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第2回「京大おもろトーク:アートな京大を目指して」 『京大解体』 title= 第2回「京大おもろトーク:アートな京大を目指して」 『京大解体』
2015年7月30日(金)

司会:NTアソシエイツ取締役 中津良平先生(以降敬称略、司会)
パネリスト:美術家 森村泰昌氏(以降敬称略、森村)
京都大学人間・環境学研究科教授 酒井敏氏(以降敬称略、酒井)
京都大学農学部資源生物学科4回生 大塚亮真氏(以降敬称略、大塚)
司会
大変楽しく聞かせていただきました。
お三方の答えはもう出ているようの気もするんですが、それだけでは面白くないのでこれから議論していこうと思います。ちょっと私なりの理解を言いますと、これは先ほど森村さんと酒井先生のやり取りの中でですね、ある意味で明らかなことなんですけど、京大がもうすでに解体されているという非常に強烈な言葉がありましたが、それを、なぜか、どうしてかと説明すると、そこはもう、森村さんの非常に適切な、ある意味で酒井先生の理論のご説明があったと思うんですが、それはつまり、昔はと言ったらいいんですかね。
秩序というもの、本当は人間は秩序あるものをどうしても好むんだけど、京大はある時まではカオスだった。それがいつの間にか秩序に基づいた大学になってしまった。これも森村さんの話によると、つまり秩序というもの、人間は秩序を志向するというか、逆に秩序がないことに耐えられないということなんですよね。それは、昔はそれに耐えられた人がいたのに、今、どうも耐えられなくなっている人間がどうも、京大に増えてきているんじゃないかということですよね。
それはなぜかとか、じゃあどうすればいいのかという風な話にどうしてもなっちゃうと思うんですけど、どうしましょう。まず、酒井先生そういう理解でよろしいんですか。
酒井
ええ、それで、先ほど汚いのが心地いいということをおっしゃりましたが、基本的に生物は汚いのが好きなんです。例えば、サンゴ礁の綺麗な海、あれは僕らから見たら綺麗なんですが、あれは生物から見たら砂漠ですよね多分。だから僕らから見て汚いものが、生物は好きなんですよ。
さらに秩序がなくて未完成だから生物って生きていけて、生物の完成っていうのはつまり死を意味すると思うんですね。だから生物的な、本能的な部分と、その一方で先ほどおっしゃった秩序がないと不安だ、これは多分人間の特殊なある意味能力、秩序が作れるから人間は他の動物とは違って、すごい力を持っていると思うので、だからこの二つ両方とも僕は必要だと思うんですが、非常に矛盾していると思うんですね。だから矛盾しているものを二つ持っていて、これはなかなか療法を同時に満たすということはできなくて、すべての人にこういう汚いものを心地よく思えといっても多分無理だよと、逆に京大の変人みたいなのがですね、綺麗なところを嫌いなわけですね。むしろ綺麗なところに来ると、その辺がムズムズしてくる。こういうのを変人というんですが、変人の世界ってやっぱり普通の人の世界と違っていて、これは共存しなきゃいけないんだと思うんですね。
別に違う人を無理やり連れてくることはないんだけど、お互いにそういう人たちがいないと困るというのを認めておかないといけないと、京大生には無理っていうバイトがあるんですが、どっかのパン屋さんのアルバイトで、ずっと同じ仕事の作業をすると。これは京大生には耐えられないと。そろそろ飽きたし塩を多くしてみたけどどうですかとか、京大生がパン屋さんでバイトをすると同じ味のパンが食べられなくなっちゃうわけですが、一方でそういうことがちゃんとできる人がいるから世の中成り立ってるわけです。
でもそういうきっちとした仕事しか、というかそういうことをやっている人だけだと、小麦が採れなくなったとか、そういうときに別の代案が出てこない。変な奴がやっぱり必要なんですね。平時ははですね、コミュニケーションが非常に難しいと思います。だけどやっぱり、そこのところで、違う価値観を持つものが、人間社会としては違う価値観を持った人間が共存していないといけない。
