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第3回「京大おもろトーク: アートな京大を目指して」〜アート、ゼロの領域 第3回「京大おもろトーク: アートな京大を目指して」〜アート、ゼロの領域
2015年11月25日(金)

司会:中津良平先生(以降敬称略、司会)
パネリスト:蔡 國強 氏(現代美術家)(以降敬称略、蔡)
磯部洋明 氏(総合生存学館准教授)(以降敬称略、磯部)
伊勢武史 氏(フィールド科学教育研究センター准教授)(以降敬称略、伊勢)
高木 遊 氏(総合人間学部4回生)(以降敬称略、高木)
中津
それではですね。時間ですので第三回京大おもろトーク。アートな京大を目指してはじめさせていただこうと思います。
今日はあいにくの天気ですが、非常にたくさんの方にいらしていただきましてありがとうございました。
簡単に今日のプログラムのご紹介をします。まず挨拶がありました後に、今日の主役の蔡國強さんに、約50分の時間をですね、説明、これまで作って頂いた作品の説明をしていただくと。それからですね、京大の三人のパネリストの方に伊勢先生、磯辺先生、それから学生の髙木さんに入って頂いて、それぞれ自分のやっていることを簡単に紹介していただくとともに、蔡國強さんに加わって頂くとともに、今回の主旨に合うような議論になればいいと考えておりますが、そういう風に考えております。
その後に休憩にはいります。そこでですね皆様にお渡ししておりますが、質問表を回収します。それと同時にトイレをつかってアートをやるというのが、今回の一つの売りになっておりますので、ぜひ休憩の時間にアートの展示をみていただきたいと思います。
その後、むしろイベントとしてはここからが本番になるかと思いますが、会場からの質問もいただきながらディスカッションを進めていくと。さっそくですね、挨拶の方に入らせていただきますが、まず京都大学総長の山極先生に挨拶をいただきたいと思います。
特に、今回のタイトル「アート、0の領域」ですか、なんか意味深なタイトルではありますが、これの説明もしていただけるのかなと思っております。
山極総長
山極
こんばんは。今日は4月から始めました京大おもろトーク、アートな京大を目指しての第三回目になります。最初は「垣根を越えてみまひょか」というタイトルで、土佐さんと私と狂言師の茂山千三郎さんでトークをやりました。二回目は「京大解体」という物騒なタイトルで、森村泰昌さんと酒井さんとそれから大塚君と三人でやってもらいました。
三回目ということで最初私は「アートがあけた穴」という風にやりましょうと提案しました。穴ですから展示されておりますマンホール。それから穴というと、ちょっとセクシャルなイメージを持つのではないでしょうか。そういうアート。
そして、蔡國強さんには、たくさんの穴を空けていただきたいと思っております。京大は解体されてしまいましたので、穴だらけにしていただいて、さあどうなるか、ということを大変期待しております。私はなぜそういうイメージを持ったかといいますと、アートというのは元々は自己表現だと思っています。私は動物学をやってましたから、鳥やほ乳類にしても色々な動物たちはそれぞれに色彩豊かな世界を持っています。人間は三色ですけれども鳥やは虫類は五色ですので、人間のほうがむしろ貧弱なくらいです。非常に豊かな色彩感覚をもって、自己を表現する。
そのうちにですね、様々な関係性、個体ともの、ものともの、個体同士、という関係性がどんどん豊かになっていって、それが畳み込まれて爆発する。その過程がアートなのではないかと思います。
ところで、最初になんにもない穴、そういう空間にもどってもらって、アートとは何かというのを再び考えようというのが今回のもくろみでした。
さてそれをどうみなさんが料理してくれたかを楽しみにしております。是非お楽しみください。これで私の挨拶とさせていただきます。
中津
ありがとうございました。それではですね皆さんがいらっしゃいます、この建物、思修館というんですが、ここの館長の川井秀一先生からも挨拶をお願いしたいと思います。
川井
みなさん、こんにちは。川井でございます。山極総長のほうから第三回目の京大おもろトークをこの東一条館でやっていただけるということですので、大変感謝申し上げたいと思っております。
また皆様にも雨のなか足を運んでいただきまして、まことにありがとうございます。実はわたくしどもも、この2月にこの東一条館に生存学館として引っ越してまいりました。皆さんの中には、東一条館に始めて足を踏み入れたという方も多いかと思います。この地は、よくご存知の方は左京区役所跡だとという風に覚えておられる方もいるかと思いますが、もう少し歴史をさかのぼっていきますと、京都大学はこの東山の地に明治30年に設置されましたが、その10年後に、このかみやだち、中阿達の地に京都市美術工芸学校が移転してまいりました。そういうこともありまして、元来、ここは文教の地であると同時に芸術の地でもあるという風に、時の京都府京都市が考えていたのではないかと思っております。
