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第4回「京大おもろトーク: アートな京大を目指して」〜ちょっとぐらい ええやないか 第4回「京大おもろトーク: アートな京大を目指して」〜ちょっとぐらい ええやないか
2016年3月21日(月)

司会:土佐尚子 氏(以降敬称略、土佐)
パネリスト:坂口恭平 氏(現代美術家)(以降敬称略、坂口)
山極壽一 氏(総合生存学館准教授)(以降敬称略、山極)
泉拓良 氏(フィールド科学教育研究センター准教授)(以降敬称略、泉)
東田大志 氏(総合人間学部4回生)(以降敬称略、東田)
コメンテーター:那須耕介 氏(人間・環境学研究科准教授)(以降敬称略、那須)
土佐
皆さんこんにちは。それでは第4回目の京大おもろトークを始めたいと思います。本日はたくさんの皆様にお越しいただいてありがとうございます。「アートな京大を目指して」というテーマで2015年度に4回開いてまいりました。今回は「ちょっとくらいええないか」ということで、昨今いろいろな規制やルールが厳しく、それにちょっと違反すると、「あっ!違反してますよ!」とか「はみ出てますよ!」と言われてしまうようなことが数多くあります。そういったことに対し、アートの力を使って少しずつ拡張していったり、ちょっと面白くしていこう、そういうことをテーマに話し合ってみようと思います。
それでは最初に京大の山極総長と、今回のメインゲストである坂口恭平さんの対談にうつりたいと思います。
それではお二人、壇上へよろしくお願いいたします。
坂口恭平氏・山極総長
山極
じゃまず坂口さんの方から。
坂口
初めまして、坂口恭平です。よろしくお願いします。
結構、応接間でだいぶ盛り上がって話しましたんでね、ちょっと何話していいかわかんない、とか言って。あれなんですけど。 ちょっと今日は鬱で、鬱になったら出られないかも知れないと思うとちょっと心配だったんですけども、精神状態は安定してるみたいなんで、無事に開催できて嬉しく思います。
僕はですね、37歳の男性で、ヒトです。それでですね、僕はもともと早稲田の建築学科の、自己紹介は適当にしますけども、建築学科で建築やろうと思ってたんですけど。僕は10歳くらいの時にお天道様と契約、契約じゃないけれども、何らかの僕が感じた疑問があったんですよね、そのいろんな疑問があって。なんでこっちの村の人の集落は古くてみんなそのままあって何らかの集落を形成しているんだろうとか。僕はNTT電電公社から、勝手にこう来たような感じ。横に砂浜、海辺があるんですけど 糟屋郡てところ、福岡県に居たんで、有明海の砂浜があるんですけど、新宮浜っていう。そこの砂とですね、その裏で福岡藩が作った松林の浜があってそこの砂と、NTTのところの建物のですね、植栽の下に砂があるんですけど、その砂が三種類どうも違うように感じてたんですね。
その横にはですね、のちにシーサイドももちという、福岡の再開発をする、安藤忠雄とかの師匠になるような建築家がいるんですけども、その人がシーサイドももちというセキスイハウスの建築群を作っていた。それはアメリカナイズドされた、すごく広い道があって、いわゆる多分高いんでしょう。そこに僕の好きな女の子が住んでいて、で家庭訪問に行くと、僕はそこからそちらのモリナガカズコさんのとこに送り迎えに行ったついでにそのモリナガ家を初めて見るんですけれども。その子は一人部屋を持っていて、帰ると僕は3DKくらいのところに家族5人で暮らしていて、僕は長男だったんですけど、でNTTの社員、親父は。で僕たちはアパートというところに住んでいて、なんでこんな差があるのかって、僕は意味がわからなかったっていう。それでお父さんに聞いたら私たちは家を買えない、と言われまして。その代わり調度品ていうのを丁寧に揃えるから。お皿、器などはしっかりと恩田焼で揃え、漆の入ったちゃんときれいなお箸を使おうと。その代わりお家は買えないので建築家になってくれという風に言われたんですよ。
ていう状態で、でまずですねやっぱり僕にとっては土地所有とかそう言ったものが非常にその自分の中の哲学的命題が突然そこでボッコリと出てきてたんですね。あとは人間が何か区別されてるような感じがする、そういったものとか。あとは砂ですよね、自分にとって。だからこう、そういった自然物というように見えても、自然ってのはいろいろ違いがあったりとか、松林も元々は福岡藩が植えたものだし、そうやっていくと自然てものは海の水だったり砂だとかは大事なんだけど、じゃあ俺らのとこは何なんだろうとか。あとは境界ですよね、土地の境界っていうものがあったり。色んなものに、こう、後で気づくとそういった問題があった。
