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第6回「京大おもろトーク: アートな京大を目指して」〜矛盾をはらんだ創造
2016年10月17日(月)

パネリスト:高橋 剣氏(東映株式会社 京都撮影所制作部次長)(以降敬称略、高橋)
北野 貴章氏(株式会社テレビ朝日 「しくじり先生」チーフディレクター)(以降敬称略、北野)
山極 壽一氏(京都大学総長)(以降敬称略、山極)
富田 直秀氏(京都大学工学研究科教授)(以降敬称略、富田)
司会:土佐 尚子氏(高等教育研究開発推進センター教授)(以降敬称略、土佐)
司会挨拶:伊勢 武史氏(京都大学フィールド科学教育研究センター准教授)(以降敬称略、伊勢)
伊勢
はい、どうもありがとうございました。早速矛盾に満ちたご挨拶をいただきまして、期待が高まっております。それでは早速お一人目のお話をお聞きしたいと思います。東映株式会社京都撮影所制作部次長の高橋剣さんです。本当にみんな知っている、「暴れん坊将軍」とか「遠山の金さん」とか「極道の妻(おんな)たち」とか、そういった制作に関わってこられたそうです。本当に、お話をお聞きするのを楽しみにしておりました。それではどうぞよろしくお願いいたします。
高橋
皆さんこんばんは。東映の高橋と申します。今日はよろしくお願い致します。それではですね、僕がこのキャスティングする時点でだいぶ矛盾が多いなあというのがあるはあるんですけれども、それはともかくとして、自分のことからちょっと、お話させていただきますとですね、書いておきました。
もう大体会社入って大体およそ30年ぐらいになるんですが、「暴れん坊将軍」とか、会社入って頭の15年ぐらいは大体、こういった時代劇を作るもしくはやくざ映画を作るオペレーションにずっと携わって参りました。以降の10年15年ぐらいはですね、ちょっと違うレイヤーで、時代劇なり映画作りをできるような環境づくりみたいなことを作ってきました。よってですね、僕はこのタイトルを見てイメージするのは何となくこうクリエイターとかアーティストみたいなことだろうなと思うんですが、私の場合はちょっと違います。その辺をちょっとご堪忍いただきつつですね、私が、今やってるようなことをいくらか紹介できたらいいなあという風に思っております。
高橋剣氏
高橋
矛盾っていうとですね、ざっと辞書などを見るとですね、およそ前の文脈と前後の文脈が全然合ってないじゃないかみたいなそういう論理的な破綻みたいなことと、もう一つは、両立しがたい相互に排斥しあうような関係みたいなそういうこの一点を巡ってせめぎあうみたいなね、そういったことが書いてありますよね。これはGoogleで矛盾っていうのを画像検索すると健康の為なら死んでもいいとかですね、こういう柄のTシャツが出てきたりとか、本日のみそ汁はコーンスープです、みたいな、そういったことが、いわゆるザ・矛盾なんだと思います。 こういったザ・矛盾というか矛盾なことって、だいぶ多いなーと、だいぶ世の中に隙間がなくなってくるにつれてですね、どんどん色んなところの矛盾って多くなってるような気がします。それに対してですね、きっと矛盾に対する処し方というか、それをどうアプローチして丸め込んでいくかみたいなのも、だいぶソフィスティケイトされたっていうか色んな、両立しがたい相互に排斥しあうほこたて関係なんていうのは、ほっといたらもうそれは衝突にしかならないわけで、それをもうちょっと違うソリューションというか違うレイヤーから違う視点を持って見るみたいなことが近頃だいぶあるのかな、そういったところにだいぶ賢くなってるのかな、というような気もします。
こういったありえないことがなぜか両立してるみたいな関係が近年多いんじゃないのかなというその一つとしてこういったことがあります。山極総長の絵を出さしていただきましたけど、これ、今年の3月に、京都大学とですね東映が本来ありうべきことじゃないと思うんですけど、なぜかシェイクハンドしてしまったと。山田京都府知事のもとにですね、シェイクハンドしてしまったという、大変矛盾の多い絵面でございます。 こういった本来多分10年15年前ならありえなかっただろうっていうようなことが、起きてるということはだいぶ社会が矛盾に対して色んなアプローチをし始めたことだと思います。