そのアートという話なんですけど、多分その違う価値観を持つ人にですね、片方の価値観をそのまま押し付けると、これは拒絶反応を起こしちゃう。多分相当苦痛を与えちゃう。実はそこがアートになるとある意味そこが疑似体験で、体験するんじゃなくて、疑似体験することで、そういうのもアリかと、思ってもらえる。そういうソフトなコミュニケーション手段としてアートは重要なんじゃないかなという気がします。
司会
今の意見よろしいですか。ソフトなコミュニケーション手段ってちょっと違和感あるんですが…。
第2回「京大おもろトーク:アートな京大を目指して」 『京大解体』
森村
僕が別の言い方をすれば、今、酒井先生がおっしゃったこと、芸術というのは暗黙の了解か、社会の役割っていう言い方はあまりしたくないんだけど、社会の中であえていうんですけど、ある種、先ほどのかつての京大の話じゃないけど、ある種治外法権、特区、芸術だからっていう特権的なところがあるんですね。それはある種のリングだと思うんですけど、誤解を招かないよう願いますが、芸術の中だと、殺人もオッケーなんですよ。これは本当に殺人をするというわけじゃなくて、小説とか、そういったものの中で、人を殺すということが、物語の中に出てきますよね。ドエススキーのラスコルニコフは人を殺人、殺したりする。そういう物語があるわけですから、こういうことが芸術の和久々野に中でなら許される。芸術だからっていうところがあるんですね。
芸術の中であれば思いっきり汚くてもオッケーなんですよ。そういうところがあるんですよ。だからそこのところが、ソフトにとおっしゃいましたけど、そこのところが、ある種のツールとして、成立するっていう可能性は十分あるし、そういうことを芸術と言っているのは、やってきたのかなというふうに思いましたね。
もう一つ、大塚さんのお話があったので、僕、酒井先生だとちょっと真面目すぎるんじゃない?とおっしゃりそうですが、僕はすごく共感を持って素敵だなぁと思いながらお話を聞いていたんですけど、一つだけ気になることがありました。それは、今、学問と社会を結びつけるという話をなさっていて、僕は、自分が芸術という分野で、学問とはちょっと違うのかもしれないけど、一番表現で大事なことは、これは酒井先生絶対賛成してくれると思うんですけど、何の役にも立たないこと、芸術というのは。役に立つと思ったら終わり。そういうものだと思います。
これは、本当は研究もそうなんだと思うんですよね。これは多分、京都大学だけでなく、多くの大学がそうだと思うけど、大学って大学の役割を問われてると思うんです。だから、大塚さんの僕がやってることなんなんだろうという。一つは面白い、ドキドキするとおっしゃったからちょっと安心してるんですけど、でもなにか自分のやっていることっていうのは何かの役に立つべきとどこかで思っているかもしれない。
それはどういうことに置き換えられるかというと、大学っていうところは、やっぱり、社会の中の、世の中の中の、筆の組織であると。そこが多額の税金なんかが使われたりする場所ですから、そういう場所であれば、やっぱり恩返しをしないとダメじゃないか。世の中の役に立たないといけないんじゃないか。要するに社会のニーズというものがある。社会の方からこういうこと研究してほしい、あるいはこういう人材がほしいという社会のニーズに応える感じで研究があったり、ある人材を育成していったりということになりかねない。
つまり社会との関係っていうことを考えると。でも大学っていうのは本来そうなんでしょうか。社会の役に立つためにあるんだろうか。これは僕の独断と偏見かもしれないけど、大学というのは大学としての自治が必要だと。それは、世の中がどう言おうとうちはこうですよと、っていうある種のまさに芸術と同じ特別の場。この中では何をやってもいいと、何をやっても許されると、いう場所でないと、簡単に言うとおもろないと、なるんじゃないかなと思うんですね。そこのところが、先ほどのお話ですが、非常に不安なものを醸し出すんです。何やってもいいですよって、大塚君もゴリラの写真撮ってる。ドキドキするし、いいなと自分で思って京都大学でそういうことできるしやってる。ちょっと不安がある。何やってもいいからやってるんだけど、ちょっとお聞きすると、基本的にお一人でやってると、これがたくさんの仲間がいる。100人、200人といるとですね、みんなやってるという感じが安心感をもたらすんですね。