そういうの抱えて建築家に行ったもんなんで、建築家ってのは土地所有者が依頼したものを建てるだけなんです、はっきり言うと、この現在の建築家の仕事っていうのは。で、もうはじめに僕は手を上げて、先生こんなのではまずいんじゃないですかというと、恭平、食っていけないよと、こういう感じで(手振り)。こういう仕草があるんですよね、人間ってのは。こういうのがあって、こういうのじゃなくてこういうのが大事なんだけど、みんなこういうのになっちゃってるんで。ですぐ辞めまして、そうすっとお天道様に当たってるのが路上生活者って言われてる人。でその人たちは、この社会が間違ってることを完全に自覚してたので、でそれをもとに僕にいろいろなことを教えてくれた。いわゆる貧困で困っているホームレスという人もいることはいると思います。で僕が世話になったのはですね、路上生活者ではなく、隅田川に住んでるスズキさんっていう人と、多摩川に住んでるフナコシさんっていう二人の人ですね、自称、いわゆる「自由人」です。で他称ホームレス。そういう人たち。でそういう人たちに教わって、作業してたらですね、野良猫は土地所有を知らないのに、俺らと同じ空間で生きているだろう、っていう僕とほとんど同じことに気づいてた。つまりこれは同じ空間なのに、僕たちは必死こいて家賃を払ってんだけど、そういうことをしないっていう野良猫もいるし、そういうことをしない、人間からギリギリ離れたヒトがいたっていう。でそれが僕にとってのスズキさんでありフナコシさんだった。
まあそういうことをもとにフィールドワークを始めて、自分で経済圏を作るとかそういうことに関心があったんですけど、まあそれごとが延長で3.11以降ですね、まあ今日も来てんですけどうちの嫁さんが無政府状態だというものだから、ないものは作らないかんというのがうちの信条で、ないんだったら作りましょうということで歴史の教科書を見直したら、江戸幕府から新政府になってる時に、どうも新政府というのがあったらしいからちょっと俺もう一回作ってみるわっていうことで、近代は終わったねっていう合言葉と同時に新政府を勝手に発足して、その初代内閣総理大臣に今就任してます。で国民が今5万人いるんですけども、それはですね今世界で第100位くらいですかね、人口が。リヒテンシュタインとかよりはもう、モナコとか超えてるんで。でそういったものをですね、10年後やるとどうやら2025年にちゃんと国になるよという勝手な啓示を受けてるもので、論理的ではないんですけれども、実行させてみようかなというふうに思ってまして。これでも実際やると捕まってしまってですね、死罪なんですよ。これはオウムの時も使われてないんですけども、2.26事件の時になんかあったんですかね、内乱罪っていうのはね。そういう死罪になるので、芸術活動という振りをしているんですね。で僕小説とかも書いてますけども、僕小説なんか書いてるつもり全くなくてですね、全然日本語を使って全く別の共同体の言語を作りたいというのが自分の本当の思いなんですけども。でも根本はやっぱり10歳9歳くらいの疑問。それが、僕にとっては非常にこう、なんていうんですかね、絶対にそっちに行っちゃいけないってことを約束されたような気がしてて。そういったことはですね、今もみんなレールに乗ったとかいうじゃないですか。乗ってないんですよ。
で僕は携帯番号をですね、この携帯番号を公開してるんですね。世界で唯一wikipediaに携帯番号が載っている人間ということでギネスブックにも登録されてるんですけれども。まあ調べたらすぐ嘘だとわかりますけれども。携帯番号を世界で唯一乗っけていると自称している人間なんですよ。それで「新政府いのちの電話」っていう、100%かかるんです僕の電話は、かけ直すので。日本の現政府のいのちの電話はですね、4%しかかからないらしくて、それで今3万人くらい自殺者がいるんですね。で僕が2012年に始めた時は31,000人だったんですけど、今4年たったらですね、ちょうど2,000人×4で8,000人減りまして、今年発表は23,000人だったんで、つまり10年後にはおそらく自殺者は0になるという。というですね、ロボットのような国にしたいなという風に思ってるんですけど。自殺をしない人間っていう、自殺をしない人間っていうのが、僕の中の次の、ネクストステージのヒューマンビーイングの在り方かなと思ってて。でももう今切腹することみんな笑うじゃないですか。でもその当時は本気だったんで。多分そういう風に常識っていうのは常に変わるから、今の常識では囚われないようなことをどうすればいいかっていうのを日々研究してですね、活動してる人間でございます。ちょっと長くなりましたけども。
山極
どうもありがとうございました。
私の方は山極と言います。京大の総長をしてるんですけども、今日のテーマにちろっと引っ掛けて言うと、私は40年近くゴリラの研究をしてきました。でゴリラと一緒にアフリカのジャングルを歩いてきて、でまずゴリラの群れの中に入るのに、まさに今日の言葉ね、フレーズ、「ちょっとぐらいええやないか」という気持ちで、彼らの群れの中に入れてもらっている。最初はね、彼らにとって人間は敵ですから、攻撃されるわけですよ。邪魔者は出て行けと。それをストーカーのようにこう、しつこくしつこく、しつこくしつこくつきまといながら、ちょっとぐらいいさしてくださいよ、と言い続けてやっと数年後に、まあガボンでは10年近くかかりましたけど、彼らの群れの中に、こう片隅に置いてもらえるようになった。それで、彼らの群れの中で、いろいろ観察をしてきました。そこから見えてきた自然の暮らし、そこから投影されている人間の暮らし、このギャップが一体何のために作られたのかっていうことを研究してるのが、私なんですね。
