。で、この硬い、空虚、悲哀、落ち込みとか上機嫌、爽快、昏迷、不安。この言葉は何かというと昔の精神科の教科書。昔はこんなふうに顔が載ったんですが、今はこんな顔写真を載せるなんてできないんですけど。それぞれ精神科の疾患を持った人たちです。どうでしょう?こんな状況、我々はありますよね。要するに病院行くとお医者さんがどうしましたか?いつからですか?って聞きますよね。これは悪循環の有無を聞いているんです。今こういう状態だけど、こういう状態が移り動いていれば正常なんですけども、ひとつのところで悪循環してトラップされたならば異常です。正常・異常って感覚はそういったところから出てきてるんです。ですから多様性があるというのは生き物として正常ですね。じゃあその多様性がなぜ生じるか、これは非線形性です。結果が原因を変える。結果が原因を変えることによってどんどんいろんなものが発展していく。それは数理的にある程度わかっています。結果が原因を変えることで時間とともにどんどんどん変わっていく、後戻りはできない不可逆変化が起きてきます。このように(本当は違うんですが無理やりに縦軸をエネルギーと解釈しますと)こっち側のほうがエネルギーは低いので安定としますと、みんな同じところで落ち着いてきて、多様性がなくなってしまう。この多様性がなんで続くかはまだ分かっていません。だけども、想像するに、ここに矛盾が出てくるわけです。あの一応逆説的関係性だといいましたけど(ここでは)矛盾のことですね。矛盾があるからこそ多様性が続いていく、とする。数学的に言いますと、例えば今ここにいる人がこっちに行きたいんだけどこっちに行くにはまっすぐこう行きたいけどこっちには道がない。この行きたい方向は安定した方向と逆に行くと道がある。こういう関係性があるから多様性が続く、と考えるわけです。具体的に言うとたとえば、「攻撃するとかえって強くなる」。こいつ殺してやろうと思ったらかえって強くなるってことがありますよね。とか、「安定状態では機能が低下する」。安楽でええわと思ってるとスーと自分がなくなっていってしまう。安全システムを作ってやったから、よしこれで安全になったって思ったら現場の注意が散漫になってかえって事故が起きる。食事回数が少ないと太る、、など、生き物や社会は矛盾だらけですね。矛盾があるからこそ多様性が続いている、と考えることもできる。
要するに、モノだけではなくコトがわかる人になろうってことですけども。このモノだけではなくってところが大事ですね。コトだけだったらおかしくなる。我々はコトだけでは絶対耐えられないから、モノもわかるってことが大事です。モノがわからずコトに没頭すると、悪循環に囚われる危険があるので両方がわかることが非常に重要なんです。だけど今の世の中、モノがわかるってことばっかりが非常に強調されている時代ですので。先ほど言いました、なにが正しい物語かの前に、まず、なにが本当か、私は「詩」だと思ってるんですけども、「詩」を見つける。物語と「詩」を見分けなければいけないのかなと僕自身は思っているんですけれども。先ほど言いました、正しいことは矛盾を含まない。本当っていうのは矛盾を含む、そして「私」を含む。ということです。大事なのは順番だと思うんですね。どちらも大事なんですけどまずこちら、その次にこちらという。最初からこちらにきてしまってる気がします。
ということで、時間がないので具体的にどうのこうのはぬかしますね。芸大の先生方が素晴らしい授業をしてくれています。要するにアート視点が大事だってことを言いたいんです。アート視点とアートをわけなきゃいかんのですけれども。アートっていうのはあくまで道具ではないんですけども、アート視点、要するにアート教育は道具です。アートは目的じゃないんですけども。言いたいことは矛盾を含むコトにいったん立ち戻って、次にモノの語りを始める。語りから物語をはじめるんじゃなくて、物語の前にいっぺん「詩」に立ち戻ったらどうかな、ということです。最後まで聞いていただきましてありがとうございます。