きっとこのおもろトークもですね、私もお客さんとして何度か聞いてますけど、きっと本来、昔でしたら矛盾の多い世の中に対して、それの解決というか、それのよすがになるものってのはきっと宗教とかだったんだろうと思うんですけど、それが、宗教で解決できないもの、中世とか宗教に頼ってこの世の中を渡ってきたんだと思うんですけど、それをですね、それが、その機能が科学にとってかわると、その科学にとって代わって結構繁栄してきた人類ってあるんだろうと思うんですけど、それもどうもままならないぞと、どうも十全な答えを出してくれないなっていうような印象がきっとあるんだと思います。そこに何がしかの提示をできるんじゃないのかなっていうところがきっとアートの、芸術の役割であって、おこがましいながら言わしていただくとですね、東映みたいなところの、我々の映画連携協定、京都大学さんとの連携協定を組むなんという大変不思議な出来事もですね、おそらく何かそういう直感的に矛盾の多い世の中を掴み取るような、そういったアイデアを期待されているというかそういったことをですね、社会的に我々が求められてるのかもしれないぞとぼんやりと思ってます。
そういったことをですね、エピファニーっていう言葉があるらしいです。最近ちょっと知ったんですけど。神の顕現っていうような言葉らしいですけど、神を我見たり、みたいなそういう瞬間ですよね。そういうもんを前段の説明をまるっきり抜きに何かおもりのあるイメージというか、そういった何がしかを質量もあるイメージ、ビジョンが、がーんと降って、啓示、みたいな瞬間のことを言うんだと思うんですが、そういったことが芸術には確かにあって、映画にも確かにあります。こういったことを矛盾の多いこの世をですね、わたる要素だとして映画なり映像ができるんじゃないかというようなことをですね、我々も目指さなくちゃいけないのかな、というような思いがあります。東映の日頃の行いを皆さんきっとご存知だと思うんで、だいぶこれ自体インチキ臭いことだなと思うんですけども、「暴れん坊将軍」とかね、「遠山の金さん」とかそういっただいぶジジババ泣かせるようなことばかりをやってきてる我々がですね、こういった偉そうなことを言うんもいかがなものかとは思うんですけども、映画には確かにでもそういったパワフルなビジョンを提示するだけのものがあります。
高橋
かつて時代劇にもそういった機能をですね、そういったエピファニー映画というか、エピファニー力のある映画がありました。これは時代劇っていうものが、時代劇は現代劇であるという大変矛盾の多い命題を掲げましたけれども、とはいえですね、実は時代劇というのは、時代劇に限らずですけども、すべての創造はやっぱりこの現在のメタファーであるわけで、ということで言えば大変矛盾の多いこの世にあってはすべての創造はやっぱり大変矛盾が多くならざるを得ないっていうことだとは思うんですけども、本来物語、映画あらゆる映画そうですけど、昔の出来事を伝えるってだけで映画としては成り立たないですよね。やっぱり今のお客さんに伝えるわけなので、それは昔の事柄を借りたとしてもこれは現代劇なんですよ。で、ただそういった形で昔のフォーマットを借りるっていうことを選択する意図というのは、大体およそ二つあって、現在形として語ることができない。これは戦前のですね、サイレント期の伊藤大輔さんの「忠次旅日記」っていうやつですけど、やっぱり戦前の軍部に対する遠慮というか検閲に対して配慮して現代劇というのは描けなかったんですよね。それで、こういった形の時代劇のフォーマットを借りて、現在の、そのときに生きてる人々の気持ちを代弁する映画を撮ったのがこの「忠次旅日記」という映画で、その当時やっぱりこれは爆発的なエピファニー力があったんだと思います。大変大ヒットしていまだに現存してるフィルムというのはほとんどないんですけども、知ってる人は、大変強力に推してまして、キネマ旬報の歴代ベストランキングみたいなのを組むとですね、必ず名前が挙がってくる作品ですよね。こういった旧作、サイレント期のものだけじゃなくて、実は最近の作品でもそういったものはあります。例えば最近で言えばですね、山田洋次さんの「たそがれ清兵衛」なんていう映画がありました。あれは松竹京都撮影所で作られた映画で、僕も見たとき大変ショックを受けましたけれども、ジリ貧の長期低落傾向にある東北の小藩の中でやっぱり人としてどう生きるのみたいなそういったことが、だいぶ切実に語られる映画で丁度失われた20年だ15年だっていうところの最中でありましたし、リストラだなんだっていうような世相を反映した作品でもありました。ことほど然様にですね、歴史映画といえども、現代劇なんですよね。