で実は僕数年前に、坂口さんが、今総理って呼んだ方がいいのかもしれないんだけど、0円ハウスのね、青山で展示をやった時に、見に行ったことがあるんです。でね、あの時思った感触はね、あこれは、ゴリラだな、と思ったのね。なぜかっていうと、ゴリラって毎晩毎晩ベッドを作ってるんですよ。これ0円です。お金かけてません。彼らは基本的にお金をかけずに暮らしてるわけですよ。大体十数平方キロの範囲をぶらぶらと散歩しながらね。食べたいものをつまんで、夜眠たくなったら自分でベッドを作ってそこでみんなで一緒に寝る。ただ、ベッドは1人1つ。2人以上では絶対寝ない。それが彼らの、自分を保つ範囲だと思うんだよね。しかも彼らは言葉を持ってない。だから何か癇癪を起こしたら胸をたたくわけですよね、勇壮に。それでみんな、あ、こいつちょっと機嫌悪いんだな、とわかってくれる。そういう暮らしをしていて、朝顔を見合わせると、んっんー、て挨拶するんです。言葉はしゃべらない、自分のことは説明しない。相手のことも知ろうとしない。だけど、なんか気が合って一緒に居られる。こっから出てきたんだなあ人間は、と思ったわけですね。そっからどんどん変わってきたわけ。でその変わったところで、多分みんなすごく悩んでるわけですよ今ね。すごくいろんなものを作り出したんだけども、その作り出したものによって逆に変な悩みを抱え込んじゃってるというのが今の人間じゃないかと思ってるんですよね。それをあえてね、0円ハウスを作りながら、そういうものを取材しながら、何を求めてきたのかって、ちょっとお聞きしたいんですけど。
坂口
そうですね、ゴリラなのかは僕もわかんないんですけどね、でもやっぱりゴリラと繋がってるヒト、ヒトがいるわけじゃないですか。人間って、まあヒトと人間を分けるとするならば、人間っていうのはいわゆるこの社会、社会的存在の人っていうか。でも生物学的にヒトっていうのがいて、でそのヒトは毎日働けるわけないんですよね。で一週間で区切られるわけもないし、やっぱりこういうつまんないときに立ちにくいでしょみんな。僕立たないと気持ちが悪くなるんですよ。だからつまんない人は立っていいですからね。でそういうものが、本当に「ちょっとええやないか」なんですよ本当に。だからそういうことで、僕の場合窮屈になった瞬間に鬱になるんです。だから、あまりにもみんなにとって当然らしいんですよね、毎日仕事に行くとか、約束を守るとか、つまりこういう300人の会があったら、もうやらないと無責任だと言われるらしいと。でもそういうこと考えてしまうとどんどんどんどん落ち込んでいってしまう。だからもう元々僕はもう外れるしかなかったんですけども。でも僕は早めに外れてる人を調べてた、っていう感じですね。はじめに自分の参考例を見つけてたので、そっちも有り得る、という風に教わっていたっていう、路上生活者の人たちは、そういう風に言ってて。非常にシンプルな思考をしてた。もっというならば幸福であると言ってたんですよ。
僕新作が「家族の哲学」っていう、僕の家族全員が出てくる、いわゆる小説にしてるんですけども、まあほとんど事実なんですけど書いてある内容は。その時に参考文献を読みなさいと言った僕の同郷のですね、渡辺京二さんという思想史家がいるんですけども、京二さんがそれこそ山際さんの、「家族の起源−父性の登場」を読めと、父性がどのようにしてできたかっていうのをちゃんと読んだ方がいいよって言われて、で僕さっきも言いましたけども本が読めないんですけど、第5章まではパラ読みで、で第6章は全部読めたんです。で第6章の最後の文章は、てかあそこで一冊、てかあの先が知りたいし、社会学的母性がなくなる、崩壊するってあの最後の文章とかは、すごいドキドキしたんですけれども、すごい今回は自分の中では非常に興味深いというか、いろいろ聞いてみたいこともたくさんあるし。自分の中では生理的に、いわゆる生物学的になのかもしれないですけど、非常に生理的に、おかしいっていうものを一切しない実験をやってみてるんですね。それが非常に健康的なんですよ、自分にとってはでも。でも今ほとんどの人は精神病院に送り込まれてるんですよね。あともしくは引きこもりであるとか、あとは自殺者ですよ。でも僕そこと同じラインにいると思ってるんですけど、一歩間違えればそうなっちゃうんで。でもね健やかな錯乱ってものがあって、錯乱はしてるんですよ状態としては。つまり人の言っていることが、論理的に説明しても、僕にとって論理的に聞こえないんですよ、やっぱり。どんなにアベくんが言ったって、非常に非論理的に見えるし、「マンション買ったんです」って言ってる人を僕は本当の気が狂った人だと思ってるんですよ。意味がわからないんですよ、35万円で買いましたって持ってもないお金を何であなたはこう買えるんですか、っていうと、いや何とかこうこうってところからお金が借りれるんです、って言っても、意味がわからないんですよね僕。ないものを。