そういった縁もあって、ここにもし初めてお越しになられた方がいられましたら、一階のところに、ラウンジがございますが、そこに彫刻、陶器・陶芸、漆芸・漆、テキスタイル等がいろいろと展示してございます。これも、今申し上げた、京都市京都美術工芸学校の後進といいますか、京都市の芸術大学の多くの名誉教授の先生方、あるいは職員の方々の作品でございますので、またお楽しみいただければと思います。
今日はアートを語るということで、蔡國強先生にお話いただけるということで、わたくしも楽しみにして参りました。ここの東一条館はオープンにオフィスアワーの時は誰でも自由に入れますので、ぜひこれを機会に、先ほど申し上げたような形でアートをお楽しみいただければと思います。
思修館は京都から世界に発信できる人材育成を目指しておりますので、是非またご支援をよろしくお願いいたします。これで挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
中津
それではさっそくはじめさせていただきたいと思います。蔡さんに登場していただく前に蔡さんの生涯といいますか、それを記録したようなビデオを上映いたします。
蔡國強氏
ビデオが上映がされる。
中津
大半の方が蔡國強さんをご存知かと思いますし、ご存じでない方も今のビデオを見て、蔡國強さんのアート作品と今までの生涯をお分かりいただいたと思います。現在から過去にさかのぼっていくという紹介の仕方は私にとっては新鮮だったんですが、これからご本人に解説を行って頂きたいと思います。それではいよいよ蔡國強さんにご登場いただきたいと思います。よろしくお願いします。
山極総長、いろいろとありがとうございました。土佐さんもご招待いただきましてありがとうございました。
最近、京都とご縁があってよく来ることができて、嬉しいです。徐々に京都が、自分のアートを発見する基地だとか、いろいろ対話できる場所だとかの一つになってきています。それで今回、土佐さんと山極総長のアイデアに沿って、京都の大学生を対象にして何を話したほうがいいかを考えてみました。そして若い時に自分が何を創ったのかを紹介することにしました。
先ほどのビデオみたいにすごそうな自己宣伝をいっぱい見せるだけではなく、もう少し素朴なものもあるという事を紹介したいです。先ほどのビデオはユネスコで賞を取った時のもので、平和アーティスト賞を取るためのビデオですので、自分の偉そうなことを伝えています。
タイトルは「美術史で遊ぶ」。自分自身はいつもそのような気持ちでやっていますので、あまり疲れないのです。この前モスクワに行って会議してまたニューヨークに帰って、日本に来て。遊びじゃないと疲れてしまうのです。
小タイトルは「美術館に穴を開ける」ということです。なので美術館の話も多いです。
本当に美術館に穴を空けたこともあります。1994年に世田谷美術館で、秦の始皇帝の展覧会をやっていた時、私は美術館の外に穴を掘りました。中に入れるように基礎を破壊して掘りました。美術館では始皇帝を展示してたので、同時に外で私の蔡國強展をやったのです。私は、出来たら自分の作品は内側に入れるようにしようと考えていたのです。
結局、みんな盗掘です。お墓から盗んできたのです。もともとアジアは博物館がなかったのです。大体お墓に作品がありました。ほとんどの作品は盗掘です。お墓から盗んだのです。それでパフォーマンスもしました。俳優にお願いして始皇帝を演じてもらって、お客さんの見える真ん中のところでケシを燃やしました。ケシを燃やして、その匂いを吸うと幻想的な気分になりました。2千何百年もの時代を越えました。ケシも中国から持って来ました。世田谷美術館の元館長の大島さんに税関に説明する書類を先に書いてもらいました。私は90キロもケシを税関に持ってきて、「これはケシです」といいました。「ケシ。何をするために?」「展覧会のため、作品になるから」税関の人に大島さんの手紙を見せて読んでもらいました。「そんなものも作品になるんですか、知らなかった。どうぞ」と言われて通りました。悪いヤツは、税関に直接持っていって見せるわけないので安心してくれました。
1992年頃に日本に来た時は、まだ若かったのでまったくお金が無かったのですがインスタレーションを創りたいと思っていました。十万円しかないですが、展覧会をすることはできないかと言われました。私は川崎の工場にお願いして、廃車を溶かして「嘆きの壁」を創りました。何百、何千台もの溶かした廃車が「嘆きの壁」になりました。座布団もその溶かしたもので出来ています。固い座布団に座って鑑賞するのです。この会場の中に、うちの娘のおむつを使った作品も創りました。当時、娘は生まれたばかりでしたので毎日おむつを洗いました。それをリサイクルしたわけです。そして展覧会が終わったら、壁とか座布団を車会社に売って、作品はまた新しい車になりました。そのために実は10万円はちょうどよかったのです。私は10万円を使って大きい展覧会をしました。