で、私はですね京都ヒストリカ国際映画祭って今日チラシを入れておきましたけども、映画祭をやってるんですが、世界の歴史映画新作の歴史映画を世界で一番見てるのは多分間違いないんだと思うんですけど、ここ数年で言えば世界で一番新作の歴史映画を見てる人なんですけども、今年はですね、大変内向きの反グローバルっていうか、そういったイギリスのEU離脱とかトランプ旋風みたいなそういったムードがですねもういろんな映画に充満してまして、300本ぐらいリストアップしたんですけど大変そういったムードが世界中を蔓延してるということはよくわかりました。といったわけで、時代劇歴史映画といっても現在形、現代劇なんだっていうところをご理解いただけたらありがたいなぁと思います。それだけの、現在の人々に対して今の矛盾の多い時代を、掴み取るよすがとなるようなものに、映画っていうのはなりうるもので、時代劇っていうのはだいぶ純粋な形でフィクションを構成できるんですよね、さっきちょっと言い忘れましたけどその、時代劇として構成する時代劇のフォーマットを借りるもう一つの意味合いとしては寓意性を際立たせるっていうのを書きましたけど、ほんとボーイ・ミーツ・ガールみたいなこともですね、今現代劇ではなかなか成立しないような色んなリアリティを、つけるのはなかなか大変な手立てが必要なんですがそういったことをですね、時代劇のフォーマットを借りるとだいぶ楽に語れるというのがあります。そういった時代劇の、エピファニー力というかそういった矛盾があるよう、突破する一つのパワーを持ってもらいたいという思いで京都府さんの支援でですね、映画祭をやってます。京都ヒストリカ国際映画祭という映画祭で、これでもともと我々が作ってきた時代劇がですねどんどん外に向けてエピファニー力を、というかそういった発信力をだいぶ失ってきたんですよね。それをもう一回取り戻すためにもうちょっといろんな歴史映画の知見を借りようじゃないかと、世界の歴史映画であったりとか、例えばアニメーションとかゲームとかですねそういった違うメディアが、違うメディアでも歴史ものの表現っていうのは結構ありまして、そこをチャレンジするクリエイターの人たちのアドバイスを受けたりすることで、ちょっと時代劇のほうに、もう一回改めて反映させたいという思いで映画祭をやってます。
京都ヒストリカ国際映画祭
(第8回京都ヒストリカ国際映画祭)
高橋
これ今年の11月の2日からその映画祭が始まるんですが、映画祭の中でかける作品のいくつかをちょっと紹介しますけども、トミー・リー・ジョーンズさんが監督で、これなんか西部開拓史の一面なんですけど、大変ね女性が美しくもないというか、ヒラリー・スワンクに申し訳ないんですけども、そんなになんていうのかな、男の目線で描かれた女性じゃない方を描いてるっていうそういう大変モダンな時代劇ってこれもまた矛盾のある言い方ですけど。これはBAAHUBALI:THE BEGINNINGというインドのブロックバスターですね。さっきヒストリカの作品選ぶのに3つの視点っていうのを言いましたけど、その国の歴史や文化を知らなくても楽しめるかどうかっていうような視点で選んだ作品なんですが、あまり普遍性ばかりを、普遍性があるかっていうことをウエイトを置きすぎるとですね、どうしてもありきたりな表現になっちゃうんですよね。そういった予定調和というか、クリシェの塊のような作品だとやっぱりこれはまた多少迫力がなくなるわけでして、さっきのBAAHUBALIなんかだいぶやっぱりインドらしい特異な文化性っていうのがあります。そういった特異性を意外と極めると意外と誰もが理解しうるものになったりするんですよね。そのへんがコンテンツの面白いところかなぁと思いますけど。これなどはですね、ロシアの映画でして第一次大戦のときに女性が女性部隊を作ったんですね。それの作品でございます。ロシアってのはご存知の通り映画の歴史がたいへん古い国なので、だいぶ強烈なドラマがあります。これなんかはですね、スイスの映画でだいぶ普遍性にウエイトを置き、置いてる感じの作品なんですが、誰が見ても楽しめるという作品ですね。ま、といってクリシェの塊かというとそうでもないちょっとユニークな視点もあって、っていう作品です。
こういったものをですね、時代劇に反映させていきたいというようなことを今ちょうどやってるところでございますが、そろそろ、時間かと思いますんで、この続きはですね、11月2日から13日までの間、京都文化博物館で、映画祭が行われておりますので皆さん、是非、見に来ていただければありがたいなぁ、と思います。
ちょっとテーマから離れた感じもあるかなぁと思うんですけど、私の報告としては以上になります。どうもありがとうございました。