山極
だからローンでね、自分の将来の夢を買ってると思うんだけど。実は将来の自分に、自分は今奴隷になってるわけだよね。
坂口
そうですよね。
山極
それってやっぱり論理が逆転してると思うんですよね。そういうことになっちゃったっていうのは、やっぱりおかしいんですけど。さっきの質問で言えばね、私が「家族の起源」を書いたのはもう随分前の話なんだけれど、言いたかったのは、父親というのは作られたものだと、作られるものだということなんですよ。いわゆるアクセサリーなんですね。でそのアクセサリーを作ったことが人間の文化の始まりであって、要するに文化を定義しようとしたら、文化っていうのは、ある計画性をみんなで共有することなんですよ。父親ってこれまでなかった。ゴリラだって人間みたいな父親ってありませんから。チンパンジーは父親すらない。でそういうものをみんなで合意して、子供を育てる上で、大きなアクセサリーをみんなで作りましょうよってことで父親ができた。だからむしろね、無理に引っ掛けて言えば、父親はアートの起源かもしれんと思っていて。
つまりこれはどうでもいいんですよ、ほんとはね。だけどそれがあることによって、何か重しができるっていうか、社会が変わるってものなんだと思うわけね。これあの、よくゼロ制度のっていうこと言われるんだけど、皆さんここで裸になる人一人もいないわけじゃないですか。みんな服着てますよね。しかも服は自分の好みって言うけれども、他人の視線を気にしながら服着てるわけですよ。今日私がネクタイ締めて来たのも、やっぱりこの時計台でやるんだったら、ネクタイくらい締めないと総長としてまずいだろうと思ったからしてきたわけで、普段こんなものしてるわけじゃない。やっぱり坂口さんだって、今日みんなに見られる時に、ふんどし一丁じゃまずいだろうと思うよね。だからそれは他者の目から見た自分。で生の自分というものを裸になってさらけ出すことはやっぱりこの雰囲気を完全に乱してしまうので、そういう存在になりたくないと思うからじゃないですか。で父親ってのも、元をただせば同じような問題でね、やっぱり父親であらねばならぬと思ったら、つまりみんなの合意に応えようと思ったら、何らかの振る舞いをするわけですよ。子供に対しても奥さんに対してもね。あるいは他の人々に対しても、自分が父親であるということについての何らかの雰囲気を身にまとってなくちゃいけない。それが文化だと私は思ってるわけですね。そういう意味で言ったんです。
坂口
父性が誕生したのが、いわゆる今勝手に思ってる家父長制みたいに、一人の力が強い男がいて、その人たちがある種手なずけてるっていうわけじゃなくて、その社会の要請として、男女の要請として父性というものが必要だったと。それこそインセクトを忌避するためとか、まあいろんな理由があったんでしょうけど、それもすごい関心、興味があったんです。
あとは人間が森から出たのは、豊かさを持っていたからじゃないかっていうことを、僕はそう読み取ったんですけども、それも僕はすごい同意したんですよね。今ってこう生活が苦しくなることが心配でみんな固まってるっていうか、不安を抑え込むために、不安を解消するためにいろんなものが必要なんじゃないかと思ってるんだけど、本当にそうなのかっていうのを思ってるんですよね。
で僕が家族の哲学で書いたのは、自分が勝手にみんなが父親だというものにならなきゃいけなくなると。僕も窮屈なんで、僕は父親っぽいけれども父親じゃないんだけど、なんかそれに代わるものはないのかっていって、いわゆる社会学的な存在としては何になりえるんだろうっていうのを、いっつも自分でやるんですよ。だから新政府総理って家族で宣言してみたり、それこそ時々は女性問題でも喧嘩になったりもするんですよね、そういったこととか、いろんな問題を抱えて、道化を演じてみたり、歌を歌ってみたり、つまり社会学的父性じゃなくて、なんか他のないのかっていう実験を今やってるような感じがしてて。
で、なんかこう、その時にこう、なんていうんですか、豊かさをとにかく提供したいみたいなんですよ。で、豊かであるっていうことはすごいこう、なんていうんですかね、それがほんとに人が集まる、それこそ水に人が集まるんですから、水ってこの前水源に行ったら毎分60トン、うちの阿蘇の水源から出てるんですよね。過剰供給でしょ、しかも。過剰供給の毎分60トンの水が、澄んでて中に銛があって、やっぱ見てると声とかがばらばらと聞こえてくるんですよ。で、こういうところから生きてて、俺ら普通にバイトとか行ってんのかーとか思うと。
