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第5回「京大おもろトーク: アートな京大を目指して」〜顔
2016年7月25日(月)

パネリスト:金剛 永謹氏(能楽 金剛流二十六世宗家)(以降敬称略、金剛)
牧野 圭一氏(漫画家・公益社団法人日本漫画家協会理事)(以降敬称略、牧野)
山極 壽一氏(京都大学総長)(以降敬称略、山極)
川嶋 宏彰氏(京都大学情報学研究科准教授)(以降敬称略、川嶋)
司会:土佐 尚子氏(高等教育研究開発推進センター教授)(以降敬称略、土佐)
土佐
どうもありがとうございました。金剛永謹さんでございました。
それでは二番目のゲスト、漫画家の牧野圭一さんでございます。牧野さんは、皆さん京都、大阪近辺に住んでいらっしゃるのでご存知かと思いますが、御池のほうに京都のマンガミュージアムがあります。このマンガミュージアムの設立者でございます。もともと読売新聞の政治マンガなど、いろいろ連載されていて、京都精華大学の漫画学部を作られた先生としても有名でございます。それではよろしくお願いします。
牧野圭一氏
牧野
漫画家の牧野でございます。能の話から一転して漫画ですが、この取り合わせをお考えになったのは土佐先生でございまして、このコントラストはどういうことになっているのか、ですね。私の世界ではごく当然で、コントラストがはっきりしているほうがお話もしやすいし、表現もしやすいんですが、今回300人ぐらいいらっしゃっているということですが、どういうふうにお考えになるかですね。
この今回のイベントのチラシはお持ちになっているんですかね。これを今ここの画面にちょっと映していただけたらと思いますが、お手元にもしもお持ちであれば、ご覧ください。二頭身の私の似顔絵が描いてあります。横の方にはトランプさんの、これちょっと小さくてわかりませんがね。今話題のアメリカ大統領候補のトランプさんを描いてあるんです。パンパン、ピストルを撃っている絵なのですが、毎日暴言を吐いているっていうのをこういう表現でするわけなんですが。
牧野圭一氏
(トランプ氏の似顔絵)
牧野
今日は、顔というテーマでお話することになっていますね。漫画でいうと、似顔絵を描くわけなんですね。似顔絵にもいろんなレベルがあるんですが。これ今皆さん見て、そんなに不自然だとは思われないかもしれませんが、これ2頭身、2頭身以下ですね。1.5頭身か2頭身ぐらいですね。これは今回わざと描いたんですが、トランプさんはほとんど一頭身。首の下にすぐ足をだすんですね。これリアルな絵ですから、不気味ですよね。これを似てると思われるかどうかわかりませんが、私でございまして。
牧野圭一氏
(スクリーンに映る自身の似顔絵を指しながら)
牧野
大きなメガネとモジャモジャ頭なんですよね。それでもってわかっていただこうとしているわけなんですが、この前に、世界中の子供たちが初めて描く絵ですね。頭足人間っていうんですね。頭足人間っていう世界中の三歳児、二つか三つの子供たちが初めて絵を描くと、こう描いて。
牧野圭一氏
(丸と棒、点を描いてそれに髪の毛をぐしゃぐしゃと描く。)
牧野
これが何かって。ママ。上手に描きなさいとか下手だねとか上手いとか評価されない、二歳児ですから。「あ、なんとかちゃんお上手ですね。描いたね。これ誰ですか」と。すると「ママ」っていうんですね。ここにですね、なぜか共通項があるんですが。子供たちはこういうふうに描く。
牧野圭一氏
(先程描いた顔に、点のような手足を描き加える。)
牧野
これは、この点はなにかっていいますと、手足なんですね。これが手で、足。私は心理学者じゃないんですけれども、三歳児まではお母さんの顔だけ見ている。顔だけ見ている。だからお母さんを描くと、顔はあるんですよ。手足まで、身体まで見てないんですね。そうすると、世界中の子供たちがこういう絵を描く。もう少し進んでも、こうなるだけ。