よく世の中で、これは大学の話じゃないけど、みんな並びますよね人気のお店とか。あれと同じです。ロールケーキとかのお店がここがうまいとかなると、みんな並ぶでしょ。たくさん並ぶと、自分もまた並びたくなると。これは同じ価値観を持ちたいんですよ。たくさん同じ価値観を持っている人がいると安心するっていう。ところが今の時代は、おそらく安心感を持てる一つの価値というものの一個一個が非常に脆弱なんですよね。ロールケーキですから。ロールケーキでなくても別にいいわけ。やわらかプリンでもよかった、やわらかプリンが流行るとやらかプリンでよかった。別に塩パンでもいいです。なんでもいい。非常に脆弱。かつてはそうではなかった。これはいい意味でも悪い意味でも。
例えば、神様がいたわけですよ。神様がいると、どうしたらいいでしょうと悩んだ時に問うことができる。人殺しはいけませんよと神様は言ってくれるわけですけど。今神様は解体しちゃいましたから、人間。そうするとどうしたらいいかというとこで非常に困るんですよ。そうするととりあえず並んどくかなとなるんですよ。ところが、並ぶアイテムが非常に脆弱でしょ。じゃあどうなるかっていうと、今度は強固な、ものに並びたいとなりますよね。強固なものってなんでしょうか。
これって またぞろ になるけど、例えば、国家という。これかなり強いです。ロールケーキややわらかプリンは全く敵いません。国っていうものがあればそこに並ぶ。これはかなり強固な一体感をもたらせるという風になっていくんですね。そういうことになるわけなんで、それでいいんでしょうかという話になりませんか。
そうするともう一度こちらに戻って、この京大、大塚さんが何をするかっていう時に、社会の役に立つ、社会貢献って言ったようなものを考えながら、芸術作品を作るっていうことが下手をすると、非常に危険なものを招いてしまうということに、なりはしないだろうかと。そうすると、芸術なんて何の役に立ちませんよというスタンスに、先ほどから同じこというんですけど、どれだけ耐えるかというその、僕の例でいうと、信号機渡りますよね。信号機を渡る時に、今青が点滅している時に、パッと立ち止まって、うわっ、素晴らしい青だって立ち止まってるとどうなるかっていうと、邪魔邪魔、早く渡ってくださいよ。そんなとこで立ち止まって見上げている場合ですか。なぜならば、この信号機というのは交通をスムーズに運んでいく、そういう道具に見とれていてどうするんですか。青だったら渡る。赤だったらストップ、止まる。そういうもんでしょ、そういう役に立つツールでしょ。それが青の輝きが素晴らしいなんて言っていると、それ、邪魔ですって言われるんですね。
だけど、大塚さんのゴリラを見てドキドキするというのはそれと同じだと思うのね。役に立つか役に立たないかわからないけど、そのブルーの輝きに見とれてしまったっていうのが最も重要なことなんですよね。それが一体何の役に立つんですかって言ったら、役に立ちません。むしろ、有害です。信号機にとって。だけど自分にとってドキドキすることだから、それは例えば、これは人間に置き換えてもいいんですよ。人間に置き換えて、人間が、何かの役に立つから、人間って素晴らしいのかっていうと、そうじゃない。それは、人間っていうのは生きてる。ちょっとロマンティックな言い方ですけど、生きていて、そうしたらそこに命の輝きが、それが感動的なんだと思うんですね。それは何の役に立つかとは全然違うレベルの問題で、美しいってそういうことだと思うんですよ。
だから、僕は大塚さんが素晴らしいなと思ったのは、ゴリラとの出会いが子供の頃からあって、そこのドキドキ感というものが持続的にある。そこが、一番ポイントなんだと思っていることですよね。このゴリラ研究を、例えば、ゴリラの研究をしてそれを論文に書いて、何か、著名な学者になろうと、そっちじゃないという感覚は、まさにアートなんですよ。そう僕は思うんです。なんか、そこを大切にして欲しいななんて思いました。
司会
結構森村さんがおっしゃっていることはラディカルなことですよね。京大で役に立つことやっちゃダメよとおっしゃってるわけですよね。
我々が見たら、工学系の人間はどうすりゃいいんだということになってしまうんですが、時間もそろそろなくなってきたんですが、ちょっと酒井先生の方にですね、いくつか質問があるのをちょっとお答えいただきたいと思いますが。