こちらは水戸美術館で展覧会を開いた時の作品です。キュレーター(学芸員)のアイデアは、「今のアーティストは60年代、70年代のアーティストに比べると、エネルギーがない。なぜダメなのだろうか。今の美術館はシステムができすぎてしまってアーティストは力がなくなってしまった」ということでした。私はわざわざその展覧会のギャラリーの窓を外して、部屋の中で200羽の鳥を育てました。お客さんがその鳥かごに千円入れたら、鳥一羽を釈放する権利を得るのです。窓から見ると展覧会のタイトル「開放システム」と書いています。鳥がずっと「開放システム」を見ているのです。千円入れたら、ひもを引っ張り小さい窓をあけて、鳥一羽を釈放します。一羽千円で、私は20万円ほどもらいました。実際鳥は100羽しか逃げませんでした。残りの100羽は逃げなかったのです。お客さんは、お金を入れても、鳥がかわいそうなので「いけいけ」とあまり言えずに我慢してたのです。そして展覧会が終わった時、私はもう他の国で展覧会をしていたのですが、水戸美術館から電話がかかってきました。「蔡さんどうしましょうか。まだ百羽もいますけど、もう展示を続けることはできないから…」私は「いいよ。美術館の網を全部開けて鳥を全部外に出したらいいよ」と提案しました。鳥は100羽全部出しました。そして窓にガラスを復元しました。しかし、鳥たちは毎日ガラスに激突するのです。なぜかというと、屋内にはエアーコンディショナーも食べ物も飲み物もあったので、鳥たちは入りたいわけです。そういうことを見せたかったのです。一ヶ月ほど、近所の人は美術館にかわいそうと文句を言い、美術館のスタッフは窓の下にえさを置きました。ようやく1ヶ月後に鳥たちはどこかへ行ってしまったのです。
これは別の動物を使った作品です。スペインの人からビジネスクラスの飛行機チケットのお金は払えないけど何か作品をつくれないかと言われました。私はいいよと言ってそのお金で亀を買って、その亀の上に植栽をしました。木とかお花とかを甲羅に植えられた亀があちこち動くことによって、「移動する庭」を表現したのです。1億円もらっても、すぐに使ってしまいますし、10万円、1万円でも作品を創れるには創れます。
蔡國強氏
去年、アスペンというアメリカの有名な街で作品を創りました。アスペンは百年ほど前に石炭が取れて発達した街です。今では鉱泉がなくなり、たくさんのゴーストタウンが残ってしまいました。私は展覧会のためにいろんな亀にお願いして、撮影をしてきてもらいました。亀の甲羅にipadをつけたのです。亀は観光客みたいにあちこちで撮影を行いました。亀は旅行したのです。いろいろな廃墟を亀は上手に撮影しました。亀の歩くスピードもよかった。そして、面白い映像が撮れたのです。ゆっくり歩いて、こっちを撮影したり、あっちを撮影したりするのです。亀のとった映像は、普通の人間のカメラマンよりもずっと上手でした。しかも低い視点から撮るから本当によかったのです。亀は部屋の中にも入っていろいろ撮影してきました。そして作品ができたら美術館の庭に亀に優しい環境を作りました。亀はその中でそのままビデオを背中に持ちながらお客さんに作品を見せたのです。つまり自分の撮った映像を自分の背中にのっけてお客さんに見せたのです。これは少しメディアアートみたいです。
そして、私はオープニングのために、「黒い稲妻」を創りました。昼ですから稲妻は全部黒で創らなければなりませんでした。亀もその「黒い稲妻」を見ました。それも撮影することができました。これは人間が見た「黒い稲妻」です。どんどんどんどんと空から降って来るのです。コンピュータチップを球に入れて落としているんです。そうしないと上から下にはいかないのです。
アメリカに行った時、ニューヨークの美術館で「文化大混浴」を創りました。まずはきれいな庭を創って人々を魅了させないといけませんでした。そしてジャグジーの中に人間にとってすごく健康によい漢方薬や、美しくなる漢方薬などをいれました。アメリカの場合は、お客さんはサインをすれば、ジャグジーに入ることができます。サインしてジャグジー入ったらそこで起きた問題は美術館のせいではないということです。フランスの場合はサインをしなくても裸で入れます。こちらは台北でやったときの写真です。美術館がジャグジーになるとか、お風呂場になるなんていうこともしてきました。結局、お風呂にはいるとみんな近い距離で対話しなければならないのです。違う人種とかいろいろな人とも出会ってしまうのです。お客さんは、お風呂、ジャグジーの中でインタビューされたりしていました。
美術館をゴルフ場のようにしたこともあります。中国の国旗をたてたりしました。社会主義の国はどこもゴルフ場がいっぱいあるので、それをテーマにした作品でした。お客さんが美術館のギャラリーでゴルフできるようにしたのです。いろいろな国の美術館でゴルフ場を作りました。