(先程描いた点のような手足を輪っか状に描き直す。)
これを、頭足人間とか、頭足人とか言うそうです。要するに、子供たちの発達段階でこういう認識をしている。 それと私の描いたこれとそう変わらないんですね。頭足人間。
(自身の自画像を指しながら)
これはもっと実験的に、トランプさんと北朝鮮のトップを描いています。リアルな顔に足だけつけると、不気味ですよね。不気味の壁とかよく言いますけど、不気味なんですね。ですから、このほう(子供の描いたお母さんの絵)がずっと可愛らしい。
(新しく同じように円を描いて頭足人を描き始める)
自分の見た通りに、こういうふうにお母さんを認識して、頭にモジャモジャしているのがあって、とにかくここに黒い点があって、これが私を見ている。私もお母さんを見ている。お母さんは子供のことをよく見てくれている。だけど、ただ顔だけ浮いているわけではなく私を抱っこしているわけですから、こういうふうに表現する。頭足人間。
(先程の円にモジャモジャの髪、黒い点の目、棒のような手足を円から突き出るように描き足して、頭足人間を完成させる)
私はご紹介にもありましたけれども、京都に来てですね、清華大学で漫画学科、漫画学部の創設に関わらせていただきました。その後で京都造形大学でも漫画学科をつくって、そこで漫画を教える、漫画学科教授という厳しい肩書がついたのですけど。しかしですね、悪口言うわけではありませんが、これは受け入れられなかったですね。はじめは、芸術大学に漫画をいれるとは何事だ。特に少女漫画のあの大きな目は何事であるかと。あれはですね、いままでの芸術大学の規範である美術解剖学からいうとですね、あれは許せない。少女漫画の大きな目はですね、こういう
(少女漫画の絵柄で女の子の顔を描き始める)
私の妹は少女漫画家なんですけど、里中満智子さんが先生ですね。こういうのですが、概ねこんなかんじの絵がありますね。
(大きな目が特徴的な女の子が描き上がる)
少女漫画の典型的な。これだけの大きな目だと、つまり眼球っていうのはこのくらい、でかいんだ。
牧野圭一氏
(顔の輪郭から大きくはみ出すように丸を描いて眼球の位置と大きさを示す。)
牧野
解剖学の常識から言って、顔からはみ出すような目っていうのを描くのは許せないと。少なくとも、大学にそういうものを持ち込んでもらっては困る。それがですね、たった10年前、要するに、京都精華大学に漫画学科をつくったのは2000年です。まだ16年しかたっていない。竹宮惠子先生を鎌倉から、「是非お願いします。約束通り漫画学科を創りましたから、先生おいでください。」とお呼びしました。竹宮先生もあまり聞きたくない言葉をたくさん聞いたと思いますが、15年目に学長になってしまった。今、京都精華大学の学長は竹宮惠子さんです。
目の大きな少女は許せない。こんな理屈に合わないものは、大学に入れるべきではない。大学で教える漫画というものはゴヤ、ロートレック、ドーミエ、こういう要するに名画の中のユーモアとか風刺。これは許しましょうと。しかし頭骨から、頭蓋骨からはみ出るような目玉を描く絵というものは、大学に持ち込んではいけないと、本当に大真面目に議論されました。私はよく言う、吊るし上げですね。「そういうものを京都に持ち込むな。それは東京だけにしておけ。」という感じで、もうほとんど犯人扱いでありましたけれども、まだ生きていますね。(笑)当時本当に身の危険を感じたぐらい厳しかったですね。ですけど、ご案内にもありましたようにマンガミュージアムまでつくらせていただきました。つまりそういう拒絶反応もあるけれども、東京とか他の都市にくらべて、はるかに京都はそういうものを取り入れていく許容性と言うべきか、寛容なところもある。古い文化を育てるっていうことは、いつも新しいものを最初に取り入れていくからだというのが、非常にわかりやすい説明でありました。この目玉の大きな少女、これを受け入れて今京都精華大学は、漫画を非常に大切に育てる学校になりましたし、それを見ていてライバルの京都造形大学も、「うちもつくる」と。時の理事長さんはですね、「牧野さん、俺は正直に言って漫画が大学に、芸術大学に入ってくるのはよくわからない。だけど皆がもうそろそろ、理事長、もう入れなきゃだめですよ。という説得で入れることにした。」というふうに本音をおっしゃっていました。それくらい漫画の価値観、漫画の視点は大きく違う。