京大が解体されているというこれも非常にラディカルな意見ですが、何かいいものは残っているのだろうかということ、京大らしさというもの、があればそれは何かということですね。それともう一つはですね、逸脱することの重要性ということを、おっしゃったんですが、これはじゃあ逸脱して、なおかつ、役に立つとは書いていないな。我々が根元に訴えかけるような研究をするにはどうすれば良いか。これは無い物ねだりなのでどうすればいいかという感じですが、もしお答え頂ければと思います。
酒井
まず、何か残ってないかと、正直言って先ほど生物っていうのは汚いところを好むという話はしましたが、生物っていうのはどんどん同時に成長していってソフトランディングしない。だからとことんいっちゃって絶滅するのが生物なんだと。そういう意味では、京大ももうそうやって絶滅するんだなと実際僕は覚悟決めたというんですが、幸か不幸か、ブレーキがかかりました、去年。
今ここにはいらっしゃいませんが、山極総長が誕生したわけで、かすかに、昔の何かを残しているんだろうなと、まだ完璧には死んでない。何か残ってるからこういうことになっているんだろうなという風には思います。ただそれが生物として、いいことか悪いことかよくわかりません。それももう今言った、絶滅しとけと。恐竜が絶滅したから僕らがいるので、次の何か新しいものが出てくるには絶滅した方がいいのかもしれませんが、そういう意味では、幸か不幸か少し残りましたねと、で答えになってるかな。で、もう一つなんでしたっけ。
司会
秩序から外れるだけではなくて我々の根元に訴える研究を、そういう風なテーマを見つけるにはどうすればいいかということなんで、それはちょっと無い物ねだりかなとも思いますけど。
酒井
多分先ほどから役に立ってはいけないという話もありましたけど、今役に立つことにこだわっているとそういう表現になると思うんですけど、多分ですね、今役に立たないことっていうのは想定外のことが起こった時には、今役に立ってることはほとんどダメな訳ですよ。
だから、想定外のことが起こった時に役に立つものを持っているために今役に立たないことをやっていなきゃいけないと。だからそういう意味で、今役に立たないということもですね、さっきのカオス界だと思うと、これは役に立つことだと思います。だから今役に立たないだけで将来役に立つと保証はしませんが、役に立つかもしれないと。
司会
はい、時間がそろそろ迫ってきましたので、一番最後にですね、答えていただきたいと思うんですが、今日のお三方は先ほどのお話から、ある意味で秩序のないことに耐えられる人間ですよね。でも大半の方はなかなかそう簡単には耐えられないので、こういう質問が来ています。
仕事ではなく趣味として、アートをやりたい。そういう人間はこの、今日のパネリストから見るとどういう存在なんですか。いらない存在なのか、どうなのだということなんですけど。
どうでしょうかそれは。趣味じゃダメなんですか、やっぱりアートっていうのは。
森村
いや、素晴らしいと思いますが、なんていうのかな、僕も趣味でやっているようなもの。というのは、どう言ったらいいのかな。仕事っていう自覚がないですね。好きかなぁ。広い意味で好きでやってるかな。大変しんどいから、作品を作るのって。こういう化ける仕事をやっていると森村さんが一番楽しそうですよねと言われるんですけど、じゃあやってみって言うんですけど、どれだけしんどいかわかるよって言ってね。次の日首回りが動かないですから。
でも昔なんですけど、随分前のことになるんですが、自宅でぶらぶらして、そうすると近所の人がね、あなた何やってるのって言われるので、ちょっと絵のようなことをやってます。と言ったら、素敵ですね、いい趣味をお持ちでっておっしゃって、あぁ、僕のやってることは趣味なんだと思っていたんですね。ですから、それは自分にとってよかったなと思っているんですけどね。永遠のアマチュアリズムといいますか。俺はプロだってこう思いあがった気持ちは持たない、っていう。