でちょっと最近社会学的精霊とかに関心があるんですよ。僕達に神様とかいないものと思ってしまってるんだけども、そういうのある種社会の要請として、そういったスピリットとか、そういったものが次浮かび上がってくるんじゃないかって。それをしかも人間が立ち演じなきゃいけないかもしれないと。だからそういうこととかを、僕は今ちょっと、危ないですけど関心を持っている。でそれをあんまりここでなんとかセミナーとか言ってホワイトボードを元に言ってしまうと、入り口で「入信したい人」とかいって名前書くようになっちゃうんで、そうはどうもしたくないみたいなんですよね。
坂口恭平氏・山極総長
山極
坂口さんはね、建築家から出発して、いろんなものづくりをやってきたんだと思うんだけど、ものを作る衝動って一体何だろうかと思うのね。でさっき坂口さんが、人間が森から出て行った理由は豊かさっていうことを言ったわけだけど、豊かになろう、なりたい、っていう衝動は、誰もが持ってるわけですよ。でも豊かになろうってことと贅沢になろうってこととは違うわけだよね。で物質的に豊かになって、人より質の高いものを身に纏ったり、周りにはべらしたりしながら、豪華に暮らしたいって思う気持ちと、豊かさっていうのはどっか合わない気がする。坂口さんが言っている、ものづくりをしながら豊かさを追求するっていうのはどういうことなんだろう。
坂口
「くぅ〜っ」とかいう感じですけどね。言葉で言うと、「くぅ〜っ」とか。なんかないですか、春とかの、今日とかも、すごい気持ちがいい時に、まだ咲いてない蕾がこうポンポンポンってしてるとこに、2、3個ぱーんって開いてて。こう耳元で僕はデンマークのペデルセンっていうジャズ、ベーシストがいるんですけどもウッドベーシストが。優しいんですそのウッドベースが。それでですね、ノルウェーの民謡を自分でアレンジして弾いてんですけど、ベース音で子供達がわらべうたを歌ってるその歌をベース音でやるんですよ。それを聞きながらこう「くぅ〜っ」って涙が出てきたんですよ。僕にとってはこれが湧き水だと思ってて。涙っていうのは「波だ」なんですよ。This is a waveっていう。わかりますか、もうこれトークショーですけど適当な話ししてますからね。だから音楽と思って聞いてもらえればいいんですけども。This is a wave って言ったんですよ。これが「波だ」って、だから、波がこう来てるので、その波を感じたことが音楽に変わってくんですよ。で、絶対に音楽っていうのが、あの、なんていうんですかね。鳥って豊かでしょやっぱり。鳥とかが、猿は絶対惹かれてたはずなの。だから樹上で、見てたでしょ、どう考えたって鳥と同じ視点でテナガザルは見てるわけで。
山極
猿にとって実はね、鳥は敵だったからね。
坂口
はあ〜。
山極
だって猿の食物、食卓をさ。
坂口
そっか食レーンが一緒なんですね。そっか。
山極
鳥とね、争うわけよ。だけど猿は、だから樹上で暮らす猿たちって鳥みたいに色とりどりなんですよ。顔にいろんな色、毛にもいろんな色、はべらしてるわけ。
坂口
それ擬態なんですか。
山極
あれは樹上の世界で、要するに色彩を中心に暮らしてるからね。だけど音に関しては、鳥の方が圧倒的に豊かなの。
坂口
憧れがあったと思うんですよ、猿たちも。
山極
それはね、遠くに飛ぶ、猿は飛べないじゃないですか。鳥は飛べるでしょ。だから、少し離れて音声を相手に伝えることができる。距離感が全然違うんですよ。あっという間に相手に近づけるでしょ。猿は、枝から枝へこう伝っていかないといけないから、声ってそんなに遠くまで響かせるものじゃない。だから圧倒的に猿は負けてるんですよ。でも猿を祖先とする人間は、鳥になろうとしたわけでしょ。
坂口
精霊って大体鳥じゃないですか。精霊が鳥なのも、一番近しいし、やっぱり今でもこう鳥の声が聞こえるとドキッとしますから。で僕はその、わかりますかね、こんだけ安保とかなんとかとか言ってて、俺今音楽でしょ、って思ってるわけですよ。今音楽をやんないとダメだと思って、ずーっと曲作りしてるんですよ。どうやったら人間全員がブワ〜ッと、「くぅ〜っ」っと言ったり、わかりますか、言葉にならないのでこれって、で非言語の方に向かっていかないとダメだと思うんですよ。
山極
例えば「感動」って言っちゃうと、あまりにも浅ましい話になっちゃうんだけども、元々ね、僕は言葉の前に音楽っていうのがあったと思ってて。音と音との組み合わせで、あるいは音を作り出して、お互い伝達する、心を一つにするみたいな時代がかなり長く続いたと思うんですよ。そっちの方にね、さっき「くぅ〜っ」って言ったけど、そういう瞬間が毎日毎日、いくつかあって、それが人々を遠ざけたり人々をくっつけたりしてきた時代がある。そっちの名残をね、我々は強く持ってると思うんですよ。今言葉で表面的に他者と繋がってるような気がしてるけど、本当につながるのは言葉ではなくて、言葉っていうのは繋がったことの説明でしかない、あるいは別れたことの説明でしかない。でしかもそれは自己満足にしか過ぎなくて、結局人と人とをこう結びつけているのは、音そのものだと思うんですよね。