ヨーロッパ型の解剖学、ミケランジェロとか、要するにルネサンス期の皆さんがご覧になっている、いわゆるヨーロッパの名画というものの描き手は、美術解剖学と言いまして、本当に自分で今のような明るい場所ではない、暗い地下室で遺体を解剖していました。「ははあ、皮膚の下はこうなっているのか、こういう筋肉があるから手が動くのか」と。そういう勉強や研究をして、それをベースに絵を描いた。日本の芸術大学というところはそれを規範にして大学を作ってきたのですから、頭蓋骨からはみ出すような絵はとても許せない。つまり評価の対極にあったわけですね。だけど世界中の子供たちは、さっき申し上げたようにお母さんの顔の周辺に点で表現する。
(再び先程と同じように頭足人間を描きながら。)
目はあって私を見つめてくれている。お鼻もある。口もある。これがお母さん。ここに、こういう認識をしているのですね。これが上手いとか下手とかという評価ではなくて、「私が認識しているお母さん」はこれなのです。上手か下手かじゃないのです。書きたいのです。お母さんを書きたい。お友達のなに子ちゃんを書きたい。隣のみおちゃんが、今はみおちゃんって言わないかな。さゆりとか、それも言わないですね…。(笑)78歳だっていうのがバレてしまいますが。時代が変わっても、今の子供たちもみんなこれを描くわけです。アンパンマンのやなせたかしさんが言っておりましたけれど、僕は子供たちが描く、描けるように描いているのだと。
(アンパンマンを描きながら)
丸をかいて、丸をかいて、点々で、手も丸だ。誰でも描けるのですね。これでヒーローをつくって、たいへんな人気者をつくりあげました。上手いか下手か。サザエさんの長谷川町子さんも、やなせたかしさんも、漫画界では下手だ下手だと言われました。下手だ下手だと言われた人が、みんなたいへんな成功者、売れっ子になって活躍したわけですね。
これが漫画家の顔を捉えるという…。これはですね、私に対して言っている、なんか文句を言っている、私の中のガン細胞です。ガン細胞の擬人化というのですが、「嫌うなよ、お前のなかのガン細胞だぜ。死ぬるも生きるもお前と一緒だ」というようなことをここで、吹き出しの中で言っているのですが。つまり、漫画にタブーはないのですね。これは描いちゃいけないということはないのです。特に日本の漫画はそうです。一神教の世界だと、タブーがあります。ムハンマドさんを描いてはいけない。要するに教祖様を漫画などにしてはいけない。共産党の中国のトップでもそれは嫌います。似顔の漫画にする、風刺漫画にするっていうことはほとんど許されないのですね。笑いを取るわけですから。しかし、子供たちは何も教えなくてもこういう認識をしているのだということです。
いわゆる解剖学から始まったヨーロッパ絵画、日本の芸術大学の評価基準というものはヨーロッパの基準できています。ところが今、日本の漫画が世界からクールだ、かっこいいとフランスでも受け入れられているというのは、この全くヨーロッパ型の評価基準ではない三歳児の描く頭足人間が象徴しているんだ、というようなことが前後の先生とどう繋がるのかというのは分からずに言っていますが。後から、学長さんを交えた統括があるようですので、そこでまた言い訳をしたいと思います。これで私の時間が参りましたので、終わります。