履歴書に今趣味の欄ってないんですね。ちょっとできてきましたけど、長らくなかったんですよ。で趣味っていう欄が職業っていう欄に移っていったと、そういう感覚なんですね。だから、僕自分のやっていることと、別の職業をお持ちでなんか好きで芸術作品なんか作ったりとか、そういうことをなさる人とは地続きだって思うし、もっと翼端なこと、化けるっていうことをやってるといえばね、コスプレイヤーとか自撮りのひととかいっぱいいますでしょ。ある種、いろいろありますけど、私は君とは違うみたいなことはあるけども、地続きだとは思っています。
地続きだとは思っていますけど、何が違うかといいますと、年季が違う。僕は一番最初、ゴッホの作品を見せましたけど、あれは1985年に作りましたから、この道30年です。そこぐらいまでやってみと、こういう風には言いたいけど、基本的には変わらないんじゃないですかね。と思うんですけど。
酒井
はい、あの私も趣味と仕事の区別がつかないという意味では似たようなもんですが、やっぱり、僕らみたいなのは変人ですが、
森村
僕らってどういうことですか(笑)。
酒井
まぁ京大には変人が多い(笑)。
京大はやっぱり変人がいないと困るんだけど、変人ばっかだと困って、世の中それでは成り立たないわけで、だからちゃんと普通のひとがいないと明日のご飯に困るわけなんですよね。だから僕ら変人は普通のひとにご飯を食べさせてもらっているので、非常にありがたい。
だからこれはあえて変人の中に入ってもらう必要はなくて、趣味として付き合っていただければ、理解していただければそれでいいんじゃないかと思います。
司会
大塚さん何かあります?
大塚
はい、僕も学生なので、まず完全に趣味の領域でやっているものですから、すごいちょっと短めに言いますけども、本当に僕も今後こういう活動をしていく上で、大事なことは先ほど森村さんがおっしゃったように、10年、20年、30年と積み重ねていくことだと思っていますね。
僕の写真を今たまたまこういう巡り合わせというか、運が良く話させていただく機会をえていますけども、まだまだ僕はゴリラのことを知りませんし、実際にアフリカに行ったこともないですし、そうやって未知なことを30年、40年、50年できれば死ぬまで、やっていくかどうか、僕も今後どうなるかわかりませんけども、今はそういう気持ちでいるので、まぁ、それでも趣味になりますよね…。どうしたらいいんでしょうちょっと閉まらないですけどこれで。
司会
どうもどうも、それではですね。一番最後に京大唯一のアーティスト土佐先生にですね、今日の議論を聞いてどういう感想を持たれたか。締めていただけるとありがたいんですけども。
土佐尚子氏
京都大学の土佐でございます。京大に来て約10年ぐらいになるんですけど、酒井先生によりますと、ほぼ解体された後にやってきたと言われましたけど、今日のお話を聞いて非常に深いものがあるなと思いました。いわゆる、学生運動の頃の解体とはですね、また別の意味での解体と、創発的なものを感じましたし、今の時代ご存知のように価値観が複雑化していて、森村先生もおっしゃいましたけど、脆弱な価値観の中にいて、その中で私たちは生きていかなきゃいけなくて、一方で、安倍政権のような国家があって、非常に不安を煽るような、政治をしていますけども、その中でやはり、サバイバルと言いますか、想定外の中で生きて行けるような、賢さと言うとちょっと偏った言い方なんですけど、サバイバル力というか、そういうものがこれからの一つの指針となって、「京大おもろトーク」そのあとに「アートな京大を目指して」というのがありますので、一つの京大力として、想定外のサバイバル力っていうのがあるのかなと今日は感じさせていただきました。どうもありがとうございました。
司会
非常にたくさんの質問をいただいたんですが、時間の都合もありまして、それぞれにお答えすることができなくて申し訳ないです。それでは本日は2時間ちょっとオーバーしましたがその間に京大解体というちょっと重いテーマを議論させていただきまして、答えが出たのかでなかったのか。これを受けまして、次回どうするのかということを、我々オーガナイザー側としては考えさせていただきたいなぁという風に思います。
次回は四半期に一回ということで10月頃を予定しております。次回は京大再構築という風にテーマに持っていければいいんですが、まぁそれは今日の議論をもう一度我々としても集約してから考えさせていただきたいと思います。
それでは本日はどうもありがとうございました。これで終わりにさせていただこうと思います。