坂口
そうだと思うんですよね。トークショーとかも今これほとんど錯乱している会話なはずなんですけど、なぜか意味わかっちゃったりしてる人とかいるんですよ、メモれたりとか。俺おかしいと思うんですよ、メモれてる人とか。だからそういういこととか、でもこれが矛盾がないように、一見矛盾がないように会話ができているとか、そっちに僕今ちょっと気付いてきて。
初めは路上生活者フィールドワークしてたんだけど、だんだんだんだん今、今回こう「家族の哲学」っていうのはもうほとんど家族だ、しかも台所でしかほとんど繰り広げられてないんですよ。で僕が書斎で鬱状態で引きこもってる時の記録なので、移動がないんですよね。だけどここでフィールドワークし始めてるんですよね。でこう家族をフィールドワークしながら、してるとですね、観察とか客観視では捉えられないものがあるっていうか、そのなんていうんですかね、それを。昨日ねちょっと書いたんですよ、なんて書いたんだっけな。人間はフィールドワークする、客観視する、観察する、然りそれだけで人間の体はそれ自体が一つの装置でもある、と。つまり僕たちは観察をしつつも、同時に自分たちからなにかこう出してたり、感じてたりするので、楽器のようなものだと。で猿は樹上で鳥と同じ視線を獲得していたのではないか、その時に音楽を学んでいた。つまり鳥の視点。で死ぬと骨になって土に戻るので、土、土地の記憶も俺らは持っている。それらを持っていることに気づけ。それは観察では不可能である。だからこそ想像する必要がある、って書いてあるんです。で俺これ記憶があんまないんですけど、メモで書いてるんですね、携帯で。耳を澄ませ、って書いてあります。
山極
多分ね、「想像する」ということはどうやって出てきたかというと、ゴリラ、チンパンジー、これはすごく人間に近い類人猿だよね。彼らは非常に高い知性を持っている。だけど彼らとやっぱり我々人間が一番違うのは、仲間の不在を受け入れられるってことなんですよ。チンパンジーは一旦離れちゃうと、しばらくは離れてられるんだけど、でも声は聞いてるわけだよね、声の聞こえないところに出ちゃうと、これはもうよそ者になっちゃうわけですよ。二度と戻ってこれない。ゴリラもそうなの。戻ってこれない。人間はね、四六時中どっか行っちゃって、また帰ってくるわけじゃないですか。家族って言ったって、ちょっと離れて、また帰ってくるでしょ。それでも家族なんだよね。あるいはその、家族でなくても、村の仲間が、一ヶ月どっか行って帰ってきた。でもそれは村の仲間であって、決してよそ者じゃない。そういうものを受け入れられる。じゃあどうやって受け入れているのかって言ったら、そいつがいなくてもそいつがいる形があるんです。例えば座布団が残っている。つまり、人間は記憶っていうのを外に出した。だから、彼が作ったもの、あるいは彼が座っていた椅子、彼が食べていた食器っていうのがそこに残っていることによって、いるんですそこに。でそれが人間の想像力で、これがね、圧倒的にゴリラやチンパンジーと違うところ。それで人間は、奴らが作れない社会をものにしたんです。
だからそこがね、僕はどっちかっていうと、ものに乗り移る心、それは音楽にも通じるし、造形にも通じるし、まさにアートの心に通じると思うんだけど、そういう心を持ったことによって、人間っていうのはかなり許容力が高くなった。つまり家族を、離れても家族を維持できるようになった、っていうことじゃないのかな、って思うんですけどね。
坂口
それで僕がですね、今新作書いてるんですよ。それが「現実宿り」っていうタイトルなんですけど。雨宿りじゃなくて。雨宿りってshelter from the rain under the treeとかじゃないですか。だから雨からの避難所なんですよね。だけど日本語だと「雨宿り」って書くんですよね。だから不思議だなと思って。しかも軒先の下に入った途端に雨が、嫌だった、それまで雨に打たれてたはずなんだけど、入った途端に雨が壁に変わったり、なんかこう雨の日ってちょっと眠くなったりするじゃないですか。だからrain is shelterとか、そういう風な共感性を持ってて。で今回shelter from the realityってのを書いてみたんですよね。僕たちは現実ってものをあるものって思ってんだけど、今僕は書いてるんですよなぜか、毎日10枚誰から書かされたかのように毎日書いてるんですけど、それが今28万字書いてるんですよ。止まらずに28万、もうなんか大本教みたいな状態になってて、で主人公がですね、あるどこかの砂漠の砂、でこれが「私たち」っていう人称で、砂と、もう一人が片目を失った、鷹かなんかに食べられてしまった、中くらいの、中型の鳥の片目なんですよ。右目で。もう一人が、現代の2016年の誰か、まあ「私」という人間、っていうその3人に分裂してて。この前精神病院に行ってそういう話してたら、「あ、坂口さん症状が落ち着かれたのは、こういった形で分裂がもう完全に定着してきてますね」ってな感じで。分裂がうまーくこう、浸透してきてて。