こちらは「私は二千年虫」という作品です。ウィーンでやりました。ちょうどあのとき、みんなコンピューターで2000年になったら大きな事故が起きるのではないかと思っていたので、私もわざわざコンピュータを使ったのです。真ん中には何千発、最後は1万5000発ほどの爆弾がありました。この爆弾の下に全部地雷みたいなセンサーが付いていて、お客さんがどこかを踏んだら、どこかの爆弾が爆発してキノコ雲が出てくるという作品です。お客さんがたくさん入ると、誰にどこを爆発させるかさせないかをコンピュータが自分で決定することになりました。
もう一つ、いつもはあまり紹介しないのですが、今日は紹介します。これはほとんど人に見せてないです。イギリスのアイルランドのプラウ地区でやったものです。ギャラリーの中のたくさんの場所に芭蕉を植えて、葉っぱの上に鬼の物語を書きました。お客さんは静かな美術館を歩いて、この物語を読みながら怖くなるのです。たとえば、葉っぱの上に「君の後ろ、誰かいる」と書いてあるわけです。読んだらちょっと怖くなりますね。そういう怖い、鬼とかそういった見えない世界の存在を、ギャラリーで、展覧会ができるかどうかを考えたのですが、なかなかうまくいきませんでした。いつも挑戦なので、難しいです。毎日、夜の誰もいないギャラリーを監視カメラで撮影して、翌日、別のギャラリーでプロジェクターを使って大きく投影することもしました。お客さんはみんなゆっくり時間をかけて、昨日の夜このギャラリーで何あったかを興味深くずっと見ているのです。そして、見ながら少し怖くなってくるようです。
それではもう一つ。シドニーのビエンナーレで、2000年の時に、私は写生実演をしました。客はギャラリーにある油絵絵画を鑑賞しています。そしてあるギャラリーに入ると、突然裸の女性が馬に乗っていることにビックリするのです。地元の絵描きたちを集めて、みんなでこの女性と馬を写生したのです。私も絵を書いてしまいました。
こちらは美術館で川を作ることになった時のものです。上に展示されているのは全部自分の作品です。だから自分の作品を見るために、船に乗って、あちこちに行きます。「随意の歴史」という作品です。美術館の川です。そして、美術館でいろんなローラーコースターを作ったこともあります。上にはフランスの美術史を貼って、ローラーコースターに乗って、いろんな美術史を見学するのです。そして結局、美術史はローラーコースターのように、誰が作ったのかということです。このような感じです。
フィラデルフィアで、私が北京オリンピックの仕事をやってるうちにフィラデルフィア美術館の館長アンヌさんは、私の個展のワンマンショーをやりたかったようでした。しかし私は忙しくてやることができませんでいた。北京オリンピックが終わって、戻ったら、彼女はガンで亡くなっていました。彼女の友達である、もう一つ美術館の館長のキッピーさんは、「いつもアンヌさんは蔡さんの展覧会をやりたいと言っていた」というので、私はキッピーさんとアンヌさんの友情の物語を録音して、中国の田舎の農民たち、要するに布を作る職人さんたちに、その録音したテープを中国語にして聴かせました。職人さんたちは物語を聴いて、自分で想像して、この物語をずっと布で作っていくのです。三か月の展覧会のうちに、その物語のイメージを自分たちの想像で作っていきます。もう一つのギャラリーには川を作って、その物語を聞きながら、絵を描きました。描いた絵をオープニングの日に、爆発して、火薬の絵画をつくりました。それは一つの長い絵巻物みたいでした。絵ができたら、そこに水を流し込み川にしました。するとその川は、水をずっと循環で流しているので、絵はどんどん薄くなってしまいます。三か月の展覧会のうちに、流れる水で絵がだんだん薄くなるのです。つまり記憶は消えていくという考え方です。
この方がキッピーさんです。今私が展示している美術館の館長です。そして、こちらがアンヌさんの旦那さんです。開会式にきてもらいました。これが川の写真です。私はアンヌさんの記念のためにフィラデルフィア美術館の外から街に向かって、花の形に爆破しました。
これは広島の作品です。美術館の床にたくさんの水を入れて池にしました。「無人の自然」という作品です。今度はオリーブオイルで行いました。ニースでやりました。オリーブオイルには一週間に必ず誰かが一人落ちます。注意しないで落ちてしまいました。今度はメキシコでメスカルのお酒で行いました。9トンも使いました。これをメキシコ大学の美術館でやったのです。メキシコの大学の学生たちはお酒をのんではいけないのです。なので学生たちは毎日ここに来て、だれも見てない時にこっそりと飲むことになりました。蒸発もあって、学生たちも飲むから、だいたい1週間で1トン入れないといけませんでした。匂いがものすごくキツイので、自分もこのそばに長く立つと酔ってしまいます。