山極
でもさ、昔のね、人間って、色んなものやね、岩とも語れたし、さざ波とも語れたし、木の葉っぱとも語れたわけでしょ。でそれは人間の言葉に固執するから語れないと思っちゃうんで、ちゃんと反応するわけですよ相手はね。まあそれが人間の独善性というか、想像の世界で遊んじゃった結果なんだと思ってて。それを今やってるんじゃないの。
坂口
そうですよね。だからずーっとフィールドワークしてたはずが、ちょっとずつ裏っ返しになってきてて、でそれが今ちょっと物語を作るっていう、創造の方にこう、こんな感じ(手振り)でひっくり返ってるんですよ。で僕ん中でこれ、でも政治的な活動のつもりなんですよ。いわゆるアンガージュマンというか、完全に政治参加としてやってるつもりなんですよ。で、非常に書斎でただ書いてるだけではあるんだけど。で完全に分裂した錯乱したような原稿なんですよ。読み返しても何のことやらわからないし、構成も何も考えてないんだけど。ある文字列があって、文字だけ読んでても言葉の意味はわからないんですよ。ただ、読み聞かせてるんですよ友達に。そしたらね、あと10分くらい聞きたいって言って、延長、って感じで言ってくれるんですよ、意味はわからないんだけど。だから、誰もバイオリンのコンサートで、それはドのシャープですか、レですかとか聞かないじゃないですか。だから、音楽はみんなすーって聞いてんだけど。
山極
それはね、多分、「境界」って話じゃないかな。つまり「バリヤー」ね。あるいは「フロンティア」ね。そういうものを、人間は人為的に作ってきたわけよ。で結局そんなものはないんですよ。僕はだからいつも、いつもっていうか大学はジャングルですって言ってるんだけど、ジャングルってのはとにかく圧倒的な生物多様性があって、虫もいれば、いろんな植物もいれば、鳥もいれば、獣もいればね。トカゲもいれば蛇もいれば。っていう、そういう連中が、境界なしに暮らしてるわけね。で境界ってのは、今人間が物理的に線を引いてるわけですよ。人間の居住域には、野生動物は立ち入らせない。で来たものはみんな害獣か害虫なんで、みんな追っ払うわけでしょ。で観賞物だけカゴに入れて、あるいは鉢植えにして置いとくわけですよ。で本当はそんな暮らしなんかしてなかったわけでしょ。境界を引けなくなったら今度は人間にも境界を引き始めたわけじゃない。それが政治なんですよ。でそれにね、嫌気がさしていて、坂口さんは、どんどんそれを取っ払って。本来そういうものだと思うんです。そういう心のあり方から、人間は出発した。だから、みんな受け入れられるはずなんですよ、自分たちだって受け入れられた。僕がそれに気づいたのは、最初に私がお話をした、ちょっとだけって言いながらゴリラの群れの中に入っていけたって時。彼らは、全くの異物の私を、最終的には受け入れてくれるわけですよ。でそういう心を人間もずっと持ち続けているはずなのに、何か境界を設けないと安心できなくなっちゃって、その境界の中に閉じこもることで、しかもその心理的な境界だけじゃ満足できないから、いろんな装飾品で壁を巡らしてるわけでしょ。それが逆に自分を規定してるわけですよ。自分を圧迫してるわけですよ。
坂口
やっぱゴリラに名刺渡せないですからね。そういうのとか俺すごいドキッとするんですよね。渡せないんで振る舞いでやるしかないじゃないですかね。あんまり怖くないよ、でも結構好奇心はあるよ、とか。結構好きだよ、とかそういうことをなんかこう、こういう感じ(身振り)でやるわけじゃないですか。
山極
熱意だけじゃ駄目なんだよね。
坂口
餌ですか。
山極
向こうの世界のルールに、こっちが体ごと表現しないといけない。だから、どんな動物だって表現型を持っているわけですよ。身体そのものが表現型だし。で身振り、表情ってのは表現なわけでしょ。その表現っていうのはまさにその世界のルールだから、そのルールを知らないといけないわけね。知らなくてもやっていけるわけ。いい加減でいいんですけども、それは敵対視されないことが条件。そのように振る舞えるように、実は身体っていうのは作られてるはずなんです。それを逸脱しちゃったのがアートなり、人間の作り出したものであって、建築物ってのはまさにその典型だと私は思っていて。どうですかそういうの、そういうふうに思いません?つまり建築物って元々はね、人間の社会の、個人個人の関係を表すものだったはずなんです。だけどそれが逆に、個人のものに建築物がどんどんなっていって、それが今度は、人間関係を逆に規定するようになってしまった、っていうのが私の印象なんですけどね。
坂口
でも昔話とかそう言ったことは読めるじゃないですか、それでみんな地獄に落ちてたので、いわゆるそう言った社とか社殿を作ってた人たちは全員地獄に落ちてたじゃないですか。で、わかりますか、皆さんからもらったもので建ててる人とかいうは全員地獄に落ちてるんですよ。で僕はそれを見て、非常に、ただエデュケーションを受けているという。もうそれ、ああ地獄に落ちるので。この前、細川さんっているじゃないですかね、僕護熙(もりひろ)さんの長男とすごい仲いいんですよ。背中を触ると音量がすごいんですよ。触るだけでね、ああやっぱ土地所有ってのはきついんだね、って言ったらきついよ、って。それはきついと思ってマッサージをずっとしてたんですよ。そしたらそこにある、彼は陶芸家なんですけど、楽茶碗をね、たぶん何十万ってするんでしょう、「あげる」って。手当てしただけですけど僕、「あっ、ありがとうございます」って言って、こう、本当に物乞いするチンパンジーですよ。弱い、劣位者の。そういう感じでやってて、あっそうか、大変、よかったマンション買わなくて〜と思ってんですけども。建築も典型だけど彼らはもう自ら地獄に行くっていう、そのために聖(ひじり)にならなきゃいけないくらいのつもりでやってる人しか僕信用してないですよね。だって、これも武田五一さんが作ったわけですよね。こういう人とかはもう、一歩間違うととんでもないとこ行くので。つまりあらゆる、ジェノサイドですからねこれは。土を掘るだけであらゆるものを蹴落とすというか、大量虐殺ですから。そういったものを含めて自分の中で、入れるっていう。僕ね建築自体に否定はしてないんですよ。そういう役目を持っている人であるっていう。で僕の仕事としては、そうじゃないあり方を、それこそゴリラの世界に入っていく人のように、多分。
あ、時間ですかそろそろ。時間過ぎましたね。
山極
過ぎちゃったね。もう一言くらいしゃべって。もう一言くらい最後にしゃべってください。
坂口
なんですかね、僕はだから、最近はそういったこと、さっき今までずっと言ってたようなことに素直に耳を澄ましてるだけなんですよね。でみんなもそれぞれ納得いかないこととかおかしいこととかあるし、いのちの電話してたら単純なんですよ。連絡とるでしょ、繋がって、ほっ、って言って切るんですよ。こういう状態になってるんだなあと思ってて。で俺が考えてること意味わかるでしょっつったら、わかります、って。「くう〜っ」ってしますかっつったら、「くう〜っ」ってなります、って。じゃあオッケーオッケー、10年くらい続けるから、それまで死なんどいてくれっていう。わかりました、っていう。だから理解されるとかされないとかでもなんでもないので。どうでもいいんですよ、だから。俺はもう原稿用紙今10枚ずーっと書いてんですけども、年間3,650枚ですよね、そうすっと。それを10年続けて36,500枚書いてみようと思ってんですよ、大本教のように。そんときに、なんか人に伝わればいいと思ってて、だから何かこれで理解されるとか、そういうものをもうちょっと超えたものにならなきゃいけない。今の人間の論理的に理解されるとか、認知されるとかじゃ、もうね、碌でもないですよ。こんな民主主義って言って全部嘘ですからこれはね。だからそうじゃないものにどうやってすればいいかっていうのを言語化していく、っていうか音楽化していく、っていう感じなんですけど、そういうことをやっていきたいな、と思ってます。
山極
ありがとうございます。坂口さん最近は、人前にあまり出ないっていうんで、心配してたんだけど、いやあ、パフォーマンスの人だなあと思いました。
坂口
ギターも持ってきてね、歌いもせずに。
山極
後で歌ってもらうけどさ。やっぱり僕はアートは元々自己表現から出てきたと思ってるんですよね。で自己表現って今、単に言っちゃうと、単にコミュニケーションと誤解されちゃうかもしれないけどそうじゃなくて、なんなんだろう、やっぱり自分が自分でいられなくなっちゃうっていう、そういうことなんだと思うんですよね。自分を変えたい。しかも、人間っていうのは、自分を自分で定義できなくなっちゃってるから、他者に定義してもらわなくてはいられないわけですよね。だから人と付き合う。でその中で自己表現をする。それがこう、どんどんどんどん膨張しちゃって、しかもさっき僕が言ったみたいに、いろんな境界を張り巡らされていると、それをちょっと越えたいという気持ちが出てくるんですよね。それをすごく正直に表現してる、っていうのかなあ、坂口さんはね。そういう気が、すごいしました。
坂口
わざとやってますけどね。これも1つのパフォーマンスというか、これやってんだからっていうのをわざとやるんですよ。自由ですよーって言うと、ドキッと人間がして、一瞬その境界がぶれるんですよ。それを僕は見てて、何人かちょっと目がぐってなってる人とかを確認するとそれで帰っていくんですよ。なんかそういうことは思いますけどね。
山極
ありがとうございます。すごい力を感じました。
坂口
ほんと面白かったです。ゴリラとして頑張りたいですよね、だから。まあ人ですけどね。
山極
もうちょっとゴリラになった方がいいと思います。自分自身ですよ。
どうも、お騒がせしました、ありがとうございました。
坂口
ありがとうございますほんとに。